―――慌てて腰を上げて、2階から階段を降りて1階へと脱出しようとした僕だったが、
それよりも里香の反応の方が早かった。
何故なら、絶頂の途中であっても、物音が鳴った方向を素早く注視した里香の目と、
扉の隙間から事を覗いていた僕の目が、あろうことかバッチリと合ってしまったからだ。
そのせいで、里香は明らかに、僕のことを認識したようだ。
そしてお互いが、ほんの少し沈黙した後。
「……キャァアアッ!!」
隣の家の人に通報されかねない、絹を裂くような悲鳴を里香が発した。
女の子としては至って普通の反応だろう。
……ここで前の僕なら、例えばまだ入院していた時の僕なら、
気まずさや恥ずかしさが理由で、もしかして逃げ出してしまったいたかも知れない。
けれど、今の僕は里香と相思相愛で、何度も身体を重ねているし、近い将来は結婚をする仲だ。
だから、この程度のハプニングで退くわけにも行かない。是非も無し!
(こうなったらもう、全部説明して許してもらうしかない!)
そういう気持ちで、僕は思い切って引き戸をガラッと開ける。
次に、全身を里香の前に思い切りよく晒して、勢いよく話しかける。
「里香! 聞いてくれっ!これにはワケが……ぶぅっ!?」
僕の勢いは、里香が全力で投げつけた枕が顔面に直撃したせいで、すっかり削がれてしまった。
しかしもちろん、里香の怒気はより盛んに僕に向かった。
「死ね……裕一のバカッ! スケベッ!! 人でなし! こぉの……色情狂!」
乳首や秘部は隠したものの、着ているセーラー服を乱したままの里香は、
耳までリンゴのように真っ赤にして、
手近にあった、本やら時計やらリップクリームやハンドクリームの容器を、
手当たりしだいに引っつかみ、口からの罵声と共に僕に容赦なく投げつけてくる。
(あぁ……なんか久しぶりに、里香に本気で怒られたような気がする……)
僕は、投げつけられてくるモノの痛みを甘んじて受け入れると共に、
これで少しでも里香が冷静になってくれて、早く落ち着いて話が出来るようになればいいなと考えた。
いや……それ以外のことなどは、もう考えられなかった……。
「……それで、一体どうしてこういうことになったのよ……?」
自らのベッドに女王様か処刑人のように腰掛けている里香は、床に正座させた僕に対して、
まるで人を殺せそうな冷たい視線を注ぎながらそう言った。
「どうしたの? ほら、早く説明してよ」
さきほど一暴れしていたおかげで多少落ち着いた里香が、
少しは僕の言い分も『聞いてやる』為に、このような状況になっているというわけだ。
「ちょっと待ってよ……まだ顔とか痛くってさ」
先ほど里香に思い切りモノを投げつけられたり、殴られたり、抓られたりしたせいで
痛みを訴えかけてくる顔や身体を撫でながら、僕は里香の気持ちを彼女の表情から探る。
見る人に気が強そうだという印象を与える里香の眉毛は、普段にも増してツリ上がり、
その下にある双眸は羞恥心と怒りの炎を灯していた。
……今までの経験からして、里香は相当怒っているらしい。
「そうね、痛かったんなら謝るわ。でもね……今のあたしの気持ちの方が、ゆ、裕一の痛みなんかより……!」
そう言うと彼女は、怒りと羞恥心のあまり、また両拳に力を込め、目に涙を溜めて、プルプルと身体を震わせ始めてしまう。
「もう〜〜……!!! どうして、ゆういちがっ、あんなとこにいたのよぉっ……!!」
再び殴りかかられてはまずいと思った僕は、素早く彼女に事情の説明を開始する。
「あぁっ、里香! そんなに怒ると、身体に障るって! わかったから、今から説明するから――――」
―――僕が今までの経緯を一つ一つ説明していくにつれ、里香は徐々に落ち着きを取り戻していった。
里香は、僕の弁明を聞きながら、玄関の鍵をかけ忘れていたことを始めとする、
自分自身の行動にもいくつか迂闊な点があったことを素直に認めた。
というより、さっき僕を必要以上に怒ってしまったことに、罪悪感を抱いているようでもあった。
(まぁ、良いモノ見せてもらったから、少しくらい痛い目に遭っても我慢出来るんだけどさ。
それに、里香のワガママなのは昔からのことだし‥‥)
僕は里香がオナニーしていた光景を脳裏に浮かべながら、
その時とは全く違う、目の前にいる怖い里香に事情を説明し続けた。
……さて、正座したままの僕は、足を少し痺れさせるくらいの時間をかけて、話したいことを一通り話し終えた。
すると、里香がうつむきながらおもむろにベッドから立ち上がった。
(んっ? なんだ?)
もしかしてまた僕を叩くのかな?と思ったら、彼女は僕を素通りして、
部屋の隅にある勉強机の方に向かった。
そして、細い腕を伸ばして、机の上に置かれていた何かを手に取った。
彼女が手に取ったそれをよく見ると、紛れもなく僕の携帯電話であった。
「あっ、そこにあったのか‥‥」
僕が思わずそう声を上げると、里香は僕の方に向き直り、
白い手で携帯電話をスッと差し出してきた。
「……はい、どうぞ。さっき言ってた、裕一の携帯ってこれよね?」
黒い携帯のボディが、里香の白い掌に包まれて、コントラストを生み出している。
「本当は、明日学校に行く時に渡すつもりだったんだけど……」
僕は正座したまま、差し出された携帯電話を受け取った。
これでようやく、本来の用事が達成されたことになる。
「おう、これだよ。見つけてくれてありがとな、里香」
僕のお礼に、里香は頷いた後に少し言葉を続けた。
「それね、あたしのベッドの上の、裕一が座ってたところに置きっぱなしだったのよ。
見つけたとか探した内に入らないよ?」
「そっかぁ、やっぱりそうだったか……」
僕がそう苦笑いしながら言うと、
「自分で予想が出来るようなところに忘れるなんて、なんだか裕一らしいわね」
と、里香はやや皮肉めいたことを言う。
「そう言うなよ。もし見つからなかったら、里香とも連絡取れなくなるんだぞ?」
僕がバツが悪そうにそう言うと、里香は、
「でも、あたしと裕一の家はそんなに遠くないし、毎日学校で会えるから、携帯なんてなくとも別にいいじゃない」
と嬉しくなることを言ってくれた。しかし、
「あ、そういうことじゃなくて、いやらしいサイトが見れないと困るってこと?」
と二の句が続いたので、僕は思わずガックリ来てしまった。
「お前なぁ……」
無論、僕は携帯でそんなサイトを見ていない。今は。
「あら、図星なの? それなら、中身見ちゃった方が良かったかしら」
里香は舌を出しながら、ちょっととんでもないことを言っている。
「人のプライバシーをなんだと思ってるんだ? 相変わらずヒドい女だなぁ……」
「ふふ、冗談だよ。あたし、こう見えても裕一のことは信じてるんだから」
軽い口調で言われたものの、里香からの確かな信頼を感じられて、僕は素直に嬉しかった。
「これからもそうしてくれると、俺も嬉しいな」
僕がそう言うと、里香は小さくニコリと微笑みながら返してきた。
「それは、裕一の心がけ次第ね」
彼女の笑顔が直球に可愛くて、僕は思わずドキリとしてしまった。
そのせいで、やたら真面目に返事をしてしまった。
「あっ……あぁ。俺も気をつけるよ」
僕の言葉に対し、何も突っ込みどころを発見出来なかった里香も、
言葉をほとんど出せずに押し黙ってしまう。
「うっ……うん」
「…………」
「…………」
僕が真面目に返事を返してしまったせいで、
この場にはどこか気まずいような、気恥ずかしいような沈黙が流れてしまっていた……。
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