<ペリカン騎士団再建記>・その1

 

 

「では、マスターステファン。貴公を忍者として認め、

<ペリカン騎士団>総司令官に任命する」

「謹んで拝命いたします」

 

任命式は、簡単なものだった。

公爵は微笑みながら頷き、立ち上がって歩み寄り、僕の肩を軽く叩いた。

その気さくな態度に、僕はほとんど呆然とした。

前大戦の英雄。

地獄から黄泉返りし<狂王>の軍勢を地下迷宮で食い止め、

<狂王>が同じく黄泉返りし<魔道王>と相打ちとなった後は、

その残党を地上から追い払い、リルガミンの再建を為した英雄。

それは、先の大戦で、本家の当主以下、本流がみな死に絶え、

急遽、傍流から呼び出されて<ステファン>の名前を受け継ぎ、

その名の人間に任される重職を前にして震える少年には、

まぶしすぎるほどの高みにある存在だった。

だけど、

「難しい職務だが、君なら、きっとやれると思う」

僕が仰ぎ見る<英雄>は、あっさりと言って、僕の肩をもう一度叩いた。

──<マスターロード>、アリソン公。

もう一人の英雄である妻との婚姻によって、

二つの侯爵家を一つの新しい公爵家にまとめ、

衰退した六公爵家に代わってこの街を統治する指導者。

そして、僕が仰ぎ見る新世代の勇者。

その人から直々に与えられたお役目に、

僕は身のうちが震えるほどの感激を味わっていた。

そして、為さねばならない使命を、

全身全霊をもって果たそうとも誓った。

……そして、その日、僕は、僕が今いる、この地獄に突き落とされたのだった。

 

 

 

リルガミン城の一角、<騎士団の間>。

かつて、<月桂樹騎士団>、<バラの貴婦人>、<虎の子騎士団>、

それに<ペリカン騎士団>といった、<四大騎士団>をはじめとする

リルガミンを守り手たちが詰めていた場所。

今は、そのほとんどが団の再建前であり、部屋もからっぽだ。

僕が所属する<ペリカン騎士団>の部屋も。

だが、それも昨日までの話。

今日から、<ペリカン騎士団>は復活する。

僕と、もうひとりの「マスター」の手によって。

そう。

僕の家――ステファン家は、代々<ペリカン騎士団>のリーダーを拝命している。

どうして、男爵位を持つ貴族が精鋭の忍者によって構成された部隊を率いることになったのかは、

詳しいことは、わからない。

ヒノモトの流れを汲む<異質の文化>の粋を極めた戦闘部隊を編成するに当たって、

リルガミンに古くからある血をからませようとした、という話もあるし、

トレボーが自分のお気に入りの武官に忍者部隊を任せたかっただけ、という伝承も聞く。

難しいことはよくわからないけど、

それだけ、<ペリカン騎士団>は重要な部隊だったのだ。

先の大戦では、真っ先に奇襲を受けて壊滅してしまったけど、

「黄泉返りし狂王」の地上奇襲部隊が、最初に全力をもって狙った相手が

<ペリカン騎士団>であることは、逆説的にだけど、

この部隊の戦力と重要性とをあらわしていた。

初手で忍者の精鋭部隊を失ったリルガミンの公爵たちは、

以後、情報戦にも市街戦にも遅れをとり、

<バラの貴婦人>たちの背反に翻弄されて壊滅した。

彼女たちを討ったアリソン新公は、その苦い経験から、

忍者部隊の重要性を知り、他の騎士団に先駆けての再編成を求めた。

そして、僕が、その第一歩を担う栄誉を授けられたのだ。

「……」

僕は、樫の木でできた、飾り気のない重厚なドアの前で立ち止まった。

 

深呼吸をふたつ。

ドアはノックしない。

情報・戦闘部隊の執務室には必要のない儀礼だから。

──それは、本家に残っていた「騎士団指揮官心得帳」で覚えた知識だ。

僕は、はやる心を抑えてドアを開け、部屋の中に入った。

「……」

一瞬、僕は何が目の前にあるのか、わからなかった。

「……」

そして、僕は、数秒間「そいつ」と見つめあっていた。

そう、見つめあう、だ。

なぜなら、僕の目の前にある、「それ」は、

黒い瞳を持つ、二つの目だったからだ。

だが、何かが違う。

普通の人間のそれとは明らかに違う違和感の正体を、

僕はとっさに見極めることができなかった。

「……え……と……」

まぬけな声が口から漏れる。

その間に、フル回転していた僕の脳みそは、

その違和感をひとつひとつ分析していた。

──僕の目の高さとちょうど同じくらいにある、目その物は、

確かに何かが違うが、決定的なものではない。

だが、その上下が、あきらかに違う。

なぜなら、「そいつ」の目の上には、形のいい鼻があり、桜色の唇がある。

「そいつ」の目の下には、黒い眉毛と、白い額とがあって、

そのさらに下に、ちょっと長めの艶やかな黒髪が垂れ下がっているからだ。

顔の上下が、さかさまな人間?

いや、こいつの顔の下の空間には、髪の毛の他に何もない。

……ああ、そうか。

天井からぶら下がっているんだ、と分かったとき、

「そいつ」が、口を開いた。

 

「わあ……」

「……?」

「……いい!」

おおよそ、今の状況で聞きそうにないことばに、僕は戸惑った。

「よっ!」

だから、「そいつ」が、一瞬視界から消え、

また同じようにさかさまで──しかも、さっきよりもずっと近くで──、

僕の顔をまじまじと覗き込んでいるのを見て、僕は混乱した。

目の前、1インチ。

吸い込まれそうに綺麗な漆黒の瞳。

おでこに、ふわっとした風。

かぐわしい香りを含んでいたそれが、

「そいつ」の吐息だったのに気がついたのは後のことだった。

「――な、ななっ!?」

何が起こったかわからないまま、反射的に腕をあげようとして、

それが出来ないことに気がつく。

「!?」

左右の肩の上に、足が乗っている。

「そいつ」が、天井から降りて、僕の肩の上に着地し、

そのまま自分の股の間から後ろを見るような姿勢で僕の顔を覗き込んでいる。

──混乱した頭で、なんとかそれだけは理解した。

……奇跡に等しい。

僕の状況理解も、「そいつ」のやってのけたことも、だ。

足の力だけで天井からぶら下がるのは、超人的な修練を積んだ忍者ならば出来る。

そこから飛び降り、半回転しながら僕の肩の上に着地することも可能だろう。

だけど、――どうやったら、それを僕に気がつかせない?

どんな体術で体重を殺すのだ?

たっぷり十秒間、「そいつ」と無言で見つめあいながら、

僕の脳みそは、僕の忍者の能力についての知識に、多大なる修正に迫られていることを自覚した。

……「そいつ」がもう一度口を開くまでの間。

 

「ステファンの当代さん、はじめまして!

ボク、マスター・エル! エルの当代! 

よろしくね! 末永く仲良くやってこう!」

……なん……だ?

僕の目の前から、マスター・エルと名乗った女――というより女の子の顔が消えた。

次の瞬間、音も立てずに一メートルほど前方の空間に、そいつが現れる。

今度は、足はちゃんと床の上にあり、顔が一番上にある。

ああ、僕の肩から飛び降りて、底に着地したんだな。

にしても、こうやって見ると、彼女は随分と小柄だ。

体つきが小さいというだけじゃなくて、年齢的にも「小さい」。

多分、家督を継ぐために、こないだ早めに「元服」したばかりの僕よりも。

だから、そいつ──じゃない、マスター・エルが、

「やー、ボクのお婿さん、いい男でよかったー!

里(さと)まで降りてきた甲斐があるよ!!」

と朗らかに言い放ったのを聞いて、僕は慌てた。

「お、お婿さんっ!?」

「あれ、聞いてないの? ボク、本当は里に降りてくるつもりはなかったんだ。

マスター家はエル家から出さなくても、君のステファン家から出せばいいし。

でも、君がマスターレベルになってないから、どうしてもって、

公爵様――あ、女のほうの公爵様ね──に頼まれたから、

<素敵なお婿さん紹介してくれたらいいよっ!>って答えたんだ!

そしたら、君がボクのお婿さんになってくれるっていう話になったはずなんだけど……」

顔を赤らめてきゃっきゃっとはしゃいでた女の子が、

だんだん声が小さくなり、最後は、黙ってじいっとこっちを窺うような表情になった。

「そ、そんな話は聞いてないよ……」

目の前の女の子がマスターレベル、つまり自分よりはるかにレベルが上なことは、

ここまでの数分間で目にした体術で十分に分かった。

そして、頭の中身が、どうやら僕の常識の範疇から逸脱していそうなことも。

だから、僕は、しばらくして、マスター・エルが、にまーっと笑い出したのを、むしろ当然のことと感じた。

「ま、いっか! ヤること犯っちゃえば……夫婦だよねっ!!」

 

「――ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待って!!」

手をわきわきさせながら近寄ってくる存在に、僕は半ば恐怖しながら叫んだ。

本能の為せる業か。

いや、本能と言うより、理性だ。

だって、そうだろう。

出合って三分の年下の女の子が、いきなり求婚してきたら、誰だって焦る。

ましてや、妙なオーラを背負って、性交を要求してきたらなおさらだ。

こんな状況、生殖本能が許しても、理性と知性が許さない。

僕は、本家に呼び戻される前は、司教になろうと修道院で修行していたんだ。

今は、転職して忍者になっているけど。

……忍者。

──そうだ、落ち着け、ステファン。

こういう時、忍者は、特に司令官を勤める<上忍>は冷静でなければならない。

まずは観察だ。

僕の目の前にいる<マスター・エル>、不確定名:忍者装束の女の子は、

身長、僕より低い。

体重、僕より軽い。

スピード、僕よりはるかに速い。

戦闘力……おそらくは話にならないくらい強い。

天井から下がっているときには長いかと思った黒髪は、

こうして意外と短めだけど、漆を塗ったように艶やかだ。

色白の顔は幼いけど、すごく整っていて、まるでヒノモト人形のようだ。

もう少ししたら、ものすごい美人になりそう──そうじゃなくて!!

「待て、落ち着いて、マスター・エル、君も指揮官なら、

今の<ペリカン騎士団>の状況を考えたまえ!

そんなこと言っている場合じゃないだろう!?」

「え、何、<ペリカン騎士団>の状況って?」

エルが首をかしげる。

説得の糸口になるだろうか。

僕は勢い込んでことばを続けた。

 

「ぼ、僕らは<ペリカン騎士団>を再建する使命を帯びてるんだよ!?

僕らは今二人だけで、メンバーもそろってないじゃないか!」

そう。

<ペリカン騎士団>の定員は六名。

伝統的に、男女二人の指揮官<マスター>と、四人の<くの一>で構成される。

メンバーが揃わなければ、訓練も、任務もこなせない。

公爵様は、何年、何十年かけても、最高のメンバーを集めろ、とおっしゃったけど、

先代に匹敵するだけの隊員を集めるのに、どれだけの時間と労力がかかるのだろうか。

僕は、昨日の晩、生涯をかけてもと覚悟した使命を思い出した。

そして、その使命を分かち合う相手は──。

「――ああ、それなら大丈夫だよ! ボクの家系、女腹だから!」

と言って、日向で大輪の花が咲くような笑顔を見せた。

「……はい?」

僕は思わず聞き返した。

「あ、女腹ってことば、わからない?

ボクの家、女の子ができやすい家系なんだよ!

僕のお祖母ちゃんも、曾お祖母ちゃんも、お母さんも、本家の先代も、

ここ百年くらい女しか生まれてないんだ。

たぶん、ボクも、女の子しかできないんじゃないかなー。

だから、くの一四人なんて簡単、簡単!!」

「ちょ、ちょっと待って、君はいったい何を言っているんだ?」

正確に言うと、僕はエルが言っていることがわかりかけていたけど、

脳がそれを理解する事を拒否していた。

なのに、エルはにこやかに笑って、詳しく説明しはじめてくれた。

「だからー、ボクが君の赤ちゃん四人産めば、

10年くらいで超一流の<くの一>が揃うってコト!

ボク、9歳でマスターレベルになったから、ボクの娘もそれくらいできっとなれるよ!

これが一番確実に<ペリカン騎士団>を再建する近道だよ!?」

ぱん、と引き締まったお腹を叩いて晴れやかに笑う女の子を見て、

僕は──回れ右をして駆け出した。

 

冗談じゃない。

なんで、たった今出会ったばかりの女の子と結婚しなきゃならないんだ?!

しかも、子作りなんて、こんな歳で父親に?!

いったい、なんでこんなことに?

エレベータの前まで全速力で走る。

とにかく、下に逃げないと。

「だって、ボク、君に一目惚れしちゃったんだもんっ!」

……エレベータの扉の前に、マスターエルが待っていた。

いつ、どうやって追い越しされたのか、見当も付かない。

「君を見た瞬間、ティルトウェイト受けたくらいに直感が「来」ちゃった。

君がボクのお婿さんになる人だって!」

「……」

理解できない相手のことばを受けて、僕は回れ右をした。

廊下を逆戻りする。

たしか、この間増築された棟に階段があったはずだ。

「どこ行くのー? あ、冒険者の宿? いやーん、まだ日が高いよっ!!」

曲がりなりにも忍者の称号を得ている僕の全力疾走に

天井を併走しながら軽々とついてくる上に、

赤く染まった頬に両手を当てて照れる、という芸当を見せるマスターエルに、

僕の精神は、自分でもはっきりわかるくらいに恐慌をきたした。

「ご、ご、ごめんっ!!」

それでも一言謝って、両手で印を結ぶ。

目標は、壁。

「メリトっ!!」

叫び声――というよりほとんど悲鳴、とともに、閃光が飛び散る。

「きゃんっ!!」

低レベルの魔術と法術くらいなら、使える。

不意を討っても、高レベル忍者に通じはしないけど、目くらましくらいにはなる。

階段を飛び降り、街を駆け抜け、「そこ」へ向かう。

 

なぜ、「そこ」に向かったのかは分からない。

本能の恐怖に突き動かされ、逃げられそうな場所を選んだだけだ。

でなければ、いくら女主人が永久に消え去り、安全になってきたとはいえ、

<メイルシュトロームの大迷宮>に飛び込むような真似はしなかったはずだ。

ましてや、こんなささやき声を耳にしながら。

「君、魔法使えるの!? ますます惚れ直しちゃった!」

身の危険と貞操の危険、どっちがどっちなのか、もうほとんどわからない状態で、

奇声を上げながら、僕は迷宮に飛び込んだ。

 

 

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