「まだまだ、もう一度来い!」 
 
 太陽が頭上に差し掛かる頃、ボーレとアイクの二人は開けた丘の上で対峙していた。二人の目は気迫に満ちているが、手にしているのは木製の練習用であり、実戦形式の特訓をしていたのである。ある日を境に、ボーレはアイクとの手合わせを願う回数が多くなった。アイクもトレーニングが趣味のようなものだから、時間が許す限りこれを引き受け、二人は暇さえあれば手合わせをしているといった日々が続いていた。戦績は若干アイクが上回っていたが、敗北を喫してもボーレは負け惜しみや憎まれ口を言うことが少なくなり、自分が負けた原因を尋ねたり、アイクの技を盗もうと一生懸命な様子を見せていた。 
 
「ずいぶん熱心だな。そろそろ休憩したらどうだ?」 
 
 アイクは、そんなボーレの変化に驚きながらも、頼もしいことだと感心していた。 
 
「戦場で敵が待ってくれるかよ。このギリギリの状態でやるからいいんじゃねーか。ほら、構えろよアイク」 
「……わかった。いくぞ!」 
 
 木剣を振り上げ、アイクは裂帛の気合いと共に一撃を叩き込む。間合い、速度共に武器の相性が悪いボーレは、剛剣を受けることはせず、限界まで太刀を引き付けてから最小の動きでかわす。アイクの剣筋を読み切ったからというわけではなく、体力を消耗した状態ではこうするのが精一杯だったからだ。 
 練習とはいえ、頭部に直撃を受ければ死ぬ――肌をチリチリと焼く緊張感が、集中力を極限の高みへと導いていく。すかさずボーレが薙ぎ払う斧を、アイクの剣先が弾く。そこから次の一撃へ移ろうとする一瞬の隙を、ボーレは見逃さない。 
 
「おらっ!」 
 
 今度は避けるのではなく、アイクに突っ込み身体をぶつける。斧は間合いの短さ故に剣に弱いが、密着すれば逆に小回りが効く。手首を返し、斧の柄でアイクの腹部を打つと、続けざまに蹴りを見舞って転ばせる。そこへボーレが飛びかかるのと、アイクが剣を持つ手に力を込めたのは同時であった。 
 
「……!」 
 
 アイクの眼前にボーレの斧が迫るが、ほぼ同時に突き出された剣先がボーレのこめかみをかすめ、一筋の血が流れ落ちたところで互いは動きを止めた。 
 ――もしこれが真剣だったら。 
 敗北を悟り、ボーレは忌々しそうに舌打ちする。 
 
「ちっ、まーた俺の負けかよ」 
「いや。もしボーレが剣を持っていたら間に合わなかった。今回は俺の負けだ」 
「もしもじゃ意味がねーんだよ。くそっ、今度こそは勝つからな!」 
 
 さすがに体力が尽きたボーレは斧を投げ、アイクの隣に転がって大の字になる。 
 
「あーあ、なかなかグレイル団長みたいにはいかねーな……」 
 
 空を見上げたまま呟くボーレに、アイクは身体を起こして訊ねた。 
 
「ボーレ。なぜここまでする? 親父と同じまでとはいかないが、お前は以前と比べても格段に強くなっている」 
「負けたまんまで納得できるわけねーだろ。俺は……強くならなきゃいけねえんだ」 
「……そうか。そうだな」 
「いつも付き合ってもらってすまねえなアイク。団長の仕事も忙しいんだろ?」 
「気にするな。俺もいい息抜きになってる」 
 
 ボーレもアイクも、黙ったまま青空を流れる雲を眺めていた。撫でるように吹き抜ける風が火照った体に心地良い。しばらくそうしていると、遠くから二人を呼ぶ声が聞こえてきた。 
 
「二人ともー、お昼ご飯できたよー」 
 
 起き上がって声のする方を見ると、タオルを手にしたミストが手を振って駆け寄て来るのが見えた。ボーレは勢いよく身体を起こし、立ち上がってミストに手を振った。 
 
「これから戻るところだったんだ。すっかり腹減っちまったよ」 
「二人ともまた特訓してたのね、お疲れ様……って、あっ!」 
 
 額に汗を滲ませるボーレにタオルを渡そうとして、ミストは思わず声を上げた。彼のこめかみから、一筋の赤い血が流れていたからだ。 
 
「やだ、血が出てる!」 
「な、なんともねえよこのくらい」 
「ダメだよ、ちゃんと手当てしなきゃ。じっとしてて」 
「んな大袈裟なもんじゃねーって」 
 
 ミストは慣れた手つきでボーレの額に包帯を巻き、端を結んで「これでよしっ」と微笑んだのも束の間、ボーレの服に目をやって大きな声を出した。 
 
「あーっ、また袖がほつれてる!」 
「特訓してたらなっちまうんだよ」 
「もうっ、こないだ縫ってあげたばっかりなのに」 
 
 そんなミストとボーレを横目にアイクは、 
 
「先に行ってるぞ」 
 
 と、ミストが持ってきたタオルで汗を拭きながらスタスタと歩いて行く。ボーレは気恥ずかしさを感じつつも、色々と世話を焼いてくれるミストには頭が上がらなかった。 
 
 
 
 
 夕食の時間が過ぎ、夜も更けた頃。そっと傭兵団の宿舎を抜け出す影があった。そしていつも決まって同じ時間に遠ざかる影を、ミストは知っていた。水筒をひとつ用意し、一時間ほど経ってから彼女も宿舎を出る。五分ほど歩いた先にある小高い丘の上で、光の粒をちりばめたような夜空を背に、黙々と素振りをする人影がある。ミストはそこへ向かって、真っ直ぐ近付いていく。 
 
「ボーレ」 
 
 ミストの呼びかけに、素振りをしていた人影は手を止める。薄明かりの中で驚いた顔をしていたのは、ボーレであった。 
 
「どうしたんだミスト、こんな時間に出歩くなよ」 
「ボーレだっていつも出歩いてるじゃない」 
「俺は男だからいーの」 
「ずるい」 
「あのな……女一人で何かあったらどうするんだよ」 
「私だって少しは強くなったもん。それに、もしもの時はお兄ちゃんやボーレが助けに来てくれるって信じてるから」 
「ったく。俺やアイクがいない時に同じ真似するんじゃないぞ」 
 
 ボーレは呆れたように肩をすくめ、ミストから受け取った水筒で渇いた喉を潤す。 
 
「で、どうしたんだ? わざわざこんな所まで来るなんて」 
「ん……ううん。ボーレが出て行くのが見えたから、何してるのかなーって。最近いつもそうだったでしょ」 
「見ての通りだよ。期待はずれだったか?」 
「……偉いね」 
「何が?」 
「だって、いつも言ってたじゃない。一人で練習してもつまんないって」 
「ああ、面白くもなんともねーな」 
「でも続けてるじゃない。それって凄いと思うな」 
「あー、いや……なんつーか」 
 
 真っ直ぐなミストの視線が気恥ずかしくて、ボーレは頬を掻きながら目を逸らす。 
 
「こんなもんじっと見てたって面白くないだろ。早く帰って寝ろよ」 
「あのさ、ちょっとお喋りしない? ほら、そこ座ろうよ」 
「お、おい」 
 
 ミストに腕を引かれ、ボーレは絨毯のように敷き詰められた草の上に座る。ミストはニコッと笑い、ボーレのすぐ隣に腰を下ろした。 
 
「最近ゆっくり見る事なかったけど……綺麗だね」 
 
 夜空には数え切れない光の粒が瞬き、どこまでもどこまでも果てしなく広がり。 
 天に浮かぶ大きな月が、煌々と二人を照らす。 
 
「あ、ああ……」 
 
 遠くを見つめるミストの横顔がとても綺麗に見えた。淡い月明かりに照らされた栗色の髪。瑠璃の瞳。いつも見ているはずなのに、初めて見るような美しい横顔。ボーレは驚きながらも少し嬉しいような、不思議な気分だった。 
 
「――ボーレ。ねえ、ボーレってば」 
「ああっと、な、何だ?」 
「どうしちゃったの、ぼーっとして」 
「な、何でもねえよ」 
「やっぱり変だよね、ボーレ」 
「あ?」 
「みんな言ってるよ。最近別人みたいだって」 
「なんだそりゃ。俺は俺だろ」 
「あっ、変な意味じゃなくてね……なんていうのかな。今のボーレ、すごく一生懸命だよね。なんだか必死っていうか」 
「んー、そうか?」 
「そうだよ。お兄ちゃんも、気を抜いたらすぐに負かされそうだって」 
「へっ、そっか。ちったぁ俺も進歩してるんだな。見てろ、次は負けねえぞ」 
「うん……」 
「ミスト?」 
 
 両膝を抱えて小さく縮こまるミストの顔に、悲しみの影が差し込む。 
 
「なんでそんな顔すんだよ。嫌なことでもあったのか?」 
「心配なの。ボーレ、無理してるんじゃないかって」 
「別に……無理なんかしてねえ」 
「じゃあどうして? どうしてこんなに頑張るの?」 
「どうしてって言われてもな……そういや、なんでだろうな」 
 
 誤魔化すように夜空を見上げ、遠く輝く星を眺めているうちに、ボーレは御伽話を思い出した。幼い頃に母から聞いた御伽噺。死者の魂は星となって天に昇り、女神の元で自分たちを見守ってくれているのだと。 
 
「なあミスト。グレイル団長は……あそこで俺たちを見てくれてんのかな」 
「うん……きっとそうだよ」 
「俺は傭兵団を……大事な家族を守りてえ。団長がそうしてくれたように。なのに自分の未熟さのせいで死んじまったなんて、あの世で団長にあわせる顔がねえだろ。そうさ、だから俺は強くなりてえんだ」 
 
 それからしばらく、沈黙が続いた。何を語るでもなく、ただ夜空を見た。どのくらい経ったか、ふとミストが口を開く。 
 
「死んじゃ……いやだからね」 
 
 ひと筋の涙が、ミストの頬を伝う。彼女が人一倍、身近な人間の死に怯えていたのをボーレも知っている。あの時の辛そうな顔。哀しそうな顔。彼はもう二度と、あんなものは見たくなかった。 
 
(そうだ、俺は……ミストのために) 
 
 ボーレは突き動かされるような気持ちの正体を、ようやく掴むことが出来た気がした。 
 
「大丈夫だ。死んでも生きて帰ってきてやるよ」 
「……ぷっ。くすくす」 
「おい。笑う所じゃねーだろそこは」 
「だって、ヘンだよその言葉……あははっ」 
「わ、悪かったなっ」 
 
 いつもと変わらない笑顔を見ていると、怒る気も失せていく。やはりミストには笑顔がよく似合うと、ボーレは思った。 
 
「ミスト」 
「なあに?」 
「お前は……笑ってろよ。俺は死なねえ。ミストの大事な物は、俺やアイク、みんなで守ってみせる。だから、な?」 
「うん。ありがとね」 
「それにその、お前はさ、笑ってりゃ、か、可愛いんだし」 
「や、やだ……急にそんなこと」 
「う、あ、なに言ってんだ俺」 
「わ、私そろそろ戻るね!」 
「ああ。だったら送ってくよ」 
「ううん、平気。でも、あんまり無理しないでね」 
「分かってるって」 
 
 ミストは立ち上がり、緩やかな丘を下っていく。その途中で彼女は振り返り、 
 
「一生懸命頑張ってるボーレ、格好良かったよ!」 
 
 手を振りながら宿舎へと戻っていく後ろ姿を、ボーレはいつまでも見送っていた。 
 
 
 
 
 数日後、ボーレはアイクといつものように特訓を行っていた。 
 
「うらぁっ!」 
 
 気合いを込めた一撃が、アイクの手から木剣を弾き飛ばす。ボーレはついに、アイクから完全な一本を収めることに成功したのである。今までなかなか勝つことが出来なかっただけに、喜びと手応えもひとしおであった。 
 
「よっしゃあ! 今回は文句なしに俺の勝ちだなアイク!」 
「ああ、大したものだ。これならミストを任せても大丈夫だな」 
「ぶっ!? なっ、なんでそうなるんだ!?」 
「見ていれば分かる。それにあいつも、最近はお前のことをよく話す」 
「ははは……」 
「今度は俺が手合わせを頼む番だな。行くぞボーレ!」 
「おう、何度でも相手してやるぜ!」 
 
 二人は互いの拳を突き出して軽く当て、再び練習用の武器を構える。そこへ、差し入れの果物や水を入れた篭を持ったミストがやってきた。 
 
「あ、やってるやってる。がんばってねボーレ、お兄ちゃん!」 
 
 手を振るミストにボーレの顔がにやけた瞬間、アイクの電光石火の一撃が飛ぶ。 
 
 ――ぼかっ! 
 
 脳天に直撃を受け、ボーレは目を回して大の字に倒れてしまった。ボーレはしばらく目を覚まさなかったが、ミストの手当を受けている間、幸せそうでもあったという。 
 
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