<エンディング 2  地上>

 

「うわあああ!」

――スティルガーはついに悲鳴を上げた。

結婚式の司祭を勤めることになった太っちょの司教は、目が回るような忙しさを味わっていた。

大貴族同士、それも代替わりしたばかりの新当主同士の婚姻、その一件だけでも大変だというのに、

他に二組も同時進行で行なわなければならない。

本来なら、司祭は儀式のみに専念すればいいはずだが、

人手不足の今のリルガミンでは、会場の準備から何からまでスティルガーが指揮しなければならない。

金主の両侯爵家からは、たくさんの人員が出されているけど、いざ当日となると、それでもまるで足りない。

――その上、なぜか二人の新侯爵は、お互いが、

これから夫婦となる相手以外の異性と接することを自らに固く禁じていた。

配偶者以外の異性とは口を聞くことすらしないとは、どれだけ強固な貞節の誓いなのだろうか。

おかげで、花婿の元には男が行き、花嫁の元には女が行って打ち合わせをしなければならない。

そのすり合わせの手間だけも、大変なものだ。

まあ、自分たちでなく、ほかの二組の式の費用まで出してくれるのだから文句も言えないが。

それにしても、暑い。

身体を動かしているだけでなく、精神的な緊張も合い混ざって、汗がとめどなく流れる。

(ええと、祝辞のことばも四度目の変更になったんだよな)

司教は、額をぬぐいながらため息をついた。

「――はい、これ使って」

濡れたタオルが差し出された。

振り返ると、ダジャ――彼の妻が、彼ににっこりと微笑みかけるところだった。

「ありがとう」

受け取って、顔を押し当てる。

ひんやりとした感触が気持ちいい。こりゃ、天国だ。

顔をごしごしと拭き終えると、よく冷やした水が入ったカップが目の前にあった。こりゃ、極楽。

長年コンビを組んでいただけ合って、ダジャはスティルガーに呼吸を合わせる術を心得ている。

まわりに手伝いの人間は何人もいるけど、

汗っかきの司教に濡れタオルや水を差し入れてくれる人間は他にいない。

ダジャは、自分自身も忙しいけれど、スティルガーのことを真っ先に気遣ってくれる。

――スティルガーが、ダジャ――と彼女のお腹にいる、二人の間の子供のことを一番に気遣うと同じく。

呆けたような表情の夫を見て、彼の妻は、くすりと笑った。

それだけで、スティルガーはまたしても世界が薔薇色に染まるのを実感した。

 

「新婦のほうは、まだもうちょっと時間がかかりそうね」

「まだ衣装合わせが終わらないのかい?」

「うーん。あれ、永遠に終わらないわよ?」

「そんな……時間が押しているのに!」

ダジャの報告に、スティルガーは悲鳴を上げた。

「大丈夫。あともう少ししたら、新郎を控え室に押し込みなさい。

結局、あの娘が欲しいのは、あの坊やの一言だけ。

新郎が「綺麗だね」と一言言えば、どんなボロを着ても壇上にあがっちゃうわ」

「そして新郎のほうは、新婦がどんなボロを着ていても魅入られちゃうわけだし」

やってられない、というように首を振った夫をダジャはちょっとにらみつけた。

「結婚式は、女にとって一生に一度の大舞台よ。多少の我がままは大目に見なさい」

「うん……」

「私だって、自分の結婚式当日は、すごくやきもきしたもの」

<暗黒城>の中で結ばれた二人は、迷宮から戻るとすぐに結婚式を挙げた。

それはトレボー王軍の反乱の前のことだったから、

二人はまだ荒れていないリルガミンの教会で式を行い、

すぐにスティルガーが買い上げた田舎の農園に引っ越した。

おかげで、新婚の二人は、リルガミンを襲った混乱の被害を最小限で抑えることが出来た。

スティルガーが準備を整えて城市に戻った頃は、内乱も収まり、

――なぜか街を襲った「敵」の主力は壊滅していた。迷宮の中で何者かによって滅ぼされたという噂だ――

温厚で賢明な司教は、さまざまな問題を抱えるリルガミン市民からひっぱりだこになった。

妊娠が安定期に入ったダジャを呼び寄せ、市の再建に奔走しているうちに、

二つの侯爵家から結婚式の司祭を依頼された。

突然のことに目を白黒させるスティルガーに、家を継いだばかりの少年侯爵は、

彼らの友人で、太っちょ司祭にも縁の深い二組の男女との合同結婚式を行ないたいと言い、

その司祭はスティルガー以外には考えられない、と言った。

両侯爵の「友人」たちは、たしかにスティルガー夫妻にとって縁の深い人間だった。

――女忍者のアイリアンと、侍の雷電。

――戦士ジンスとエルフの女魔術師オーレリアス

かつて<雷電攻撃隊>として悪名を馳せた冒険者は、迷宮内で二人の新侯爵、

つまりアリソンとミッチェルとともに、トレボー王軍と戦った。

アリソンとミッチェルは、雷電たちに深く感謝していると同時に、

彼ら二組の男女が、自分たちと同じように互いのパートナーとの絆を深めた事を感じ、

合同で結婚式を挙げることを申し出たのだ。

 

二人の新侯爵がそれを提案したときの騒動は大変なものだった。

特にアイリアン――ダジャの口喧嘩の好敵手――の動揺と拒絶の反応はものすごいもので、

リルガミンの<冒険者の宿>の夜を震撼させた。

しかし、まあ、すったもんだのあげくに、

最後は一番結婚に積極的になったのがこの女忍者ということも、衆目の一致するところであった。

冒険者を始め、城市の人間は、みなこの結婚式に賛成した。

新侯爵の二人は「敵」の残党を追い払い、リルガミンの復興に尽くした功労者であり、

彼らが結ばれることを祝わぬ市民はいなかったし、

その協力者である雷電たちが幸せになることに反対する者もいなかった。

何より復興期にあるリルガミンは、娯楽に飢えていた。

裕福な侯爵家が、資金と物資を惜しみなく振舞うだろう式典は、

季節の祭り以上の盛り上がりを期待させるものであったし、

たとえそうでなくても、若い英雄たちの結婚式は、理屈なしで明るい未来を予感させる。

今のリルガミンにとって、それはもっとも望まれたものであった。

 

「――まだ始まらないのかい?」

白い礼服を着たジンスが部屋に入ってきた。

その太い腕にぶら下がるようにして花嫁姿のオーレリアスが付いてくる。

「うーん、まだみたいねえ。……ね、ジー君、あっちの部屋で、しちゃおうか?」

蕩けるような瞳で、女エルフがささやくと、ハンサムな戦士は鼻息を荒くした。

「……あっちの部屋でおっぱじめたら、……ぶつわよ?」

ダジャが声を押し殺してオーレリアスを睨む。

その剣幕に女魔法使いは震え上がった。

ジンスの後ろに隠れながら、おずおずと質問する

「じゃあ、そっちの部屋だったら、いい?」

「これで、こめかみグリグリかしらねえ……」

両方の拳を固く握り締めながら言った元女盗賊に、オーレリアスは縮みあがった。

「じゃあ、じゃあ、……向こうの端っこの部屋は……」

「本っっ気で、殴るわよっ!?」

幸せでいつにも増して脳みそが煮え立っている女エルフと、元から脳みそが足りない戦士を、

ダジャは手の関節をぽきぽき鳴らしてにらみつけた。

「――ふふん、あんまり怒ると腹の赤ん坊に障るぞ」

隣の部屋からこの日のもう一人の花嫁が入ってきた。

「アイリアン……ちょっと何よ、その格好!!」

入ってきた女忍者に、ダジャは泡を食った。

アイリアンがまとう清楚な花嫁衣裳は、上半身の部分だけで、下半身は丸裸だ。

股間の茂みもあらわな花嫁は、秘唇から漏れてくる粘液を片手でふき取っているところだった。

「ん、ああ。雷電が私の花嫁姿に欲情してな。なだめるのも面倒なので、一発やらせてやった」

「ちょっと待て、それはちがうぞ。誘ったのはお前のほうからだ」

紋付袴――侍の正装らしい――の雷電が異議を申し立てる。

たぶんこちらのほうが真実に近いのだろう。

見かけによらず、新婦のほうが新郎にベタ惚れのカップルだ。

しかし、ダジャにとっては、どっちが主犯でも変わりはなかった。

怒りにぶるぶると震えながら、雷電たちに詰め寄ろうとする。

その背後で、今度はジンスとオーレリアスが能天気な声を上げた

「わあ、いいなあ。ね、ジー君もあっちでしよっ!」

「そうだな、行くか……」

「い・い・か・げ・んに、しなさいよ、あんたたちぃ〜っ!!」

ダジャは怒髪天を突いた。

「――あ、そうだ。こんなことをしに来たのではなかった。

スティルガー、結婚式、もう一組追加できないか?」

「え?」

「さっき、パンを届けに来てくれた人たちとすれ違ったんだが、

そいつらも、これから結婚式あげるつもりらしい。

――どうせなら、盛大な式にしたほうがいいだろ?」

「うむ。この際だ、飛び入りも認めてやってくれ」

 

「――ええっと、パン屋さん……?」

「は、はい」

急な話に、呼び入れられた旦那のほうはどぎまぎしていた。

無理もない。

リルガミンの新しい英雄たちの晴れの舞台に、主役の一人として同席しろという話が無茶だ。

「結婚式に、出ますか?」

ダジャは、気が進まないようなら取り下げてあげようと思いながら聞いた。

「はい。そうさせていただけるなら――」

だが、妻のほうが間髪要れずに答えた。

「ウインド……」

パン職人だという夫のほうが、驚いたように声を上げる。

ウインド。

いい名前だ。

ダジャは、美女の名前から、温かく爽やかな南風を連想した。

雀や雲雀などの小鳥たちが自由に舞う穏やかな空を吹き抜ける風こそ、この女性にふさわしい。

平凡な若者である夫に不釣合いな――そしてどこまでもふさわしい黒髪の美女は、

優しく穏やかな微笑を浮かべながら、ことばを続けた。

「あの……私たちは、実はずっと前に結婚しているんです。

でも、当時は二人の結婚は認められてなくて、式も挙げられなくて……」

リルガミンを見下ろす丘で、二人きりの結婚式を挙げた美女は、ちょっと目を伏せた。

「……できれば、皆の祝福の声のうちで式をしてみたかったんです」

「ウインド……」

パン職人が、妻の細い肩を抱く。

「……僕からもお願いします。端っこでもいいですから、参加させてください」

夫が深く頭を下げた。

気弱そうだが、最愛の女(ひと)のためならば、いくらでも心を強くできる男だ。

こんな男ならば、ただのパン職人でも絶世の美女を伴侶にしていておかしくない。

「端っこといわずに、堂々と参加しなよ」

ダジャはにっこりと微笑んだ

「いいとも。これから平和になるリルガミンに腕のいいパン職人は大歓迎なんだから」

スティルガーがうなずいて話を決めた。

 

「ん……そろそろ式が始まるよ、ミッチェル」

「うん。でももう少しだけ、二人だけでここに居たいな……」

夫となる若者の胸に抱かれながら、女侯爵は、二人きりの甘い時間に目を霞ませていた。

その背中に手を回したアリソンの手は、数ヶ月前よりも大きくなっている。

トレボー王軍の残党と、混乱に乗じて略奪をはたらいていた悪党どもを蹴散らし、

リルガミンの復興を指揮する中で、気弱な少年は逞しい若者へと急成長を遂げていた。

鼻持ちならない少女が、美しい乙女に変貌を遂げたように。

妻となる女性の肩を撫でながら、アリソンはもう一度ミッチェルの唇に自分のそれを重ねた。

「あ……ん。これ以上はダメよ。――それは、今夜から、ね。今夜から、私の全部、あげるから」

あまりの愛おしさに、雄の本能で胸元に伸びかけたアリソンの手の甲をつねりながら、ミッチェルはささやいた。

迷宮での恐ろしい体験のせいか、異常なまでに「純潔」にこだわるミッチェルは、

その分、今日の婚礼が終われば、そのことば通りに夫に全てを捧げるだろう。

くらくらとする頭を振って、新郎は新婦の手を優しく取った。

群集が待ちかねている、結婚式の場へ誘うべく。

 

 

 

どぉーん。

どぉーん。

どぉーん。

 

豪快な花火が撃ちあげられ、四組の結婚式が執り行われた。

復興を迎えたリルガミンの民たちは、心から彼らの婚礼を祝福し、盛大な宴を楽しんだ。

地獄から黄泉帰った<狂える王>も、<魔道王>も、いつの間にかどこかへ去っていた。

地上には、平凡だが平和な時代がやってこようとしていた。

その喜びを、素直に表しながら、群集は何度も祝杯をあげた。

 

「……ふん」

<冒険者の宿>の一室、ロイヤルスイートルームの窓からそれを見下ろす者がいた。

金の髪の下で、同じ色の美しい眉がしかめられている。

百年前に死んだ独裁者の<天守閣>なきあと、この街でもっとも豪奢なこの部屋は、

その法外な宿泊料のために、長らくその客を得なかったが、

この日あらわれた宿泊者は、小さな都市なら一つ二つ買える金額を即金で支払っただけでなく、

どんな貴族でもそろえられそうもない調度の部屋にあって、その存在を霞ませることもなかった。

この女が立つところ――そこがいつでもその部屋の中心だった。

椅子が、机が、絨毯が、無造作に立つその客のために全てを捧げた。

――まるで王に仕える廷臣たちのように。

「……ふん」

もう一度鼻を鳴らして、窓から離れようとした女は、いつの間にか誰かが隣に並んで立っていることに気がついた。

「――貴様……!」

「いいパレードだね。お似合いの夫婦が四組も。こりゃ、めったに見られる風景じゃないよ」

くすくす笑いながら眼下を指差す美女には見覚えがあった。

「……」

苦々しげに顔をゆがめた女は、それでももう一度窓の外を眺めた。

パレードは、ちょうど宿の前の道を通って行くところだった。

屋根のない荷台の馬車が四台、花婿と花嫁を乗せて石畳の道をゆっくりと通る。

その最後尾の一台に視線をむけた女は、もう一度鼻を鳴らした。

「──永遠に閉じ込めたのではなかったのか?」

つややかな黒髪をなびかせ、穏やかに微笑む花嫁は、かつて女の部下であった。

そして、彼女の隣に立つ魔女が封じ込めた敵でもあったはずだ。

「最強の忍者なら閉じ込め甲斐もあるけどね。──パン屋のおかみさんじゃ意味はないさ」

「奴にかかった<リルガミンの守護者>の呪い――不老不死を含めて、すべて解いたな」

「そうしなきゃ、子供を作れないからねえ。あの娘、二つ返事で同意したよ」

……愚かな、と吐き捨てようとして、女はそれができない自分を悟っていた。

――「生前」の自分、力を求め続けた自分には理解できなかった生き方。

女は、その素晴らしさを、「死後」わずかに垣間見ていた。

「――ま、色々な生き方があるさね」

しわがれ声は、くすくす笑いを伴っていた。

「……でたらめな奴だ。我の切った首まで繋がっている」

金髪の女は、横目で隣の魔女を睨んだ。

包帯を巻いたその白い首は、たしかに彼女が魔剣で断ち切ったはずだった。

「……」

「……」

それきり、パレードが通り過ぎるまでの間、二人は黙ってリルガミンを見下ろしていた。

やがて、金髪の女が、窓辺から離れた。

テーブルの上に置かれた青色のリボン――この部屋に泊まった記念に宿主から渡されたものだ――を取り上げる。

腰に佩いた剣の柄に縛り付けようとしていると、背後から声がかかった。

「――行くのかい?」

「む。――本来ならば、ここに来るつもりもなかった」

眉をしかめようとした女は、しかしそれができず、哀しい色を瞳に浮かべた。

「……それ、そうじゃないさね」

不器用な手つきで剣の柄に<ブルーリボン>を結び付けようとして失敗している女に、魔女が歩み寄った。

<ブルーリボン>を取り上げ、――女の黄金の髪に結びつける。

「貴様……!?」

「うん、お似合いさね。可愛いよ。なくした<サックス>の代わりに、リボン。

あんたも、これで立派な女の子さね」

満足げにうなずく魔女に、金髪の乙女――かつて両性具有の存在であり、

今は全き女となった存在は、食って掛かろうとして、その動作を停めた。

「……似合うか?」

おずおずと問う。

「私が保障するさね。お似合いだよ」

「……そうか」

女は、しばらく考え込んでいたが、やがて微笑んで扉へ向かって歩き始めた。

――髪を止めた青いリボンをそのまま付けて。

魔女が、その後姿に声をかけた。

「……可愛いね。私の娘にしたいくらいだよ」

ドアの前で、女の足が止まる。

「……あの魔女に、我を産んでもらいたくなどは、ない」

意地を張った冷たい声に、<地下4階の魔女>は眉を曇らせた。

無限分の一の偶然で生まれてしまったトレボーほどの<存在>を、

もう一度この世に生み出すには、それだけの力を持った父親と母親が必要だった。

父親がこの世で最高の大魔道士、母親が最強の魔女――ならばそれができるかもしれない。

だが、金髪の乙女はそれを拒否した。

ため息をついた魔女の視線の向こうで、ロイヤルスイートルームの扉が閉められた。

 

「……だが、貴様の腹を借りるというというなら、我慢できなくはない」

 

廊下から聞こえた声に、魔女は弾かれたように目をあげた。

その美貌に、ゆっくりと微笑が満ちる。

「いいとも、私と<私>、それと宿六とで、立派に産んであげるさね。――私の可愛い娘や」

至福の微笑みを浮かべた魔女は、愛しい夫の元へ向かうべく、マラーの呪文を唱え始めた。

 

 

 

ワードナと魔女の物語 完

 

 

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