『○月○日
今日は嬉しいことがありました。吾郎さんが主治医だった女の子、里香ちゃん
が退院しました。入院中仲の良かった男の子、裕一君と一緒にです。退院日を
合わせてあげるなんて、やるなぁ、吾郎さん。眩しい位楽しそうなカップルに
見えます。
私と吾郎さんもそうだったのかな?だったらいいな。だけど吾郎さんと裕一君
あんまり仲良さそうじゃなかったし、あの吾郎さんが患者さんに暴力を振るう
なんて信じられなかったなあ。
私のせいかな。わたしが死んで吾郎さんと別れわかれになったからかな。里香
ちゃんも不治の病を患っているから、片方が居なくなる、そんな悲しくて苦し
い気持ちを経験させたくなくて、罵ったりしたのかな?
ごめんね。吾郎さんに裕一君。謝っても届かないけど、もう一度言わせてくだ
さい。本当にごめんね。』
小夜子は、日記帳を閉じると、雲から作った毛糸でマフラーを編んでいます。
夏目が寒いところに行くような気配がして、編み続けたマフラーです。本来
なら夏目の手には届かないはずですが・・・。
−リン。
その音に視線を上げると、真っ白な女の子が立っていました。アクセントで
しょうか、真っ赤な靴を履いています。そして、似合わないことに鈍色の大
きな鎌を持っています。そして傍らには、蝙蝠のような羽根をつけた黒猫が
こちらを見ています。
女の子が言います
「私は死神、魂をあるべきところに運ぶ役割を持つ者。小夜子・・・さんだっ
たっけ。ダニエル」
「そうだよ、モモ」
少年のような声で猫が答えます。どうやら女の子はモモ、奇妙な猫はダニエル
という名前のようです。
「小夜子さん、あなたがここにいられる時間は終りました。もっと高いところ
へ行かなければなりません。ですが、そこからでは地上は見ることが出来ない
でしょう」
小夜子さんはうろたえます。
「そんな、急に言われても!」
うつむいて
「吾郎さんに会えなくなるなんて」
顔をあげ、モモをじっと見つめます。
モモは、その視線を受け止め、言います。
「何か心残りがあるのなら、わたしのできる範囲ならしてあげましょうか?」
ダニエルがあわてて問いただします
「モモ!またなにか余計なことをしようとしてるでしょ!」
モモはすました顔で
「いいでしょ、わたしがいいと思ったんだから」
ダニエルは器用に前足で頭を抱え
「また局長に怒られる」
と呟きます。
「ちょっと待って、もう少しだけ時間をちょうだい」
小夜子は急いでマフラーを仕上げます。
「できた」
白い地の中に、赤い文字が編みこまれています。
「これを、夏目吾郎という男性に届けて欲しいの。それとメッセージもいい?」
「ええ」
「あのね、こう伝えて欲しいの・・・。」
夏目は一日の仕事を終え、自宅のアパートに帰っていた。
帰路の途中、コンビニで弁当と一緒に買った缶ビールを飲む。
まずい。
だが何故か飲んでしまう。
ほろ酔いかげんで弁当を食べ、万年床にもぐりこもうとした。
−リン。
音のしたほうに顔を向けると、白い女の子が立っていた。足元には金色の大きな
目をした黒猫が、少女を守るように立っている。
「なんだ、お前ら?」
夏目が問いただす。だが少女は怯えることなく答える。
「私は死神。あなたの大切な人から預かり物を届けに来たの」
「大事な人・・・まさか?!」
夏目は立ち上がり、少女へ近づく。
「さ、小夜子からか?」
「そう。さ、受け取りなさい」
夏目の手の中にマフラーが現れた。広げてみる。白いマフラーの真ん中に赤い文字
で、"Fight! Goro"と編みこまれている。
「それから伝言を言付かってきたわ」
マフラーを抱きしめ、目を潤ませていた夏目が顔を上げる。
「がんばって!前に進んで、旦那さん」
「前に・・・」
夏目は言葉が出ない。視線を下げ、じっと手元のマフラーを見つめている。
「私にできるのはここまで。じゃ」
と言って少女と猫は消えていく。
「待ってくれ、小夜子は、小夜子はどうなったんだ?」
少女は答えず、消えてしまった。
「小夜子、お前、ずっと見ててくれたんだな」
夏目の頬を一条の涙が零れていた。
数年後
「戎崎さん、奥さんも女の子の赤ちゃんも無事ですよ」
看護婦が伝えに来た。
ここは伊勢市のとある産婦人科の病院。
「あ、ありがとうございます」
裕一が頭を下げる。伊勢市内で心臓病を患っていても安心な病院に入院していた
里香が無事、出産を乗り越えた。病気のことを考え、一度は子供を諦めかけてい
たが、里香がどうしても欲しいといい、夏目に手紙を送ったところ、大丈夫との
回答と病院の紹介があったことから踏み切ったのだった。
・・・そういえば。里香から手紙を預かってたな。
思い出して裕一は里香からの手紙の封を開けた。
思わず笑い出してしまう。
"子供の名前、男の子だったら裕吾(ゆうご)、女の子だったら小夜香(さやか)"
これ以外は認めないんだろうな。裕一は思った。
「さ、赤ちゃんをご覧になられるでしょう?」
ずっと横で待っていた看護婦に促されるように保育室に向かう。
「はい」
裕一は看護婦の後をついていく。小夜香に会うために。
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