This Flow





 どたばたとまるで流されるように始まったものではあったけど。


「お兄さん、聴いてってよ」
「……」
「俺歌はヘタだけどさ、ギターの腕は結構いいよ」
「……金でも稼いでんの?」
 言ってからちょっと不躾すぎたかと思ったけど言っちゃったもんはしかたない。それにそいつはにいっと口の端を横に広げるようにして、笑った。
「稼いではない。でもくれるってんならもらっちゃう」
「誰がやるか」
 それからその妙な馴れ馴れしさを持ったストリートミュージシャンの下手クソな歌にしばらく付き合ってやった。客は終始俺ひとりだけだった。ギターの腕は、まあまあだった。


 それからそのストリートミュージシャンと俺は、意気投合するでもなくなんとなく馴れ合って打ち解け合ってしまった。仕事帰りに姿を見つけてはふと立ち止まってしまう。それは次第に習慣になる。
「え、くれんの?」
「やる」
「えー、ありがと!」
 たかが缶コーヒーにそこまで喜ばれても困るんだけど。
「最近ちょっと寒いからさ、」
 夕日の方角を見て、ちょっと小さめの声で言った。
「寒いか?」
「…涼しい?」
「日本語は正しく使え」
「でも俺ちょっと冷え性」
 両手でぎゅっと缶を握りしめていひひ、と笑う。
「ちょうどよかった、弾けそうになかったんだ」
 その日も次の日も、家に帰り着いたのは午後10時過ぎだった。


 ある日の俺は仕事でつまらないミスをしてしまって相当落ち込んでいた。ストリートミュージシャンにもそれはわかってしまったようで、その日のそいつはほんのちょっと俺を気遣っていた。それもちょっと、情けなかった。
「元気が出るまでうたってやろう!」
「遠慮したい」
 こいつの歌声は正直耳に刺さる。いい意味でも、悪い意味でも。声質かなと思うんだけど。
「何が好きだ」
「好きな曲とかないし」
「えー、なんだよもー」
 そいつはごうごうと困った雰囲気を身体中から発していたけど、しばらくしてそれも収まってしまったようでまたギターをぽろぽろ弾き始めた。
「お前、ギターだけはうまいよな…」
「だけえ?」
 へらへら笑いながらとある名ギタリストのとある有名な曲のフレーズを弾いてみせる。ああ、俺この歌嫌いなんだけど。
「これさあ、いいよね? 俺これ好きなんだ、」
「そ………」
「ん?」
 あれ? え、いや、俺は嫌い、だけど…、……あれ?
「…あー…?」
「なんだよう。…なあ、この曲好き?」
 うわ、ちょ、なんでそんな澄んだ目で俺を見るんだ。
「……好き、かも」
「そ、」
 満足ですと顔に書いてあった。俺はひとつため息をついた。仕事の辛さがゆるりとギターの音に溶けて消えた。


 いくつだとか何をしているとか、そういうことはきかなかった。帰りの電車の中でふと思い出して今日はいるかなとかそういうふうに思うようにはなったけど、いないならいないでまっすぐ家に帰ったし、その程度だった。
 なのに。それなのに。
「ねーねーサラリーマン、」
 俺はおともだち、を紹介された。
「これね、あたらしいボーカル」
 がくんと世界が揺らいだ気がした。倒れこんだりしたらかっこ悪すぎるからなんとかふんばったけど。
「はじめまして」
 自分の声か新しいボーカルの声かなんてもう、わかりもしない。
 それからどうやって家に帰って飯を食って風呂に入って寝たのか覚えていない。でも身体の習慣か目覚し時計をセットするのだけは忘れなかった。いつもどおりきちんと会社に行く道のりでふと思った。そうだ、今日はちょっと行くのやめてみよう。明日はどうするかわからないけど、今日はなんていうか会いたくない。
 わからないけど。どうしてかは、わからないんだけど。





 それからしばらくストリートミュージシャンには会わなかった。あの日がつけた勢いはたいしたもので、なんだかすっかり足が遠のいてしまっていた。まあ家へ帰るのが早くなったぐらいでなんともなかったけど、なんだかやっぱり朝起きたときの張り合いはないなって感じがした。
 まあでもやっぱり、ちょっと淋しいってのはあるかもな。
「……サミシイとか言ってんじゃねー俺」
 まあほら、うん、ちょっとだけだけど。


 しかし世界は急激に姿を変えるのである(ほんと、目を見張る速さで)。俺はそんなこと思ってたつもりはなかった。少なくとも、その瞬間までは。


 駅の出口での出来事だった。いつもは別の出口から大回りして帰るんだけど、その日は会社帰りに本屋で時間を潰せたしもういないだろうと思って油断したんだ。
 脇道から犬でも飛び出してきたのかと思った。
「こらあああっ!」
「…っ!?」
 肩のあたりに強い衝撃。思わずカバンを落としてしまった。
「なんだよなんだよサラリーマン!」
「…えっ、」
 ストリートミュージシャンだった。そのままごんごんと頭突きをかましてくる。
「な、おま」
「待ち伏せとかしちゃったじゃねーかこーのーやーろー!」
 胸倉をつかまれてぐいんぐいんされた。そいつはとりあえず怒っていた。あとから来る人や駅に向かってくる人なんか気にもしないで怒っていた。俺に向かって。
「待て、待てって、」
「待つか待つか待つか!」
「いいから止まれ!」
「うわっ!」
 ストリートミュージシャンの背中でさかさまになったギターを掴んで引っぱった。おもちゃみたいに振り回されてくれたので慌てて両手で受け止める。ぎゅっと両腕を掴んでもまだそいつはぐうぐうと唸っていた。気の立った犬みたいだった。
「とりあえず静まれ」
「うう…っ、う……」
「よしよし、」
 ポケットに入っていたガムを渡した。ストリートミュージシャンはそれをひったくるみたいにして奪い取り口へ放り込む。
「…俺ミントきらいなんだけど!」
「知るか」
 もぐもぐもぐもぐ、と意地だけで噛んでいてなんだか無性におかしかった。


 それからいつもの場所でストリートミュージシャンは地べたに座り込んだ。俺はその様子を向かいのすこしはなれたベンチに座って見てた。あの「あたらしいボーカル」は影も形もなくて、俺はほっとしたのを気づかれたくなかった。だからすこし、離れて見てた。
「なんでそんな遠くいんの」
「…」
「聴こえんの、そんなんで」
 口を開いたら余計なことを言いそうでなにも言えなかった。そしたらストリートミュージシャンはひとつ俺をにらんでから例の「好きな曲」を弾き始めた。
 言ってやろうかと思った。ほんとはこれ嫌いなんだって。好きかもと思ったのは間違いで、ほんとは、嫌いなんだって。
「………元気そうだな」
 試しに口を開いてみたらなんだかひどく間抜けだった。ストリートミュージシャンは顔も上げずに呟くように返してくる。
「そう見えるか」
「……、」
 何とも言いようがない感じの悲壮感が漂っていて、俺はガムもう一枚食うか、としか言えなかった。だってなんか全然違う。全然へらへらしてない。
 怒ってるのか。だとしたら理由は。…、理由、は。
「何で来なくなるの」
「あ…、え?」
「なぁんでいきなり来なくな」
「わかったわかったわかった、」
 サイレンのような声がそこら中に響きそうになって、慌てて走りよって口をてのひらで塞いでしまった。ちらちらとこっちを伺う仕事帰りのサラリーマンの視線が刺さる。
「小さい声で、どうぞ」
「……、」
 ストリートミュージシャンはすう、とひとつ大きく吸って、俺の目の前で話しはじめた。ふたりして背中を丸めて顔をつき合わせて、道端で内緒話するみたいな格好になった。おかしかったけど笑うわけにもいかなくて、アスファルトを突き破って生えた雑草を睨みつけた。
 なんでいきなり来なくなったんだよ、俺びっくりしただろ、ばか、俺なんかした、俺全然ギター弾いてても楽しくなくなって、うた歌ってくれるっていってたくせにあいつどっかいっちゃった、なんで、なんで俺なんかわるいことしたんだ、なんで、なんで?
「………、あいつと組むんじゃなかったの?」
「そうだよ、そう思ってたよ俺はっ」
 ギターはうまいけど歌はイマイチだから、だから自分がつくった歌うたってくれるボーカル見つけたんだろ。自分の半身みたいに大事にできる人間、見つけたんだろ。
 そう考えて、止まった。ちかっと光るなにかがあった。それは視界の端に映る街灯かもしれなかったし、もしかしたらもっと特別な、なにか。
(自分の半身みたいに)
(自分じゃないほかの誰かを?)
「……、……ああ、」
 ああそうか。なんだ、そうか。
 だからあの時、立ち眩みみたいなのが、したんだ。


 わかってみれば至極簡単なことだった。そりゃ認めるには勇気が要るけど、どうあっても動かしがたい事実。
「サラリーマンが来なくなってさあ、弾いても楽しくないんだもん」
 あの曲嫌いだって言うんだ、あんないい曲なのに嫌いなんだって、変なの。
 小さな声だった。聞き逃すまいとして神経を集中させる。自分の中のちっぽけで悲しい反応だったけど、でもやっぱ大切にしないといけないと思う、こういうのは。
「…それは人それぞれ好みってもんが」
「でもさあ、」
 ストリートミュージシャンがふくれながらたくましく生えた雑草をぶちっと引っこ抜いた。眉間にしわが寄って、なにか色々台無しだなと思った。そして俺はあの曲を嫌っていたという事実はもう一生こいつにはばらさないでおこうと決めた。単純でばかばかしいかもしれないけど、もしかしたらいつかばれるのかもしれないけど、でも、それでも。
「なんで楽しくなくなったの」
「えー……だってサラリーマンのが俺のギターわかってくれてたもん」
「あいつは、駄目だったの」
「え…………そ、…だめじゃ、ないけど…」
 ああああ、言ってて卑怯だってのがわかるぞ。いま痛いとこついてるぞ俺。
「俺そんなにお前のことわかってたつもり、ないけど」
「う…………、」
 …でもまあやっぱり、素直になってしまおう。うん。
「でもさ、やっぱわかってるよな、俺の方が」
「な……、」
 あ、のかたちで固まった口。それからすぐにぐっと目が潤んできた。それをぼうっと眺めながら思う。伝わってんのかな。何が、伝わったのかな。
 …まあいいか、自分が今いいたいことを言ってしまおう、これも流れってやつなんだろう。うまい具合に流されて、ついでにこいつが笑ってくれるといいなあ。
「お前のギターいいよ」
「…、」
 ぼろっと落ちた涙が街灯に照らされてちかっと光る。あれ? 泣いてるよこいつ。
「世界一だよ。俺的に」
「うあ…、」


 それからの話ってのは特に進展があったとかそういうのはなくて全然つまんないんだけど、その日はちょっとした変化があったっていうか。
「あ、サラリーマン、おかえり!」
「おか……? た、ただい、ま?」
「おかえりおかえりおかえり!」
 じゃかじゃかと無駄にかき鳴らされるギター、はしゃぐストリートミュージシャンと疲れたサラリーマンが暮れはじめた駅前広場に突っ立っている。てゆうかおかえりとかはじめて言われたし。な、なにこの変な感じ!
「おかえりおかえ…っくしょい!」
「寒…!」
 吹きぬける風。見晴らしのよすぎるこの場所にこの状況に…乗っかっとく?
「…寒いな」
「さむいわーさっきから無理しないと弾けないのよー」
 駅からの人波もひととおり途絶えた。この場所はクソ寒い。こいつ冷え性。俺だって寒い。人がいない、他に聴くやつは居ない、商売あがったり、ここに居る意味ナシ、よっしゃ!
「おいっ」
「おかえり〜おかえり〜サラリーマン」
「おい聞け!」
「なんだよー、人がせっかくおかえりの歌を」
「俺んち来ないか!」
「行く!!」
 勢いまかせで、どこまで続くやら。


「お泊りお泊りうれしいなー」
「泊めるって言ってないけど」
「えー!?」





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