僕には魂の双子がいる。






ゆびきり [A STORY]




わらわないで聞いて欲しい、僕には魂の双子がいる。
魂の双子にこんなことを言うのは照れてしまうけど、
なんていうか、とてもとてもとてもいい人間だ。
ふたりはおなじような夢をみたり、おなじような夕焼けに感動し、
おなじ食べ物が大好きで、おなじような人生を歩んできた。





僕らは春、田舎の小さな図書館で出会い、
おなじ本を取ろうとして、おなじように背伸びをした。
いちばん高い棚をめざして。


「どうぞ」


口を開くのも、喉を震わせるのも、
その本を取られたくなくてすこし頬をうごかしたのも、
ぜんぶぜんぶ同じだった。違うのなんて、外側だけだった。


その瞬間おもった。
「であってしまった。」
映画か小説かドラマみたいだ、とも思った。


それからふたりは電話番号を交換した。
どうして、と言う間もなく、それぞれがいきなり小指をさし出し、
小さな「再会」という約束は完全に果たされることを「約束」された。


とにかく、わくわくしてそれが顔に出ていて相手もおんなじだったことは もうおわかりだろう、
そんな時まで僕らはしつこくシンクロしていた。


その夜の片われが恋しくて頬を伝う涙までおなじだったことを、
僕らは後になつかしく思う。








暑い夏の夜、双子はニヤニヤしながら僕を陥れようとする。


「ねえ昨夜やらしいことしてなかった」
「してませんよしてませんよ」
「そうですか」
「そうですよ」
「目が必死なんだけど」
「そうでもないよ」


今更嘘をついてどうなる。
僕らは恋人同士でも片思いの相手でもましてや理想の相手でもなんでもない。
僕らは双子。ただの双子。


「隠さなくていいじゃん」
「ね」
「みとめるんだ」
「結構恥ずかしいんですけど」
「ひとりぼっちだもんね?」
「うるさいよ」


すき、なら話は早いのになとおもう。
あんまり健全ではないけれど、少なくともこの双子とあいしあえたら、
それはそれで人生がもうちょっと涼しくなっていいと思う。


実際虫も辟易するぐらい、今夜はちょっと蒸し暑すぎる。


「さみしいねえ」
「…そうでもないよ」



いいと、おもうんだけどなあ。








秋、それまで順調にシンクロしていた僕たちに異変が起きた。
そのときの片われの顔を今でもわすれられない。


僕にこいびとが出現したのである。


なんていうか一大事だった。
僕はそれまでの日常に突然じわじわと深く入り込んできた存在にびっくりし、
かつわくわくし、頭の片すみで他のことがちょっと気になりながらも、
なんとかひとを「愛する」というようなことを身体中で満喫していた。


抱きしめるとどくどくいういのち。
これ、なんだろう。
なんで、こんなになまぬるいんだろう。


「明日は、だめ、」
「デートだ」
「ね」
「楽しそう」
「楽しいみたい」
「みたいってなに」
「わかんない、たのしいみたい」


さみしい? と訊いたら、あんまり感じないようにしてるから大丈夫、 とゆるい小さな声を出した。
僕はさすがにそれをどうすることもできなくて、
そしてとってつけたように感じてないならいいか、と思った。
何がいいのか何を感じないのかよくわからなかったけど、
どうしてか曖昧にしておきたかった。
何があっても壊れないだろうと思っていたものが今くずれそうでこわかった。



道端の枯葉を踏むくしゃりという音が、このときはじめて嫌いになった。








雪がつもった寒い朝、僕はふられた。


意外にあっさりしたものだった。
僕よりも素敵な人を見つけたなら仕方がない。
そう思ってそれを口にしたら、ただそれだけでぷつっと電話回線はとぎれた。
失礼だなあと思って、通話を切って、またベッドにもぐりこんで、


しばらくして涙が出てきた。


このベッドはひとり用にすればよかった。
思い出してしまった。おはようと言った顔と声と髪、鼻、くちびる、耳たぶまで。


「……ちくしょう」


消えてなくなってしまいたいとおもった。 というわけで僕は腕を切った。 刃を光らせたかみそりで、すこしずつすこしずつ腕を切った。


「ちくしょう、いたいよ」


それからぷくっと溢れてきた血をみて、ああ、とおもった。
なにか、いい気分になってくる。
痛いんだけど、高揚する。身体が軽い。


「ちくしょう」


それからまたああ、と思った。
これは、つたわっているだろうか。双子に、片われに感じられているだろうか。
だとしたら神さまにお願いしたい。
この気持ちいいほうだけをあっちに伝えて。
痛がってる顔なんてみたくもないよ。
肩を揉んで気持ちいいととろけたあの顔ならすきだから、だからそうして。


僕のためだけど、そうして。














僕は僕を陥れた。
腕を切って流れるものをみて、ただこれが届きませんようにとねがった。
それはたぶんこうして傷を抉るよりも酷い心がけで、
僕は向こう何年かは誰にも許されずに生きるんだろうなと思っていた。




そうしたら、ちがった。














たまらなくなって会いに行った双子は、 その指から血を流していたいようと泣いていた。
それは故意ではなくて不器用な手料理につきもののアクシデントだったけれど、
ちょうどそれをみた僕はどこまでも叫びたくなって、
そしたら片われは大丈夫、と言ってちょっとだけまた泣いた。


指を切ったぐらいでなんだ、と抱きしめると、
どうしてかものすごく痛い、どうしてだろう、どうしてだろうと泣いた。


伝わってしまったんだ、とおもった。
そして、ひどくひどくうれしかった。ただ誰も責められないほどに僕も泣いた。


そうして、ほんの一瞬、思わず、あいしている、という言葉が僕の目蓋をかすめた。





僕に貼られたバンドエイドは14枚。片われには1枚。
おわるころにはふたりの膝の上に紙くずの山ができていた。
全部を話して、いちど殴られて、笑われて、慎重に手当てをされた。
それはあまりに酷く、優しい行いだった。


「またあっさりと」
「ね」
「泊まってくの? 今日」


まっすぐ目を見て言われて、それで動揺したのかなんなのか、
それにさっきの「あいしている」も手伝ったのか、
僕は突然、片われに出会ってはじめてのキスを仕掛けてしまった。


思ったよりもやわらかく生温く、
あまりにやさしくて気持ちが良かった。
手のひらをあてた頬と耳の下と肩と腕と足首がそれぞれすこしずつ緊張していて、
首のあたりを抱き寄せられて、僕は意図的に思考を飛ばした。
いい夢から覚めそうになって、必死で枕に頭を擦りつける、あのかんじとちょっと似てる。



それで、何度も触れて、何度も何度もしてしまった。
今まで双子だとかそういう言葉で曖昧にしたりわからないふりをしていたものを、
どうしてか今は一気に押し流してしまいたかった。
僕らは疲れるとぴったり隙間なく抱き合って、
それからまたくちびるをあわせた。


「…しんどい」
「…ね」


まるで呪われたふたりみたいに、それからしばらくキスをやめられなかった。








「春が、きちゃったよ」
「来ちゃったねえ」


そして僕らは途方にくれた。
わが心の、魂の双子がこの街を離れるときが来てしまったのだ。 ついに。まさについに、という心境だった。


「…まあ、一生会えないわけじゃないし」
「さみしいよ」
「……もう」


何もなくなってしまった部屋で、本当に人生のどん底にいる気分の僕を よしよしと撫でてくれる手のひら、
これも持って行かれる、 そう思うとやっぱりどん底だった。


「たった1年だよ。早かったじゃん、1年」
「………………そうだけどさ」


僕らはこの何週間かで、何度も何度も出会ってからその日までの『記憶』を手に入れようとしていた。
それは実際走馬灯のよう、というやつで、ふたりがかりでやっぱり一晩かからないぐらい、
それでもふたりともおなじところでみた映画の主役のことを忘れていたり、
ふたりで散歩した道に咲いていた花の色を憶えていたり、


やっぱり僕らは双子だった。今はそれがどうしてかとても誇らしい。


「夏にね、1回かえれるかもしれない」
「えっ、ほんとに、」
「内緒にしてようとおもったのにな」


いたずらを失敗したり断念したときの笑顔はかわいい。とても可愛い。


「じゃあ駅までむかえにいく」
「うん、」


でもうれしそうなときの顔なんか、格別だ。








寂れた小さな駅に着くと、僕らは待合室の壁に隠れていちどだけキスをした。
それはあまりにちいさくて、あのときのとは比べ物にならないくらい、
でも夏にちゃんとするってさっき約束してしまった。ゆびきりもきちんとさせてしまった。
きっと、かなう。これはわかる。わかるよ。


「じゃあ」
「うん、」


いつも部屋を出るときの軽いあのあいさつで僕らはわかれた。
案外あっさりと片われは小さな電車に乗り込んで笑い、
その電車はさっさと扉を閉めてさっさと走り出してしまった。
なんてあっけないんだろうとおもった。
ちょっと悲しくなったので、ふたりでゆっくり歩いてきた道を全速力で走って帰った。





きれる息をむりやりなだめながら、僕は鍵を開けて扉を開けて、靴を脱いで扉を閉めた。
締め切った窓をはしから開け放していって、
桜の花びらが勝手に舞い込んでくるのをただぼんやりとながめていた。


そういえば、あの本はどこにあったっけ。
あの日、ふたりがどうしても読みたかったあの本。
どうしてもゆずりたくなくて、だからどうしてもゆずりたくなった僕は、
それを出会えた記念ということで片われに押しつけ、本屋へ直行したのだ。
ありがとうと言ったあのときの照れくさそうな嬉しそうな申し訳なさそうな笑顔が、
もしかしたら僕が今まで見た人間の中でいちばんの「いい顔」だったのかもしれない。


「…ここら……へんに…あった、」


分厚いハードカバーはあのころと同じ、手のひらにやさしくくすぐったかった。
くり返し何度も読んだところを開いてみる。と、


去年の桜の花びらが、
僕らがあのころあいして止まなかった言葉たちのうえにひらりとすべり落ちていた。


「………………」


なんだか胸がわくわくした。
手のひらがうずうずして抱きしめたくて、やっぱり僕は今半分なんだなとおもった。
うたうと、すこし、恋しい。


「はーるよー…とおき、はーるよー…」


桜の花びらをこぼさないように静かに本を閉じて、
それを枕に僕はやわらかいソファのうえに寝転んで目を閉じた。


「あー、夏ー、はやくこーい……」





それを飛びこえた来年の春、またこの場所でするキスとゆびきりを心待ちにしながら。











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そんなかんじです。








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