<七篠家十三代当主・十三郎>
「──お覚悟くださいね」
向かい合ったときに、百足お銀が最初に言った言葉はそれだった。
それっきり、何も言わず、じっとこちらをみつめている。
(……やりにくい)
七篠(ななしの)家第十三代当主・十三朗は、居心地悪げに身じろぎした。
地獄で<大百足>に封じられていたこの女神を解放したのは彼である。
鉄壁の防御力を誇る鬼は地獄でも屈指の実力者であったが、その正体、銀の瞳を持つ女神は、それ以上に難攻不落だった。
お銀は、天の神の中でもいわゆる保守派、人間との接触を拒み太照天昼子と対立した一派の中心人物の一人である。
「流動的な物事」を極端に嫌う彼女が、政治的な消極性にもかかわらず、高い地位にあったのは、
ひとたび戦いになれば、最高位の神々にも匹敵する戦闘力と、物事に当たって愚直なまでに退かない絶対的な精神力にある。
それは彼女の天上での住処にも表れていた。
古風な造りの邸宅は、あきれるほどに広い。<速鳥>の術を使わねば、奥まで達するのに三日も掛かりそうだ。
山中に埋まる鉱物―金銀鉄の守護者である百足の女神にふさわしい財力の象徴だが、過剰な装飾は一切ない。
しかし、吟味された建材とこれほど広大な館のどこにも塵ひとつ落ちていないことのほうが彼女の性格と実力をよく示していた。
(この女を敵にまわしたら面倒だ)
無表情で、まっすぐにみつめてくる視線だけで、それはうんざりするほどによく分かった。
──十三郎は、交神の儀の経験は多いほうである。
当主であるだけでなく、一族の同世代では際立って優れた素質を持つために、
できるだけ多くの子供を作ることを決められていたので、天上に登るのはこれが四度目の交神になる。
だが、過去に彼が接した女神と比べると、この女神はあきらかに異質だった。
顔立ちは、美しい。意外に幼さを残しているが、顔の造形は、はっきり言って女神の中でもかなり美人の部類に入る。
だが、おおよそ表情というものが浮かばないのでは、女らしさどころか人間味すら乏しかった。
(まるで石か氷でも相手をしているようだよ)
十三郎はため息をついた。
確かに彼女は、石のような鎧を着込んだ氷雪針地獄の主であった。
十三郎は、手持ち無沙汰と言うように、懐や袖口をいじった。
七篠の当主としては初の大筒士の出身の彼の、愛用の武器<戦管大和>は、控えの間に置いてきてしまった。
別に交神の儀に必要なものではないが、会話も続かぬ時間に手元にあればどんなに落ち着くことだろうか。
(──ああ、野分の前の時とか、赤猫お夏の時は、良かったな…)
思わず以前に交わったことがある風と火の女神のことを思い出してしまう。
どきりとするような胸元と、奔放そのものの腰使いが魅力の野分の前と、
油断ならないが、うまくのせれば閨では楽しい相手に変貌する赤猫お夏との交神はすばらしいものだった。
種類は違うが、二人とも、女そのものの色気を惜しげもなくふりまく女神である。
それと比べてしまうと、お銀のさっぱりと纏め上げられた黒髪と、飾り気のない茶色の地味な装束までもがうらめしく見える。
(──交神の相手があの人だったらなあ…)
ふと、十三郎は、自分の初体験のことを思い出した。
十三郎のはじめて交神の儀の相手は、敦賀ノ真名姫である。
七篠家に解放され、親七篠の神々のリーダー的存在になっている彼女は、代々の当主の筆おろし役も務めていた。
十三郎の前の何代かは七篠の血の資質が傾きすぎていたため、彼女はその役を遠慮していたが、彼の代で、またその役に復帰した。
天界屈指の美しさを誇る女神に「女」を教えてもらった自分は、幸運だったのかもしれない。
もともと優しく情熱的な女神であるが、久しぶりに枕席に侍ったこともあって、真名姫の尽くしぶりはすごいものだった。
「私ね、人魚だったころ、見世物小屋でさんざんお客を取らされたんだ。
──でもほら、人魚って下の穴が分かりづらいでしょ?
みんなお口でしようとするから、私、お口でするのがすごく得意になっちゃった。
んん…。イきたくなったら遠慮しないで出していいよ、全部飲んであげるから……」
凄惨な過去を、自分で明るく茶化しながら十三郎の男根を咥える真名姫に、初体験の少年は天にも昇る気持ちで精を放った。
真名姫は、少年の青臭い樹液を、喉を鳴らして飲み干した。
以来、十三郎は口取りが大好きになった。
野分の前もそれが得意だったし、赤猫お夏も舐めることが得意な女神だった。
(でもこの人は、口でなんか、してくれないだろうなあ)
目の前の女神を眺めて、十三郎は、ため息をつきそうになるのを懸命にこらえた。
「──始めないのですか?」
お銀が問うた。感情がこめられない声に、十三郎は自分でも分かるくらい気分の乗らない声で返事をした。
「いえ、始めましょう」
およそ、愛のない交わり。褥の上に横たわったお銀の肢体を見て、十三郎はそう思った。
装束は夜着に着替えてきたが、地味一辺倒のものに変わりはない。
何より、無言無表情のままで天井を見つめている姿に、七篠の当主は、自分の心が急速に萎えていくのを感じた。
(大丈夫だろうな、相棒)情けない話だが、褌の中の男根はぴくりとも動かない。
ひょっとしたら、人生で初めて「女の前で勃たない」という経験をしてしまうかもしれない。
十三郎はお銀の横に添い寝した。
「……」
真横に来た男に一瞥もくれずに、女神はまっすぐ上を見つめている。
処女は、初めての夜を迎えるときは、ただひたすらに天井のしみを数えて時を過ごせばよい、とは
年増女が嫁いでいく少女にもっともらしく吹き込むことだが、この女神は何を考えているのだろうか。
第一この部屋の天井は、年季は入っているが、汚れや染みのかけらも見つからない。
夜着をはだける。大きすぎず、小さすぎず、形の良い胸乳があらわになった。
手を当ててみる。思った以上に柔らかく、肌理の細やかな肌だった。
ゆっくりと揉みはじめたが、──反応はまったくない。
「……」
「……」
無言のまま、夜着の下のほうまではだけていく。
髪と同じく、つややかな黒色の茂みに守られた秘所をさらしてさえ、女神は無反応だった。
(どうすりゃいいんだろ…)十三郎は泣きそうになった。
──ぴしゃ。
遠くで水音がした。
どれくらい長い間、人肌のやわらかさを持った石のごとき女神の身体を愛撫していたのだろうか。
十三郎はその音で我に返った。
──どこかで、その音を聞いたことがある。
あれは確か……。
(──女はね。各々がまったく違う生き物と思いなさい。特に、女神は、ね)
天界屈指の美貌を誇る人魚の女神は、いたずらっぽく笑いながら、初体験を終えたばかりの少年に寝物語してくれた。
透き通るような水面を、その優美な尾で軽く叩いて、水しぶきと、あの水音を立てながら。
(みんな、好きなものも嫌いなものもまったく違うし、その示し方だって全員ちがうわ)
忘我流水道で解放された女神は、年若い七篠の当主の髪をなでながら、様々な事を教えてくれた。
夢うつつの中で何を教えてくれたのか、今まですっかり忘れていたが、不思議とその一節だけは思い出すことができた。
(大嫌い、が大好きの裏返しの女神もいれば、無関心がものすごい執着の裏返しの女神もいるの)
(──大切なのは、表面に見えるものに囚われないこと)
(……私を助けてくれたあなたのご先祖様は、腐りかけた人魚の屍体の中に私を見出してくれたわ)
ぴしゃ。
敦賀ノ真名姫は、優しい水音を立てながら、十三郎にそう教えてくれた。
「……池が、あるのですか?」
水面を叩くその音は、たしかに、魚が跳ねる音に聞こえた。
「──少し離れたところに」
必要な答えを必要最小限だけ返す女神は、天井を見つめたまま、ちょっと考えて続けた。
それがどれほどに珍しいことか、十三郎は知らない。知らないから会話は流れるように続いた。
「──あの池の魚が、夜に跳ねるのは珍しい。私は、はじめて聞きました」
「館の主がそういうのなら、魚ははじめて跳ねたんじゃないですかね」
枕の上でお銀は静かに頭を振った。
「私は長らくここを留守にしていたから、魚はずっと昔から跳ねていたのかもしれない」
「留守──?」
「私は、ずっと地獄にいたから」
「ああ、そう言えばそうでしたっけ」
地獄に落ちたお銀を解放したのは、他ならぬ十三郎である。
しかし、目の前の美しい女神と、巨大なムカデの化物とは容易に結びつかず、言われてやっと思い出した。
まだまだ真名姫の言うところの「表面」に囚われているのかもしれない。
「──」
お銀が、そっと首を動かした。
何か言いたげに唇が動いた──ように思えたが、十三郎は、それを確認できなかった。
お銀の、瞳をまっすぐに見てしまったからだ。
この強力な女神の名は、その瞳の色から取ったのかもしれない。
「……」
胸乳を愛撫し続けていた手が止まった。
はじめて気付いた。──この女神は、今まで見たどんな女よりも、美しい。
十三郎は、吸い寄せられるようにお銀の美貌に自分の顔を近づけた。
美しいものをもっと間近で見たい。本能に近い、そんな想いだったのだろうか。
だとしたら、女神に近づきすぎた十三郎の唇が、お銀のそれに重なったのも、やはり本能だったのだろう。
「あ……」
百足お銀は、はじめて声を上げた。
その声を、十三郎は、もっと強く女神の口を吸うことで封じた。
「んん……」
お銀の目が見開かれた。
陶磁のように白く冷たい頬が、たちまち桜色に染まる。
──ぴしゃ。
どこかで水音がしたが、二人にはもう聞こえなかった。
──ぴしゃ。
どこか満足げに、池の魚はもう一度跳ねたようだった。
口付けを交わしているうちに、相手に変化が現れたことに、七篠の当主は驚いた。
お銀は、あきらかに、変化していた。
石のように他を拒絶していた肌が汗ばみ、上気している。
重ねる唇から漏れる吐息さえも、それまでの無味無臭から甘やかにかぐわしく変わっている。
(──もしかして)
十三郎の脳裏にひらめいたものがあった。
一度唇を離す。桜色に染まったお銀の美貌を見つめながら、口の中に唾液を溜める。
再度口付けした際に、それをお銀の口中に流し込んだ。
「──!!」
効果はてきめんだった。
お銀は目を一杯に見開いた。裸身がびくん、と跳ねた。
「…あ……ああ、あ…」
唇を離さず抱きすくめる。お銀のあえぎ声が十三郎の口の中で溶けた。
お銀は、観念したように目をつぶった。十三郎の唾液を飲み込む。
女神は、断末魔の蟲のようにびくびくと身体を震わせて褥の上に崩れ落ちた。
今まで完全に不感症だった女神が、口付けだけで達したことを悟った十三郎は、憶測を確信に変えた。
お銀は、唾液に弱い。
──古来、ムカデの弱点は人の唾だと言われる。
この女神の化けた大百足には遠く及ばないが、三上山に棲む巨大な百足は、鏃に唾を塗った矢によって斃された。
唾液は、ムカデの硬い殻を弱める力があるとも言う。
お銀には──身にまとった心の鎧を溶かす効果があるのか。
十三郎はお銀の首筋に舌を這わせた。
完全に脱力しきったお銀の肢体が、また跳ね上がる。
金縛りにあった女神をもてあそぶように、お銀の肌をゆっくりと舐め上げていく。
首筋から、鎖骨のくぼみ、肩、腕、指先は一本一本を丁寧に口に含む。
わきの下を唾液まみれにしてやると、お銀は続けざまに気をやった。
十三郎は、自分が<水>の素質が高い半神であることに感謝した。
体液の分泌は多いし、それを調節もできる。お銀の全身に唾液を塗りたくることくらいは朝飯前だ。
「んん──!」
十三郎の唾液を塗りたくられたお銀は、白い肌を羞恥の色に染めて悶え狂う。
胸乳をなぶる。
先ほどの愛撫では僅かな反応さえもしなかった身体が、これ以上がないくらいに乱れる様を十三郎は堪能した。
鴇色の乳首を口に含み、吸い上げると、女神は声を上げてのけぞった。
白い滑らかな腹を、太ももを、足指をくまなく舐め上げた十三郎の舌が、長い旅路の果て、最後の目的地に近づいた。
「──そ、そこは……」
十三郎の意図を悟ってお銀は小さく悲鳴を上げた。
首筋や胸乳を舐められただけで、これほどの官能を与えられているのに、
性器そのものに十三郎の唾液を直接塗りつけられたら、一体自分はどうなってしまうのか。
(本当に狂うかもしれない)
お銀は怯えた。
だが、その怯えには、抗うことのできない甘やかな諦念が混じっていた。
しびれたように力の入らない身体を懸命に動かし、お銀は自分から下肢を大きく広げた。
十三郎は、お銀の白い太ももの奥に顔をうずめて、相手が望んでいることをしてやった。
「ひあっ!!」
お銀が続けざまに達する様は、秘所に吸い付いた十三郎には見えなかったが、唇と舌とで十分に感じることができた。
「ああ、あああ……」
それからの小半時は、お銀にとって地獄と天国だった。
身を焼くような媚薬の原液を身体の外と中に注ぎこまれ、何度も絶頂に導かれる。
麻痺している身体が、純粋な反応だけでうねり、悶え狂う。
これが無言無表情で知られた女神か、と思うほどにお銀の反応は激しかった。
最初は同じ方向に重なるように添うていた二人が、いつのまにか、頭を互いにして仰臥する形になるほどに。
「──」
執拗に自分の性器を責める十三郎の舌戯に霞みきった瞳で、お銀は目の前のものを見つめた。
女神の痴態を見て大きくそそり立った十三郎の男根を震える手で握り、お銀はそれに口付けした。
「──え?」
女神の秘所を夢中になって責めあげていた十三郎は、突然自分の下半身に与えられた快楽に驚愕した。
お銀が、十三郎の男根を口に含んでいる。
今まで経験した女神のそれと比べれば、ぎこちないものであったが、
歯を立てぬように丁寧に舐め上げる舌と唇に、七篠の当主の男性器はたちまち最大限まで膨張した。
──お銀が、自分に口取りをしてくれている。
十三郎の興奮も一気に盛り上がった。
昂ぶりきった気持ちの前では、性技の巧緻など何も関係なかった。
半神の男と女神は、互いの性器をむさぼりあった。
やがて──
お銀がもう何十回目かの絶頂を迎えるのと同時に、十三郎も精をお銀の口の中に放った。
「んんっ──」
<土>の女神は、唇から溢れんばかりの大量の子種を必死に飲み込む。
明らかに、そうした行為に慣れていない女が相手のために努力している様子に、男はどきりとした。
「……は…ぁ」
視線が定まらないお銀が、息も絶え絶えに唇を離す。
お銀の艶やかな唇と、十三郎の男根とが、銀色の糸でつながれる。
十三郎は、女神に抱きついた。
倒れこむように、お銀は褥の上に横たわった。交わりのはじめの如く。
しかし、その潤んだ瞳は、もう天井ではなく、今は十三郎を見つめている。
「……後生…です。お情けを……とどめを…刺してください」
「ええ、僕も──あなたの中に入りたい」
お銀の痴態に十三郎の「男子の大砲」も準備万端だった。
今したたかに精を放ったばかりとは思えない硬度と大きさを保ちながら自分の内部に入り込んでくる
十三郎の男根に、女神は、押し殺した声を上げた。
やがて、その声がすすり泣きに変わり、歓喜の声に変わり、お銀は七篠の当主の子種を自分の子宮に迎え入れた。
後朝(きぬぎぬ)の別れ──。
昨晩の痴態が嘘のように、お銀は自分を取り戻していた。
また無言無表情になった女神に、十三郎は、また声も掛けられずにいた。
わずかに違うのは、二人が朝食の席をともにしていることだった。
昨晩は──たしか、控えの間で休息がてら一人で酒食をとったような気がする。
質素だが身体にはよさそうなものばかりが並ぶ食卓で、ぎこちない時間が流れる。
「──」
椀を空にすると、お銀が手を差し伸べてそれを受け取る。
飯や汁が充たされて戻ってくる椀を受け取り、また食べ始める。
お銀の給仕は完璧だ。
自分の椀に視線を落としている女神は、どう考えてもこちらを見ている風に思えないのに、
十三郎にぴったりと息が合っている。
何か言わなければならないような気がしてならないが、何を言えばいいのか分からない。
そろそろ腹もいっぱいになりつつある。食事が終わり、別れのときが近づいているのに。
──ぴしゃ。
またどこかで、魚が跳ねる音がした。
「──」
「──」
水音に、視線をあげた二人が、今日始めて互いの顔を見つめあった。
どちらからということもなく、ため息が漏れる。何かに観念したように、二人は会話を始めた。
「……おせっかいな人がいるようですね」
「やっぱり、あの人かな」
「たぶん──そうでしょう。あなたに勇気を与え、私に嫉妬させる水音です」
「……嫉妬?」
「あなたの心の中に居る女は、全て私の嫉妬の対象です」
百足お銀は、銀の瞳でまっすぐに十三郎を見つめた。
まっすぐ。
この女神は無口だが、口を開いたときは一切の駆け引きをしない。
「……ええと、その…」
十三郎は困惑の極致に陥った。何か言わなければ──。
「……やっぱり、百足の女神様だね。唾に弱かったんだ」
昨日のことを言おうとして、最悪の言葉を選んでしまったことに、七篠の当主は青くなった。
神に本性のことについて述べるのは一番の非礼に当たる。
唾液を塗られたお銀の反応の美しさや可愛らしさを、どうしたら生々しさを避けて褒めることができるのか、
それに気を取られたあげく、とんでもないことを口走ってしまった。
「──ちがう」
お銀は激しく頭を振った。だが、非礼を怒っている様子ではない。
間違いを知って欲しい、正しく認識して欲しいと強く想う女の反応。
「私は、唾に弱いのではない。──つがいになる男の唾に弱いだけ」
「──え?」
「私が化身した大百足を斃し、解放した人。天上に戻るとき決めていました。──私がつがいを得るとしたら、その人だけ。
拒まれたら、朽ち果てるその日まで私はずっと独り身ですごします。百足は、生涯に一体しかつがいを選ばぬ蟲だから」
「……」
「私は…あなたとつがいになりたい。──あなたは、どうなのですか?」
「……あ、ああ、ええ。──もちろん、喜んで」
反射的に答えた十三郎は、目の前の女神がぱっと喜色を浮かべたのを呆然と眺めた。
よく考えもしないで答えた言葉の重大性に気がついたのは、
お銀が膳をずらし、畳の上に額ずきながら言った言葉を聞いてからだった。
「では──。二人が朽ち果てるその日まで、末永くよろしくお願いいたします。
言うまでもないことだと思いますが、私は天界で最も執念深い女です。つがいとなる以上、──お覚悟くださいね」
七篠十三郎が天界に登って新たな神になったとき、神々たちは震撼した。
すでに一族から多くの神を生み出している七篠から、さらに強力な神が生まれたということも衝撃であったが、
十三郎が神になるやいなや随身を申し出た一人の女神の存在に、天界の派閥、とくに保守派は大きく動揺した。
その女神──百足お銀は、離反をなじる保守派の神々を銀色の瞳でまっすぐとみつめた。
それから、いつもと変わらぬ無表情で、自分はこれから七篠派になるということを淡々と宣言し、
「以後、七篠に害意を抱く方はすべて私の敵となります。──お覚悟くださいね」
と言う一言で締めくくった。
お銀の瞳と言葉には、彼女の長い生涯においていつもそうであったように、まったく揺るぎというものがなかった。
保守派の神々は戦慄とともに、お銀への説得をあきらめた。
この女神は、天地が滅びようとも決して変心しまい。事実、地獄に落とされても自分の信念を少しも曲げなかった女だ。
敵にまわせば、相手の息の根を止めるまで、いつまでもあきらめない。この世で一番厄介な敵になる。
そして百足は、生涯雌雄で行動をする。片割れが殺されれば、連れ合いは必ずその復讐に現れる。
最も小さく弱い種類のものでさえ、つがいを殺されれば、自らの命を捨ててまで何万倍の大きさの人間を刺し、その毒で苦しめる。
いわんや、この最強の女神は──。保守派の神々は身震いして立ち去った。
(……ただし、味方にするのにも覚悟がいるんだよなあ)
先日、神となったばかりの男はひとりごちた。
傍には、無言無表情の女神が常に侍っている。
飽かず倦まず、ただもくもくと彼の世話を焼き続けるお銀にはばかって、他の女神たちは誰一人として十三郎に近づこうとしない。
──ひょっとしたら、自分は貧乏くじを引いたのではないか。
天界に登るとき、好色な女神たちとの悦楽の日々を考えなくはなかった十三郎としては、何となく騙されたような気がしないでもない。
(……だけど、まあ、これはこれでいいか)
そう思い直したのは、今、ちらっと目が合ったときに、お銀が頬を染めて小さく微笑み返したからだ。
すぐに石のような無表情に戻ったが、彼女のそんな表情を見ることが出来るのは天界広しといえど自分ひとりだけだ。
──それに、お銀は、閨の中ではどんな女神よりも可愛い。