<ふうふもの>
(――でね、正志クンは、趣味も食べ物の好みもみんなぴったりだったのに、
秀也さんとは全然合わないの。私がお魚食べたいなーってそれとなく言っている時も、
あの人は焼肉に行こう! とか言い出すし……。
そういう時って正志クンは最初からお魚って言ってくれるんだよねー)
「……じゃ、秀也さんとやらと別れるのが良いんじゃない?」
(でも、でも! 正志クンはあんまり結婚する気がないみたいなのよねー。
それに秀也さんのほうが市役所務めで年収も上なのよー。
やっぱり女は求めてよりも求められて結婚するほうが幸せ、って言うしー)
「……じゃあ、正志クンとやらと別れて秀也さんとやらと結婚すれば?」
いいかげん圭子の話を聞くのも面倒になってきた。
東京での務めを辞め、突然実家に帰ってからは暇をもてあましているらしく、
しょっちゅう電話がかかってくるようになった。
こっちに住んでいたときは、めったに会いもしなかったのだが。
突然のUターンに何かあったのかと思ったが、心配するほどのことはなかったようだ。
彼氏だって二人もできたようだし。
あくびをかみ殺した私は、適当な事を言って電話を切った。
十一時。
そろそろ買い物に出かけないと。
「お昼、何食べたい?」
大きく伸びをしながらリビングに入ってきた夫に尋ねる。
「……ラーメンかな」
気が合う。私もラーメンが食べたかったところだ。
ふふ、正志クンとやらにも劣らない。
やっぱりこの辺は恋人6年、結婚4年、10年も付き合った男女の仲と言うものだ。
だが、その後に夫が続けたことばに、私は眉根をよせた。
「……チャーシューメン。メンマとモヤシたっぷりで」
「……私はキャベツたっぷりのタンメンを食べたいわ」
日曜昼間のリビングで、夫と私は静かににらみ合った。
「ねえ、あなた。最近コレステロールが気にならない?
食生活に野菜が不足していると思わないかしら? タンメンは色んな野菜を一度に取れるわよ」
「いやいや、お前、モヤシは身体にいいぞ。メンマも悪くない。
何よりがっつりとチャーシューを食べる喜びこそ、休日の楽しみだと思わないか?」
「今日はちょっと豚肉って気分じゃないのよー」
「タンメンにだって豚肉入ってるじゃないか」
「あれくらいの豚コマはダシみたいなものよ。
それより、タンメンにだってモヤシはたっぷり入るからそっちにしない?」
「ぜっっったい嫌だっ!!」
最初はお互い猫なで声で交わしていた応酬は、
相手が引く気がないと分かるや、だんだんぞんざいなものに変わって行く。
二分間のことばのキャッチボールは、デッドボールに変わりそうなところで終着した。
決着ではない。
互いに譲らず、だが対立が決定的になる前に交渉を放棄したのだ。
「要するに、片方がタンメン作って、もう片方がチャーシューメン作ればいいのよね?」
「ああ。それでいいんじゃない?」
相手のために引いてやる、という麗しい妥協精神を持たない夫婦は、
二人が違った昼食を作るということで問題を棚上げした。
幸い、新築2年、ローン20年の我が家は、キッチンが広く、
夫と私が同時に料理を作るスペースはたっぷりとある。
(これじゃ、正志クンとやらのほうが上だわね)
ため息をつきながら、買い物に行く。
さすがに悪い、と思ったのか、夫が荷物持ちについてきてくれたが、ちょっと心は晴れない。
麺は袋入りのストックがあるから、買うのはキャベツとモヤシ、チャーシューとメンマ。
それにウーロン茶を箱買いして、お米を10キロ。
ついでに3時のおやつ用に缶入りクッキーを買い込む。
休日にクッキーを手作りしていたのは、はるか昔、同棲時代だ。
最近は、もっぱら夫が気に入っているこのメーカー。
……自分でも、私が作ったのより美味しいと納得してしまうのが悲しい。
「さーて、じゃ、作りますか」
なんとなく気持ちが乗らないのが声にも現れている。
「あなたはそっち使ってね。私、こっち」
夫に通常のステン台を使わせ、私は流しの上に拡張ボードを載せてそこを使う。
共稼ぎの我が家は、夫も家事は得意だが、さすがに私のほうが色々と上だ。
それくらいはまあ、譲ってやってもいい。
モヤシの袋を開け、半分にする。
「……ひげは取ってね」
「んー」
大雑把な夫は取らないで料理したがるが、私は、モヤシのひげ根は絶対に取る。信念だ。
同棲時代にこれがもとで大喧嘩したことがあるから、夫は渋々とだが従う。
手間がかかるけど、絶対にそっちのほうが美味しい。
たとえ、自分が食べない分であってもそうさせるのはエゴかもしれないが、
相方に消化の悪いものを相方に食べさせるというのもなんとなく嫌だ。
二人でやると、ひげ取りの時間も半分で済む。
「さて……」
水ですすいだモヤシをザルにあけた私は、次の食材に手を伸ばした。
「あ、それ、俺の。そっちは、これね」
同じくザルに自分の分のモヤシをあけていた夫が私の手を掴んで止めた。
「え……」
「俺こっち、君そっち。……OK?」
ゆっくり指さしして言う夫の顔をまじまじと見てから、私は苦笑した。
「……OK!」
食材を処理し、スープを作り、麺をゆでる。
「できたわよ」
「こっちもだ」
二人並んでリビングに丼を運ぶ。
テーブルの上に置いてから、お互いの顔を見る。
どちらともなく頷いて、お互いの丼を交換する。
夫には――私の作ったチャーシューメンを。
私には──夫の作ったタンメンを。
「よく出来てるわね、美味しいわ」
「そっちこそ」
「あら、チャーシューもメンマも出来物よ」
「野菜炒めだって誰が作っても同じだよ」
謙遜のことばは素直に出た。
結果として料理時間は同じ手間をかけている。
だけど「自分で作った料理を自分で食べる」のと
「誰かが自分のために作ってくれた料理を食べる」は、まったく別物らしい。
「美味しいね」
「美味しいわ」
買い物前にケンカ寸前の会話をしたのと同じ人間とは思えない穏やかな会話が食卓を包む。
ちょっと大げさなくらいにお互いを誉めあって、
「はい、これあげるね」
「じゃ、これお返し」
肉たっぷりの野菜炒めと、チャーシューを交換。
「……チャーシューメンでもよかったかも」
「……タンメンでもよかったな」
ごめんね、までは言わない。
──言わなくたって、お互いわかっているから。
「ふいー」
冷やしたウーロン茶を飲みながら、満足そうに夫がため息をついた。
ご馳走様の後で、丼を流しに片付け、リビングでくつろぎ始めたところだ。
「ふふふ」
「なんだい、突然笑い出して」
「ううん、なんでもない。うふふ」
圭子の恋人の正志クンとやらは、女心は読めてもこんな解決方法を思いつかないだろうし、
秀也さんとやらは、こんなに相手のハートを掴んだりすることはできないだろう。
結論。
時々憎たらしいけど、私のダンナは最高だ。
「うふふ」
もう一度笑って私は夫に擦り寄った。
軽くキスをしてから耳元でささやく。
「ね。――セックスしない、あなた?」
「ん……あむ……」
食後のお茶を楽しむソファは、今はシックスナインのためにある。
下になった夫に丁寧にあそこをなめられて、私は身をよじった。
夫はクンニリングスが上手い。
「他の女の子に試したことないから上手いかどうかはわからないよ」と言うけど、
私をこれほどよがらせるのだから、多分上手いのだろう。
もっとも、私のフェラチオも夫に言わせると「すごく上手い」そうだ。
まあ、お互い十年も一つの性器だけを弄っていれば、その扱い方には習熟するだろう。
「んくっ……」
舌を差し込んできた。これはキくのよね。
「んんっ」
お返し。ペニスの付け根の皮をぎゅっと引っ張って、ついでにお玉を袋ごとやわやわとする。
夫の身体がびくん、とするのがわかってにんまりとする。
女房の手並みを思い知ったか。
──と思ったら、会陰を嬲られて私は身体をのけぞらせた。
「ひっ……」
我ながら、可愛い声を上げるものだ。
夫のペニスが、ビクンと脈打って硬度を高める。
妻の反応に、元気さを増したのだ。
こういうのが好きなら、もっと聞かせてあげる。
学生時代からもう何度交わったか分からないけど、新しい発見は尽きないものだ。お互いに。
倦怠期というものも経験したし、一時期に比べればセックスの回数はたしかに減った。
でも、私は夫が好きだし、夫とセックスをしたい。
夫も私のことが好きで、私とセックスをしたいだろう。
表現は緩やかに、穏やかになったけど、お互いに対する恋心と情欲と好奇心は決して減ってはいない。
むしろ愛情を注ぎ足して増えたかも知れない。
身体でつながりたいのは、心がつながっているからだ。
「……ん」
食器を下げたときに取ってきたコンドームの袋を破る。
夫の先端にかぶせて、くるくると根元まで下ろす。
ペニスの付け根が弱点な夫は、コンドームのゴムで締め付けられるのも気持ちいいそうだ。
ソファに座りなおした夫の上で体勢を整える。
「んんっ……」
ゆっくりと腰を沈める。
たっぷりと潤んだ自分の肉の中に、なじんだ肉が入ってくる感触。
この温かさも、この硬さも、私にとってほとんどが予定調和で、少しだけ未知のもの。
今日の夫は、亀頭の表側で私の膣の天井をこすることをメインに考えているようだ。
これはなかなか……。
ちょっと様子を見てから、腰を浮かして相手に合わせて動かす。
「ん、んんっ……」
分泌された愛液がぬるぬると夫のペニスにからみき、淫らな水音を立て始めた。
「あっ」
不意に夫が私の腰を掴んで左右に揺さぶったので、予想も付かないところを突かれた私は声を上げてしまった。
「これ、いいかい?」
ちょっと息を荒げながら、夫が聞いた。
「ええ、いいわよ。気持ちいい」
「俺もすごく気持ちいいよ」
「ね、キス、しよ」
下から突き上げられながら私は身をかがめ、夫の唇を求めた。
ウーロン茶と、かすかに残る、わたしの作ったチャーシューメンの香り。
私の唇は、きっと夫の作ったタンメンの香りがする。
すぐにその匂いにも慣れ、ただ互いの舌と唾液を求め合ういつものキスになる。
息が切れて唇を離す頃、二人は限界に来ていた。
「うう、もう行くっ……」
「いいわ、来てちょうだいっ」
夫の射精は、私の絶頂とぴったりと同じタイミングだった。
「ふふふ」
ソファの上、裸で重なったまま、私はにやにやと笑った。
「何だよ」
「別にー。幸せだなーって思っただけ」
太陽は西に傾き始め、リビングの中に差し込んできている。
陽だまりの中で、ゆったりと裸んぼう。
何も後ろめたいことがない中でのまどろみ。
周りの人たちを裏切りながら地獄の業火の中で掴む快楽に溺れる人もいるけど、
私にはそんなの、いらない。
この陽だまりの中で、この男(ひと)と一緒にずっとずっといる。
自分の食べたいものを我慢して私に合わせてはくれないけど、
私の食べたい物を料理することは厭わないこの人と一緒に。
「うふふ」
もう一度にやけた。
「何だよ」
「ね、もう一回セックスしない?」
答えは聞かなくても分かっている。
もう一回交わって、その後は買ってきた缶クッキーでお茶して、
それから二人で何をしようかな。
あれもしたいし、これもしたい。うん、色々あってちょっと考えどころだな。
まあ、まずは、大好きな人との交歓を楽しむとしよう。
私は夫にキスをしながら、そう結論付けた。
FIN