<プレゼントは……>

 

あの人と結ばれてから、もう何年になりますか。

お前がこんな歳になるのですから、随分になりますね。

一代で巨万の富を築いた男の一人娘として、結婚というものにそれほどの期待は抱いてはおりませんでした。

いわゆる新興財閥、その本家の人間として、婚姻とはすなわち政略結婚でしかないことは、

年端もいかぬ少女の頃から悟っておりましたし、また、私の人生はそのまま、そういうものでした。

あの人を婿養子に迎え入れ、契り(ちぎり)を交わしたのちも、それは変りませんでした。

ただ、決められたことを決められたとおりにこなす毎日。

その中で──私は思い上がっていました。

 

──吸収した会社から迎えた婿養子。

あの人──お前の父親を良人(おっと)とした私は、「女主人」の態度を崩しませんでした。

人前では自分が家長であることをことさら強調しましたし、

あの人の知り合いの前で、あの人のことを呼び捨てにしましたこともあります。

あらゆる意思決定の場に出席させながら、また発言を求めたこともありながら、

あの人の意見をことごとく拒否し、あざけり、罵倒して、自分の思うがままに振舞い続けました。

それが、私に許された当然の権利のように。

しょせんは、「成り上がり者の娘」にすぎなかったのですね。

……何百年も家を守り続けた、本当の名門ならば、

迎え入れた婿養子や嫁の力を最大限に引き出すことこそが家の繁栄につながる、ということを心得ていたはずです。

──お前も、一度会ったことがあるでしょう、薙刀の……そうそう、双奈木の御家。

あそこはもう何十代も、女しか生まれなかったそうですが、代々の当主たちは、

決して自分の良人を粗略に扱いませんでした。

いたわり、励まし、二人で手を取り合って外敵に立ち向かい、家を守り続けたのです。

妻は夫を守り育て、夫は妻を守り育てる。

互いが掛け合ういたわりは、人に本来以上の力を与えるのです。

しかし、望んで婿に迎えるような有能な男を萎縮させ、自分の虚栄心を満たすことだけを考える女が、

どれほど卑しいものか、と私が知るのには、――随分と時間がかかりました。

それも、取り返しの付かないあやまちを何度もおかしてから──。

 

──火遊びをしたりすることだけはさすがにありませんでしたが、

私がやっていたことは、よく言われる田舎の家付き性悪娘のようなものでした。

あの頃の私は、「あの人をないがしろにすればするほど自分の価値が上がる」とでも思っていたのでしょうか……。

毎日、顔を見るたびに傷つけずにいられない。

そのくせ、毎日、側にいてもらわなければ気がすまない。

なかなか子が生まれないことを、あの人のせいにして、何度もののしり、

不能者あつかい、無能者あつかいいたしました。

そのくせ、気分のまま、夫婦(めおと)の営みも拒んだりし、

ますます子供を産むことから遠ざかっても、かえってそれであの人を責め立てたりしました。

──私は、あの人にとって、最悪の存在だったのです。

それでもあの人は、この悪魔のような妻に辛抱してくださいました。

心と身体を痛めながら、我慢強く、私を補佐してくれました。

 

そう……。

──私は、どれだけあの人に支えられていたのでしょう。

──どれだけ守ってもらっていたのでしょう。

あの人の心が、ついに破れ、私の元を去ってしまったとき、

私は、すべての物を失ったのを知りました。

──苦しい。

水を飲んでも苦く、食事を摂っては吐き戻し、空気さえも毒となったような生活。

あの人を見ることも、声を聞くことも、触れることもできない毎日。

それが、これほどまで辛く恐ろしいことだったなんて、私は知りませんでした。

廃墟と化したような家から這い出て、

自分の誇りと権力の源である私の会社──愚かにもそう思い込んでいたところ──

にたどり着いた私を待っていたのは、突然、牙を剥いた父の部下たちでした。

あらゆる敵意や悪意から私を守ってくれていたあの人がいなくなれば、

驕慢なだけで、何の実力もない小娘がいいように食い物にされるまでは、ほんの一瞬でした。

女王のような振る舞いは、父と、父亡き後はあの人の庇護下にあってはじめて可能なものだったと思い知ったとき、

私は、すでに会社の代表権さえ失っていました。

絶望にふらふらと外をさまよったのは、――クリスマス・イブの夜でした。

今日のような、よく晴れた、でも夜になると寒い、本当に寒い日でした。

 

ガラス玉と化した目には何も映らず、灰と暗闇が詰まった頭は何も認識せず──。

ただ、幸せそうな人々の間を、惨めに背をかがめてさまよう私が、

色が着いたものを見たのは、何時間もたってからのことでした。

突然、鮮やかな色──それは、優しいベージュ色でしたが、暗灰色の世界ではあまりにも美しく輝いていました。

古着屋の店頭に吊るされたそれは、かつて私のものでした。

 

ベージュのコート。

 

あの人が、去年のクリスマスにプレゼントしてくれたもの。

受け取った私は、良人のセンスの悪さを鼻で笑い、袖を通すこともなく、

あの人の目の前で、使用人に捨てるよう命じたのでした。

それが、まわりまわってここに──。

見誤ることはありません。

身の内から沸き起こる醜い衝動を抑えることもできずに、破いてしまった右の袖口には修繕の跡があります。

あの人が私のために選んでくれた最高級品がこんな路地裏に売られているのは、その破れ──私のせい。

私は、顔を覆って、泣き出しました。

私は、あの人だけでなく、あの人が選んでくれたものにまで、どんなにひどい仕打ちをしたのでしょう。

コートを買い戻す──そんなことさえも出来ない私がいました。

いえ。財布の中にはお金はありましたし、会社での権限は失っても、家産は手付かずに残っています。

新品のコートを何万枚だって買えるのに、

私は、たったその一枚を手にする資格がないことを自分で悟っていました。

ほこりっぽい、冷たい夜風の中にある、それは、

私のような醜く愚かな女が手を触れることさえも許されない過去の幸せでした。

だから私は、――店の前で、泣き続けました。

氷のような石畳の上にしゃがみこんで。

道行く人々に、打ち捨てられたゴミに与えられる視線を投げかけられながら。

そして、目を上げたとき──コートはなくなっていました。

その優しい過去が私の目に触れることさえ、神様はお許しにならなかったのでしょう。

最後の色さえ失った灰色の世界の中で、私は、今度こそ自分の心が壊れるのを覚悟しました。

 

──でも、神様が見捨てても、まだ私を見守っていてくれた人がいました。

しゃがみこんだ私の肩にコートがかけられました。

私は、私が泣き崩れているあいだに店から買い戻してくれた人を呆然と見上げました。

──なつかしい、あの人を。

誰よりも会いたかった、あの人を。

 

先ほど、神様が私を見捨てたといいましたが、本当は神様は見守ってくれていたのかもしれません。

あのコートがあの店にある事を、良人が知ったのも、つい最近のことだったそうです。

気になって、何度も店先に足を運んだあの人が、泣いている私を見つける偶然──。

やはり神様はいたのかもしれません。

そして、こんな傲慢な、嫌な女にも手を差し伸べてくれていたのかもしれません。

あの日、肩にコートをかけてくれた後、立てるように手を引いてくれたあの人のように。

 

ことばもなく、でも何百回もあやまりながら、私はあの人がその時住んでいたアパートについていきました。

冷え切った身体は、コートの優しい温かみで、部屋の中に入る頃は、身のうちが燃え盛るようでした。

そして、あの人と私は、久しぶりに、本当に久しぶりに、ふれあい、夫婦の営みをしたのです。

ああ。

はじめて、自分が何者なのかを知ったあの夜、お前は私の子宮に宿ってくれたのですよ。

あの人は、私の中で何度もはじけ、愛の証が私の一番深いところでひとつになってくれたのです。

結婚してから、今まで、何度も交わったのに、子供が出来なかったのは、

私があの人の愛をないがしろにしていたから、神様が与えてくれなかったのでしょう。

生まれても、「家族」に愛情をそそげない女に子供を産む資格はないのですから。

あの日の夜から──私は、その資格を得たようです。

「この人の子供を産みたい」そう思いながらあの人と交わったあの夜、お前は私たちのもとに来てくれたのです。

あの日、私は、世界で一番大切なものをふたつもプレゼントされたのです。

 

 

……娘や。

お前は、昔の私と同じで、本当に大事な時に素直になれない女だから、母は心配です。

その人のことが好きなら、目をつぶって考えてみなさい。

その人が昨日かわした挨拶が最後のことばになったら──お前はどう思いますか?

今夜はクリスマス・イブです。

どうするかは、お前が決めなさい。

母は、これからあの人と外に出ますから、一人でよく考えて、素直な気持ちで決めなさい。

 

 

──あなた、おまたせしました。

あの子ですか。

大丈夫です。

私と違って、大事なことを間違えたりなどしませんわ。

あなたの娘ですもの。

え。

このコートですか。

いいえ、これでいいのですよ。

もう二十何年も着ていても、袖口が破れてつくろったものでも、

私が一番好きなコートですもの。

とくに、クリスマス・イブには、これでなければなりません。

ふふ。

二人でどこに行きましょうか。

娘も誰かと会いに行くでしょうから、今夜は帰らなくてもいいですわ。

イルミネーションが綺麗ですね。

世界がこんなに綺麗な色に染まっていることを、あの子が気付くのももうそろそろですね。

 

え。

さみしいですか。娘が去って行くのは。

ふふ。それなら、もう一人、子供を作りましょうか──今晩。

毎年、十月生まれの子供ができるのは、なんて素敵なことでしょう。

一番上の娘が、伴侶を得るまでそれが続いてくれるとは思いませんでしたが。

今年のクリスマス・イブも、神様からプレゼントがもらえる気がしますわ。

 

 

 

──あー。……こんばんは。

あらたまって、何?

ん、ああ。……メリークリスマス。

……予定が詰まって忙しかったんじゃないのか?

あ、なんとか終わらせたんだ。

ごめん、こんなことになるとは思わなかったから、プレゼントとか準備してないや。

ご飯食べるにしても、どこも空いてないしなー。

どうしよう……。

え、「あなたと一緒ならどこでもいい」って、……しおらしいね。

何、どうしたの、何か変なものでも食べた?

ま、いいか。

とりあえず、俺の下宿来るかい?

ん……、じゃ、行こうかあ……。

なんだよ、……今日はやけにくっつくね。

なんかあったの?

え、これから起きるって、……何が?

 

 

 

パパー。

おじいちゃんとおばあちゃんって、ほんと仲いいよね。

叔父さんとか、叔母さんとかも、みんな仲良しだよね。

真美、親戚の集まり行くの、好きだよー。

でも、なんでママも叔父さん叔母さんも、みんな十月生まれなの?

真美も十月生まれで、お誕生日みんな近いんだよねー。

なにか、秘密があるの?

 

 

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