まぼろし








風―






強い風が吹きぬけた。

丘の上から見る朝日は、眩しく、美しかった。






今は冬。






そうだ、この国の冬は、骨身に染み入るように寒いんだった―


帽子を押さえながら、次元はふとそう思った。

おかしなものだ。

日本で育った訳ではない。「日本人だ」という自覚もない。なのに、肌に染み込む空気は妙に懐かしい。






―なんかさ、懐かしいな、って思ってよ。






つい先日、忍び込んだ校舎の一室で、木造の椅子にもたれながらルパンが呟いた一言が甦った。

あのとき彼もまた、この空気の中に何かを感じたのだろうか。振り返って確かめようかと思ったが、止めにした。






「本当か嘘か。そんな事は興味ねえんだ。俺が確かめてぇのは”本物かどうか”ってこと。ま、そんなトコだ。」






そう言うルパンの答えに返した自分の答えは、正直な気持ちだった。






―分からねえ。

お前ぇの言ってることはまったくもって、ちんぷんかんぷんだ。






そもそもどうしてこいつはこんな事を始めたんだ?

お得意の”暇つぶし”か?さっき自分でそう言ったように。

それとも、他に何か意図があっての事だったのだろうか―。
















ある日気がつくと、世界中が”ルパン”で溢れ返っていた。

コンビニで650円の万引きをしてしょっ引かれたケチな”ルパン”もいれば、昔自分から歌姫に贈り、今は別の人物の手に渡っていた、持つものに権力を与えるという伝説のブローチを盗み出した”ルパン”もいた。

次元が気づいたときには、”ルパン”は目の前からいなくなっていた。

いつも傍らにあった愛しいぬくもりは、多くのパチモンに紛れて、姿を暗ましてしまったのだ。

どうして?






こんな事になるとは、考えもしなかった。






いつかルパンを失うかもしれない―

そういう恐怖は常に次元の心の片隅にあって、それならばその時はルパンと共に、と願ってもいた。

しかしその”失う”とは、弾丸に当たって死ぬ、とか、そういう事だ。

次元が予測していたルパンとの別れは”死”であって、”失踪”ではなかった。

しかし、ルパンは見事に多くの”ルパン”たちに紛れ込んだ。
―次元には何も告げずに。


何も告げられなかった事で、返って次元の気持ちは吹っ切れた。


そっちがその気なら、俺は俺でやらせてもらうぜ―




次元は世界を放浪し、多くの”ルパン”たちを見た。どいつもこいつも話にならなかった。そして、日本の地で、一人の”ルパン”と出会った。

―それが、ヤスオだった。











ヤスオは向こう気が強く、力で押し切るところは若さゆえだったが、それまで出会ったどの”ルパン”たちよりも頭がよく、度胸があった。一緒に行動していて、一番面白い”ルパン”だった。

―本当の事を言えば、次元には分かっていたのかもしれない。

一番”ルパンらしい”ルパンと行動を共にしていれば、必ず”本物の”
ルパンに出会えるであろうという事は―。

その勘は、見事に的中した。











”ルパン”がその日勝鬨橋に現れるであろう事は、見当がついていた。
先ごろ日本へとやって来た五右ェ門と共に、雨の中を出掛けた。


「”アイツ”に付いてりゃ、遅かれ早かれ顔を出すだろうと思ってたけどよ」


激しい雨の中を、傘も差さずにふたりは歩いていた。

次元は懐からペルメルを取り出そうとして、雨に気づいて止めた。


「しっかしまあ…。なんでまたこんな面倒な事に首を突っ込んだのかねぇ…。」

「お主、知らんのか」


五右ェ門に問われて、思わず次元は立ち止まって傍らの五右ェ門を見た。


「あ奴、お主にも何も言わずにいなくなったのか!?」


少し強すぎる語気だった。五右ェ門の剣幕に、次元は気圧された。


「い…いや、あいつが勝手気侭をやりやがるのは、いつもの事だからよ。」


なだめるように次元が言うと、五右ェ門はそれきり黙って俯いてしまった。


「…ま、まあ、行こうぜ。」


笑って次元が促すと、五右ェ門はそのまま歩き出した。






「…こんなにも長い間、お主に何も言わずに…」






五右ェ門の呟きは、雨音にかき消されて、次元には届かなかった。











長かった。

長い日々だった。五右ェ門に問われるまでもなく、何度も考えた。






どうして?

どうして何も言わずに、いなくなっちまったんだ?

どれだけパチモンが現れようと、正真正銘の”ルパン”はお前一人だろう?何のために?






吹っ切れたはずの気持ちは、何度も揺らいだ。ひとり、眠る前には、
特に。

そんな夜には、思い出を抱いて眠った。

記憶の中にいる愛しいルパン―

共にした幾つもの出来事―






ああ、そうだ。俺たちはいつも、一緒だった―






そこまで考えると、自然と眠りに落ちる事が出来た。そしてそれは、安らかで、幸福な眠りだった。






勝鬨橋の上でヤスオと共にいるルパンを見たとき、次元は鼓動が跳ね上がるのを感じた。


ルパン。

ルパン、ルパン、ルパン。


ともすれば裏返ってしまいそうな声を必死に押さえて、さして気にも止めない風を装って、次元はルパンに声をかけた。


「おうおう。久しぶりじゃねえか。元気そうだな。」


フィアットの助手席の扉が開き、夢にまで見た”ルパン”― 

ルパンが現れた。


「とうに死んだものと。」


五右ェ門の開口一番は、きつかった。


「おい…。そりゃないぜ五右ェ門。」


ルパンは苦笑いだ。



ああ、この声―

この声だ。

ルパンの声だ―



「本物かどうかなんて問題じゃねえ。組んだら他のどんなヤツとやるより、面白れえ。そういうヤツの事だろう?ルパンてなぁ。」


継いだ言葉は、嘘ではなかった。


そうなのだ。ただ共にいるだけで、何気ない日々が様々な色に彩られていく―

たとえそれが灰色であっても、虹色に塗り替えてしまうような―ルパンは、そういう男だった。


「大体お前、今までどこで何してたんだ。」


次元の問いに対するルパンの答えは、予想していた通りのものだった。


「つまんない事聞くなっつーの。」

「だからお互い様だって言ってんだ。」


次元は胸中で嘆息した。




ルパンはヤスオを挑発している。車中でワルサーを握るヤスオの手が震えているのが、鈍い光がブレるので分かる。


へえ…。


次元は少し、感心した。ヤスオに対してだ。

ルパンがここまで挑発するのは、ルパン自身相当ヤスオが”面白い”ヤツだと思っているからに違いない。

俺も伊達にルパンと付き合ってきた訳じゃねえからな―

次元の口元が僅かに緩んだその時、地を割くような轟音が響き、勝鬨橋が二つに分かれ始めた。


「おおっと!」

次元は五右ェ門と共に駆け出した。


ルパン―!


振り返ると、切り立った橋の先端に立つ赤い影が見えた。その目は、真っ直ぐに”緑”を見つめていた。

そして、爆音が東京の空に炸裂した―。











ミサイルを放ったヘリが狙ったのは、フィアットに同乗していた、今回のお宝「アイスキューブ」の鍵を握るローガンだった。

爆発を逃れたルパンを拾って、次元はその頃アジトにしていた、先ごろ廃校になったばかりの小学校へと車を走らせた。






日本は、変わった。

国民投票で政府が民間の軍事会社を雇う事が正式に決まり、少子化も深刻だ。アジトにしている小学校も、生徒数の激減を理由に廃校になったのだった。

「アイスキューブ」の謎を解くために、次元が屋上で苦手のパソコンと格闘していると、いつの間にか煙草をふかしていたルパンの姿が見えなくなっていた。




ふいに、不安がよぎった。


まさか―

まさかまた―


そんなはずはないと分かってはいるのだが、不安でたまらずに、次元は教室という教室を覗いて周った。そして、呑気に椅子に腰掛けて、夢見心地のルパンを見つけた。如何にも幸せそうなその顔が、無性に癪に障った。

次元はルパンに近づくと、長い足を乱暴に背もたれにかけた。勢いで、ルパンはそのままひっくり返りそうになった。


「…おーう、次元ぇーん。」


ルパンは目をぱちくりさせてこちらを見上げている。


「おーう、じゃねえや。なにを呑気に寝てやがるんだ。」


人の気も知らないで。


「寝ちゃいねえさ。なんかさ、懐かしいなー、と思ってよ。」

「なわきゃねえだろ!お前いつから日本人になったんだ!」


次元は迷わずスリーパーホールドをかけた。


「ぐげげげげげげげ」


ポンポン、と次元の腕を叩いて、ルパンがギブアップを示す。


「まったく…!」


次元が腕の力を緩めた、ほんの一瞬だった。

強く腕を掴まれ、気がつくと次元は、ルパンに木の床に組み敷かれていた。


「ルパ…!」


次元が言葉を発するより先に、ルパンの唇が次元のそれを覆って、許さなかった。


「んん…!」


抗議のつもりだったのに、思いもかけず次元の声は甘く溶けた。

溶けたのは声だけではなかった。

ルパンの指が触れるだけで身体の芯が熱くなり、そのまま崩れてしまいそうだった。

次元は必死の力でルパンを振りほどいて、叫んだ。


「…止めろっ!…いつもいつも手前ぇの好き勝手やりやがって!!」


横たわったまま、荒い息の下から、次元はルパンを睨んだ。


「俺が…俺が…、…俺は…」


そのまま何も言えなくなって、次元は涙に滲んだ目を背けた。




ふいに身体がふわりと浮いた。ルパンに抱き締められて、背が浮いたのだ。

温かな、ぬくもり。嗅ぎ慣れた匂い。焦がれていた、この腕―


ルパン―!


次元はルパンの背に腕を回してジャケットを握り締めた。強く強く、握り締めた。


「ルパン…!俺は…」


次元は、泣いていた。愛しい男の匂いの中で、しゃくりあげるように泣いた。よしよしをするように背を撫でていたルパンは、優しい、しかし、きっぱりとした口調で言った。


「…ちゃーんと俺を見つけてくれたじゃないの。」


次元ははっとしてルパンを見た。


「さっすが俺の相棒。…愛してるぜ。」


ウィンクと共に次元の頬にチュっと音をたてて口付けたルパンの瞳は、愛情に満ちていた。そして、口にしなくても、その言葉は次元の心に届いていた。






―ありがとう―






「…へっ…。何気障ッたらしい事言ってやがる…。」


次元は毒づいたが、ややあって、微かに震えながらルパンへと向き直った。

ふたりは見つめ合った。そしてどちらからともなく、吸い寄せられるように唇を重ねた。






「あ…あ、ルパン…ルパン…」


鮮やかな夕日が、次元の浅黒い肌を艶やかに照らし出す。ルパンは、はだけた裸の胸を隅々まで舌で愛撫した。


「ああっ…!あ…、ルパン…!」


長い間ルパンを待ちわびていた身体は、止まらなかった。次元は更に深い快感を求めて、ルパンの背に爪をたてた。

焦らすように胸の突起をなぞられて、次元は身をよじって悶えた。


「ああ、もっと…!」


ルパンは情欲の滲んだ瞳を細めると、再び次元の唇を奪った。咥内を犯すルパンの舌を、貪るように次元の舌が追いかける。唾液の絡まりあう音と短い喘ぎ、荒い息遣いが室内に満ちる。


「んん…んんっ…!」


抑制の効かなくなった次元をなだめるように、ルパンはゆっくりとその衣服を解いていく。そして悦びに震える次元自身を、掌で包んだ。


「んぅっ…!」


僅かに手を動かしただけで、口付けたままの次元の唇から喘ぎが洩れる。ルパンは口付けを解くと、再び次元の裸の胸に舌を這わせた。


「あっ!あっ!ああっ!…もう、もう、おかしくなる…!あっ!」


嬌声が一際高く響くと同時に、次元は射精した。


「あ…」


次元の頬には、既に幾通りも涙の痕が伝っていた。熱い吐息を吐き出しながら、何が起こったのか分からない風の次元の腰を捕らえると、ルパンはその手の中の精液を秘菊に擦りつけた。そして自らも指を口にし、唾液で十分に湿らせてから、ゆっくりと埋め込んだ。


「あっ!…ん、く…ぅっ…!」


次元は眉根を寄せて痛みに耐えていたが、やがてそれは懐かしい快楽へと変わっていった。


「あっ…、いい、ルパン…」


ルパンの指が蠢くたびに、次元は我知らず腰を浮かせていた。


「ああ…」


肉が解け、ふたりがひとつになる準備が整う頃には、短い間にあまりにも激しい快楽に焼かれた次元の身体は、すっかりとろけてしまっていた。


「次元…!」


低い呟きと共に勢いよくジッパーを下ろすと、ルパンは猛った自身を取り出し、そのまま次元の中に突き入れた。


「ああっ…!ルパン…!」


次元は目を閉じ、男の背に腕を回して揺さぶられながら、ただただ与えられる快楽に酔った。


「ああ、いい…。ルパン…、いい…。」


涙は、次元の頬を幾筋も幾筋も流れた。激しく次元を突き刺しながら、その中でもルパンは、優しくその涙を舌で掬い取った。

ルパンが次元の中で果て、嵐が過ぎ去っても、次元はまるで子供のようにルパンの名を呼び続け、背に回した腕を放そうとしなかった。

ルパンはそんな恋人を、いつまでもいつまでも、胸に抱き続けた。

時の止まった教室で、今、このときだけは、ふたりの時も止まっているのだった。
















―結局、「アイスキューブ」とは、ダイヤモンドを偽ったプルトニウムだった。政府が雇った軍事会社が核爆弾の原料を隠し持っていたとなれば、その会社を雇用した政府自体が核を作る事に荷担した事になる。

特捜が動き出した。あとは、警察の仕事だ。






「…最後の最後まで、本当の事は言わねえつもりか。」

朝日を臨む丘で、次元は呟いた。






緑ジャケットの”ルパン”―ヤスオとの死闘は、最後の一幕を迎えていた。

これが、本当に最後の―。






くっく、と、ルパンが笑った。


「本当か嘘か。そんな事は興味ねえんだ。俺が確かめてぇのは”本物かどうか”ってこと。ま、そんなトコだ。」

「分からねえ!お前ぇの言ってることはまったくもって、ちんぷんかんぷんだ。」






―だが、これでいいのかもしれない。これでいいのだ。

謎は謎のままに。






これから先も、また多くの”ルパン”たちが現れるだろう。そして”本物”に挑戦しようとするだろう。

ある者は挫折し、ある者は勘違いしたまま人生を送り、ある者は気づくだろう。

”ルパン”になろうとする限り、ルパンを超える事はできないのだ、と。











<どうだ?スゲェだろ。アイスキューブってんだ。>






ヤスオ―






古い映画館の一室で、”緑ルパン”―ヤスオと交わした会話が思い出された。






<待てってー!次元ー!>






次元。






自分の名前をルパン以外のヤツに呼ばれると、あんなにもこそばゆいものだとは知らなかった。我知らず、次元の口元が綻んだ。






―いや、違うな。

少し、違う。






「ヤスオだから」こそばゆかったのだ。

荒削りで、何でも力任せで、いっぱいいっぱいで―

―でも、アイツの目は、他の誰よりも熱く、ギラついていた。

―ルパンと同じように。






大丈夫。

アイツなら、大丈夫。






しっかりな―。






心の中で次元は呟いた。











「…でも、まあ」


帽子を押さえたまま、次元は言った。今までも、そしてきっとこれからも何度も口にするであろうその言葉を。


「…見ててやるよ。」

「…頼むわ。」


そう言ったルパンの口端は、僅かに上がっていたかもしれないが、遠く朝日に照らされる副都心を見つめる次元には、ルパンの表情は分からなかった。
















そして今日も、世界は夢を見続ける。

繰り返し、見続ける。






粉雪が舞う。

爛々と狂い咲く桜の花びらのように、静かに、時に激しく。











新宿、靖国通りを疾走する一台のフィアットがあった。

運転しているのは黒衣の男。

そして助手席には、鮮やかな赤いジャケットの男。






警視庁捜査一課の三上刑事は、無線機を手に叫んだ。


「三上だっ!新宿靖国通りに、ルパンが現れた!応援を頼む!」

「ルパン!?」


無線を受けた交換手は仰天した。


「そう…言い忘れてたんだが」


三上刑事の言葉に、交換手はごくりと唾を飲んだ。


「な…なんです!?」

「今度のは、”新型”だっ!!」
















―お楽しみは、これからだぜ?
















FIN.

















(2009年01月05日、上沼みどり様よりリクエストいただきました。「緑vs赤」の世界観で。再会〜EDのヤスオに勝って再結成まで。今回の栗田ルパンは山田ルパンの影ではない完全なルパンで、また、山田ルパンと栗田ルパンは「紅屋」によって選ばれたまったくの別人という設定で、Hありでv」という補足設定をいただきましたが、お読みになっていただければ分かるとおり、山田ルパンがまったく登場しないお話になってしまいました…!
「緑vs赤」という作品自体が、観るたびに新しい発見や気づきがあって、何回も観てはいるんですが、管理人個人がまだ完全にその世界観を掌握できていないのがよく分かる結果=作品になりました。
しかし、取組み甲斐のあるテーマだった事は間違いありません。また「緑vs赤」を題材にお話を書けたらいいな、と思っています。

上沼さま、このたびはリクエストを本当にありがとうございました。そして長らくお待たせいたしました事、この場を借りてお詫び申し上げます。)

2009年04月03日 Fri.

アーティスト:T.M.R.evolution turbo type D
曲名:「雪幻〜Winter Dust〜」
アルバム:『Suite Season』






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