<或る女科学者の死>

 

死ぬ寸前の病人のもとを訪ねるほど気が重いものはない。

それがよく知っている人間なら、さらに。

……ましてや、別居しているとはいえ、妻ならば、なおさらに。

ツタの這う洋館の上には、鉛色の空が広がる。

今にも雨が降りだしそうな湿った空気と、低い気圧が余計に俺を滅入らせる。

ぽつぽつとコートに水滴がかかりはじめたときには、

すでに玄関にたどりついていたのだけが唯一の救いだ。

ベルを鳴らして案内を請う。

書類上では今でも俺はあいつの配偶者だが、この洋館を自分の家だとは思えない。

結婚してすぐ、いわゆる蜜月の間は、シティのマンションが二人の愛の巣だった。

この家には、休暇の際に来る程度で、俺との間がぎくしゃくするようになって、

あいつは親から相続したこの土地に越していった。

以来、ここには一度も来たことがない。

あいつの家、という認識しかないのは当然だろう。

 

「いらっしゃいませ」

応対に出たメイドロボがうやうやしく挨拶をする。

ひゅう、という口笛の音が自分からしたことに俺は気付いた。

一見して最高級のシステムを備えた機種だということが分かる挨拶だ。

もちろん、既存品ではない。

もとになった型も古く、動きもどこかぎこちないところがある。

だが、目の玉が飛び出るほどの値段が付く大企業のハイエンド機でも、

こんな気品のある動作ができるものはないだろう。

――スペックの問題ではない。

コンピュータが、チェスなら世界チャンピオンにだって勝てるというのに

将棋だとB級棋士にも勝てない理由がなぜか、知っているかい?

将棋がチェスよりも圧倒的に複雑なゲームだからじゃない。

コンピュータのハード性能の問題でもない。

それはプログラムそのものに対する技術力ですらないんだ。

──プログラムを組む人間の、その対象に対する素養。

それが、同じレベルのプログラムに、神と猿とに等しい隔たりを作る。

俺の目の前のメイドロボは、プログラムを組んだ人間が持つ素養がハイエンドじゃなきゃ再現できない気品を見せた。

──そういや、あいつは変人だが、何十代も続いた学者貴族の末裔だった。

人工知能その他もろもろの研究分野で「女神」といわれる稀代の天才女科学者、レイシア=ディオン博士は。

 

「――お久しぶり。お元気だったかしら」

ベッドの上で、レイシアは俺に軽く手を振って見せた。

二年ぶりに会う亭主へのものとは思えない普通の挨拶。――こいつらしい。

「俺は元気だが、お前は──」

「あと数時間の命というところね。――というより、もうリミットはとっくに過ぎているわ。

あなたが到着するまで、無理やり保(も)たせていたの。

……あ。心配しなくていいから。もう痛みも感じないのよ」

レイシアは、ベッドの横に置いてある馬鹿でかい医療器具のほうを目で示した。

そこから伸びる何十本ものチューブが、ベッドの中でレイシアの体とどう繋がっているのか、想像したくもない。

「なぜそんなになるまで放っておいた……」

「研究が忙しくて、ね。おかげでなんとか満足が行くものが作れたわ」

悲嘆にくれるわけでもなく、レイシアは言った。

「……バカヤロウ。研究だろうがなんだろうが、生命より大事なものなんかあるかよっ!」

今日ばかりは怒鳴るまいと思ってきたのだが、声を荒げてしまった。

「……そうね。生命より大事なものはない。

――ええ、そうね。あなたはいいことを言うわ。さすが私の夫、誇りに思います」

うんうんとうなずく半死人を殴りつけたくなる衝動を、俺は必死にこらえた。

命を粗末にして研究に取り掛かっていても、俺と離婚寸前の状態になっていても、

そんなことばを、なんの悪意も含みもなく口にすることができる女だ。

一年前の俺の誕生日の前日。

酔った勢いで、こいつに電話をかけたことがある。

お前と会えなくてさびしい、と。

「──そうなの」という返事とともに、翌日とどいたバースデイ・プレゼントは、

どこぞの技術を駆使して作ったであろう、精緻な女性器型オナホール。

賭けてもいいが、レイシアに悪気があったわけじゃない。

ただ、人の感情の機微を読み取ることができない人種なだけだ。

男女の仲で「さびしい」 → 性行為 → アダルトグッズ。

そういう思考しか浮かばない変人なのだ。

だから、自分の死の間際でも、こんな突拍子もないことを言える。

 

当の本人以上に、動揺し、悲しんでいる相方を、レイシアは不思議そうに見つめる。

俺はため息をついた。

「……なにか言い残したことはあるか」

「ええ。私が死んだら、あれを引き取ってくださらない?」

白磁の美貌をさらに白くした美女の遺言は、あまりにも意外なひとことだった。

「――あれって、……メイドロボのことか……?」

……夫婦の最後の語らいさえそんな調子で、

――翌朝、レイシアはあっけなく息を引き取った。

妻の葬儀を、俺は驚くほど淡々と済ませた──らしい。

「博士が末期ガンだということが知られてなかったら、きっと警察があなたを疑うところでしたよ」

と後輩からあきれられるほどに、俺は取り乱すことなく平静だった──らしい。

二年も別居していた資産家の妻……夫の殺意は十分にありえるということだ。

そう聞いても、俺は別に憤慨もしなかった。誰だってそう勘ぐるところだ。

レイシアを女として愛したことがない人間――つまり、俺以外の世界中すべての人間なら。

何の感情も浮かばぬ無表情で葬儀を行っていた俺に、その間の記憶はなかった。

心の中に渦巻く後悔と、レイシアの面影。

正直、二年もまともに会わなかった妻が死んでも、自分が受ける衝撃は大きくはないと思っていた。

だが、――俺の世界は、すべての色を失った。

 

──俺とレイシアが出会ったのは、大学の頃だから、ちょうど十年前だ。

医療用の人工関節や人口筋肉の技術者をめざしていた俺が、

人工知能の分野で、学生の身ですでに教授連をしのぐ実績を上げていたレイシアを知ったのは、

大学構内にある小川のほとりだった。

「――これが、サクラ。はじめて見るわ」

遠い昔、俺の古い故郷から送られたという淡いピンクの花びらをつける老木を見上げて、

ぶつぶつとつぶやく白衣の娘が、弁当を食い終わって昼寝をしていた俺の足を踏んづけたのがことのはじまりだ。

以来、俺の人生は、ジェットコースターに放り込まれた。

同棲、卒業、それぞれの研究、結婚、そして別居。

これを十年間でやったというのは、我ながら信じられない。

専門分野では世界的権威に上り詰めたレイシアには及ばないとしても、

めざした人工身体の分野でトップグループの技術者になれたことひとつとっても、ほとんど奇跡だ。

いや。自分の道をまい進する、奇妙な情熱と知識欲の塊のような女と付き合えば、

そうしたエネルギーが自然と沸いてくるのかも知れない。

「この女に不釣合いにならないように」なんて考えたことなどなかったし、

もしそう言ったなら、レイシアは「理解できない」といった表情を浮かべるだけだろうが、

少なくとも、生来怠け者の俺に不思議な情熱を与えたのは、レイシアとの出会いだったと思う。

 

はっきり言える。

俺はレイシアを嫌いになったことなどなかったし、レイシアが俺を嫌いになったこともなかった。

レイシアも俺も、最後まで、とことんお互いを愛し合っていた。

特にレイシアのほうは、人とは一風変ったものとはえ、その愛情は濃くそして多量のものだった。

「――私、自分に男女の愛情というものが備わっているとは思わなかった。

世の中の人間に性欲があるのが不思議でしょうがなかったくらい。

でも、帳尻って合うようになっているものなのね」

自分でそう認めるくらい、レイシアは人間に対する感情が乏しく、そして俺にだけ向ける情念は濃密だった。

表現の仕方は、変、の一言に尽きる。

たとえば、あれほど愛情とセックスでお互いを縛ることに熱心だったレイシアが、

二年前に突如として、俺と顔も合わせなくなったのも、

そして、にもかかわらず、彼女の心の中には、それ以前と変らぬ濃さと重さの愛情にあふれていることも、

世界中の誰にもわからなくても、俺は「理解」することができていた。

 

――別居にいたったとき、あいつに尋ねたことがある。

離婚をするつもりなのか、と。

答えは実に心外そうな声のひと言だった。

「――あなたは、そうしたいの……?」

その声音に、苛立ちと不安──そうしたくない、という感情――を感じた俺は、だまって時を待つことにした。

……二人の間がぎくしゃくしはじめた事件の傷が癒えるまで。

だが、その時はなかなか来てくれなかった。

無理もない。

流産と、それによって見つかった致命的な病気による──子宮全摘。

それは、若い二人にとって大きな、大きすぎる試練だった。

「あなたの子どもを産めなくなったのね」

担ぎ込まれた病院のベッドの上で、天井を睨みながらつぶやいたレイシアは、

俺がはじめて見る──つまり、世界中の誰も見たことがない──悔しさをあらわにした表情だった。

退院後、レイシアはいままで以上に研究に没頭するようになった。

それまでの教授職もやめ、実家にある研究所にこもりきりになるくらいに。

俺は、二人の間の絆を信じて別居を受け入れて待った。

だが、その傷が癒える前に、レイシアの身体はさらに深刻な病に冒されてしまっていたのだ。

レイシア。二度とは戻らない、最愛の女との時間。

俺は、――夢の中で涙が流れている自分を悟った。

 

「……」

机に突っ伏した格好で目を覚ますと、あたりは薄暗がりの中にあった。

レイシアの生まれた霧の国の夕暮れ時にはいつまでたってもなじまない。

テーブルの上には、マッカランの空き瓶が転がっている。

もう一つ、これも妻の遺言で作成し、持っているように託されたデスマスクの入った箱も。

科学技術の粋を集めて作成された特殊樹脂性のそれは、

彼女の生前の顔をそのまま切り取ったように精緻――のはずだ。

葬儀が終わった俺は、それを見る気になれず、かと言ってもちろん捨てる気にも、しまう気にさえなれず、

テーブルの上に置きっぱなしにしていた。夢見が悪かったのも、たぶんそのせいだ。

くそ、なんだってあいつはこんな物を作って俺に託したんだ……。

「――酒……」

空になったグラスを眺めながらぼんやりと呟く。

もう一度、アルコールのやさしい忘却の世界に身を浸したかった。

「――だめよ。代わりにこれを飲みなさい」

音もなく置かれたカップ。

俺は、それの中身をすすりこんだ。

ほどよく覚まされた、紅茶。――中に何かのハーブの類が混ぜられている。

二日酔いの胃に優しいそいつを飲み干してから、俺は愕然と目を見開いた。

「――」

「――」

お茶を置いたのは、メイドロボ。

レイシアが遺言で引き取れと言ったやつだ。

「標準的な美人」を模した無個性な造形美は、レイシアとは似ても似つかない。

機械合成の声だって、別物だ。

だが、いまのことば遣いは──。

紅茶を置いた動きの優雅さは──。

あまりにも聞きなれ、見慣れたものだったため、違和感を持たなかったが、

──なぜメイドロボが、それを言える? それをできる?

「……お前……レイシア……?」

 

呆然としたつぶやき声。

あまりにも愚かな問い。

だが、一度口にしてしまうと、激情が同じことばをより強く発せずにはいられなかった。

「お前、レイシアだろっ、レイシアなんだろっ!?」

――死んだ人間が作った人形に故人の面影を見るのはともかく、

本当はまだ生きている、だなんて都合の良い妄想は、今日び小学生だって考えつきやしない。

だが、無言のままこちらを凝視していたメイドロボは、

 

──ため息をついてうなずいた。

 

「……早々にバレてしまったわね。少し驚かせてあげようと思っていのだけど」

くるりときびすを返した彼女は、机の上の箱を手に取った。

中身を取り出す。

そして自分の顔に手をかけ、今まで顔を覆っていたメイドロボの仮面と自分のデスマスクとを交換した。

横からちらりと見える、金属のフレーム。

それに樹脂性のレイシアの顔がはまり……。

「……あ、あ、……あああっ!?」

振り向いたのは、メイドロボではなく──。

俺の妻の顔をした、中身が俺の妻な女。

――つまり、俺の妻、レイシアだった。

「ふふ。当然のことだけど、やっぱり私の顔のほうが、なじむわね」

あごのあたりに手をかけてはまり具合をたしかめながら、うなずいたレイシアは、

呆然としている俺の向かいに座った。

「……いつまで驚いているの?」

「……驚かないわけがないだろう……」

「なーんだ。確信していたのではないのね。……さすがは私の夫、簡単に見破られたかと思ったんだけど。

でも、口調と動作と雰囲気に気がついたのは上出来ね。――及第点をあげる。

あなたって、技術者のくせに全然論理的ではないけど、感情と感覚だけで、

いつだって私以上に私のことを知覚してしまう。――とっても不思議」

口をぱくぱくさせる俺のカップに、レイシアはもう一杯紅茶を注いだ。

震える手でそれを持ち上げ、一気に飲み干す。

少し落ち着いた。

「お前、なんだって……ロボットに……」

「人工知能の研究中に、人間の意識や記憶をそのままダウンロードする方法を開発したの。

ちょうど私の体の死病に気がついた時期だったから、メイドロボに私を「移す」ことにしたわ」

あっさりと言ったレイシアの口調には、ためらいというものが一切ない。

こいつには、生身の身体から機械に変ることについての生理的な嫌悪感と忌避とか、

精神的な葛藤とか、そういうものが全くないのだ。

「――社会的にはレイシア=ディロンは死んだわけだけど、私は別に地位や名誉にこだわりがあるわけではないから。

私は、私の研究とあなたと、そのふたつがあればそれでいいの。

……まあ、今はもうひとつ、重大な目標ができているんだけど、ね」

──こういう女だ。

俺はため息をついた。

こうなると、もはや(どうして事前に知らせてくれなかったんだ)とか、

(俺以外の人間に対しての連絡はどうするんだ)とか言う質問は口にする前に蒸発してしまう。

答えまで予想がつくからだ。

レイシアは、前者に対しては(連絡は後で良いと思った。事実問題なかった)と答え、

後者に対しては、(他に連絡するべき相手は特にいない)と答えるだろう。しれっとした顔で。

 

このメイドロボが、高度なプログラムによって、妻の性格を再現し、

俺に見せてくれている可能性もなきにしもあらずだが──いや、それはないだろう。

レイシア=ディオンという複雑な女の性格を作るプログラムなど、当の本人でさえ不可能だ。

何よりも、俺は、ほんの数分のやり取りで、目の前のメイドロボの中身があいつだということを「理解」してしまった。

今彼女が言ったとおり、俺は、レイシアのことならば彼女自身よりよくわかる。

この件に限って言えば、レイシアは神様をあざむくことはできても、俺を騙すことはできない。

昔、何かの折に会話したことがある。

「――どうしてあなたは私のことがそんなによくわかるの? 私自身が自覚していないことまで含めて」

「……お前の亭主だからな、俺は」

おおよそ非科学的な答えに、レイシアは納得したようにうなずいた。

今、まさに俺の目の前でしたように。

俺は椅子の背もたれに体重を預けながら、見慣れた美貌を眺めた。

「……おい、その分じゃ、それもデスマスクじゃないだろ?」

「ええ。5年前のデータを元に作ったわ。病気にやつれる前の顔であなたと暮らしたかったから」

「……そ、そうか……」

先日見た頬のこけた顔でさえレイシアは美しかったが、

彼女の言うとおり、その頃の彼女はまた格別だった。

ちょうど俺との蜜月の真っ最中ということもあって、

この二年間の別居中、俺がレイシアの事を思いだすイメージは、まさに当時のころのものだった。

なぜか今日一番どぎまぎした俺に、レイシアはいつもの表情でうなずいた。

何に対してうなずいたのかは分からない。これもいつものことだ。

「で、だ。何から話をしたらいいのか──」

俺は、こめかみを押さえながら、「黄泉還った」妻に声を掛けた。

「――それじゃ、一番重要なことからはじめましょうか」

いやになるくらい冷静な声が返事をした。それと、衣擦れの音。──衣擦れ!?

びっくりして目を上げると、レイシアはメイド服を脱ぎだしたところだった。

「ちょ、ちょっと待て、お前!」

「何? 着たままがいいの?」

「ああ、お前のメイド服姿なんかはじめて見るからな──じゃねえ!」

「あら。二年ほど性交渉を持たない間に、あなたの性癖が変ったのかと思ったわ」

「だからそうじゃねえってば! なんで服を脱ぎだすんだ!?」

「え? 私たち夫婦は、セックスの時は全裸ですることが多かったはずだけど……。

やっぱりあなた、自分でも認識しないうちに性癖が変った?」

レイシアは新たな研究対象を見つけた科学者の目で俺を見た。

「だから、何のつもりだ──って、セックスぅっ?!」

俺は、躊躇なくショーツまで脱ぎ捨てたレイシアを呆然と眺めた。

 

「……どうかしら。現在私が持てるすべての技術を駆使して、<私>を再現したわ」

レイシアは、全裸を俺に晒しながら尋ねた。

なめらかな皮膚。細身のくせに豊かな双丘。くびれた腰。楚々とした陰毛まで──それはレイシアそのものだった。

「いやあね。見てほしいけれど、おっぱいばっかりそんなにジロジロ見られたら困るわ」

レイシアは胸乳を凝視している俺をたしなめるように軽く睨んだ。

「なっ、なっ、なっ……」

樹脂製の人工皮膚と、人工筋肉は技師としての俺の商売道具だ。

乳がん患者のための胸部作成経験は無数にある。

あるAV女優の爆乳を再現したことだってあった。

――彼女は現役もそのジャンルで圧倒的な人気を誇っている。

熱心なファンも、彼女の胸が人工物だということに気がついていない。

だが――何百と見慣れた他人の胸と、妻の乳房は別物らしい。

耳まで真っ赤になった俺に、レイシアはくすり、と笑った。

「ふふ。冗談よ。たくさん見てていいわ。それが夫の特権ですもの」

レイシアが人をからかうことはめったにないが、あるとすれば、相手は必ず俺だ。

「でも、正直、このおっぱいは気に入っていないの。他のことに時間を取られすぎて、

後回しにしすぎたことが多すぎるわ、この身体は」

人体そのものをすべて再現した人工ボディはまだ存在していない。

それが為されたとき、人は神の座に付くか、

あるいは、自らが生み出した存在にその座を奪われるかのどちらかだろう。

 

「――大きさと形はなんとか再現できたけど、それ以外のものは要研究ね」

「大きさと形以外に、何が必要なんだ?」

「……感触、重量感、揉み心地、吸い心地。あとは――あなたがベッドでする乳房への愛撫しだいね」

「……」

「それと将来的には授乳機能も研究しなければならないわ。人口乳腺についてはかなり研究が進んでいるけど」

「そ、そうか……」

俺は、頬をぼりぼりとかいた。

「まあ、性的魅力に関しては――あなたの股間の反応を見るに、とりあえずは十分な出来のようね」

レイシアはいたずらっぽくうなずいた。

――その瞳に満足気な光が浮かんでいるのが分かるのは、世界中で俺一人だ。

「それでは、夫婦の営みに没頭することにいたしましょうか」

「ちょ、ちょっと……」

言うなりのしかかってきたレイシアに対して、俺は、床の上に押し倒されるのではなく、

3メートル向こうにあるベッドにもつれこむのが精一杯の抵抗だった。

 

妻との二年ぶりのキスは、無味無臭だった。

当然だろう。樹脂臭を除去した人工皮膚に味はない。

だが、その唇にいつもの甘みを感じたのは、俺の神聖な錯覚だ。

舌を絡める。

いつもよりぎこちない動きで応じる柔らかな舌に、レイシアは眉をひそめた。

「……反応が悪いわね。言語機能を優先して作ったせいだわ。――おいおい整備しなきゃ。

あなたの好きなフェラチオはしばらく我慢してもらうわ。今の私は液体を飲み込むことも出来ない身体なの。

また、あなたの精液を飲めるようになるまでには、クリアしなければならない課題が山積みなのよ」

「ば、ばか……」

冷徹な美貌とは裏腹に情熱的に奉仕する口腔性交は、妻の得意技だった。

「ふふ。幸い、口で愛撫しなくても、あなたのここは十分性的興奮を得たみたいね。

ね。あなたの性器、見せて。――私の新しい身体に欲情したあなたを確かめたいの」

 

爪の先までよく再現された白い手が、俺の股間に這う。

ジッパーを下ろし、器用に中身を取り出す。

だが、掴んだ男根を軽くしごく動作は、かなりぎこちなかった。

「着衣や脱衣の動きは、介護用ロボットの分野ですでに研究が十分進んでいるけど、

さすがにこれは――研究が必要ね」

眉根を寄せるレイシアは、自分の手の動きに不満そうだった。

「人工筋肉と、動作プログラム――いや、腕のフレームからして取り替えなきゃならないかもな」

手での奉仕を受ける俺とは別に、技術者としての俺が、レイシアの動きをチェックする。

「ふふ。白状すると、その辺りは手を抜いていたわ。

生前は、記憶ダウンロードと「もう一つの機能」に手一杯で、そこまでは密に研究できなかった。

――後であなたに調整してもらえばいいと思ってたし」

「ああ。それはまかせておけ」

夫をいたわるのが妻の役目なら、妻をいたわるのも夫の役目だ。

たとえ、片方が生身の体でなくても、それは変らない。

夫婦間の信頼とか、愛情とかというものの根源だ。

――だが、科学者と技術者、夫婦の真摯な対話の間にも、

俺の男性自身は、久しぶりに「妻の手で愛撫されること」に激しく興奮していきり立った。

まあ、これもしかたない。

夫婦は、信頼と愛情に結ばれたユニットだが、同時に牡牝からなるユニットでもあるのだ。

 

「……さすがに二年ぶりのセックスともなると、反応が激しいわね」

みるみる大きく、固くなった俺の男根を見て、レイシアが嬉しそうに笑った。

表情表現の研究は十分だったらしい。――少なくとも、男を一人、完全にぞっこんにさせるくらいには。

「あなたの準備は出来たみたいね。今度は、私の準備の番」

レイシアは、つと立ち上がって、ベッドの脇のキャビネットから大きな包みを取り出した。

「――この部品交換をお願いしたいの」

手渡されたのは、へそから股間にいたる下腹部の部品。

見覚えのある恥毛と性器をそなえたそれは、――レイシアの女性自身以外の何者でもなかった。

「下腹部ユニットは、今、簡易部品で代用しているわ。ほら。ヘアはつけているけど、性器はついていない」

レイシアは自分の股間を指さした。

たしかに、陰毛の下は、女児のような割れ目すらもない、つるつるとした丘だった。

「女性器と子宮。――女として一番大事な部分は、あなたと再会するまで封印していた。

夫であるあなたの手でつけてもらいたかったから……。

あなたに、もう一度私を「女」にしてもらいたかったの」

大学の卒業の日――。

一区切りがつき、大学院へ向けて新しい生活、つまり同棲をはじめた日の夜、

俺はレイシアの処女を奪った。

……もっとも、俺の童貞もレイシアのものになったのだが。

妻は、新しい身体についても、同じように俺に「女」の部分をゆだねる気だった。

ベッドに横たわったレイシアは、自分から大きく足を広げた。

俺はわななきながら、それに近づき、そっと簡易ユニットを取り外した。

 

「ん……。ふふ。こうして見られると、やっぱり恥ずかしいのね。機械なのに」

「……生身だろうが、機械だろうが、俺の嫁だ」

「ふふ。昔もそんなこと言った。「普通だろうが、変人だろうが、俺の女だ」って」

「……」

思い出すと頭の中が沸騰しそうな記憶を押しとどめ、俺は、渡されたユニットを開いた。

特殊鋼とセラミックの合成物からなる人工骨格、特殊ゴムと人工蛋白を主材とした人工筋肉。

それらの合間を縫うようにして敷かれた複雑な配線。

どれも一目見ただけで、製作者の費やした時間と情熱とがわかる、最高級の「人体」。

俺は、それにふさわしい「女」を与えるべく、手を動かした。

裸のままで機具を振るう俺は、今までの人生の中で最高の真摯さと、

それに支えられた集中力、そして技術の集大成を尽くして、レイシアを「完成」させた。

その間中、俺の男根は、限界寸前まで勃起したままだった。

技術者としても、男としても最高の状態でそれを終えたとき、

レイシアは、この上なく幸せそうに微笑んだ。

――俺の手で、自分が「女」となったことを確信して。

 

なかば儀式にも似た「二度目の初夜」というべき作業が終わった後は、なじんだ夫婦の夜の時間だった。

「……」

「どう? 生前の私の物とそっくりでしょ?」

先ほど自分の手で取り付けた性器をのぞきこんだ俺に、レイシアが問いかける。

もう二度と目にすることはあるまいと思っていた愛しい女の性器を前に、俺は唾を飲み込みながらうなずいた。

「これの作成には随分苦労させられたわ。――あなたのせいで」

レイシアは、下から軽く俺をにらみつけた。

「俺の?」

「一年前にモニタリングを頼んだはずだけど、返事がなかったわ」

「……なんだって?」

「あなたの誕生日の前日に電話がかかってきたとき。――覚えてない?」

「……もしかして、誕生日プレゼントのオナホールか?」

「そう。この女性器の試作品を確かに送ったはずよ。依頼の手紙も添えて」

「……読んでねえよ……」

包みを開けた瞬間、妻の思いやりのなさに激怒した俺はそれをゴミ箱に投げ込んだ。

だから、手紙には気付かなかったし、それがただのオナホールでないことにも気付かなかった。

よく見ていれば、それがレイシアの性器だとわかったかもしれないが。

「形状についてはなんとかしたけど、中の具合については再現性を保証しないわよ。

何しろ、私の膣からペニスが受ける感触について知っている人間はあなた一人なんだから、

あなたがモニタリングしてくれなければ、こちらは指で触れた時の感触をベースに作成せざるを得ないもの。

……でも不思議ね。私の身体の一部、しかも生命体として重要な器官でありながら、

それについて私自身よりもよく知っている人間がいるっているのは……」

「不思議じゃねえよ」

俺は、赤く染まった頬を見せまいとそっぽを向きながら答えた。

「……お前の亭主だからな、俺は」

「――なるほど。納得したわ。……言われてみれば、婚姻とは、突き詰めると性行為の相互独占契約ですもの。

私の女性器について、夫のあなたが私以上に具合を知っていてもおかしくはないわ。いや、むしろ当然なのかも」

レイシアは生真面目にうなずいた。

「……ばか」

俺は小声で呟いてから、俺は人工の膣に男根を突き入れた。

潤滑液にまみれた樹脂性の粘膜は、生身の妻のそれと変らぬ快楽を与えてくれた。

「……んんっ……」

レイシアが、目を閉じてあえぐ。

「……感じているの、か……?」

「ええ。フィードバック機能については……まだ連動が甘いけどっ、過去のあなたとのセックスで、のっ、記憶をっ……、

り、利用することで、かなりの刺激を……再現できるの。……だからすごく、気持ちいいっ……!!」

 

ぬちゅ。ぬちゅ。

ちゅぐっ。ちゅぐっ。

よく濡れそぼった女の器官が、猛った男の器官にかき回される音は淫蕩だった。

お互いの身体を知り尽くした夫婦の営みは、こうしたものだ。

「……ふっうんっ…。やはり、あなたとのセックスはいいものね。

自慰行為などとは、比べ物にならないっ……!」

呼吸を乱しながらあえぐレイシアの反応は、生前と変らぬ激しさだ。

性欲がまったくなさそうな無機質な美貌が、淫らにゆがむ姿を独占し続けた俺は世界一の果報者だ。

その独占が、今なお続いている――訂正。俺は宇宙一の果報者だ。

――その果報者は、久々に見る妻の痴態に、爆発寸前だった。

「やばい……いきそうだ」

「そ……う…。――精液は、中に出して……」

「え……あ、だ、大丈夫なの、か……?」

先ほど、まだ液体は飲めない、と言われた事を思い出して聞き返す。

「だいっ、じょうぶ……。それが一番、だい、じ、だからっ」

そうなのか、と言うひまもなく、すさまじい絶頂感がこみあげ、俺はのけぞった。

びゅくっ。びゅくっ。

細い管を濃厚な粘液が通り抜けて行く音さえ、自分で聞こえるほどの射精。

俺の精液は、あますことなく妻の性器の中へ吐き出された。

樹脂と、人工筋肉と、その他もろもろの人工物が集まってできた、――この世で最も愛しい女体の奥深くへと。

 

「――ふふ。さすがは二年ぶりの性行為ね。私の記憶にあるデータの平均よりも、一倍半ほどの量だったわよ。

精子の密度と運動性も申し分ない。――いいセックスだったわ」

「そりゃ、どうも……」

下腹をなでながら、何やら計器を操作していたレイシアが満足気にうなずき、

俺はどう答えていいか分からずそっぽを向いた。

「――ということで、受精はもうすぐね」

そうレイシアが言い出すまで。

「……何が、もうすぐだって……?」

「受精。正確に言うと、受精及び着床、その後の一連の行程――詰まるところ、妊娠のことね」

「な、……な、な、なななっ!?」

「<生命より大事なものはない>。あなたの言ったことばよ。

――私は、あなたの子供を産むために機械の身体に移ったんだから」

最新鋭の人工子宮を持つ妻は、自分の下腹を大事そうになでながら答えた。

――病気によって子宮を失ったレイシアが、病院で真っ先に考えたことは、

現在存在する本物の代用品レベルではない、精緻な人工子宮の開発と、それによる妊娠だった。

俺と出会うまで、結婚というものを考えたことがなかった彼女は、必要となったら人工授精で子供を作ろうとして、

ハイスクール時代から定期的に卵子を採取・冷凍保存していたのだが、

人工子宮の開発と、その若くて性能が良い卵子の組み合わせで、俺の子を妊娠することが可能と結論付けたのだ。

 

だが、彼女の肉体は予想以上に病が進行しており、彼女は、自分の得意分野である人工知能の開発中に発見した

人間意識の人工知能へのダウンロード技術を使用して、機械への「転移」を選択した。

――「性交によって妊娠ができる」子宮と女性器を持った機械への「転移」を。

 

そして――。

 

「……んむっ……ちゅぷっ……」

俺の股間に顔をうずめたレイシアは、新婚時代と同じか、それよりも熱心に舌を使っていた。

はじめはぎこちなかった舌の動きも、行為と調整をと繰り返すことで瞬く間に「生前」のレベルに戻った。

いまではもちろん、口の中に出された精液を飲む下す機能も備わっている。

「……ふうぅ……」

首筋を舐め上げる舌も、負けず劣らずのテクニシャンだ。

こちらは、背後から俺の乳首をつまんで嬲っている。おまけに柔らかな胸を押し付けてきやがる。

「……んっ……んんっ……」

俺の前に仁王立ちになって女性器を舐めさせているレイシアが、俺の頭をそこに押し付けながら切なげにあえいだ。

こないだ完成したばかりの人工愛液は、懐かしい妻の雫の味を完璧に再現していた。

三人のレイシアに責められ、俺はたまらず悲鳴を上げた。

「お、おい、どいつか一人にしてくれ、身が持たんっ!!」

そのことばに、愛用のゆり椅子に座って赤子をあやしていたレイシアがこちらを見た。

「だめよ。「それ」は三人とも私。つまり、あなたの妻たるレイシア=ディロン。

そのうちの一台には、最高の状態に調整した卵子をセットしてあるわ。

――もっと子供がほしいと言ったのはあなたじゃない」

「だ、だけど、お前まで増やせなんて言ってないっ……」

「子どもの世話は、これでなかなか手がかかるものだと認識したわ。

あなたとの性交/妊娠用、また私の性能をアップさせる研究用と検体用を考えると、

最低4台の私が必要と言う結論に達したの。これからもっと増やすつもりよ、――子どもも、<私>も」

 

「……だ、だったらセックスは一人だけに……」

「言ったでしょ、これは全部<私」>だって。

私である以上、あなたに愛情を抱き、あなたとセックスしたいって思うわ。

この体の<私>も、この子が眠り、他の<私>と交代しだい、あなたと性交させてもらうわ」

「そんなっ……」

「でも群体思考システムの導入は大成功だったわね。4体の私を同一思念で操ることによって、

あらゆる事象への試みが相乗効果で数十倍のスピードで成し遂げられたわ」

――すでに生身の女とまったく変らない性能を持つようになった人工女体は、涼しげな微笑を浮かべた。

妻の浮かべる表情の中で一番好きなものを見て、俺は呆然と魅入られそうになり――、

「もちろん、あなたの全面的な協力あってのことだけど。――技術者としても、夫としても」

切なげに吐息をつく、一番愛らしい表情の妻に心を奪還された。

「ふふふ、感謝しているわよ、あなた」

ぐいっと首を引き寄せられて口付けを求める、一番欲情をそそられる妻がささやきかけ、

「だから、今夜も、たっぷり良くしてあげる……」

一番魅惑的な表情の妻がとどめをさすべく、身体を摺り寄せる。

「うわあああああ……っ!!」

俺は絶叫を上げて快楽の淵に沈んでいった。

 

俺は、機械が生身の人間を凌駕したことを最初に知った人間になった。

そう、俺が愛する「女神」が生み出した、人間よりも人間らしい機械たちに抱かれながら。

俺は、人が進化の頂点の座から転がり落ちる瞬間を目撃したのだ。

――だが、そう悪いもんじゃない。

俺の妻は、俺と、俺の子供たちをこれ以上ないと言うくらい愛しているから。

俺と、俺の子供たちが、彼女を愛しているのと同じくらいに。

 

 

 ※妻ロボットの型番は 「21XH−ABYA」 です。(「ロボ、アンドロイド萌えを語るスレ:α5」投稿日のIDがそれっぽかった記念) 

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