約束もなく









彼は走った。
塀を越えて、土の庭を横切り、鍵を壊して侵入する。
牢へ続く廊下には矢鱈と鍵が掛けられて、それでも彼は奥へ奥へと駆けた。
警邏の時間にはまだ間がある。

それでも、独房までの道筋に、運悪く立っていた警備のひとりには永遠に眠ってもらうことになった。


彼はとうとうその部屋へ辿り着く。

その部屋――といっていいものかどうか、わずかな明かりの廊下、両脇に合計六つの牢がある。
その先は行き止まりだ。
使われていたのはそのうちのひとつだけ。

嵌め込まれたような金属の重い扉越し、彼に話し掛ける者がいる。


「こんな夜中にご苦労さん」

男の声。

「緑の。」

彼は答えて呼ぶ。
「おまえ、…珊瑚か」
じゃらりと金属の触れ合う音がする。
彼は扉についた小さな細長い窓を開ける。
そのむこうに男の顔が見えた。

「参った。おまえが来るとはな」


男は、彼が何のためにここへ来たのか、すでに知っているようだった。
そのとおり、男は捕まるより前に、しなければならない事をしなかった。
死ななかった、自分で自分を殺さなかったのだ。
だから捕まって、ここ、独房に放り込まれている。


彼は無表情で、持ってきた小さな壜を渡した。
ちいさなちいさな壜。それでも細い窓をようやく通るほど。
「飲む?」
「飲まなくてもおまえがやるんだろ」
男は笑った。
「そうなるわね」
彼は笑わなかった。

しばらく彼らは沈黙した。
「ねえ緑の」
「ああ?」
「死にたい?」

囁く様に彼は言った。
死にたいか、生きたいか。言葉の外に、手を貸そうと伝えて。


「無理だろう」
男は返した。
「……」
「おまえ、死ぬぞ」
俺と心中だと男は言った。朗らかに。

そのとおり、彼はひとりでここまで来たわけではない。
この建物の外にひとり、中にひとり、そして、ここに、彼。

「わかってたさ、んな顔すんなよ」
男は言って、壜のふたを開けた。

「こんな時、なんて言えばいいんだろうな?」
「……」
「まあいいか」
「緑の」
「俺の名前はソレイユだ。生まれたときについてた名は」
「待っ」


窓にすがる彼に、男は空になった壜を返してよこした。
「けっこう不味いな。あーあ、酒呑みてえな」
「っ……」
「そう、珊瑚。最後に、お前の名前教えてくれよ」



じゃらり


金属が鳴った。
男は倒れた。




珊瑚の毒蛇はしばらくそれを眺め、そして立ち去った。
もう何年もの知り合い、あるいは仲間、あるいは戦友の本当の名を、彼は本人に向かって呼ぶ機会はなかった。

ここから先のすべての時間において。













※おまけ※読みたい人だけどうぞ。反転してね



男は、薄暗い冷ややかな場所で目をあけた。

開けた先は一面灰色。
顔の上にのった布のせいだ。
彼はそれを払おうとして、手が軽くしびれているのに気づく。脚もだ。いや、体全体。
それでも動けないほどではない。

彼は自分がどのような状況にあるかわからず、だが付近に何の気配もないので布を除けた。
目に入った天井らしいものは、何の飾り気もない石だった。ところどころ罅割れている。

しかも、自分はどうやら、狭い木の箱に入っている。
おいおい、と彼は内心で呟きつつそっと状態を起こした。
胸から転がり落ちたもの。

白い花。



「…棺」


彼は棺の中にいた。
そして思い出す、昨夜、いや最後の記憶を。


年若い同僚がやって来て、壜を渡されそれを飲んで。
死んだ気になった。痛みや苦しみはなく、ふいに頚動脈を圧迫されたときのように意識が落ちて。
目を開ければこうだ。



……。
やってくれる。

やってくれるじゃないか、珊瑚の毒蛇。





彼はにやりとした。
埋められる前で幸運だった。

では、やってくれたヤツに報いるために。さあ、まず観察して。
此処は明らかに霊安室だ。高いところにある明かり取りからは、光は入らない、雨の音もしない、よって夜。時刻は不明。
窓には手は届かない、届いたとしても嵌め殺し、扉は一つ、人の気配なし。

彼は棺に入ったままで、痺れた手を確かめる。
ゆっくりと痺れは消えてゆく。

彼は音を立てずに棺から抜けて、唯一の扉に近づいた。
鍵は掛けられていない。
彼は再びにやりとした。
体がいつものように自在に動くのを確認して、彼は部屋を出てゆく。






灯りだけのともる殺風景な廊下を、彼は気配を抑えて走る。窓を見つける。
運び出しやすいようにか、霊安室は一階だったようだ。
窓をくぐりながら彼は思った。



そういや珊瑚のほんとの名前、聞きそびれたな。
それ聞けるまで、生きてりゃいいけど。
あいつも、俺も。




20031120
頑張って短く短く。と唱えつつ修正してみたり。長くてつまんないよりは短くてつまんない方が、私の気が楽なので!
ちなみに『緑の』は『緑の猫』で。『カウント』で出たオリキャラ君。
ほんとは銀の円環とか竜の息吹とかにしようかと…………止めておきました…
すごい関係ないけど、このサイトのスカーレルは窓から出たり入ったりしてばっかだな。
……殺伐としててごめん。でもしょうがないよ、今私が殺伐としてるから。 



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