ラスト・ダンスはあなたと (後編)


一発の弾丸―

それはアイツなりのさよならだったのかもしれない―





ルパンに抱かれた身体の火照りも冷め遣らぬまま、次元はバーバラの待つ教会に辿りついた。

車中での事が終わった後、二人は無言だった。

気だるく、物憂い沈黙。


―ジョーと相棒を解消してからルパンと出会うまで、数人と組んだ事があった。だが、結果はいつも同じだった。必ず裏切られた。

それに、”相棒”とは思っていたものの、そいつらとは決して心の奥底まで覗かせるような間柄ではなかった。それが―

ルパンに出会い、全てが変わった。

今まで見えていた世界が、百八十度変わったのだ。

ルパンほど一緒にいて心弾む相手はいなかった。ルパンと一緒なら、全てが輝いて見えた。そしてその信頼は、間違いではなかった。

信頼はいつしか、愛に変わっていた。

どちらから口にしたのか、もう覚えていない。けれど、今までどんな女にも感じた事のない激情が、ルパンといると常に胸の奥底に渦巻いていた。

バーバラと再会して―

あの頃彼女に抱いていた感情を思い出す事ができた。

だが、それだけだった。

時が―そしてルパンが、次元を変えてしまった。もうルパン以外には愛せなかった。






「次元!!」

無邪気に駆け寄ってくるバーバラを次元が抱きとめようとしたとき―




銃声が凍えた空気を震わせた。




何が起こったのか、一瞬理解できなかった。


手応えのないバーバラの身体を抱きながら、次元の脳裏には、これまで自分を愛し、そして死んでいった女たちの顔が走馬灯の様に駆け巡っていた。


「しっかりしろ!バーバラ!」


だが次元の呼びかけに、バーバラは反応した。

弾は、バーバラの胸のペンダントに―ジョーとの結婚の記念のペンダントの真ん中に命中していた。


「あそこだ…」


キラリと遠く閃いた銃口に向かってルパンはワルサーを何度か発砲したが、無駄だと分かっていた。




悠に500メートルはある距離からバーバラを傷つけることなく胸のペンダントに弾丸を命中させる事ができる人物―。

しかしその男は、海の底で眠っているはずだった。「アラスカの星」とともに―。






だが、死んだはずの男は、甦った。いや、正確には死んですらいなかったのだ。

彼は、ルパンたちのすぐそばで生きていた。そして一粒の麦を手に入れるために、バーバラを、妻を囮にした―。



かつて次元とバーバラを争っていた頃、まだ互いに張り合う口が聞けた頃、ジョーは次元に如何に自分の方がバーバラを愛しているのかを熱く語ったものだ。それなのに。


「一つだけ聞きたい。もし撃ち損なったらと考えなかったのか。」


バンクーバーの廃ビルの屋上で、次元はジョーに糺した。


「500メートル以上離れた距離で、アラスカの風が吹く中、万が一弾が逸れたらと考えなかったのか!!」




”なぁ次元。俺はバーバラに心底惚れたんだ。あいつは俺に人の温かさを教えてくれた。人を愛するってェ事を教えてくれたんだ”

”ケッ!大袈裟なヤツだぜ。心底惚れたってんならなあ、そりゃあ俺だって変わりはねえ。バーバラを譲る気はないぜ?”




いつか、遠い記憶の中にある酒場でのジョーとのやり取りが、幻のように耳元を通りすぎていった。


「もし失敗しても、お前はバーバラの死体を運んだろう。」


ジョーは冷然と言い放った。


「それが答えか!!」


胸倉を掴んで責め寄る次元に、ジョーは言った。


「ああ。あいつは俺と一緒になるべきじゃなかったのさ。お前とだったらお似合いだったぜ。」

「許せねえ…!」


次元は怒りに震えた。

自分がルパンと過ごしてきた歳月があるように、ジョーとバーバラにも、夫婦として過ごしてきた歳月があったはずなのだ。


「こいつはくれてやる!!ただし俺と勝負して勝ったらだ!!」


次元は手にしていたペンダントをコンクリートの床に叩き付けると、銃を構えた。

ルパンがコインを宙に放る。それが地に落ちた瞬間が、勝負のときだ。

コインが地に落ちて跳ねかえった―






勝負はついた。

奇しくもジョーの放った弾は、ルパンが弾いたコインに当たって逸れたのだった。

崩折れるジョーの姿を見て、次元は駆け寄った。


「レフティー!!」


思わず口を突いて出たのは、相棒としてのジョーの呼び名だった。

ジョーは苦痛に顔を歪めながら、弱々しく次元に微笑んで見せた。


「っ…!お前にやられたなら本望だぜ…。バーバラを、頼む…。」











遠く街の灯りが冬の空に煌いて滲んでいた。

時折列車が轟音を立てて通りすぎていく。

次元とバーバラは夜景を背にして橋の上に立ち、ぼんやりと闇に浮かぶ線路に目を落としながら言葉を交わした。


「ジョーは死んだのね…」


全ての話を聞き終えると、バーバラは次元の方を見ることなく呟いた。しかしその呟きには、感情が読み取れなかった。


「…いや。だがもう銃は持てねえ。ましてヤツはこの先スパイ組織に追われる日陰暮らしさ。そいつは死ぬより辛いかもしれねぇ…。」


冷たい風が一陣、ふたりの間を吹きぬけていった。


「…そう…。可愛そうなジョー…。」


バーバラの言葉に、次元はその時初めてバーバラを見た。




バーバラは泣いていなかった。―むしろ、恐ろしいくらい美しかった。




バーバラが鞄に手をかけたのを見て、次元は再び視線をバーバラから逸らして言った。


「行くのか?ヤツのところへ…」


バーバラは立ち止まった。


「ジョーは今度こそ本当に帰ってこないぜ。」


橋げたに寄りかかりながら次元が正面を向いてそう言った時、バーバラは透明な笑みを浮かべて言った。


「あなたもでしょ。次元。」


その視線の先に気がついて後ろを降り返ると、暗闇の中に立つ細い影が長く伸びていた。そして僅かに、ピンクのジャケットが風にはためくのが見えた。




次元はバーバラを見た。バーバラも、次元を見た。これが、本当に本当の最後だ。



やがてバーバラは、鞄を手にして背を向けると、ジョーという名の永遠の別れに向かって歩み去っていった。













鋭い警笛の音が細く尾を引いて消えていき、バーバラの姿も見えなくなった頃、嗅ぎ慣れたジタンの香りが近づいてきた。


「ラスト・ダンスだな。」


ルパンは次元に煙草を勧めた。

次元はジタンを一本抜き取ると、口に銜えた。ルパンの手の中でライターに火が灯された。

身を少し屈めて火に煙草を近づけながら、次元は上目遣いにルパンを見た。


「ん?何だよ。」


ルパンが少し悲しそうな笑顔で言った。次元の身に何かあった後、ルパンは必ず少し悲しそうな顔で笑う。そして、時にはおちゃらけたり、時には抱き締めて―次元の傷を癒そうとする。


「あの時…」

「へ?」


次元が煙を深く吸い込んでから呟くと、ルパンは目を丸くして次元のほうへ身を寄せて来た。


「教会へ行く途中の車の中で。…あの時お前、嫉妬してたろ。」

「へ?あ、いや、さぁ〜て、どうだかなァ。」

「バレバレなんだよ。」


ひとしきり、いつものルパンと次元のじゃれ合いにも似たやりとりが飛んだ。

やがて次元は、ニヤリと口端をあげた。ルパンも、不敵に笑った。


「…心配しなくても、本当のラスト・ダンスはお前と踊ってやらァ。」


次元は深く目を閉じて星空を仰ぎながら言った。

ルパンは暫く無言で次元を見つめていたが、やがていつものおどけたポーズで次元に抱きついてきた。


「あ、それってばプロポーズ?いやぁ、モテる男はつらいねえ〜!!」

「馬鹿かお前は!!…ちょっ…離せよっ!!」






ふたりの足下を、列車が通りすぎていく。




たとえば時に別々の列車に乗る事になっても、ふたりの線路は必ず交錯するだろう。

必ずもう一度、巡り会うだろう。

それが、最後まで変わらぬふたりの運命なのだから。















なぁ、ルパン。






何だ?次元。















ラスト・ダンスは、お前と―。















〜Fin〜




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