魂筆使い草助
第一話 前編
〜魂筆さま〜



 朝比奈市の古い言い伝えの中に「魂筆さま」という話がある。
 はるか昔、戦国の時代。長きにわたって戦が絶えず、国は乱れ、いたる所に屍が転がっているという有様は、さながらこの世は地獄かとも思わんばかり。そんな時、溢れかえる死者たちの怨念は、ついに妖怪となって蘇り、やがては集い、百鬼夜行の大行列となった。それらは諸国をねり歩き、ついにはこの比奈村(現在の朝比奈市)へも押し寄せたのであった。この地を治めていた大名は兵隊を送り込んで妖怪を退治しようとしたが、妖怪どもは一度死んでいるので、刀で切っても槍で突いても効き目が無い。為す術のない人々は恐怖に震え、ただ神仏に祈り、救いを待つばかりであった。
 ある時、全国を旅して回っていた僧が村を訪れ、人々の話を聞いて妖怪退治を引き受けた。旅の僧はまず、村の人々を集め、村にあるだけの紙と、樽一杯の墨を用意させると、自分は村はずれの古寺に向かい、三日三晩もお堂に籠もっていた。四日目、ようやく表に出てきた旅の僧は、不思議な一本の筆を握りしめていた。赤い漆塗りの柄に金色の文字と模様が刻まれた、実に見事で美しい筆であった。

「これは私の祈りが天に通じ、神仏より授かったものである。これより妖怪変化を封じに参る」

 と言って、旅の僧は村の真ん中で座禅を組み、夜を待った。だが、旅の僧の行いを見守っていた村人たちは、これで本当に妖怪を退治できるのかと不安を抱き始めていた。刀や槍が効かず、勇猛な侍でさえ逃げ出す物の怪、しかも行列を成すほどの数を相手に、たった一人、それも一本の筆を手にしているだけで、一体なにが出来るのかと皆は思っていたのである。やがて日が暮れ、夜が訪れると、北東の方角から妖怪が長い行列を作り現れた。旅の僧は妖怪が目の前に迫ってもその場を動こうとせず、様子を見ていた村人も「もうだめじゃ」と思い、みな家の戸を閉めて隠れ、念仏を唱えながら夜が明けるのを待った。やがて朝になり、村人が村の中心に集まってみると、そこには妖怪の姿を描いたおびただしい数の絵が散らばり、その真ん中でうつ伏せに倒れ、筆を握りしめたまま事切れていた旅の僧の姿があった。皆は奇妙な様子に首を傾げたが、その日を境に妖怪はぴたりと姿を見せなくなった。

「これはきっと、妖怪の魂を絵に封じ込めたに違いない。お坊様は一晩中、力尽きるまで妖怪と戦っていたんだ。なのにわしらは、このお方を疑ってしまった」

 村人は自らの浅慮を恥じ、旅の僧の亡骸を村はずれの古寺に埋葬すると、寺を新しく建て直し、彼が手にしていた不思議な筆を奉った。旅の僧によって絵の中に封じられた妖怪たちは、邪悪な妖気が祓い清められており、転じて魔除けや土地の守り神として各地に収められた。この出来事があってから後、いつ頃からか旅の僧と彼が持っていた筆をして「魂筆さま」と呼ぶようになり、その寺は今でも朝比奈市の外れにひっそりと佇んでいるという。




 朝比奈市は、東京にほど近いK県に位置する閑静な住宅街である。南と東側は湾に面しており、高台から眺める海は絶景そのもの。内陸部に目を向けると、固い地盤で出来た山や森林が多い事にも驚かされる。だが、なんといっても一番の特徴は、歴史に所縁ある古い建物や寺社を、そのままの形で数多く残している事であろう。明治時代の建物が今も公共施設として使われていたり、大石段のある八幡宮などは、江戸時代よりはるかに古い時代からの歴史がある。そうした土地柄のため、高層ビルや大型デパートといった近代的な建物はほとんど無いが、市内には鉄道が網の目のように整備されているため、交通の便は悪くない。朝比奈市とは、古い物と新しい物。歴史と文化とが入り交じり、共存している土地なのである。
 朝比奈市の西外れにある森の中に、梵能寺という古寺がある。木造の門をくぐり、両脇に木々が生い茂る石畳の道を歩くと、古めかしい本堂が見えてくる。その右側にある竹林を通り抜けた所に、梵能寺の住職である八海老師が寝泊まりをしている瓦屋根の建物があった。水墨画の掛け軸と松の盆栽が置かれ、綺麗に片付けられた和室には、うぐいす色の着物を着た八海老師が腕を組んで座っている。年齢は六十半ばを過ぎ、頭はすっかり禿げ上がり、背も縮み始めてきたが、まん丸な眼鏡の奥に光る眼光には精気が満ち、些かも衰えを感じさせない。彼の正面には、向かい合って正座をし、紙と硯を並べて書道の練習に励む若者の姿があった。名を筆塚草助といい、朝比奈市に住む大学生である。

「――よいか草助。筆に魂を込め、迷いのない心で線を引くのじゃ。気の抜けた筆さばきでは、魂筆さまに笑われてしまうぞ」

 八海老師は草助に、頭頂部と眼鏡をキラリと光らせながら言った。

「分かってますよ老師。その話は昔から何度も聞いてますって」

 一寸顔を上げた後、草助は筆を握る指先に力を込める。ボサボサの頭にいつも眠そうな目つきをしている以外は、どこにでもいる普通の若者である。服装もジーンズに縦縞模様の綿のシャツ、その上に紺色のベストを重ねたもので、やはりどこにでもありそうな定番の格好である。彼は深呼吸をし、心の中に書きたい言葉を強くイメージすると、大胆かつ繊細な筆さばきで、四つの文字を紙に書き殴った。

「出来ました。これ以上ないくらい僕の気持ちを込めたつもりです」

 と、顔を上げた草助だったが、八海老師は眉間に皺を寄せ、どんよりと重い表情である。

「……草助よ」
「はい」
「誰が食べたい物の名前を書けと言うた」
「いやあ、たまにはガッツリ食べたいなって。焼肉定食」

 八海老師は無言で草助をじっと見つめ、しばしの無言。これが出る時は、老師が怒っているのだという事を草助は知っている。

「あーっと、急に用事を思い出したりなんかしちゃったりして」
「待てい」

 背を向けて立ち去ろうとする草助の肩に、筋張った八海老師の指が食い込む。眼鏡に光が反射して目つきは分からないが、顔は笑っていない。

「い、痛いじゃないですか。離してくださいよ」
「用事とはなんじゃ、言うてみい」
「そんなこと言いましたっけ」
「ではどこへ行くつもりだったんかのう」
「ははは、どこにも行くわけないじゃないですか嫌だなあ老師ったら」
「やれやれ、天邪鬼な奴じゃ」
「あまのじゃく?」
「嘘つきで人と反対の事をせねば気が済まない妖怪のことじゃよ」
「そんな人聞きの悪い。僕はいつでも素直で正直者ですよ」
「ほほう。そんじゃ寺の境内と庭園、ついでに家の中も掃除しとくよーに」
「あいたたた」

 墓穴を掘った事を悟った草助は、天井を仰ぎ顔に手を当てる。八海老師はやれやれとため息を付き、草助の頭を軽く小突く。

「天邪鬼はのう、こうやって己の性格を逆手に取られて懲らしめられたのじゃ。つまらん言い訳などするからそうなる」
「とっほっほ、もうじき日が暮れるのに」
「なんなら仏像の磨き掃除もサービスしてやろうかのう?」
「い、いや、もうお腹いっぱいです……」

 草助ががっくりと肩を落とすと、八海老師は窓の外に見える西日を眺めながら言った。

「草助よ。今夜は泊まりの用事があるんで、ワシは朝まで戻らん。掃除が終わったら戸締まりを頼むぞ」
「は、はい」

 草助は八海老師を表まで見送ると、ため息を付きながら竹箒を手に庭へと引き返すのだった。




 夜中の二時を過ぎた頃、下水道へと繋がるトンネルの中で、巨大な黒い影が背を向けてうずくまっていた。形こそ人の姿に近いが、背中は岩のような筋肉が盛り上がり、丸太ほどもある手足には針金のような剛毛が生えている。黒い影は一心不乱になにかを貪り、ぐちゃぐちゃと不快な咀嚼音を辺りに響かせていた。

「やれやれ、こんな所に隠れておったか」

 それを後ろから見ていた一人の男が、あたりの臭気に顔をしかめて呟いた。彼は顔に深い皺を刻み、老いてはいたが、その佇まいは張りのある精気に満ちている。黒い影は男の存在に気が付くと、おもむろに立ち上がって振り返った。姿は暗闇に溶けて全部は見えないが、身の丈はおよそ三メートル。牛のように太く短い角と、赤く燃えた瞳、鋭い牙が並んだ口。それは人でも動物でもない、闇に住む異形の存在であった。

「ウガァァ……ッ!」

 トンネル全体が震えるような声で、黒い影は唸る。白い骨が突き出した肉塊を手にし、口の周りも血にまみれていた。食い散らかされた残骸は人間の様にも思えたが、実際には精肉工場にぶら下げられている、半身に割られた牛肉であった。

「最近ここらで肉や食料を手当たり次第に盗んでいくのは、お前さんの仕業だな」

 男が訊ねると、黒い影は牙の隙間に挟まっていた骨の欠片をプッと吐き捨て、舌なめずりをして男を見下ろした。

「もう腹一杯食ったじゃろ。ここらで潮時にはできんかね」
「嫌だぁ、おらぁまだ満足じでねえ。次は人間を食いに行ぐんだあ。人間はどんな肉よりうめえって聞ぐがらなぁぁ」
「やはりそのつもりじゃったか。悪いことは言わんから、人間なんて食わず大人しく元いた場所に戻ってくれんかのう」
「に、人間がおらに命令するんじゃねえどっ。筋張ってて不味そうだが、お前から食ってやるぅぅぅ!」

 黒い影は太い腕を伸ばし、男を鷲掴みにしようとした。ところが男はひらりと身をかわし、伸びきった腕の上に器用に立っていた。

「仕方が無い、少し懲らしめてやるとするか」

 男は懐から大きな数珠を取り出し、影に向かってそれをかざし呪文を唱え始めた。数珠には無数の小さな玉の他に、八つの大きな珠が付いており、呪文が響き渡ると青白い輝きを放った。すると黒い影は突然苦しみの声を上げ、その場から一歩も身動きが取れなくなってしまっていた。

「がが……身体が動がね……お、お前もじがじて、妖怪退治かっ……!」
「ほれ、大人しくせい。暴れると手元が狂うぞ」
「グ、グワァァァァァ!」

 黒い影は全身に力を込め、身体を小刻みに震わせ始める。するとトンネル全体にもその振動が伝わり、辺りは小さな地震が起きたように揺れ始めた。その瞬間、黒い影の腕に自由が戻り、上に乗っていた男を強引に振り払う。男は自分の胴体よりも太い腕に薙ぎ払われ、壁まで吹き飛ばされて強く背中を打ち付けた。

「うぬ……呪縛を力ずくで破るとは。おつむが弱そうじゃからと油断したわい」
「お、おめえを食っだら、次はもっどうめえ人間を食っでやる!」

 黒い影は打撃を受けて動けない男に近づくと、頭から囓ってやろうと、鋭い牙の生えた口を大きく開く。しかしその時、男の前に赤い着物を着た少女が躍り出て、黒い影の行く手を遮った。年の頃は十歳くらい、おかっぱ頭の黒髪を後ろで結んでおり、結んだ先が筆の先端に似た形をしている。

「なんだあチビ、お前も一緒に食われでえのがあ? な、ならおめえはデザートだなあ、うへへへ」

 無数の牙が生えた口が、老いた男と少女に迫る。次の瞬間、トンネルの中に断末魔の叫び声が響き渡った――。




 午前七時頃、眠りこけていた草助は自宅の古めかしい黒電話の音で目を覚ました。彼の自宅は商店街の中程にある木造の古物店「一筆堂」で、大学の授業がない日には、めったに客の来ない店の番をしているか、趣味の絵を描く為に、近所を散歩したりという生活を送っている。一筆堂は亡くなった祖父が営んでいたもので、あまり儲けはなかったが、草助の祖父と長年の付き合いがあった八海老師が店を買い取り、管理をしていた。草助が美術大学へと進学した時、彼の下宿として一筆堂の二階で寝泊まりをする事になり、同時に一筆堂の営業を再開することとなった。草助が初めて一筆堂へ訪れた日、店の中は掃除が行き届いており、いつでも人が住める状態が保たれていて、八海老師の気遣いに草助は感謝したものである。
 眠い目をこすりながら布団から起き上がった草助は、目に涙をためて大あくびをしながら受話器を手に取った。

「おお、草助か。ワシじゃ。実はちょいと腰をやってしもうてなぁ、グッキリと。てなわけで、すまんが家事の手伝いに来てくれんか」
「またですか老師。少し前にも腰を痛めてませんでしたか?」

 受話器を耳に当てたまま、草助は深くため息を付く。

「誰に似たのか、ワシの腰はヤンチャでのう。昨夜もブイブイ言わせてきたんじゃが」
「いい歳してなに言ってるんですか。下品ですよ」
「とにかく動くのがキツいんじゃ、頼む。どうせお前さん暇じゃろう。彼女もおらんし」
「さらっと失礼なこと言ってくれやがりましたね今」
「まあなんだ、とにかく待っとるぞい」
「あっ、老師」

 草助の返事も聞かず、八海老師は電話を切ってしまった。抗議も空しく、いつもこうやって雑用を押し付けられてしまうのだが、彼には八海老師の頼みを断れない理由があるのだった。草助は部屋着を脱いでジーンズを穿き、縦縞シャツの上に紺のベストを羽織ると、不満を口に含ませながら家を出た。

 朝比奈市は南部の海岸の他、緑豊かな山を始めとする美しい風景や、歴史のある建物や寺社が多く残る一方、大型船が出入りする貿易港や米軍基地があったりと、新旧の文明文化が入り混じった土地である。都会の中心で暮らす人や東京に憧れる人々からすれば、少々物足りないと言う声もあるだろうが、静かで風情ある日常を好む人々にとっては絶好の環境とも言える。そしてもうひとつ、朝比奈市には他の土地に比べて違う所があった。

「はあ……まただよ」

 梵能寺へと向かう途中、草助は雑木林の暗がりに立つ人影を見た。ただそこに人がいるだけのように思えるのだが、違う。真っ白な装束を羽織っている以外はなにも身に付けておらず、血の気が失せて青白い肌の色をし、暗く落ち込んだ眼球は、生ある者の光を失っている。

(ああ、やだやだ。なんでこんな所にいるかねえ)

 朝比奈市はこの不気味で異様な風体をした連中が、他に比べて多く現れる。草助は生まれ付き彼らの存在を察知する感覚――すなわち霊感が普通の人に比べて強いために、現世を彷徨う亡者を日常的に目撃してしまう。彼らと運悪く目が合ってしまうと、いつまでもしつこく付きまとわれ、さらには他の亡霊を呼び寄せてしまう事も度々で、そうした連中との遭遇が、草助の悩みの種でもあるのだった。嘆息しながら目を逸らし、薄気味の悪い人影を視界から追いやると、草助は足早にその場を立ち去った。

 梵能寺に辿り着いた草助は、本堂の右側を通り抜け、八海老師の自宅を訊ねた。和室に敷かれた布団の上で横になっていた八海老師は、草助がやってきた音に気付いて顔を上げると、小さく片手を挙げた。

「おお、来たか草助。早速ですまんが、メシと風呂の用意と洗濯、それから蔵の空気を入れ替えて、品物に積もった埃を払っておいてくれ」
「どんだけ人をコキ使うつもりですか」
「なんじゃ、不満か? なんならワシの秘蔵えっちビデオを特別に貸してやってもいいぞ。どれもこれも厳選された逸品ばかりじゃぞい、ひっひっひ」
「むむ、そいつは魅力的……じゃなくって。僕は家政婦ではありませんが」
「お前には哀れな老人を労ろうという気遣いはないのか」
「そこらの若い連中より元気なくせに」
「ほほう。それでは今度のお祓いは中止するしかないのう」

 八海老師がボソッと呟いた瞬間、草助は顔に汗を滲ませて硬直する。

「誰かさんのお祓いの効果が、そろそろ切れる頃なんじゃが……幽霊に付きまとわれて便所の中まで憑いてこられたりしても、お祓いできないし仕方ないよね?」
「な、なんだか急にやる気が湧いてきたなあ、わはは! まずはどれから始めようかなっ」

 草助は慌てて目を逸らし、乾いた笑い声を漏らす。八海老師は眼鏡の位置を指で整えた後、やれやれとため息を付く。

「別にお前一人だけにやらせたりせんわい。おーい、すずり」

 八海老師が呼ぶと、台所のある方から赤い着物を着た女の子が、口にまんじゅうをくわえたままパタパタと足音を立てて駆けてきた。艶のあるおかっぱの黒髪を後ろで結び、毛筆の先端に似た形にした少女で、八海老師の孫のすずりである。



「呼んだかじじい」
「こりゃ、せめてじいちゃんと言わんか」
「はーい。で、なんの用?」
「草助と一緒に、家事の手伝いをしておくれ」
「えーっ、めんどくさいしヤダ。草助に全部やらせりゃいーじゃん」

 八海老師は無言のまま、眼鏡越しにすずりを凝視する。普段は温厚で声を荒げることもない人物だが、まん丸眼鏡のレンズ越しにじっと見つめられていると、無表情の顔が巨大化して迫ってくるような、得体の知れない威圧感が放たれて来るのである。すずりは苦笑いをしながら「わかったよう」と渋々頷いた。

「じゃあアタシは洗濯して風呂沸かすから、他はよろしくなー草助」
「毎度の事ながら、大人に対する敬意がまるでないなお前は」
「別にいーじゃん。あんま細かいとハゲるよ」
「ハゲてたまるかっ。まったく生意気なチビッコだ」
「チビで悪かったなコラァ!」

 すずりは眼をつり上げ、草助の脛を思い切り蹴飛ばすと、いーっと舌を出して走り去ってしまった。

「あだっ!? な、なんて事するんだっ」

 すずりは二年ほど前、八海老師に連れられて梵能寺にやってきた孫娘の名である。複雑な家庭の事情とかで親元にいられなくなってしまい、八海老師が預かっているという話だったが、それまで八海老師の家族について聞いた事がなかったため、草助はとても驚いたことを憶えている。すずりは可愛らしい顔つきをしており、大人になればさぞ美人になるだろうと思うのだが、気が強い性格に加えて非常に口が悪いため、最初は見た目と性格の落差に面食らったものである。それにも慣れた今では、梵能寺へ足を運ぶ時には、草助はすずりの遊び相手になってやったりもし、それなりに上手くやっていた。

「ったく、あの言葉使いと性格さえどうにかなれば、少しは可愛げもあるのに」
「草助よ、蔵の埃落としはくれぐれも慎重に頼むぞ。檀家から預かった貴重品も色々と置いてあるからのう」
「分かってますよ。痛てて……」

 草助はズキズキ痛む脛をさすり、掃除を頼まれた蔵へと足を向けた。家を出て裏手に回ると、古い造りの土蔵がある。白く塗られた外壁はすでに何度か補修されており、見た目にはあまり古さを感じさせない。入り口の扉にはこれまた年代物の太い南京錠が掛けられており、草助は預かった鍵で南京錠を外すと、蔵の中へ足を踏み入れた。蔵の中は小さな明かり取りの窓がある程度で、昼間でも物陰は薄暗くてよく見えない。草助は部屋の中心に置いてある椅子に登り、天井からぶら下がっている裸電球のつまみを回して明かりを付けた。壁に沿って作られた棚には、高そうな壺や仏像、掛け軸といった品物から、歴史的にも価値があるという古道具などがずらりと並べられており、これらを全部まとめてお金に換えたら、ちょっとした家が建てられるくらいの金額になるという話を草助は聞いていた。

「ああ、怖い怖い。うっかり壊さないようにしないと」

 これらの品を弁償できるような貯金などないという他にも、草助には迂闊に手を触れたくない理由があった。この蔵に収められている物のいくつかは、八海老師がお祓いを頼まれた「いわく付き」の怪しい品々が混じっているのである。とはいえ、埃払いをしなければ自分自身も「祓って」もらえず、草助は皮肉めいた状況に苦笑しながら、棚に向かってはたきを振り始めた。奥に向かって棚の埃を落としていると、壁際の一部分だけ埃が付いていない場所があった。近づいてよく目を凝らすと、奥の壁が不自然に盛り上がり、回りより少しだけ浮いている。不思議に思って手を触れてみると、軋んだ音と共に壁が回転し、草助はバランスを崩して前のめりに突っ込んだ。

「うわっ!?」

 回転した棚の向こうにあったのは、石壁に囲まれた小さな部屋だった。部屋の中には祭壇が置かれ、真新しい六本の巻物が三角形に積み上げられている。そして祭壇の後ろの壁には、見事な不動明王の掛け軸が掛けられていた。

「す、凄い……!」

 草助は八海老師にお祓いをしてもらう傍らで、精神修養の一環として絵や書道を習っていたが、これほど素晴らしい筆使いの絵を彼は今まで見たことがなかった。不動明王とは仏教で信仰されている神仏のひとつで、燃えさかる炎を背にして座り、右手には降魔の利剣、左手には羂索(けんじゃく)という縄を持った姿で描かれる。憤怒の形相で悪魔や煩悩を打ち砕き、人々を苦難より救い導く、ありがたい仏様であるという。掛け軸の不動明王は、眼前の巻物をじっと見下ろし睨み付けているようにも思える。草助は掛け軸の絵が放つ、並々ならぬ力強さと神々しさに眼を奪われ、もっとよく絵を見ようと、掛け軸に手を伸ばし、壁から取り外す。

「凄い、凄いぞこれは。一体誰が描いたんだろう。もしかして八海老師が?」

 草助は掛け軸のどこかに作者の名前が書いていないか、裏返したりして調べ始める。それに夢中になり、体の向きを変えた拍子に、草助は祭壇に積んであった巻物に肘を当てて崩してしまった。

「あわわ、まずい」

 床に散らばった巻物を拾い集めた草助は、祭壇へ元通り積み上げていく。最後の巻物を頂点に置こうとした時、巻物を結ぶ紐が綻んで手から滑り落ち、床に落ちて完全に開いてしまった。こっちの巻物にも掛け軸と同じように絵が描かれていたが、それを見た途端、草助は思わず息を呑む。

(こっちも凄い……けど、なんだろう。ものすごく嫌な感じがする)

 巻物には黒い肌をし、邪悪で醜い姿をした鬼が、妙に生々しく描かれている。絵の鬼は生きているような気配を放ち、今にも動き出しそうで気味が悪い。早く片付けてしまおうと草助が思ったその時、鬼の血走った眼がギョロリと動き、草助と視線が合った。

「えっ……?」

 気のせいかと思った次の瞬間、草助の背筋に例えがたい悪寒が駆け抜けた。幽霊を見かけた時と同じような気分だが、それとは比べものにならないほど強烈である。冷や汗をかいて後ずさる草助の目の前で、巻物はのたうち回るように動き始め、やがて絵の中から太い腕が、続いて巨大な身体が抜け出し、異形の存在が草助の目の前に現れた。その姿形は、まさしく今見ていたはずの、巻物に描かれた鬼そのものであったのだ。

「なっ……なにがどうなってるんだ……?」

 鬼は腰を抜かして座り込む草助を一瞥し、稲妻のような凄まじい咆吼を上げた。すると他の巻物もひとりでに紐が解け始め、同じように巻物の中から無数の黒い影が抜け出し、蔵の壁を突き破って飛び去った。我に返った草助の目の前には、白紙となった巻物が転がっているだけだった。




 草助は真っ白になった巻物を八海老師に見せ、蔵で起きた出来事を説明した。

「うむ……困った事をしてくれたのう」
「老師、あれは一体なんなんですか?」
「草助よ。もう一度聞くが、この巻物を開いたのはお前か?」
「は、はい。元に戻そうとしたら紐が解けてしまって。別に見ようとしたわけでは」
「普通の人間には、そう簡単に開く事は出来んのじゃがな……そうか、お前が」
「あの、老師? さっきからおっしゃってる意味が分からないのですが」

 八海老師は目線を落としたまま考え込んでいたが、

「草助よ、お前は夢を見たんじゃよ。古い道具の気に当てられてな。壁も古くなっていたのが、たまたま崩れたんじゃろう。運が悪かったと思って、早く忘れる事じゃ」

 と、いつになく念入りに言い聞かせるよう草助に言った。

「しかし、あれは夢と言うには生々しくて……」
「それから壁を壊した罰として、当分の間は夜間の外出は禁止とする」
「ええっ、それは困りますよ。夜中にお腹がすいたらどうするんです。夜中のコンビニで立ち読みして、それからのんびりおでんを選ぶのが、僕のささやかな楽しみだったのに」
「つべこべ言うでない。とにかくワシの言う通りにするんじゃぞ。わかったな」

 八海老師はそれだけ言うと話を打ち切り、黙り込んでしまう。草助はどういう意味かと訊ねたが、八海老師は床に伏せたまま口を固く閉じ、結局それについて話してはくれなかった。昼食を作って運んだときも、八海老師は少ししか料理を口にせず、ずっと眉間に皺を寄せたままで、明らかに普段と様子が違っていた。昼食を終えてから夕方まで草むしりをした後、草助は自宅へと戻っていった。草助が梵能寺の門をくぐり抜けた後で、八海老師は布団からむくりと起き上がり、傍らで髪を弄りながら座っているすずりに目をやった。

「やれやれ、面倒な事になったわい。もう一度やり直さなくてはのう」
「なあじーちゃん、身体の方は大丈夫なのか?」
「連中が逃げ出したとあれば、休んではおれんよ。すまんがすずり、またお前の力を貸しておくれ」

 八海老師は皺だらけの手をすずりの頭に置き、ゆっくりと撫でた。




 その夜、草助はなかなか寝付けないでいた。昼間に起きた出来事が頭から離れず、寝ようとして目を閉じると、巻物から飛び出してきた鬼が、暗闇から迫ってくるような気がしてしまう。あり得ない妄想だと分かっていても、じっとしているとつい考えてしまうのである。

(あの巻物はなんだったんだろう。老師の様子も変だったし……)

 時計に目をやると、夜の十二時が迫ろうとしていたが、この時間ならまだ老師は寝ていない。もう一度きちんと話を聞こうと思い、草助は自分の携帯電話から、梵能寺に電話を掛けてみた。ところがいくらベルを鳴らしてみても、八海老師はおろかすずりさえ電話に出なかった。

「おかしいな、どこかに出かけてるのか……こんな時間に?」

 奇妙ではあったが、連絡が取れないのでは仕方がない。夜が明けたら梵能寺へ足を運ぼうと決め、草助は明かりを付けたまま横になると、妄想を頭から振り払いながらむりやり目を閉じた。

 結局ほとんど寝れずに過ごした翌朝、テレビでは朝比奈市内で起きた事件のニュースが報道されていた。内容は市街地の街頭や看板の照明などが、何者かによって立て続けに壊された、というものである。

(暇な事をする奴もいるんだな……道が暗くなって危ないじゃないか)

 などと思いつつ、草助は朝食のご飯と味噌汁を胃袋に流し込むと、服を着替えて家を出た。十分ほど歩いて梵能寺の門をくぐった草助は、ある違和感に気付いて足を止める。この時間なら、本堂から朝の読経が聞こえてくるはずが、今日はそれがない。不思議に思って本堂を覗き込んでみたが、八海老師もすずりの姿も見あたらず、もしやと思って八海老師の自宅に入ってみると、二人は布団に潜り込んだまま眠りこけていた。八海老師は普段から調子のいい事を口にしていても、毎日の礼拝や修行を欠かした事は無く、こんな時間まで寝過ごしている事が草助には信じられなかった。

「老師、老師。もう朝ですよ。寺の住職がこんな時間まで寝坊してどうするんです。夜更かししてお酒でも飲んできたんですか?」

 草助が八海老師の身体を揺すったその時、八海老師はくぐもった呻き声を漏らす。不思議に思った草助が八海老師の手を引っ張ってみると、寝間着の袖口から見える八海老師の腕が、赤紫色に変色している。草助が慌てて布団を剥ぐと、八海老師の手足や身体の至る所に、いくつもの傷や痣が広がっていた。

「ど、どうしたんですこれは!? ひどい怪我じゃないですか。交通事故にでも遭ったんですか?」
「む……草助か」
「草助か、じゃないですよ。どこでこんな怪我を……」
「ああ、平気じゃから気にするな。ワシはちと疲れておるんでな、今日はゆっくり寝かせてくれんか」
「しかし……!」

 と、食い下がろうとする草助の後頭部に、こつんと固いものがぶつかる。草助が振り返ると、小さな手でげんこつを作ったすずりが、草助をジトッとした目つきで睨んでいた。

「鬼かオマエは。年寄りが寝かせろって言ってるのに邪魔すんのか?」
「そういう問題じゃない。それよりすずり、老師がどうして怪我をしたのか、理由を知らないか?」
「……さあ」
「本当か?」
「あーあ、誰のおかげでこんな事になったと思ってんだろねえ」
「えっ?」

 草助を睨み付けてそう呟くすずりの顔は、とても幼い子供のそれとは思えない迫力に満ちている。二年前に初めて出会った日から、どこか奇妙な雰囲気を持つ娘だと感じてはいたが、彼女のこんな表情を見るのは初めてだった。草助がゴクリと息を呑むと、八海老師が突然大声ですずりの名を呼ぶ。

「こりゃ、すずり!」
「きゅ、急に大声出すなよじーちゃん。ビックリするじゃん」
「これはワシが階段から落ちて小指を角にぶつけて、痛くてうずくまった所に信楽焼のタヌキが落ちてきたんじゃ。やれやれ、歳は取りたくないのう」
「あーっと……アタシも寝ぼけてたみたい。じーじゃんドジでさー、まいっちゃうよなぁ、あっはっは」
「と、ゆー訳じゃから」

 八海老師は仰向けに姿勢を整え、目を伏せてゆっくりと息を吐く。

「二人とも、僕になにか隠してないですか?」
「なあ草助……じーちゃんは疲れてんだよ。話なら元気になった後でもいいだろ?」

 すずりの言葉はもっともだが、草助の心には疑惑の暗雲が広がっている。証拠はないが、なにか隠し事をしているに違いないだろうと草助は思った。しかしいくらそれを訊ねても、二人は誤魔化すばかりで、真実を打ち明けようとはしない。自分には信用が無いのかと肩を落としていると、八海老師は枕から顔を上げ、草助をなだめるような声で言った。

「すまんな草助、お前の気持ちは嬉しく思っとるよ。とにかくワシは大丈夫じゃ。それとな、くどいようだが夜になったら外を出歩いてはいかんぞ」
「は、はい」

 腑に落ちないものを感じつつも、草助は出かかった言葉を呑み込み、梵能寺を後にした。自宅に戻ってからも、草助はずっと八海老師たちの事を考え続けていた。八海老師が自分の知らない行動をしているのは、ほぼ間違いないだろう。そしてそれは、夜中に出歩き、身体に無数の傷や痣を作って帰ってくるようなものである。ひょっとしたら、命に関わる危険を伴うのかも知れない。八海老師がどこへ行き、なにをしているのか。どうしてそれを秘密にするのか、草助にはどうしても理解出来なかった。
 考え続けているうちに時計の針は夜中の十二時を過ぎ、草助の腹の虫がぐうと鳴く。しばらくは八海老師の言いつけを守ろうと我慢していたが、腹の虫はますます勢いを強めるばかりで、収まるどころか余計に食欲が加速していく始末。ぐうぐうと鳴き声を上げる空腹に抗いきれず、草助の理性はとうとう陥落してしまった。草助は「少しだけなら大丈夫」と自分に言い聞かせるように独り呟くと、自宅から歩いて五分程の場所にあるコンビニへ向かった。店についてすぐに肉まん三つ、それからおでんの牛すじと大根、卵、飲み物にペットボトル入りのお茶を買うと、自宅へ戻る道すがら、熱々の肉まんを頬張って草助はちょっとした幸せ気分に浸っていた。  自宅の手前にある曲がり角に差し掛かった時、草助は信じられないものを目撃して足を止めた。自動車よりも大きいな体躯の怪物が、太い鉄の棒を振り回して、近くにある街灯を叩き壊しているのである。

「や、やっぱり夢じゃなかったのか!」

 草助が思わず後ずさりした時、うっかり足元に転がっていたジュースの空き缶を蹴飛ばし、その音が暗い夜道に響き渡る。怪物は音に気付いてのそりと身体を動かし、暗闇に浮かぶ黄色い眼を草助に向けた。

「おっおっ、美味ぞうな匂いがするぞお。おら丁度腹が減っでだんだあ」
「あわわわ……!」

 重い足音を響かせながら近づいてきた怪物の姿は、牛のように太く短い角と、赤く燃えた瞳、虎の如き鋭い牙を生やしている。その姿は伝説に登場する鬼そのものであった。

(こ、こいつ、巻物に描かれていた奴にそっくりじゃないか)

 と、ひと目見て草助はそう思ったが、同時に足がすくんで動けなくなっていた。鬼はさらに草助へと近づき、街灯の明かりに照らされて、墨のように黒い肌の色が浮かび上がってきたが、そこで急に立ち止まり、腹立たしそうに低いうなり声を出す。

「う……が……どごもがじごも眩じくで、イライラずるぞう……ぐおおおお!」

 鬼は腕に力を込めて鉄棒を握りしめると、目の前の街灯めがけてそれを叩き付けた。

「うわっ!?」
「ぐへへへ……」

 光を失った電柱を満足そうに眺めた後、鬼は草助に視線を移し、元から恐ろしい顔をニタリと歪ませる。

「ま、まずはどごがら食っでやろうがな。う、腕がな、それども足がなあ」
「わっ、うわああっ」

 反射的に身体が逃げだそうとするのだが、両脚がもつれて草助は転ぶ。そこへ歪な爪が生えた鬼の手が迫ってきた。

「やっぱ最初は頭がら丸かじりだあ、へっへっ」
「だ、誰か……!」

 祈るように呟いたその瞬間、突然現れた人影が鬼の顔面に飛び蹴りを見舞い、くるりと宙返りをして草助の前に降り立つ。その人物の顔は見えなかったが、彼が誰なのか草助はすぐに気が付き、その事実が草助に更なる混乱を招く。

「この馬鹿者が。夜中は外を出歩くなとあれほど言ったろうに」

 禿げ上がった頭と、着古しの袈裟を纏った小柄な背中。その後ろ姿を草助が見間違えるはずがない。

「こ奴はワシが引き受ける。お前はすぐにここを去れ」
「あ、あの……八海老師……ですよね?」

 姿も声も、紛れもなく八海老師その人である。しかしその気迫に満ちた声と佇まい、そして身に纏う威圧感は、草助が知る普段の八海老師とは、まるでかけ離れていた。

「あがが……な、なにじやがるんだあ、ぢぐじょうー」

 鼻柱に蹴りを受けてうずくまっていた鬼は、折れた鼻を力任せに戻しながら、殺気立った眼を八海老師に向けて唸る。

「あ〜? お、おめえはおらを封じやがっだジジイじゃねえがぁー!」
「また遭うたのう。ちょいとした手違いでお前を逃してしもうたが、今度こそ完全に封じ、きっちり供養してやるぞい」

 自分の数倍はあろうかという巨躯の鬼を相手にしながら、八海老師はまったく動揺した素振りも見せず、冷静さをまるで失わない。

「老師、これはどういう事なんです? 一体なにが起こってるのか、僕にはもう」
「話は後じゃ。お前にはずっと黙っておったが、こう見えてもワシはめちゃんこ強い。じゃから心配すんな」
「む、無茶ですよ! あんな怪物相手にどうするつもりで――!」
「早くせんかっ!」

 八海老師の一喝に、草助は身体をビクッと震わせて息を呑む。八海老師とは子供の頃からの長い付き合いだが、彼がこれほど怒気を含んだ声を張り上げるのは初めての事であり、一瞬草助にはそれが信じられなかった。

「頼むから、今だけは言う事を素直に聞いてくれ。でなければ、お前はここで奴に食われて死ぬ事になるんじゃぞ」

 八海老師の口からその言葉を耳にした途端、それは自分と無縁の遠い出来事ではなく、ひどく現実味を帯びた恐怖となって押し寄せて来た。草助は一歩、二歩とその場から後ずさりをし、八海老師と巨大な鬼に背を向けて逃げ出した。

「う、うわああああっ!」

 草助は走った。どこをどう走ったかさえ憶えていないほど、とにかく夢中で走り続けた。息が切れ、もう一歩も走れないほどへとへとになった草助は、夜道を照らす街灯の柱にしがみつきながら、その場に座り込む。

「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ……!」

 頬を伝い落ちる汗は、ぞっとするほど冷たい。乱れた呼吸が少しずつ元に戻るのと同時に、草助の心も落ち着きを取り戻していく。

(ろ、老師! 老師は……あの化け物と戦っているのか?)

 確かめに行こうと思っても、両手は震え、足はまったく力が入らない。何度も立ち上がろうとしてみたが、闇に浮かぶ鬼の姿を思い出すたびに、街角で幽霊を見かけるのとは比べものにならない悪寒が蘇ってくる。自分はまだ夢を見ているのだと思い込もうとしたが、押し潰されそうな恐怖と息苦しさ、夜の空気の冷たさ、握ったままの袋から漂ってくる肉まんやおでんの匂いまでもが、これが紛れもない現実なのだと草助に突き付けてくる。

(老師は……僕を逃がすために残って……)

 八海老師と初めて出会ったのは、草助がまだ小学校に上がったばかりの頃である。物心ついた時にはもう幽霊が見えていた草助は、普通の人と同じように幽霊に近づいたり、話しかけたりしてしまい、それが原因で不自然な事故や怪奇現象に見舞われる事が多かった。そうとは知らない大人たちは「どうして草助だけ奇妙な出来事に遭うのだろう」と首を傾げていたが、草助にこの世ならざる者が見えている事が分かったのは、ちょっとした出来事がきっかけであった。幽霊が見えるせいでいつも奇妙なことを口走る草助は、なかなか友達を作る事が出来ず、寂しさを紛らわすように絵を描いていた。暇さえあれば絵を描き続けた結果、同年代の子供と比べてもかなり上手に風景や物を描けるようになっていた。ある時、近所の公園を写生した絵をコンクールに出したところ、草助の絵は最後の選考まで残ったのだが、緑の木々が立ち並ぶ風景の端に、どういうわけか首を吊った人間のような、不気味な影が描き込まれていたのである。それを見つけた教師が草助に「これはなにかね?」と訊ねると、草助は「いつもここにぶら下がってるおじさん」だと言う。もちろん実際の場所にそんな人物はおらず、草助の絵はその気味の悪い影が減点となって金賞を逃してしまうのだった。しょんぼりした草助が家に帰り、当時はまだ元気だった祖父の草一郎にその事を話した時、祖父はとても驚いた顔をして草助を見た。

「どうしてそんな驚くの?」

 と訊ねると、草一郎は草助の前にしゃがみ込み、

「あの場所は数年前、男の人が首を吊って自殺した事があるんだよ。お前はその人の幽霊が見えてしまったんだな」

 そう言って草助の頭を撫でたが、その時の草一郎の顔はとても悲しそうに見えた。その翌日には、草助は祖父の友人がやっているというお寺へお祓いに行ったが、その寺こそが梵能寺であり、草助に魔除けのお祓いを施してくれたのが、当時まだ頭部に毛が残っていた八海老師だった。ほどなくして草一郎は病を患い、一年と持たずに他界してしまった。それ以降は、八海老師が草助の祖父代わりとなって、本当の家族のように過ごしてきたのである。背が伸び大人になった今、かつて見上げていた八海老師の背中は、ずいぶん小さくなったように思う。

(ぼ、僕が逃げてどうするんだ……老師を助けなきゃ)

 いつの間にか草助は立ち上がっていた。手の震えは残っているが、足はなんとか言う事を聞く。わずかな勇気を握り締め、彼は来た道を引き返して走り出した。やっとの事で鬼が現れた場所まで戻ってみたが、すでにその場所には誰もおらず、壊された街灯の破片が道路に散らばっているだけである。どこに行ったのだろうと周囲を見回すと、街灯の明かりが消えて真っ暗になっている路地が見える。

(この奥から嫌な気配が漂ってる……それにあの鬼、明かりを壊して回ってたな)

 今ほど自分の霊感が頼りになると思った事はなかった。草助は真っ暗な路地に向かって走り出すが、あちこちの塀や電柱は破壊され、道路に瓦礫が散乱して走りにくい。これが全てあの鬼の仕業だと思うと恐ろしく、そしてますます八海老師の事が心配になってくる。目の前に積み上がった塀の瓦礫を乗り越えて先に進むと、古くなって放置された工場の跡地が目に飛び込んできた。入り口には立ち入り禁止の札が掛けられた鉄柵があるが、それはかなり強い力でねじ曲げられたらしく、自動車がぶつかったように大きくひしゃげていた。鉄柵に近づいて調べてみると、全体が赤く錆び付いているが、変形したのはついさっきのようで、一部ちぎれた断面は、錆びていない銀色の部分が見えている。敷地の中を少し覗き込んだ途端、草助の悪寒はより一層強くなってきた。

(た、たぶんあの鬼はここに……老師も中にいるのか)

 逃げ出したい気持ちをぐっと堪え、草助は工場跡地へと足を踏み入れた。周囲には砕けたガラスやガラクタが散乱し、誰かが捨てていった粗大ゴミが積み上がっていたりする。工場の建物はかなり傷んでおり、窓ガラスは全て割れ落ち、壁も剥がれて鉄骨は錆だらけ。当然電気も通ってはいないようで、わずかな月明かりが無ければ、真の闇と呼ぶに相応しいほど辺りは暗い。草助は手探りで建物の壁を伝い、入り口を見つけて中を覗き込んでみた。

(あっ、いた。黒い鬼と老師に……って、た、大変だ!?)

 機械が撤去され、剥き出しのコンクリートだけが広がる工場の中で、さっき見た巨大な黒い鬼と、八海老師が睨み合っていた。そして八海老師の後ろのやや離れた場所に、見覚えのある赤い着物姿の子供が立っているではないか。

(すずりじゃないか! なんでここにいるんだあいつは!)

 鬼は唸り声を上げ、手にした鉄棒をすずりめがけて振り下ろす。草助は最悪の光景を想像して固まってしまったが、すずりは目を疑うほど高くまで跳躍し、無数に積み上げられている木箱の上に飛び乗って事なきを得た。一方の八海老師は鬼の注意を引き付けながら、素早く動き回って的を絞らせない。とても六十も半ばを過ぎた老人の動きとは思えず、草助は唖然とその様子を眺めるばかりである。あちこちへと飛び回る八海老師に腹を立て、鬼は床や壁など、所構わず鉄棒を叩き付け始めた。あの重そうな鉄棒を滅茶苦茶に振り回しているのに、鬼の体力は無尽蔵にあると見え、まるで勢いが衰える気配がない。一方の八海老師は器用に攻撃を避けてはいたが、暴れ回る鬼に近づきにくいようで、いわゆる膠着状態が続いていた。しかし、傍目から見ても体力的に老師の方に不安があるのは明らかで、時間が経てばそれだけ八海老師に危険が迫る事になる。どうにかして鬼の気を逸らし、老師とすずりを連れて逃げられないかと草助は考えた。

(そうか、これがあった)

 ずっと手にぶら下げたままの袋には、コンビニで買った肉まんやおでんが入ったままになっている。これを投げつければ、腹を空かせた鬼はしばらく夢中になるはず。草助は袋の中の肉まんを掴み、わざと大きな声を出してから投げつけた。

「おーい、こっちだ!」

 肉まんは放物線を描いて飛び、こちらに振り向いた鬼の顔に当たって貼り付いた。

「熱ぢぢぢぢぢっ!」

 鬼が肉まんの熱さに悶えている隙に、草助は一気に飛び出して八海老師の元へと駆け寄る。

「老師、今のうちです!」
「な、なぜここへ来たんじゃ草助っ」
「老師一人置いて、自分だけ逃げるなんてないですよ。すずりがどこから付いてきたのか知らないけれど。さあ早く」
「むうっ……」

 八海老師は何事かを言いかけたが、途中で言葉を呑み込み、立ち止まって口をつぐんでしまう。一刻を争うという時に、この場から逃げようともせず、それどころか困った表情をする八海老師の態度が、草助には不思議でならなかった。

「こらぁ! どーして邪魔すんだよオマエは!」

 と、高い所からそう怒鳴ったのはすずりである。月明かりを背に、高く積まれた木箱の上から、鋭くつり上げた眼で草助を睨み付けていた。

「邪魔ってのはどういうことだ! 僕はお前と老師を助けようと――」
「それが邪魔だって言ってんの、バカ草助!」
「な、なんだとう」

 カチンと来た草助がすずりに言い返そうとしたその時、八海老師が声を張り上げた。

「馬鹿者! 気を散らすでない!」

 一瞬身体が浮くほどの衝撃を受け、草助は後ろへと倒れ込んだ。その一瞬、草助の揺れる視界に映ったのは、体当たりで自分を突き飛ばした八海老師の姿と、彼の脇から迫る鬼の鉄棒だった。

「うぐっ!?」

 八海老師の胴体を、鬼の鉄棒が薙ぎ払う。鈍い音と共に、八海老師の身体が弾き飛ばされ、コンクリートの壁に強く叩き付けられた。鬼はにへらと醜い笑みを浮かべ、顔に貼り付いた肉まんを指でつまんで口の中に放り込む。

「げへへへ、やっと当だっだぞう」

 満足げに笑う鬼の鉄棒には、赤い血がこびり付いている。八海老師はぐったりしたまま動かず、起き上がって惨状を見た草助は、一瞬八海老師が死んでしまったのではと思い、全身から血の気が引く思いだった。

「ぐ……」
「老師、大丈夫ですか!?」

 八海老師はくぐもった呻き声を上げ、ゆっくりと顔を上げたが、八海老師は苦悶の表情を浮かべ、眼鏡のレンズは割れて口からは鮮血が流れ出ている。かろうじて息があるというくらいで、彼の受けた打撃が深刻であると言う事は、草助にも見て取れた。

「ったく、世話の焼ける!」

 すずりは苛立ち混じりに嘆息し、身軽に木箱の上から飛び降りる。そして草助が持っていた袋を強引にひったくると、

「ここはアタシに任せて、二人で寺に戻ってな」
「なにを馬鹿な、子供のクセになにを言って――」
「誰のおかげでこんな事になったと思ってんのさ。草助がのこのこ戻って来なきゃ、じーちゃんはあんな目に遭わずに済んだんだぞ」

 なにも言い返せずにいる草助に、すずりはさらに続けた。

「アタシなら平気。あんな図体がでかいだけのバカに捕まるほどマヌケじゃないから。後で必ず戻るよ」
「し、しかし」
「さっさと行けってば! また戻ってきたら今度こそ承知しないかんね!」

 そう言い放ち、すずりは鬼の前に躍り出ると、袋を見せびらかして挑発する。

「おーいでくの坊。オマエ腹が減ってるんだろ。こいつが欲しいかあ? 欲しけりゃアタシを捕まえて取り上げてみなっ」
「ぬうう……もっど食わぜろおおおお!」

 鬼はあっさり挑発に乗り、大きな足音を立ててすずりを追い始めた。すずりは小さな身体ですばしこく走り回るため、鬼はなかなか彼女を捕まえられず、ますますムキになっていく。完全に鬼の注意が逸れた隙に、草助は八海老師の元へ駆け寄り、肩を貸して工場の外へ連れ出した。すずり一人を残していく事には後ろ髪を引かれる思いだったが、妙な自信に満ちたすずりの言葉を信じ、無事に戻ってくる事を草助は祈った。




 草助が梵能寺へ戻り、八海老師の手当をしながらすずりの心配をしていると、すずりは何事もなかったような涼しい顔でひょっこり戻ってきた。

「す、すずり無事だったか。どこも怪我はしてないよな?」
「アタシは平気って言ったろ。適当に逃げ回って、それから食い物放り投げておさらばしてきたよ」
「そうか……よかった」
「ちっとも良くないっての。じーちゃんの具合はどうなのさ」
「骨にヒビが入っているかもしれないけど、それ以外にも身体中、古い傷痕がたくさん……老師は僕の知らない所で、ずっとあんな事を続けていたのか?」

 すずりは押し黙ってなにも答えず、身体に包帯を巻いて横たわる八海老師をじっと見つめている。

「頼むすずり、この出来事が一体なんなのか、僕に分かるように説明してくれ」
「悪いけど言えない」
「どうして。僕に知られたら都合の悪い事でもあるのか」
「興奮すんなってば。話すかどうかは、じーちゃんが決める事だからだよ。それに今は休ませてやらなきゃ」

 草助は問い詰めたい気持ちをグッと堪え、八海老師が回復するのを待つ事にした。夜が明け、太陽が高く登り始めた頃に八海老師が目を覚ますと、草助は傍らで正座をしたまま訊ねた。

「――老師、僕の質問に答えてくれますね?」
「……仕方あるまいのう」
「昨夜の怪物は一体なんなんです? 老師はあいつと一体どんな関わりがあるんですか。それにどうしてすずりが一緒に……」
「まあ落ち着け。一度には説明できん事じゃ」
「す、すみません」

 八海老師は少し困ったような顔をして、それからこう説明した。

「この世には、様々な妖怪が存在しておる。昨夜お前が見た鬼もそのひとつじゃな」
「妖怪というと、昔話に出てくるような連中ですか? 本当にいたなんて」
「そうじゃ。そして妖怪の中には、人間を襲ったり悪さをする者もいる。草助も幽霊に付きまとわれた事があるから分かるじゃろう。そしてワシは、そういった妖怪を封じる仕事をしておったのじゃ」
「妖怪封じ……いつ始めたんですそんな事」
「ワシが草助ぐらいの頃にはもうやっておったのう」
「そんな昔から!? どうしてそれを僕に黙っていたんですか」
「お前の祖父、草一郎に頼まれたのじゃ。孫には妖怪との戦いなど知らず、穏やかに暮らしていて欲しい、とな」
「まさか……僕のじいちゃんも妖怪と?」
「うむ。ワシと草一郎とは同門の修行仲間でな。若い頃から全国を旅して回り、お互いに数え切れないほど妖怪と戦った。あの頃は色々と無茶をしたもんじゃよ」
「全然知りませんでしたよ、そんな事……」
「教えてなかったからのう」
「じゃあ昨夜も、老師があの鬼を封じようとしていたんですね」
「封じるだけではないぞ。ワシが扱う術は、魂筆さまの神通力と同じ流れを汲むもの。単に妖怪を滅ぼすのではなく、邪悪な妖気を祓い落とし、鬼神を守護神へと転ずる妙技なのじゃ。もっとも、あまりに性根が腐った妖怪などはそのまま封じてしまうがのう。昨夜の相手は、一度は封じた奴なんじゃがな。妖気が清められる前に、草助が巻物を開けて逃がしてしもうたのだ」
「げっ……」

 先日八海老師が怪我をしているのを見つけた時、すずりが「誰のせいだと思ってるんだ」と言っていた意味をようやく理解し、草助の顔は青ざめていく。

「も、もしや、ここ最近腰の調子が悪いとか言ってたのは、全部妖怪と戦って怪我を……」
「巻物の数は六本あったじゃろう。奴らは徒党を組んで暴れ回っておってな、続けて何匹も相手にしていると、さすがに無傷というわけにも行かなくてのう」
「あ、あんな怪物が六匹も……しかも全部僕の責任で逃げ……あわわわ」
「落ち着け草助。責任というなら、巻物の事を教えていなかったワシにもある。あの巻物には封印の術が施してあって、普通の人間が少し触れた程度で開きはせんのじゃ。祭壇と魔除けの掛け軸を用意して、二重に封じてあったからな。よほどの事がない限り、封印は解けぬはずじゃった」

 八海老師が言うのは、草助が外してしまった不動明王の掛け軸に間違いない。

「すみません老師、掛け軸の絵に見入って、僕が取り外してしまったんです」
「今はそれを咎めても仕方あるまい。とにかく、巻物のことは大きな誤算じゃったよ」
「しかしそんな危険な妖怪が逃げたのなら、早くなんとかしないと」
「うむ……そうしたいのはやまやまじゃが、身体が言う事を聞かん。少しばかり無茶を重ねすぎたようじゃ」
「なにか僕に手伝える事はないんですか?」

 草助が訊ねると、八海老師は難しい顔をして黙り込んでしまう。自分を危険な目に遭わせまいという気遣いなのだろうと草助は思ったが、これだけの問題を引き起こした張本人として、なにもせず黙っているわけには行かない。草助がもう一度聞くと、八海老師の代わりに、今まで黙って話を聞いていたすずりが返事をした。

「あるよ。草助が妖怪を封じればいいのさ」
「いっ!?」
「巻物の封印をあっさり解く程度の霊力はあるみたいだし、ちょこっとは使えるんじゃない?」

 驚いて言葉を失う草助だったが、それに異を唱えたのは八海老師だった。

「馬鹿を言うでない。素人の草助に妖怪封じなどできんわい」
「別に一人でやれなんて言ってない。アタシが力を貸してやるよ。これなら文句ないだろじーちゃん?」
「む、むう……しかしじゃな」
「草助がいくらへっぽこでも、アタシがいればなんとかなるって」

 へっぽこと言われて、黙っていないのは草助である。ムッとしながら、草助はすずりに言う。

「こらすずり。さっきから偉そうに言ってるけど、チビのお前がどんな役に立つんだ?」
「……言葉に気をつけな。アンタの事なんか見捨てたっていいんだよ」

 そう言って睨み付けるすずりの目つきは、とても子供のそれとは思えない鋭さがある。鬼にたった一人で立ち向かい、何事もなく無事に戻ってきた事を考えても、すずりの存在は異質であると言わざるを得ない。

「草助よ」
「は、はい」

 急に真面目な口調で呼ばれ、草助は背筋をぴんと伸ばして返事をする。

「すずりを連れ、逃げた妖怪を追え。奴らが人間を襲う前に、なんとしてもこの巻物に封じるのじゃ」
「ちょっ、本気で言ってるんですか!?」
「すずりがいれば無理な話ではない」
「どういう意味です?」
「言葉ではきっと伝わるまいよ。ワシの言葉がなにを意味するのか、それはお前自身の目で確かめてくるがよい」
「ろ、老師」
「お前の祖父、草一郎はとびきり腕の良い使い手じゃった。孫のお前にもその血が流れておる。自分の血と、今まで積み重ねてきたものを信じるのじゃ草助」
「と言いましても、僕は絵と書道くらいしか取り柄がないのですが」
「教える事は教えたつもりじゃ。つべこべ言わんと支度をせい。すずり、草一郎からの預かり物を持ってきてくれ」
「じいちゃんの預かり物?」

 しばらくすると突然、草助は頭から布を被せられて、視界が真っ暗になる。それをはぎ取ってみると、すずりが悪戯っぽくキシシと笑っている。草助に被せられたものは、かなり使い込まれた感じの、紺の着物と茶色の袴、そして編み上げブーツであった。

「これは? どれもずいぶんと年季が入ってるようですが」
「修業時代に草一郎が使っていた服じゃよ。それを着れば気持ちも引き締まるじゃろうと思ってな」
「じいちゃんがこれを……」
「お前は草一郎と背格好もよく似ておるし、とにかく着替えてみい」

 草助は言われた通り、シャツとジーンズを脱いで着物に袖を通し、袴を穿く。

「ど、どうでしょうか老師」
「おお……若い頃の草一郎を見ておるようじゃ。懐かしいのう」

 割れた眼鏡の奥で眼を細め、八海老師は遠い記憶を懐かしんでいる。草助も幼い頃に見た、優しかった祖父の顔を思い出して感慨に浸っていた。

「浸ってる場合じゃないだろ。大事な話が抜けてるよ」

 と、すずりに横から突っ込まれて、八海老師は再び真面目な顔つきに戻る。

「おお、そうじゃったな。草助よ、ワシは逃げ出した六匹のうち、すでに五匹は見つけて封じておいた」
「ということは、僕は残りの一匹を探し出せばいいんですね」
「うむ。だが、それだけではないぞ」
「えっ?」
「鬼は徒党を組んで暴れていたと言うたが、実はさらにもう一匹、連中を束ねる頭目の鬼がいるんじゃよ。ところがこいつは用心深くてな、なかなか尻尾を出さん。どんな相手か分からぬうえに、凶暴な鬼を六匹も従えるほどの存在じゃ。もしもそいつを見かけたら、決して戦わずに逃げるんじゃぞ。さすがにこればかりは荷が重すぎる」
「き、肝に銘じておきます」
「念のため、お守りを持たせてやるかな。もしもの時はこれを使うんじゃぞ」

 八海老師はそう言って、針と糸で草助の着物に一枚のお札を縫い付けてくれた。お札は八海老師の法力が封じ込めたもので、妖怪の動きを封じて足止めする効果があるという事だったが、草助は八海老師の気遣いに申し訳ないと思う反面、それが嬉しくもあった。妖怪探しを前に緊張している草助とは対照的に、すずりはあっけらかんとしていて、まるで気負った様子は見られない。よほどの大物か単に脳天気なだけなのか、いずれにせよ羨ましいなと草助は密かに思うのだった。







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