この人はいつもこんな風に泣いていたのだろうか。
まるで何かに脅えているかのように身体を震わせ、自分を抱きしめながら静かに涙を流して――そうやってあの人の前でもこんな風に泣くのだろうか。
いつもからは全く想像できない彼を抱きしめがら、僕の前だけで泣いてくれればいいのにとそんなことを思った。
彼は僕の「憧れ」を具現化した人だった。
僕とたった二つしか違わないはずの彼は「優秀なフリーの売れっ子忍者」という僕が憧れ、今もなお焦がれている夢そのものだった。
それに比べ僕ときたら十のうち九は失敗をすると言われ、いつも吉野先生に怒られてばかりいるし、唯一の取り柄の「サインを貰う」仕事ですらたまに貰い忘れたりと完璧にこなしているとは言い難い。
小さい頃からの夢だった忍者。
事務員として働く傍らその特権を使って手裏剣の練習をしても腕は全く上がらず、見かねて練習に付き合ってくれた伊作くんですら僕のあまりの出来の悪さに溜め息を疲れる始末だ。
本当は判ってる。
僕は忍者には向いていない。
学園一忍者しているという潮江くんのように鍛錬を積むことも出来ず、中在家くんのように知識が豊富なわけでも七松くんのように体力があるわけでもない。立花くんのように火薬に秀でている訳でもなく、伊作君のように医療に長けている訳でもない。ましてや武闘派と言われる食満クンのように戦えるわけでもないのだから。
せめて鉢屋くんのように変装技術に長けていたり、竹谷くんのように虫遁術が使えたらと願っても、生来不器用で犬に追いかけまわさるのが関の山な僕には到底無理な話だった。
それに僕は『忍』という生業に夢を見すぎていたのだ。
すぐ側にいるプロの忍者である先生方や利吉さんからはそういう血生臭い話は聞かないし、そういう仕事の話を聞いたことがなかったからかもしれない。
またよく事件に巻き込まれる1年は組のよい子達がドクタケ城やドクササコ城とやりあっても、怪我の一つもせずに笑っているじゃないかと甘く見ていた。
その事に気がついたのは「学園長のお使い」や実習に出て行ったきり帰ってこない子が複数人居たからだ。
ある日疑問に思って尋ねたた僕に吉野先生から子供達は5年生になる直前にお使いという名の殺しの任務をこなすことを教えられた。
齢13〜14の子供達はそこでこれから本当に忍者としての道を歩んでいくのかどうかをそこで試され、本当にその覚悟があるのか己で決めなくてはならない。
この学園の5、6年生はそうやって忍者になることを決めた子達のみが残り、その後日々鍛錬を欠かすことなく学園長のお使いという名の「任務」や数々の実習をこなしてプロになっていく。
それらは成功すれば忍としての糧となり、失敗は即ち死を意味するのだと。
それが辛いならここに居るべきではない、忍を目指すべきではないと教えられた。ここはそういう所だと、忍になるということはそういうことだと――。
そんな覚悟も度胸もない。だけど昔からの夢を諦めることすら出来ない中途半端な僕には忍術学園の事務員という立場がちょうど良かった。
忍の練習が出来て何かあれば先生方や学園のよい子達が守ってくれる、そんな中途半端な存在が。