魂筆使い草助
第二話 前編
〜ひだる神〜



 ある冬の日の夜、朝比奈市の外れにある祠(ほこら)の前を一人の若い女が通りかかった。彼女は太っていて、お世辞にも美しい容姿とは言えず、日頃からその事を身の回りの人々にからかわれて、悔しい思いをしていたのである。

(なによ、皆で人の事を馬鹿にしてさ。私だって痩せさえすれば……でもダイエットは面倒だし、整形したりエステに通うお金も無いし……あーあ、苦労せず楽に痩せられたらなあ。ああ、痩せたい痩せたい痩せたい……)

 彼女が顔を上げると、祠の前に奇妙な人影があった。頭からボロ布を纏い、じっと自分の方を向いて佇んでいる気がした。気がしたというのは、相手の顔は布の奥に隠れていて見えなかったからだ。彼女は痴漢か変質者と思ったが、夜のこの場所は人気も少なく、騒いでもほとんど人の耳に声は届かない。下手に騒いで相手を刺激するより、素早く通り過ぎてしまう方が安全だと彼女は考え、足早に祠の前を通り過ぎようとした。

「そこのお嬢さん」

 呼び止められて、彼女は足を止める。だが話を聞きたくて立ち止まったわけではなかった。ボロ布の奥に光る目に睨まれた途端、足が一歩も動かなくなってしまったのである。それどころか、悲鳴を上げようにも声すら出ない。

「……ひっ!?」
「まあまあ、そう怖がりなさんな。別にお嬢さんをどうこうしようなんて気はねぇよ。それより、いい話があるんだ」

 ボロ布を纏った人物は、老人のようにしゃがれた声で言いながら近づき、硬直している女の耳元でこう言った。

「お嬢さん、あんた苦労せず楽に痩せたいと思っていたなあ。それに綺麗になりたい、金も欲しいと思っていた。違うかい?」

 考えていたことを言い当てられて、彼女は目を見開く。耳に当たる息は、ぞっとするような冷気を帯びていて、おぞましさと恐怖が押し寄せてくる。

「ひっひっひ、気にする事はねえ。俺は欲深い人間が大好きなんだ。そこであんたにいい物をやろうと思ってね……これだ」

 ボロ布を纏った人物は、骨と皮ばかりの腕を差し出し、小さな赤い玉を彼女に見せた。

「これを飲めば、たちどころにお嬢さんは痩せられる。おや、信じられねえってツラしてるなあ。ま、騙されたと思って試してみなよ」

 ボロ布を纏った男は、身動きの取れない女の口をこじ開け、無理矢理に赤い玉を呑み込ませる。

「これであんたの望みがひとつ叶うってわけだ。そいつを気に入ってくれたら、またここへ来な。あんたの欲望を俺が満たしてやろう……ひっひっひ」

 乾いた笑い声が夜道に響き渡る。その時、一陣の風が吹き抜けたかと思うと、ボロ布を纏った人物の姿は影も形もなくなっていた。我に返った女性は、身体が自由になっている事に気が付くと、脇目もふらずにその場から逃げ出していた。




 筆塚草助の朝は、米を研ぐ事から始まる。ボサボサな髪は元から癖毛ぎみなのと、寝癖をそのままにしているからだ。眠そうな目つきはいつもと同じだが、冬の刺すような水の冷たさと、米の研ぎ音で眠気を吹き飛ばす。米の入った内釜を炊飯器に入れてスイッチを入れると、炊きあがるまでの間に味噌汁とちょっとしたおかずを用意する。今日の味噌汁の具は、絹ごしの豆腐とほうれん草、おかずは鮭の塩焼きにした。草助は特に和食派というわけではないが、一日の始まりは米と味噌汁に決めている。これは日頃世話になっている八海老師の食生活に合わせている事もあるが、草助は単純に米と味噌汁が好きなのである。高校生の頃、同級生にそれを話したところ、米なんて味がしないだの、それ以前に朝ご飯なんかいちいち食べてないだのと言われてしまった。米が取るに足らない食料のように思われていることや、朝食すらまともに食べずにいて、それを良しとするような風潮はなにかが間違っていると、草助は密かに腹を立てたものである。

「ご飯を食べるって幸せなのになあ。それが分からないなんて」

 と、彼は呟きながら二人分の朝食をテーブルに運ぶ。祖父の残してくれた骨董屋で一人暮らしをしていた草助だったが、数日前から同居人が一人増えたため、今までより余分に食事を作らなければならなかった。そして肝心の同居人は、朝食の準備が出来ても寝床から出てくる気配がない。草助は「しょうがない奴だ」とため息を付き、寝室に引かれた小さな布団を思いっきりはぎ取った。

「こら、いつまで寝てるんだ。いい加減に起きろ」
「ぎゃあああ寒いいいいっ」

 布団の中でダンゴムシのように丸まっていた十歳くらいの少女が、甲高い声で悲鳴を上げる。薄いピンク色のパジャマを着て、可愛らしい顔つきの娘である。おかっぱ頭の綺麗な黒髪の持ち主で、伸ばした後ろ髪は途中で結び、先端が筆先のような形になっている。彼女は草助が日頃世話になっている梵能寺の住職、八海老師から預けられた娘で、名をすずりという。

「いきなりなんて事すんだよバカ! エッチ!」
「朝ご飯出来てるぞ。さっさと出て来い」
「ちぇっ、もっと優しく起こしてくれたっていいじゃんかー」
「あのな……昨日も一昨日も、いくら呼んでも布団から出て来なかったのはどこの誰なんだ?」
「いやほら……だって寒いし」
「とにかくだ、早く食べよう。味噌汁が冷めるじゃないか」
「ふわーい」

 すずりは大きな欠伸をし、眠そうに目を擦りながら居間へと向かった。起きるときはあれこれと文句を言うすずりだが、食事を前にするとその食いっぷりたるや凄まじく、三合の白米をあっという間に平らげてしまう。呆れた草助がテレビに目をやると、朝のニュースで街の噂を調査するコーナーがやっていた。

「ここ最近、口コミで広まっているという謎のダイエット薬ですが、あまりの人気に手に入れるのは大変難しいと言われています。気になる成分について販売者に取材を申し込みましたが、企業秘密ということで断られてしまいました。ただ、薬の効果は紛れもなく本物で、これを飲んだおかげで見違えるほどスリムになったという話が多く寄せられており――」

 女性リポーターが若い女性にインタビューをしている場所は、草助が通う大学のすぐ近くである。話をしている大学生の中には、見覚えのある顔も何人か含まれていた。

「どうせなら大食らいを治す薬があればいいのに」

 ため息混じりに呟いたその時、映像に噂のダイエット薬が映る。透き通った赤い玉で、一見するとただの飴玉である。なんとなく画面を眺めていた草助だったが、僅かな一瞬、赤い玉の中でなにかがぬるりと動いたように見えた。

(なんだ今のは……?)

 草助はよく確かめようと目を見張るが、映像はすぐに切り替わってしまった。

(うーん、気のせいか。すずりの相手で疲れているんだろうか)

 首を傾げる草助の目の前に、一粒の米も残っていない茶碗が勢いよく差し出される。

「おかわり!」
「……もうご飯無いぞ」
「えーっ! なんでもっと炊いてないのさー。飯が足りないぞー!」
「まるで底なし沼だなお前の胃袋は……八海老師の所でも毎日こうだったのか?」
「じいちゃんは粗食も修行とか言って、あんまり食わせてくれなかったんだよねー」
「当たり前だ。毎食こんなに食わせていたらエンゲル係数が跳ね上がってしまうだろ」
「えんげ……なにそれ?」
「とにかくだ、この調子じゃ僕が飢え死にしてしまう。今後はご飯の量を減らすからな」
「なんでさー! 草助のケチ! 育ち盛りに食わせないなんてサイテー!」
「育ち盛りってな……お前は妖怪だろ。人間よりずっと長生きしてるじゃないか」
「妖怪だってお腹は空くの!」

 見た目は十歳くらいの女の子だが、すずりは人間ではなく妖怪である。朝比奈市に伝わる数百年前の昔話に登場し、魂筆様として奉られてきた存在なのだ。

「だからって際限なく食わせる米もお金も持ってないぞ。言っておくが、僕は貧乏だ」
「威張るなよそんな事……」
「食べるありがたみが分かるってもんだろ。ほら、食べ終わった食器はちゃんと片付けるんだぞ」
「わかったよ、ちぇっ」

 不満そうにブツブツ言いながら、すずりは食器を重ねて持ち、背伸びをして流し台に置く。短気な彼女に食器洗いを任せると、片っ端から割ってしまうので、これは草助が受け持つことにしている。手早く食器を洗って片付け、草助は綿のシャツの上に紺色のセーターを重ね、ジーンズを穿いていつもの服装に着替えた。すずりもパジャマから普段着の赤い着物に着替えると、草助に訊ねた。

「で、今日はどうすんの? また一日中ヒマな店の番するのか?」

 草助の家は商店街の中程にある木造の古物店で、大学の授業がない日には、めったに客の来ない店の番をしながら、あれこれ考え事をしたり絵の構図を考えたりするのが日課であったが、落ち着きのないすずりは退屈な店番にうんざりした様子で舌を出す。

「今日はこれから大学へ行くんだよ。一時限目から講義があるから」
「大学って、学校か!?」
「あ、ああ、そうだけど」
「なあ草助、アタシも連れてってよ。学校がどんな所か、一度行ってみたかったんだよね」
「ダメに決まってるだろ。お前は家で留守番だ」
「ふざけんなコラァ! アタシだけハブにしようったってそうはいかないかんね! 連れてけコノヤロー!」
「相変わらず口が悪いなお前は……部外者が入っちゃダメな決まりなんだよ」
「だったら問題無いじゃん。アタシ部外者じゃないし」
「どこが」
「草助の保護者だもん」
「おい。なにが悲しくて大学生がこんなチビッコに保護してもらわなきゃならんのだ」
「あっそう。じゃあ草助は悪霊や妖怪が出て来ても一人で相手できるんだねー。知らなかったなー」
「ぐっ、い、痛いところを……」
「アタシから見たら草助なんて、まだまだヨチヨチ歩きのひよっこなんだから。すずり様を置いてけぼりなんて百年早いっ」
「し、仕方ない……大学では目立たないようにして、大人しくしてるんだぞ」
「わかってるってば。そんじゃ早速行ってみよー!」

 嬉しそうに張り切るすずりと対照的に、草助は顔を押さえてため息を付くのだった。




 朝比奈市から電車で二十分ほど離れた縦浜市に、草助の通う美術大学がある。一緒に連れてきたすずりは、ちょっと目を離した隙に一人でどこかへ行ってしまい、結局戻ってこないまま一限目の時間になってしまった。草助は仕方なく講義に参加していたが、すずりが騒ぎを起こしたりしないかと気が気でなく、講義の内容も半分以上聞き流してしまうような有様だった。講義が終わるとすぐ、大学内を歩き回ってすずりの居場所を訊ね回ったが、一足遅かったり入れ違ったりで、なかなかすずりを捕まえることができない。中庭までやって来て時計台に目をやると、二限目の授業が始まってしまう時間が迫っていた。草助は後ろ髪を引かれる思いで、次の授業が行われる第二棟のアトリエへと向かおうとしていた。その様子を見ていた一人の女学生が、草助の後ろから駆け寄り、彼に歩幅を合わせて話しかけた。

「どうしたの筆塚くん。なんだか浮かない顔してるじゃない。あちこちウロウロしてたみたいだけど、なにか落とし物?」
「やあ、船橋さん。落とし物というか、捜し物というか」



 チェックのハンチング帽を少し持ち上げ、草助の顔を覗き込むように見ている彼女は、同期生の船橋明里という。やや茶色がかったセミロングの髪と、愛嬌がありつつも整った顔立ちをしており、綺麗な身なりも相まって育ちの良さを伺わせる。ハンチング帽はいつも被っているお気に入りで、彼女のトレードマークでもあった。セーター越しによく分かる見事な胸元や腰のライン、デニム地のタイトパンツを穿いた長い足など、スタイルも申し分ない。その外見と明るく大らかな性格も手伝って、船橋明里といえば男子学生の間でも人気が高く、名が知れていた。そんな彼女と知り合うことが出来たのは、草助の描いた絵が彼女の目に止まり、明里の方から話しかけてきた事がきっかけだった。その後も顔を合わせれば他愛のない世間話などをし、今ではこうして普通に言葉を交わせるようになっていた。

「へえ、そうなんだ。私も探してあげよっか?」
「もう二限目が始まってしまうし、後でいいよ。お腹が減ったら出てくるだろうし」
「えっ、お腹?」
「い、いや、なんでもない。さあ急がなくちゃ」

 草助は明里を促し、第二棟のアトリエへと駆けていった。
 二限目は絵画の授業で、人物のデッサンをすることになっている。草助と明里がアトリエに顔を出すと、部屋の真ん中に人だかりが出来ていて、ちょっとした騒ぎになっていた。何事かと思ってつま先立ちをして覗き込んでみると、人だかりの中心にあるモデル用の椅子に、赤い着物を着たすずりが腰を下ろし、回りの学生たちにちやほやされているではないか。

「ぶっ!? な、なにやってるんだこんな所で!」
「よー草助、遅かったじゃん。ここで待ってればアンタが来るって聞いたからさー」
「あ、あれほど目立つなと言ったのに……」

 顔を押さえてうなだれる草助に、回りの視線が集まり、どよめきが起こる。すずりと草助の顔を交互に眺めた後、明里が草助の肩をツンツンとつつく。

「ねえねえ筆塚くん、あの女の子と知り合いなの?」
「あ、ああ、ちょっとね」

 二人の会話を逃さず聞いていたすずりは、悪戯っぽい笑みを浮かべ、間髪入れずにこう言った。

「アタシと草助は同棲してるんだよ」

 その途端、ざーっと波が引くように人だかりが引いていき、アトリエの隅でひそひそと小声で話し合ったり、ジトッとした白い視線が草助に注がれた。

「こら、誤解を招くような言い方をするんじゃない!」
「同棲ってまさか……草助くんの子供!?」

 本気で驚く明里に、草助はガクッと膝の力が抜けて倒れ込む。

「僕の年齢でこんな大きな子供がいてたまるかっ」
「でも、一緒に住んでるって」
「ああ、ちょっと事情があってね」

 草助は明里や周囲の学生に、すずりと一緒に暮らしている事情を説明した。彼女が妖怪であるという事は、当然ながら秘密である。

「へえ、すずりちゃんっていうんだ。ちょっと珍しいけど、いい名前ね」
「えっへっへ、アンタは草助と違って正直だねー。名前はなんて言うのさ?」
「私、船橋明里。筆塚くんとは同期なの。よろしくねすずりちゃん」
「むむむっ」

 ニコッと笑顔を作る明里を、すずりはつま先から頭までまじまじと見つめ、ある一点を凝視しながら神妙な口調で訊ねた。

「なあ明里。ひとつ質問があるんだけどさー」
「あら、なにかしら」
「なに食ったらそんなに育つわけ?」
「育つって、なにが?」
「だから、おっぱ……」

 その瞬間、電光石火の素早さで草助がすずりの口を塞ぎ、わははと笑って誤魔化すと、すずりを思いっきり睨み付けた。

「なんちゅう質問をしてるんだお前はっ」
「アタシの将来の為に聞いてんの文句あっか! 草助だって気になるだろー!」
「もう少しオブラートに包んで言わないか。いくらなんでも直球過ぎるだろう」
「女同士なんだから別にいーじゃん。草助ってばいちいち細かい」
「わかった、わかったから少しその減らず口を閉じようか」
「あだだだ、あにふんらっ!」

 顔の筋肉を引きつらせながら、すずりの頬をつまんで引っ張る草助を見て、明里はクスクスと笑う。

「二人とも仲がいいのね。まるで兄妹みたい」
「もっと可愛げのある妹なら良かったんだけど」

 すずりからは刺すような視線が飛んできたが、草助は知らん振りをして受け流す。そんな事をやっているうちに、美術の講師がアトリエにやって来た。歳は五十代くらいで、グレーのスーツを着た白髪交じりの中年男性である。彼はアトリエに紛れ込んでいるすずりを見て少し驚いた顔をしたが、なにを思ったのか、講師は彼女をデッサンのモデルにしようと言い出した。

「なにを考えてるんですか教授は」
「ん、あの子がモデルだと不満なのか筆塚?」
「いや、その前に気にするべき事がてんこ盛りでは」
「はっはっは、着物姿の女の子なんて、今時珍しいじゃないか。最近デッサンのネタもマンネリ化してた気がするし、たまには変わったモデルをデッサンしてみるのも悪くないだろう。それにだ」
「それに?」
「和服の美少女だなんて、グッと来るじゃあないかっ!」
「あ、あのね……」

 ダメだこりゃ、と嘆息する草助を除いて、他の学生たちはみんな乗り気である。まるでアイドルのような扱いにすっかり気を良くしているすずりを見て、草助はやれやれと肩をすくめるのであった。




 デッサンの授業が終わり昼休みの時間になると、草助はすずりを連れて大学の食堂へと足を運んでいた。草助は日頃から金欠気味のため、大学へ来た時は必ずここで昼食を取る事にしている。草助は四五〇円のラーメンを二人分注文し、窓際のテーブルですずりと向き合いながら箸を付けていた。

「ったく、今度から急にいなくなったりするんじゃないぞ。今回はたまたま怒られなかっただけなんだからな」
「はいはい、わかってるってば。早く食べないとラーメン伸びるよ」
「箸で人を指すんじゃない。行儀が悪いぞ」

 などとすずりに注意していると、パスタのランチセットを持った二人の女性が、彼らのいるテーブルに近付いて声を掛けてきた。先頭に立っていたのは明里で、その後ろに並んでいるのは、童顔でショートヘア、ボーダーのカットソーとデニムのスカートというカジュアルな服装の女性である。明里は草助の席に近付き、にこやかに笑顔を作って言った。

「ねえ筆塚くん、私たちも一緒にお昼食べていいかしら」
「もちろん構わないさ。後ろの人は?」
「私の友達で、友美っていうの。すずりちゃんを見たいって言うから連れてきたのよ」


 草助の隣には明里が、友美はすずりの隣に座った。明里はハンチング帽を脱いで膝の上に置くと、ラーメンをすすっているすずりをまじまじと見つめて微笑んだ。

「それにしても、すずりちゃんって近くで見ると、お人形さんみたいで本当に可愛いわね」
「でっへっへ。いやあそれほどでも」

 明里とその友人に持ち上げられて気分を良くしたすずりは、両脚をパタパタと動かして頬を緩めている。こうした様子を見ていると、彼女が妖怪だなどとは誰も思わないであろう。

「でもさ、話には聞いてたけど、実際目の当たりにすると凄いわね色々と。明里ってば、いつも変な物にばかり興味示すんだから。友人ながら、未だにそこら辺の感覚だけは理解しがたい領域ね」

 と、童顔ショートヘアの友美が、すずりや草助を物珍しそうに眺めながら言う。

「もう、失礼でしょ。私は個性的なものが好きなだけよ。ありきたりで他と同じなんてつまらないじゃない」

 むくれる明里に、友美が「ごめんごめん」と笑いながら謝っている。草助にとって、変人呼ばわりされる事は慣れているので構わないが、女同士で盛り上がっている彼女たちと自分との間には、相容れることのない距離を感じてしまう。

(妖怪や魂筆使いのこと……彼女たちに知られるわけにはいかないな)

 すずりが調子に乗って口を滑らせはしないか、それだけが心配である。当のすずりは、ラーメンのスープまで一滴残らず飲み干して、どんぶりをテーブルに置いて言った。

「なーなー草助、おかわり欲しいんだけど」
「ダメだ。いくら安いからって、無駄遣いできる余裕はないんだからな」
「もー、草助のケチー! こんだけじゃ全然食った気がしないんだってばー! アタシが成長しても胸が小さいままだったら、草助のせいだかんね!」

 駄々をこね始めたすずりにため息を付いていると、隣に座っていた明里が自分の財布から千円札を出し、すずりに差し出した。

「これで好きなの買ってくるといいわ。遠慮はしなくていいから」
「やった! 明里ってばどこかの誰かさんと違って気前がいいねっ」

 すずりは受け取った千円札を握り締め、食堂の注文カウンターへと走っていく。大盛りカレーライスにチャーハン、餃子を注文して見事に千円札を使い切ると、すずりは意気揚々と席に戻ってきた。

「た、たくさん頼んだわね。これ全部食べる気なの?」

 訪ねる明里に、すずりはコクリと頷く。

「まだ物足りないけど、今日はこのくらいで我慢してやるよ。そんじゃ、いただきまーす!」

 唖然とする明里を他所に、すずりは猛烈な勢いで料理を食べ始める。血を見たサメのような食いっぷりに、女性二人が目を丸くして驚いていた。十分と経たずに山盛りの料理を平らげたすずりは、椅子にもたれながら腹をポンポンと叩く。しかし彼女の表情には、まだまだ余裕の色が残っている。

「ふー、ごちそうさまっ」
「す、凄い……すずりちゃんってば大食いチャンピオンになれそうね。でもいいなあ。私も一度くらい、カロリー気にせず思いっきり食べてみたいなあ」

 明里が羨ましそうに呟くと、友美がなにかを思い出したように手を叩き、バッグの中から透明なビンを取り出してテーブルに置いた。ビンの中には五百円玉くらいの直径の、赤くて透明な玉が二つ入っている。

(あれは今朝のニュースで言ってたダイエット薬じゃないのか)

 と、草助は見覚えのある赤い玉に目を凝らす。なんの変哲もない飴玉にしか見えないが、草助の鋭い霊感が、僅かな違和感を敏感に感じ取っていた。

「んっふっふ、思いっきり食べたいと言ったわね明里。そこでコレの出番ですよ」

 友美はニヤリと笑みを浮かべ、蓋を開けて玉をひとつ取り出して手のひらに乗せた。

「なんなの、それ?」
「よくぞ聞いてくれました。これはね、口コミで話題になってる奇跡のダイエット薬なのでーす。散々苦労して、ようやく手に入れたんだから」
「あ、その話なら聞いた事があるわ。確かどんなに食べても絶対に太らなくなる薬って噂だけど……そんな夢みたいな事が本当にあるのかしら」
「んもー、明里ってば疑り深いんだから。私の知り合いの子ですごく太ってた子がいたんだけど、これを飲んでから一気に十キロも痩せたのよ。しかも食事制限は無しで。本人に会って話を聞いたんだから間違いないわ」

 そう言って、友美は明里に赤い玉を手渡す。明里は不思議そうに赤い玉を眺めていたが、それ以上の疑問は抱いていない様子だった。

「それじゃ、いち、にの、さんで飲むわよ。いち、にの――」

 さん、と友美が言いかけた所で、草助が「待った」と明里の手首を掴んで止めた。

「よせ。そいつは飲まない方がいい」
「ど、どうして?」

 急に手首を掴まれた明里は、驚いて手を引っ込める。残る二人の視線が、草助に集まった。

「上手く説明はできないけど、その赤い玉に嫌な気配を感じるんだ。こういう時、僕の予感は良く当たるんだよ」
「嫌な気配って……筆塚くんて実は超能力者とか?」
「そもそもこれは本当に薬なのかい? どんな副作用があるかわからないし、少し様子を見た方がいいと思う」

 いつになく真剣な草助の様子に、明里は赤い玉を飲む事に躊躇いを憶えた様子だった。

「ちょっと、これ手に入れるのにいくら払ったと思ってるのよう。元を取るためにも、効果を確かめなきゃ納得出来ないわ。とにかく、私は飲むからね」

 と、友美は制止も聞かず、赤い玉を飲み込んでしまった。

「ま、明里は元からスタイルいいし、ダイエット薬はあまり必要無いだろうけど。効果が出たら教えるから、その時はあんたもちゃんと飲みなさいよ。じゃあ私は用事があるから、そろそろ行くね」

 友美は席を立ち、明里に手を振って一足先に去ってしまった。取り残された彼女の手のひらには、未だ赤い玉が残されている。

「ど、どうしよう。せっかくもらったのに捨てるのも忍びないし」
「船橋さん、こいつは僕に預からせてくれないか」
「ええ、それは構わないけど」

 赤い玉を受け取って着物の懐に入れると、草助はおもむろに立ち上がり、明里に視線を落とす。

「すまないが、僕も失礼するよ。急用が出来てしまってね」
「えっ、あの、筆塚くん?」
「僕の電話番号を教えておくから、なにか変わったことがあったら電話してくれ。それじゃ」

 草助は明里と携帯電話の番号を教え合うと、すずりを連れて大学を後にした。帰りの電車に揺られながら赤い玉を眺めていると、彼の脳裏に一抹の不安がよぎるのであった。
 朝比奈市に戻った草助は、自宅ではなく街外れの梵能寺へと向かった。梵能寺の住職である八海老師は草助にとって様々な意味を含めた恩師であり、草助に「魂筆使い」として妖怪退治の使命を与えた人物でもある。齢六十も半ばを越え、頭頂部を残して頭はすっかり禿げ上がってしまい、度の強いビン底眼鏡がトレードマークである。しかし足腰は健康そのもので、スケベ心にも衰えは見られない元気な老人である。草助は本堂に顔を出し、袈裟を纏ってお経を読んでいた八海老師に声を掛け、例の赤い玉を見せた。すると、分厚いビン底眼鏡の向こうで八海老師の目尻がピクリと動いた。

「ふむ……確かにお前の言う通り、妙な気配を感じるのう。じゃが、弱々しすぎてはっきりと分からん。言われなければワシも気が付かんかったわい」
「僕にはこれが、ただの薬には思えないんですよ。どれだけ食べても太らなくなるという話も含めて、どうも怪しくて」
「うむ。ちょいと調べてみるか。儀式をせにゃならんから、何日か掛かるがええかの?」
「お願いします老師。良くないことが起きなければいいんですが……」

 草助の呟きに、八海老師も頷く。しかし彼の不安は最も悪い形で的中してしまう事になる――。




 赤い玉の件があった日から四日が過ぎた頃、昼食を食べながら眺めていたテレビでは、栄養失調で倒れ病院に運び込まれる人々が続出するというニュースが流れていた。ところが奇妙なのは、そのほとんどが女性であり、いずれも食事が取れないような環境ではなかったという。原因不明の新しい奇病ではないかと様々な憶測が飛び交い、新聞にも大きく取り上げられている程だった。一連のニュースに悪い胸騒ぎを憶えていると、草助の携帯電話が鳴り響く。呼び出しの相手は明里であった。

「もしもし、筆塚ですが」
「あっ、筆塚くん! 友美が大変なのよ!」
「落ち着いて船橋さん。なにが大変なんだい」
「こないだ一緒にお昼食べた私の友達、憶えてるでしょ。あの子が倒れて病院に……」
「彼女が? 一体どうして」
「言葉じゃ上手く説明できないわ。縦浜の市立病院にいるから、とにかく来て。お願いっ」
「わかった。すぐに向かうよ」

 草助は電話を切り、すずりを連れて病院へと向かった。病室に辿り着くと、ベッドの傍らで丸椅子に座っていた明里が手招きをして彼らを呼ぶ。草助がベッドを覗き込むと、ひどく痩せ細り、すっかり変わり果てた姿の友美が横たわっていた。彼女の腕にはブドウ糖の点滴が繋がっているが、顔色は真っ青で、肌には艶が無くガサガサに乾いている。

「こ、これは!? 一体なにがあったというんだ」
「私にも全然分からないの。最初は本当に食べても太らないって喜んでいたんだけど、日に日にやつれ始めて……それなのに検査しても身体に異常はないらしいの。お医者さんもなにが原因なのか分からないし、他にも同じような患者がたくさんいて手が付けられないって言うのよ」

 涙ぐむ明里の肩に手を置いて励ますと、ベッドに横たわる友美に目を移す。ショートカットの髪は、大学の食堂で見た彼女に間違いはないが、頬は痩け眼窩は窪み、とても同一人物とは思えない。もう少し詳しく様子を見ようと近付いた瞬間、突然友美が起き上がり、血走った目で草助に掴みかかった。

「お腹が……お腹が空くの! 食べても食べても、ちっとも満腹にならない……お願いだから食べさせて! お腹が空いて仕方がないのよ!」

 鬼気迫る友美から感じる異様な気配は、幽霊や妖怪を見たときのそれによく似ていた。錯乱した彼女は草助のセーターを力ずくで引きずり下ろすと、中に着ているシャツの上から肩口に噛み付いた。

「うわあああっ!?」
「やめて友美! 一体どうしちゃったのよ!」

 慌てて明里が割って入るが、友美は小柄な体つきからは想像も出来ないような力でしがみついており、噛み付かれた場所からは赤い血の染みが広がっていく。

「明里、ちょっとどいて。ここはアタシに任せな」

 そう言って明里の手を引っ張ったのは、友美の様子をじっと凝視しているすずりだった。すずりは明里を下がらせて草助と友美の間に潜り込むと、明里に見えないよう髪の毛を変形させていく。自分の髪の毛を自在に変化させるのが、すずりの能力のひとつなのである。すずりは素早く、髪の毛で作った拳を友美の腹部に叩き込んだ。

「う……ぐふっ……」

 友美はくぐもった呻き声を上げた後、気を失って力なくベッドに崩れ落ちた。

「友美!」

 明里は友美の身体を支え、ベッドに寝かせると、肩を押さえてうずくまる草助の方へ振り向いた。

「大丈夫、筆塚くん?」
「痛ててて、あと少しで肩が無くなってしまう所だったよ」
「大変、血が出てるわ。手当てしなきゃ」
「こ、これくらい平気さ」
「もう、強がり言ってる場合じゃないでしょ。看護師さん呼んでくるから待ってて」

 明里の姿が病室から消えた後、草助はすずりの方へ顔を向ける。すずりは鋭い目つきをし、横たわっている友美をじっと見つめていた。

「すまん、助かったよすずり。しかし、いきなり襲われるとは思わなかった」
「草助、あそこ。今ならはっきり見えるだろ」

 すずりが指す場所に目を移すと、僅かに開いた友美の口から、うっすらと黒い霧のようなものが立ち上っている。弱々しいが、それが妖怪の放つ妖気に間違いないと草助の霊感が告げていた。

「やはり妖怪に取り憑かれていたのか」
「しかもかなりタチが悪いね。このまま放っておいたら、精気を吸い尽くされて近いうちに死んじゃうよ」
「まずいな、早く手を打たないと……すずり、お前の力でなんとかならないのか?」

 草助の問いに、すずりは首を横に振る。

「相手がどんな奴なのか分からないし、人間の身体の中に隠れてるから手が出せないよ」
「せめて正体が分かれば……そうだ、八海老師に預けたあの赤い玉! きっとあれが手がかりになるはずだ」

 例の赤い玉を飲むまで友美になんの異常もなかったこと、そして他にも同じような症状で病院に担ぎ込まれた患者が多数いる事を考えれば、原因はあの赤い玉にあると見て間違いない。八海老師の所でも、そろそろ調べが付いていることだろう。草助はすずりを連れて病室から姿を消し、明里が看護師を連れて戻った時には、ベッド脇のテーブルに「気になることがあるので調べに行きます。彼女たちを看ててあげてください」と書かれたメモが置いてあるだけだった――


〜魂筆使い草助 第二話前編 終わり〜





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