二人でお参りを済ませたあと、近くにある川沿いの道を散歩した。
夏が終わりかけ、秋が顔を見せ始める、涼しいような少し暑いような日だった。
ふっ、と僕の眼前を、ちょっと気が早かったトンボが通り過ぎる。
「うわ、もうトンボが飛んでるぞ」
本当に、と里香がこちらを見る。
少しの間きょろきょろと辺りを見回し、やがてそいつを見つけ声をあげた。
「うん、飛んでるね。トンボにもせっかちなのがいるんだ」
「いるみたいだな」
なんだか少しおかしくて、僕たちは笑った。
こうしてのんびりと散歩して、くだらないことで笑いあう。
幸せだった。多分きっと、里香も同じように思ってるだろう。
「んー」
「…何してるんだ?」
突然里香が手を前に伸ばした。
人差し指を立て、小さく唸りながらじっとしている。
いったい、里香は何をしているんだろう。
というか、その体勢はどういう意味があるんだろう。
しばらくの間考え込んでしまった。
「んー」
「んー?」
道端で若い男女が二人で唸っている。
通りすがりの人が見たら、さぞ奇妙な光景だろう。
そこでまた、僕の鼻先をトンボが掠めていった。
ああ、そうか。
これでやっと、里香の変なポーズの理由がわかった。
「止まらないと思うぞ」
「止まるかもしれないよ」
内心無理だと思いながら、僕は里香の挑戦を見守ることにした。
トンボは僕たちの周りをふらふら飛んでいる。
こいつはこの近くで生まれたのだろうか。
それとも、別の場所で脱皮してここまで旅してきたのだろうか。
なぜかそんなことを考えていた。
「あっ!」
やがてトンボは、一度だけ里香の指に近づき、そのまま遠くに飛び去っていった。
里香がそれを目で追っている。ちょっと悔しそうだ。
「まあ、トンボなんてあんなモンだよ」
「むぅ」
僕がそう言うと里香はやっと諦めたのか、視線をこちらに戻した。
頬がすこしむくれているのが、とても可愛らしい。
「あれ?」
「ん?どうした、里香」
里香は僕を見ていない。少なくともこちらを見てはいるが、焦点は僕にあっていない。
僕はその視線を追った。そして、理解した。
花だ。名前は知らないけど、黄色い花が岸辺にいっぱい咲いている。
風が吹くと、花は一斉にゆらゆらと揺れた。
とてもきれいな花畑だ。カメラを持ってこなかったのが非常に悔やまれる。
例えば、あの花畑の中に里香が座っていたらどうだろう。
それはきっと、一枚の絵画のような光景のはずだ。
今日の里香の服装は、白のワンピースとつばの広い帽子。
狙っているんじゃないかと疑うくらい、ぴったりな格好だ。
どうしよう。カメラがないのが本当に惜しい。
「ねえ裕一、行こう」
そう言って、僕の手を取り歩き出した。
ニコニコと笑いながら歩く里香が、とにかく愛しかった。
「そんなに引っ張るなよ、危ないぞ」
「いいから、早く行くの」
まったく、僕の言うことなんか聞いてくれやしない。
小さくため息をつき、里香の隣に並ぶ。
里香が僕を見て笑う。僕も釣られて、笑顔になった。
「うわ、すごいな」
僕たちを囲む、たくさんの黄色い絨毯。
川沿いの土手を覆いつくすその景色に、僕は心を奪われていた。
「ほら裕一、あそこ座れるよ」
なるほど。里香が示したその一角だけ、花が咲いていない。
まるでぽっかりと穴が開いているようだ。
僕と里香はそこに並んで腰を下ろした。
花は咲いていないが、青草が茂っているおかげで汚れる心配はない。
「すごいね、裕一」
「ああ、本当にすごいな。すごいって言葉しか出てこないくらいすごい」
普段見ることができない、花に囲まれた視界。
すごいね。すごいな。僕たちは何度も同じことを言い合った。
「あ、そうだ。裕一、花冠ってわかる?」
「花冠ってあれだろ。花を編んで作ったあの」
そうそう、と頷きながら里香は周りの花を摘む。
手の中でその花をくるくると弄びながら、言葉を続けた。
「この花、名前は知らないけど、茎が細くて編みやすいの。
より合わせて、冠にするんだけど…作ってあげようか」
はあ、と僕は声をあげた。
「オレ、に」
「そう、裕一に」
まいったな。里香の目は本気の目だ。
この場合は、もう里香が冠を作ると決めているわけで。
正直勘弁してほしかったけど、里香の機嫌を損ねるわけにはいかない。
わかった、と僕は頷いた。
「でもさ、オレ男だぞ。きっと似合わないって。そういうのは女の子がやるから可愛いんだと、おもう、よ…」
むー、と無言のプレッシャーが放たれている。
一度納得したんならグチグチ言うな、とでも言いたげだ。
「あー…」
里香はまだ僕を見ている。いや、睨んでいる。
やれやれ。結局僕は、どうしても里香には勝てないらしい。
「わかった、お願いするよ。花冠、作ってくれ」
「うん、よろしい」
ふわっと笑顔になり、花を摘み始める。
いつもの事ながら、里香の笑顔にはどきっとさせられてしまう。
きっと僕が、心の奥まで里香に参っているからだ。
「どうかした」
「いや、なんでもないよ」
そうとしか、答えられなかった。
細くてきれいな指が、丁寧に花の茎を編んでいく。
僕は親指と人指し指で長方形を作った。
ファインダーを覗くように、写したい構図を思案する。
カメラがないから想像することしか出来ないけど、きっと、誰もが羨むような一枚になるはずだ。
ふと、里香が顔を上げた。自然と僕と目が合う。
そして、穏やかな微笑を浮かべた。
「あたしが納得できるような写真は撮れた?」
「そうだな。100人いたら200人くらいは欲しがると思う」
「何それ、変なの」
里香はくすくすと笑い、また花冠を作り始める。
僕はその柔らかな笑顔を、楽しそうな里香をずっと眺めていた。
「できたよ、ほら」
大体5分くらい経っただろうか。
里香が出来上がった花冠を僕に手渡した。
「ほんとにオレが乗っけるのか?」
うん、と里香が頷く。
いや、やるって言ったからやるけどさ。
絶対に僕には似合わないと思う。
こういうのは、里香のような可愛い女の子がしてこそのものだろう。
里香は僕をじっと見ている。目が、やれと言っている。
はあ、とため息をつきながら、僕はそれを頭に乗せた。
「ほら、似合うか?」
「ぷ…うん、似合ってる。すっごく似合ってるよ、裕一」
「いや、今ちょっと笑ったろ。なあ里香、目を逸らすなって。こっち見ながら言えよ」
「く、やだな裕一、笑ってなんて…ぷ、あははは」
きっと我慢しようとしていたんだろう。
それでも堪えきれずに、里香は大きな声で笑い出した。
わかってたさ。うん、わかってた。
そりゃあ僕みたいな男に、こんなのは似合わないさ。
それでもちょっと酷くないか。そんなに笑われるとさすがに、少し傷つく。
「あんまり笑うなよ」
「あはは、ごめん…ふふ、あはは」
「まったく。ほら、こういうのは女の子がやるもんだろ」
笑いが収まっていない里香の頭に、僕の頭の花冠を取って、乗せてやる。
うん。似合うな。すごく似合う。
まだ里香は笑っているけど、冠を飾ったその姿はとても絵になる。
カメラの代わりに、僕の記憶に焼き付けておこう。
「似合う?」
笑いながら尋ねる里香は、ものすごくきれいだった。
本当に本当にきれいだった。
「ああ、似合うよ」
すっげえ似合う、と僕は繰り返した。
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