<百歩蛇さん>

 

 

残業ですっかり遅くなってしまった。

おまけに雨まで降り出すし。

僕は、小雨をぱらつかせる暗い雲を恨めしげに見上げた。

この手の雲は意外にしぶとい、と昔、燕娘が教えてくれたことがある。

僕はため息をついて鞄の中から折り畳み傘を取り出した。

「んー。バスは……もう行っちまったか」

停留所には誰も並んでいない。

この時間帯ならまだ10分に一本は通るはず。

ベンチは濡れているので座れないのが難点だ。

そろそろこの辺りの停留所も屋根付きに変えてくれたっていいのに。

こういう時、喫煙者にはタバコといういい暇つぶしがあるが、

あいにく僕はタバコを吸わない。

代わりに缶コーヒーでも、と辺りを見渡して、僕はぎょっとした。

僕のすぐ後ろ、<学園>の敷地を区切る長くて高い塀の際に、女の人が立っていたからだ。

茶色縞の地味な和服姿。

僕がそこに人が居ると思わなかったのは、そのせいだったのだろうか。

「あ、あの……」

「……」

その女の人がちょっとふらふらしているように見えて僕は思わず声をかけた。

「具合が悪いんですか?」

「……いいえ。……草履ガ」

見ると、女の人の片足は草履が脱げて裸足だった。

それを地面につけないようにしてバランスを取っているので、ふらふらしているように見えたのだ。

「バスから降りた時に、鼻緒が切レて……」

きょろきょろと辺りを見渡すと、向こうの草むらに草履が落ちているのを見つけた。

 

 

「……こういうときは裸足で歩いてもいいんですよ」

「そうなのですカ。日本舞踊のセンセイに、そういうのはハシタナイと教わったのデ、

どウしようかと困っていまシた……」

ちょっと南方なまりの声は、日本人に良く似ているけど、

この人が異国の人だということを示していた。

街灯の光では分かりにくいけど、肌の色もちょっと小麦色だ。

だけど、顔立ちはとても和風、それも相当な美人だ。

獣人は美女が多いと言うけど、まったくその通りだ。

──街灯の光を反射する彼女の瞳を覗き込んだとき、

僕はこの女(ひと)が人間ではない事を理解していた。

 

K県Y市。僕の住む街は、<獣人特区>だ。

獣人と人間の若者が<共学>する市立学園を中心にして、

人と獣人が共生するモデルタウンとして作られた。

僕は生粋の人間だけど、もともとこの街に住んでいたから、

<特区>化された後も引っ越さずに暮らしている。

獣人を嫌う人間も多いけど、宇宙に飛び出して「進化の壁」にぶち当たった人間にとっては、

はるか昔に捨て去ったはずの「獣の因子」を持つ自分たちの亜種は、

大きな可能性を持つ存在だと思う。

宇宙開発が頓挫した世界政府は、世界中に隠れていた獣人を保護し、集結させ、

次世代の<超人類>が外宇宙への壁を打ち破ることを目指している。

<特区>と<学園>は、そのための大切なゆりかごだ。

……まあ、僕みたいな人間が獣人に甘いのは、きっと獣人の多くが女性だからだろう。

ヒトと獣の因子と言うのは、遺伝子レベルでは共存が難しく、

世代を超えてまでそれを伝えられるのは、根源的な生命力に勝る女性種がほとんどだ。

だから、この街のシンボルである<学園>は、

獣人女子生徒と人間男子生徒の二重の意味での<共学>なのだ。

僕は学園に通うことはなかったけど、街は獣人相手の商売に溢れかえっているし、

獣人自身もそれぞれが普通に仕事をしている。

女の人は学生には見えなかったから、そういう一人なのだろう。

「うん。これなら結び直せる」

まるで時代劇の一シーンだな、と苦笑しながら僕は草履の鼻緒を直し始めた。

「すみまセん」

女の人――<ひゃっぽだ>さんと名乗った──は頭を下げた。

「あ、足、そこのベンチの上に乗せて休んでください。すぐに終わりますから」

「はイ」

手先は器用なほうだ。

二分もかからず、僕は草履を元に戻した。

「はい、これ……」

とそれを渡そうとして、僕は息を飲んだ。

「……」

「……どうしましたカ?」

ひゃっぽださんが、首をかしげた。

ベンチに片足を寄せた異国の獣人は、

異文化交流の証しに身にまとっている和服の構造をよく理解していないらしい。

大きく裾を割って開いた足は、太もものほうまで露になり、

その奥の翳りまで、僕の目に飛び込んできた。

「……ぞ、ぞぞぞ草履……」

ようやく声を出すことに成功し、草履を差し出す。

「ありがとうございまシた」

小麦色の肌の女性は、にっこりと笑った。

ちらりとだが、しっかりと見てしまった女性器を思い出して僕は真っ赤になった。

「お礼ヲ……」

「いやいやいやいや、結構です!」

「でモ……」

ひゃっぽださんは、悲しそうにうつむいた。

「バス亭、いっぱいヒトがいたのに、誰も助けてくれませんデした。

それに、煙草の嫌なにおいがするヒトが多くて……。

いい匂いがする優しい人は、あナただけ……お礼をしたいです」

 

煙草か。

たしかに、ヤニの匂いを嫌う獣は多く、この街で嫌煙権問題は深刻だ。

たしかものすごく煙草の匂いを嫌う動物がいたような気がするが、何だったっけかなあ。

まあ、喫煙禁煙はともかく、バス停にいた人々が困っているひゃっぽださんを助けてくれなかったのは、

多分、彼女が「見えなかった」からだ。

獣人は、時として無意識気に隠形をしてしまう。

この間も<学園>でカメレオン娘が行方不明になって大騒ぎになったが、

教室の自分の机で昼寝を楽しんでいた、というオチがついてきた。

ひゃっぽださんも、因子を持つ獣にそうした本能があり、無意識にそう振舞っていたのだろう。

僕だって、偶然振り向かなかったら、絶対に気がつかなかった。

……そういえば、ひゃっぽださんは、どんな獣の獣人なのだろう。

地味な和服がどこまでも似合う美人の正体に、僕は少し興味を持ったけど、

さきほどのよからぬものを見てしまったやましさに、あわてて頭を振ってそれを打ち消した。

「だ、大丈夫です。もうバスも来ますから……」

「そうデすか……」

ひゃっぽださんはもう一度お礼を言って草履に足を通した。

「あっ……」

そのとたん、バランスを崩して僕のほうに倒れこむ。

「だ、大丈夫ですか?!」

あわててそれを抱きとめた僕は、彼女を支えた腕に鋭い痛みが走ったのに気が付いた。

「ア……」

ひゃっぽださんが、驚いたように僕の腕を見た。

「カ、噛んじゃいまシた……」

倒れた拍子に、歯でも当たったのだろう。

僕の手首の辺りがちょっと切れていた。

ほんの少し血がにじむ傷跡を見る異国の獣人娘の顔が、見るみるうちに強張る。

「大丈夫ですよ、こんなの……」

僕は笑いながら言いかけたが、ひゃっぽださんは、ふるふると首を振った。

「駄目でス。百歩歩いたら、あナた、死んじゃいます」

「え……?」

「私、南の島の<百歩蛇>の獣人でス。毒がすごク強いです……」

──ひゃっぽださんは、百歩蛇さん。

煙草が嫌いな、蛇族の一員で、

噛まれたら百歩歩くうちに死ぬ、という猛毒蛇の獣人だった。

 

 

「……八十五、……八十六。……ここデす」

バス停のすぐ近くにある百歩蛇さんの下宿に解毒剤があると聞いて、

僕は顔面蒼白になりながら彼女についていった。

走り出したいけれど、そうしたら毒の巡りが早くなるし……。

バスに乗って病院に行っても多分間に合わない、と言われたときはどうしようかと思ったけど、

なんとか静かに百歩歩くうちに、道路を渡った向こうの路地にある彼女の家にたどり着いた。

「九十七、九十八……そこに寝てくダさい」

九十九歩目で手早く百歩蛇さんが敷いてくれた布団の上に倒れこんだ僕は、荒い息を吐いた。

「はイ。注射シます」

百歩蛇さんが、冷蔵庫から取り出した注射器を僕の腕に突き刺した。

「コれ、私の毒から作った解毒剤です。

私の毒は本物の百歩蛇より強いかラ、解毒剤も強力。すぐに毒、消えマす」

「ありがとう」

心なしか、気分が良くなった。

ため息をつくと、百歩蛇さんは、もう一本注射を打ってくれた。

血清とかそういうのは、何種類か打って効果を上げるものだと聞いたことがあるような、ないような。

「注射、上手いんですね」

「医者、やってマす。警察ノ、監察医ですけど」

……毒に関してはスペシャリストだもんなあ。

女医には見えない和服姿の美女を眺め、僕は苦笑しようとして、それができなかった。

「……?!」

身体が妙に熱い。

下半身のある一点が痛いくらいに強張るこの感触……。

男なら、よく知っている生理現象だ。

「どうシました?」

ガラス玉のような硬質な美しさを持つ瞳で覗き込む百歩蛇さんに、

僕は必死でなんでもない、と返事をしようとしたけど──。

「……発情、しまシたカ? 二本目の注射は、すごク強い媚薬と痺れ薬のブレンドです」

百歩蛇さんは、そう言って、にこやかに笑った。

 

「ど……うして……」

帯を緩めはじめた百歩蛇さんに、問いかける。

解毒剤同様、即効性なのだろう、身体はすでにしびれて動けなくなっていた。

「……あナた、とてモとても素敵です。優しくて、親切で、逞しくて。

私、あナたに発情しました。あナたと、結婚しタいです」

獣人は、本能が強い分、性欲がストレートだという。ついでに行動も。

「あナたも、私に発情しマした」

百歩蛇さんは、僕の盛り上がったズボンを眺めながら断言した。

「そ、それは今の注射のせいで……」

「その前に、バス亭で。私の足の付け根を見タ時……」

あそこを見てしまったのを、悟られていたんだ。

僕は恥ずかしさに真っ赤になった。

「私、嬉しいデす。蛇に本当は、足、ありません。

でも、あナたは私の足と足の付け根に発情してくれました。

バス停でも、他の人が見えない私を見つけてくレました。

人間の中でも、あナたは私のつがいになレるヒトです」

獣人は数が少なく、多くの人間は彼女たちに偏見を持っている。

人間を含めて繁殖相手を探すのは難しく、獣人の女性は血眼で自分のつがいを探すと言う。

そして、百歩蛇さんが偶然に見つけたその相手は──。

「つがいマす」

するりと茶縞の和服を脱ぎ捨てた百歩蛇さんは、

小麦色の裸身とこげ茶色の尻尾を僕の前にさらしながら宣言した。

するするとすべるように百歩蛇さんが僕の上にのしかかる。

「ちょ、ちょっと待っ……」

「待ちまセん」

百歩蛇さんは、僕の首筋にキスをしながら申し出を拒否した。

耳の後ろやあごの輪郭を、ちろちろとリズミカルに這っていくものがある。

百歩蛇さんの舌だ。

それは、人間のものよりもずっと細くて長くて器用だった。

 

「……すゴく欲情してますネ」

そして精密なセンサーでもある。

百歩蛇さんは、ぴったりと僕に密着した。

和服を着ていたときには気が付かなかったけど、南国育ちだけあって意外に豊かな胸が

僕のYシャツの上で弾力をもってつぶれる。

その感触に、僕の下半身は爆発せんばかりに膨張した。

「脱がしマす」

ベルトを緩めて、パンツごと一気に引き下ろされた。

「すごい、逞しイ」

うっとりしたような百歩蛇さんの声は、僕の両腿の間で聞こえた。

異国の美女に凝視されて、僕のモノは恥ずかしがるどころか、ますます膨張した。

「私の両手で握っテも、頭が出まス。すごク大きい。

私の故郷ノ、王様ヘビにも負けマせん」

ちろり、と細い舌が、僕の性器を這った。

人間では絶対に出来ない繊細な動きの口腔愛撫に、僕はしびれた身体をくねらせた。

「人間の男の人は、こうするとイい、と聞きました」

舌が離れると、ひんやりとした滑らかな何かが男根に巻きつく。

火照った肌に心地よいそれが、ちょっと強めに男根を締めつけながら上下に動く。

「うわあ!」

あまりの快感に僕は声をあげた。

「うふふ、私の尻尾、気に入リましたか?」

再び僕の顔に自分のそれを近づけながら、百歩蛇さんが微笑んだ。

「う、あ、だ、だめえっ、も、もう出るっ……!」

「出してください。あナたの毒液、見せて……」

百歩蛇さんの尻尾の先が優美な動きを見せると同時に、僕は宙へ精液を飛ばしていた。

「すごい……すごい……」

ビクンビクンと脈打つ男根が、白い汚液を噴き上げる姿に、

百歩蛇さんは欲情しきった声を上げた。

「身体に染みこんだ私の毒、全部こうシて抜いてあげます」

尻尾を優しく使いながら、百歩蛇さんはそうささやいた。

「熱いです。それに、家鴨卵の白身より美味シい」

何度も尻尾で僕の男根を弄んだ百歩駄さんは、僕のお腹の上に落ちた精液を掬い取って口に運んだ。

どろどろした白い汁は、百歩蛇さんの大好物より彼女を興奮させる効果があったようだ。

舌なめずりをした百歩駄さんのガラスのような瞳が熱をおびて妖しく輝く。

「……今度はこコに……」

百歩蛇さんは、僕の上で体勢を整えると、女性器を自分の指で割った。

そのまま、僕の男根の先端をあてがう。

さきほど和服の合わせ目から覗いていた花園が、これ以上ないくらいに広げられて、

僕の視線と男性器のために捧げられていた。

「イきます。たくさん出してくださイね」

シンプルでストレートな表現で言いながら、百歩蛇さんは腰を沈めた。

ずぶずぶ。

ひんやりとした柔らかくて湿った通路を、僕の先っぽが突き進んで行く。

そこは内部で何千、何万と言う蛇がくねっているような動きをみせて僕の性器に絡みついた。

「うわあ!!」

僕は打ち上げられた魚のように布団の上でびくびくと跳ねた。

ものすごい射精感が全身を襲う。

まるで身体全体が性器になって百歩蛇さんに飲みこまれていくようだった。

怖いくらいの快感。

人外の存在との性行為。

美しい蛇に生きたまま丸呑みにされる幻想は、僕の脳を甘い毒のようにしびれさせた。

「イいですか? ……もっともっと良くシてあげます」

僕のわななきを知ってか知らずか、百歩蛇さんは妖しく微笑み、自分の尻尾の先端を唇に咥えた。

たっぷりと唾液をからませられた尻尾が、淫らな動きを見せて僕の身体の下のほうへ這う。

「ま、まさか……」

「人間の男の人、不思議です。お尻の奥にゼンリツセンという気持ちいいとコろがあります」

笑みを濃くした百歩蛇さんは、まさに魔性の極み。

ぞくりと背筋を這う快感は、まさしく、蛇。

百歩蛇さんの先端が僕を貫く。

淫らな蛇は、僕の身体の奥まで犯し始めた。

「うわあっ!」

彼女の膣を貫いている僕の性器はたちまち限界を迎え、

僕は、百歩蛇さんの子宮へ大量の精液を噴き出してしまった。

「もっと、たくさん、全部……私にそそいで……」

僕の命のほとばしりを子宮の奥で受け止め、百歩蛇さんがきらきらと目を輝かせる。

「キス、して下さイ」

性器と尻尾でつながるだけでは飽き足らず、唇と舌でのつながりを求めて百歩蛇さんがささやく。

貪欲な蛇に貪られながら、僕はさらにそれに応えようと口を大きく開けた。

ぬるり。

甘い唾液にまみれた長い舌が、僕の舌に絡み付いて捉え、

冷たくて柔らかな唇が僕の唇を奪う。

びゅくっ、びゅくっ!

キスされながら、僕は百歩蛇さんの中にもう一度精液を放っていた。

快感が後から後からわいて出てくる。

百歩蛇さんの毒は、僕の体液をすべて精液に変えてしまう毒なのだろうか。

美しい蛇の女(ひと)は僕の上で淫らにくねり、僕は気を失うまで彼女の中に射精し続けた。

 

「――雨、上がりましタね」

「……最終の深夜バスがまだあるはずです」

百歩蛇さんの下宿を出たのは、それから四時間も経った後だった。

すべての体力を精液に変えて搾り出した身体はずうんと重い。

バス停まで歩く九十九歩の間に、僕たちは無言で問答をしていた。

もっとも問いかけるのは百歩蛇さんだけで、僕は答えを返せないでいた。

(また会えますカ)

(つがいになっテくれますカ)

(私にあナたの卵を産ませてくれますカ)

何百もの問いが、僕に突き刺さるのを感じ、そして僕は無言でいた。

結婚なんて、まだ考えられない。

ましてや、獣人となんて。

人を容易に殺せる毒蛇の娘との婚姻は、平凡なサラリーマンの手に余るものだった。

欲情と粘液にまみれた人外の性交に始まる濃密な関係にしたって、

告白とかメール交換とかから始まる普通の恋愛で育ってきた僕にとっては

異文化どころか、異世界、異次元だ。

姿は似ているけど、住む世界が全然違う二人。

それが人間と獣人なんだよ……。

 

 

バス停についた。

はるか向こうの坂に、深夜バスのライトが見えた。

「……それジャ……」

ぺこりと頭を下げた百歩蛇さんと遠くのバスの影を交互に見つめ、

──僕は、百歩駄さんを抱き寄せた。

「え……」

あごに指をかける。

ちょっと涙がにじんでいた瞳は、驚きに大きく見開かれている。

百歩駄さんが何か言う前に、僕はその唇を奪った。

舌先で、鋭い牙をなぞる。

舌先が傷ついた鈍い痛み──決意の証。

「……あ……」

「……また、毒もらっちゃったね。ここから九十九歩で毒を抜けるところ、ある?」

「……ありまス!!」

百歩蛇さんは、涙がにじんだ瞳のままでにっこりと微笑んだ。

 

バスは客が居ない停留所を通り過ぎ、二人は今来た道を引き返した。

今日は、朝帰り。

いや──。

これから奥さんになる女性のところに泊まるんだから、朝帰りではないかもしれない。

 

 

 

FIN

 

 

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