<夏の終わりに>

 

「くっ……ふう……」

「う……そろそろいくぞ……」

「――来や。わらわの中にっ!!」

自分の小袖の端を噛んで耐えようとする娘の首筋に唇を這わせる。

何度も試し、覚えた「彼女」の弱点。

「ひっ……!」

のけぞって思わず咥えた小袖を離したところを白いうなじに手をかけて引き戻す。

唇を重ねると、「彼女」は大きく目を見張ったあと、軽く睨み、そして目を閉じた。

同時に射精がはじまる。

どくどくという律動とともに、

肉体的にも心的にも弱いところを次々と嬲られた「彼女」も達する。

はじめてあった頃のように、僕だけがイかされることは、もう、ない。

 

──真夜中の後朝(きぬぎぬ)。

朝までの時間を共に過ごすことがなくなってから、どれくらい経つだろうか。

のろのろと女の肌から離れる動きに、倦怠感が混じる。

「彼女」のほうにも。

いや。

そう言ったら、「彼女」に失礼かもしれない。

ベッドに伏せた美しい女は、僕のような嫌な疲労感を持っていない。

粘膜質な音を立てて自分の中から相方が乱暴に性器を引き抜いたときでさえ、「彼女」は

「あ……」

という綺麗な声で啼(な)いた。

刷毛ではいたように柔毛がうすい翳りの下に、

今しがたの情交で無残に広げられた幼い性器が、粘液をのろり、とこぼしていく。

自分の秘所を見つめるその瞳に、羞恥が浮かぶ。

小袖を翻して桜紙をそこに当てる動作を、僕はもう見ていなかった。

慣れ親しんだ女体を、僕はぞんざいにベッドの上に転がして立ち上がった。

パソコンデスクの前に座る。

電源を入れっぱなしのマシンから、文書ソフトを呼び出した。

 

「――まだ、書き終わらぬのかや?」

ぞろりと、背筋を這い上がるような声にも慣れた。

「ああ」

「遅筆なこと──」

「うるさいよ」

開いた文書ソフトにどんどん文字を打ち込んでいく。

「……」

アイデアがあふれ出す、とはまた違った感覚ですらすらと書ける。

テクニックというほど高尚なものじゃない。慣れの領域だ。

半年も前から書き続けている続き物──。

登場人物の造形がだいたい固まり、眉根にしわをよせなくても、

勝手にしゃべってくれる時期──書き手が一番楽な時期。

すんなりとキーボード上の指が動く感覚は、80点の幸せを僕にもたらす。

──マイナスと、120点を行ったり来たりする感覚は、耐えて久しい。

夜明けに、全知全能を振り絞りながら書いた物語は、遠い過去だ。

さまざまな技巧と経験を積んだ今の僕は、そんなことをしなくても、

あの頃には書けなかったレベルの話を量産できる。

そう──あの娘――<禁断少女>と始めて会った夜の頃。

 

「……なんだ、まだいたのか」

「居て、悪いかや?」

一段落書き終えて投下したあと、僕は、ベッドの上に<禁断少女>が腰掛けたままでいるのに気がついた。

今までないことではなかったが、珍しい。

「悪くないけど……」

のびをして、椅子から立ち上がる。

「彼女」の横に腰掛ける。

禁欲と、そのあとの情交はともかく、こんなのは久しぶりだ。

「……どうした」

「……いや。あの話、まだ書かぬのかえ?」

<禁断少女>は、ぽつりと言い、――僕は息が詰まった。

 

 

 

「彼女」が言う「あの話」とは、僕の最初の作品。

最初に書きはじめ、途中で投げ出した20kbほどの文章。

あまりにひどい出来だったので、途中で書くのをあきらめ、

HNも別のものにして別の物を書き始めた。

それがいくつか感想をもらえるようになり、それが楽しくて書き続けた。

書き続ける中で、僕は色々と小賢しいものを覚え、

幾つかのスレを渡り歩き、――今の僕になった。

 

「いや……あれは書かないよ」

苦い表情になった僕は、<禁断少女>から顔を背けた。

続きは何度も考えたけど、古い作品は、今みると、自分の幼虫を見るような嫌悪感がある。

ここからどう話をつなげればいいのか、全然イメージできない。

「そうかえ……」

<禁断少女>は、ちょっとうつむいた。

「あれを書いてるとき、はじめて君に出会ったから、思い入れはあるんだけどね。

パソコン変えた時に写しもしなかったから、もうデータもない。

投下スレもサーバー移転のときに、飛んじゃったらしいし……」

僕は言い訳のように言った。

「ふむ。わかっておる──」

少女は鼻を鳴らして立ち上がった。

黒の小袖と黒髪が、どこまでも美しい。

「じゃ、またな」

「――また、は、ないのじゃ」

<禁断少女>の返事に、僕は声を失った。

「……え?」

「賞賛でも批判でも感想でも、憑いた書き手が、○×個のレスを受ければ、

<禁断少女>は、<SSの女神>となる。わらわはちょうどその時期でな」

幾つかのスレを渡り歩く中で、それくらいのレスをもらった覚えはあった。

「……見や……」

<禁断少女>は小袖をはだけた。

少女の名に恥じず、薄く幼かった胸乳は、いつのまにか豊かなふくらみをつけていた。

そういえば、最初は何も生えていなかったあそこに、茂みが経たのはいつからだろう。

成熟した女体は──少女ではなく,豊穣の女神の象徴。

「女神となると、一人の書き手に憑いておれぬ。今宵がそなたと最後の夜となろうな」

「……そんなっ!!」

「さらばじゃ。――あの話、続きを読みたかった……」

<禁断少女>は、振り向きもせずに消えた。

僕は、よく識った存在が世界から消えうせたことを悟った。

 

「……」

それから、二週間、僕は何も手がつかなかった。

このあいだまでは、ほとんど自分でコントロールできるくらいに

思った時に呼び出せた「彼女」は、まったく呼びかけに応えなかった。

「ほんとに……消えちまったのかよ……」

そのことばが事実であることを、僕は悟っていた。

「あんなに突然……」

大切なものは、いつだって不意になくなってしまう。

「……くそっ……!」

無視気に掴んでいた枕を投げ飛ばす。

腹いせに投げられた枕は、棚に当たって派手な音を立てた。

 

──からん。

 

プラスチックの物体が、フローリングの床を転がる音。

「……」

視線を落とした僕の目に飛び込んできたのは、ケース入りのフロッピーディスク。

「……これは……」

いかにも古臭いデザインのそれは──昔、僕が文書を保存していたバックアップデータだ。

僕は、震える手でそれをパソコンに押し込んだ。

──冴えないファイル名。

──センスのない分類の仕方。

──のたうちまわりそうなタイトル。

その中に──そいつはあった。

僕のはじめてのSS。

 

 

ドライブを読み込む音――耳に心地いい。

開いた画面は、今のようにカスタマイズされていない──懐かしい。

ずらずらと並んだ文章──恥ずかしいけど……恥ずかしいけど……。

「あ……」

僕は思わず声を上げた。

顔を赤らめるくらいに稚拙な文章は、一人の少女を綴ったSSだった。

 

なんで忘れていたのだろう。

黒い和服の不思議な少女を描いたSSのことを。

これを書き綴った夜、それとそっくりな<禁断少女>と会ったことを。

 

──はじめて街の図書館に行ったとき、感じたこと。

せつない。

僕は、ここにある本を全部読めないんだ。

 

──はじめて有明に行ったとき、思ったこと。

せつない。

僕は、ここのサークルを全部見てまわれないんだ。

 

──はじめてネットにつないだとき、感じたこと。

せつない。

僕は、このサイト群を全部見ることができないんだ。

 

……はじめてほかの人の作品に感動したとき、感じたこと。

せつない。

僕は、こんな物語を書けないんだ。

 

でも、僕は、――僕は、この人には書けないSSを書くことができる。

僕は、今書こうとしているこのSSを書くことが出来て──。

 

それは、図書館にある無数の本のどれにものっていない文章で、

コミケに机を並べたどのサークルを作っていない作品で、

広大なネットの海のどこにもまだ載せられていないSSで──。

 

僕が書かなければ、生まれてこない物語。

僕が書かなければ、生まれてこない少女。

 

カタ、カタ、カタ。

知らず知らずのうちに、僕の手はキーボードに伸びていた。

あの日、出あった少女のことを綴る物語。

あの夏、書き終わることができなかったSS。

でも、今の僕には書けるかもしれない。――たぶん、書ける。

最近の倦怠混じりの80点の作品じゃなくて、

これを書き始めた時の、120点の情熱を持って。

それは、僕以外の誰にも書けない少女の物語なのだから。

初めてのこの作品を、今一番新しいこいつを、僕の最高傑作にしてやるんだ。

 

──きっと、できる。

──どこかで、新米の<SSの女神>が見守ってくれているはずだから。

 

 

 

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