Begin from innocence STEP 1 -hand in hand-

時刻は午前十時三十三分。
僕は今、怒っている。
後ろについている、彼女の存在を無視するほど怒っている。
掃除も終えた家の中を、意味もなく歩き回るくらい怒っている。
ドスドスドス。
怒っているから、こんな音が出る。
スタスタスタ。
常にアスカは凛としてるから、足音までもカッコイイ。
僕の部屋からリビング、ミサトさんの部屋を通り、ベランダに出てからまたリビングに戻る。
ダイニングに行ったと思えば、テーブルの周りを一回りして再度リビングへ。
家中を、余すことなく踏み荒らす。
様々な理由のために、一つの部屋だけは除いて。
いや、さすがに僕だって命は惜しい。
グルグルグルグル。
目的も無く、熊みたいにウロウロする。
しかしピッタリ歩調を合わせて連なる様子は、さながらカルガモの親子に見えるだろうか。

「ねえ」

「……」

「ちょっとぉ」

「……」

時折浴びせられる呼びかけにも、意地悪く対応できるほど怒っている。
アスカを背中で振り回して、僕がここまで怒るのは珍しい。
普段の僕からすれば、冗談みたいな出来事だ。
だからきっと、これは冗談であって。
本当は、怒ってなどいないのだろう。




ふいに、アスカが目の前に立ちふさがった。
今までのパターンを読んで、おそらく先回りしたのだろう。
しかしまぁ、家の中心にリビングがあるんだから簡単か。

「……」

「……」

双方、無言のまま向き合う。
似合わない仏頂面の僕と、若干呆れた表情のアスカ。
こちらは何も話すつもりは無いのだから、沈黙を破ったのは彼女の方だった。

「もう、なんとか言いなさいよ」

「……」

「プリン、食べちゃったことは謝るから」

その裏切られた単語に、僕の耳は敏感に反応した。
マー○ウの焼きプリン。
今は新横須賀の方に本店があって、ここ第三新東京市にも支店を出している。
頑張ってる自分へのご褒美にって、かなり奮発した。
別に一人で食べようと思ったワケじゃなくて。
ボリュームもあるから二人で食べようと思ったのに、一人で食べちゃうんだもんなぁ…

「だから、ゴメンって言ってるじゃない。グジグジしてるシンジは嫌いよ?」

僕だって怒ってるワケじゃない。
かなり凹んだけど、根に持ってるワケでもない。
だから理由は、別のところにある。

「じゃあさあ、仲直りの握手をしよう」

すっと右手を差し出した。 露骨な行動かなと思いつつ、不安な気持ちは出さないように笑顔を心がけた。 心臓もドキドキして、頬の筋肉も引きつってるけど、視線だけは外さなかった。 アスカは拍子抜けした様子で、すぐさま不審の目で睨んできて。 でも最後には笑顔で応えてくれた。

「そ、それだけで許してくれるなら、安いものよね」

付き合うようになってから逆に、直接的な接触を避けるようになったアスカ。
絡み合うようなプロレス技なんて以ての外。
だからこんな握手だけでも、少しアスカは躊躇(ためら)う。
本人は隠してるつもりかもしれないけど、緊張すると左手が腰に回って。
胸を反らせて偉そうにしつつも、恐る恐る僕の手を握る。
アスカの手が触れようとした瞬間、意表を突いて僕はその白をさらった。

「これから今日一日、手を離しちゃダメだよ」

「へっ?」

「トイレとかお風呂は仕方ないとして、寝るまでこのままだからね」

「ちょっとちょっと、勝手に一人で進めないでよ」

「だ・か・ら、手を握る練習。少しずつ頑張ろうって、約束したじゃないか」

きちんと彼女の蒼い瞳を見据えて、はっきりと伝えた。
この前だって、練習しようっていったのに手を引っ込めるんだもんなぁ。
結局全然捕まらなくて、反射神経を鍛えるゲームで終わっちゃったし。
成果とすれば、モグラ叩きのスコアが更新したことだろうか。

「ア、アンタ騙したのねっ!」

「何いってんのさ。最初から言っちゃったら、協力してくれなかったでしょ?」

僕としてはやり方が卑怯だったと思うけど、今回ばかりは仕方ない。
まるまる一週間経っても、全然進まなかったんだから。
最初の一歩というのは、どうしても踏み出しにくいもので。
僕だってそれを分かっているから、強硬手段に出たんだ。
多少恨まれたとしても、僕は間違っていないと信じる。

「っ! しょうがないわね。いいわよ、協力してあげる」

じっと離さない視線に耐えられなかったのか、思いの外、素直に従ってくれた。
そういうアスカの顔は、そっぽを向いててよく見えなかった。
首から耳まで真っ赤に染め上げて。
怒ってるのか、照れてるのか、僕にはその判別がつかない。
でも少し、ちょっと痛いくらいに握られた右手が、何よりもその意志を伝えてくれた。




右手と左手を繋いだまま、僕らはソファーに隣り合って座っている。
何をするでもなく、ただ座っているだけ。
アスカは部屋に雑誌を取りに行こうとしたんだけど、僕も入るということで断念した。
交際──というのも照れくさいけど──が始まっても、僕らの関係はほとんど変わっていない。
物騒な文字が書かれたメッセージボードはどこかに仕舞われたけど、彼女の部屋へ入れてもらえないのは相変わらず。
「時期が来たら入れてあげる」 とか言ってたけど、それもいつのことやら。
ちなみに。
さっきの話し合いで、どちらかの手が繋がれていれば練習は継続されることになっている。
ずっと同じ手だったら疲れちゃうし、不都合も多いだろうから。
緊張すると汗も掻くし、「アンタが嫌でしょ?」って彼女が強く訴えた。
いや、僕としては充分嬉しくて、嫌なことなんてないんだけど。
そのアスカは黙ったまま俯いて、大人しく横にいる。
ふいに存在を主張するように ぎゅっと力を入れられて、横顔をのぞき見た。
前髪に隠されて、やっぱり表情は分からない。
でも時折、感触を確かめている節もあるし、徐々に慣れてくれているに違いない。
一度結んだ繋がりを、決して離そうとはしてないから。
僕の知る限り、アスカはそういう娘だ。
ペタペタという音がして、目の前をペンペンが不思議そうな顔をして通り過ぎていく。
いくら暑いのが苦手だからといって、一日中冷蔵庫の中では退屈だろう。
いや、でも温泉好きだから、苦手とも限らないのか。
あれこれ考えながら、再びアスカに視線を戻すと、彼女も奇妙な同居人を眺めていた。

「やっぱりさあ…」

「ん?」

「このまま何もしないってのも退屈じゃない?」

「そう? 僕はこのままでもいいけど」

「アタシは暇なの。だから午後は外に出掛けるわよ」

いつものような元気さとは違うけども、低く決意の込められた声。
言うなれば鶴ならぬ火の鳥の一声で、お昼から公園へ出かけることになった。
そのあとすぐに昼食の準備をして、簡単にサンドウィッチも作って、ちょっとしたピクニック気分。
調理や準備の最中は仕方なく離れ離れになったけど、手を解(ほど)いた瞬間に部屋へ飛び込んだのは不可解だった。




今こうして、アスカと手を繋いで公園を歩いている。
約束どおり玄関から手を掴んで、ここまでもずっと並んできた。
休日の公園は家族連れやカップルもいて、第三東京市はとても平和。
いつも多くの人が出てくるところだけど、衆目に晒されることに対しての拒絶反応は見せなかった。
どうやらアスカの “てれてれフィールド(勝手に命名)” は、僕にだけ展開されるらしい。
シンボルでもある大きな噴水の横を通り過ぎて、広葉樹の並木を抜けると、広く開けた芝生の広場に出た。

「あそこなんか、いいんじゃない?」

彼女が指差す先には、「気になる木」 を二まわりくらい小さくしたような豆の木が。
ちょっと休憩してサンドウィッチを摘むには、ベストな場所だと思う。
はつらつとしたスカート姿のアスカを見て、シートを忘れてしまったことに気付く。
初めてのこうした形でのデートに、浮かれていたのは僕の方だったらしい。

「ごめん、シート忘れちゃった」

という僕に、

「肝心なところで抜けてんのよねえ、アンタ。ま、そんなんだからバカシンジなんだけどね」

あっけらかんと答えてくれた。
でも芝生がチクチクして痛そうだから、上着を下に敷いてあげた。

「き、気が利くじゃないの」

「お褒めの言葉を授かり、光栄です」 なんておどけたら、ポカりと殴られた。
利き腕の右手は封じているからか、思ったよりも痛くなかった。
無理にふざけてみたのも見透かされて、余計なお世話だったらしい。




木陰に二人で座って、まずは一息。
バスケットの中身を順調に軽くしながら、穏やかに時間を過ごす。
遠くにはキャッチボールをしてる男の子達が見える。
ザワザワと、駆け抜ける一陣が緑の波を立て。
キラキラと、風に踊る木漏れ日が心地良い。
そして。
パクパクと、リズム良く平らげるアスカ。
気持ちのいい食べっぷりに思わず綻んでいたら、はっと気付いたように手を止めた。
最後に残った手の中のサンドウィッチと、僕の顔を交互に見比べて一言。

「これはアンタにあげるわ!」

「うぐっ!」

ぎゅうぎゅうとムリヤリ僕の口に押し込む。
僕の生死、呼吸なんてお構いなし。
初めてアスカの手で食べさせてもらったとか。
実は食べ掛けで間接キスだったとか。
そんな本当なら嬉しいはずの感情も、酸欠の頭では理解することもできず。
ずるずると引きずられるように、意識が落とされていく。
これって照れ隠しなんだろうか…? とかいう疑問も呆気なく蹴落とされて。
必死にしがみ付こうとしていた僕も、何かの拍子にぷっつりと記憶が途絶えたのであった。




今日二度目の目覚めは、空が朱くなり始めた頃に迎えた。
遠くから聞こえてきていたはしゃぎ声も届かなくなり、一日の終わりをおぼろげながら認識した。
虚ろな中にも、自らの意識の覚醒を自覚して。
ぼんやりとする視界の中に、正面にあるのは誰かの顔。

「アス……カ?」

僕の単純な脳みそでは、むしろ他には考えられない。
でも焦点がハッキリと確認する前に、モノスゴイ勢いで突き飛ばされた
…気がする。
いや、その時ははっきりと分からなかったし。

ドシャーーッッ!!!!

僕の体は緑のリンクの上を、パックのように面白いくらい簡単に滑っていく。
二転三転ならぬ五転六転して、ようやく身体は止まってくれた。
この世に存在する、摩擦という偉大な力に感謝。
幸いにも、柔らかい自然の絨毯のお陰で被害は最小限に止められたようだ。
それでも全身に軽い痛みを覚えつつ、ゆっくりと上体を起こした。

「よ〜く寝てたじゃない。ようやくお目覚め? バカシンジ」

ぬけぬけと僕に向かって言い放つアスカ。
ていうか、原因は君しか考えられないだろうに。

「いてて…こんな起こし方しなくてもいいじゃないか」

「あら? いったい何のことかしら」

「もういいよ。早く帰りたかったんでしょ? ありがとう、待っててくれて」

「ふんっ! せいぜい感謝しなさい」

パンパンと服をはたいて立ち上がり、アスカから上着を受け取る。
ずっと上に座っていたからか、妙に生温かいのに気付いた。
よくよく考えてみれば、コイツはアスカのおしりの下にあったワケで。
そのまま着るのは恥ずかしいので、とりあえず冷やそうとパタパタさせてみる。
行動の意味を問われると困るので、先に話題を投げかけておく。

「それにしても、ヒドイよアスカ。気絶するほど押し込まなくてもいいじゃないか」

「ああ、それは違うわよ」

「えっ?」

それはちょっと意外な展開。
壁当てをしていたら、狙っても入らない、ギリギリ通るくらいの穴を通過してしまったみたいな。

「近くに遊んでた子供達いたでしょ?
 あのガキどもが投げたボールがシンジに当たったのよ。
 で、さっきから邪魔だったアイツらを丁重に追い払って、今に至るわけ」

言われてみれば、後頭部に軽い痛みが残ってる。
それならポックリと落ちた理由も納得がいくし、アスカの言うことに間違いはなさそうだ。

「だからって “ガキども” とか “邪魔” とか言い過ぎじゃない?」

苦笑いを浮かべつつ、火照りが収まって一応、着れるようになった上着を羽織る。
まあ、何とかこれなら平常心を保てるだろう。
でもアスカは、ただならぬ言葉を発してくれちゃったりして。

「甘いわ。アイツらはアタシのシンジに手を出したのよ? この罪は万死に値するわ。
 それにアタシが膝枕してたなんて見られたら、アンタの耳に入ったとき どうしろっていうのよ?」

…え〜っと。
かなり衝撃的な告白をされたような気がするのは、気のせいですか?
こうもはっきり “所有物宣言” されたのは初めてだし、そうまで想われていたことに嬉しいやら恥ずかしいやら。
告白したのは僕からだったし、アスカの方から好きだって言われたのも、片手で数えるほどしか。
しかもさっきまで膝枕されていたというのが、僕の勘違いじゃないってことも確定してしまって…

「ア、アスカ…?」

「! ちょ、ちょっと待って!! アタシが今何を言ったのか、きちんと整理するから」

「簡単な話だったよ。僕がアスカのモノだとか、膝枕してくれてた…とか」

どうやら混乱している様子のアスカに、きちんと説明してあげた。
教えてあげてる僕の方が照れてしまうような内容。
それに対象が、全部目の前にいる僕だし。
頭の中が纏まらないというのも同情します、うん。

「……」

いまや完熟トマトと化してしまったアスカは、何も言えずに立ち尽くしたまま。
両方とも事実だと僕も認識しているから、こちらからフォローするのも難しい。
「大丈夫、前から分かってたことだし」 なんて口走ったら、JPEGの容量が倍くらいに増えそうだ。
そのまま動けずに、いよいよ辺りが真っ赤になった頃、ついにアスカが行動に移った。

「……」

やはり無言のまま、僕の手をぐいと奪って引っ張った。
そのままズンズンと、入り口の方へ向かっていく。
午前中とは、まるっきり立場が逆になって奇妙な感じ。

「えっと、どこに行くの?」

「…帰るに決まってんじゃない」

振り返らずに答える姿は、どことなく可愛らしい。
ある種の余裕、安心感からくる視点だからだろうか。
さっきまでなら、怒らせてしまったことに対する謝罪を考えていただろうに、自分の現金さに呆れてしまう。
いや、これが幸せってことなんだろうかと思いつつ。
彼女の背中に従っていると、ふと自分の手が “握られている” ことに気付いた。

「ねえ、アスカ?」

「なによ?」

「……なんでもない」

「これ以上何か言おうものなら、この手を握りつぶすからね!」

それは困る。
困る…けどそれとは別に。
僕の問いは、わざわざ答えを確認するまでもない。
お互いの体温が伝わって、肌と肌とが触れ合う感覚。
アスカにとって、手を繋ぐことは当たり前のことになってくれたようだから。




──しかしながら、どこか吹っ切れてしまったアスカの暴走は止まらない。
止まらないったら、止まらない。

「こうなったらヤケよ! 今夜はアタシがどれだけシンジのことが好きか、とことん話してあげるから!!」

「お、お手柔らかにお願いします…」

人通りが少ないとはいえ、天下の公道の会話にしては声量が大きい気が。
そんなことをいっても、今のアスカには効かないだろうけど。
もしかして今日は徹夜…とか?
そこまではありえないよね?

「絶対に手加減なし! 寝かせないからね、今夜は!!」

嘘……でしょ?




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