「で、今回は何のバイトなんだ?」
「去年の秋ごろ、神社でバイトしたの覚えてる? そこでまたやるんだ」
ああ、と言って吐く息が白くなる。この寒い中を僕と里香は手を繋いで歩いていた。
僕たちはあれから何も変わっていない。
変わったといえば僕が3年になり、里香が2年になったことぐらいだろう。
僕と里香は何事もなく進級し、日常の中で平穏に生きている。
司とみゆきは予定通り東京へと進み、なんと一緒に住んでいるらしい。
山西もなんとか東京の大学へ進んだ。里香より可愛い女の子はまだ見つかっていないそうだ。
当然だ。
そしてその三人は、冬休みということで伊勢に戻ってきている。
「でも正月だぜ? 人もたくさん来るだろ。大丈夫なのかよ」
「吉崎さんと一緒だから大丈夫だよ。もう一回巫女さんの着物を着てみたいっていうのもあるし」
里香のクラスのやつを捕まえて聞いたことによると、吉崎はあれ以来クラス内ででしゃばることをしなくなり、綾子というおとなしめな子と、驚いたことに里香と一緒にいるようになったらしい。
もともとは綾子が里香とよく話をしていたのだが、綾子と一緒にいる吉崎もその話に加わることになったというわけだそうだ。
そういうわけで僕はちょっと安心した。
里香が無茶できないということを知っている人と仕事をするなら少しは安心できる。
それに、なんだかんだで僕も里香の巫女さん姿を見たかったりもする。
前回は影からだったのでよく見えなかったし、何より今回はお正月だ。
参拝者として堂々と里香の前に姿を出せる。
できれば写真も撮りたいところだ。
さすがに難しいかな……いや、頼んでみれば案外いけるかもしれないな……。
「ちょっと、裕一。また変なこと考えてるでしょ」
里香が立ち止まって、僕の顔を見て言う。
しまった。里香の巫女さん姿を想像して顔がにやけてしまったらしい。
「違うって。里香の……そう、里香の心配してたんだって」
「なら、なんでにやけてるのよ」
「いや、それは……」
巫女さん姿を想像してました、と言ったらとんでもない目にあうに違いない。
何かごまかさないと、と頭を目一杯働かせる。
「心配なんだよ」
考えた末に出てきた言葉がこれだった。
ごまかすつもりだったとはいえ、心配しているのは本当だった。
「裕一」
怒っているふうでもなく、穏やかな声。
里香の綺麗な瞳が僕の目を捉えている。
里香の目は何度見ても綺麗だった。いや、目だけではない。
整った顔立ち、長く延びたつやの良い髪。
その全てに魅了される。
里香が僕に言いたいことはわかっている。
わかっていても、心配なものは心配だった。
けど、僕が里香にそんなことを言える権利は持っていない。
里香は僕の持ち物ではないんだ。
いつの間にか、僕たちの影はずいぶん遠くまで伸びていた。
僕たちの隣を流れる川が、夕陽を反射してきらきらと輝いていた。
近くの家からは何やら良いにおいがした。
年越し蕎麦でも作っているのだろう。
「わかってる、止めないよ。けど、頑張りすぎるなよ」
そう言うと、里香は少しだけ笑った。
「うん、わかってるよ。ありがと」
ひとまず落ち着いたようだ。うん、さっきのことも流れたようだし。
互いに無言になる。川の流れる静かな音だけが僕たちの周りにある。
里香が僕のほうへ体を寄せた。
だというのに、よせばいいのに僕は余計なことを言ってしまった。
「そうだ、一つお願いがあるんだけど」
「ん、なに?」
「バイトが終わった後でいいんだけどさ、里香の巫女さん姿、写真に撮らせてくれないか?」
言ってすぐ後悔した。雰囲気も何もあったものじゃないセリフだ。
里香がすっと僕から離れる。
もっと寄り添っていたかったのに。
「へえ、さっきにやにやしてたのはそういうことだったんだ」
ああ、まずい。
里香の声色がさっきまでの優しいものとは打って変わって恐ろしいものになっていた。
里香の手にはちょっと前に立ち寄った古本屋で僕が勧めて買った文庫本、田山花袋の「蒲団」が握られている。
ちなみにこの本はあの夏目に勧められたもので、読んでみてびっくりした。
普段のお返しにとばかりに里香にも勧めてみたわけだ。
「この……」
「あの、里香……さん?」
そして里香の手から文庫本が投げられた。怒声とともに。
「ヘンタイっ!」
近距離にいた里香ははずすことなく、僕はかわせるはずなく、文庫本は里香の狙い通りの場所へクリーンヒットしたのだった。
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