私のことを、あなたは知らない。
薄暗い部屋には規則正しい電子音が途切れることなく響いていた。
当たり前だ、途切れては困る。心電図の音なのだから。
そうしてもう一つ。電子音かと聞き紛うくらいに淡々と、一切の感情無く数値を読み上げる音。否、声。
画面の数値を読み上げながら何事かをパソコンに打ち込んでいた少女が不意に、その手を止める。
「………珍しいデス。」
「…何がですか、ドラノール。」
小さな呟きを、彼女の同僚はしっかりと拾い上げた。
相変わらずの地獄耳だ。こんな所にいるより探偵でもやっていたほうが向いているんじゃないだろうか。
「いつもナラ、飽きて投薬量を上げてサンプルを駄目にしてしまってもおかしくない頃デス。」
「ああ、」
ドラノールの視線の先。白衣を纏った少女が笑う。…白衣とはお世辞にも言い難い色であったが。
「サンプルを買ってくるのも結構な費用なのだから丁重に扱って長持ちさせろと上に叱られたッて。あんたが言ったんじゃないですか。」
「反省をしない邪悪な人間デショウ、貴女ハ。」
「はっ、言ってくれるじゃないですか。」
ツインテールがばさりと揺れる。気性の激しさがそれだけでも伺い知れるようだった。
サンプルに繋がれた計器をいつものように一通りチェックして、満足そうに笑う。以前には見られなかった表情だった。
その笑みは。とてもとても、幸せそうで。…それは、まるで。
「そのサンプルに恋でもしまシタカ、ヱリカ。」
半ば冗談のつもりだった。きっと機嫌を損ねて罵倒の限りを尽くすだろうと思っていたが。
ヱリカはその問いかけに、ぴしりと身体を凍らせた。
予想だにしなかった反応に、ドラノールは可愛らしい大きな目をぱちくりと瞬かせた。
「……………。………図星デスカ。」
「何がおかしいんです。」
「”物”に恋トハ。…イエ、あなたらしい、デス。」
サンプルなんて所詮”物”に過ぎない。過去にそうヱリカ自身が言ったのを揶揄するように言うと、ふん、と鼻息荒く踵を返した。
実験台の上に置かれたサンプルを見る。状態によっては台に拘束具も取り付けられるようになってはいるが今は無い。
近頃ここに運ばれてきたサンプルは、まだ年若い青年だった。データによれば年は18だった。
上背はあるし顔立ちも端整だ。赤い髪は鮮やかでルックス的には申し分無い。もしかしたら彼女がいたかもしれない。
そのまま普通に暮らせていればどれだけよかったろうか。
家族総出で事故に巻き込まれただ一人生き残ったはいいが自身も昏睡状態という、聞くも涙語るも涙の彼の身の上。
そういう可哀相な、けれど病院にとってはやっかいな人間を”引き取って”投薬実験にご協力頂く”のが彼女らの”仕事”だ。
彼女らにとってサンプルとは物でしかない。だから同情など出来ようはずもない。けれど思う。可哀相に。
家族を失くしこんなところで実験台になっていることが?ヱリカに惚れられてしまったことが?確実に後者だ。
「劇薬の瓶を見せてこれを今から貴方に投与しますよって言ったらどんな反応をしてくれるんでしょう。注射針を血管の中に埋め込んで、
シリンジを押す素振りを見せたら何て言って懇願するんでしょう。やめてくれ、かしら。それとも罵倒されるんでしょうか。
ああ、どんな声なんでしょう。どんな風に苦しんでくれるんでしょう。わざと拘束具を緩めて逃げ出すところなんかも見てみたいですねェ。
勿論ドアのすぐ向こうに警備を置いておいて。捕まえてからのお仕置きが楽しそうです。反抗する貴方がいけないんですよって、
月並みな台詞でも怯えてくれそうです。ああ、ああ。本当に勿体無い。生体反応が見られないのッてこんなにつまらないことだと思いませんでした。
まだまだ試したいことがたくさんあるのに。一緒にこの楽しい実験を分かち合いたいのに。錠剤を無理矢理飲ませたりもしてみたいのに。
それからそれからそれから、」
まだまだ彼への”愛”を語りつくせない様子のヱリカに小さく溜息を吐いて、ドラノールは視線をモニターに戻した。
映し出される数値は大きな変化を見せない。彼がヱリカに応えることなどありえないとその数値が物語っているようで。
普段あまりかけない眼鏡を、そっとかけた。
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あとがき。
×ヱリバト ○古戸ヱリカオンステージ
(2011.06.08)