「BRIDEは最強を夢に見て」

 

天翔 烈火

 

 

 桜が今を盛りにと咲き綻び、ようやく春めいてきた4月。

 身も、時には心もさえも凍えさせる冬を経て迎える春は、なんとなく人々の心を浮き立たせる。

 特に4月は大よその組織が新年度を迎える月でもあるから、そこに吹く新風が春の陽気と相俟って、人々の気持ちを高揚させるのかもしれない。

 新風とは即ち、高校や大学への進学、新社会人として会社へ入社、或いは配属先の移動などで東京以外からこの街にやって来た人々、いわゆる新参者の事である。

彼らは色々な意味でこの街や組織の洗礼を受けて、徐々にその日常に馴染んで行くのだろうが、けれど池袋に於いての日常は必ずしも、時の流れと共に慣れ親しめるものばかりではなかった。

 街中を無造作に飛び交う自販機や交通標識。その合間を縫うようにあられもない悲鳴を発してぶっ飛ぶ大の男たち。どう考えても常軌を逸しているそれらだが、池袋に限ってはすっかり日常茶飯事と化している。

そして、更に信じられない事にその非常識は全てたった一人の男が作り出す光景であった。ただし、自販機や交通標識の類はもう一人の男が絡んで起きる事の方が多いのだが、傍から見る分にはそんな違いなど何の意味もありはしないだろう。

 とにかく、ここ池袋を拠点に住まう一般市民にとってそれは、絶対的に避けるべき災厄でありながら、しかしだからと言って池袋から全く遠のく訳にも行かない、そんな矛盾を抱えながら付き合っていくしかない日常であった。

 もちろん、4月を機に池袋へやってきた新風たる新参者に於いてもその事情は当て嵌まるのである。

 

 

 

 

「ひっ、ぎゃあああああああ――――――!!」

「うおおおおんん!」

「あひゃあああ〜〜〜〜〜!」

 

 今日の池袋の空を飛び交ったのは、恐怖のあまり奇声を発する見た目に素行のよろしくないだろう複数の男達だ。

 その複数の中心で金色の髪を振り乱し、彼らを恐怖の悲鳴とともに四方八方に投げ飛ばしているのは、長身で確かに体つきはしっかりしているものの、巨漢でも極端に筋肉質でもない、そんな怪力を発揮しそうにない青年であった。

 但しその容貌は思いの外端整であるが故に、怒りの表情が凄絶であったから、傍観者である一般市民にも恐怖を与えてしまっている。

 すでにここの住民として馴染んでいる者にも、この街にやって来て間もない、初めてこの光景を目にする者にもその差はほとんどないだろう。

 しかしその見物人の中に一人、他とは全く異なる視線を送る者がいたのだ。

 強くはないが癖の入った、肩先より少し長めの黒髪を特に手も入れず無造作に垂らし、黒目勝ちな大きな瞳と額を惜しみなく見せている短い前髪のせいで、上気した顔を幼く見せていたが、着ている萌黄色の制服から高校生と分かる少女。

 その女子高生が目の前の、遅まきながら大人数でもってしても敵わないと理解して逃げの態勢に入った男達を、興奮冷めない金色の獣は許さず襟首を掴んで投げ飛ばし、被害は拡大の一途を辿っている、その阿鼻叫喚をなぜか羨望の眼差しで凝視している。

 

「素敵です…」

 

 甘さを含んで零れ落ちた呟きも耳を疑う様なそれであったが、幸い目の前の光景が強烈過ぎて、聴き咎める者はいなかった。

 そうして投げるものがなくなって、気も落ち着いてきた金色がそれを見計らった様に現れたドレットの男と連立って去ってしまえば、おっかなびっくり見物していた人々もそれぞれの日常に立ち戻り、後には死屍累々、喧嘩を吹っ掛け返り討ちにあった無残な姿の男達だけが取り残される。

 もちろん先程の少女の姿も既にそこにはなかった。

 

その数分後、商売の邪魔になるからと、事の起きた辺りの店主達が慣れた様に救急車を呼び彼らを引き取って貰ったので、街もまた何事もなかった様に日常を取り戻す事となる。

 

 

 

 

4月も半ばを過ぎた、ある穏やかな昼下がり。池袋には奇妙な光景が展開していた。

それは3日前に、何をどうしてそうなったのか「池袋最強」の名を持つ平和島静雄に喧嘩を吹っ掛けて、ものの見事に返り討ちにあった男達の末路の様な派手さはないが、この池袋の日常をある程度知っている者たちにとっては、とんでもなく信じがたい光景である。

それは当の本人、静雄にしても当て嵌まる心境であった。

彼は池袋を拠点とした取立て屋を生業としている。

その仕事は割とルーズで、と言うより相手あっての事なので、中途半端に時間の空く事が一日に何度かあった。そんな時は家に帰る訳にもいかず、池袋の適当な場所で時間を潰す事が多い。

ちょうど今も次の取立ての合間に紫煙を燻らせていたのだが、そんな彼のもとに物怖じせず柔らかい笑みを浮かべて、一人の小柄な少女が近寄って来たのだ。

 

「こんにちは」

 

 街中で偶然、知人を見つけて挨拶してきたという様な自然なそれに、正直静雄は面食らった。

 ここは池袋である。そしてこの街中で自分を知らない者はいないと言っても過言ではなく、しかもそれは悪い意味での知名度であったから、彼を認識したら声を掛ける処か近寄る者はまずいない。

 もちろん仕事の上司でパートナーでもある田中トムを含め数える程ではあったが、声を掛けてくる者が全くいない訳でもなかったが、しかし今目の前に立っている少女はその部類に入る知人ではないはずだ。

 ただ、少女は数年前に卒業した来神学園、今は改名して来良学園になったが、そこの制服を着ていたから、強引かもしれないが静雄とは先輩後輩の関係にあると言えなくもない。        

けれどその程度の接点はあってないに等しく、現在の状況を説明するには説得力の乏しい理由であろう。

 

「あ、あの。すみません。僕いきなり声をお掛けしたから。お邪魔だったんでしょうか?」

 

 はたと気付けば出会い頭の挨拶から、意識の全てをもってして、少女の正体を探る事に思考を傾けていたので、その少女に対し何の反応も返していなかった。

 少女は眉根を寄せて、申し訳なさそうに肩を落としている。

 その姿があまりにも哀れを誘うものであったから、静雄は珍しく慌てふためいた。

 

「ああ、大丈夫だ。何も邪魔になってねぇよ。ただ、俺はもの覚えが悪くてよ。あんたが誰なのか思い出せなくてな」

 

 成るべく少女の負担にならない様に言葉を選び、自身の現状を説明すると、今度は少女の方が慌て始める。

 

「いえ。いえいえ。知っているのは僕が一方的なんです。分からなくて当然です」

「そ、そっか」

 

 何となくほっとして息を吐き、今更ながらに目の前の少女を凝視する。

 黒目勝ちな瞳と短く切り詰めた前髪の下に続く額の出具合が、全体的な印象にも増して幼さを強調する要因となっている為、来良の制服を着ていなければ高校生にはとても見えなかった。

 けれどそれは決してマイナスに働いてはいなくて、どちらかと言えば可愛いという形容詞の名の元に、庇護欲を擽られる。

 

「えっと、その。僕、竜ヶ峰帝人って言います。この春に来良学園に進学して、池袋に引っ越してきました」

 

 漸く知れた少女の名前は可憐な印象に反する仰々しい並びで出来ていて、慣れた風に口にする一人称の「僕」と共に、その見た目とのギャップというかアンバランスさが際立つ。けれど、それが珍しく静雄の興味を惹いたのだ。

 

「なんかすごい名前だな」

「よく言われます。それに、もともと男の子に付ける名前だったらしくて、余計に強烈なんですよ。まあ、すぐに名前を覚えて貰えるって言う利点もありますけどね」

 

 本当に、本当に不思議な少女だ。池袋に住む様になって、しかも静雄の通っていた元来神学園の生徒でありながら、金髪グラサン、バーテン服がトレードマークの避けるべき災厄たる「自動喧嘩人形」に馴れ馴れしく話してくるなど、傍から見れば狂気の沙汰以外の何物でもない。

 そしてその不思議は静雄自身にも及んでいる様であった。見知らぬ人間に馴れ馴れしくされると殆どの場合、いらついてきて仕舞いには怒髪天を衝く事になる。静雄に絡んでくる命知らずは大概自分善がりが多くて、自身の価値観をさも天下の基準値の様に語り、嘆いたり怒ったりするのだから当然の反応であると言える。

 しかし帝人と話すのは全く心が乱れなくて、反対に気持ちが和んで、出来る事なら何時まででもそうしていたい気分にさせられた。

 それら一連の変化に何か意味はあるのだろうか。そもそも、彼女は何を思って静雄に話しかけてきたのか。

 

「竜ヶ峰」

「はい」

「その、なんだ。俺に何か用があったんじゃないのか?」

 

 状況から鑑みればそういう答えに行き着いた。

 物怖じせずに接する事が必ずしも無知から来るものとは限らない。寧ろそれなりに「平和島静雄」という人物を知っていて、だからこそ何かを期待して話し掛けたと言う方が、納得がいく。

 そういう時は基本、悪意や独り善がりな感情が見えるものだが、しかし帝人からはそう言ったものが現段階では見出せない。

だからこそ、彼女からの申し出なら、自分にできる範囲内で聞いて遣ってもいいかと思って、敢えて率直に話を切り出したのだ。

しかしそれに対する帝人の反応は恐ろしく不審な意味で顕著であった。それまで普通に合わせていた視線をあからさまに逸らして顔を俯けると、静雄には聞こえない程の小声で何事か呟やき始めたのだ。

あまりの変貌振りに一体何をそんなに悪い事を聞いただろうかと、何故か静雄の方がおたついてしまう。

 そうして、訳も分からずあわあわしている内に、帝人の方で決着がついた様だ。何故か頬を上気させ、意を決した瞳を慌てている静雄にひたと向けてきた。

 

「そうですよね。こういう事はちゃんと言わないと駄目ですよね」

「…ああ、帝人?」

 

 状況を全く掴めない静雄に対し、帝人は何やら緊張している様子で、大きな深呼吸を何度か繰り返してから、徐に言葉を発し様としたのだが。

 

「平和島さん?」

 

 今度は静雄の方でそれをさせない空気が漂い始めたのだ。

 彼の視線は何時の間にか帝人の後方へ向けられている。先程まで柔らかい笑みや困った表情を見せていた穏やかな容貌が、般若の様な怒りの形相に歪んで流石の帝人も少し身を震わせた。

 静雄は突然背筋を走った悪寒に五感の全てを持っていかれて、帝人の言葉を待っていられなかったのだ。

 ここまで彼の負の感情を波立たせる人間はこの世にたった一人しかいない。

 新宿を拠点にしている情報屋で、図らずも高校の同級であった男で。

 

「い〜ざ〜やああああ!」

 

 天敵以外の何物でもない存在、折原臨也が静雄の正面、調度通りを曲がって来た処に立っていたのだ。ここ数日は姿を見なかったが、その程度の違和感などこのどうしようもない嫌悪感を前にしては何の歯止めにもならない。

またしても池袋に於いて避けるべき災厄が発動するのかと思いきや、敵意を向けられた相手は一触即発の静雄に対し、何時ものわざとらしい反応すらも返す事はしなかった。

その癖、本心の見えない薄い笑みを張り付けたまま、警戒心も露わな静雄の半径1メートル圏内まで足取りも軽く無防備に近寄ってくる。そして思いもかけない名を口にしたのだ。

 

「水臭いなあ、帝人くん」

 

 赤みを帯びた瞳は確かに静雄の目の前の少女の方を向いている。

 

「どうしてこっちに来るなら来るって教えてくれなかったの?」

「せっかく良い所だったのに…。相変わらず空気の読めない人ですよね。それに臨也さん。あなたに近況を報告する義理なんて、持ち合わせていませんから」

 

 怒りの形相を張り付けたまま、呆気に取られている静雄を完全に無視する形で進んでいく会話は、どうにも見知らぬ者同士のやり取りではなくて。いや、名前を呼び合っている時点で知人以外の何物でもないが、臨也が馴れ馴れしいのはいつもの事としても帝人のこの毒々しいまでに棘だらけの声音には、臨也への本能的な嫌悪を忘れる位に驚ろかされた。

 表情も先程まで静雄に見せていた少女らしい華やかさは微塵もなくて、仮面が張り付いた様に感情の見えない冷たいばかりの無表情になっている。

 

「相変わらず冷たいよね。御父上も頑として口を割らないし。君の事に関しては成るべく正攻法で臨みたいんだけど、今回ばかりは仕方がないから独自の情報網を使っちゃったよ」

「ぬけぬけと…。埼玉の僕に辿り着いた時点で正攻法には程遠いと思うんですけど」

「まあ、結果オーライ。これからは何時でも君に会えるからさ」

「僕は会いたくありません」

 

 振り向く事もせず、背中越しにつっけんどんな対応をする帝人と、ただひたすらデレる臨也の遣り取りは、傍から見る分にはブラックユーモアの利いたコメディであったが、当人同士は至って真剣な駆け引きを繰り広げているのだった。

 相手の本心を如何に汲み取り、自身をどう優位に立たせるのか。毒舌もあくまで相手のペースを乱したり、その言葉に対する反応を見て次の行動を決定するのに利用したりする。これまでも、二人の間では何度となく行われた舌戦だ。もちろん、本当の本気で相手に嫌悪を感じて貶める為に使う時もある。

 今日の帝人の毒舌は感情のままに吐き出された言葉であった。本気でウザいと思っていたからだ。

 

「ほんと、釣れないなあ、帝人くん。…ただね。どんなに冷たくても、釣れなくても。どうしてこんなに不愉快な状況になっているのかは、無視できない感じ?」

 

だから意図もしていないのに意外な反応が返ってくると、思いの外、戸惑ってしまう。

 

「臨也さん?」

 

 突然、纏う空気の変わった事に驚いて、帝人が振り返った途端、息も掛かるほど傍近くに来ていた臨也が、呆然と二人の遣り取りを見ていた静雄に攻撃を仕掛けてきたのだ。

 恐ろしく素早い動きでナイフの切っ先が眼前に向かっていく。しかしその動きと同じ位の速さで、振り上げられた静雄の腕によりそれは阻まれ、叩き落とされる。どんなに呆けていてもその辺抜かりはない。臨也を前にして油断するのは死ぬ事と同義だと、これまでに嫌と言うほど思い知らされているのだ。

 

「てめー!行き成り何のつもりだ!」

「それはこっちの台詞。何帝人くんと良い雰囲気になってるのさ!」

「はああ!?何訳分からねぇ事言ってやがる!」

 

 確かに臨也が現れるまで、帝人と和やかな雰囲気で話しをしていたが、だからと言って何故それをこの男に咎められる謂れがあると言うのだろうか。

 その反応に瞬間、不審な視線を向けたが、直ぐ様その状況を察して口角を笑みの形に引き上げた。

 

「あれぇ?分かってない。っていうかギリギリセーフだったりするんだ」

「臨也さん!」

「だから!何が間に合ったって」

 

 臨也の言わんとする処が当然、帝人には理解できたので焦ってしまうが、当の静雄にはやっぱり分からなくて、何時もながらの遠回しな物言いにただただイラつくばかりだ。

 そんな彼の様子に気を良くして、臨也のテンションは益々上がっていく。

 

「だったらさ。ここはマジ本気で静ちゃん殺っちゃうのが筋って事だよね」

 

 どこから出したものか、新たなナイフを手にしてこれまでにない殺気を乗せた一撃が臨也から繰り出された。

 静雄は結局、臨也の発する殺気の意味を理解する事無く、ただ兎に角その攻撃に対応する為、帝人を脇へと押しやって臨戦態勢に入ろうとしたが。

 

「いい加減にして下さいいい!」

 

 脇へ避けた筈の帝人より、怒りの感情の籠った大音声が発せられたと思う間もなく、臨也の姿が眼前から?き消えた。

 更に何が起こったのかと思考を巡らすより早く、静雄の後方で派手な音が響く。

 反射的に後方を振り向けば、先程まで眼前にいたはずの臨也が何時にない無様な姿で、通りに出ているワゴンにダイブしていた。

 

「平和島さんには指一本だって触れさせません。これからは僕が相手になりますから、覚悟して下さいね」

「…竜ヶ峰?」

 

 勇ましいばかりの啖呵に視線を戻せば、何やら構えた状態の帝人がいて、何となく分かってはいたが彼女が臨也を投げ飛ばしたのだなと得心が行く。

 そんな静雄の真っ直ぐな視線に気が付いた帝人は、途端に顔を真っ赤にさせ、勢いよく構えを解くとあたふたと慌て出した。

 

「うわああ。えーと。その。び、びっくりしますよね、こんなの…」

「いや、まあ」

 

 確かに状況は呑み込めたが、そのままを受け入れるには色々と疑問は残る。静雄自身という例外も存在するにはするが、細身とは言え頭一つ分上背のある大の男を、息も切らさず軽々投げ飛ばすなんて、見た目普通の女子高生に出来る事だろうか、等など。

 言葉には明確にしなかったが、向ける視線でそんな疑問を感じ取ったのだろう。顔は上気させたままであったが、幾らか落ち着いた様子で静雄の疑問の答えとなる話をし始めた。

 

「実は、実家が武術の道場を開いていまして。僕も物心付いた頃からそこの師範である父にそれはもう、みっちり鍛えられました」

「それでか。でも女子にしては強いよな」

 

 静雄の闘い方は完全に我流で、怪力に至っては持って生まれた天性のものであったから、武術については全くと言っていい程無知である。けれど彼女の発揮した力がその武術の鍛錬により体得したものとはいえ、やはり特別な部類に入る力である事は理解できた。

 

「そうですね、はい。僕一人っ子だから。宗家の勤め、とか言うのもあって男子と同等に扱われていたんですよね」

「大変だな」

「いえいえ。ただ、流派の掟で女子はその道場を継げないんです。とはいっても、母は5年前に他界していて、新たな男子の嫡子は望めませんし、分家にも後継者に見合う男子はいませんし」

 

 突然話が変な方向に逸れ出した、様な気がする。現状を説明するのに実家の話になったのだから、その流れで身の上話に行ったのだとしても決して不自然ではないが、何故だか静雄の感に触った。

 しかし、飽くまで具体性のない感に依る処であるから、それを理由に話の腰を折るには至れない。

 そんな静雄の心情などには全く気付く事無く、帝人の身の上話は続けられる。

 

「母一筋の父に再婚を望む訳にもいきませんから、結局僕が如何にかしないといけなくて。だからネットの情報網を使って、強い人を探していたんです」

「まさかそれで臨也と…?」

 

 彼女と臨也との接点がどうにも思いつかないでいたのだが、ネットと聞いてあの男の生業が情報屋でそれなりに名が通っている事に改めて思い至った。

 顔の見えない世界に於いて、罷り通っている真実などまやかしや極端な部分誇張である事の方が多い。だから情報屋である彼が、そんなネットを介して帝人と知り合い、何がしかの企みに彼女を巻き込もうとしたのだろう。

 身近にいて臨也の黒い噂しか聞かない静雄が当然の様に、そんな結論に至ろうとしていたのだが、それを言葉にする前に帝人からの強烈な否定が入る。

 

「とんでもない。確かにチャットを交わして、強い人の情報を集めてはいましたけど。個人情報は誰にも開示していません。彼は多分、きっと、絶対に違法な手段を使って、僕の個人情報を得て道場にやって来たんです。直接会う事になったあの日まで臨也さんの事なんて僕、全然知らなかったんですから」

 

 よくよく考えるまでもなく、臨也に対する帝人の態度は終始一貫、絶対零度バリに冷たかったから、今現在は好意の欠片すらないのだと納得がいった。しかしそうなると、あの男の考えについては全く分からなくなってしまう。

 道場の後継者問題に、その為の強者探し。その話の中に臨也の興味を引く内容は見当たらないのだが。

 

「…道場破り?いや乗っ取りか?」

「…いえ。婿候補に名乗りを上げてきました」

「はあ!?」

 

 静雄にすればあまりにも唐突に飛躍した話に移ったと言える。

他のまあ普通に常識的な者が聴いていたなら、当然すぎる話の流れだが、それに突っ込みを入れる者はいない。だから帝人は鈍過ぎる静雄の反応など気にせず、と言うより彼女には最終的な目的があったので、そのまま話を続けていった。

 

「でももう、僕には心に決めた人がいましたし、臨也さんは僕の求める強い人ではありませんでしたし」

「まあ。何せよ、あいつだけは止めて正解だ」

「はい。で、会って確かめてやっぱり強くて素敵だって、確信が持てたので。告白を決意しました」

「そっか」

 

 臨也の事は帝人にとって最早、過去のものとなっている。ついでに池袋へやって来た理由を知って、出会って間もないとはいえ、好感の持てる彼女のその淡い想いを応援したい気持ちに駆られた。

 告白が成就するなら彼女の強さも相まって、臨也の行動にも歯止めが掛かるかも知れないし、池袋にいる間なら静雄が助けてやれない事もないだろう。

 

「平和島さん」

「おう」

 

そんな事をつらつら考えていたものだから、最後の台詞を理解するのに恐ろしく時間を要する事となる。

 

「僕をお嫁さんに貰って下さい!」

 

 頬を上気させ、うっとりと微笑む帝人を前にしたまま静雄は、かなりの間、言葉なく立ち尽くしていた。そして。

 

「……!えっ?…はぁ!!なに――――!?」

 

 理解した途端、今度は混乱が襲ってくる。

 完璧に自分を第三者の立場に於いていた静雄にとって、それは正に青天の霹靂である。行き成り当事者へ据えられてしまったのだから当然の反応であろう。飽くまで、鈍過ぎる静雄の見解的にではあるが。

 兎に角、言葉の意味は分かっても状況には付いていけない。

 

「あなたの強さに惚れちゃいました。ハンサムだし、何よりやさしくていらっしゃるし。あなた以上の方にこの先、巡り会えるなんて絶対ありません」

「いや。そんな事急に…」

「大丈夫です。愛はこれからじっくり育んでいきましょう。あ!そうだ。一緒に住みませんか」

「ちょ、行き成りなんで」

「そうですよ。我ながら良い考えです。そうすれば、一緒にいられる時間も長くなりますから、お互いの事が分かりあえて、愛も育めて一石二鳥。よおーし。早速、許可を貰ってきますね」

 

 帝人は静雄の混乱などお構いなしに、とんとんと話を進めていった。もちろん、誰が聴いてもかなり無茶苦茶に順序も何もすっ飛ばして進んでいく話であるから、静雄に至っては付いていけない処か、告白を聞いた地点に置いてけぼりである。

 それでも何とか、帝人の突っ走り振りを押し留め様と、元々不得手な言葉ではなく行動に打って出た。彼にしてはかなり力を加減して、自分の考えに陶酔している帝人の細い肩を掴む。

 

「いや、だから。兎に角落ち着いてくれ」

 

 一瞬、会話が途切れた。

 状況を無視して見やれば、かなりの近距離で男女が見つめ合うラブラブな構図である。ただし静雄の方は未だに混乱の最中であったから、帝人の瞳に浮かんだ、蕩ける様な甘い感情の意味など理解できるはずもなかった。

 

「平和島さん。どうぞ、末長くよろしくお願いします」

 

 チュッと音立てて頬にキスされた途端、静雄の動きは完全に止まった。

彫像のようにその場に固まってしまった静雄を残し、ルンルン気分の帝人は恥じらいながらも「それでは失礼します」と短い言葉を残して、スキップしながら通りの向こうへ消えていく。

 それから数分そのままの状態が続いて、漸くフリーズが解けたのは仕事の上司である田中トムに声を掛けられてからであった。

 

「おい、静雄。お前何、呆けてるんだ?って言うか何があった?」

 

 何時もならきちんと処理している煙草の吸殻が、静雄の足元に転がっているのを見咎めて何かあったと判断したのだ。

 辺りの公共物は破損していないし、馬鹿そうな男どもも倒れてはいない。

一応、先程までワゴンの中に臨也が突っ込んだままでいたのだが、打たれ強い彼は、早々に気が付いて帝人の姿が消えた事を確認し、静雄の状態から事情を察して取り敢えずその場から撤退したのだった。

 そんな訳で、何時もの分かり易い破壊の残滓が残っていないので、トムの経験から考え付く状況が思い浮かばない。

 しかし、静雄にはそれに答えている余裕など微塵もなかった。

 活動を開始した思考は先程の十数分間の出来事を、走馬灯の様にエンドレスで流して、何処かに容量を超えて理解し難い事実をなかった事に出来る逃げ道はないものかと、必死の現実逃避を試みていたからである。もちろんそんな事をしたとて、無意味に混乱は深まるばかりだ。

ただ、そうやって無駄な抵抗を続ける内にうっかりあの最後の場面に思考が行って、青褪めていた顔面が火の付いた様に一気に朱に染まる。

 

どうぞ、末長くよろしくお願いします

 

耳の奥に再生されたそれが静雄の羞恥心を更に煽って、なけなしの理性が吹っ飛んでしまった。

 

「くっそぉ!!何が、一体、どうなってやがんだぁ―――――!」

 

 もう本当に何が何だかな静雄の雄叫びが池袋の街に木霊する。

唯一救いがあるとするならば、理性の吹き飛んだ理由が理由なだけに取り敢えず公共物の破損だけは免れた事だろうか。

 

「し、静雄。本当に一体どうしちまったんだ?」

 

 これまでにない静雄の動揺ぶりに、流石のトムも今日ばかりは手を拱く他なかった。

 

 

 

 

 目撃者により口々に、或いはネット上に伝えられたそれらの一部始終は、当然尾ひれが付きまくって、とんでもない新たな都市伝説を生みだした。

 曰く、「新宿最凶」と「池袋最強」を倒した少女が、戦利品として「池袋最強」をお持ち帰りした。

 

 ある意味的を射たその噂話が暫く、池袋を席巻したのは言うまでもない事であろう。

 

 

 

 

END




チャット仲間の天翔烈火さんから強奪してきた挙句掲載許可までもぎ取ってきました。
帝人ちゃんすげぇ。そしてかわゆす。
このまま結婚…!wktk

ありがとうございました!!

潤 凪

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