誰も救えない、哀れな魔女。
静寂に溶け込むように、その扉は静かに静かに開いた。
神妙な面持ちでそれを見つめていたウィルだったが、直ぐに気を取り直したようで部屋の中へと歩を進めた。
薄暗い、魔女のお茶室。数多のカケラで戦人とベアトリーチェが戦いを繰り広げた場所だ。
二人だけでなく色とりどりの魔女や眷属がひしめき合っていた其処には、けれど今、ウィル一人しかいなかった。
「ここまで通しといて出迎え無しか?どこぞのお坊ちゃんに尻つねられるぞ。」
虚空に向って問うと、静寂と薄闇が支配する部屋に黄金の蝶が満ちる。
羽ばたき、溢れ、集まり、弾けて。そうしてそれが、一人の男の姿を取る。
豪奢な椅子に当然のように腰掛け、長い足を邪魔そうに組み、漆黒のマントを背なに負い。
髪は示された数々の真実のように赤く、此方を射抜くような瞳はどこまでも深い漆黒。
―――右代宮、戦人。それがその、かつてニンゲンだった青年の、名だ。
「ようこそ。天界大法院第八管区SSVD所属審問官、ウィラード・H・ライト。…意外そうな顔だな。」
「ウィルでいい。名前を知ってたことに驚きやしねェ。それよりも、アンタがこうして俺の前に素直に姿を見せたってことが、ずっと驚きだ。」
此処は、彼の領地。ベルンカステルですら干渉の出来ない、いわばゲーム盤の最上層。
神が、領主が、即ち彼が道を開かなければ、踏み入ることの叶わない世界。
「…ベアトの葬儀を執り行ってくれたお前に、二つ、ささやかな報酬を用意した。受け取るか否かはお前の自由だが、受け取ってくれると嬉しい。」
「報酬の内容を聞いても?」
魔女に碌な奴はいない。先程の葬儀でその認識を少し改めさせられることになったが、警戒しておくに越したことはない。
「一つは後で話す。もう一つは、ここにお前を招いてお前の話を聞いてやることだ。問いに答えるかは保証しないが。」
頬杖をついて微かに笑う彼は、吃驚するほどに幼く見えた。
促されるまま戦人の対面の席に座る。(それはまるで、埋葬されたゲームのよう。)
切り出したのはウィルだった。当然だ。彼から、戦人から問いかけたい事柄など存在しない。彼は、話を聞くと言ったのだから。
「先の葬儀で、ベルンカステル風に言うならゲーム盤のハラワタはほとんど引き摺り出された。俺はそれをクレルに突きつけて、
あいつもそれを認めて逝った。だが、まだ謎は残ってる。」
「”それ”はゲーム盤の誕生や組成とは関係のない事柄だ。”それ”はゲームの進行において何の意味も持たない。」
「何の意味も持たないってこたァねェだろう。第一のゲームからずっと、そうだ、第四のゲームでは赤字を用いてまで問いかけてきた。」
第一のゲームからほのめかされ、第四・第五のゲームで明確に、彼の出生に何か秘密があることが示唆されている。
彼は右代宮戦人。右代宮戦人は右代宮明日夢の息子で、けれど彼は右代宮明日夢の息子ではない。
いや、しかも父親が留弗夫であるかも怪しい。青字で縁寿が仮定しただけで、ベアトリーチェはそれに答えていない。
戦人の黒い瞳が、ウィルの次の言葉を待つ。無限のゲームを戦い抜いたプレイヤーの、貫禄ある眼差しだった。
「お前は、誰だ。」
「………。」
「19年前の赤子は自分だと、かつて第五のゲームでお前は主張したな。だが今回のゲームで、葬儀でそれは否定されている。」
1967年のあの断崖で、落ちれば魔女に、落ちねば理御に。だからそこに、彼の入る余地は無い。
19年前の赤子は、彼ではない。なれば彼は”誰”なのか。
「………お前は、…誰だ。」
張り詰めた金の瞳の問いに、けれど領主はくつくつと肩を揺らして笑う。幼い…幼い、笑みだった。
「拒否するぜ。話は聞くけど答えるかは保証しねぇって最初に言ったろ?精々考えて頭痛になればいい。」
いっひっひ、と牙のような八重歯を見せながら戦人が笑う。
無邪気な笑みの裏に、絶対に答えないという意志を感じとって、ウィルはがりがりと頭を掻いた。
「噂好きの雀もとい魔女どもが、単に霧江さんの息子なんだとか、19年前の赤子は双子だったとか囀り合ってるからな。
そいつらの楽しみを奪っちゃ申し訳ねぇだろ?」
「…やっぱりお前も魔女だな。いとこ組に向けたあの封筒に紗音への手紙が入っていたかも聞きたかったがそれも答えるつもりは?」
「ねぇな。いっひひひ。」
即答と人を食ったような笑い声に、ウィルは隠しもせず盛大に溜息を吐いた。
結局は領主様の気まぐれ、退屈凌ぎ。二人もの魔女に玩ばれるとは散々な日だ。
「もういい。話は満足した。…二つ目の報酬の内容を聞かせろ。」
音にすれば、むすっ。どこか不貞腐れたような表情のウィルに、未だくぐもった笑いを響かせながら戦人が答える。
「二つ目。二つ目か。いっひっひ、あんたにとっちゃこっちのがメインの報酬かもな。…領主様からの、ありがたぁい、忠告だ。」
にやぁ、っと。あまり質のよろしくない笑みを浮かべ、そして唐突に消す。
ホワイトボードに書かれた文字がざっ、と消されたかのよう。一瞬にして空白になった彼の表情に、背筋を寒いものが走る。
「本当に、あれだけで、終わりだと?」
「…何を、」
「あれは、最低なんてもんじゃない。底の底を突き抜けた、魔女の中の魔女だ。…あれが、あの程度で、幕を引くとでも?」
逡巡して、反芻して、理解する。―――終わって、いない。
短い付き合いの相棒の顔が浮かんで消える。消える。…消す、つもりなのか。
「悪ぃな、急用が出来ちまった。…これで失礼するぜ。」
幾分か蒼白になった顔で立ち上がり、部屋のドアノブに手をかけたところで、視線だけで振り返る。
「お前は助けに行かないのか。」
「…俺は全てを知る代わりに何も救えない。そういう魔女なンだ。」
カケラの全てを知り領主となったところで、彼には何も救えない。ベアトリーチェも、親族使用人も、…誰も。
誰も、救えない。誰にも、届かない。
「心を、蔑ろにするんじゃねェ。…それが自分のものなら、なおさらだ。」
急いでいる。かつてないほどに急いでいる。けれど、けれどこれだけは、言っておかなくてはならなかった。
彼のことを、深く知っているわけではない。ゲーム盤のカケラを覗いただけだ。
けれど、どうしてか、これだけはやけに目についた。
「他人の心はあれだけ尊重するくせ、お前にはどうやら自分の心を蔑ろにするきらいがあるみてェだ。…そんな奴には誰も救えねェ。
いる筈だぜ。アンタにも、たった一人。救える筈の人が。」
「………………。あぁ、……あぁ、そう…そう、だったな。」
短くない沈黙を経て、戦人が笑う。朝露の雫で花の蕾が開いていくような、とても柔らかい笑みだった。
それを一瞥し、満足そうな笑みを一瞬だけ口元に佩いて、ウィルは今度こそ踵を返す。
振り返らず、振り返らず。真っ直ぐに…真っ直ぐに。
そして部屋には、誰もいなくなった。
『絶対ェに理御だけは放さねェ。……俺が、這ってでもこいつを、お前というバッドエンドから逃してやる……!』
『お聞き、縁寿。あの日、六軒島で、何があったのか。これは、辛い話でも、悲しい話でもないんだよ………。』
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あとがき。
というわけでEP7ネタバレ部屋一発目でした。なんという長文(当社比)
書きたいこと詰め込んだらこんなに長くなっちゃいましたてへっ
ウィルの口調が…分かりやすいけど分かりません…(何)
(2010.08.21)