魂筆使い草助

第十三話
〜『光の柱(四)』〜



「汝は誰か……なにゆえわらわの道を塞ぐ……?」

 大きな白狐の背に腰掛けたまま、宇迦之御魂神は言った。鞍真の方を向いてはいるが、その両眼には紫色の光が宿り、焦点は定まっていない。尋常でない霊力と暗い気配を膨れ上がらせ、彼女はゆっくり石段を下りてくる。鞍馬は腰の刀に手を掛け、彼女を見上げて声を張り上げる。

「なんと、わしの顔をお忘れか。かつて貴女より八幡宮の守護を預かった、鴉天狗の鞍真にございまする」
「思い出せぬ……今のわらわに在るのは、身の内に渦巻く恨みと憎しみばかり……大地を穢し、敬いを忘れた愚かな人間共に、この憤りを思い知らせてくれようぞ」
「あまねく豊穣を司る大地母、宇迦之御魂神よ! 貴女が心乱さば、大地に住まう生き物はおろか、土地にまで悪しき影響が広がってしまいますぞ!」

 しかし宇迦之御魂神は呼びかけをまったく意に介する様子もなく、左手の人差し指を鞍馬に向け、ゆっくりとした動作で水平に払う。すると突然、空に重い黒雲が広がったかと思うと、凄まじい暴風が周囲に巻き起こり、八幡宮の境内を呑み込んで吹き荒れた。

「ぬうっ!?」

 鞍馬はすかさず左腕を突き出して防御の構えを取るが、境内の木々を薙ぎ倒す程の突風に煽られ、十数メートルも後ろに押されてしまう。

「指先で撫でただけでこれとは。分かってはいたが、なんという……!」
「そなたは感じぬのか……はるか地の底で渦巻く、膨大な負の念が噴き出しているのを……」
「無論存じております。それは全て、黒崎なる者が仕組んだこと。奴の企みによって、この地の底で黄泉の岩戸が開きかけているのです。されど宇迦之御魂神ともあろう御方が、このような謀略に利用されるなど、あってはならぬこと!」

 鞍馬は足を踏ん張って堪えながら尚も訴えるが、宇迦之御魂神は鞍馬でさえゾッとするような冷たい目を向けて答えた。

「そこを退け……さもなくば恐ろしい罰が下ろうぞ……!」
「例え我が身が朽ちようとも、貴女をこれ以上行かせるわけには参りませぬ!」

 収まらぬ暴風の中、前触れもなく無数の落雷が発生し、周囲の樹木を次々に黒焦げにした後、それらが一斉に鞍真めがけて放たれた。並の妖怪や人間であれば、そのうちのひとつに撃たれただけでも消し炭になってしまうほどの威力だったが、鞍馬が刀で頭上を素早く切り払うと、雷は全て鞍馬を避けるよう地面に落ちて消えた。

「なんと、あの稲妻を退けるとは……そなた、ただの妖怪ではないな?」
「痩せても枯れてもこの鞍馬、本来は霊山の守護者として祀られる身。これくらいでやられは致しませぬぞ」
「ほう……それほどの者であれば、わらわの力は知っておろう。それでも逆らうというのかえ?」
「貴女に刃を向けるのは、まこと断腸の思いにござる。されどかような事態を招いたのは、黒崎めの謀を見抜けなかった我らの責任。八幡宮守護、鴉天狗の鞍真、お相手つかまつる!」

 鞍馬は鞘から刀を抜き、術で出した団扇を左手に持つと、宇迦之御魂神と宙を舞いながら激しく争い始めた。宇迦之御魂神が突風を吹き付ければ、鞍馬が手にした刀がこれを切り裂き、鞍馬が天狗礫の術で無数の岩を降らせると、宇迦之御魂神は地面から瞬時にして大きな樹木を作り出してこれを受け止める。白狐も口から巨大な火の玉を連続して浴びせるが、鞍馬が団扇で竜巻を作り出し、瞬く間に狐火をかき消してしまう。人智を越えた神通力のぶつかり合いは、互いに一歩も譲らず、しばらく拮抗した状態が続いた。

「多少の心得はあるようじゃな……ならばこれはどう防ぐ?」

 宙に浮いた宇迦之御魂神が両眼を光らせた途端、彼女の真下にある地面に空間の歪みが広がり、そこから数え切れない程の悪霊が溢れ出して飛び回り、辺りを埋め尽くす。同時に紫色の濃い霧のようなものが空間の歪みから吹き出すと、一気に四方へ広がり始めた。それに触れた樹木や草木はしおれて生気を失い、水と空気は濁って淀み始めていく。異界が生じた時にも同じような紫色の霧が見られるのだが、今回のそれは遙かに濃度が高く、触れた生物の命を蝕む黄泉の障気であった。

「むうっ、いかん!」

 鞍馬は黄泉の障気が周囲に広がっていくのを見るや、地面に降りて足元に刀を突き刺すと、人差し指と中指だけを突き出した印を結び、素早く十字に切りながら呪文を唱えた。

「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前――!」

 これは早九字護身法と呼ばれるもので、邪気や災厄を防ぐ結界を張る術である。人間の間では密教や修験道などに伝わる呪術で、修験者から信仰を集める鴉天狗にとっては、得意とする術のひとつでもあった。鞍真が呪文を唱え終えると、彼を中心とした半径五十メートルほどの範囲にドーム状の結界が現れ、無数の悪霊や障気がそこから先へ広がらぬよう防いでいた。

(障気が拡散すれば、地上の生物は生きていかれまい。なんとしてもここで食い止めねば)

 鞍馬は地面から刀を引き抜き、頭上から自分を見下ろす宇迦之御魂神に目を向けた。圧倒的な霊力には些かの衰えもなく、殺気ばかりが無尽蔵に膨らんでいく。

「無駄なことを。結界で閉じ込めたところで、行き場を失った障気がこの中に充満するだけ。そうなれば、おぬしもわらわの憤りを理解できよう」
「でしょうな。その前に決着を付けさせてもらいまする」
「面白いことを言う……誰に口を利いているのか、分かっておろうな」

 凍てつくように冷たい声で言うと、宇迦之御魂神は肩に掛けていた大鎌に手を伸ばし、それを大きく振り上げた。それを見た途端、鞍馬は焦りの色を浮かべた両眼を見開くと、背中の羽を大きく広げ、全ての霊力を使って防御の体勢を取る。武術に精通した鞍真にしてみれば、宇迦之御魂神の動作は隙だらけに等しく、戦いに長けた者の動きではない。それでも鞍馬が防御を選んだのは、これから起こる出来事を敏感に感じ取っていたからだ。

「身の程知らずの愚か者……神罰を受けるがよい!」

 宇迦之御魂神が大鎌を薙ぎ払うように振ると、目に見えない扇状の波動が放たれた。その波動に触れた樹木や草木、あるいは八幡宮の中にある建物、周囲を飛び交う悪霊などの全てが一瞬にして切断されたが、真に恐ろしいのはそこからだった。切断された全ての物は、一瞬にして魂や霊力といった全てのエネルギーを宇迦之御魂神に吸収され、残った抜け殻は砂となって崩れ落ちていく。

「来たれ、来たれ……数多の命よ、魂よ。我が元に来たれ……わらわを呼び覚ましたる愚か者どもに、この怒りを思い知らせてくれよう……!」

 刈り取った無数の魂を取り込んで、宇迦之御魂神の霊力はますます膨れ上がる。しかも波動の勢いは衰えることを知らず、鞍真の結界さえ通り抜けて八幡宮の外にまで広がると、辺りの建物や植物といった全てを巻き込んで、どこまでも広がっていく。やがて波動は海の上へと進み、そこでようやく消えたものの、大鎌のたった一振りで、八幡宮の南側に見える全ての物が壊滅して砂と化し、膨大な力が宇迦之御魂神に吸い取られていった。

「な、なんという皮肉……実りと収穫をもたらす鎌が、このような恐ろしい武器になるとは……!」

 鞍馬は波動を耐えはしたものの、霊力の半分以上を吸い取られて地面に膝を付いていた。背中の羽は無残なほどボロボロになり、今までの覇気が嘘のように疲弊した表情を浮かべている。

「まだ生きておるとはしぶとい奴。どうやら口先だけではないようだが、次でそれも終わりじゃ」
「な、なりませぬ、二度もその力を使っては……」
「ほほほ……我が力に恐れをなしたかえ」
「確かに絶大なる威力なれど、問題はそこではありませぬ。この行為がどんな結果をもたらすか、それすらお分かりにならぬのですか」

 宇迦之御魂神は地面に降り立ち、鞍真の正面へやってくると、彼の眼前に鎌を突きつけて冷淡な視線を向ける。

「おぬし、わらわに説教をするつもりか?」
「どうか目を覚ましてくだされ。数多の命を吸い取り、一時は力が増そうとも……土地が死に絶えてしまえば、それは同時に貴女が滅ぶことも意味しているのですぞ!」
「よく喋る口よ。首を刎ねる前に、その舌を引き抜いてやろうぞ」
「……無念でなりませぬ。あの慈愛に満ちた御方が、ここまで変わり果てようとは。憎きは黒崎、そして不甲斐なき自分。かくなる上は、わしも腹を決めましたぞ」
「まだ足掻くか。しつこい奴じゃ」
「無論! 我が全てを賭し、貴女を止めて見せましょうぞ!」

 鞍馬は刀を構え、宇迦之御魂神に斬りかかった。刀に込めた霊力で相手を斬るという部分は、草助にも教えた「虎牙」と同じだが、鞍真の扱うそれは桁違いの威力と間合いを持ち、閃光のような素早さで繰り出される。並の妖怪程度ならここで真っ二つにされてしまう所だが、宇迦之御魂神は避ける動作すら見せず、左手をかざしただけで斬撃を受け止めると、そのまま手首を返す動作のみで鞍馬へと跳ね返した。

「むうっ!?」

 鞍馬はすかさず羽根で身体を覆い防御したが、自らの斬撃を受けた部分はボロボロになり、周囲には黒い羽根が飛び散った。

「どうした? 鴉天狗の全力とやらは、この程度なのか?」
「なんの、まだまだ!」

 鞍馬は立て続けに斬撃を繰り出すが、刃は一度として宇迦之御魂神に届くことはなく、逆にその全てが鞍真の全身を切り刻む。鞍真の翼からはほとんど羽根が抜け落ち、地面に落ちて周囲が真っ黒な絨毯のように見えるほどであった。

「ぐううっ……!」
「何度やっても同じこと……言うだけの力はあるようじゃが、わらわには遠く及ばぬ。潔く諦めたらどうじゃ。大人しく従うなら、今回だけは見逃してやってもよいのじゃぞ」
「そうはいきませぬ。街では人間と郷の妖怪たちが、力を合わせてこの異変に立ち向かっているのです。妖の郷をまとめるわしが逃げ出して、どうして面目が保てましょうか。それにまだ、全て終わったとは言い切れませぬぞ」

 鞍馬が素早く印を結ぶと、頭上にはたちまち暗雲が立ちこめ、激しい雨が降り始めた。その雨に打たれた周囲の悪霊は、悲鳴を上げながら地面に落ち、跡形もなく溶け出してしまう。さらに雨は黄泉の障気さえも溶かし込んで、その勢いを弱めていく。しかし宇迦之御魂神に雨は届かず、彼女の回りを避けて地面に落ちるばかりであった。

「ほう、清めの雨か。しかし悪霊や障気を抑えることは出来ても、わらわには通じぬぞ」

 鞍馬は術で手元に布の袋を出現させると、その中にぎっしり詰まった大量の粒を投げつけた。それは黄金色に輝く稲の種籾であった。しかしそれ自体に特別な力は無く、雨粒と同じように宇迦之御魂神を避け、周囲に散らばるだけだった。彼女は足元の種籾に視線を落としながら、首を傾げて怪訝そうな顔をする。

「なんじゃこれは? なにかの遊びかえ?」
「……これを見ても、なにも感じないと申されますか」

 鞍馬が天に刀を突き上げた途端、瞬く間に暗雲は消え去り、代わりに煌々と輝く小さな太陽が現れ、そこだけ昼間になったように辺りを照らす。すると散らばっていた種籾が芽を出し、地面の水を吸い上げて瞬く間に成長し、黄金の稲穂へと変わっていく。それらに囲まれた宇迦之御魂神は両眼を見開き、額を押さえてなにかを思い出すような仕草をした。

「これは……稲……なにか……わらわは大事なことを忘れて……う……あ、ああ……ググ……ッ!」
「おお、やっと思い出されましたか! どうか正気を取り戻されよ!」

 鞍馬は必死に呼びかけるが、再び宇迦之御魂神の暗い気配が色濃く戻り始めるのを見ると、落胆しつつ天を仰いで印を結ぶ。直後、小さな太陽は更に輝きを増して猛烈な熱を放ち始め、蜃気楼が立ちこめるほどの熱気が八幡宮を包み込む。水分を失った地面はひび割れ、その暑さが尋常でない事を物語るが、宇迦之御魂神は再び冷たい眼差しを鞍真に向けてこう言った。

「大雨に日照り……見世物としてはまあまあであったが、こんな芸がどうしたというのじゃ。わらわには風が吹いた程にも感じぬぞ」
「でしょうな。しかしこれで終わりと決め付けるは早計にございますぞ」
「この期に及んで一体なにを――」

 鞍馬は刀を鞘に収め、垂直に立てたまま地面を打った。直後、地面に散らばっていた鞍真の羽根は、黒い蝗(イナゴ)の大群と化し、宇迦之御魂神の周囲に生えた稲穂に飛びついて、瞬く間にこれを喰らい尽くすと、彼女と白狐に次々に飛びついた。

「ひっ――!?」

 蝗を見た宇迦之御魂神は、みるみるうちに青ざめていく。慌てて蝗を手で振り払おうとするが、数が多すぎて焼け石に水である。白狐も戸惑って辺りを飛び跳ねるのだが、蝗は体毛にがっちりしがみついて離れない。

「あ、あ、嫌じゃ、蝗は……蝗だけはッ! おのれ、そなたはこのために、わざと自分で羽根を散らしておったのかッ!」
「我が声が届かぬ以上、毒を以って毒を制すのみ!」
「ひいっ、け、汚らわしいッ――!?」

 取り乱した宇迦之御魂神は、体中から邪気を噴き出して蝗を追い払おうとするが、彼女にまとわりつく蝗は、自ら邪気に群がってそれを貪り始めた。

「作物を根こそぎ喰らい尽くす蝗の大群は、豊穣を司る者にとって最大の天敵。しかもこれはただの蝗に非ず。地獄に住まう閻魔蝗にござる。こやつらの好物は……欲にまみれた亡者の魂と、穢れた負の気。御身に注がれた邪念も喰らい尽くしてくれましょうぞ!」
「ひっ、け、汚らわしいッ――!?」

 嫌悪の表情を浮かべて取り乱す宇迦之御魂神を、鞍真は祈るような気持ちで見つめる。

(成功すれば良し、失敗すれば火に油を注ぐも同然……危険な賭けだが仕方あるまい)

  やがて大量の蝗のうちの一匹が着物をよじ登ると、宇迦之御魂神の胸元に飛びついた。彼女がそれに気を取られて身動きを止めた瞬間、別の一匹が彼女の鼻先にぴょんと飛びついた。その時、宇迦之御魂神の中でなにかが弾けた。

「いっ、嫌ぁぁぁぁぁぁーーーーーーーッ!?」

 まさに絹を裂くような悲鳴であった。宇迦之御魂神は我を忘れて全ての霊力を一気に吹き出し、わけもわからず悲鳴を上げ続けた。その叫びは天にも届くほどで、鞍馬が作った結界はおろか、八幡宮全体を覆っていた結界さえかき消すほどの光と霊力が周囲に飛び散った。

「ぐううううっ……!」

 圧倒的な霊力の圧力に耐えつつ、鞍真はじっと様子を窺う。霊力の放出が弱まると、次第に宇迦之御魂神の姿がはっきり見えるようになってきた。彼女の身体に貼り付いていた蝗は全て消滅してしまったが、空間の歪みは消え、黄泉の障気は跡形もなくなっていた。やがて辺りに清浄な霊気が漂い始めたかと思うと、悲鳴を上げたまま硬直していた宇迦之御魂神が、ゆっくり顔を動かしながら声を発した。

「う……ん……こ、ここは……わらわは一体、なにをしていたのであろうか」

 今までの冷たい雰囲気が嘘のように、優しく穏やかな声だった。彼女の内に潜んでいた暗い気配は跡形もなくなり、彼女の眼差しには安心感すら憶える温もりがある。鞍馬が安心したように跪くと、物音に気付いた宇迦之御魂神が彼に目を向けた。

「おお、誰かと思えば鞍真。これは一体どうしたことか? なにゆえわらわはここに……?」

 鞍馬は深く頭を垂れた後、顔を上げて答える。

「はっ。黒崎なる輩が黄泉の岩戸を開かんと目論み、地脈を刺激して黄泉の岩戸を開こうとしておるのです。そして奴は、眠っておられた貴方に穢れた人間の魂を注ぎ込み、我を失うよう仕向けたに違いありませぬ」
「それでこのような有様に……ずいぶん迷惑をかけてしまったな」
「なんの、全ては黒崎めの謀略なれば、貴女の責任ではございませぬ」
「それにしても地脈をこれほどまでに乱すとは、その黒崎とやらは侮れぬな。岩戸の封印が弱まっておるのも感じるぞ。急いで手を打たねばならぬようじゃな」
「現在、妖の郷の妖怪と人間が協力し、事態の収拾に努めておりますが……なにぶん規模が大きく、手を焼いております。なにとぞ力添えを願いたく存じまする」

 宇迦之御魂神はこくりと頷き、両手を天にかざして言った。

「黄泉の岩戸が完全に開いてしまえば、地上は地獄に飲まれ、亡者がはびこる世となるであろう。わらわは地脈の歪みを食い止めねばならぬゆえ、岩戸の始末はそなたに任せたぞ」
「はっ、心得ました。この身に替えましても必ずや」

 鞍馬が空を見上げると、朝比奈市内にそびえていた巨大な光の柱が、ひとつずつ消えていくのが目に入る。各地での戦いも、それぞれ決着が付いたことの合図だった。

(皆も上手くやってくれたか……しかし、本当の勝負はここからであろう)

 鞍馬は立ち上がって飛び上がり、数枚の羽根を残して虚空へ消えていった。




「うう、ん……っ」

 湿っぽい空気と固い感触を肌に感じながら、明里は目を覚ました。辺りは薄暗く、ごつごつした岩で周囲を囲まれた、洞窟の中らしき場所だった。顔を上げて身体を起こすと、明里は周囲を見回した。壁には数本の松明が掲げられ、暗闇の中でぼんやりと風景を浮かび上がらせている。明里が驚いたのは、そこは天井が小さく見えるほど広い空間で、目の前には切り立った高い壁と、壁に密着した楕円形の大きな石がそびえ立っている。そして壁と大きな石の間には僅かな隙間があり、そこから紫色の淡い光とガスのようなものが漏れ出しているのが見えた。

「あれっ、ここは? 確か私、禰々子さんと一緒にお墓に行って、土偶みたいなオバケに襲われて……」

 明里が立ち上がろうとすると、背後から「動くな」という声が聞こえた。驚いて振り返ると、黒いスーツ姿の男――黒崎がそこにいた。黒崎の身体はぼんやりとした青白い光に包まれており、心の奥底を覗き込むような眼差しを明里に向けていた。

「あっ、あなたは――!? 」

 すかさず険しい表情で身構える明里に、黒崎は作り物のような笑顔を向ける。

「ようやくお目覚めか。気分はどうかね」
「ど、どうしてあなたが……!?」

 ゆっくり後ずさる明里に、黒崎は威圧感を込めた声で言う。

「それ以上動くな。これを見ろ」

 黒崎は近くに転がっていた小石を拾い上げると、明里の方へ放り投げる。放物線を描いた小石が明里の横を通り過ぎ、彼女の近くにあった石に近付いた途端、突然真っ赤に燃えて跡形もなく消滅してしまった。

「不用意に近付けば、お前もこうなるぞ。それにいくら逃げ回ったところで、ここに出口はない。大人しくじっとしていろ」

 明里はその場で立ちすくみ、振り返る。地面には円形の魔方陣のような図形が描かれており、図形の中心には高さ一メートルほどの石が置かれている。石の表面はかなり風化していたが、どことなく人間がうずくまった形をしているようにも思えた。

「全ての準備は整った。もうじきあの筆と小僧もここへやってくるだろう」
「あの筆と小僧って、すずりちゃんと筆塚くんのこと? でも筆塚くんは八幡宮に向かったはずじゃ……ここは一体どこなの?」
「ここは八幡宮の真下に位置する地の底。そして、お前たちが黄泉の岩戸と呼ぶ場所でもある。お前は私がそいつに命じ、ここへ連れてきたというわけだ」

 白い手袋を付けた黒崎が指した方向には、遮光器土偶に似た姿の荒覇吐が、壁際に立ったまま佇んでいた。赤く光った両眼で明里を見つめているが、置物のようにじっとしていて動き出す気配は見られない。明里は荒覇吐の方を気にしつつ、黒崎に視線を戻す。

「こ、こんな近くに黄泉の岩戸があったなんて」
「八幡宮と妖の郷。これらは黄泉の岩戸へ通じる道を塞ぐ、二重の封印という役割も込めて造られたのだ。もっとも、この事実は私を含め、ごく限られた者しか知るまいがな。この封印をくぐり抜けるのに、ずいぶんと手を焼かされた。地脈を刺激して空間の歪みを作り出したのは、この封印を弱めるためでもあったのだ」
「で、でもあなたの本当の目的は、黄泉の岩戸を開くことなんでしょ? それなのに邪魔者の私たちをわざわざ呼んだりするなんて、なにを考えてるの?」
「まもなく小僧がここへ辿り着く。その時に全てを教えてやろう。全てな……フフフ」

  常に作り物のような笑みを浮かべている黒崎だったが、この時だけは心の底から笑っているようだった。その表情に底知れない不安を感じながら、明里はただ祈りながら待つしかなかった。




 手傷を負って逃走した翠子を追い、草助は八幡宮の敷地にある池へ向かって走っていた。翠子はすでに池の畔に辿り着き、空中に片手をかざして異界への入り口を作り出している所だった。

「ちっ……!」

 翠子は草助に忌々しげな眼差しを向けた後、異界への入り口の向こうへと姿を消す。

「待てっ!」

 草助も急いで後を追い、翠子が作った異界への入り口に飛び込むと、妖の郷の同じ場所――御霊の池と呼ばれる場所へと出てきた。目の前には池の中央へ向かって伸びる桟橋があり、翠子が桟橋の端から池の中へ飛び降りるのが見えた。

「迷うことなく池に飛び込んだな……やっぱりこの先に、あいつにとって大事な物があるってことか」
(納得してないで早く追い掛けな! 見失うよ!)

 頭に響くすずりの声に急かされ、草助も桟橋を走って池の中へと飛び込む。水の感触があるのは一瞬だけで、すぐに空気のある空間へと変化し、草助は洞窟の中へと着地する。修行の仕上げで訪れた時と見た目は変わっていないが、洞窟には尋常でないほどの障気が充満しており、その奥で響くヒールの足音が遠ざかっていくのが聞こえた。

「うっ……こ、このまま進んだらタダじゃ済まないぞ」

 僅かにそれを嗅いだだけで、感覚の鋭い草助は一気に気分が悪くなってくる。着物の袖で口元を押さえてみたが、息苦しくてとても走れそうもない。どうしたものかと少し考え、草助は筆で左の手の平に「清」の文字を書くと、それを自分の喉元に押し当てた。

「さあ、効き目はどうかな」

 すると吸い込んだ空気は喉元で浄化され、普通に呼吸が出来るようになった。草助は急いで駆け出し、洞窟の奥へと消えた翠子の後を追った。以前は入り組んだ迷路のようになっていた洞窟は、ほぼ一本道になっており、真っ直ぐ走っているだけでドーム状の広い空間に辿り着いてしまった。草助たちが妖の郷で修行している間、すずりが過ごしていた部屋である。部屋の中央にある石を削り出した台座と、床に描かれた円形の模様はそのままだったが、奥の壁が崩れて大きな穴が空き、その奥に短い通路と、底の見えない大きな穴がぽっかりと口を開けていた。

「前に来た時は、こんな物はなかったぞ。肉吸いはこの穴を降りたのかな」
(他に隠れる場所なんてなかっただろ。早く後を追いな)
「も、もしかしてこの穴に飛び込むのか? どれだけ見ても、さっぱり底が見えないぞ」

 すずりから叱咤の声があるかと思っていた草助だが、予想と違ってすずりは沈黙したままである。どことなくすずりの様子が普段と違うことに気が付き、草助は訊いた。

「どうしたすずり。なにかあったのか?」
(ハッキリとは分からないんだけどさ……ずっと昔に、ここで同じ物を見たような気がするんだ)
「そりゃあ、ご先祖様が黄泉の岩戸を封じた時の記憶なんじゃないのか?」
(うん、そうだと思うんだけど……アタシ、あの時のコトはなにも憶えてないんだよ。自分がいつ、どこで生まれたのか、どうやって妖怪の大群をやっつけて黄泉の岩戸を封じたのか、まったく分かんないんだ。ただ、気が付いたら魂筆様って呼ばれて、筆塚の血筋の人間がアタシの力を借りに来るようになったってだけで……)
「それじゃあこの先に進めば、昔の記憶を思い出せるかも知れないな。もっとも、無事に帰れなきゃどうしようもないけど」
(……大丈夫だよ草助、オマエは死なせない。もう誰も死なせるもんか。さっさと肉吸いや黒崎のヤローを見つけてぶっ飛ばして、みんなで無事に家に帰るんだ。そしたらお腹いっぱいご飯食べて、いつも通りの生活に戻るんだよ。そうだろ?)

 草助はすずりの決意を直接感じ取り、表情を引き締めたまま頷く。

「ああ、僕とお前の力を合わせれば、きっと上手く行くさ。早く片付けて、みんなで帰ろう」

 意を決し、草助は奈落の底へ通じるような穴の中へと飛び込んだ。穴は深く、草助は終わりがないと思えるような距離を、どこまでも落ちていった。
 どれだけの距離を落ちたのか、気が付くと草助は広い空間の中にいた。天井が高く、岩が剥き出しになった洞窟。遠くに見える切り立った高い壁には、大きな石が壁に密着した状態でそびえ立ち、ぼんやりと薄紫の光を放っている。それを目にした途端、草助は「あっ」と声を上げた。

「この場所……そうだ、修行の仕上げに、魂だけで来た場所じゃないか!」

 草助は立ち上がり、そびえ立つ石の方へと走り出す。そして洞窟の中央辺りに辿り着いた時、人がうずくまったような大きさの石と、その隣にいる明里の姿を見つけて草助は驚いた。

「ふ、船橋さん、どうしてここに!?」
「筆塚くん!」

 草助は明里に近付こうとしたが、肌が焦げ付くような感覚を憶えて足を止める。足元に目を落とすと、円形の魔方陣らしきものが足元に描かれていた。

(結界!? しかも相当強力だぞこれは……!)

 一歩下がって周囲を見回していると、奥の暗がりから黒崎が姿を現した。黒のスーツ姿と、考えが読み取れない表情は以前と変わらないが、身に纏っている悪意と威圧感は、今までとは比べ物にならない。

「やはりここに居たんだな黒崎!」

 草助は反射的に身構えるが、突然横から現れた翠子が黒崎に駆け寄り、顔を押さえたまま彼の肩にすがりつく。

「ぐ……ううっ、言われたとおりボウヤを連れてきたんだ、早く、早く傷を治しておくれ。傷から肉がこぼれて……ひどく痛むんだよ……! 役目を果たせば、なんでも望みを叶えてやるって言ったじゃないか……!」

 翠子の顔面からはドロドロに溶けた肉が流れ落ち、ひどい腐臭を放っている。黒崎は薄笑いを浮かべたまま、翠子に視線を向けて言った。

「そうだったな。お前は役目を果たした……充分に。これはその礼だ、受け取るがいい」

 黒崎はゆっくりと右手を動かし、翠子の傷口に手のひらを向ける。だが黒崎の目を見た翠子は、咄嗟に身体を反らしてその場から逃れようとするが、すでに手遅れであった。直後、黒崎の右手が暗い輝きを放つと、翠子の頭から胸にかけた右半身が一瞬にして消し飛んだ。

「な……んで……」

 翠子は吐き出すように呟くと、仰向けに崩れ落ちた。黒崎は残った目を見開いたままの翠子に目を向け、さも当然と言った様子で言い放つ。

「ここから先は、選ばれた者しか立ち会うことは許されん。そのまま朽ち果てるがいい」
「だ、騙し……クソ……ったれ……」
「役目を終えた道具など、ただのゴミだ。ゴミを処分するのは当然……違うか?」
「嫌……だ……私は……身体を……手に入れ……て……」

 その言葉を最後に、翠子は動かなくなった。黒崎はまるで興味もないといった素振りで、口元に歪んだ笑みを浮かべながら草助の方へ向き直る。

「ようこそ筆塚草助、お前が来るのを待っていたぞ。ちゃんと筆も持っているようだな」
「ま、待っていたって、一体どういう意味だ?」
「八百年前に開かれた黄泉の岩戸は、一人の人間によって閉じられた。筆塚草雲――そう、お前たち魂筆使いの祖となった男によってな」
「その話なら知ってるぞ。黄泉の岩戸が開いたせいで溢れ出した妖怪を、すずりを手にしたご先祖様が退治して、それから黄泉の岩戸を閉じて騒ぎが収まった。それが魂筆様の伝説になっていったんだろ」
「そうだ。だが奴が黄泉の岩戸をどうやって閉じたのか、お前は知っているか?」
「い、いや。詳しい事まではさすがに」
「いくら優れた能力を持とうと、人間一人だけの力で黄泉の岩戸を閉じるのは不可能だ。そこで筆塚草雲は考案し、そのために必要な道具を作り上げた。それが、お前が手にしている筆なのだよ」
「つ、作った……ご先祖様がすずりを? それも黄泉の岩戸を閉じるためだって? すずりは溢れた妖怪を退治するために、神様に祈って授かった神器のはずだ」
「神器などではない。人間の間では都合の良い作り話にすり替わっているようだが、その筆は紛れもなく、人の手で作り出されたものだ」
「な、なぜそう言いきれる! 八海老師や鞍真だって、そんなことは言っていなかったぞ!」
「所詮奴らは話を伝え聞いただけの部外者。しかし私は違うぞ。なにしろその筆が生まれた出来事の当事者だからな」

 その言葉を聴いた途端、草助の心で長らく絡まっていた疑問の糸が、一本に繋がって解け始めていく。

「八百年前の当事者って……お前は一体誰なんだ!」
「ククク、そろそろ教えてもよかろう」

 黒崎は薄気味の悪い笑みを浮かべたまま、両手を広げてこう言った。

「我が名は道暗。かつて黄泉の岩戸を開き、真理の力に触れた者。黒崎道影という名は、今使っている肉体が元々名乗っていたものだ」
「やはり、お前が道暗だったのか!」

 草助の表情は一気に険しくなり、普段は滅多に表さない怒りを顕わにして睨み付ける。

「ほう、私の名を知っていたか」
「当たり前だ! お前は僕の父さんや母さんの仇じゃないか!」
「全ては些細な出来事よ。これから始まる瞬間に比べたらな」
「な、なんだと!」

 黒崎の言葉に怒りを募らせる草助を見て、明里は不安を募らせていた。草助が冷静さを欠いてしまえば、それこそ相手の思うつぼである。草助の気を逸らして落ち着けるために、明里は思いきって言葉を挟む。

「ね、ねえ、ちょっと。すずりちゃんが岩戸を閉じるために作られたとして、それと私たちをここに連れてきたのと、なんの関係があるの?」

 草助は結界の中にいる明里に目を向け、ふと我に返る。さらに草助の手から筆が勝手に飛び出し、普段のすずりの姿に戻って草助の前に躍り出た。

「おっ、おいすずり、いきなり元に戻るんじゃない!」
「オマエは頭を冷やしてな。アタシもさ、コイツに聞きたいことがあるんだよ。千年前に何があったのか、どうしてアタシが生まれたのか、全部吐いてもらうよ」

 黒崎は草助、明里、すずりと視線を移した後、急に笑い始めた。突然の出来事に驚いている草助と明里を他所に、黒崎は笑いながらすずりに言った。

「ククク、哀しいな。道具であるお前が、自分が作られた意味さえ憶えていないとは」
「うるさい! オマエなんかに同情される筋合いはないんだよ!」
「その減らず口は変わらんな。八百年前、お前がまだ人間だった頃のままだ」
「い、今なんて……アタシが人間……だった……?」

 衝撃的な事実に言葉を詰まらせるすずりに対し、黒崎は相変わらずの笑みを浮かべたまま続ける。

「お前は元々普通の人間だったのだよ、すずり。当時、草雲は身寄りのない幼子を引き取り面倒を見ていた。それがお前だ」

 黒崎の発言に目を丸くした草助は「本当なのか?」と問うが、すずりは首を横に振る。

「……ダメだ、なにも思い出せない。デタラメ言ってたら承知しないよ!」
「憶えていないのは当たり前だ。そうなるように草雲が仕組んだのだからな」
「ど、どういう意味さ!」

 両眼の端を釣り上げてすずりは言うが、その瞳には己の知らない過去に対する不安が滲んでいた。

「言ったはずだ。草雲がお前を作ったと。奴は黄泉の岩戸を封じるため、お前を人身御供として捧げたのだ」



 すずりは雷に打たれたように、黒崎の方を見たまま硬直している。草助も明里も、あまりに衝撃的な告白に声が出なかった。すずりの動揺を楽しむように眺めながら、黒崎は尚も続ける。

「秘術によって転生したお前は、人としての記憶を失った。それ以来、お前は自分が生まれた理由も忘れ、ただ妖怪退治の道具として人間に使われ続けていたのだ。もっとも、草雲は最初からそうするつもりで、お前を引き取っていただけかも知れんがな。ククク、ハーッハッハッハ!」

 洞窟内に響き渡る黒崎の笑い声が、容赦無くすずりの心を抉っていく。すずりは両手で耳を塞ぎ、目を閉じて必死に堪えていた。

「さて、本題に入るとしよう。私がお前たちをこの場所に集めたのは、昔話を聞かせるためではない。お前たちのいずれも、黄泉の岩戸を開くのに必要だからだ。黄泉の岩戸を閉じた筆、それを扱う資格のある者、そして他者の霊力を増幅する霊妙力の持ち主……地脈を刺激して時空の歪みを増幅させ、これだけの駒が揃った今、最後の封印を砕くなど容易いことだ」
「さ、最後の封印だって?」

 草助が聞き返すと、黒崎は人差し指で明里の傍にある石を指す。

「それは岩戸を封じるため、草雲が時空の裂け目に打ち込んだ楔。それがある限り、岩戸は完全に開くことはない。そして見ての通り、楔は強力な結界によって護られている。だが、それを無力化できるのがお前たちなのだ」
「なっ、なんだって!?」
「まだ気付かんのか。お前はどうやって八幡宮の結界を通り抜けた? 異空間への扉を自在に作り出し、そして同様に消し去ることこそ、その筆が持つ真の力なのだ。妖怪退治の能力など、本来の力を転用しているだけのおまけに過ぎん」
「よ、妖怪退治がおまけ……そんな馬鹿な」
「その筆の力を利用すれば、黄泉の岩戸を再び開くことも可能。だからこそ、今までお前たちを生かしておいたのだ」
「か、仮にその話が本当だとして、僕らが大人しく言う通りにすると思うのか!」
「お前の意志など関係ない。全ては私の計画通りに進んでいる」

 黒崎の両眼が妖しく輝いた瞬間、草助の全身はピンで貼り付けにされたように硬直し、どれだけ力を込めても指一本動かせなくなってしまう。すずりや明里が草助の元へ駆け寄ろうとすると、荒覇吐が突然動き出し、二人の行く手を遮った。

「ぐっ……う、動けな……!」
「知れたこと。お前の身体を頂き、私自身の手で忌々しい楔を打ち砕くのだ」
「な……にっ……!?」
「私には自分の身体というものが無い。私の肉体は八百年前、黄泉の岩戸が閉じられた時に失われてしまったのでな。だから都合の良い身体に乗り移りながら、長い時を生き続けてきたのだ。この身体を手に入れる前、本来ならばお前の母親の身体をもらい受けるつもりでいたのだが、少々予定が狂ってな。だが、結果的には私にとって理想的な形で落ち着くことになった。ククク、運命とは皮肉なものだな」
「ち……くしょう……ぐああああっ!」

 草助は全身の力と霊力を振り絞って抵抗するが、黒崎の呪縛はそれをたやすく押さえ込むほどに強力で、まるで歯が立たない。

「抵抗しても無駄だ。お前のような未熟者に破られるほど、我が術はヤワではない。さあ、無駄な足掻きはやめて身体を明け渡せ」
「い、嫌だ……ッ……うわあああああああッ!?」

 黒崎と草助の身体が紫色の光に包まれると同時に、草助の叫びが洞窟に響き渡る。やがて光が収まると、黒崎は糸が切れた人形のようにその場で倒れ、ぴくりとも動かなくなった。

「ふ、筆塚くん……?」
「草助ッ!」

 明里とすずりが呼びかけると、草助はゆっくりと二人の方へ顔を向ける。だが、その顔には黒崎そっくりの歪んだ笑みが浮かんでいた。

「ククク、やはり若い肉体は活きが違う。魂筆使いの肉体というのも悪くないな」
「ちょ、ちょっと……筆塚くんはどうなったの!?」
「小僧の魂は私が抑え込んでいる。今も抵抗を続けているようだが、それも時間の問題だ。肉体との繋がりを失った魂は力を失い、じきに消滅するだろう」
「そんなの絶対許さないわ! 早く筆塚くんから出て行きなさいよ!」

 明里は大声で喚くが、草助に乗り移った道暗が「黙れ」と言いながら一瞥しただけで、明里は喉を押し潰されたように声が出せなくなってしまった。

「それでは儀式を始めよう。来い、すずり。我が手の中へ――!」

 道暗がそう言った途端、すずりは自分の意志と無関係に筆へと姿を変え、引き寄せられるように手の中へ収まってしまう。すずりも元の姿に戻ろうと暴れたが、道暗の圧倒的な霊力で抑え込まれてしまい、まったく抗うことが出来なかった。道暗はゆっくりと楔の石へ近付くと、振り返って明里に視線を移した。

「次はお前だ。私の元へ――」

 草助に乗り移った道暗に見つめられた途端、明里は何かに取り憑かれたようにボーッとし、、自分から草助の身体に近付き、彼の左腕に抱かれる格好となった。直後、道暗は自らの暗く強大な霊力を解放し、それは明里の能力によってさらに膨れ上がっていった。

「フフ、素晴らしい力だ。こいつの存在がなければ、私の計画は数年遅れていただろう。この女がこのタイミングで自らの能力に目覚めたのも、ただの偶然ではない。我らは皆、深き因縁によって繋がっているのだ。お前たちには分からぬだろうがな……フフフ」

 道暗は体内でもがく草助に聞かせるように言いながら、口元を歪めて笑う。

「しかしそれも、これで終わる。ゴミのような存在がいくら足掻いたところで、結局はこうなる運命だったのだ。お前たちの行動全てが無意味だったと、あの世で草雲に伝えるんだな、ククク、ハーッハハハハハ!」
(う、ぐっ……やめろ、彼女を離せ……! その石に手を出すんじゃ……!)

 道暗の術に抑え込まれながらも、草助の魂は必死に叫ぶ。しかしその思いも虚しく草助の魂は抑え付けられ、道暗は握り締めた筆に膨大な霊力を流し込み、無情に薙ぎ払う。乾いたような音と共に結界は弾け飛び、それと同時に楔の石は一気に風化して崩れ始めていった。

「開け、開け黄泉の岩戸よ! そして再び、我の前に真理の力を示せ! 私が全てを取り戻す日が、ついにやってきたのだ!」

 洞窟の中に、道暗の勝ち誇った笑い声が響き渡る。やがて洞窟全体が大きく鳴動し始め、壁に沿ってそびえ立つ巨大な岩が、地響きと供に少しずつ動き始めていた。

(あ、あああ……っ!)

 間もなく黄泉の岩戸は完全に開き、意志を現実に変えるという禁断の力が溢れ出すことになる。それを最初に手に入れるのが道暗であれば、それは地上が再び地獄と化すことを意味していた。

(くそっ、もうダメなのか……結局あいつの思い通りに動かされていただけで、僕らのしてきたことは、本当に無意味だったっていうのか)

 草助は見ているしか出来ない自分が悔しくてたまらなかった。絶望に打ちひしがれ、全てを諦めそうになったその時、かすかに自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。

(な、なんだ? 誰かが呼んで――)

 その瞬間、草助の視界は真っ白な光に包まれた。なにも見えないその中で、どこか懐かしさを感じる声が聞こえてきた。

(草助、草助……聞こえているか。まだ諦めてはならん)
(だ、誰だ? どうして僕の名前を?)
(時は来た……お前に真実を伝えよう。黄泉の岩戸と魂筆使いにまつわる、全ての真実を……そして全てを知った後、お前自身の意志で決めるのだ)
(真実って……待って、もしかしてあなたは――!)

 言い終わる前に、草助の心は真っ白な光の彼方へと吸い込まれていった。
 




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