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FLY HIGH
僕には尊敬する人がいます。
「行くぞー、気ぃ抜くんじゃねーぞ!」
「はい!」
体育館の入り口にて、ボールが床に弾む音の向こう側。
「走れー!」
楽しそうな声。笑顔。厳しいことばも、全部。
『でっかいなあ、お前』
『はあ』
『バレー部入らない?』
高校に入ってすぐ、部活決めなきゃってとき。
『ちっちゃくてもまあ、できるんだけどさ、』
彼は僕より20センチ以上小さくて、セッターだった。
まだ人の少ない体育館でひとり、
シューズの紐をぎゅうと結んでいるところだった。
『でっかいほうが得ではある』
『…まだ全然、なんにも決めてないんですけど』
『うんうん、じゃちょっと見てってよ』
ボールの入ったカゴからひとつとり出して、
ぽんぽんと頭の上で白いボールをあげてみせる。
やわらかい手のひらの動き。正確なゆびさき。
綺麗だなと思った。
『やってみる?』
『はあ…』
僕はバレーボールが下手だった。
中学ではずっとバスケットをしていて、
体育の授業なんかではもう目もあてられないというか
そういった有様で、実は体育館に来たのも偶然だった。
『あれ、』
案の定ボールがあっちこっちにいってしまってどうにもならない。
でも彼はそれをにこにこと笑ってみていた。
『最初は難しいんだ、』
アタックでも打ってみるか、
そう言って彼はゆるくかけられていたネットをぴんと張った。
ワイヤーを巻き取るレバーがまわるときのきりきりとした音で、
なんだかすこし緊張した。
『おい、手伝ってくれー』
彼はちょっと前に体育館に入ってきた部員らしき人を呼んで
僕に手本を見せてくれた。
部員の人がレシーブして彼がトスを上げて、
それを部員の人がアタック。
ボールが床を弾く音が足の裏に衝撃になって伝わってきた。
『…すごい』
『お、やってみやってみ』
彼は嬉しそうな顔をして僕と部員の人の位置を交代させた。
スリーポイントを打つときみたいだ、一瞬の緊張、
僕はレシーブがまともにできないからボールを上に投げてもらった。
落ちてくるタイミングを見計らって、飛んで。
『いてっ』
『あはは、』
バスケットでだってやってるはずなのになんでだ、難しい。
見事な空振りは僕の頭にボールをぶつけた。
彼は笑っていて、その顔はちょっとよかったかな。
『打って見せてやれよ』
『えー、俺? そう?』
『教科書どおりに』
『任せてちょうだい』
『無理はせずに』
『おうよ』
…なんだか仲が良さそうで、ちょっと。ほんのちょっと。
『見とけー』
『はい、』
この時点で既に自分がバレーボールに向いていないということは
わかっていた。
でも彼がなんだか楽しそうで、それを見ていたくて、どうしても。
『はい、いきまーす』
『いらっしゃーい』
セッターが投げたボールを両手で正確にレシーブ、
ふわりとした起動を描いた白球はセッターの手のひらに収まって、
セッターの両手のひらをボールが離れる、
天井の照明に白球が重なるほんのすこし前。
(うわ、)
ただひとつのボールに狙いをすまして位置を決めて、
踏み出す1歩、2歩、屈むように身体を縮めて振りあげる腕。
ちかっと光る照明を向こう側にして、
ふわり、浮きあがる身体。
(……………、)
ボールが床に叩きつけられる。
その瞬間、彼は体育館の中の誰よりも高く飛んだ。
「…で、なんで入らなかったのよ」
「いやあ、バレー下手なんで」
「違いない」
もうなんていうか、あれを見てしまうと…なんていうか、
やる気なくすとかじゃなくて、なんていうか全然、ただ見てたい。
彼が飛ぶところを。
「お前も練習すればいいセンいくと思うんだけどね」
「またまた」
たまに校内で偶然会うとこうやって軽く話してくれる。
そうやって少しずつ話すうち、知ったことがひとつある。
彼は膝を悪くして小さな頃からやってたバレーを
全力でやれなくなったらしいってこと。
あの時見せてくれたあれは、1日に1回限定の本気撃ち。
あとはサポートとかにまわってバレー部を支えてる。
『バレーが好きだからさ、いいんだ』
そうやって大好きなものがあって譲れなくて、でもちゃんと弁えてる。
でもちゃんと毎日楽しいって言うし、ちゃんと。
「バスケやってんだろ?」
「…あんまり打ち込んでるとかじゃ、ないですけど」
正直、この人に誇れるものなんかこの世にない気がする。
でも彼は笑って言うんだ、あたりまえのことみたいに。
「いいよいいよ、そうやってやってればさ、」
いつか火がついちゃって気づいたら自分でも
手がつけられなくなるぐらいになってるかもしれないし。
興味持ったことはやってみたらいい、まだ若いんだから。
「…そんな、お年寄りみたいに」
「あはははは、」
彼はからからとよく笑う。
体育館にいてバレーをしてる時には劣るけどやっぱりいい笑顔だ。
自分もこんな風に他の誰かに思われる日がくるだろうか。
(今日の部活、ちゃんとやってみようかな)
いつもは適当に流すストレッチからちゃんと。
うん、いいかもしれない。
だってほら、彼が言うんだから間違いない。
(よし、)
予鈴が鳴った。
彼は紙のコップをくしゃっと潰して放り投げる。
それはきれいな軌道を描いてごみ箱に吸い込まれていく。
青い空にあとを残すしろいひこうきぐものようだった。
「やった、じゃあな」
「はい」
背を向けて走り出す制服を見送る。
俺もやろう、そう思えた。見上げると、空をはしる飛行機雲。
やれる気がした。
「…………………よしっ」
助走をつけて地面を踏みしめて飛ぼう。
自分の空を、高く。
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