<孕ませ集中治療室>
「先生、僕はもうダメなんですか……?」
僕の質問に対して、主治医は目をそらし、回答を濁すことで雄弁に答えていた。
転移を繰り返した僕の病巣は、もはや臓器どころか、血液の一滴にまで根付いていた。
もう長く生きられないということは、分かっていたけど、僕は、――それでも死が怖かった。
「……医者として、こんなものにすがるのはよくない、と思うのだが──」
重苦しい沈黙のあと、主治医は奇妙な事を言いながら一枚のカードを僕に手渡した。
「その場所にある病院。――もし、そこに行くことができたら、君は助かるかもしれない……」
紹介状もなし。
電話番号もなし。
住所もなし。
ただ、分かりづらい地図だけが書かれたカード一枚を抱えて、
僕が暑苦しい夜の街を、苦しい息をつきながら歩き回っているのは、そのためだった。
(民間治療か、何かか)
主治医の──いや、サジを投げられたので、もう僕の主治医ではない──の様子に、
僕はそんな予想を立てていた。
怪しげな民間療法や、宗教の類でも、この際かまわない。
ちょっとでも、延命が出来るのなら、この苦しさが薄らぐなら……。
くそ、この地図ときたら、見づらいったらありゃしない。
多分、この角を曲がって……。
「……!?」
不意に、僕は、その目的地に着いてしまっていることを悟った。
石造りの大きな病院の前に立っている自分に気がついて。
<七篠再生科病院>
僕がそう書かれた看板を読むのと、大きな鉄扉が音もなく開いたのは同時だった。
「新来の方ですね。少々お待ちを──」
受付嬢は、無機質な眼を僕にむけて答えた。
その瞳に映った、病み衰えた自分の姿に、僕は眼を背けた。
夜中の病院──中に入れたということも、この時間にちゃんと受付がいたということも不思議だ。
「どうぞ。――貴方の新しい主治医がお待ちかねです」
病状を詳しく説明する前に、女の看護士さんがあらわれて誘導されたのも。
……長い廊下を歩いていくうちに、僕は、ここが普通の病院でないことを確信した。
その証拠に、この東京のど真ん中にあるはずの病院の廊下は、
白い電灯の下……何百メートルもまっすぐに続いていた。
「……ここは、産婦人科もあるんですか?」
どのくらい廊下を歩いたか分からないが、いつの間にか左手に広がっている中庭を見ながら、
僕は先導の女看護士さんに聞いた。
受付譲と同じで、どこまでも整った無機質な美貌がこちらを振り向いた。
「いいえ。当病院は、<再生科>のみの開業になっております」
「だって、あそこに……」
僕は、夜の中庭でたたずんでいる女の人たちを指差した。
ベンチや、芝生の中の小道で涼んでいる彼女たちのお腹は大きく盛り上がっていて
──どうみても妊婦さんだった。
「いいえ。あの方たちは、患者さまではございません」
「――え?」
意外な返答に、僕は聞き返そうとしたが、女看護士さんはまた前を向いて歩き始めてしまった。
やがて──。
「こちらが施術室でございます」
白い扉の前で女の看護士さんは立ち止まり、僕をその部屋の中にいざなった。
<再生科・集中治療室>
そう書いてある部屋に。
「こんにちは。○○君」
集中治療室と言う名のわりに、部屋の中は──ごく普通の診察室だった。
中にいるのが、とてつもない美人の女医さんだったということを除けば。
「あ、あの──」
「わかっています。この病院に来れた、と言うことは、
──あなたの病状はすでに末期、ということですね。
でも大丈夫。この<再生科>は、世界最高の治療法を持っております」
僕の差し出したカルテをちらりと眺めた女医さんは、にっこりと笑って言った。
──日本の最高学府の付属病院がサジを投げた病状が克明に書かれたカルテを見て。
「ではさっそく治療に入りましょう。主治医は私でよろしいですか?
今なら、他にもこんな女医が<空いて>いるのですが」
女医さんは、写真入りのカードを何枚か示して言った。
「え……?」
僕は、そのカードを覗き込んで絶句した。
そこには、顔写真と名前のほかに、一切のデータがなかった。
専攻とか、得意療法とかも。
医者を顔写真で選ぶなんて聞いたことがない。
「え、あ、あの……」
「ふふふ。施術は、どの女医をお選びになっても大丈夫ですわ。みな、──は確かですもの」
「……」
僕は、女医さんが言った単語を一つ聞きもらした。
話の前後からすれば、彼女は「腕は確かですもの」と言ったはずだが、僕の耳はそれをとらえ損ねた。
いや。
僕の耳が確かに別の単語を聞いていたのだが、まさかそんなはずはあるまい。
「――シキュウハ確カデスモノ」
僕の聞きまちがいに決まっている。
「え、ええと、あなたで……いいですか?」
カードにあった女医さんも美人だけど、こうして実物と喋っている分、
僕はこの女医さんの治療を受けたいと思った。
優しそうなこの女(ひと)の声や雰囲気は、僕の好みでもあったからだ。
どこかで見たことがあるような、懐かしい姿。
誰だろう、と考えたが、答えにいたる前に女医さんから話しかけられたので
僕はあわててそちらのほうに集中した。
「ふふふ、うれしいですわ。では、今後、私が貴方の主治医となります。よろしくね」
女医さんは、優しそうな笑顔をさらに深めながら言った。
「は、はい。こちらこそ……」
「では、検査をしましょうね」
「は、はい。じゃ上半身脱ぎますね……」
「あ、服を脱ぐのは後でいいですよ」
「……え?」
僕が驚いて顔を上げると、そこには女医さんの美貌が間近にあった。
「――!?」
声を上げる前に、女医さんのかぐわしい息がかかって、唇が、重なった。
「むぐうっ!?」
驚きの声は、女医さんの口の中に吸い込まれた。
女医さんの舌が僕の唇を割って差し込まれる。
ぬるぬるとした粘膜の肉塊が、僕の舌と口腔を弄ぶ。
いや──それは、僕のもっと深いところにゆっくりと入り込んだ。
「!!!???」
どこかで、肉の隙間を、骨の隙間を縫って何かが侵入していく感触。
それが繊細さと優しさをもって隅々までを探る感触。
──それが、僕の頭蓋骨と、心臓と、どこか奥深くの内臓で感じられたのは幻だったろうか。
気がつけば、僕は呆然と患者用の椅子に腰掛けたまま、
カルテに何かを書き込む女医さんを眺めているところだった。
「……あ、あの……」
「はい、検査は終わりましたわ」
カルテを書き終えた女医さんは、眼を上げて、にっこりと微笑んだ。
「……僕の身体は、治るんでしょうか?」
先ほどの不可思議な口付けよりも、死への恐怖が勝った。
僕は、この新しい主治医に質問した。
答えは──。
「いいえ。あなたの身体はもうボロボロすぎて、治すことができません」
前の病院と同じく、無慈悲なものだった。
しかし──。
「……ということで、完治までの入院は、十ヶ月と十日間ということになります」
女医さんの答えには、不思議な続きがあった。
「十ヶ月って、入院って、……助かるんですか、僕?」
「ええ、ここは<再生科>ですわ。どんな患者さまでも再生いたします」
「でも、さっき治すことができないって……」
「ふふふ、治療を受ければすぐにわかります。こちらへ──」
女医さんは、僕を診療台の上にいざなった。
「あ、服は脱いでください。――下着も脱いで全裸で……」
「はい?」
「施術ですもの」
「あ、ああ、はい、そ、そうですね」
全身に転移した病巣から考えればおかしな指示ではない。
そう思った僕は、言われたとおりに裸になったが、
こういうとき、横たわるまでは与えられるバスタオルの類もあたりには見当たらなかった。
「あ、あの……」
「はい、では横になって。あ、手は身体の横に」
「……」
いやらしい意図などない、ここは病院なんだ。
まわりの、見たこともない医療器具の群れを見渡し、僕はそう自分に言い聞かせた。
次の瞬間、それが簡単に破られるとは──。
「うふふ、まだここだけは元気ですわね」
むき出しになった僕の性器を手に取った女医さんに、僕は唖然となった。
「あ、あの──」
「大丈夫。男の子は、ここさえ元気ならいくらでも<再生>できるから」
そういった女医さんは、優しく、そして妖しく微笑んで──。
僕の生殖器に、朱色の唇を近づけた。
ぬめり、という感触。
「うわっ……」
物心ついたころから病魔と闘う青春時代を過ごした僕が、
心の底の暗い部分で憧れ、しかし叶わなかった妄想が、
今、想像以上の快感とともに現実となった。
女医さんが、僕のあれに唇と舌を這わせる姿を、僕はただ呆然と見守った。
「うふふ、準備は十分なようね。あなたのおち×ちん、こんなにビンビン」
唾液の糸を引きながら唇を離した女医さんに、僕は眼を白黒とさせた。
「あ、あの──」
「うふっ、私のお口で最後までいきたかった?」
「!!」
図星を指されて、僕は絶句する。
命の瀬戸際のこんなときだというのに、今日会ったばかりの女医さんの口で果てられなかったことが、
今の僕の最大の関心ごとだった。
「でも、ダメよ。最初の濃い精子は、<治療>に使わないと」
女医さんはくすり、と笑うと自分の白衣に手をかけた。
「あ……」
見る間に白い裸身をさらした女医さんに、僕の破れかけた心臓が高鳴る。
昔、どこかで見た美しい姿──。
「ふふふ、さっき<カルテ>を作った時にわかったけど、あなた、まだ童貞なのでしょう?」
「え、あ──はい」
破廉恥な質問に、診断に対するもののように自然と答えたのは、
女医さんに過去に会った記憶があるか、必死で考えていたからかもしれない。
「<はじめて>が、こんな<再生治療>で申し訳ないけど、我慢してね」
「え……?」
我に返った瞬間、女医さんは治療台の僕の上にのしかかった。
ぬぷり。
たっぷりと濡れた粘膜が、僕の硬く立ち上がった性器を包み込む感触。
「元気ね。もう死にそうな身体だというのに。――だから男の子って好き」
女医さんが妖しく笑った。
「うわわっ……」
押し寄せてくるはじめての快楽に、僕は我を忘れた。
上に乗る女体を突き上げるように腰が自然と動く。
「うふふ、本能ってすごいわね。こんな<はじめて>でも、ちゃんと目的は分かっているもの。
ね、今、あなたの身体、何をしようとしているのか、わかる?」
女医さんは、僕の耳元に唇を寄せた。
「あなた、私を妊娠させようとしているのよ……」
その瞬間、僕は大きく膨れ上がり、女医さんの中に射精した。
同時に、僕の病み衰えた身体は、あちこちで限界に達し──心臓が停止した。
どくん、どくん……。
びゅるっ、びゅるっ……。
もう呼吸さえ出来ずにいる僕の身体の中で、性器と陰嚢とだけが最後の生命活動を行なっていた。
精液を──精子を、今接している女体に注ぎ込め。
それだけが、最後の希望だった。
僕は、急速に霞み始めた目に映る女医さんを見て気がついた。
(コノヒトハ──)
見たことがある気がしたのは当たり前だ。懐かしいのも当たり前だ。
優しい笑みを浮かべた黒髪の美女は──僕が生まれてすぐに死んだ、母さん……。
ふっと、意識が遠くなる。
いや、これは気絶ではなくて、根絶。
僕の意識は、生命とともに消え去った。
「……<施術>完了。患者の経過は、きわめて順調」
歌うように言いながら、診療台の上から女医は身を起こした。
心停止し、横たわる患者の屍体の上から。
「あらあら、抜け殻さんはまだ元気」
ずるりと音を立てて自分の内部から抜け出した患者の性器を見て頬を染める。
こぼれた余分な精液と、自分の蜜液にまみれた男性器は、
「母親」となった女医にとってはちょっと破廉恥なものかもしれなかった。
「――処置を行ないます」
「お願いね。私はこれから<継続治療>に入るから」
いつの間にか診療室に控えていた女看護士たちに指示を出すと、
女医は裸のままの自分の腹をなでた。
──今さっき受精したばかりだというのに、すでにかなりの大きさに膨らんでいる腹を。
「さて、これからが大変ね。十八歳の患者さんを十月十日で<再生>しなきゃならないのですもの」
女看護士たちが、きわめて事務的に運び去っていった屍体
患者の抜け殻と同じ姿の患者を<産みなおす>のは、至難の業だが、女医には自信があった。
彼女は腕のいい──否、子宮のいい女医だったから。
「さあ、私の可愛い患者さん。これからいっしょに頑張りましょうね。
病気のない、新しい健康な身体を<作りなおし>しましょう。――私のお腹の中で」
女医は、彼女の中で小さく動き始めた胎児に呼びかけた。
「うふふ、気にいったかしら、その<病室>。あなた専用の個室だから遠慮なく使ってね。
──さてと、では手始めに、月光をたっぷり浴びに行きましょうか。
潮の満ち干きは、生命を左右させる不思議な力よ。
これから、いろいろなことをしなければならないけど、――母子(おやこ)で力を合わせて頑張りましょう」
女医は、廊下に出ると、向かい側の扉から中庭に出た。
彼女と同じく、大きな腹をした妊婦──女医たちが思い思いに月の光を浴びている。
幸せそうに笑った女医は、愛しい息子──患者の宿った腹をそっとなでると、その群れに加わった。
FIN