ファイアーエムブレム
烈火の剣 ラス×リン
〜再会の旋律〜


 喋らないのは必要ないからだと、クトラ族のラスは言った。そう思い至るまでに、一体どんな人生を送ってきたのかとリンは思う。人間同士が顔を合わせていれば、自然と会話が始まるのが普通であって、必要が無ければまったく口を開かずにいるというのは、彼女にとって考えもしない事だった。
 ラスは寡黙で笑わず、人と距離を置き、自分からは決して賑やかな会話に加わろうとはしなかった。女好きの騎士セインがリンのテントに潜り込んでこっぴどく叱られ、回りの仲間が大笑いしていた時も、彼だけは一人離れた場所にいて、黙々と弓や剣の手入れをしているだけだった。ひょっとして皆と上手く行っていないのではと心配になり、リンは一人ずつ仲間に声を掛け、ラスについての印象を訊ねて回った。すると意外にも評判は悪くなく、むしろ良い印象を持たれている事の方が多かった。口数が極端に少ないせいで、会話が続かないという事だけは、全員の意見が一致した事ではあったが。

「いやあ、弓の弦の張りがイマイチで悩んでたら、通りかかったラスさんが一発で決めてくれまして。そのままなんも言わずに行っちゃいましたけど……カッコイイですよねえ。俺も早くああなりたいなー」

 と、フェレ領出身の弓使いウィルは人懐っこく笑いながら言い、

「あ、あのね……ヒューイと一緒に訓練してたら、それを見てたラスさんが、弓兵に待ち伏せされやすい場所とか、矢を避けやすい方向とか教えてくれたの。本当はいい人なのかな……ずっと真顔でちょっと怖かったけど」

 リンの親友である、ペガサスナイトのフロリーナもこう言った。ラスは傭兵として各地を渡り歩いてきただけあって、他人への助言以外にも、誰よりも早く偵察に出かけていたり、必要な道具や物資を調達してきたりと、行動は常に素早く、有能な男だった。それだけに、もっと仲間と打ち解けて欲しいと願ったのだが、彼は一人でいる事を好み、いつも遠くを見つめていた。




 旅の途中、テントを張ってキャンプをしていた時の事である。食事を終えて一息ついたリンの耳に、遠くから楽器の音が聞こえてきた。旅芸人の少年ニルスが吹く笛の音とは違い、音に穏やかな伸びと柔らかさを含んでいる。その音のする方に足を向けてみると、キャンプから少し離れた丘の上で、ラスが小さな焚き火の前に座り、サカの民族楽器を奏でていた。木で作った六角形の箱に、馬の形をした飾りの付いた柄を取り付け、その間に二本の弦が張られている。馬頭琴と呼ばれるもので、それを馬の尻尾の毛を張った弓で擦ると、独特の哀愁漂う音が響くのである。

「懐かしい音色……サカの音楽ね。ロルカ族の曲とは少し違うけど」
「クトラ族の曲……らしい」
「らしい?」
「教えてくれた旅商人からそう聞いた」
「そっか、ラスは小さな頃からずっと旅を続けていたのよね……ねえ、少しここで聴いててもいいかしら?」

 ラスからの返事はなかったが、その沈黙が肯定を意味している事を、リンも一緒に旅を続ける間に学んでいた。焚き火の前に腰を下ろすと、ゆらゆらと燃える小さな炎を見つめながら、彼女は心地よくも懐かしい音色に耳を傾けていた。ラスが奏でているのは、祝い事や祭りの時などに弾く、風と大地を称える曲だった。馬頭琴の音色は、サカの民なら誰もが耳にするが、弾く曲は部族ごとに違っていて、同じ物はひとつとして無い。つまり部族の音楽は、彼らの伝統であると同時に身の証ともなるのである。膝を抱えてうずくまり、目を閉じて聞き入っていると、彼女の目頭に思わず熱いものがこみ上げた。

「……戦いは辛いか?」
「えっ」

 ふいに、ラスが口を開いた。少し驚きながら顔を上げると、彼は狼のように誇り高い目をこちらに向けて、笑顔を作る事もせず、ただじっとリンの言葉を待っている。ラスの瞳を見る度に、リンは広大なサカの草原を吹き抜ける風を思い出すのである。

「どうしてそんな事を聞くの?」
「お前は時折、サカの草原の方角をじっと見つめていたな」
「……知ってたんだ」
「俺は生きる為に傭兵の道を選んだが……お前は違う。望んで戦いを始めたわけではあるまい」
「そうね……最初はおじいさまに会いに行くだけのつもりで、それが気付いたら大きな戦いに巻き込まれて……」

 そこでリンの言葉は途切れ、火にくべられた枝が燃える音だけが二人の間に横たわる。ラスはおもむろに立ち上がり、リンに近付いて楽器を手渡した。

「……弾けるか?」

 馬頭琴の弾き方は、幼い頃父親に学んだ事がある。リンが「少しなら」と頷くと、ラスは元の場所に戻って腰を下ろし、小さな木材を短刀で削りながら言った。黙々と木の表面を削っていく姿を眺めていると、彼と同じように無口だが、優しく温かい父親の事が思い出された。

「リン、ひとつ頼みがある」
「なにかしら?」
「ロルカ族の曲を聞かせてくれ」

 思いも寄らぬ申し出だったが、自分の部族の曲を聴いてくれる人物がいる事を、リンは嬉しく思った。弦に弓を当て、ゆっくりとロルカ族の曲を奏でると、広大な故郷の大草原、大きくて分厚かった父の手の温もり、羊の毛を紡いだ糸で機を織る母の姿――リンの脳裏に、平和で穏やかに暮らしていた頃の記憶が蘇っては消えていく。今の自分には共に歩む仲間がいるが、失ったものはあまりに大きい。どんなに気を許せる仲間がいても、思い出の代わりにする事は出来ないのである。演奏が一通り終わった頃、リンの頬に涙の滴が伝い落ちていた。

「あ、ご、ごめんなさい。ちょっと昔の事を思い出したから」
「……気にするな」

 涙を拭うリンから馬頭琴を受け取ると、ラスは聴いたばかりの曲を寸分の狂いもなく演奏してリンを驚かせた。

「これでロルカ族の曲を知る者が一人増えたな。いつか遠く離れる時が来ても……この曲が俺とお前を再び巡り合わせるだろう」
「ありがとうラス……そう言ってもらえるだけで……私……」

 ラスの優しさに触れて、リンは再びこみ上げてくる涙を堪えていた。心の奥にずっと抱えていた、暗く寂しい場所に、一筋の暖かな光が差し込んだような気分だった。ラスはリンの気持ちが鎮まるまで黙っていたが、やがて夜空を見上げながら言った。

「……もう夜も遅い。今日はこのくらいにして休んでおけ」
「あなたは寝ないの?」
「これが終わったら寝る」

 ラスの手には、削りかけの木材が握られている。彼がなにを作ろうとしているのか、リンは興味をそそられたが、あまり長い時間テントを留主にしていては、他の仲間が心配してしまう。セインが懲りずにテントに潜り込んでくるかも知れないし、いつも一緒に寝ているフロリーナも不安がっているだろう。本当はずっと彼の傍にいたい。しかし戦いの最中に、軍勢を率いる立場にある者が、自分の我が侭で味方の士気を落とすような事があってはならないのである。リンはラスに身体を冷やさないようにと言い含めて立ち上がり、何度も振り返りながらその場を後にした。
 翌朝、出発のための準備を始めたリンは、自分の荷物の中に、小さな木彫りの馬が入れられている事に気が付いた。それは今にも動き出しそうなくらいに良く出来ており、それがラスからの贈り物だと言う事はすぐに分かった。サカの民にとって馬は家族と同様、あるいは自分の分身とも言えるほど大切な存在であり、その馬を模った像を贈るというのは、贈った相手に対して「自分はいつでも共にある」という意思表示に他ならなかった。リンは礼を言おうと思ったが、ラスは一足先に偵察へ出てしまったらしく、結局言いそびれてしまった。
 その後、激しさを増す戦いの中で、二人は少しずつ絆を深めていったが、魔の島「ヴァロール」で全ての元凶ネルガルを倒し、竜の門を閉じた後、ラスはなにも言わずリンの前から姿を消してしまった。彼の行き先は分かっていたが、リンはすぐに後を追う事はしなかった。彼女には、キアラン領に戻ってやらなければならない事が残っていたからだ。

「……さようなら、おじいさま。さようなら、みんな」

 キアラン領を一望できる丘の上から、リンは呟いた。戦いを終えたリンが戻ってまもなく、床に伏せていたキアラン候ハウゼンは静かに息を引き取った。全ての憂いが無くなった今、両親のぶんまで幸せに、長く生きて欲しいと孫娘に言い残して。ハウゼンの葬儀が終わった直後、リンは自分の意志を記した手紙を残し、夜が明けぬ暗いうちに、キアラン城を抜け出したのである。手紙にはキアラン領の統治を盟友であるオスティア候ヘクトルに委ね、自らはサカの草原に戻る決意がしたためられていた。共に苦難を乗り越え、自分に付き従ってくれた仲間に別れを言わなかったのは、気の良い彼らがそれを聞いたら、今の立場も仕事も放り出して、自分に付いてきてしまうだろうと考えたからであった。別れは辛く悲しい。だがサカの民が生きるのはサカの草原しかないのだと、リンは改めてそう思った。わずかな身の回りの荷物を乗せた馬に跨り、リンは一人サカの草原を目指す――。




 リンが草原を旅立ったあの日から、すでに数年の月日が流れていた。風に乗って運ばれてくる、草と土の匂い。地平線の彼方まで続く大草原は、日の光を浴びて緑色に輝いている。リンは懐かしい空気を胸一杯に吸い込み、かつて住んでいたゲル(サカの民が使う円形の住居)があった場所を目指した。半日ほど草原を歩き、目の前の丘を越えた先にリンの故郷がある。だが、そこで彼女の足は止まってしまった。

(戻ったって、もう……私を迎えてくれる家族や仲間はいないのに)

 両親を失ってからの、孤独な生活の日々が蘇る。故郷へ戻ってくる事を夢見てはいたが、再びあの暮らしが始まるのかと思うと、リンは寂しさで押し潰されそうな気分になってしまった。けれど今更、他に戻る場所などない。前に進まなくてはと思うのに、身体が言う事を聞かず、リンは馬にすがりつくようにその場で立ち尽くしていた。

(これからどうすればいいの……父さん、母さん、みんな……私、寂しいよ……)

 その時だった。頬を撫でていく風の中に、聞き覚えのある音色が混じっていたのである。リンは思わず顔を上げ、丘の上に目をやった。

(この音色……それにこの旋律……まさか!)

 あれほど動かなかった身体が、いとも簡単に動き出した。リンは矢のように馬を走らせ、小高い丘の上まで駆け上った。そこで彼女の目に飛び込んできたのは、信じられないような光景だった。かつてロルカ族の集落があった土地は、山賊団の土地に襲われて荒れ果て、ゲルの焼け跡だけが残っているような有様であった。ところが今、彼女の目の前にあるのは、在りし日のロルカ族の村――人々が集まり、語らい、共に暮らす集落が、元通りになってそこにあったのである。

「ど、どうして……?」

 震える声で呟いたリンは、懐かしい曲が横から聞こえてくるのに気が付き、その方向に目をやった。彼女がいる場所から少し離れたところに、灰色の毛の馬を伴ったサカの男性が、村を見下ろしながら馬頭琴を奏でていた。精悍で、誇り高い狼のような目をした青年である。

「ラス!」

 彼の姿を見間違えるはずもなかった。リンはラスの元へと駆け寄り、目に涙を浮かべながら訊ねた。

「あなたが……みんなを集めてくれたの?」
「俺はロルカ族の生き残りに伝えただけだ……ロルカ族長ハサルの娘リンは、世界を覆う危機に仲間を率いて立ち向かい、そして……勝利したと」
「ううっ……ありがとう……ありが……と……ラス……」

 リンの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。今まで張りつめていた糸が切れたように、リンはラスの胸に飛び込んで泣いた。ラスはなにも言わず、ただじっとリンの気が済むようにさせていた。

「……ごめんなさい、みっともない所見せちゃって。もう大丈夫だから」

 ひとしきり泣いてから顔を上げたリンは、清々しい表情をしていた。

「もしかして、ラスはいつもここで曲を弾いていたの?」
「言ったはずだ……この曲が俺とお前を再び巡り合わせると」
「憶えててくれたんだ、あの夜の事……」
「……」
「ねえラス、これからどうするつもり?」

 ラスは立ち上がり、馬の背に鞍を乗せながら答えた。

「父の……族長のいる村に戻る。こうしてリンと再会できた今……俺の役目は全て終わった」
「待って!」
「……」
「まだ……終わってない」
「……どういう事だ?」
「ラスには助けてもらってばかりでなにも返してないし、それに……それに私には、まだあなたが必要なの。だから……」

 ラスはしばらく黙り込んでいたが、やがてリンの方へ振り返り、真っ直ぐに彼女の目を見てこう言った。

「俺は幼い頃からずっと、運命(さだめ)に従い生きてきた。時にはそれを恨みに思う事もあったが……いざ自由になってみると、なにをしていいのか分からなかった……だが、たった今その答えが見つかったようだ」
「それって、どんな?」
「リン……お前は俺が守る」
「……!」
「お前が二度と孤独と悲しみに沈まぬよう……そばにいると約束しよう」
「ラス……!」

 緑の丘の上で抱き合う二人を祝福するように、草原の風は優しく吹き抜けていく。ラスの大きな手の温もりを感じながら、リンは彼がかつて言っていた言葉の意味が分かった気がしていた。ラスは自分の意志を伝えるのに、言葉よりも行動という方法を選んでいる。彼のたったひとつの行動は、千の言葉を並べるよりも確かに、彼の意志を伝えてくれるのだ。ラスの父は「灰色の狼」の異名を持つクトラ族の族長であり、その息子である彼もまた、狼のような気高さと強さ、そして寡黙さの中に秘めた、仲間を思いやる優しさを身に付けていたのである。同じ孤独を知り、そしていつもさりげなく気遣ってくれる彼の行動が、リンにとって支えになっていた事は間違いない。ラスもまた、生まれ持った運命に押し潰されることなく、懸命に生きようとする彼女の姿を好ましく思っていた。
 後日、ロルカ族はクトラ族の一員として迎えられ、彼らの庇護の元で平和に暮らした。リンが暮らす村には、かつての仲間が毎日のように訪れ、彼女のゲルはいつも笑い声に満たされていた。懐かしい友人たちを迎えるリンの笑顔は、今までで一番輝いていた。




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