鬼やらい




二月三日、パリではしんしんと雪が降り積もっていた。




昨夜遅くまでベッドでルパンと過ごして、目を覚ましてみると、男の姿は消えていた。


リビングのテーブルには、次のお宝の下調べのために今日から
一週間ミラノへ飛ぶ、とだけ書き残されていた。


大きな欠伸を一つして、次元は手の中のメモを再びテーブルに
放り、朝の身支度を始めた。







現在のアジトはアパルトマンの七階だが、今朝は寝過ごしたので、一階から順繰りに送られてくるヒーターの暖かい空気が既に室内を満たしている。

いつもなら、遅々として昇ってこない暖気に文句の一つも言って
いるところだ。

熱いシャワーを浴びてから、シャツとスラックスを身につけ、顔を洗い歯を磨き、髭の手入れをした。


室内はぼんやりと暖かいのだが、余程外が寒いのだろう、窓はすべて曇って、結露した水滴が幾筋も跡を残している。


熱めの温水を使ったために心なしか頬を上気させて、次元は首にかけたタオルで顔を拭きながら窓辺に寄った。


それにしても、凄い雪だ。


既に15センチ以上は積もっているだろうか。




…ふとその時、このまま雪に閉じ込められて、永遠に時の止まった部屋でルパンを待ちつづけている自分が脳裏に浮かび、次元は勢いよく首を振った。




…どうかしている。




次元は踵を返すと、テーブルの上のルパンのメモを再び手に取った。







…確かに、次の仕事の予定は聞いていたけれども…







それならそれで、「明日でかける」とひとこと言ってくれれば、心の準備もできようというものだ。

気侭なのはあいつの性分だし、ルパンのそういう風のように自由なところを愛してもいる。




けれど、今朝は何故だか無性に淋しかった。




ちくり、と痛んだのは、昨夜ルパンに激しく愛された証が残る身体だったか、それとも、こころの方だっただろうか…。










忘我していた次元は、暫くその控えめなノックの音に気がつかなかった。

静かに、扉を叩く者がある。

次元はドアに向かい、その向こう側に居る男の気配を感じ取ると、ピンと張っていた警戒の糸を崩した。

扉を開けた先に居たのは、五ェ門だった。


「次元。久方ぶりだな。」


五ェ門はそう言って、穏やかな笑みを浮かべた。


「ん?ああ…。そうだな。」


まあ入れよ、と五ェ門を促しながら、次元はまだ物思いに囚われていた。


「…まったく凄い雪だ。こうしてみるとふらんすも中々風情があるところだな。」


五ェ門は手荷物をテーブルに置くと、次元を見た。

次元は心ここにあらず、といった様子で、向かいのソファーに沈んでいる。


「…今日は、面白いものを見せようと思って参った。」


その次元の様子に気づいてか気づいていないのか、五ェ門は次元には構わず話を進めた。


「酒もあるぞ。」

「へ…え…。」


五ェ門のその言葉に、次元は初めて反応した。











窓の外では、相変わらず、お手玉ほどもあろうかという雪が降りしきっている。

五ェ門が持参した銘酒を燗にして、ふたりは杯を交わした。


ひとくち口に含んで、次元は唸った。


「…美味いな。」


五ェ門は静かに微笑むと、杯を干した。


「播磨の杜氏、秦希輔どのが作った酒だ。それは美味かろう。」


播磨の秦氏、といえば、平安の昔から代々宮中に酒を納めてきた事で有名な由緒正しき酒造元だ、という話を、次元は感心したようなそうでないような風情で聞いている。


「まずは飲もう。話はそれからでよい。」


五ェ門は、次元に酒の続きを薦めた。











始めは口数の少なかった次元も、酒が進むにつれて笑いも出、冗談も出るようになった。

次元の機嫌がすっかり良くなったのを見計らって、五ェ門は核心を突いた。


「…ルパンはどうした。」


徳利に伸ばした手が一瞬ぴたり、と止まったが、そのまま手にとり、酒をつぎながらぶっきらぼうに次元は言った。


「…ミラノに行ってる。仕事だ。」


それ以上何も言いたくないのは分かっているので、五ェ門は
「そうか」とだけ答えた。


「…で?見せたいものってのはなんなんだ?よっぽど面白いモン
なんだろ?」


次元はすぐに話の矛先を変えた。


「ああ…。うむ、拙者にとっては面白いものだが…今思うとお主が
面白いと思うかどうかは分からぬな。」


五ェ門はわざと含みを持たせた言い方をした。


「その為に来たんだろ?俺が面白いと思うかどうかは別として、まあ見せてみろよ。」


次元は笑って促すが、その心はもうルパンのことでいっぱいであろうな、と、五ェ門は胸中で嘆息した。


五ェ門は黙ってまだ解いていなかった包みを開いた。

そこには、目が四つあるなんとも不可思議な面が収められていた。


「…なんだこりゃあ?」


次元がまじまじとその面を見ながら問うと、五ェ門は笑って問い返した。


「次元、今日は何の日か覚えておるか?」

「は?今日?…今日…今日…」


次元が本気で思い出せないようなので、五ェ門が助け舟を出した。


「ふらんすで同じような祭りがあるのかどうかは知らぬが…日本では今日は暦の上の祭りごとの日ぞ。」


今日。

二月三日。


ああ!と次元は指を鳴らした。


「節分か。」

「いかにも。」


五ェ門は満足そうに杯を干した。


「…で、この妙な面と節分と、なんの関係があるんだ?どうしてこれが面白いんだ?」


やれやれ、ようやく興に乗ってくれた…と五ェ門は思いながら、説明を始めた。


「次元、節分というのはな、今日では豆を撒いて鬼を祓い、無病息災を祈る祭りとなっているが、この祭りの起源は平安の昔にまで遡るのだ。」

「ふむふむ」


次元は肴を口にしながら熱心に頷いた。


「今日の節分の起源は、昔宮中で行われていた『追儺の祭り』にあるのだ。」

「ついな?」

「うむ。『儺』とは鬼のこと、それを『追う』、つまり鬼を追い払う儀式だ。」

「へええ…」


次元は心底感心したようだった。

五ェ門は先を続けた。


「追儺の祭りは晦日、つまり一年の最後に宮中で行われる締めくくりの儀式なのだ。晦日の日には追儺の前にも様々な儀式が行われてな、悪鬼、疫鬼を内裏からすべて追い出し、その追い出した鬼どもを振り鼓を持った殿上人が『鬼やらい』という掛け声と共に更に内裏の外に追い出すのだ。そのときに先頭に立つのが『方相氏』でな、この面はその方相氏がつけるものなのだ。」


「…なんでまたこんな妙な面をつけるんだ?これじゃまるでつけてるほうが鬼みてえじゃねえか。」


もっともだ、と五ェ門は満足そうに頷き、また続けた。


「この面はな、次元、鬼どもを脅すためにつけるのだ。金色に装飾が施されたこの四つの目…。異形を以ってして異形を駆逐するのだな」


しかし待てよ、と次元が口を挟んだ。


「お前はさっき、追儺の祭りが節分の起源だと言ったな?節分はまるで逆だぜ?面をつけた人間に豆をぶつけて追い払うんだ。どこからどうしてそうなったんだ?」


「良い点に気がついたな次元。それはな、様々にいわれがあるのだが…そうさな、触穢信仰が流行した所為ではないか、と考えるむきもあり、諸説あるのだ。」


「しょ…何?」


「つまりな、穢れに触れることを恐れる、ということだ。方相氏の出番は追儺の祭りだけではなくてな。葬送の儀式にも関連していたと言うから、その点で”穢れ”とみなされ、忌まれたのかもしれぬ。ともかく、後に方相氏はその姿が恐ろしいということで立場が逆転して、追われる身となってしまったのだ。それが今日ある節分の原型なのだ。」


そこまで話すと、五ェ門は満足そうに再び杯を干した。


「…………………………」


次元は考え込んでしまった。

節分にそんないわれがあったとは知らなかった。


「五ェ門…」

「ん?」


次元は四つ目の面に目を落としたまま言った。


「お前は、中々すごい男なんだな。」

「なんだいきなり。」


五ェ門は目を丸くした。


「いや…なんだか感心しちまった。」

「………」











―素直な男だな、お主は…











五ェ門の中で、次元への愛情が漣のように広がっていった。






このくらいのこと、あのルパンなら知らぬはずがあるまいに。

ただ話したというだけで、こうして心の底から感心してくれる…






その身体に触れたいと、五ェ門の中で欲望が焔をあげた。

じりじりと、身を焦がすような感覚。






五ェ門は無言で立ち上がると、次元の傍らにそっと近づいた。


白い手を伸ばして、その手が頬に触れようとしたとき、突然次元が問うた。


「…この面は?ルパンの獲物か?」


五ェ門の手が止まった。

次元は面を見たままだ。


その手を静かに下ろすと、五ェ門は言った。


「…いや。それは拙者のご先祖…つまり初代石川五右ェ門が盗み出したものだ。石川家の家宝でもある。」

「ふーん…」


次元がまだ考えている様子なので、五ェ門は訝しく思った。


「…どうした?そんなにその面が気になるのか?西洋かぶれのお主にしては珍しいな。」

「…西洋かぶれ、って言うな。」


次元は頬を赤くして、本気で怒っているようだった。その時、次元は顔をあげて、初めて五ェ門が傍らに立っているのに気がついた。


「なんだ?」


と、あまりにも素直な瞳で見つめられたので、今度は五ェ門が赤面する番だった。


「…いや。なんでもない。」


五ェ門は向かいのソファーに戻った。


「しかしよお、五ェ門。」


次元が改まったように言った。


「やっぱり、お前はすごい男だよ。」

「だからなんなのだ、さっきから藪から棒に。」


五ェ門はもはや遠慮せず、ぐいぐいと酒を飲んだ。


「いや…前からちょくちょく思ってたことなんだが」


次元は少し淋しそうに言った。


「お前は、石川五右ェ門の十三代目だ。ルパンは、アルセーヌ・ルパンの三代目だ。…俺だけが、普通の家に生まれた男なんだよな。」


五ェ門は驚いて目を見張った。


「お主…そんな事を気にしていたのか!?」


いや、と言って、次元は複雑な笑みを洩らした。


「気にしてるってわけじゃない。…だが、考えないわけでもない。何せとっつぁんにしたって、銭形平次の子孫なんだからな。こんだけ有名人の末裔に囲まれて暮らしてりゃあ、いやでも考えるさ。」


次元は腰からマグナムを引き抜いて、じっと見つめた。


「…俺ぁ出自がどうこうにこだわっちゃいねえ。俺は俺でこの世界で銃一丁でやってきた。…それでいいと思ってる。」


五ェ門は、悲しい気持ちで杯の中の透明な酒に映る朧な自分の顔を見つめていた。


「…お主の育った家は、それは温かい善き家庭であった、とルパンから聞いておるぞ。」

「…ルパンから?」


次元の顔が明るくなった。


「ご母堂も大変立派な方であった、と、羨ましげに話しておった。」

「…そうか…」




そうか…




…そう呟いたときの次元は、本当に嬉しそうだった。































あれから次元は機嫌よく酒を飲み、常のごとくソファーでうたた寝を始めた。

その肩に毛布をかけてやりながら、五ェ門はふと窓の外を見た。


雪は止んで、眩しいほどの午後の日差しが差し込んでいた。陽光が雪に反射しているのだ。

次元の午睡の邪魔にならないよう、五ェ門はカーテンをそっと引いた。その時次元が寝返りをうち、愛しい男の名を夢心地で呼ぶのが聞こえた。






「ルパン…」






五ェ門は、僅かに手にしていた青地のカーテンを握り締めた。
















無様なものだ。

片恋の相手の気を引くために、家宝まで持ち出して…。

暦にかこつけなければ会えぬのか。

そんなにも卑屈になってしまったのか…
















「…鬼やらい」




五ェ門は呟いた。































ようようルパン

天下一の大泥棒だとて油断するな

拙者とて 大泥棒の血をひくものぞ

隙あらばお主の宝、奪い取ってみせもしよう―































だが、今はそのときではない。

今は、まだ―
















何も知らずに健やかな寝息を立てている次元の頬に、今度こそ五ェ門はその手を触れた。

五ェ門は暫くそうして愛しい男の寝顔を見つめていたが、やがて彼らしい凛とした挙措で踵を返すと、支度をして部屋を出て行った。































ルパンがミラノへ急行したのは、五ェ門が調べ、連絡してきた情報が元であると次元が知るのは、まだのちのことである。



























































































出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
   
   節分
   
   追儺













































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