「起きなさい」
秋の早朝だった。
彼の今いる部屋には窓が無い。それでも空気が冷気と湿気をはらんでいる。
たぶんまだ夜明け前。
彼は殺風景な居室で覚醒した。床に毛布だけに包まって彼は眠っていた。
左右で、少年二人も身を起こす。彼らも同じように床で眠っていたのだ。
三人は明りの無い部屋で、開け放たれた扉を見やる。
廊下のほうが明るい。
逆光で表情の見えない『先生』が、部屋と廊下の繋ぎ目に立っていた。
「接近戦の用意をしなさい」
『先生』は淡々と指示を出す。
彼は、『先生』が声を荒らすことを見たことが無い。
『先生』はいつも静かに話す。静かに歩き、静かに彼らを叩きのめした。
少年たちは低く諾と答え、靴を履き手袋をし、それぞれの装備を手にする。
一分と少し。
服は元より着たままだ。
準備が済むと『先生』は言った。
「これから、実習です」
彼のいる建物は、元々は富豪か貴族か、とにかく金のある者の邸宅だったらしく、正面玄関を入ったところにホールがあり、その右側にゆるくカーブした階段がある。
少年たちはそこ、階段の上に集まった。
他の部屋にいた、少女二人もいる。
『先生』たちは簡単に指示を出した。
これから『対象』が侵入してくること、所属は不明、数は不明、武器は不明。
「対象の殺害許可を出す。対象に追いつかれずつけられずに脱出」
先ほど彼を起こしたのとは別の『先生』が言った。
「ここを出たら、一度散ってください。町の北の街道で集合です」
また別の『先生』が言った。
唯一の女の『先生』だ。
彼はふと、首の後ろ辺りに視線を感じたが、振り返りはしなかった。
ここで会う『先生』は、今ここにいる三人だけだったが、ときおり、訓練や勉強の合間に、何者かの気配に気づいた。
たぶん、他にも誰かがいるのだと思う。誰かは知りようもないが。
「合図は、外の人がしてくれます。各自、最適と考える行動をとってください。以上」
『先生』が言い終わるのとほぼ同時に、建物の外で笛が高い音で鳴った。
両開きの正面扉が、音を立てて内側に撓む。一階の、おそらくは裏口でも何かの破損する音。
「裏へ行くわ」
少女が言った。
「俺も行こう」
少年が言った。
彼はさっと、残る二人の少年と少女と、視線を交わす。
「じゃあ僕たちはここで」
別の少年が言った。
少年と少女は階段を駆け下りて裏口へ向かった。
残った少女は銃を手に、扉の斜め前、階段の途中に陣を取る。
少年は階下の扉の横へ、彼もその逆側の扉の横へ。レリーフのある凹凸の壁に身を寄せる。
気がつけば『先生』はいない。
彼はそれを認識した。それだけで、感慨はない。
扉はその間にも数度音を立てて撓み、しばらくすると止んだ。
彼らは動かない。
裏口のほうは壊れたらしい。大人の、男たちの声が聞こえた。
そのとき突如、玄関の扉が音を立てて吹き飛んだ。火薬ではない、風。召喚術だ。
扉が消え去ると、男たち、今回の『対象』が駆け込んでくる。
いち、に、さん、し。
縦列で走る彼らの服……暗がりでは判然としないが、あれは。
五人目、六人目が扉を潜りかけたところで、少女が階段の手摺越しに銃弾を放つ。
ひとり。彼はそれを聞くと同時に物陰から滑り出して、鎧に覆われていない男たちの、膝裏に曲剣を滑らせる。
倒れる体の首を撫ぜて、血避けのために蹴り倒す。
ふたり。
近くの男が怯む。
彼に男たちが集中するより先に、扉の反対側にいた少年が、いつ取ったのが蝋燭を手にしている。
それを見て取って、彼は先ほど身を潜めた影より一つ奥の、柱の元へ滑り込む。
彼を追って男たちが走る。
そのすぐ後ろで閃光と爆発音。
彼の目前に、背中に火傷を負ったらしい男が倒れこむ。
生きているので首にとどめを。
うつぶせに倒れたから腎臓一突きでもいいが、ナイフが抜けなくなると困る。
脚にぬるい感触。服が汚れるのは嫌いだ。
扉の外には、まだ十人か、それ以上はいるようだった。
屋内での火薬だから、威力は弱い。それでも何人か倒れ付している。
侵入の足が数瞬滞る。彼はその間に階段へ走った。
少女は銃で足をとめ、少年は壁に寄ったまま、器用に黒い何かを外へ投げる。
再び閃光と爆発音。さっきのものより大きい。
少年たちは階段へ走り、手摺を飛び越え二階へ。少女は銃を撃ちつつそれへ続く。
二階の、階段から二つ目のドアを少年が開けようとする。彼はそれを制して、三つ目のドアを開けた。
滑り込んで手探りで鍵をかける。
この邸で、彼らが出ることのできる窓はここだけだ。
他の部屋はすべて鉄柵が付けられている。
暗い部屋の中、外からの光だけが頼り。
彼はまっすぐ窓へ向かい、降りたカーテンをかすかにすくって庭の様子を見る。
見える範囲には五人。いづれも銃を持っている。だが構えてはいない。
ふたり、正面玄関にちかいところにいた男が、そちらへ走っていく。
「煙玉は」
少女が言う。
少年がうなづいて、かれらはさっとカーテンを引いた。
男たちが二階へ上がってきた音がする。
「……」
銃声は無い。
気づかなかったのか。
『対象』たちは隣の部屋へ踏み込んだようだ。
彼はそっと、手早く窓を開けた。下方を上方へスライドさせて開ける形のもの。
さすがに気づいたのか、男が声を上げる。その時には、少女が左の男を撃ち倒す。
少年が煙玉を投げる。空中でそれは煙幕を張り、その煙の中彼は窓から飛び降りる。
この窓のある位置に一番近いところの男――正面の『対象』に向かって、まっすぐに。
しめた。
彼は思う。
銃身と見えたのは杖だ。召喚術より自分の脚のほうが、ずっと、疾い。
ナイフを閃かせ、その手首に一撃。足をとめずに首に一撃。
そのまま走り去り、身の丈を超える塀に、跳んで手をかけて彼は軽くその上に。
たとえば、このまま、走り去ったら。
一瞬の思考を、背後の銃声が撃ち殺す。
壁を越えて彼は。
暗い寒い朝を、指示されたとおり、町の北へ。
そう、『先生』たちはどこへ。今どこで、……何を見て?
彼は振り返らないように、まだ残る星を頼りに町を走った。
北の街道は彼が思っていたより近かった。
もとより、彼らのいた邸宅は、町の北郊外にあったのだろう。
あの邸に来てからの数ヶ月、ほとんど外に出ていない。
訓練などで屋外へ行くときの行き帰りは、つねに召喚獣のひく、目隠しされた車だった。
そういえば、これが一週間ぶりの外だった。
建物が途切れると、彼は走るのを止めた。
その頃になって、ようやく東の空が白んでくる。
わけも無く、……安堵した。
意識せずに肩の力を抜くと、血塗れの刃に気付いた。
これを持って、ここまで走ったのか。
すこし笑えた。
まだまだ暗い道の上、彼以外に動くものはいない。なにも。
街道の脇には草が生え、木がまばらに立ち、畑があり。
朝になれば、この道にもあの畑にも、人が行き交うはずなのに。
彼にとってはここは荒野だった。
色の無い世界。
うしなわれたもの、その残骸。
ここを行くのだ、彼は思った、そう、ひとりきりで。
その時、彼の行く手から、獣の声がした。正しくは、獣を模した声が。
彼はナイフを納め、再び走り出す。
なだらかに傾斜した道の、坂をこえると一台の召喚獣車があった。傍に、人がいる。
『先生』。
御者台には、見知らぬ中年男がいた。
着いたのは彼が一番最初だった。
次に少女が、さらに少年たちが、それぞれ到着した。
彼は、少年たちと一瞬視線を合わせて、互いに目だけでうなずきあった。
今までそうしてきたように。
全員を車に乗せると、それはすぐに走り出した。
……まだ、あとひとり。
『先生』を見上げる。
少女も、また他の『先生』を見ていた。
少女の顔は、薄い闇の中でひどく白かった。不吉な色だ。
「いいえ、全員そろっています」
女の『先生』が応えた。
「実習の途中だというのに、彼女は抜け出そうとしました」
彼は、心臓が一拍、つよく胸を打つのを感じた。
あのとき、塀の上で一瞬、彼も。
「従って、彼女には」
『先生』はかすかに笑った、ように彼は見えた。
「罰を」
閉ざされたカーテンの向こうが明るい。日はすでに地平を越えたのだろう。
彼は目を閉じて、休むことにする。何も見ないでジッとしているだけでも、疲労回復にはなる。
血に汚れたままの手を、軽く握って感触を確かめる。
これだけだ。
彼は思った。
この手、この身体、それだけを持って荒野を行く。
悪くない。
まだ細くても、汚れても。
これが、自分の。
沈黙に満ちたまま、彼らは行く。
北へ。
彼が『彼ら』にまったく感謝していないといえば、それは嘘だ。
彼からそれまでの全てを吹き飛ばした代わりに、彼らは惜しみなく与えた。
技術と知識と。
磨かれる直感と狩の本能。
必要なだけの柔らかく強い筋肉と、思うとおりに動く長い手足、研ぎ澄まされる聴覚、暗闇につよい眼。
彼は泥と日陰の穴倉で、自分の美しく育った牙を確かめる。
行く手を阻む誰かを、そっと切り捨てる為の、彼だけの牙。
倒れ行く者を、すりぬけて走ろう。
砂の道で、干からびても いい。
まだ自分は強くなる。彼にはそれが良くわかる。
20030929
『彼』ってのがスカーレルのことです。(ここで言うのはどうだろう…)
にしても、無駄に長い……捏造しすぎっつーだけの話ですな★
最初は、最後の十数行だけだったのに、つい妄想が……!
しょうがないんです、だって夢見る乙女ですから!!(腐ってるけどな!)
ところでリィンバウムの銃って連発式ってあるんでしょうか(汗)
200707再UP
昔のコメントが痛面白いので原文残しておきます。Mなんで。