<クールでウェット>

 

 

「では──別れよう」

クーのことばは、唐突ではなかった。

この一年ほど、何度も何度も話し合っての結論だった。

「……クー……」

「言うな。もう、何も」

彼女が視線をそらすのは、めったにないことだった。

高校の時から付き合い始め、大学卒業、就職――そして一年前からの同棲。

見晴らしのいい東向きのマンションの一室は、

夏でもクーラーが要らないくらいによく風が通る、いい物件だった。

二人暮らしなら、家賃も格安と言っていいだろう。

足掛け十年にわたる深い恋愛がおかしくなり始めたのは、ここで同棲を始めてからだった。

 

別れの原因は──セックスレス。

この一年ほど、クーとのセックスが激減した。

彼女のほうは、今までと変わりがない。

僕のほうの「したい」気持ちがなくなっていったのだ。

なぜかはわからない。

学生時代の、お互いが燃えあがるあの交わりの衝動が遠ざかって久しい。

一晩で二桁を数えたこともある二人の営みが、まさか月単位でゼロになるとは。

「……私は、君がとても好きだ。人間としても、男としても。誰よりも、誰よりも。

だから、いっしょに生活をしたい、という思いと同じくらい、君とセックスしたい」

話し合うべきことがあるとき、クーは決してことばを濁したりしない。

間違えようのない、直接的なことばで話し合いに臨む。

そして、話し合いにしても行動にしても、どこまでも誠実だ。

だから、クーが別れを切り出すということは、もう打つ手も取り付く島もないということだ。

実際、僕の不調を治すために、クーは僕以上に熱心に動いてくれた。

だけど、彼女が調べてくれて通うようになった病院やカウンセリングも結局は役に立たなかった。

そして、リミット──処刑宣告。

 

 

「――私は今でも君のことが世界で一番好きだ。

たぶん、この先、一生君以上に想える相手はあらわれないだろう。

だが、それでも──いや、だからこそ、君が私を「女」と見てくれないのは

……耐えられない」

クーは視線を床に落としたまま呟いた。

「ごめん……」

僕は、うなだれたまま返事をした。

ベッドの中での僕の男根のように、それは元気がなかった。

「謝らなくて、いい。私は、ここを出て行く──部屋は、もう借りてある」

「そう……」

クーはなんでも出来る女性だ。

僕と別れても、仕事も私生活も何も心配は要らないだろう。

「……この部屋よりは随分劣る。狭いし、西日がきついし、エアコンもおんぼろだ。

しかし一人暮らしだ。仕方あるまい」

「僕も、ここ出るよ。一人じゃ家賃も高いし、広すぎる」

「……そうだな。――荷造りをする」

クーはさばさばとした表情で立ち上がった。

全然平気な顔をしているけど、唇が震えていたのがわかるのは、

世界広しといえど僕一人だけだろう。

彼女の乏しい表情の変化を読み取れる人間は数少ない。

──でも、もうそんなことも、意味がなくなってしまうんだ。

僕は心臓が締め付けられるのを感じたが、何もいえなかった。

クーが決めたことは、正しい。

もうどんなにことばを尽くしても、これ以外に

今の二人にとってベストな選択肢はないのだ。

僕は、黙って荷造りを手伝い始めた。

 

 

黙々と荷物をダンボールに入れていたクーが額をぬぐった。

「暑いな。エアコンは──そうか、昨日故障したのだったな」

何かの手違いで、奥の寝室が8畳部屋なのに12畳用のものが付けられているのもこの部屋のいいところだった。

パワーのあるエアコンと、いい風の入る窓を巧みに使い分け、

クーはいつでもこの部屋を快適な空気で包んでいた。

「以前の安アパートではこうはいかないな」

と笑ったのは、入って二日目か、三日目のことだ。――あの笑顔、よく覚えている。

「窓、開けるね」

立ち上がって窓に手をかけたとき、爆音が耳をつんざいた。

たまにやってくる暴走族。

この部屋の唯一の欠点。

この部屋のすぐ下、隣の駐車場でたむろい始めると、音だけでなく排気ガスもすごい。

「……閉めたままにしておきたまえ。煙くさい風が入るよりはマシだ」

クーが眉をしかめて言った。

それから一時間、僕たちは、だまって荷造りを続けた。

運が悪いことに、今日は五月の終わりにしては猛烈に暑い。

閉め切った部屋の温度はどんどん上がっていった。

くそっ!

額の汗が流れて、目に染みる。

涙があふれて、頬を伝うくらいに。

「……」

そんな僕を見ないようにしながら、クーは作業を続けた。

やがて──。

「あとダンボール一個分だな──それで終わりだ」

ぽつりと呟いた彼女の一言を、僕は別の意味にとらえた。

新しい涙が、ぽろぼろと落ちた。

 

 

「泣くな──。泣かないでくれ」

クーの頬にも涙が伝っていた。

くそっ。

何でお互いこんなに好きなのに、好き合っているのに、別れなきゃいけないんだ。

なんでこの娘を失わなきゃならないんだ。

泣きながら、だけど僕はその理由を分かっていた。

僕がクーを抱けないから。

クーを「女」として扱えないから。

だって、彼女を前にしても、僕の分身はうなだれたままで──。

「あれ……」

僕は、ズボンの前を押さえた。

僕のそこは、いつの間にか天を向いて堅くそそりたっていた。

「――どうした……?」

突然黙りこんだ僕に、クーが声を掛ける。

クーの、汗をたっぷり吸った白いTシャツは、うっすらと彼女の身体を透かしている。

その姿が目に入ったのが、引き金だった。

「――」

僕はクーに飛び掛った。

頭の中は、真っ白だった。

何がなんだか、よくわからない。

でも、本能が、それを求めていた。

「なっ──何をっ……!」

飛び掛られたクーは、床の上に押し倒された。

僕は、絞れば汗が滴り落ちそうなTシャツをまくり上げた。

ブラジャーまでぐっしょりとなっている。

もどかしくそれをずらしたときには、クーはもう抵抗するのをやめていた。

 

 

ぴちゃぴちゃ、という音で形容には僕の舐め方は乱暴だった。

舐め上げ、すすりたてるようにして、クーの胸を愛撫する。

塩辛い汗の味には、極上の女の甘い匂いが混ざっている。

「くっ……そ、そんなにっ……」

身体に絡みつくTシャツを引き裂かんばかりの勢いで剥ぎとった僕は、

彼女の白い首筋に舌を這わせた。

そのまま上にずらしていって──唇を求める。

クーは、戸惑ったような表情になったが、すぐにそれを受け入れた。

唇を割って舌を口腔に差し入れる。

クーの甘い唾液が僕の舌に絡んだ。

キスだけは、最近でもよくしていたが、こういうキスは久しぶりだ。

セックスの時の、ディープキスは。

だけど、舌や唇は動きをよく覚えていた。――クーの舌と唇も。

粘液まみれで絡み合う二匹の蛇は、互いの口の中で激しく暴れまわった。

「――」

僕はクーのGパンに手をかけた。

意図を読み取ったクーが慌てる

「だ、だめだ。そ、そこは──汚い。シャワーを……」

「クーの身体に汚いところなんてないよ」

パンティーを脱がして、太ももを押し広げながら僕は答えた。

ああ、いつかもこんな会話したな。

あれは彼女と初めてセックスした時だったっけ?

部活帰りの彼女と、今やっているようにこうやって──。

身をよじるクーの股間に顔をうずめた僕は、彼女のあそこを熱心に舐めはじめた。

 

 

クーの濃密な匂いに包まれながら、僕は彼女の女性器を舌で熱心に愛撫する。

「だ、だめだっ、はずかしいっ……」

彼女が甘い悲鳴を上げる。

「いまさらそんなこと言わないでよ。何度もこうしたじゃないか」

たっぷりとクーの女性器を舐めまわした舌先を、その下にあるすぼまりまで這わせながら答える。

「ひっ、そ、そこは、もっとだめだっ……」

「のけぞりながら言っても説得力ないよ」

そうだ。僕はクーのことを何でも知っている。

こうして舐められるのがすごく好きなことも。

「――っ!!」

ひときわ大きく跳ね上がるように身をよじらせたのは、軽くイッた証拠。

でも、こういうときクーの身体は、すでに次の絶頂のために準備していて……。

「は、入るよ、クー……」

ガチガチに堅くなった男根をあてがいながらささやくと、クーは、こくんと頷いた。

「――くふっ」

「あっ…ああっ……」

潤んだ肉を割って彼女の中に入っていくと、僕たち二人はあえいだ。

お互いの粘膜がからみつく。

他人が聞いたら、漏れ聞こえる分だけでも顔を赤らめそうな

粘液質な交接音と、あえぎ声と、ささやきとが部屋の中に満ちる。

淫蕩な匂いも。

締め切った部屋の中、汗まみれで交わる二人は、大きく燃え上がり、

酸素を求めてのた打ち回りながら、それ以上にお互いの身体を求め合った。

何度も、何度も。

やがて、僕もクーも限界に達し、夕日も落ちて薄暗くなりはじめた部屋の中で

折り重なって倒れこんだ。

 

 

「――君は、汗にフェロモンを感じる人間だったのだな。

それも、濡れたTシャツに欲情する性癖もあわせ持っている」

冷蔵庫から取り出した冷えた麦茶を飲みながら、クーがあきれたようにつぶやいた。

「そういや、学生の頃にしたのは、いつも部活帰りとかだったね」

「前のアパートは、エアコンなしだった」

窓から入ってくる夜風が、肌に心地よい。

暴走族も、どこかへ行ってしまったようだ。

静かな、涼やかな空気は、限界まで燃え尽きたあとに最高のご馳走だ。

ずっと、このままでいたい。

だけど──。

「――」

クーは立ち上がった。

「……残っている荷作りを終わらせよう」

「……うん」

時の流れは、元に戻せない。

さっき彼女が言ったとおり、これを荷造りし終えれば、それで僕たちの時間も終わりだ。

最後のダンボールは、半分くらいしか入れる物がなかった。

「……クー、隙間に、なんか詰めていく?」

「ああ、――これと、これと、これだな」

クーは、僕のコップと歯ブラシと、僕の下着と、僕のパジャマを取り上げた。

「……え?」

「この部屋を解約するのは後にするとして、だ。とりあえず、君は身体一つで新居に来たまえ」

有無を言わせず僕の着替えと洗面用具をダンボールにつめてガムテープ張りをしたクーは、

こちらを向いてにっこりと笑った。

「君と私の新しい部屋は、いい部屋だぞ。――西日がきつくて、エアコンがおんぼろ。

──つまり、君が四六時中、私に欲情していられる部屋だ」

「クー!」

涼しい風の入る部屋の中だったけど、僕は、思いっきりクーに抱きついた。

 

 

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