第1部






第1楽章:クラント/courante



黒と白の翼で、一体どこまで飛んでゆけるっていうの。



「状況を報告しろ、ディス、アイス。」

『こっちの準備は完了だ。いつでもオッケ−っスよ。』
『こちらも問題無いわ。ふふ、闇取引に手を出してる割に随分警備は手薄なのねぇ?』

通信機の向こうから聞こえてくる気楽な声にズキズキとこめかみが痛む。
「………了解。追ってカウントを伝える。」
いつものように二人の軽口を綺麗に無視し、用件だけ伝えて通信を切る。自然に溜息が出た。
振り返る。そこには漆黒の空を見上げる少女。
黒衣を纏った彼女は今にも夜空に溶けて消えてしまいそうに見えた。
淡い栗色の髪を風にされるがままに、少女はひたすらに…月を、見ていた。
「ユト様。」
名を呼ぶ。それでも少女の視線は揺るがない。
「…ユト様。」
急かすようなその声音に、少女がようやっと振り返る。ゆっくり、ゆっくりと。
諦めとか、絶望とか。そういうものを釜で煮詰めたかのような。
少女の緑の瞳が宿すのは夜の闇よりももっともっと暗いもの。こんな少女にこんな目をさせるのは、苦しい。
胸が張り裂けそうで、髪を訳も無く掻き毟りたくなるようで、それなら何故救ってやらないのか否救える筈がない。
…そんな資格は、自分にはありはしない。

唇を引き結ぶと、それを見止めて少女は笑った。泣き出しそうな、悲しい笑み。
「…ごめんね。」
「いえ。」
深く息を吸い、ゆったりと吐く。これで肺に酸素を入れることは最後だとでもいうように。
そうして少女は、呟いた。
「…歌を。」





「旦那様、お早く。」
「分かっとる。」
そんな短い会話の間にも、銃声は豪華な屋敷に響いている。
「何処から漏れた、誰が漏らした…!?」
密猟や盗品の取り引きの品目当てかそれとも取り引き自体を潰そうとしているのか。
疑問は尽きない。けれどまず足を動かさねばならない。そうでなければ彼は死ぬ。
裏口から外へ出る。外の風もほのかに血臭と硝煙の臭いがした。
いやしかし、外まで出れば一先ずは安心だろう。幸いにも夜だ、闇に紛れていくらでも逃げられる。
そんな甘い考えを、背後を護衛していた従者の断末魔が掻き消した。

盛大に血しぶきと臓物が飛び散り、彼の胸から赤く染まった獣の手が生える。
背後で獣の手の持ち主とおぼしき影が動き、ズルリ、とその手をまだ温かい身体から引き抜いた。
つい先程まで生者だったモノは、口からいやな音をたてて赤い液体を溢れさせながら喉を仰け反らせたかと思うと、引き寄せられたかのように地へと沈んだ。
その時。今まで雲に隠れていた月が姿を見せ、その光が謎の獣の正体を明らかにした。
月光と血に濡れたその姿は、この世のものとは思えないという言葉しか形容のしようがない程に、異様なものだった。
一見するとそれは、少女だ。それも、かなり美しい。
微かな夜風に舞う淡い栗色の髪、日焼けとは無縁の白い肌、瞳はまるで緑柱石。
それらは確かに人のものであるにもかかわらず、彼女を形作るその他のパーツが、彼女が人であるという事実を打ち消していた。
背には羽があった。黒と白。表と裏で相反する色を持った、力強い翼。
肘の少し上辺りからは白い羽毛に覆われ、その先は猛禽類特有の鋭い鉤爪に変化していた。
そして身に纏う黒のワンピースから覗く足は髪の色に似た茶色の毛に覆われ、ライオンのような足になっている。
あまりに現実離れしたその姿に、その場にいた誰もが言葉を失った。彼らの口から出るのは上擦った悲鳴のみだ。
恐怖と驚愕の視線を受けて、けれど少女はにっこりと微笑んだ。否、それは果たして笑みと言えるのか。そう感じるほどに、その表情には何の温度もありはしなかった。陶磁器のようにどこまでも白く、すべらかで、冷たい。
従者はあるものは逃げ出し、あるものは少女に飛びかかり肉隗と化した。
その様はまるで舞曲(クラント)。鋭い爪で引き裂き、もぎ取り、貫いて。赤に濡れて獣が舞う。
頬についた返り血を喜々として拭い取り、獣の姿をした少女は最後の獲物に目を付けた。
引き攣った絶叫とともに駆け出すその無防備にすぎる背を一突き。それだけであっけなく楽曲は終わりを迎えた。

傍らで事の次第を見届けていた青年が、標的が沈黙したのを受け、通信を繋げる。
撤収を手短に告げ一方的に切った。今は彼らの明るい声を聞いていたくない。
蹲りすすり泣く少女を横目に軽口を耳に入れる余裕は彼にはなかった。

震える背は酷く頼りない。其処にいるのは羽も爪も持たない、ただの少女であった。







→第2楽章:
コン・メランコリーア/con melancolia



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(改訂:2011・07.31)





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