あおぞらの種





正直、高校生活にはあんまり期待していなかった。
中学で仲の良かった友だちとも離れてしまったし、
人見知りってわけじゃないけどそんなに積極的な性格でもない。
なんとなく毎日をやれればいいやと思っていた。
部活はしてもしなくてもいいらしかったので、
とりあえずは帰宅部だなと思っていた。
掲示板に貼られた小さな手書きのポスターを見るまでは。



「の、農園部……」

ぎこちなかった空気に少しだけ慣れはじめたある放課後、
下駄箱のそばにある掲示板で完全に足が止まってしまった。
真っ白な紙に太いマジックで書いてある、すらりとした文字。

「…、」

農業に興味があるわけでもなく、しかし自分は目を離せない。
自分をとらえてしまった文字列をもう一度確かめて、唸る。

(やばい、)
(やばい、昨日までこんなの貼ってなかったのに)
(しかも何にも言ってなかったし、)
(……言われるわけないか、喋ったことねえし)

自分の中身は相当単純に出来ているなと思った。
『顧問:ナカノ、連絡は家庭科準備室または職員室まで。』

「ナカノ…」

ああ、なんで家庭科の教師が農園部なんだとか、
そういうことはもうすでにどうでもいい。
そんなことは問題じゃない。
自分が農園部などという得体の知れない、
(まあ十中八九土いじりだろうけど、)
そんな部活をやろうだなんてそんな気になってるってこと。
アサガオだってヒマワリだってヘチマだって
ことごとく枯らしてきたくせに、
そんな過去をもはねのけようというこのやる気。この挑戦心。

「のうえんぶ……」

呟いてからはっと気づいてあたりを見渡した。
農園部の勧誘ポスターをあまりにガン見しすぎた自分がいる。
わけのわからない恥ずかしさに苛まれた。
だいたいなんだ、顧問の名前につられるって。
おかしくないか、入学式のとき見かけただけの教師だぞ。
……あれ、おかしくなくない? あれ? え?

「…か、かえろう、今日のところは…」

なんだか慌てて下駄箱まで急ぎ足で歩いた。
びしびしとその背中をつつくように、
人影のまばらになった廊下にチャイムが響き渡る。





ここまで積極的になったことがあっただろうか。
なぜか昨晩のうちに、どうやらおかしくなくないぞという
方向で心が決まってしまった。
つまり人生で初めてナカノに接触しようということに、なった。
朝起きた頃にはすっかり昨日とは違う自分が出来上がっていて
自分でもちょっと慌てたけど、
なんだかおかしい、でもこのまま見なかったふりするって
ちょっと、いやかなり、いや全然、違うような。

(相手は教師…相手にしてもらえるかな?)
(でもあんまりやなやつだったら帰ってきちゃおう)
(やなやつには見えないけど…)
(てゆうか相手ってなんだよ相手って!)

「や、そこは、振り切っていこう…?」

自分で自分を励まそうにもなんだか力が入らない。
人の多いところでは誰かに下心を見透かされそうだったので、
職員室には寄らずに特別教室棟に走った。
そこにいればいいなと思って文字通り走った。

(…し、したごころ…)

息をととのえてから思い切ってノックした。
はあい、とやわらかい音がかえってきて気が動転しそうになる。
失礼します、とどうにか声を出して扉を開ける。

「どうしましたかー」

(うわああああ…)

保健室の先生のような応対の仕方。
自分が考えていたとおりの光景がそこにあった。
ナカノは机の上にファイルやら本やらを散らかして
その隙間に埋まっていた。

(か、かわい)

ナカノがぐるぐる回る椅子を鳴らして立ち上がった。
180センチある自分よりだいぶ小さい。
入学式のときあった着任式で見た、そのままだ。

「君は、1年生ですね、」
「あ、はい、あの、」
「どうしましたか」
「は、あの……」
「?」

ああ、にこにこと首を傾げてこっちを見ている。
心の中で50回ぐらい可愛いと唱えたところで覚悟を決めた。
あんまりガン見してなんにも言わないと不審者とおんなじだ。
すう、と小さく息を吸い込む。

「農園部、に、」

言った途端、ナカノの目が輝いた。
破顔するというのはこういうことを言うんだろう。
きらきらというかぴかぴかというか、
そういう風に目の前がまぶしくなったような気がした。

「ほんとですか!?」
「あ、ほ、ほんとです、」

両手をとられてしまった。

「!?」
「ありがとうございます、え、ほんとですか?」
「あ、はい、え、あの……っ」

動転してしまった。
憧れていたというかそいういう人間にいきなりこう、
ぎゅっと手を握られて……洗えるだろうか、これ。

「あの、気が変わらないうちにこれ、書いちゃってください」

ナカノはひきだしをがたがたと鳴らして開け、
入部届と印刷された小さな紙を見つけだした。
気が変わらないうちにって、
気が変わることなんてあるわけがないんだけど。

「嬉しいです、誰も来てくれないと思ってたから」
「はあ。…………俺ひとり、ですか!?」
「はい、今のところ」

なんてこった。

「……、」
「活動はそんなに多くはならないと思います」

なにをやるかにもよりますけどね。
ナカノが丁寧な言葉でやわらかく喋る。
式なんかのときはそうなんだろうけど、
普段でも敬語なんだ。初めて知った。
そう、入学式でみつけたはいいもののナカノは
俺のクラスの受け持ちではなかったのだ。
ちょうど手前のクラスまでがナカノの担当で、
もうひとりの家庭科教師の非常に人の良さそうな
おばさん先生を恨みそうになってしまった。
お門違いもいいところだ。

「畑に興味があるんですか、珍しいですね」
「あ、いや、それが」

どきんとまた心臓がいやな音を立てた。
イメトレというのはとても大切な修業である。
昨夜もやもやとしながら想像したこのやりとり。
結局なんて言ったらいいかなんて思いつかなかったんだけど。

「実は、こういうのやったことなくて…」
「え、そうなんですか?」

不思議そうな顔にぎゅっと手のひらを握る。
物事は最初が肝心とはよく言ったもの。
しかし俺はこの人には嘘をつかない。
見栄を張ったり気をひいたり、そういうことで絶対に
嘘は吐かないってそれだけは決めてきたんだ。
…まあいきなり「あなたと一緒にいたいんです」じゃあ
いきなりすぎてドン引きだろうし。

「…コマーシャルで見たんです」
「はい」

口が勝手に喋りだした。
頭のすみであれ、と自分の声がする。
でもそれが嘘じゃないことがどうしてかわかった。
喋るうちに確信が持てた。
だって、俺はこの人に嘘はつかない。

「高校生が音楽聴きながら土耕す機械押してんの」
「ああ、ありましたね!」

またぱっと光ったような笑顔でナカノが頷く。
ああ、ほんとかわいい。

「俺ずっと運動ばっかりやってきたけど」
「そうなんですか」

ナカノはいちいちきちんと相づちを打ってくれた。
見上げてくる目できちんと話を聞いてくれていることがわかった。
見た目を裏切らない人柄の良さだ。

「掲示板のポスター、見つけて、」
「ああ、ありがとうございます」

にこにことかわいくて、こっちまで嬉しくなる。
…こういうのには、覚えがある。

(この人、いくら可愛くても男、なんだけどな……)
(ああ、でも近くに居たいんだ)

たぶんもう、自分はほんとにこの人の、ことが。

「…新しいことやってみるのもいいんじゃないかって、思って」
「うんうん、素敵ですね」
「……、はい、」

口からでまかせ、みたいな感じもしたし、
前からずっとそう思っていたような感じもした。
なんだか不思議な気分だった。
なによりナカノがにこにこと笑っていて、
悪いことは言わなかったんだと安心できた。

「せっかくの新学期ですからね」
「はい、」





こうして農園部への入部が決まって1週間。

「来ませんねえ…」
「…ですね」

まあ自分としては、願ったり叶ったりというか。

「一応ポスターだけは貼っといたら誰か来るかも」

あれからいくら待っても俺以外の入部希望者は現れなかった。
体験入部やらの猶予期間の1週間が終わってしまったことになる。
ナカノはちょっとつまらなさそうにしてるけど、
こっちとしてはなんていうか、濡れ手に粟?
…ちょっと違うか。

「まあでもそろそろ何を育てるか決めないといけませんね」
「花ですか」
「ふふふ、それがですね、」

ナカノはなんだかやたら楽しそうだった。
俺はそれが嬉しくて楽しくてしかたない。

「野菜を育てて収穫、料理して食べようと思います!」

うっわ、手料理!!

「賛成、」
「やった、じゃあですね、」

ばれなかっただろうけど一瞬にしてテンションが
針を振り切ってしまった。
ごそごそと机をあさる後姿すら可愛い。
もうどうしてくれようかという感じで俺は、
しなくてもいい咳払いをわざとらしくしてしまった。

「苗を買いに行こうかと思います、」
「あ、ハイ」

じゃじゃーんとばかりに目の前に突き出された園芸店のチラシ。
野菜の苗の写真がたくさん載っていて、
ほんとにこんなものつくれるんだろうかという不安と、
ちゃんとできたらナカノの手料理という
目の前ににんじんをぶらさげられた馬のような気分で複雑だった。
あ、だから園芸部じゃなくて農園部だったのか。

「へえ、結構いろいろありますね」
「はい、どれがいいですかね」
「んー、…いちごなんかできるんですか、」
「できますよ、やったことないですけど」
「あ、ないんですか」
「はい、畑耕したことないですから」
「あ、そうですか……え?」

思わず顔をあげた。ナカノはにこにこと笑っていた。

「耕したこと……ない?」
「ありません。…あれ、言ってなかったですか?」

かたっと首を傾げて言う。か、可愛い!

「わ、すみません、僕園芸は素人です…」
「そ、そうなんですか…」

ああ、かわいい。
そういえばこの一週間、具体的な話ってなにひとつ出なかったんだ。
可愛いと思った記憶しかない。
でも俺せっかく喜んでたナカノを悲しませたくない。
けど素人ふたりで耕すとこからやるのか。
うわ、こりゃがんばんないと手料理は遠いな。

「いいですよ、謝らなくて」
「すみません…」

ああ、しょげてしまった。クソ可愛い。
どうしてくれようかというお話ですよ。ほんとに。

「いいですから、じゃあいちごにしましょう」
「はい…、がんばります」

だんだんどっちが教師でどっちが生徒なんだか
わからなくなってくる。

「あとナスもいいかも、」
「迷いますね、」

あ、よかった、復活した。
チラシを覗きこんでいるナカノにばれないように
そっと目だけをそっちにやった。
ああ、ほんとに小さいな。かわいい、この人。

「じゃあ見に行って決めましょうか」
「は……い?」
「今から買いに行きましょう!」
「えっ、い、今から!?」

にこにこと笑うナカノを見ながら思う。
ああ、心で思ったのと別のことを言ってしまった。
この人に嘘はつかないと決めたのに。
ほんとうはふたりでですか、って言いたかったんだ。
へ、変だろうから、言えないけど。

「行きましょう、やっぱり自分の目で確かめないと」
「……、」

そのとおりだなと思った。
こんな風に話をするまで、
ナカノがこんなに可愛いってことも知らなかった。
知れてよかったと本当に思う。
迷ったまんま放り出さなくて良かった。
やっぱり触れてみないとわからないことって、あるんだ。

「農園部の部活動、初日ですよ」
「………、はい、」

ナカノの笑顔を照らすようにチャイムが鳴った。
世界は今、昨日とは別の色をしている。





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