どちらが言い出したわけでもなく――私たちの暮らしは始まった。あの子には帰る場所がなかったし、こちらには拒む理由がなかった。一緒に暮らすようになったからといって、特別何かが変わったわけでもない。私はいつも通りの暮らしをしていたし、あの子は好きなように外を駆け回り、私が外出先から帰ってくると、駆け寄って出迎えてくれる。食事を余分に作る手間は増えたが、大した問題ではなく。あの子はいつだって奔放で、優しくて、いたずらも好きで。戦いに疲れた私の心を、どれだけ救ってくれたことか。やがてそれが当然のようになって、いくらかの月日が流れた。 ある日のこと。 出先での用事を終えて家に帰って来ると、あの子が――ピカチュウがいなかった。どこか遠くまで遊びに出かけたのだろうと、その時はあまり気にも留めずにいた。暗くなってもピカチュウは戻らなかったが、たまにはそんな日もあるだろうと。けれど、次の日の朝になってもピカチュウは戻ってこなかった。その日も朝から用事が入っていたため、出かけねばならず、 (きっと夕方までには帰ってくる。お腹を空かせているだろうから、たくさん食事を作ってあげないとな) 自分に言い聞かせて、私は自宅を後にする。 ――しかし。 ピカチュウは帰ってこなかった。夜も更け、一人ベッドで眠る私に、ふと言いようのない寂しさが込み上げてきた。いつもなら私の隣に、ピカチュウがすうすうと寝息を立てて眠っている。眠る前にピカチュウを撫で、ふわふわした手触りを楽しむ密かな楽しみ。いつしか当たり前になっていたものが、急になくなって。 (どこか怪我をして動けなくなったのでは――) いても立ってもいられなくなり、私はベッドから起き上がる。 「ピカチュウ……ピカチュウ。いたら返事をしてくれ」 ライトを片手に、家の周りを歩きながら名前を呼ぶ。木の上や茂みの裏、川のほとりや崖の下――危ないと思う場所をくまなく探し回った。だが、いない。目が届かない遠くまで行ってしまった事を悟り、私はスターシップのセンサーを使う事にした。範囲を最大に拡大、生命反応の波長をピカチュウのものに合わせ、スイッチを入れる。画面には多くの生命反応の点が映し出されていたが、ピカチュウを見つけることは、ついに出来なかった。 翌日、朝一番から私は近くの町に足を運んでいた。 目的はひとつ。以前知り合ったポケモントレーナーの少年に会うことだ。ポケモンと共に過ごし、誰よりも彼らに詳しいポケモントレーナーなら、ピカチュウがいなくなった理由や行き先について何か知っているかも知れない。ささやかな期待を込めて、私は少年の家のドアをノックした。顔を出したのは母親で、少年はいつもこの時間、町外れでポケモン達とトレーニングをしているらしい。場所を教えてもらい、空き地でポケモンに指示を出す少年に近づき、私は声を掛けた。 「おはよう。僕に何か用ですか、お姉さん?」 少年は私がサムス・アランだとは知らない。彼が知っているのは、厳めしいパワードスーツを身に纏う戦士のサムス。素顔で私服姿の私には、心当たりがあるはずもないだろう。 「君ならポケモンについて詳しいと聞いて来た」 私は事情を説明し、どうすればいいかを訊ねた。三匹のポケモン――ゼニガメ、フシギソウ、リザードン――に囲まれた少年は、見ず知らずの私の話を真摯に聞いて頷き、こう答えてくれた。 「――人がポケモンを捨てることはあっても、逆はないんだ。ピカチュウが帰ってこないのには、何か理由があるんだと思うな」 少年の瞳は真っ直ぐで、嘘を言ってはいない。よく懐いている三匹のポケモンを見れば、彼の言葉を信じることが出来る。 「しかし一体、どんな理由が……私は嫌われてしまったのだろうか」 「ピカチュウを叩いたりいじめたりしたんですか?」 「そんなことはしない」 「なら大丈夫。お姉さん優しそうだし、嫌いになって出て行ったんじゃないよ、きっと」 ピカチュウは戻ってくるから心配ない――少年はそう言って笑う。私もその言葉を信じようと思う。だが、何もせずに待つだけというのは、やはり不安で。気持ちを紛らわす意味も込めて、少年からポケモンに対する接し方を色々と学び、私は町を後にした。 日が暮れ、夕暮れの赤い光が世界を朱に染める。いつもこの時間になるとお腹を空かせるピカチュウのために、私は二人分の食事を用意する。 一人と一匹。 けっして賑やかとは言えないが、私にとっては安らぎを感じる大事な時間。テーブルに食器を並べ、私は待った。 カチ、カチ、カチ―― 時計の音だけが、鳴り続ける。信じたい気持ち。そして胸を締め付ける不安。平気だったはずの静寂が、今はこんなにも耐え難い。私は思わず、その名を呟く。 「ピカチュウ……」 その時だった。微かな音ではあったが、確かに聞こえた。私は思わず駆け出し「、ドアを開いた。 「……ピカー」 黄色い身体。ギザギザの尻尾。 丸いほっぺに、つぶらな瞳。 体中汚れてはいたけれど、いつもと同じ顔をして。 「ピカチュー!」 私の顔を見て、あの子はそう鳴いたのだ。色々と言いたいことはあるが、言わなければならないのは一言だけ。 「……おかえり」 ピカチュウを抱きしめ、私は家族の帰りを心から喜んだ。 「ピカ、ピカー!」 ふわふわの毛並みにうずめていた顔を離すと、ピカチュウは小さな手を差し出した。 「これは?」 「ピカチュー」 握られていたのは、見たこともない不思議な色をした木の実だった。これを私に受け取れと言うことらしい。 「……ありがとうピカチュウ」 これを手に入れるために、遠くまで出かけていたのだろうか。何であれ、私は嬉しかった。ピカチュウが無事に戻ってきてくれたことが、本当に嬉しかった。 「これからは、勝手にいなくならないでくれ。心配したんだぞ」 「ピカー?」 首を傾げるピカチュウの顔は、やはりいつもと同じだった。 後になって私は、ピカチュウが持っていた木の実をポケモントレーナーの少年に見せた。彼が言うところによると、これは「チイラのみ」といって、幻の島に生える貴重な植物の実であるという。 「――ピカチュウは恩返しがしたくて、チイラのみを取りに行ったんだよ。 よっぽど好かれてたんだなぁ、お姉さん。ポケモントレーナーの才能あるかもね」 表情には出さなかったが、何やら照れくさい。ピカチュウが一生懸命に探してくれたチイラのみ。これは私の宝物にしよう――そう決めた。 「こら、なにをやっているんだ」 家に帰ると、頬をパリパリと放電させながら、ピカチュウが家中を走り回っていた。あちこちで家具が倒れ、床や壁には焦げ跡が付いている。 「ピカチュー!」 バリッと激しい電気を放ち、ピカチュウは床の何かを丸焦げにした。近付いてみるとそれは、茶色くて羽根の生えたアレの死骸。 「ピカッ、ピカー」 得意気に見上げてくるピカチュウに、私は肩を落としてため息をつく。アレを退治してくれるのは嬉しいが、ずいぶん高く付いてしまったものである。困りながらも不思議と、嫌な気分はしなかった。こうして一喜一憂できることは、きっと大切なこと。家族のいる幸せとは、こう言うことなのだろうと、私は深く噛みしめる。そして眠るときには傍にいて、ぬくもりを感じさせて欲しい――それが、私の願いだ。 |