花鋏



踏み入れてはいけない場所。

それは、彼らふたりだけの世界―





花鋏





フランス三大銀行の一つ、BNPパリバがイタリアの最大大手銀行と資本提携をするため、大量の金塊を保有している。

これを盗み出す作戦に協力を求められた五右ェ門は日本を発ち、一路パリへと向かった。




それにしても飛行機というものには、何時まで経っても慣れることが出来ない。

いっそ船旅にしたいのだが、ルパン達との仕事では急を要する場合が多い。

現代で大陸間を移動しようと思ったら飛行機が一番の近道なのだから、これはいた仕方がない。

それでも、その日機中の五右ェ門は常よりは上機嫌だった。

京西陣織の布に包まれた斬鉄剣を脇に、その手には目にも彩な風呂敷に包まれた桐の箱が大切に携えられている。

中身は―

いつだったか次元が「飲んでみたい」と言っていた日本酒だった。

五右ェ門は質素を好み、普段から身の回りの物意外には殆ど金をかけない。一番金を割いているものといえば、最高級の結城紡ぎで織られた着物と、斬鉄剣の包みくらいのものだ。

しかし酒好きの次元には、少しくらい金をかけても美味い酒を飲ませてやりたいと思う。


―これが、惚れた弱みというものか。


五右ェ門は苦笑した。




ふと窓の外に目をやると、灰色の雲が厚く垂れ込めていた。

やがて五右ェ門の乗った飛行機は、嵐に見まわれた。

機体は、一番手近な東南アジアの空港に緊急着陸した。

空港のロビーのアナウンスが、天候が回復するまで飛行は無理であると告げている。乗換え便の目処もついていない。

計画の実行日まであと四日。

下調べはルパンと次元が行い、五右ェ門は現地で実戦に備えるのみなので、十数時間、或いは一日パリに着くのが遅くなっても問題はないだろうが―

取敢えずは現状を伝えておいた方が良いと判断して、五右ェ門は国際電報を打った。






スコールは丸一日続いた。




五右ェ門がシャルル・ド・ゴールに到着したのは、翌日の真夜中近くだった。


「まったく…。これだから現代かがくとやらは信用ならん。」


疲れと苛立ちで見当違いな事を呟きながら、五右ェ門はアジトへと急いだ。




空港で足止めされている間、何度か電報を打っておいたので、ルパンと次元に心配はかけていないだろうと思い、それについては気にかけていなかった。




パリ11区の閑静な住宅街にあるアパルトマンの一室が現在のアジトだ。

日の光に照らされていれば眩しく光る白壁も、今は夜の闇に溶けて輪郭も朧だ。五右ェ門は彼らしい静かな挙措で古いアパルトマンの木造の階段を上り始めた。


アジトである一室がある階に足を踏み入れた時、五右ェ門は異質な気配を感じ取った。

それが何なのかは上手く説明できない。だが、何か、これ以上歩を進めてはいけないと五右ェ門の直感が告げていたのだ。

しかし、吸い寄せられる様に五右ェ門の足は部屋に向かっていた。









本当は、分かっている。



これ以上、進んではいけない―









だが遂に、五右ェ門はドアの手前まで来てしまった。

薄暗い電灯が照らす廊下に、白く四角いものが光りを放っている様に見えた。

屈んで手に取ると、それは五右ェ門がルパンたちに宛てて送った国際電報だった。

手元には全部で四通。出したのは五通だ。確認してみると、最初に出した電報だけがない事が分かった。

その時、静まり返っていたドアの向こうから聞きなれた声がして、五右ェ門は思わず体を強張らせた。


「ルパン…五右ェ門が…」


次元の声は、常とはまるで違う色めいた音を帯びていた。


「大丈夫だって…。ニュースでやってたろう?明日の朝まで着かないよ。」


確かにルパンの言うように、スコールはもう一日降り止まぬはずだった。だが、人知の及ばぬ天候の事、回復が早まったので五右ェ門は今この時間にこうしてアジトのドアの前に立っているのだ。

スコールが止んだ事を知らず、五右ェ門からの国際電報も受け取っていない―

それは、ルパンと次元がここ数日郵便も受け取らずに愛し合っていた事を物語っていた。


「んん…けど…。あっ…!!」


五右ェ門は、全身が耳になってしまったような感覚に陥っていた。






違う。

まるで違う。






ルパンの腕に抱かれる時、次元はあんな艶めいた声を出すのか。

あんな風に甘えた声で話しかけるのか。






ソファーが軋む音がして、またしばらく静寂が訪れた。

息を詰まらせてその場に石像のように立ち尽くす五右ェ門の脳裏に、恍惚とした次元の表情が浮かんだ。そんな顔は見たこともないというのに。

その時だった。


「ああっ…!!ルパンっ…!もっと…!」


一際切なげな次元の喘ぎが響き渡った。その瞬間、五右ェ門は脱兎の如く駆け出していた。






どこをどう走ったのか、見当もつかなかった。

巨大な塔が立つ橋の上で、五右ェ門は膝に両手をついて荒々しく息をついでいた。




何故聞いてしまったのだろう。
何故すぐあの場を立ち去らなかったのだろう。

涙が頬を伝って落ちた。






どうあっても叶わぬ恋ならば―



知りたくなどなかった。
拙者の知らないお主など。





息も整わぬまま折り曲げた身体を起こすと、五右ェ門は手にしていた桐の箱を黒くぬらぬらと光る夜の河に思いきり放り投げた。

少し間を置いて水音がし、驚いた水鳥が何羽か鳴きながら暗い空に飛び立っていった。

涙は止まらなかった。

人一人通らぬ真夜中の橋の上で、五右ェ門の姿だけが頼りなく街灯に照らされていた。









翌朝。

五右ェ門は何事もなかったかの様にアジトを訪れた。


「いよ〜う五右ェ門、災難だったなあ。」


ルパンが明るく笑う。


「この時期スコールは多いからな。下調べはついてるから、朝メシでも食いに行こうぜ?」


次元は、いつもの次元だった。

昨夜の睦言の片鱗すら、その口調からは微塵も感じ取る事はできなかった。


「…なんだ、どうかしたのか?」


恐らく自分の顔つきの微妙な変化に気付いたのだろう、次元は声をかけてきたが、ルパンは事態を把握したのか、無言のままだった。

五右ェ門は口元だけで笑った。


「いや、折角だが、拙者今朝は生け花をしたいと思ってな。」


五右ェ門の手には、今朝の花市で買ってきた鮮やかな花束が握られていた。


「へぇ…。相変わらず酔狂だねえ。俺はまた女にでも贈るのかと…」


と、茶化す次元の腕を、ルパンが引いた。


「行こうぜ次元。…五右ェ門、まずはゆっくりしててくれや。」

「?」


訝しがる次元の背を押してドアを出る時、ルパンはほんの一瞬だけ五右ェ門を振り返った。

その目は詫びているようでもあったが、確かなところは分からない。

五右ェ門は、凍りついた微笑を浮かべて彼らを見送った。






ドアが閉まり、一人きりになると、五右ェ門はアジトの自室である三畳の和室に入り、襖を閉じた。



フランスの事とて、日本の花は望むべくもなかったが―

五右ェ門は織部の花器に花を活け始めた。

長い茎を花鋏で折りとる。




パチン




パチン




室内に乾いた金属音が響く。




やがて、日本の名器に西洋の花が美しく映える逸品が出来上がった。

五右ェ門は黙ったまま、じっと花に目を落としていた。

すると突然、何を思い立ったのか五右ェ門は傍らの花鋏を取り上げた。




パチンッ




五右ェ門は、一番大きく艶やかに咲き誇っていた花を、首から切り落とした。




西洋の花の名を知らない五右ェ門は知る由もなかったが、その花はアネモネ。


花言葉は、

「恋の苦しみ」「儚い恋」。

そして、「薄れゆく希望」。






Fin.

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