|
メアリーズ・ジョーク
まず顔がいい。
背はそう高くないけどすらっとしていて笑顔が爽やか。
劇団だかダンススタジオだかに所属したり通ったりしている。
校内にファンクラブがある。校外は知らない。
登下校時には他校の女子にも囲まれている。
これをアイドルといわずしてなんというのだろうか。
そしてこれが俺の幼なじみ、良くできたジョークのようなお話だ。
「なにひとりでぶつぶつ言ってんの」
俯いた旋毛のむこうがわから声がきこえてくる。
アキラだ。これが俺の幼なじみ。
しかし俺はただいま壮大な冒険の真っ只中なのだ、
手の中にあるゲーム機から目を離すわけにはいかない。
「んー、別に」
「ユーウ、顔ぐらいあげろ!」
「んー」
自分のやる気を押し殺した感じの声を聞いた途端、
主人公の長剣がでっかいドラゴンにクリティカルヒットした。
自分はただのゲーオタで、ブサイクで、しかもなんていうか、暗い。
だからこのアイドル並みの幼なじみがそばに寄って来るだけで、
なんていうかまわりの視線が刺さるのだ。
不釣合いとかなんであいつと友だちなのとか、
そんな俺にはどうしようもないことを無言の圧力で押し付けてくる。
「……幼なじみごとき」
そう、それぐらいなら俺にも納得がいったと言うか。
納得せざるを得ないんだろうなとは思うんだけどさ。
事態は世界が思いも寄らない方向へとすでに進んでいるのである。
「ねー、帰ろ」
「あー…うん」
クラスも違うのに学園のアイドルはといえば、
HRが終わると同時に飛んでくる。
たまにあっちが早いと廊下で待ってることもあるんだ、
俺にはもうそれをどうすることもできない。
遊びに行こうよとかもう帰っちゃうのとか、
そういう学校中の言葉を綺麗にかわして歩いていく。
その横で俺はまた無言の圧力を頬っぺたにびしびしと感じている。
校門を過ぎたからってそれが止むことなんてない。
バスに乗ったりしたら大変だ、あれはひどいタイプの密室だ。
「宿題やってからビデオ見よう」
「あ、俺、」
「ゲーム? やってていいよ」
「うん、」
こいつといると非常に楽だ。
言わなくても言葉の先をわかってくれるし、
なにより気をつかわないですむ。
同じ部屋でお互いが全然違うことをしていても気にならない。
ただの幼なじみならこんな苦痛を味わう前に切っている。
なによりあいつが俺なんかとは居られないはずだ、
…俺ブサイクだしゲーオタだし友だち居ないし、
いいのかなあとは思うよ? 思うけどさ。
「あー、着いた着いた! おばさんいる?」
「いない」
「ほんと?」
アキラの家を斜向かいにして立つ小さな一軒家の門を開ける。
鍵を取り出して差し込んでまわして引っこ抜いて。
もどかしいというのはこういう時間を言うんだろう。
ちょっとだけだけど手元が狂う。
「はは、慌ててる」
「うるさい」
ばたばたと玄関に転がり込むと同時に、
背中にとん、と軽い衝撃。腹の辺りに腕がまわる。
アキラが人の不在を確かめたのはこれのため。
いつも靴を脱ぐのも忘れたまま、玄関でしばらくこうしてる。
「あー……ただいま」
「おかえり」
「やあっとくっつける」
「ん、」
「うれしい」
ああ、この世界はほんとうに間違っていないんだろうか。
神様。
つまりは、こうだ。
アキラは俺のことが好きで、俺もアキラのことが好き。
現実はゲームみたいにうまくいかないって思ってた。
全部を知ったとき、拍子抜けしたのを覚えてる。
まさしく腰が抜けた。それを見てこいつは笑ってた。
わらってたんだ。
「冷凍庫」
「え、」
今日来るってわかってたから、昨日のうちに買っておいた。
「あ、アイス、しかも新作!」
「うん、」
「うわこれすっげ食いたかったの」
「うん、」
「えー、嬉しいわちょっと」
テンションがあがるとおばさんみたいな喋り方になる癖とかも。
「ありがと、」
「ん、」
なんかもう全部、すきなんだ。
楽しそうに嬉しそうににこにことアイスを食べ終わって、
やっとアキラは教科書やらノートやらを取り出す。
それを横目に俺は携帯ゲーム機の電源をオンにする。
俺は宿題は睡眠時間を削ってやる、もったいないから。
勉強しながらだとダメだけど(結構集中するから)、
ゲームしながらだったら気配がわかるから。
…ちょっとキモいかも、自分で言ってて。
「よし終わった! ビデオビデオ」
敵をばっさばっさとなぎ倒していた剣を収めて、
嬉しそうな声に顔を上げる。
ごそごそとカバンを漁って取り出されたビデオテープ。
セーブしますか、の文字にはい、と答える。
ふっと途切れた真っ黒な画面に自分の顔が映った。
うわ、テンション下がる…。
「…………、」
「どした?」
「ん、なんでも」
「よし、じゃあ再生」
わくわくを抑えたような声だった。
そして今こいつは再生ボタンを押すその運動の惰性で
俺が座っているベッドの上、俺の背後に回った。
あまつさえ俺を脚の間に入れようとしてくる。
「おい、」
「ほらほら、見る見る」
結局抱えられてしまった。耳が赤いはずだ、きっと。
「これね、…これ、ここ!」
「あー……」
ビデオは深夜に放送枠のあるオーディション番組だった。
まだ放送はされていなくて、これは局からふんだくってきたそうだ。
「すっげ緊張した」
「してるな」
顔のいいアイドルのような男が10人ぐらい並んで話してる。
結局は落ちたそうだ、このオーディションには。
出来レースか審査員の見る目がなかったんだろう。
……でも。
「楽しかった?」
「え?」
「あ、」
心で思ったことを素直に口に出してしまった。
学校じゃ全然大丈夫なんだけど、家ではガードが緩くなる。
「なに?」
「えー……」
どうしよう、ほんとにちらっと思っただけなんだ。
ブサイクでゲーオタで暗い俺がこんなこと言うのおこがましいって
わかってるからあんまり追求しないでほしいんだけど、
無邪気に覗きこんでくる視線が痛い。
「なんてなんて、」
「悪い」
「いいから。なんて言ったの」
「こ……」
口から意味のない音を発してしまった。
どうにかして言い逃れようとした俺をあろうことか
後ろから抱きしめてきたのだ、
本当なにをするかわからない、こいつは。
「あ、の」
「なあに」
耳元で声がした。
今自分が結構最強に真っ赤なのを感じる。
ドラゴンが吐く炎なんか目じゃないほど、熱い。
立て直せ俺、とりあえずちゃんと喋れる程度に。
「言って」
「……、楽しかったか? これ」
「オーディション?」
「ん、」
「たのし…かったって、いうか…」
「……、」
考えごとをするとき、何かを弄ぶ癖もある。
現に俺は今、こいつのおもちゃだ。操り人形だ。
逆らうと思考を邪魔するのでやりたいようにさせておく。
ぐいんと持ち上がる自分の腕を見ているのはやっぱり
なんか変な感じだ。
「楽しくは…なかったかな」
緊張してたし、周りと仲良くなるような暇もなかったし。
ぽつぽつとした言葉と一緒に腕は解放された。
あたたかい支えを失ってフローリングの上に落ちそうになる。
なんとか意識を保って手のひらを握りしめた。
背中にはまだその体温がある。
「なんでそう思うの」
するっと体温がはなれたけれど、まだ熱は残ってる。
あったかいを通り越したな、なんだか暑い。
こんなこと言っていいんだろうか。迷うな。
「言ってよ」
…いいか、なんか、暑いし。
「ウチに居るときの方が10倍可愛い」
「……っ、」
背後でがたっと気配が動いた。
なんだ? まあいいか。
「緩んでないからだろうけど目つき、鋭いし」
「え」
「こういうときは背筋意識しろ、顔が暗く見える」
「あ、」
「手がそわそわしてる。俺いないんだから後ろで組んどけ」
「わ、」
「髪もセットしすぎじゃない? ふわっとしてる方が好きだけど」
「ま、待って、」
「引き攣ってる。さっきアイス見つけたときの笑顔はどうした」
「待て待て待て待て!」
ん?
「何?」
「なにって……っ」
「うわっ、わっ」
ばたばたとベッドをおりて背後から抜け出し、
正面からがばっと抱きついてきた。
「……えっ」
「ううううう」
膝の上に乗っかられて、自由に動くのは両腕だけだ。
茶色い髪越しにあわあわと持て余した両手のひらが見えた。
アキラが肩のあたりでひどく唸っていて、
どうしていいかわからずに俺はとりあえずその背中を撫でた。
「うううううう」
「ど、…した?」
「なんで…、」
「え?」
あれ、心臓、すごい。
「な、なんで抱きしめないんだっ」
「えっ?」
「あ、や……」
「ん?」
聞き返すとアキラは深く息を吐いて、吸った。
「…なんでそんなに俺のことわかってくれてんだ、」
「…、」
「俺が言って欲しいこと全部言ってくれる」
「……でも」
「お前が言いたかったことが俺が言って欲しいことだったの!」
「……、」
思わず、抱きしめてしまった。
「親に見せてもがんばったねって言われたんだ」
普段はあんまりこういうことはしないんだけど、
ぎゅっとくっつくように抱えなおした。
「お前だったらわかってくれると思った」
「…うん、」
「なんで、わかったの……」
泣いているみたいだったから。
家にも学校にも彼を褒める人間はたくさんいる。
たくさんの人間に賞賛されて憧れられて、
傍からはそれを易々と受け入れているように見られている。
でも。
「他の人たちがわかってないって言うんじゃないけど」
「うん、」
「ユウがそういう風に言ってくれるの、すごい嬉しいんだ」
「うん、」
「ちゃんと、俺のいいとこも悪いとこも、言ってくれて」
「うん」
「俺のことちゃんと見ててくれてありがと、」
「…うん、」
「すっごい好きだ」
「……、」
たとえ間違っていても、この世界は俺が守ろうと思う。
「大好きだ」
「うん……、」
風の吹く昼休みの屋上。
顔は見れそうにないのでまた旋毛越しに話している。
「でも嫌じゃないの俺」
「なにが?」
「暗いしゲーオタだしブサイクだし」
「…、そんな風に思ってたの?」
暗いんじゃなくて口数が少ないだけでしょ、
ゲーム好きなのは誰にも迷惑かけてないんだからいいじゃん。
「…俺ぜんぜん気づけてなかったな…」
「いや、」
アキラは申し訳無さそうな顔をしてるけど、
俺としてはそんな風に言われるだけで充分嬉しいんだけど。
「ごめんな? …それに、」
「ん?」
顰められた声にふと顔をあげるとそこには綺麗な顔のどアップ。
「…、」
「ブサイクじゃないよ?」
「…………」
お前に言われても的なところはまあ、あるが。
いや、そうじゃなくて、…贔屓目? っていうの? とか。
いやなに言ってんだ俺。違う違う。
「…いいよ」
「ほんとだって、中の上!」
「お前な…」
「なんでなんで、ホントだよ」
「俺見られてるし」
「ん?」
「お前と歩いてると」
「視線感じる?」
「ん、」
「それって自分が見られてるんだよ、」
「…だから、」
「みんなかっこいいって言ってるよ? ユウのこと」
「……はあ?」
ありえない、にこにことたちの悪い冗談。
俺ゲーオタだぞ? 暗いし第一友達が居ない。
「そうじゃなくて、ユウが下ばっか向いてるから」
「下……」
「話しかけづらいみたい、でもみんな見てる」
「……そうかあ?」
全部俺の思い込みなの?
こいつ俺に滅多に嘘つかないしな、どうだろ。
もしかして四六時中こいつと一緒に居るから声かけられないとか?
うわ、ありえる。
「ユウを嫌ってるのなんて聞いたことない、」
「………それはお前が……」
「ん?」
「…まあいいけど」
「ほんとだってば」
「うん、」
「でもさ、」
「うん」
「俺としては都合がいいかも?」
「…………」
可愛いこと言っちゃって、
それににこにことまあ、爽やかな笑顔の大サービス。
「なんちゃってー」
「俺は」
手がポケットのゲーム機に伸びようとするのをぐっと抑えた。
冒険の世界に飛んでる場合か。
あの日以来、俺はちょっとだけ現実に強くなった。
喜ばせてやりたいと、もっと強く願うようになった。
「俺にはお前が世界一だ、」
「……ッ、」
その後、このときの抱擁がピンボケも甚だしい携帯電話の
カメラ画像となって出回ることになる。
顔なんてほとんど映ってないからいくらでも誤魔化せるけど、
アキラはどこからか送られてきたそれを大事に保存して、
人のいないところでときどき見てる。
「どうすんだ」
言い訳してまわる様子もないのでちょっと心配になってる俺。
そんなことには構わずに、今日もまた携帯をのぞいて
にやにやしてるアキラ。あー、台無し。
「どうもしない」
「いいの」
「なにが?」
またすっとぼけて。
「でもメアリーががんばり出したからまたお預けかな」
「メアリー?」
アキラは嬉しそうに笑っている。
それならそれで素晴らしいんじゃないかと思うあたり、末期かも。
「壁に耳あり障子に目あり、で、メアリー」
冗談のようなことをにこにこと笑いながら言ってくる。
今日も学園のアイドルは絶好調だ。
「続きは家に帰ってからね」