雨も雷鳴も届かない地の底で。
其処は、どこまでも暗い。埃の臭いに肺の隅の隅までも犯されそうな。
其処は、駒置き場。使われない、使われなくなった駒を置いておく場所。或いは捨てておく場所。
人の形を留めているもの。埃を被ってどんな駒か見分けのつかないもの。ぐちゃぐちゃのばらばらにされたもの。
それらはみな一様にただ投げ出され、沈黙していた。死体のように見えるそれらに墓標は無い。死体ではないから。
けれどきっと普通の神経を持つ人間が見たならばおぞましいと思うのだろう。そして強い嫌悪感とともに其処を後にするだろう。
生者が本能的に避けるようなその空間に、けれど足音が響く。かつん、かつん。いや、濁点をつけてもっと荒々しくしたような。
目印もない広大なその空間を、人影は迷うことなく真っ直ぐに突っ切っていく。横たわる残骸を踏みつけて。蹴り飛ばして。
真っ直ぐに。…真っ直ぐに。
そうして人影は一つの駒の前で止まる。当然のように身動き一つしないそれに、あからさまな溜息を吐いて。
ぞんざいに駒の前髪をひっ掴んで、笑う。
「おはようさん。」
「…くたばれ。」
同じ二つの顔が同時に歪む。一つは愉悦に、一つは嫌悪に。かち合う視線は漆黒の中でもなお輝く黒。染まらぬ色。
「次の盤にてめぇを使いたいんだと。まぁ、寝てるのも飽きたろ?」
「余計なお世話だ、ほっといてくれ。…ッ、いい加減、離せよ。」
駒の前髪は未だ掴まれたまま。軋んだ音すら聞こえてきそうに、きつく、きつく。
抗議の声を上げると降ってきたのは侮蔑の笑い声。同じ声で侮辱されることがこんなにも屈辱だとは思わなかったと、駒が歯軋りする。
「てめぇと同じ盤に上がるなんざ死んでもごめんだ。ここで埃被ってるほうがまだマシだぜ。」
「死んでも?はッ。俺らに生も死もありゃしねぇだろ。ただの駒なンだからよ。」
片頬の肉を薄っすらと引き上げる嫌な笑み。同じ顔でこうも違うものかと駒は、戦人は思う。
否、目の前のこの男も右代宮戦人ではないのか。けれどあまりにも…あまりにも。
辿ってきた盤の違いなのか、それとも駒を置いた主の違いなのか。分からない。分からない。…何が、”彼”を、狂わせた?
「俺が狂ってるってどうしててめぇに分かる?狂ってるのは案外てめぇのほうかもしれねぇぜ?」
「みんなをああやって笑いながら殺すてめぇが狂ってないはず、ねぇだろ。」
見透かしたようなその言葉に憮然と返すと、彼はやはり嗤った。
そうして踵を返し歩き出す。前髪を掴んだままで。
「ッい、痛ぇっ!は、はな、せ…っ!!」
引き摺られる戦人の声が彼に届くことはない。だって戦人も彼もモノでしかないのだから。モノがモノに気を遣うなんて、ありえない。
「お前はこの物語を何だと思ってる?ミステリー?ファンタジー?違うね、これはエンターテイメントさ、それも最低最悪の!誰がどう殺されようが、
そんなことに観客は興味ない。次は誰のド汚ぇゲロカスがぶちまけられるかッて、それだけが皆楽しみなのさ!紗音ちゃんは譲治の兄貴を
本当に愛してる?楼座おばさんは真里亞のことを本当に愛してる?親父は本当に俺のためを思って右代宮に連れ戻した?それから、それから、
あぁ、あぁ、馬鹿馬鹿しぃッ!!」
振り返った彼はやはり笑っていた。八重歯がまるで牙のようだ。何もかも貪欲に喰らいつくすための牙。
「そんな下らない”魔法”なんか、いらない。」
「けれどその”魔法”で、救われる人もいるって、お前も…知ってる筈だろうっ!?」
「どうだか。それにいたとして、たった一人だろ?コンサートでは、より多くの観客が望む曲を演奏するのさ。たった一人のためだけに、
曲目を変えるなんてこと、するわけねぇだろう?」
ずるり、ずるりと引き摺られる。駒としての力はきっと、彼のほうが遥かに強い。彼のほうが、多くの観客に望まれているから。
引き摺られて、玩ばれて。そんな風に遊ばれるままにさせてたまるか。噛み付いて。噛み付いて。その喉笛を食い破ってやる。
―――覚悟しろ。お前を好きに、躍らせてたまるか。
「俺とお前が同じ盤に上がるなんざめったにねぇだろ?楽しもうぜぇ?」
「っち、くたばりやがれ、下衆が…ッ、」
さぁ、ゲームの幕開けだ。
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あとがき。
例の小冊子の爆撃に「エグい戦人さんてどんな?」って一日もだもだ悩んだ結果いつもと変わらないものができた
(2011.06.22)