Je te veux (後編)






俺は古い木の椅子に座り、ピーターの報告書を睨んでいた。

そしてある一つの事に一心不乱に考えを巡らせていた。




雨は止んだようだった。




今が昼なのか夜なのかすら分からなかったが、ほんの切れ切れにしか車の走行音や足音が聞こえない事からすると、
早朝か真夜中か、そのどちらかだろうと思った。




その時、ベッドの上でお前が寝返りを打ち、長い溜息と共に起き上がる気配がした。

俺はお前に向き直った。

お前はうな垂れたまま、乱れたシーツをぼんやりと見つめていた。




「…目ぇ、覚めたか?」




俺の声は、我知らず腫れ物に触るような慎重さを帯びた。

暫くの沈黙の後、お前は口を開いた。




「…水をもらえるか」




俺は黙って立ち上がり、小さな冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、グラスに注いだ。
そして、乾かしてアイロンをかけたお前のスーツと一緒に、お前に手渡した。




クリーニング屋も顔負けの皺一つないスーツを見て、お前は少し驚いたようだった。




「…そういう事は得意なんだ。小器用っつーのかな、まあ、他にもいろいろ得意な事はあるんだけっどもがよ。」




いつものように呵々と笑おうとして、…俺は止めた。真実を知った今、到底笑う気にはなれなかった。







お前はふっと小さく笑ったように見えたが、それは俺がそう望んでいたからそう見えたのかもしれない。







お前が本当に笑みを洩らしたのだとしても、とにかくそうとは分からないくらい、小さな笑みだった。







お前は一息にグラスの水を飲み干すと、裸の腕で口を拭った。そして俺の方を見ずに言った。






「…着替えをしてえんだ。少し視線を逸らしてもらえるか?」




…それで俺は、さっきからお前の一挙手一投足を凝視していた自分に気がついて、苦笑いしながら頷いて再びお前に背を向けた。







衣擦れの音が聞こえる。







これで俺がお前の身体に残した証は、一枚の衣に遮られて見えなくなってしまう。







お前がスーツを身に着け終えたのを見計らって、俺はもう一度お前に向き直った。




お前はいつものように帽子を目深に被った姿で、まだベッドに腰掛けていた。
ただ、その視線は床に落とされていて、お前がどんな表情をしているのかは分からなかった。


重い沈黙が流れた。


先に口を開いたのは俺の方だった。




「なあ、じげ…」




その俺の言葉を遮るように、お前の声が被さってきた。




「…礼は言わねえぜ。」




俺は口を噤んだ。



お前は続けた。




「…こないだはお前からだった。今度は俺からだ。これで貸し借り無しだぜ?」




俺は頭に血が上るのを感じた。






貸し借り―!






そんなつもりで、俺はお前を抱いたんじゃない。そしてお前も、そんなつもりで俺に抱かれたんじゃない。

虫が良すぎるかもしれないが、俺はそう思いたかった。




「次元!!」




俺の怒声などどこ吹く風で、お前はベッドから立ち上がった。




「…行くのか。アマデオの所へ。」




俺の言葉に、既に階段に足を掛けていたお前は立ち止まった。


「…契約は残ってる。仕事だからな。」


俺は鼻で笑った。




「もしアマデオの方がお前を裏切ったとしても、か。」




お前はその日初めて、真っ直ぐに俺を見た。




「…どういう意味だ。」




俺たちの視線が拮抗した。











…その時俺が考えていた事を率直に口にすれば、もしかしたらお前を引き止めることは出来るのかもしれなかった。

だが、なんの裏付けもない憶測を口にするのは卑怯だと思った。だから俺は、代わりに忠告した。




「…分かってると思うが、マフィアの連中ってのぁ、信用なんざおけねえ人種だぜ?」

「…お前には信用が置けるとでも?」




素っ気無くお前は言った。

俺はお前を殴りつけたい気持ちでいっぱいだった。




馬鹿野郎。

自棄起こしやがって。




拳を強く握り締めた俺の上に、お前の声が降って来た。




「…これは餞別だ。…うちの連中がお前を狙ってる。せいぜい気を付けるんだな。」

「へ〜え?お偉いマフィアの方々がどういう訳で?」




皮肉たっぷりに俺が聞き返すと、帽子の下のお前の目が鋭く光った。




「…理由はお前さんが一番良く知ってるだろ。…諦めるかどうかはお前さん次第だ。じゃあな。もう会うこともねえだろう。」

「…それはどうかな。」




そう言った俺の言葉には耳を貸さずに、お前はゆっくりと階段を上っていった。





















階上で扉が閉まった音がして、俺はまた薄暗い地下室に一人になった。

俺は大きく息を吐き出すと、どっかりと椅子に腰を下ろした。そして独りごちた。




「馬鹿だな…余計俺を煽ってるのに気がつかねえのか…。」




くっく、と、俺は暗く笑った。


だが、今は何よりも先に確認しなければならない事があった。


俺は気を取り直すと、ジャケットを肩に地下室を出た。


























表に出てみると、外は深い夜の帳に包まれていた。

―好都合だ。

俺はとある酒場へ急いだ。






ピーターが理由ありでモンマルトルのその酒場をよく訪れているのは、前々から知っていた。

着いて見ると、案の定、奴は両手に女を抱えて飲んだくれていた。




むせるような熱気と嬌声の中を掻き分けてピーターのテーブルの前に立つと、奴は最初俺が誰だか気がつかないようだった。
それくらい酔っ払っていたのだ。だが、一旦目の前に立っているのが俺だと分かると、見る見る奴の顔は蒼白になった。




「お楽しみのところ申し訳ねえんだけっどもがよ、ピーター。…少し顔を貸してくれねえか?」




穏やかでない俺の申し出に、ピーターの両脇の女たちは訝しげに俺とピーターを見比べた。




「ル、ルパン、お、俺は、」

「…話は外でしようぜ。」




俺は氷のような笑みを湛えていたと思う。

ピーターはごくり、と唾を飲むと、よろめきながら席を立った。











俺はピーターを店の脇の暗い路地に引き摺り込むと、ワルサーを額に突きつけて問いただした。




「…マフィアの連中に、俺の情報を売ったな?」




ピーターはがくがくと震えながら、冷や汗を滴らせて首を横に振った。




「…とぼけるんじゃねえ!」




俺は空いているほうの手でピーターの胸倉を掴んだ。




「素直に吐けばよし。さもなけりゃ…」




ワルサーの銃口を更に強く押し付けると、ピーターはひゃっ、と声にならない叫びを洩らして両手を組んで許しを乞うた。




「あ、あんただって分かってるはずだ!こ、こ、これが俺たち情報屋の生き方だって!お、お、俺は、あんたに言われた事は
全部正確に調べ上げた!契約違反はしちゃあいねえ!」




「ああ。そうだったな、”こうもり”さんよ。だがな、今お前は一つだけ嘘をついたぜ?俺に言われた事は全部正確に調べた、と言ったな。
それじゃあ、クリスティーナ・バルトロッツィの調書に”次元大介”の名前がなかったのは何故だ?」





ピーターの顔は、蒼白を通り越して土気色になった。





「そ、そ、お、う、…!」

「答えられねえなら俺が言ってやろうか。…アマデオ・バルトロッツィにそう指示されたからだ!」


ピーターはがむしゃらに俺の腕を振りほどくと、地べたに座り込んで泣き出した。




「やめてくれ、もうやめてくれ!あ、あんたもう全部分かってるんだろ?お、お、俺を苛めないでくれ…!殺さないで…!
何でもするから、殺さないでくれ…!」


ピーターはわあわあと子供のように泣いた。

俺は短く息を吐くと、ワルサーを懐にしまった。


「…悪かったよ、ピーター。ちょっとばかり熱くなり過ぎた。マフィアに俺を売った事をどうこう言おうってわけじゃねえ。
…俺が知りたいのは、バルトロッツィが何故俺にクリスティーナと次元の事を隠そうとするのか、その理由だ。教えてくれねえか。」


俺は泣きじゃくるピーターの腕を取ると、酒場へと連れ立って戻った。

奥のブースで、ピーターは事の詳細を話してくれた。






その真相は、驚くべきものだった。






アマデオ・バルトロッツィは、蝶よ花よと育て上げた大切な―いや、溺愛する一人娘を、
いずれは由緒正しい家柄の子息と結婚させるつもりだった。







ところがクリスティーナは、たまたま用心棒として雇われた次元と恋に落ちてしまった。







愛情と独占欲、名誉欲が正比例するアマデオは、クリスティーナに次元と別れるよう何度も説得を試みたが、
クリスティーナは頑として受け入れようとしない。

親子の仲は次第に険悪になっていった。










そして運命の日―クリスティーナがアマデオと共に銃撃されて死亡した日、アマデオとクリスティーナに向けて銃弾を放ったのは、
アマデオの部下であるヴァレンティンという殺し屋だった―

ヴァレンティンが狙ったのは、クリスティーナだった。




クリスティーナは、実の父親に殺されたのだ。




彼女の父親の愛は歪んだ、独り善がりのものだった。…俺の勘は、最も悲劇的な形で的中した。












「あんたと次元が顔見知りだって知らせたのは、俺だ。最初奴は今回のダイヤ強奪の件に、
次元とあんたの仲を利用出来ないかと思ったらしい。
それが、あんたがクリスティーナの事を調べろと依頼してきたときから、顔色が変わった。
…実の娘を殺したことは、アマデオにとっては隠しておかなければいけないことだったんだ。」


ピーターは淀みなく話した。


「あいつは次元の復讐を恐れてた。そこにあんたが絡んでくるのはもっと始末が悪い、そう考えたんだろう。」




だけどな、ルパン。

と、ピーターは俯きながら神妙な面持ちで言った。




「奴は復讐を恐れていた。けど、あいつにとってはそれ以上に、体裁が全てなんだ。…本当に娘を愛しているのなら、
娘の真実の恋を許してやれるはずなのに。多分あんたも知ってると思うが、次元とクリスティーナは、本当に愛し合ってた。


だが、あいつは、娘が己の意思に背いた、っていう事が許せなかったんだ。何者も従わせなければ気がすまない。
そして、自分の意志に反したら殺す。

…俺は”こうもり”ってあだ名される。その通りの生き方をしてきた。…俺は人間の屑だが、あいつも同じだよ…。
実の娘を、嫉妬と自尊心のために殺したんだ。自分を撃たせたのは、暗殺に見せかけるための偽装だったんだ。」











酒場の喧騒がやけに遠くに感じられた。

俺とピーターはじっとグラスに目を落とした。











「…俺がクリスティーナの死の真相を知れば、次元に伝わるかもしれない。
次元には、万が一にも知られたくないわけだ。奴さんは…。」











馬鹿げている。

たかが報告書に次元の名前を書かせなかっただけで、真実を隠し通せると思ったのだろうか。

残念だが、俺はアマデオが気づくよりずっと先に、次元を、次元とクリスティーナの事を知っていた。

そしてクリスティーナの死についても、不可解なものを感じていた。

そして俺は、アマデオが考えている以上の感情を―次元に抱いている。











「礼を言うよ、ピーター。」


俺は右手を差し出した。


「よく話してくれた。…ありがとな。」


ピーターは最初戸惑っていたが、おずおずと俺の手を握り返した。


「…さて、今回の情報の報酬なんだが…。これはお前さん次第なんだけっどもがよ、こんなもんでどうだ?」


そっと耳打ちした俺の言葉に、ピーターは最初驚いて、それから目を輝かせた。































ダイヤ強奪の当日が来た。

開始15分前の競売の会場は、大勢の金持ちでごった返していた。

俺は早速一人で来ていそうな客に当たりをつけ、木陰に誘い込むと強烈な睡眠スプレーで眠らせて、顔を頂いた。

会場内に入り込む事には成功したので、あとはダイヤが運ばれてくるのを待つだけだ。

やがて会場が暗転し、慇懃なナレーションとともに競り人がバックステージから出てきた。






競りが始まった。






最初は当り障りのない値段の近代絵画や骨董が競りにかけられた。

狙いのダイヤ―「希望峰」の競りの前の1品目がもう少しで競り落とされるところで、
俺は天井裏に仕掛けた煙幕の稼動スイッチを押した。






「続きましては本日の目玉、南アフリカ、カリナン鉱山産出のダイヤモンド、『希望峰』です!!」






競り人が高々と宣言したところで、天井から煙が漏れ出した。






俺は誰よりも早く


「火事だ!!」


と叫んだ。






煙に気づいた客たちの間から悲鳴が上がり、会場はパニックになった。

我先に出口に殺到する客の間を素早く縫ってステージに達した俺は、希望峰を安全な場所に移そうと
あたふたしている競り人を尻目に、まんまとダイヤを頂いたのだった。
















大混乱の会場を後に、タキシードを脱いでいつもの赤いジャケット姿に戻った俺は、口笛を吹きながら街路を歩いていた。
















…あの頃、お前が俺のもとを尋ねてきたあの頃の陽気が嘘のように、燦々と初夏の日が降り注いでいた。

少し汗ばむくらいの暑さだ。

上機嫌で角を曲がったとき、見覚えのある風景に出っくわして、俺は立ちすくんだ。






前方に、お前と初めて出会ったあのカフェが見える。

お前を初めて見たときに感じた、鮮烈で激しい情熱の奔流のようなものを、はっきりと思い出す事が出来た。






その時、撃鉄の起こる音がして、気がつくと俺は後ろを取られていた。








「…そこまでだ。」











ああ。

待ってたぜ―











俺は歓喜に震えた。






「一緒に来てもらおう。」


俺の背中に銃口を当てながらそう言ったのは、紛う事ない、お前だった。





















アルファロメオの車中で俺に銃を向けながら、お前は無言だった。ダイヤとワルサーは、既にお前の手元にあった。

俺はまったくの丸腰、というわけだ。


「言ったろ。絶対にまた会うって。」


話し掛けても俺の言葉など聞こえないかのように、お前は黙々と目的地に向かって車を走らせる。






だが、俺には分かっていた。






お前は今、全身で俺の言葉を聞いている。

そしてきっと、混乱している。






お前は、優しすぎるんだ。誰に対しても。

そしてその優しさは、いつかお前を追い詰め、破滅させてしまうだろう―





















車が止まったのは、郊外の古い墓地だった。

お前は顎で「降りろ」と促した。俺は素直に従った。

待っていたのはアマデオ以下、マフィアの重鎮たち数十人だった。






俺をその場に立たせたまま、お前はアマデオの傍らまで行くと、ダイヤを手渡した。




「…よくやってくれた、次元。」




アマデオはほくそ笑んだ。容貌は好々爺、といった風情だが、その目に狡猾さと残酷さが宿っている事を、俺は見逃さなかった。




「…これは、前々から死んだクリスティーナに贈ろうと思っていた。贈る前に娘は死んでしまったが…。いい手向けになるだろう。」


お前は何も言わなかった。表情一つ変えなかった。だが、その全身から、声なき叫びが聞こえていた。




「…さて、ルパン君。このダイヤは我々が正当な手続きを踏んで手に入れようとしていたものだ。
それが、盗品になってしまった。この落とし前はつけてもらわんとな。」




アマデオの瞳が鋭く光った。




「あ〜らま、俺様が苦労して盗んだものを横取りしといて、まだ足りないワケ?強欲だねえ〜。」

「黙りな!ルパン!」




お前はマグナムの銃口を再び俺に向けた。






俺はお前を見た。

お前も俺を見た。






そのまま数十秒が過ぎた。






「…何をしている、次元。わしの敵を取ってくれんのか。クリスティーナの敵を取ってくれんのか。」


アマデオは哀願するように次元に迫った。

お前が小さく歯軋りしたのが分かった。






…その瞬間、俺は笑い出していた。

堪えにこらえていたものが噴出してしまった、といった風に。

始めは肩を震わせるだけだった俺は、やがて大爆笑しちまった。






俺のその様子に、お前とアマデオ、それに側近たちは唖然としていたが、最初に我に返ったアマデオが怒声をあげた。




「何が可笑しい!」

「…いや、可笑しいの可笑しくないのって…のほほほほほほほ、あ〜、苦し…チョット待って、今説明すっから。」




ひいひいと笑いを押さえるのに懸命になっている俺の様子に、さぞかしアマデオたちは不安だったろう。

相手が悪いや。この俺様を敵に回そうなんざ。











ひとしきり笑い止んで、俺は直径数ミリのマイクロフィルムを手に、お前とアマデオに向き直った。




「き、貴様、それはまさか…!」




アマデオが慌ててダイヤの台座を探る。

お前はそのボスの様子と俺を訝しげに交互に見ていた。






「そ。あんたたちマフィアのお目当てが何かなんて、最初からお見通しよ?娘に贈るつもりだったって?

随分な美談に仕立て上げたもんだが、蓋を開けてみれば、こんなもんさ。」




俺はお前を見た。




「…どういうことだ?」




お前の声には不審が滲んでいた。




「次元!こんな奴の言う事に耳を貸してはいかん!わしは娘のためを思って…」

「もう止しなよ、じいさん。」




俺の言葉に、アマデオは憤怒のこもった目で俺を見た。これがこいつの本性なんだ。




「…つまりなあ、このマイクロフィルムの中には、フランス全域の麻薬密売ルートが収められてるのさ。
希望峰の最初の持ち主だったフレンチマフィアのボスが、ルートをマイクロフィルム化して希望峰の台座の中に隠したんだ。

数年前このボスが暗殺された時、どさくさに紛れてこいつの行方も分からなくなってたんだが…。
今回、晴れて競売にかけられることになった。

フランスで勢力を伸ばしたいイタリアンマフィアとしては、当然喉から手が出るくらい欲しい情報だよなあ?
…アマデオが希望峰を狙ったのは、最初からこのフィルム目当てさ。」




「…本当か?アマデオ。」

お前はアマデオに向き直った。




アマデオは冷や汗を流しながら、しかしもう誤魔化しはきかないと悟ったのか、お前の前で開き直って見せた。




「ああ!その通りだ!…だがな次元、これくらいの事がお前を怒らせる理由になるか?
フランス全土の麻薬密売ルートが組織にとってどれほど有益な情報か、お前にも理解できるだろう!?
嘘をついとったのは謝る。だから頼む、奴の手からフィルムを取り返してくれ!」


沈黙が流れた。

ややあって、お前は口を開いた。




「…俺の仕事はあんたのボディーガードだ。組織の仕事は知ったこっちゃねえ。相手は丸腰の一人だけだ。
この人数なら十分だろう。あとは勝手にしてくんな。」

「な…んだと…?」




アマデオの顔が醜く歪む。お前はマグナムを腰に収めると、その場を立ち去ろうとした。




「待てよ次元。話はまだ終わっちゃいねえ。」




お前を引きとめたのは、俺の方だった。こんな事を知らせなければならないのは、つくづく損な役回りだと思った。




「お前に知らせなきゃならねえ事がある。…クリスティーナの死について、だ。」


俺がそう口にすると、お前は背中を向けたまま立ち止まり、アマデオは驚きの余り裏返った声で叫んだ。

俺が何もかも知っているって事を、今更ながらに理解したんだろう。




「ま、待て!ルパン、その話は…!」


口端から泡を飛ばすアマデオには構わず、俺は話を進めた。




「…おかしいと思わねえか?同じ車に乗っていて、何故クリスティーナだけが死ななければならなかったのか。
何故ボスであるアマデオが死なずにすんだのか。」


アマデオはその場にへたり込んでしまった。側近たちがその腕を抱えて立ち上がらせようとしている。


「クリスティーナが乗っていたのは後部座席の左側。アマデオはその隣、後部座席の右側に座っていた。
銃撃してきた車両はシャンゼリゼ通りの5車線に入ったところで左後方から近づき、後部座席に向かって銃を乱射した。
その時の両車両の走行時速は70キロ。すれ違い様の犯行だった。クリスティーナは即死、アマデオは胸部に被弾して重傷を負った。」




「は、はは、それが事実だ。何がおかしい!何もおかしなところなどない!」




側近に支えられながらアマデオは叫んだ。


「…いや、っかしーんだよ。時速70キロで走ってる車を追い越し様に機関銃を撃てば、
当然クリスティーナの座っていた左側と同じ左ハンドルの運転席にも被弾していておかしくないよな?
或いは運転手に弾が当たってたってもおかしくねえ。だが、運転手は無傷だった。運転席のドアにも
被弾した形跡が見られない。…これって、クリスティーナを狙ったと考えられなくはないか?」




「ば、馬鹿な事を…!わしも撃たれとるんだ!わしを暗殺しようとして娘を巻き込んだんだ!」




「そう考えると尚更おかしいんだよ、アマデオ。あんたは自分の前に人が居るのを嫌って、
左ハンドルの車に乗るときは必ず右側に座る習慣だった。マフィアの間じゃあんたのこの癖は有名だったぜ?
だとすれば、何故最初から右側を狙わなかった?何故暗殺者は左後方から忍び寄ったんだ?

右側のあんたの座席を狙えば一番簡単な話だ。…そんなことも知らない通り魔の犯行か?
だとすれば、さっき説明した、運転席に一発も被弾していない事に疑問が残る。トーシロの腕じゃ、
あの速さで走っている車から銃撃して後部座席に座っていたクリスティーナとあんただけを狙うなんて不可能なんだよ。」




「…結局何が言いてえんだルパン。」




懐かしいペルメルの香りが、風に乗って漂ってきた。

俺は深く息を吸い込むと、結論を口にした。




「…つまり、あれはアマデオを狙った事件じゃねえ。最初からクリスティーナが標的だったんだ。
そして首謀者は…父親のあんただ、アマデオ。”こうもり”から話は聞いたぜ?裏は取れてる。
…観念しな。あんたは次元の敵になっちまったんだ。」


「あ…あの裏切り者!」


狂った雄叫びをあげるアマデオに向かって、俺は冷淡に言った。


「だーかーら”こうもり”ってあだ名されてるんでしょうが。あんたはピーターを使って上手く俺を出し抜こうとしたが、
ま、俺がその上を行かせてもらったよ。」















お前は俺たちに背を向けたまま、まだじっと佇んだままだった。













「…どうする?次元。」























俺はお前に問うた。

お前がお前自身で選ぶのだ。

選択肢は三つあった。




















空気は冷えて固まっていた。誰一人として動くものはいなかった。ただ時折、アマデオの喉から発せられる、
ひゅうひゅうという不快な音が聞こえるだけだった。













































そして、マグナムが火を吹いた。

弾は正確にアマデオの脳天を撃ち抜いていた―








































































「んっ…!ああ…!!」


お前の細い脚が俺の腰に絡みつく。

マフィアとの銃撃戦で流した汗も血も拭わぬまま、俺たちは安ホテルへ飛び込むと無我夢中で愛し合った。


「ああっ!いいっ…!ルパン、もっと…!!」


俺はお前の身体の隅々までねっとりと舌を這わせ、その間も一心不乱に腰を動かし続けた。


「ああ、ああ、ああっ…!ルパン、ルパン、ルパン…!!」


屹立したお前の性器からは、止め処なく白濁した精液が溢れ出していた。

お前の中は熱く、俺の先走りでぬるりと妖しくぬめった。

固く目を閉じて快楽に身を委ねるその顔に顔を近づけ、髭のラインを舌でなぞると、お前は俺の舌を求めて自らの舌を突き出した。

唾液が滴り落ちるのも構わずに舌を絡ませあい、そのまま口付けした。

―お前は、泣いていた。






























このままで―

いつまでもこうしていられればいいと思った。

お前とひとつになったまま、愛の中で死ねたらいいとすら思った。

もう、離さない。

俺は、お前を見つけた―

















































































長い長い昔話だ。

今日もお前は、なんだかんだ不平を言いながら、それでも俺の隣に居てくれる。

生きている限り決して離れる事のない影のように、俺のそばにいてくれる。






















あの後、アマデオが率いていたマフィアは、頭目を失って分裂し、大幅に勢力を落とした。

今では本拠であるイタリアでも弱小の部類に入るまでに落ちぶれた。









ピーターは、俺の口利きで以前から惚れていた酒場の看板娘と結婚した。

奴にとっては、恋をした相手に思いを打ち明ける事なんて天地がひっくり返ってもできない芸当だった。

だから、俺が橋渡しした。それが”報酬”だった。

今では情報屋からきっぱり足を洗い、4人の子供の父親としてプロヴァンスで農業を営んでいる。









クリスティーナの墓には、毎年決まった日に、生前の彼女と同じように、清らかで無垢な白バラが手向けられる。

送り主は言わずもがなだ。













































なあ、次元。

今なら分かるんだ。






あの初夏のカフェで俺が見つけたのは、死神でもなんでもない。


光だったんだよ。






たとえ俺たちが一生日の目を見られない、裏街道をひたすら歩む人生を送っていたとしても―

俺には見える。お前という光が。
















百万回のキスをお前に贈ろう。

もし神がいるのなら―そんなこと言ったってこれっぽっちも信じてやしないが―感謝しよう。

そしてこの長い物語の最後を、この言葉で締めくくろうと思う。





















次元。





























お前を、愛してる―
































FIN











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筆者注:
「Je te veux.」は、フランス語で
「あなたが欲しい」の意。




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