課長冨永48歳

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 次の日、富永は机に向かうが、まったく仕事が手に着かない。昨晩は一睡もできなかった。今もまた、昨晩の夢のようなできごとを思い返し、周りの社員たちが不思議そうな顔で見ているのにも気づかなかった。
 美紀の私服姿や、胸元から垣間見たふくよかな白い肌、そして柔らかな唇の感触が交互よみがえってくる。これまで女性にもてたためしなどない四十八歳の男が、若く美しい美紀のとりこになるのに、時間などかからなかった。
 
 翌々日、富永は部長に呼ばれた。
「まさか、あの夜のことがばれたんじゃ…。」
富永は額の汗を拭いながら、部長の前に立つ。
「ああ、富永君。実は…。」
富永の鼓動が激しくなる。この不景気に、リストラの対象にならないよう懸命に仕事をこなしてきた。しかし、若い女子社員に手を出したという噂が立てば、自分の首などすぐにとんでしまう。富永は祈るような気持ちで部長の言葉を待った。
「実はね、急な話で申し訳ないんだが、これから一週間ばかり出張してもらえんかね。」
「はっ?」
「いやいや、期間が長いのと急ぎのことで、若い連中は嫌がるんだよ。君なら引き受けてくれると思ってな。どうだろう。」
美紀とのことがばれたかもしれないと、びくびくしていた富永は、部長の言葉に全身の力が抜けた。
「は、はい。分かりました。」
富永は出張の説明を受け、早速準備にとりかかった。地方の工場に渡す資料や、その他の書類などを整え、昼から一旦家に戻った。
 家には妻の姿が見あたらず、富永は荷物をまとめ、出張するとの走り書きをテーブルの上に置いた。ポケットの中の財布には、小銭しかないことに気が付いた富永は、ごそごそと押入れの中をあさり、少ない小遣いの中から少しづつためておいたへそくりを取り出した。
「今回は長いからなあ。少し持っていこうか。」
交通費や宿泊費などは会社を出る際にもらっていたが、ぎりぎりの金額しかもらえないのがつらい。富永はお金を財布に入れ、残りをまた押入れの中にもどして、家を出た。
 
 富永は若い社員が嫌がるような仕事も引き受けるため、リストラ対象から除外されているのかもしれないが、地方の工場のパート社員に対しても偉ぶる様子がなく、ひょこひょことおじぎして回るような人間だったから、特に今回のような各地の工場を回るような出張には最適の人物であった。
 静岡県に二日間、愛知県に三日間滞在し、あとは三重県の一カ所に行くだけとなり、富永は財布の中身を確認すると、仕事を終えたら温泉にでもつかっていこうと考えた。
「では、よろしくお願いします。」
そういって、最後の工場から出ようとしたとき、門の前に女性の姿を見つけた。
「まさか…。」
女性は、富永の姿を見つけると、小走りで駆け寄ってきた。
「課長さん。」
「た、高田くん、なんでここに?」
それは美紀だった。驚く富永に美紀は
「有給もらってきました。最終日はここだって聞きましたから。」
と微笑んだ。
「これからどうするんですか?すぐに東京に帰るご予定でした?」
美紀の問いかけに、富永はためらいながら、
「い、いや。温泉にでもつかっていこうかと…。」
と答えた。わあっと手をたたいた美紀は、
「私も行きたいです。いいですか?」
と富永の返事も聞かず、富永の腕をぐいぐい引っ張って歩き出した。
 近くに小さな温泉旅館があり、富永は前日に予約して置いたのだが、当然一部屋しか予約していない。それを美紀に告げると、とりあえず、フロントに他の部屋が空いていないか聞いてみると言った。
 旅館につくと、早速美紀がフロントに問い合わせている。富永は部屋が空いていることを願った。いや、心の底では部屋が空いていないことを願っていたのかもしれない。しかし、先日のどうしようもない衝動にかられた自分を思うと、懸命に理性を働かせようとしていたのだ。
「うーん。」
美紀が考えながら富永に近づいてきた。
「どうしましょう。部屋は空いてないんですって。」
富永の鼓動が激しくなった。
「課長さんのお部屋にご一緒してもいいですか?」
いや、それは…、と言葉を濁す富永に、美紀は目を曇らせて、
「やっぱり、ご迷惑ですよね。」
とつぶやいた。
「い、いや、迷惑では…ないんだが。」
富永の言葉を聞くと、美紀は
「じゃっ、いいですか?」
と喜んだ。
 
「困ったぞ…。どうしたら…。」
富永は大浴場で温泉につかりながらひとりぶつぶつと繰り返している。
「最近の若い娘は、男と一緒の部屋でも平気なのか?」
いや、美紀は違うはずだ。そうだ、自分を父親か何かのように思っているから無邪気な行動に出ているのかもしれない。富永はその思いに納得しかけたが、
「では、あのときのキスはなんだったんだ…。」
とまた、思い悩む。
「とにかく、あれはもてないオヤジをからかっただけなんだ。そうだ。そうに違いない。」
とにかく今夜は理性を保てばいいんだ、と富永は風呂からあがって浴衣に着替えた。
 部屋に戻ると、美紀はすでに戻っており、浴衣に着替えていた。
「遅いですよー。私、もうおなかぺこぺこで…。」
すまん、と謝りながら富永はテーブルの前に座った。不自然なカップルには慣れているのか、仲居はいたって普通 に、料理を並べていった。
「お飲物は?」
注文を聞かれ、富永が答えようとすると、美紀が
「ビールを…4本かな。」
と答えた。
「4本って、多くないかね。」
富永が尋ねたが、美紀は大丈夫です、と笑っている。運ばれてきたビールをつぎ合い、美紀はおいしそうに飲んでいる。そんな美紀の姿を見て、富永も次第に緊張がほぐれ、楽しく食事をすることができた。
 食事が終わってしばらくすると、仲居が布団を敷くと言って入ってきた。布団を敷いてもらう間、妙な沈黙に耐えかねていると、美紀がゲームコーナーに行こうと言いだした。旅館内の小さなゲームコーナーには、たいしたゲームは置いてなかったが、美紀はカーレースのゲームにはしゃいでいた。
 部屋に戻ると、すっかり布団が敷かれていた。美紀はゲームをして汗をかいたと言って、また風呂に行った。美紀が出ていくと、部屋は静まりかえり、富永はふうっとため息をついた。ふと見ると、二組の布団がぴったりと並べられている。富永は慌てて布団の間を離し、またため息をついた。

 

 

 


 

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