―――キ〜ンコ〜ンカ〜ンコ〜ン……
カリカリとシャーペンを走らせる音が響く教室に、それよりもずっと大きいチャイムが響いた。
生徒がたった二人でも、一日のタイムスケジュールという意味でチャイムは鳴る。
このチャイムは、午前中の授業が終わったという事を知らせるものだ。
黒板に二人分の国語の読解問題の答えを書き終えていた柚木さんは、
二人並んで机に座っている僕と唯の方を向いた。
「それじゃあ、今日の授業はこれでお仕舞いにしましょう」
答え合わせを終えた僕と唯は、礼をしながら柚木さんに挨拶をする。
「ありがとうございました〜」
「ありがとうございました」
「拓己、私はもう少しかかるから待たなくても良いわ」
「あ、はい」
もうすっかり教師役が様になっている柚木さんは、
僕達の成長の様子を見てはいちいち嬉しそうで、最近は自分の教師ぶりに自信を持っている様だった。
確かに授業はわかりやすいし、僕達としても不満は無かった。
ただ、たまにおっちょこちょいな一面も見せる時はあるけれど。
そんな時には、僕と唯はクスクスと笑い合った。
「やっと書き終わったぁ……」
「私も終わったよ」
ノートを取り終えた僕と唯の方は学習用具を片付けて机を立ち、それぞれ自室に戻ろうとする。
普段の様に唯は僕に向かって明るく話しかけた。
「じゃ、一緒にお昼ゴハン行こうね?」
「うん、唯の部屋の前で待ってるよ」
僕と唯は廊下に出て、今日の授業の事などをとりとめもなく話しながら
お互いの自室に学習用具を置いてきて、二人で食堂に向かった。
「今日、柚木さん二回も漢字間違えたよね」
「温かくって、ぼーっとしちゃったんじゃないかな?」
「……もしかして僕達を寝かせた後夜更かしでもしてたりして」
「ほんとなら柚木さんずるいなぁ! 私だってテレビとか観たいのに」
食堂に向かう途中の唯は暖かい日差しの中、まるで妖精の様に僕に笑いながら話しかけた。
唯が歩く度に短くて艶のある髪が軽やかに揺れて、整ったラインの手足が少しばかり子供っぽい動きをする。
僕はそんな唯に見とれてしまう事もありながら歩いていたので、すぐに食堂についてしまった。
楽しい時間は早く過ぎてしまうんだなと思う。
食堂の入り口には献立表が設置してあって、唯はそれを口に出して読んでみて喜んだりする。
僕はそんな子供っぽい所もちゃんと残している唯も好きだ。
「今日のメニューは……ええっと、スパゲッティーとサラダだね!」
「ん、おいしそうだね」
「はやく食べたい!」
今のスクールの炊事や洗濯は掃除は、皆で当番を作って回していた。
ちなみに今日の当番は遙と伊地知さんだ。
食材を初めとする消耗品は、必要に応じて柚木さんが町まで行ってまとめ買いしている。
トレーにスパゲッティーとサラダと冷えた麦茶をとった僕と唯は、
少し先にテーブルに向かい合って座って食事を食べていた遙と伊地知さんを見つけた。
だだっ広い食堂にほとんど人がいないのも、もう慣れてしまった。
寂しさに慣れたと言うより、これはこれで悪くないとも思えるという意味だ。
それにしても、遙と伊地知さんの二人が食事中に何か喋っているのは全くと言って良いほど見た事が無い。
長い付き合いらしいのだから、もっと喋っていてもいいと思うのだけれど。
「あそこいこっか?」
僕がそう言って、唯もついて行く。
軽く会釈をして僕は伊地知さんの隣に、唯は遙の隣に座る。
遙が軽く会釈を返しただけで、伊地知さんと僕達の間には会話が生まれない。
「いただきまーす」
「いただきます」
唯は同じように手を合わせていただきますと言って、スパゲッティーを食べ始める。
唯も遙も伊地知さんもフォークとスプーンを器用に使ってスパゲッティーを食べている。
巻かれたミートソース味の麺を口に運んだ唯は屈託の無い笑みを浮かべて言う。
「‥‥おいしい! 伊地知さん遙さん、ありがとうございます!」
伊地知さんの反応はほとんどないが、遙はフォークを止めると、唯に穏やかに笑いかけた。
「そう言ってもらえると嬉しいわ。 所で、授業の方はどうだった?」
柚木さんも遙も、表には出さないけれど伊地知さんも唯に親しみを持っている。
「えっと‥‥さっきは国語で銀河鉄道の夜っていうのをやってたんですが、
 あれ、凄く悲しいお話しだったんですね‥‥私知りませんでした」
「そうね……確かにあの話はあまり救いがないかも知れないけど
 でも、私は好きよ」
「図書館にも、宮沢賢治の違う本ってありますよね?」
「ええ……今度探しに行きましょうか?」
どうやら本の事なるとこの二人は話しが合いやすいらしい。
こういう事ならいっその事僕ももっと本を読んでみた方が良いのかなとも思う。
遙と唯は本についてお喋りしながら食事を続ける。
そんなやりとりを見ていた僕も、お腹が減っていたのに気付いたので
麦茶を一口飲んだ後、スパゲッティを食べ始めた。
うん、これは確かに美味しいぞ。レストランに出してもおかしくないだろう。
家庭菜園の野菜も結構使われていて具の量も十分だし、
ミートソースにもある程度手が加えられている様でさっぱりしていて美味しい。
一口一口十分に味わって、フレンチドレッシングがかけられたサラダも摘みながらどんどん食べ進めた。
僕が半分程食べ進んだ所で、不意に正面の唯が僕の顔を見つめて来た。
その瞬間、僕と唯の視線がグッと絡み合う。
「拓くん」
唯の方は何か他愛ない事でも話そうとしたのかも知れないけれど、
スパゲッティをフォークで巻く僕の手が思わず止まる。
唯の目の優しさと可愛さは僕には無いものだ。
嘘に傷つき、数え切れない数のモノを捨てて生きてきた僕に向けられた、
一点の汚れも無い、僕を信頼しきっている双眸。
博士とじゃれつく仕草、卑しい打算のない笑顔。その全てが怖かった。
そして……どうしようも無く愛おしかった。
だから、こんな風に唯の目を見て話せなくなる時がある。
僕の心は未だに、『新しい』唯の全てを受け入れきれないでいた。
「……拓くん……どうしたの?」
夢から覚めた様な感覚が僕の脳を走った。
僕はハッと我に帰って、今僕の目の前にいる唯に受け答えをする。
「ごっごめん‥‥ちょっと眠くてボーッとしちゃってた……」
唯は僕の言うことを信じつつも目は『本当にそうなの?』と問いかけていた。
「もう拓くんてば! 拓くんの方こそ昨日遅くまで夜更かしして、
 ラジオでも聞いてたんでしょ??」
「ん、まぁちょっとはね……」
「しょうがないなぁ……もう」
結局、僕はボーッとしていただけだと唯は思ったようだけど、本当の事は言えそうも無い。
唯はなおも疑っているような表情を浮かべて僕の心の扉を開こうとする。
絶対に唯に見せることは出来ない、僕の心の扉の奥を。
僕は、いつまでこんな風に唯と向かい合えばいいんだろう?
ミートスパゲッティの味もあまりよくわからなくなる位、僕は動揺していた―――
「ふぅ……」
今日の用事をやっと終えた私は、机についたまま背伸びをして、
静かな部屋の中で唯一音を発している備え付けの古い時計にふと目をやった。
もう消灯時間に近いので、拓己と唯が自室に引っ込んでいるか確認しなければならない。
そうでなければ、無理矢理でも顔の手入れをしてやった後で寝かしつける必要がある。
私はイスから立つと、部屋のドアまで歩いていってドアノブに手をかけようとする。
トントン
ドアの向こう側からノックをされた。
「柚木さん‥‥いますか?」
かわいげのあるノックの仕方と聞き間違えようのない声から、ドアの向こう側に唯がいることがわかった。
夜こんな風に唯が、拓己には出来ないような相談を一人でしに来たり
勉強の事で尋ねて来ることは度々あるので、私は快くドアを開いて出迎えた。
カチャリ
「どうぞ〜〜」
「おじゃまします……」
質素なパジャマを着た唯が、あどけなさの残る顔をドアからひょっこり出した。
「まあ、いつもみたいにしててね。 それで、今日は何の用かしら?」
いつもの様に唯は私のベッドにすっと腰掛けてきて、私もその横に座った。
「………」
「………」
少しの沈黙が私と唯の間に置かれる。
耳を澄ますと外からは虫の声が聞こえてきて、ふともう夏なのかなと思った。
唯によって少し会話の間が置かれた事で、今日の相談事はデリケートなのかなと考えてしまう。
その相談事にちゃんと自分は唯を安心させられる答えを出せるのかと
微かに不安がよぎるけれど、まずはしっかりと話しを聞いてからだとも思った。
すると唯は、普段見かけないちょっと物憂げな顔になる。
「あの……」
「なにかしら?」
「………」
「すぐに話せないなら、お茶か何か淹れてこようか?」
「いえ……話せます……最近――」
次に唯は恥ずかしそうな顔になって良手を胸に当てて、ゆっくりと話し始める。
「――最近………一人でいる時に拓くんの事を考えると、凄く変な気持ちになっちゃうんです……
 ……よ、夜寝ようとしてもそわそわしちゃって……」
この話しの流れだと唯が今私にしているのは、紛れもなく恋愛相談だった。
しかし人生の経験をリセットしてやり直している唯には、
今唯が抱いている感情が『恋』だと認識出来ないのだ。
……聞いているこっちが恥ずかしくなって、どこかに隠れてしまいたくなりそうな話しだ。
なおも唯は一気に溜め込んでいた思いを私に吐き出す。
「……それで次の朝に拓くんに会うのがずっと楽しみで、
 いつも拓くんと会ったら何をしたいとか、拓くんのことを何度も何度も思い出しちゃったり、
 拓くんは私のことどう思ってるかとか考えてるんです……」
正直、私の手に負える相談事なんだろうか?
「……柚木さん……私、変……なんでしょうか?」
突然、唯から半ばすがりつくように考えを求められたので私は返答に何秒間かかけてしまった。
その何秒間かで私は唯を安心させるのに最善の答えを何とかひねり出した。
私は親の愛には恵まれなかったけれど、唯には出来る限りの手助けをしてあげたい。
「……ううん 変じゃないわ」
「え?」
「……唯のその拓己を想う気持ちは、女の子として一番大切なものよ」
「一番大切なもの……ですか?」
「人を好きになる、ということなのよ‥‥」
「私は拓くんが……す、好きなんですね?」
私のその答えに、唯は不思議そうな顔をしている。
「そうよ……唯にこんなに一生懸命に想われているなら、拓己も幸せなはずだわ。
 ……だから、その気持ちを忘れないでね?」
「はい……!」
「唯も今はまだわからないかも知れないけど、きっとわかるわよ」
私の言葉にも唯は安心してくれたようで、明るい表情で返事を返してくれた。
その笑顔は本当に柔らかくて嬉しそうで、私も釣られて微笑んでしまった。
すると唯は今度は、楽しさと気恥ずかしさが混じった様な顔で、また話し始めた。
「あの……もう一つ相談したい事があるんですが……」
先ほどより柔らかくなった唯の表情にほっとしながら、また相談に付き合う事にする。
「なにかしら?」
「また、拓くんの事なんですけど‥‥」
「……それで?」
「最近の拓くんは私と話してる時にどこか違うんです……言いづらいんですど」
唯は拓己の事を本当に良く見ているなぁと感心しつつ、私は聞き返した。
「どこか‥‥って?」
唯は使う言葉に多少悩みながらも、話し続ける。
「拓くんの目が私を見てくれてないっていうか、゛うわのそら゛みたいなんです」
「つまり、唯から見て拓己が不自然な時があるって事ね? ……今日はどうだったの?」
私がそう聞くと、唯は可愛い眉毛を少し曲げながら教えてくれた。
「えっと……お昼ご飯の時に話しかけた後はずっとそんな感じで、
 午後の授業も、夕方博士と遊んでた時も、晩ご飯の時もです。
 ……拓くんも、言いたいことがあれば言ってくれればいいのになぁ‥‥」
唯はちょっとふてくされたような顔になっていて可愛い。
「そっか……拓己も色々あるからね……」
私には唯の付け加えた様な最後の一言がおかしかったけれど、
拓己にしてみれば本当に微妙な心境だろう。
そして、私自身の罪深さを嫌な位に再認識させられた。
元々はSIFMAが彼にしてしまった事なのに、私にはどうしようもない。
彼の運命を散々に弄くり、ねじ曲げ、大切なものを奪ってしまった。
そして、かつての唯の記憶が戻ることは絶対にありえない。
「柚木さん、どうすれば拓くんの事をもっと知れるんですか?」
けれど、二人の背中を押すくらいの事は出来るだろう。
「よし! じゃあ唯から拓己に少し甘えて元気を出してもらうのはどうかしら?」
「ど、どうやって甘えれば良いんですか?」
『甘える』という単語に唯は不思議そうな顔で真面目に聞き返してきた。
「う〜ん‥‥そうねぇ」
言ってしまった手前、大人しい拓己が唯に心を開きそうなシチュエーションをどうにか考えてみた。
しかし先程とは違い、どうしても妙案が浮かばずあまり上手い事は言えなかった。
「‥‥勉強を教えて欲しいって言って、まずは拓己の部屋に入れてもらうのはどう?
 それからは唯の頑張り次第になっちゃうけど……」
「なるほど……わかりました」
私の考えを聞いた唯はすっとベッドから立ち上がると、少し嬉しそうにしてドアノブに手をかける。
そして、開いたドアから廊下側に出るとドアの端からヒョコッと顔を出して、私を見て言った。
「柚木さん、遅くにおじゃましてすみませんでした……私、がんばります」
私は唯の目と口調に宿った澄んだ想いに驚きながらも、唯の成長が嬉しかった。
その瑞々しい生き方に、言いようのない愛おしさや羨望さえ感じる。
私にはこんな風に生きている頃は無かったからだ。
「頑張って! ……でも今日は早くおやすみなさいね? 唯」
「ありがとうございます……柚木さんもおやすみなさい」
カチャリ……
唯はそう言うと静かにドアを閉めて、暗い廊下に出て行った。
すると私の部屋の中に再び静寂が戻り、代わりに廊下に唯の足音が遠ざかりつつ響いていた。
「ふぅ……」
私は寝仕度をしながらも、拓己と唯の幸せを心から願わずにはいられなかった―――
ベッドに仰向けになったまま白い天井を見上げていると、
消灯時間が近いのに色々な事を考えてしまっていた。
……僕は、どうして今の唯を受け入れられないんだろう?
今日も昼間の食堂で唯に話しかけられてからずっと、変な風になってしまった。
唯から見たら、いい加減不自然に見えただろうか?
……外見が全く同じで、内面は一部を除いてほとんど別人の『新しい』唯。
けれど、一部でも『前の』唯の部分を受け継いでいれば僕には十分だった筈だ。
『新しい』唯の仕草や表情の形、僕の呼び方は『前の』唯と全く同じだ。
失った記憶は取り戻せないけれど、新しい記憶を刻む事は出来る。
そう僕や柚木さん達は信じて、希望を持って唯と暮らしてきた。
そして、『新しい』唯は急激に知識を吸収し経験を積み成長を続けている。
携帯でメールを使うようになった唯。
博士と遊ぶ内にもう一度猫の可愛さを学んだ唯。
この何ヶ月かで唯の精神年齢は日毎に成長して、
手取り足取り何か教えるという事も無くなり、読み書きや勉強、一般常識を身に付けた。
以前と比べて年齢と精神のギャップやムラがかなり少なくなり、
『新しい』唯は、より『前の』唯に近づいている。
しかしその結果、僕が保護者面をする必要も無くなってきているのも確かだ。
良くも悪くも僕から少し距離を置くようになった。
思わず深くて暗い溜め息が出た。
「ふぅ―――」
だから、どう接したら良いのか戸惑ってしまう。
本当は、唯を恋人として強く抱きしめたい。
限りなく近く唯の心に、身体の隅々にまで触れたい。
けれど、今の唯にそんな事をしたら僕はまた唯を守れないどころか、
今度は自分の手で唯を深く傷付ける事になる。
僕は今まで自分が壊したり、なくしたりしてきたモノの重さを
夜寝るときに考えてしまうと押しつぶされそうになる。
だから、この気持ちはまだ心の奥に深く深くしまっておこう。
唯の方から気付いてくれるまで、僕はなんとか待とう。
僕はとりあえず自問自答を終わらせると、唯にメールを打とうとして
ポケットからすっかり型落ちした携帯電話を取り出した。
左手に持ったまま、携帯のボディをしばらく見て考える。
この携帯は機能の貧弱さもあるけれど、見かけも所々ボロくなっていて
柚木さんには見られる度に『……新しいの欲しかったら用意しようか?』と言われてしまう代物だ。
でもこの携帯には『前の』唯と、そして『新しい』唯とやりとりしたメールが詰まっている。
僕にとってこの携帯は、唯との大切な歴史そのものなのだ。
そういう訳で、僕はこの携帯をずっと使い続けるだろう。
さて、唯にメールを送ろうかな……
ブルルル、ブルルルル!
ん?
僕の左手に収まった携帯電話が突然激しく震えて、メールの着信を告げた。
発信者の名前を見ると、お約束のように唯になっている。
今日のおやすみメールは唯の方から先に送ってくれたみたいだ。
きっと内容も他愛なくて、今日あった事についてちょっと書いてあるだけで
その後少しメールをやりとりしたら二人で寝るのだ。
そんな風に考えながら僕が今唯から来たボタンを押してメールを読むと、予想とは全然違っていた。
『拓くん、夜遅いのにごめんね。
 それで、今から拓くんの部屋に行って勉強教えてもらっていいかな?』
読み終わって、ちょっとした嬉しさと疑問が僕の心に現れてきた。
唯がこの時間に僕の部屋に来たいというのは不思議に思うけれど、
今日はもう会えないと思っていた唯に会えることは嬉しい。
僕は快く唯の頼みを聞き入れる事にして、それを伝えるメールを返信した。
コンコン
すると五分と経たない内に、僕の部屋のドアがノックされた。
僕はベッドから身体を起こすと、向こう側にいる唯の事を考えながら歩いていってドアを開いた。
「拓くん こんばんわ」
開かれたドアからそろそろっと出てきたのは、勉強道具を小脇に抱えたパジャマ姿の唯だ。
袖や裾が少し長過ぎて、そこから白めの手首や足首が見え隠れしている。
幼さを少し残した唯のその姿に、僕はなんともいえない色っぽさを感じてしまった。
けれど、なぜこんな時間に来たのかは聞いておきたい。
「唯‥‥? どうしたのこんな時間に?」
僕の問いに唯はどぎまぎする事も無く、ただ答えてくれた。
「ちょっと数学でわからない所があって……ごめん‥‥邪魔……だったかな?」
はにかみながらそんな事を言われたら、とても追い返すことは出来ない。
「ううん。 邪魔なんかじゃないよ。
 唯は勉強熱心だもんな、教えるよ」
僕がそう言うと、唯は無邪気に微笑みながらお礼を言う。
「拓くんありがとう!」
「いいっていいって、それよりどこがわからないの?
 あ、僕の机に座っていいよ?」
僕がそう言うと、妙に嬉しそうな顔の唯を部屋の中に入れた。
僕の部屋には唯が座る椅子と机は無いので、唯を僕の勉強机に座らせると
僕はその隣に立って唯に数学の問題の解き方を教えていった。
「拓くん、ここの公式の使い方ってこれであってるかな?」
「ちょっと待っててね……えっとここは――」
唯はとても素直に勉強をしていて、わからない問題があると僕のアドバイスを真剣に聞く。
こくんこくんと頷きながら、ひどく真剣な眼差しを僕と問題に注いだ。
難しい応用問題に、可愛い眉毛を曲げて考え込んでやっとわかった時には、
『あっ、そうか!』と嬉しそうに笑いながら得意になってシャーペンを走らせる。
その隣で立っている僕は、唯の少し長くて手首が隠れてしまった袖と
そこから見え隠れするシャーペンを握った唯の指に見入ってしまっていた。
柚木さんに半ば強引にクリームで手入れされているだけあって
元からの白さや、きめ細やかさが一層が際だち、触って撫でていたいとさえ思ってしまう。
しかしそんな事を考えていると、またすぐに唯に質問をされて意識が引き戻される。
「拓くん、Cの答えってこれであってるかな?」
唯の右手の細い指が、素朴だが綺麗な字面の並んだノートの一部を指す。
僕はそこに書き込まれた答えと問題集の模範解答とを照らし合わせる。
確かに正解だったので、少し芝居がかってみせて結果を唯に告げる。
「Cの答えは〜〜……おっ、大正解」
「やったぁ!」
「唯は数字に強いみたいだねぇ〜」
難しめの問題だったという事もあって、僕までも妙に無邪気に喜んだ。
こんなにも無邪気で一生懸命な唯を見ていると、不思議にも僕がさっきまで悩んでいた事が
嘘の様に消えて心の中が温かく楽しくなっていた。
たまに勉強から脇道に逸れる様な話しもしながらだったので
あっと言う間に時間が過ぎ、唯の問題集もこれ以上はやらなくて良いほど進んだ。
ふと時計に目をやると消灯時間を一時間も過ぎていて、
僕はまだ熱心に問題を解いている唯に部屋に戻って寝る様に言おうと思った。
さすがにこれ以上夜更かしをしていると、柚木さんに部屋に踏み込まれかれない。
「唯」
「何?」
唯は少し不思議そうに僕の顔を見上げて、シャーペンを動かしている右手を止めた。
僕は唯に見つめられながらも口を開いて、伝える必要のある事を話す。
「ここの単元はほとんど予習しちゃったし、今日はもう遅いから寝ようか?
 柚木さんだって顔は出さないけど怒ると思うよ」
「まだやっても良いんだけどなぁ……」
「早く寝ないとお肌にも悪いよ?」
「うーーん……」
唯はなぜか頬を染めて少し嬉しそうに考え込んだ後に、僕にある提案をしてきた。
唯は僕と話しながらシャーペンや消しゴムを筆箱にしまい、勉強道具を片付けている。
「確かにもう遅いよね。 ……じゃあ最後に、
 勉強を教えてくれたお礼に拓くんにしてあげたい事があるんだ」
唯はまとめた勉強道具をまとめて立てて、机の上でトントンと整えていた。
僕は正直な所半信半疑な気持ちで、唯の『お礼』を受ける事にした。
別に改まってお礼をされるような事をしたつもりは無いのだけれど。
「何? 時間がかからない事なら別に良いけど」
「ありがとうね……それなら、少しだけ目を……閉じててね?」
「え? うん……」
「私がいいって言うまで、絶対だよ?」
「わかってるよ」
僕は不思議に思いながらも唯に言われた通り目を閉じると、
唯によって何かの『お礼』をされるのを立ったまま少しだけ待った。
そう、お礼は突然にされたんだ――――
「――――っ!?」
僕は一瞬何が起こったのかわからなかった。
ただ確かだったのは、急に自分の唇に何か柔らかくて生温かいモノが当たって、
僕はそれに反射的に驚いて身体を引いて、何かを手でバサッと払っていた事だけだった。
不快な感覚でないにしろ、少しの甘さを帯びた妙な感覚に脳がグラッと揺さぶられた。
こんな唐突な展開に、僕はある程度の予感を持っていて、
その予感は、開かれた僕の目に目の前の光景が見えた時に、確かな物となった。
「……ゆ、唯?」
僕の目の前には、右手で胸の辺りを押さえている唯が立っていて、その瞳は切なげに潤んでいる。
その唯の、大切なものに裏切られたと物語っている瞳の色に、
僕が唯を酷く傷付けてしまった事に気付いてしまった。
そして、唯の形が良くて小さい唇が動いて言葉が発した。
少し前まで僕の唇に触れていた柔らかい唇が。
「……ごめん、ごめんね……!」
そう言った唯の口調は弱々しくて、どこか僕に怯えているようにさえ思えた。
唯はなんとかそれだけ言うと、次の瞬間、僕に背中を向けて部屋から出て行こうとした。
僕にはその唯の背中がとても小さく感じられて、見ていてたまらない気分になった。
思わず僕は、もう歩き出していた唯の左手を右手で握っていた。
小さくて綺麗な手が僕の指に包まれていたけれど、それさえも切なく感じた。
はっとして唯の顔を見ると、うつむいた顔にかかっている短い髪の隙間から、
とても悲しそうな表情が見え隠れしていた。
喉が渇いていて息が苦しい。唯のこんな顔を見ていたくない。
結局、どうして唯がこんな顔をするのかわからない僕は、
叫びたいほど何かを伝えたい衝動はあるのに、何度か口をパクパクさせる事しか出来なかった。
何を本当に伝えたいのか、自分でもわからない。
これだと思って口に出してみようとしても、
安っぽく感じたり、自分の本当の心からでたものではないように思えてしまう。
そして唯の左手を握ったまま僕までうつむいてしまう。
それでも、唯の悲しみを帯びた顔からは目を逸らすことはしたくなかった。
「…………」
「…………」
僕と唯の間に流れる時間がに弄られてしまったかのように、
一秒一秒がいやに長く感じられた。
僕はその沈黙と目の前の唯の様子に耐えられなくなって、再度口を開いた。
「唯……」
僕が名前を呼んだ事に気付いた唯が、うつむいていた顔を上げる。
僕はその瞬間、ビリッとした嫌な感覚が全身に走ったのがわかった。
唯の目にうっすらと涙が溜まっているのに気付いて、
自分が唯をどれだけ傷付けたかがいやでもわかってしまった。
あれほど唯を守ろうと思っていたのに、僕は自分自身の事さえわかっていない。
そして、唯の淡くて汚れない想いにも気付く事が出来なかった。
でも、今も握ったままの唯の手の温もりを、あの時のように失いたくなかった。
‥‥こんな事で唯に許してもらえるとは思わないけれど、僕は衝動を抑えきれなかった。
唯が予想外の事に、きょとんとした声を出した。
「っ……拓‥‥くん……?」
僕は正面から唯の小さい身体を、思い切りぎゅっと抱きしめていた。
背中まで手を回して、ほとんど隙間無く密着してしまった。
唯の身体はひどく柔らかくて、僕の力がもっと強ければ壊れてしまうんじゃないかとさえ思う。
抱きしめられた側の唯はかすかに身体を強張らせた。
けれど、僕の今の気持ちを伝える方法があるとすればこうする他に無かった。
僕はしばらくそのまま、唯の髪や首筋から漂ってくる女の子らしい甘酸っぱい香りの中にいた。
今は、そんな気持ちの良い筈の匂いも切なく感じてしまう―――
――――気が付くと唯は僕の胸に深く顔を埋めていて、その顔を見ることは出来なかった。
唯と抱き合ったまま、僕はとても不安だった。
唯が今隠しているその顔が、僕への失望を浮かべているのかと考えると
どうしようもなく苦い思いが全身を侵していって、僕は次第に不安に近い感情に襲われていくのを感じた。
もし、このままずっと唯が一言も僕と話すことが無いままで、
柚木さんか誰かが廊下から近づいてくる音が聞こえたら僕は唯から離れなければならない。
そんな思いから、僕はより強く唯を抱きしめてしまった。
すると、唯が不意に顔を上げた。
その視線が真っ直ぐに僕の目を捉えている。
僕はまず何を置いても第一に自分の行為を謝りたかった。
「唯っ!……ごめん! ‥‥僕、何だかわからなくって……
 だからもう―――」
僕がそこまで言うと、唯が小さく首を横に振った。
「……拓くん……わたしね――」
僕の言葉は半ば一方通行のまま、唯の言葉に遮られた。
唯の早い息づかいと言葉が、どこか切なかった。
「―――わたしね、このごろ拓くんの様子が変なんですって、柚木さんに相談したの。
 ……そしたら、柚木さんは私が拓くんに元気を出させてあげるのがいいって言って……」
僕のことでそこまで深く考え、悩んでくれていた唯に、
愛おしさが温かく溢れて来るのを感じずにはいられなかった。
同時に、どれだけ僕が唯に対して不自然だったかをも。
「……だから、拓くんにあんな事しちゃったんだ………ごめんね?」
「ゆ、唯‥‥違うんだ‥‥」
僕が唯に謝ってもらうのは間違いだ。目の前の唯が、辛そうな表情を浮かべている。
「ううん。私が悪いの‥‥‥拓くんに、急におかしな事しちゃってごめんね……」
自分自身の鼓動がドクンドクンといやに大きく聞こえた。
なおも申し訳なさそうに弱々しい表情を浮かべる唯に対して、僕の中で何かの衝動が弾けた。
僕は次の瞬間、唯の背中の辺りを掴んで抱き寄せると、唯の形の良い唇に自分の唇を一気に重ねていた。
唯との二回目の口づけの味は、優しい柔らかい味がした。
「えっ―――?」
さっきいきなりキスされた僕のように唯は驚いたけれど、僕を振り払おうとはしなかった。
どちらかが離れることは無く、僕と唯は密着したまま初々しい口づけを続ける。
次第に唯の表情から暗い色が消え、嬉しそうな、ひどく安らいだ顔になっていくのがわかった。
そして、僕も唯もお互いの背中にしっかりと手を回していた――――
――――長い口づけが息継ぎの為に中断すると、
唯は嬉しさと戸惑い半々という顔で無言のまま僕を見据えた。
そのまま少しの沈黙が流れたけれど、僕達は抱き合ったままでいられた。
僕は、唯に伝えようと思った。
今ならきっと、僕の心の扉の奥を見せることが出来る。
目の前にいる女の子は、間違いなく唯なのだから。
「唯」
唯は少し間を置いて僕に返事をした。
「‥‥なに‥‥?」
ただ真っ直ぐに、唯の目を見つめていた。見つめたまま話したかった。
「僕は、唯が好きだ」
「えっ――‥‥‥?」
唯は、一瞬何を言われたのかわからないといった顔になった。
けれど、少しずつ少しずつ薄紙が水に浸されるように、
唯の顔には今まで見たことの無い感情が生まれているのがわかった。
目に新しい涙が溜まって、顔はひどく紅潮している。
僕はもう一度だめ押しのつもりで、唯に自分の気持ちを打ち明けた。
「……僕は、ずっと唯の事が好きだった。いつもいつも唯の事ばかり考えてた」
僕の言葉を聞いて、唯の表情が柔らかく崩れていく。
「……でも実は、僕は唯に色んな事を隠してる。
 だからそれで、唯に心配かけちゃったんだよね?
 唯‥‥ほんとにごめん。さっきはあんな事しちゃって―――」
そこまで言い終わるかどうかという時に、僕は唯に勢いよく抱きつかれていた。
僕は身体のバランスが崩れ、思いがけず自分のベッドに向かってよろついて、
そのまま仰向けに倒れ込んでいた。
そして、僕は唯の身体をぎゅっと抱きしめる。
「……拓くん!……私も、私も拓くんの事好きだよっ……!」
とめどなく溢れる感情を抑えきれない唯の目には、
悲しみや痛みの為に流した涙じゃなく、嬉し涙が蛍光灯の光を受けてきらきらと光っていた―――
――――ふと耳を澄ますと、虫の音が聞こえている。
唯に押し倒された僕はベッドの上でずっと唯を抱いていた。
お互いの温もりが気持ちよくて、確かに今僕達の心は繋がっていた。
唯の嬉し泣きもある程度収まって、唯は静かに僕に身体を預けてくる。
僕は唯の髪を右手で撫でると、事も無しに唯の身体を見てみる。
長い間昏睡状態だったせいもあって、無駄な肉がなくてほっそりとした唯の身体が、
パジャマ越しに触れ合っていても十分にわかった。
そしてその身体は、未発達ながらも女の子としての形を整えつつある。
不意に、唯が少しおぼつかない口調で僕に呼びかけた。
「ひろ‥‥くん」
唯は少しでも僕に触れたいのか、僕の身体をさすり、擦り寄ってきた。
僕はそんな唯がとても愛おしくなり、また唯の上体を抱き寄せて唯にキスをした。
女の子らしいシャンプーの匂いと体臭が、僕には心地よく感じられた。
「んっ………!」
僕の唇で塞がれた唯の唇から、かすかに息と声が漏れる。
僕が余計に嬉しくなって、ぎゅっと唯の身体を抱きしめると唯も抱き返してくれた。
まだぎこちないけれど、今度は舌まで入れた深めのキスだった。
僕の舌が恐る恐る唯の口の中に達すると、
唯は少し恥ずかしそうにしながらも自分の舌をしっかりと絡めてきてくれた。
僕と唯のキスが激しくなればなるほど、歯茎や口の中の粘膜が
くちゅくちゅと激しく触れあい、唾液と舌の動きによって水音が発せられた。
そしてその度に僕は甘い感覚と身体の奥がカァッと熱くなるのを感じた。
唯もとろんとした目で、僕とのキスに心を奪われているようだった。
「んっ……ひろ‥‥くんっ」
そのまま僕達は、決してお遊びではないキスを愉しんでいたけれど、
徐々に息苦しくなってきたのか、唯のほうから唇を離した。
引き離された唇と唇の間には、二人で架けた唾液の橋が伸びていた。
それが重力に引かれて落ちて、ベッドの布団やお互いのパジャマを汚してしまう。
けれど、今の僕はそんな事は気にならなかった。
今はただ目の前の唯を感じていたかった。
「……唯、嫌だったら言って欲しいんだ。
 そしたら僕、すぐにやめるから……」
「えっ…っ……それって……?」
僕がそう言うと、唯はちょっと不思議そうな顔になった。
けれど、その後顔を真っ赤にしながらも恥ずかしそうにこう答えてくれた。
「……うん……私も、拓くんとなら‥‥‥」
その時の唯は、普段の唯とはまた違った意味で凄く可愛かった。
これから僕と唯が何をするのか、唯は生き物としての本能で理解出来たのだろうか?
いやむしろ、柚木さんに色々と教えてもらっているのかも知れない。
僕は唯の純粋さや優しさに心が洗われる思いがしたのと同時に、
この素晴らしい女の子が僕の一番大切なモノなんだ、という誇りに近い感情が生まれた。
「あっ、でも………」
「な、なに?」
唯の語尾が急に濁ったので、僕は不安になったけれど、言おうとしている事はそんなに深刻な事じゃなかった。
「……明るいと恥ずかしいから……暗くしよ‥‥?」
確かに、明るいままではお互いとても恥ずかしいのに、僕は唯に言われるまでそこに気が回らなかった。
「あっ……そ、そうだね……」
僕はベッドから起きると、とにかく蛍光灯のヒモを引っ張った―――――
――――僕の部屋は夜の深い闇に沈み、窓から入っている月明かりだけが
ベッドの上の僕と唯の姿をほのかに浮かび上がらせている。
なぜかふと、七海がこんな暗さの部屋で銀色のカミソリを手に、
痛々しいリストカットをしていた光景を思いだしてしまった。
その後に七海と交わした会話も、まざまざと思い出せた。
そんなかけがえのない思い出があろうが、人は死んだら無に帰ってしまうのかと思うと
今目の前にいる唯が余計に愛おしく、そして切なく感じられた。
僕は唯の目を見つめながら、最後の許しを受ける。
「……じゃあ、いいよね‥‥唯?」
「‥‥‥」
僕の問いかけに、恥ずかしそうにしている唯はコクリと頷いた。
小さく、けれど確かな意思を感じる頷きだった。
唯はまだパジャマを着たまま僕のベッドに仰向けに近い体勢になっていて、
僕はそれに覆い被されるようにしていた。
心臓が、バクンバクンとまるで狂ったように脈打っていた。
僕はこうなる事を本来願っていたはずなのに、心のどこかで恐れていた。
自分が人を傷付けずにちゃんと想える資格なんて、あるのかどうか確かめられないからだ。
……けれど、そんな事は確かめられなくてもいい。確かめなんかしなくてもいい。
本当に心から分かり合うことが出来なくとも、お互いを信じ合う事位は出来る。
少なくとも、僕はスクールの似た境遇の仲間達とその事を噛みしめ合った筈だ。
スクールの皆は、一人一人心に他人に理解されない苦悩や痛みを抱えていながらも、
必ず希望を持って今も生きているだろう。そう信じている。
だから僕も、今はとにかく目の前の、未知の行為に怯えている唯に少しでも安心して欲しい。
僕はもう一唯の唇に自分の唇を重ねようとして、唇を唯の顔に少しずつ近づけていく。
唯の呼吸によって出し入れされる空気の感触が、目を閉じている僕にも唯との距離の近さを感じさせた。
僕は唯を安心させるためにも、出来るだけ躊躇わずに唯の唇を再度奪った。
唯の口の中に僕の舌が入り込むと、唯も躊躇う事なく情熱的に舌を絡めてきた。
「んっ……んっ‥‥っ」
テクニックもへったくれもないけれど、唯も僕も夢中になってお互いの唇を貪った。
僕はそのまま、唯の胸の小さな膨らみのあたりをパジャマ越しに撫でたり軽く揉んでみたりした。
生まれて初めて触る唯の胸の、とても柔らかくて、ふにっとした心地良い感覚が手に深く残る。
「……っ」
唯の身体と呼吸が微かに震えたけれど、それ以上の反応は無い。
唯は僕を信じて全てを委ねているようにも思えた。
唯に信頼されている事の意味を噛みしめた僕は、唯のパジャマを脱がせる為に一端口づけを中断した。
唇を離された唯に、『もっとしてくれないの?』という物足りなさげな視線を送られてしまった。
僕は苦笑いしながらも、唯のパジャマのボタンを下から上に一つずつ外していく。
少しずつ唯のパジャマがはだけていって、ドキッとする程綺麗な素肌が見え隠れしていた。
遂に全てのボタンが外れ、唯はブラジャーは付けていないらしく、後は僕が唯のパジャマを脱がすだけだ。
けれど、それをしようとして唯の肩に手をかけた時僕の手が動かなくなってしまった。
僕が手に力を入れて動かせば、唯のパジャマは脱げるのに急に躊躇いが生じてしまった。
闇の中で沈黙が流れ始める。
「………」
「………」
すると、今度は唯が僕の手に手を添えて自らのパジャマを脱がした。
その顔は紅潮しながらも、経験の無い僕を励ますような感じが見て取れた。
唯だって経験が無いのに、ここまで僕の事を気遣ってくれたのかと思うと途端に嬉しくなった。
「ありがとう‥‥唯」
「うん……」
目の前の唯の身体は月明かりにうっすらと照らされていて、
白い双丘に一つずつある乳首がどこか神聖なものにさえ思えた。
「唯……可愛いよ」
僕はそれだけ小さい声で言うと、ベッドに倒れこみながら唯の右乳首に舌を這わせた。
「ふぁっ………!」
目をとじている唯が、口から小さく喘ぎ声が漏れさせる。
唯が不快そうでないのを確かめると、僕は唯の乳首を舌で軽く弾いた後何度も何度も舐めた。
僕の口の中で唯の乳首が、唾液を塗りたくられ、形を変えて弄ばれる。
その乳首の舌への感覚はひどくデリケートで、けれど気持ち良くて、
自分がひどく安らいだ気分になるのがわかった。
「っあ………」
大分硬くなって来た乳首を、弱い力でクニッと甘噛みしてやったり、チュッと吸い上げたりすると
その度に唯は目を瞑って気持ちよさそうな声を上げた。
「唯の乳首、硬くなって来たね。気持ちいい?」
「そっ‥そんなぁ……あっ‥あん……ぁぅ……」
同じように左側の乳首にも愛撫をしていった。
するとその途中、唯がくすぐったそうな顔をして口を開く
「ひ、拓くん……まるで赤ちゃんみたいだね……?
僕は唯の言った『赤ちゃん』という単語に、恥ずかしさとある種の興奮を覚えてしまった。
そこから生まれた悪戯心が、僕に乳首を甘噛みさせながら唯のへその辺りをくすぐらせた。
「ひゃっ……!」
唯は予期せぬ感覚に身体を少しくねらせたけれど、僕に微笑みかけてきた。
「くっ、くすぐったいよぉ……拓くん……」
「ご、ごめん」
それで僕も気恥ずかしくなってきて、口を乳首から離した後で唯に微笑み返した。
「ふふっ……!」
「あはははっ……!」
そして唯は笑いながら、お返しとばかりに僕の身体脇の下や首筋をくすぐってきた。
僕も反撃を始めたので唯とお互いの身体をくすぐり合う形になる。
愛撫であるけどいやらしくない、不思議なやりとりだった。
しかしそのくすぐり合いの中で、偶然に僕の右手が唯の下半身にふにっと当たってしまった。
柔らかい感覚が手に残ったままの僕は、やってしまったという感じが心に広がっていた。
せっかく唯に和んでもらえていたのに、下手な事でこの雰囲気を壊してしまったかも知れない。
けれど、唯の方の反応は違った。そのせいで僕は間抜けな声を出してしまった。
「え……?」
唯は僕の右手に手を添えると、そのまま唯のパジャマのズボンに手をやったのだ。
それだけではなく、唯はショーツまで一緒に僕に掴ませている。
僕が動揺したのを見ると、唯はこう言った。
「私―――、私は大丈夫だよ? ……そんなに嫌がらないよ?
 ………だって、拓くんのこと……もっと知りたいから……」
その言葉を聞いた瞬間、僕の心の中で何かが動いたのを感じた。
「……唯、わかった」
唯の強い思いを秘めた瞳と口調に、僕も覚悟を決められた。
僕は心の中で唯にお礼を言うと、するすると唯のズボンとショーツを下ろした―――――
――――唯のズボンとショーツを脱がしてその辺りに置くと、
唯が身に纏っているものは何一つ無くなり、正に生まれたままの姿になる。
いつも軽やかな足取りで歩く、ほっそりとした足が薄暗い中でも魅力的に見えた。
無駄な肉の付いていない、くびれから腰にかけての綺麗なラインが浮かび上がる。
今は唯の手で隠されている胸と秘部まで、僕は見てみたいと思った。
僕は恐る恐る唯の太ももを撫でた後、少しずつ唯の秘部に手を伸ばしていった。
それに合わせて唯は秘部を隠すのをやめたので、唯の秘部は無防備になる。
控えめに恥毛で守られた部分が僕の目に焼き付いてしまいそうだと思った。
「ひゃぁっ………!」
僕の指が唯の秘部に触れると、唯はピクッと跳ねて声を出した。
しかし、その反応には確かに快感を得ている感じがあったので、
僕はそのまま唯の許す限りの愛撫を続けた。
唯の恐らく誰にも触れられた事の無い筈のデリケートな部分が、
僕の人差し指によって上下に撫でられ、さすられ続けていく。
「ふぁ………っ……くぅ‥‥ん……」
唯の口から甘い喘ぎ声が頻繁に漏れ始めた頃、僕は右手の指に奇妙な感触を覚える。
「ん‥‥?」
濡れている。少し粘りけのある液体で。
つまり、他ならぬ唯の秘裂から愛液が漏れ出ている事を示していた。
僕はその、客観的に見れば至極当然な事に少しショックを受けながらも、
自分の興奮が急激に高まったのをはっきりと感じた。
僕はいつしか自分がしたいままに、唯の身体を愛撫していた。
左手は、仰向けの体勢の唯の胸を揉みしだきながら時折乳首を強く摘み上げる。
「やっ……いたいよぉ……」
唯は痛いと言っているけれど、今の僕にはどう聞いてもその声は、
快感にまみれたただの喘ぎ声にしか聞こえない。
そして、右手では続けて唯の秘裂を愛撫していた。
さきほどとは違うのは秘裂がうっすらと良い色に紅潮してきて、
ヌチュッ‥‥クチュッ……といった水音がしている事だ。
控えめな恥毛が愛液に濡れてきてさえいる。
唯も流石に水音が気になってきたらしく、胸を強く愛撫されながらも僕に問いかけて来た。
「ねぇ‥えっ‥‥ひろくん……?」
「‥‥なに?」
僕はその間も手を休める事はしなかった。
ヌチュッ‥‥クチュッ……
すると、唯が僕に不思議そうな顔で問いかけてきた。
「この‥‥変な水の音って……何?」
唯はここまでは知らないようなので、僕は少し意地悪しながら教えてあげる事にした。
「唯の身体から出てきたんだよ? わからなかった?」
やはり、僕の言葉を唯は直ぐには信じられない様だ。
目を丸く、顔を赤くして驚く唯も可愛いと素直に思う。
「えっ!……ほんとに……そうなの?」
「う、うん……試しに舐めてみる?」
僕の問いかけに唯はコクリと頷いたので、
僕は一端愛液に濡れた右手を秘裂から離して唯の目の前に持っていった。
暗い中なのでよく見えないけれど、多分愛液が僕の指と指の間で糸を引いているだろう。
そして唯は恐る恐る僕の右手に付いた自分の愛液を、
小さな形の良い口と丁寧な動きの舌で舐め取った。
その唯の舌の感覚に僕は興奮しながらも、唯の感想を聞いてみる。
「どうかな?」
唯は何とも言えないといった表情で答えた。
「……なんか……ちょっとしょっぱいかな?」
「まぁ、おいしいとは限らないよね」
「そうだよねぇ……ん‥‥じゃあ……」
「……なに?」
「……つづけよっか?」
恥ずかしそうにそう言った唯は、とても素直な感じがして可愛かった。
なにを続けるかなんて、それは考えるまでも無いだろう。
「えっ……? ‥‥ふふ……ふふっ」
「どうしたの?」
「唯って‥‥結構エッチだね?」
元々赤かった唯の顔が余計に赤くなるのが暗くてもわかった。
「……ひ、拓くん、そんな事言うのやめてよ‥‥」
僕と唯はそんな会話をした後もくすくすと笑い合った。
そして、どちらかが強制するわけでもなくいよいよ前戯は佳境に入っていく。
僕は両手を出来る限り使って唯に激しく愛撫を続けていって、秘部を下から手で包み込むように、
右手の親指でクリトリスを中指と人差し指の腹で秘裂を擦り上げた。
絶頂が近づきつつある唯は大きく嬌声を上げ始める。
「ふぁっ……!」
僕が荒い息を吐いている唯の唇を奪うと、唯は激しく舌を絡めてきてくれた。
「んっ……はぁっ……んくっ…!!」
その口づけが終わると、唯は切なげな瞳で僕を見据えてきた。
そんな唯の瞳に僕は、唯のしてもらいたがっている事がわかってしまった。
僕は最後に残った唇で、絶頂の予兆に耐えて目を瞑っている唯の、
口と言わず耳と言わず顔のパーツを塞いでいった。
「やぁっ……ひろくん……!!」
唯の下半身からは、クチャッグチャッと水音が断続的に続いている。
そして、僕が唯のクリトリスを軽く摘むと同時に唯は軽く絶頂に達した。
スタイルの良い身体がピンと伸ばされて、身体が震える。
「ひゃ‥‥ぁ、あっ‥‥!」
唯の秘裂からはしたたか絶頂の証がピュッと飛び出して、唯の太ももと布団を汚した。
辺りに、甘ったるい唯の香りが漂っていた―――
――――僕は自分が纏っている全ての衣服を脱いで、唯と同じ生まれたままの姿になっている。
二人はベッドの布団の上で、正常位の形を取りつつあった。
唯は仰向けで少し遠慮がちに太ももを拡げ、僕を受け入れようとしている。
今の状態は一々口で言わなくても、二人が望んで出来たものだ。
唯の目が僕を求めていて、僕も唯を求めた。ただそれだけだ。
唯は今、僕の股間で脈々と力強く脈打つペニスを物珍しそうに、恥ずかしそうに見ている。
こんなものが自分の胎内に入るというのが、まだ信じられないといった様子で少し怯えているような気もする。
無理もない。本当は僕だって不安だけれど、それでも唯と繋がりたい。
そして僕は腰を動かして、愛液でトロリと濡れている唯の秘裂に
ピトッとペニスの亀頭をあてがうと、唯に最後の許しをもらう事にする。
「唯……はじめるよ?」
唯は湧いてくる不安さを押し殺すように、確かな意思で僕に返事をした。
「……うん……いいよ」
唯は半ば歯を食いしばり、両手で布団をギュッと掴んでこれから感じるであろう痛みに耐えている。
こんな唯の様子を見たら、僕は絶対に唯をこれから守っていこうと思わざるを得なかった。
今はその思いが、唯を痛がらせないようにしようという考えになる。
遂に僕は腰を前に出すと、亀頭が唯の秘裂を少しずつ割って入ってゆく。
ずちゅっ……
その異様な背徳感と快感に、お互い微かなうめき声を上げた。
既に濡れているとはいえ、今まで何物も受け入れた事の無い唯の膣はかなりきつく、熱く感じた。
「くっ……」
「ふぁっ……!」
徐々に唯の胎内に亀頭が飲み込まれていって、僕と唯が完全に一つの生き物になろうという時、
僕のペニスが何かをメリッと破った様な感じがした。
「つっ……っ!!」
唯は痛そうな顔をして目を瞑り、布団を掴む手には力がこもっている。
唯が、今この瞬間に破瓜したのがわかった。
見る見る内に秘裂から血が流れ、ポタポタと零れ落ちた分が布団を赤く染めた。
僕はその血の生々しさと、とても痛そうにしている唯が見ていられなくなって、声を掛ける。
「大丈夫!?」
「ちょ、ちょっと痛いけど大丈夫だよ‥‥」
そう答えながらも、唯は破瓜の痛みの為に瞳から涙を流していた。
唯がこんなに痛がっているのに、僕はただ気持ち良いだけなんておかしいと思った。
だから、唯にこう言う。
「唯‥‥もうやめよう‥‥やめようよ?」
けれど唯は涙を手で拭うと、出来るだけ笑って健気にも横に首を振った。
「わかった‥‥でも痛かったらすぐに言って欲しいんだ」
唯はその僕の言葉にコクリと頷いて、また僕が腰を動かすのを待つ。
その意志の強さに、僕の心の奥から愛情が溢れてくるのが止められなかった。
僕がそのまま腰を進め続けていくと、
僕のペニスがまるで意思を持っているかのような唯の初々しい肉襞に、
ギュッと締め上げられクチュッと絡み取られるのがわかった。
その快感は間違いなく、自分の手では得られないものだった。
「うっ……」
唯も、痛さと快感が入り交じった感覚に声を抑えきれない。
「ふぁあっっ…‥!」
ようやく僕のペニスが唯の膣の奥まで入る頃には、僕も唯も大分落ち着いてきていた。
今確かに、僕のペニスが唯の体温に包まれながら力強く脈打っている。
僕はじっと唯の目を見て問いかけた。
「……いい?」
「うん……」
そう言ったのを確かに聞くと、僕は少しずつだけど確実に腰を前後に振る。
唯の身体を労りながらも、激しく突き上げ始めた。
真っ直ぐだけでは無くて、横を浅く抉るようにも突いた。
「っ……あっ‥あん!」
固く閉ざされている部分にも、浅く強く突きを繰り返していく。
再び淫らな水音が部屋に響き始め、繋がった僕と唯の身体が一突きごとにズン、ズンと揺れる。
ずちゃっねちゃっ……ぐちょっ!
「っあ‥‥はぁっ……ひぁっ!?」
浅い突きを何回か入れた後ズンと一回強く突くと、唯は喘ぎ声を大きく上げて身体を軽く震わせた。
唯の膣は弛緩と収縮を何度も繰り返した後に、ギューッと僕のペニスを強く締め上げてきた。
唯もかなり感じてきているらしく、唯なりに卑猥な言葉が口から出る。
「ひゃあっ……!……ひろくんのお●んち●‥‥あついよぉ……!!」
その言葉に僕は顔と下半身が熱くなるのを感じて更に腰の振り幅を長くすると、
より激しくペニスが唯の肉襞に扱かれた。
もう一気に終わりまで持っていこう。唯も僕も、一緒に絶頂という高みを迎えたい。
「っ……! ふぁぁっ!」
くちょっ!ずちょっ!ずちゃっ!
どんどん淫らな水音が大きく聞こえてくる。
僕はそれまで唯が痛がらない為に動きを自制していたのを、
射精への誘惑に我慢出来なくなって最大限に動かし始めた。
何度も何度も唯の奥を責め立てて、その度に僕のペニスは絡み付かれ、搾り取られそうになった。
もう限界なのは唯も同じだったようで、細くて可愛い身体と胎内が絶頂の予兆にヒクヒクッと震える。
「うっ、唯……」
「ひ、ろくん……!?」
「もう僕、駄目そうなんだっ……」
僕のその言葉を聞くと、唯は快感に流されそうになっている
自分になんとか言葉を思い出させたのか、涙目でこう言った。
「わたしっ……ひろくんの事好きだよぉっ……!
 すきっ! すきだよぉ! ひろくん!」
もはや快感に破綻しかけた唯の言葉に、僕は一層射精の予兆が高まるのがわかった。
腰を振るのももう限界だった。
「唯! 一緒に、イこう……!」
そして最後に思いっきり突き上げて唯の子宮口を亀頭で抉ると、そのまま果てた。
ビュクーッ!ビュクーッ!
唯の胎内にピッタリ密着した僕の亀頭から射精された、夥しい量の熱く白濁した精液――
新しい命を紡ぐ種が一瞬で唯の胎内を満たし、唯も絶頂の高みに連れて行く。
「っ…ひゃあぁぁ!!……あっ、あっっ熱いよぉぉ!
 ひ、ひろくんのお●んち●から、熱いのビュクビュクって出てるよぉ……!」
唯は頭からつま先からまでピーンと弓なりにしてガタガタと震わせ、
全身で絶頂の快感を必死に受け止めていたが、それだけでは収まる筈がなかった。
胎内も動きもそれに比例して、僕のペニスから精液を一滴残らず絞り上げようと締め上げてくる。
「‥‥ひろ‥‥くん……私、変になっちゃうよぉ……」
唯はなんとかそこまで言うと、まるで急に糸が切れてしまった操り人形のように、
目を閉じてベッドに身体をクテンと預けた。
「はぁっ‥…はぁっ……はあっ………」
そして僕も、腰が抜けてしまいそうな脱力感の中に沈んでいった――――――
――――始めて二人で繋がった後、僕と唯は生まれた姿のまま、
同じベッドの毛布と布団の下で心地よい余韻を愉しんでいた。
二人で事後処理はし終わって、安心してこのまま寝ても良かった。
外からは同じように虫の声が聞こえてくる。
暗い中、ふと唯の顔を見ると眠っているようだった。
あれだけ激しかったのだから、当然唯はとても眠たくなる。
僕は目の前のとても寝顔の可愛い唯の寝息と、漂ってくる唯の香りを感じながらある事を思っていた。
いつか唯が言っていた、血を繋げるということだ。
命を繋ぐ為の営みを、言うまでもなく地球の生き物は何億年もの間繰り返してきた。
そして、今晩思いもがけずに僕と唯がそれを繰り返したという事に、
僕はある種の不思議さや、畏敬の念を覚えていた。
それだけに、目の前の唯が余計に愛おしく感じられる。
僕も、唯と一緒に自分達の命を繋げていこう。
唯の無垢すぎる寝顔を見ながら、僕はそう考えた。
あ、でもその前にやる事がある。
明日の朝、万が一柚木さんにこの状況を見られると困るので早起きしなければならない。
僕は枕元の目覚まし時計を手にとって、朝早めの時間に鳴るようにする。
明日の朝、唯の起きたときの顔を見るのが楽しみだな。

終わり


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