<ヤンデレ外交>

 

 

「定例協議、ですか」

「そうだ。何事もない、一年に一度の会合だ。

ローレベルの技術協力と協調姿勢を淡々と発表する規定路線の会合。

具体的には、二国間の海上に不法投棄されているペットボトルの除去作業の打ち合わせ、だ。

それ以上のことは何もない。……何一つ、ない」

「とは言え、今の時期は正直……微妙ですね」

「その通りだ。あの国は、国際的な借金の返済に首が回らん。

だから──わが国からなんとしても援助を引き出したい。

たとえペットボトル除去作業の会合でも、なんらかの言質をとろうと必死だ」

「ムリですよ。あの国と、我が国では、通貨対策のスタンスが真逆(まぎゃく)です。

あちらが援助を求めてくるにしても、何もできることはありません。こちら的にも、あちら的にも。」

「だが、連中には「あれ」がある」

上司が唇がさらに歪めた。

「……ハニートラップ、ですか」

隣国の外交官や政治家を美女の接待で篭絡し、脅迫し、言質を取る。

おおよそ、下劣で、そして効果的な一手。

大国の外交官がそれに引っかかり、大幅な譲歩を迫られたことは記憶に新しい。

「だから、君だ」

上司は、その会合に僕を行かせるつもりらしい。

少し話が見えない。

「それはかまいませんが、なんで僕なんです?」

ハニートラップ対策は、女に強く、冷静で、抜け目ない男が適任だ。

自慢じゃないが、僕はその辺りには非常に自信がない。

女に弱い──というより、縁がなさ過ぎて耐性がまったくない。

何しろ、同期で嫁さんどころか恋人もいないのは僕一人だ。

コンビニの女店員に笑顔でお釣りを手渡しされただけで舞い上がる人間に、

そんな役目は難しすぎるのではないか。

「それについては、心配ない。君には専門家と組んでもらう」

「専門家?」

「知っているだろう、桐山だ」

上司は意味ありげな表情でそう言った。

 

「桐山と組むのは久しぶりだね」

「はい。とても嬉しいです」

行きの飛行機の中で、桐山那美(きりやま・なみ)は微笑んだ。

眼鏡とセミロングの黒髪がお似合いの、おとなしそうな娘だ。

僕にとって、かなり年下の後輩の彼女と組むのは、これで三回目くらいか。

地味だけど、非常に有能なサポーターということは覚えている。

僕がまともに喋れる数少ない女性だ。

「しかし、意外だね」

「はい?」

「桐山が、その……そういうのの専門家だっていうこと」

あの後、上司は詳しく説明してくれなかったが、

この仕事で僕と組ませるということは、彼女はそういうことに精通していると言うことだろう。

「ええ、私、専門家ですよ。――こういうことについては、とても。たぶん、世界で一番です」

「大きく出たな」

僕は苦笑した。

おとなしく見える彼女を見ると、とても意外だけど。

まあ、彼女は、とても有能な外交官だ。

そういう技術も隠し持っていてもおかしくはないのかも知れない。

くわばらくわばら。

 

桐山の有能さは、すぐに証明された。

あちらの指定のホテルにチェックインするや否や、

彼女は、1ダースの盗聴器と3つのビデオカメラを見つけ出し、無力化した。

特殊部隊のような手際のよさに、唖然とする僕を尻目に、

今度は、ルームサービスの料理からいくつかの薬品を検出する。

多量の精力剤と、小量の思考を緩慢にするクスリ。

──翌日の会食でアルコールを入れれば、理性より性欲が勝った状態にされるだろう。

ボーイに気付かれないように料理を廃棄した桐山が、

代わりにバッグの中から取り出してきた手作り弁当は、とてもうまかった。

「本当に専門家なんだな」

「ええ。専門家ですよ。世界で一番の」

家庭的なおかずが詰められた弁当からは想像もつかない彼女の活躍に、

僕は、素直に感心していた──この時までは。

 

「それで──何を?」

「い、いえ……その……」

僕の正面に座ったコンパニオンを見据える桐山の目は、冷たい、を通り越して、怖い。

協議会が無事におわり、会食がはじまってから、この状態だった。

僕の隣に座ろうとした美人コンパニオンを突き飛ばすようにして席を取ってから、

二時間、おおよそ、物を食べるという雰囲気ではない。

「それで、ですな。ぜひ我が国との……」

「──そちらの女性は、どこを見ているのですか?」

「い、いえ、私は、な、何も……」

「嘘をおっしゃい。妙な目で──さんを見ているようですが」

「す、すみません」

「謝るということは、認めたということですね?」

「わ、我が国との……」

「少し黙っていただけますか、私、この方とお話をさせていただいていますの」

「いや、その……はい……」

協議会で、さかんに援助をアプローチしてきた、なんとか局長氏は、

脂汗をかきながら引き下がった。

無理もない、僕だって逆の立場だったら、こんな雰囲気の接待はゴメンだ。

しかし、桐山のおかげで、変な方向に話を持ってかれなくて済む。

おびえた目のコンパニオンたちは、しきりに席をはずしたがり、ついには帰ってしまった。

「……」

「……」

双方、無言のまま軽食は終わり、結局僕らは何の言質も与えることなく

協議会を終わらせることが出来た。

 

「ご自慢のハニートラップも、不発か。よかったよかった」

ホテルに帰ってくつろぎながら僕はつぶやいた。

桐山が調べなおした部屋からは盗聴器とビデオカメラがまた幾つか出てきたけど、

それも彼女が無力化したから、僕は気楽なものだ。

隣の部屋に下がった桐山からもらった薬を飲む。

さっきの会食で出された料理の中に変なクスリを仕込まれていても、

無害化できる解毒薬だそうだ。

桐山が調達してきた飲み物で飲み下してから、

これもやはり彼女が調達してきたサンドイッチに手を伸ばす。

「何から何まで完璧だな。さすが専門家」

帰ったら、なにか奢らなきゃな、とつぶやきながら、僕はソファに横になった。

「あれ?」

なんだか、頭がくらくらする。

何か、おかしい。

身体だけじゃない。

……目の前のソファの隙間に押し込んであるのは、盗聴器じゃないのか?

「しまった。連中、まだ諦めてないのか」

僕は、ふらつく頭を抑えながら、盗聴器を引きずり出し、桐山の部屋に向かった。

 

「気をつけろ。連中のトラップがまだ生きて……?!」

ドアを開けてくれた桐山の部屋になだれ込んで、僕は絶句した。

部屋の中央、テーブルの上にあるのは、小型の受信機とヘッドフォン。それに最新鋭のジャマー。

荒事に疎い僕も知っている──盗聴の道具だ。

「これ……は?」

「あ、大丈夫です。それ、私のつけたほうの盗聴器ですから」

「え?」

振り向いた僕の目に、はじめて見る女の人が入ってきた。

潤んだ目が焦点を失い妖しく輝き、唇には薄笑いが浮かぶ、怖い女の人。

これは──誰?

「き、きりやま……?」

思わず口からこぼれた誰何の声に対する返事は、

かちゃりという、音。

すでにオートロックで閉められているドアに、さらにチェーンロックを追加する、音。

「――さん、やっと来てくれたんですね、私のもとに」

桐山──は、ゆらりと僕に近づいた。

「ちょ、まっ……何を言っている?」

向き直ろうとして、僕の足がもつれる。

なんだ、身体の自由が利かない。

クスリを盛られたのか──誰に?

「き、桐山、話は後だ。クスリを盛られた。解毒剤を──」

「え? 解毒剤ですか。持っていませんわ」

「そんな。君は専門家じゃ……」

くらくらする頭で、僕は抗議をした。

そうだ。

彼女はハニートラップ対策の専門家で、だから僕と組まされて……。

「ええ。専門家ですよ。あなたのストーキングの」

 

「……え?」

「知りませんでした? 私、ずっとあなたのことが好きだったんですよ」

予想もしなかった返事に、顔を上げる。

桐山──いや、僕が今、はじめて「出会った」女性は、

頬を赤く染めながら、スカートの中にさし入れていた手を引き出すところだった。

「ほら、盗聴器から聞こえるあなたの声を聞いているだけで、私こんなに……。

毎日、毎日。こうしてあなたの声を聞いて慰めていたんです」

「き、きり……」

「でも、ほんと、こっちのスパイさんたちってマヌケですよね。

盗聴器って、もっと丁寧に、もっといっぱい、もっと愛情をこめて仕掛けるものなんですよ。

私があなたの部屋に仕掛けている盗聴器とビデオカメラをみせてあげたいくらい。

あ、ソファの間にしかけたそれは、わざとです。見つかるように、しかけました」

「なんで……」

「だって、そうすれば、私を呼ぶか、私の部屋に来てくださるじゃないですか。今みたいに」

朦朧とする頭を振って立ち上がろうとする。

「あ、ダメですよ。さっきのサンドイッチとジュースに入れたお薬、強力なんです。

ルームサービスとか、会食の料理に入っていたお薬より、ずっと。

――大丈夫です、一晩、私とすごせば、全部抜けますから」

にんまりと笑ってのしかかってくる怪物は──。

僕はもちろん、さっきのスパイどもにも手の負える相手じゃなかった。

 

 

──粘液質な音がする。

僕の股間から。

彼女とつながっている部分から。

「あはっ。……さん、すごいです。こんなにっ、熱くてっ、固くてっ。

……私の中、壊れちゃいそうですよ……」

僕の上で弾むように身体を揺らす桐山。

壊れるも何も、――もう壊れているんじゃないのか。

頭の中の、何かが。

思わずそうつぶやきかけて、僕は何も言えなかった。

彼女の、黒い黒い瞳の奥の闇の深さにおびえて。

「ああっ……」

桐山が、かすれた声を上げる。

先ほど、意思とは無関係に怒張させられた僕の性器に

自分を貫かせさせたとき、彼女は、たしかに破瓜を迎えていたはずだ。

だけど、今の桐山があげる嬌声には、痛みや苦痛が感じられない。

この娘もクスリを使っているのだろうか。

しびれるような脳裏に、ふとそんな考えが浮かぶ。

だが──。

「ひっ、あっ、す、好きですっ、好きですうっ!! ……さんっ!!

ずっと、ずっと、大好きでしたあっ!!」

僕の上で狂乱している娘が、もしクスリを使っているのだとしたら、

それは、モルヒネや覚醒剤など比べ物にならないくらいに強力でたちの悪いものだ。

人間が作りだせるものじゃない。

それは、魔薬。

彼女の脳内で、子宮の中で、身体の中で作り出された、強力なクスリ。

狂気にくらんだ瞳の女が自分のために作り出したクスリ。

彼女が、僕と初めて出会ってから、今この瞬間に至るまでの数年間。

それを精製するまでの数年間。

その間、何一つ僕に気付かせないまま、悟らせないままに育んだ闇。

僕は、彼女の闇――<病み>に恐怖した。

 

柔らかに潤んだ粘膜が、僕を犯す。

全身の神経が、性器に集まる感覚。

射精をしたい。

身体の奥底に溜まっている濁った汁を吐き出したい。

だけど、今それをしたら──。

「き、桐山……」

自分でもびっくりするくらいに弱々しい声しか出ない。

「はあっ、……ん。な、なんです……か」

「ど、どいてくれ。僕はもう……」

「あはっ、イきたいんですか? イきたいんですね? ……さん?」

どろりとした漆黒の瞳が僕を捉える。

赤い唇の端が吊りあがり、微笑の形を取る。

「……いいんですよぉ。このままイってください。

私、……さんの精子、全部受け止めますから」

待ち望んだ獲物を捕らえたとする瞬間、猛獣は、こんなふうに笑うのかも知れない。

「だ、だめだ。抜いてくれ、……せめてコンドームをっ」

「うふふ、ダメですよぉ。そんなことして、ここの人たちに後で拾われたら、どうするんですかぁ?

精子さん、使われて、半年後に……さんの子どもが出来たって女の人が現れちゃうじゃないですか。

私の子宮に収めておけば、絶対、絶対安心ですよぉ……」

「き、桐山……」

「うふふ、元気な元気な精子さん、一匹も残さないで、大事に大事にお持ち帰りです。

ね、精子さんも、冷たいゴムの中に入れられて、こんな嫌な国のゴミ箱に捨てられたり、

嫌な女の下種なおま×こに入っちゃうのなんて嫌ですよね?」

「うあっ、も、もうっ……!!」

「うふふ、精子さん、出ちゃいますか? いいですよお。

私の中に精子さん、いっぱい出してください……。

さあ、精子さん、あたたかあい子宮の中に入って、お家に帰りましょうねえ?

あ、お家に帰るまでのあいだ、私の卵子ちゃんと遊んでてもいいですよお?」

「き、きりや……やめ……」

柔らかな粘膜が、さらに僕を嬲る。

身体の上の、軽い女体を押しのける力もなく、僕は桐山の中に射精した。

 

 

 

「……あの国が破産宣言したな」

「あれから色々と悪あがきをしたようですね」

「ローレベル協議で、何も確約をしなかったことが生きてきた。君のお手柄だな」

「……専門家のフォローがありましたからね」

倦怠感を覚えながら、僕は答えた。

上司は無表情のまま、辞令を渡してきた。

「君と、君のパートナーの対応力を買って、昇進だ。

今度はあの国の駐在大使になってもらおう。再建問題で忙しくなるぞ」

「これはまた、えらい出世ですね」

「これから、色々と物騒になる国だ。

駐在大使にハニートラップをしかけて色々と譲歩をせまるだろうし、

──あるいは、もっと単純な恫喝や拉致なども予想される」

「ひどい話ですね」

「もちろん、護衛はたっぷりとつけるさ。

だが、何より重要なのは、君には、二十四時間君を監視し、

フォローする人間がついているということだ。

しかも、どんなプロよりも熱心な専門家が、だ」

「……ベッドの中までね」

ため息をつきそうになって、あわててこらえる。

どうせ、今の会話も盗聴されてる。

桐山──いや、今は僕と同じ苗字になった女性に、だ。

「もし、あの国のエージェントが、拉致監禁したくても、

──すでに監禁されている男を拉致できるかね?」

「……たぶん、盗聴一つできないでしょうね」

「さらに言えば、君に近づく女性……それもおそらく訓練をつんだプロさえも

「なぜか」突然行方不明になるような完璧なガードを私有する男なら、なおさらね」

「……」

「君には、いや、君たちには期待しているよ。駐在大使どの」

上司は、最後ににやりと笑って手を振った。

協議会からの帰国後すぐにあげさせられた僕と桐山の結婚式で

仲人を務めたクソジジイの顔をひとにらみしてから僕は部屋を出た。

「昇進か。今夜はご馳走だといいな」

ふと、つぶやいてみる。

そのことばが聞き逃される可能性は、多分、ゼロだ。

家に帰れば、食卓には僕の好物がずらりとならんでいるだろう。

何か、変なクスリとかが、たっぷりと入ったご馳走が。

 

──駐在先でのスパイや危険など、僕の日常に比べたら、空気みたいなものだ。

 

 

 

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