一日一東方

二〇一〇年 七月二十九日
(非想天則・非想天則)

 


『ぼくらが非想天則』

 

 

 早苗は立っていた。河童が主催する未来水妖バザーの正面入口に。
 勇ましい彼女を見下ろす、洩矢諏訪子原案のロボット型アドバルーン、非想天則。その無機的な視線に押されぬよう、早苗は力強く眼差しを返す。
「早苗、なるべくじっとしてなさいよ」
「勿論ですよ。もう子どもじゃないんですから」
「どうだかねー」
 早苗に少し遅れて、神奈子と諏訪子も姿を現す。神奈子は、注連縄も外しいてて随分と身軽な印象を受ける。諏訪子に至っては、おおよそいつもの調子である。
「ま……止めはしないけど。気を付けて行って来なさい」
「はい。わかってます」
「どうだかねー」
 いちいち茶々を入れる諏訪子に、早苗はわざとらしく唇を尖らせておいて、全てを振り切るように駆け出していく。少女が目指すはただひとつ、ロボットの型に嵌められたアドバルーン、非想天則である。
 せめて飛べばいいものを、人妖の目がある中を我武者羅に走り抜けていく。青春だねえ、と諏訪子は他人事のように呟き、神奈子は黙って肩を竦めた。注連縄がないぶん、肩が軽くなったと思いきや、早苗の暴走で要らぬ気苦労を背負ってしまったようだ。
 早苗がバザーに行きたいと告げた時から、薄々勘付いていたことではあるが。
「……ま、しょうがないか」
「まあ、早苗だしね」
 含みのある言い方だが、否定できないのが辛いところだ。
 東風谷早苗、存外に業の深い人間である。
 でなければ、現人神ではいられないのだろうか。

 

 

 大地に立った非想天則の真下では、何名かの河童が和やかに談笑していた。
 早苗は物陰から彼女たちの姿を確認し、その中のひとりに焦点を合わせる。
 そして茂みから飛び出すと同時、見知った顔に駆け寄っていき、逃げる間も与えず、握り潰すくらいの勢いでその手を掴む。
「にとりさん!」
「いや痛いから。痛い。離せ。即座に」
「非想天則の秘密……教えてもらえませんか」
「いやだから離せって。捻るんじゃない、いだだだだ! おい、こら、関節はそっちには曲がんねぃ、でででで!」
「ぎゃー! にとりがやられたー!」
「盟友だー! 盟友がまたやらかしたー!」
 にとりの背後を取り、人質を盾にして悠然と話し始める早苗。
 気分が高揚しているのか、悪党の真似事も随分と堂に入っている。
「ご覧の通り、河城にとりさんの命は私の手のうちにあります。彼女を渡してほしければ、非想天則のコックピットを直ちに解放してください」
「うう、そんなものはないよう。離せよう」
「おい、にとりが泣いているぞ!」
「天狗からカメラ借りてきたよ!」
 ぱしゃぱしゃと、泣き顔をカメラに収められる哀れな河童、河城にとり。
 特に悪いことはしていないのに、踏んだり蹴ったりもいいところである。
「うう……あんまりだあ……」
「ごめんなさい、でも、どうしても見てみたくて……非想天則の操縦席が」
「だからそんなものないんだってば……あと腕いたい。離せ」
 腕の関節を極める理由もなくなったので、河童の涙に免じてにとりを解放する。にとりはしばらく恨めしそうに早苗を睨んでいたが、早苗が全く意に介していないことを察すると、諦めたように溜息を吐いた。
「……全く、強引なのが喜ばれると思ったら、大間違いだからね」
「何ですか、前フリですか」
「ちがうよ。にじり寄ってくるなよ。こわいよ」
 びくびくしながら後退するにとりは、いじましくも可愛いらしい。しおれたにとりをフレームに収めていた河童たちも、同じ感想を抱いていたようで、早苗の後ろからカメラを片手に接近を開始する。
「おまえら……」
「さあ、教えてもらいましょうか。秘密にしても、いいことはありませんよ……?」
 ごくり、と唾を飲み込み、にとりは早苗が伸ばしてくる手を力無くぱしぱしと叩き落とす。
「別に、秘密にはしてないけどさ……中に入ったところで、ただの空洞だよ。そりゃあ、位置や面積から判断して、コックピットと考えることもできるだろうけど」
「あるんですね」
「あるけど……え、入るの?」
 早苗は、決意を胸に秘めて力強く頷く。
 にとりはどういう顔をすべきか迷ったが、とりあえず早苗の後ろからシャッターチャンスを狙っている河童のカメラを叩き落とした。
「ぎゃー! カメラがー!」
「ころされる、天狗にころされるぞー!」
 その時、河童に衝撃走る。
「私が言うのも何ですが、みなさん河童の中でも選りすぐりの技術者なんですよね」
「うんまあ、眼鏡を掛けされたら右に出る者はいないよ。みんな視力はいいもんだから、誰も掛けようとしないんだけどね」
「でも、眼鏡を掛けたにとりさんの写真は高く買い取ってくれそうです」
「私もそんな気がするよ……」
 カメラ破損に慌てふためく技術者たちを一瞥して、にとりは深々と嘆息した。

 

 にとりの案内により、早苗は非想天則の背中にやってきた。
 超合金の名も神々しい非想天則だが、その材質は謎に包まれている。小突いた程度では壊れないようだが、幻想郷の火力をもってすれば簡単に駆逐されそうではある。
 だが、問題はそこではない。
「水蒸気で動かしてるのは、腕と首と、それから足くらいかな。今は動力源をカットしてるから大丈夫だけど、いざ稼働したら蒸し焼きになるから誰も入れられないんだ」
「なるほど。本当は誰かに乗ってほしかった、と」
「いやそんなことはないけど」
「いいんです。何も言わないでください」
「何も言ってないよ」
 テンションのゲージが上がり切っている早苗を持て余し、にとりは厳重に閉じられたコックピットのハッチを開く。
「うっ」
 瞬間、非想天則の内部から高温の空気が溢れ出し、その熱にふたりともが顔を背けた。
 念のため、にとりは早苗に問う。
「……入る?」
「これが、私に課せられた使命だというなら」
「死なれても困るから別に入らなくていいよ」
「入ります、入らせてください。非想天則をいちばん上手に動かせるのは私なんです」
「何なのその選民意識」
 茹だるような熱気を浴びてなお、早苗は瞳をぎらつかせてコックピットの中に降りる。我慢できない温度ではないが、長時間の活動は生命活動に支障を来たすおそれがある。
 ハッチを開けたまま、にとりはコックピットの中で佇んでいる早苗に声を掛ける。
「ほら、何もないでしょー。気が済んだら出てくるようにねー」
「……本当に何もないですね。操縦桿とか、モニターとか、コンソールパネルとか、あまつさえシートも」
「だから厳密にはロボットじゃないんだって」
「いえ……なるほど、わかりました。ハッチを閉めてください」
 何を理解したのか不明だが、ろくなことになりそうもないのはにとりにも理解できた。だからといって、今ここで早苗を引きずり出せばどんな目に遭うか。想像に難くない。泣きそう。
「あーもう……死んだりしないでよ! さっきのことは水に流すから!」
「河童だけに、ですか」
「そういう言い方すると私がスベったみたいじゃないかー!」
 やけくそ気味にハッチを閉め、早苗は何もないコックピットの中に隔離された。
 にとりは若干後悔しないでもなかったが、まあ早苗だし、と思って事の成り行きを見守ることにした。

 

 とかくコックピットは蒸し暑い。
 露出の高い装束に身を包んでいる早苗でも、ハッチを閉めて数分も立たないうちに額からだらだらと汗を掻いている。内部の構造は、閉め切られているのに何故か全体を把握できる程度には明るく、面積は四畳半ほどしかないようだ。
 その中央に早苗は立ち、瞳を閉じ、耳を澄まして、これからどうすべきかを考える。おおよその内容は最初に決めていたのだが、いざ行うとなると指先がかすかに震える。
「……柄じゃないですね、こんなの」
 早苗をして浪漫と言わしめた、非想天則の可能性。可動式ロボット。
 現状は、水蒸気によって四肢を動かす程度の自動式の気球に過ぎないが、諏訪子が恐れたように、付喪神になり得る可能性がわずかにでもあるのならぱ、その間隙を突くこともまた可能なのではないか。
 すなわち。
『……おーい。もう出てきなよー』
「にとりさん、離れていてください。少し揺れますよ」
『だから、何しても動かないってばー。それこそ、奇跡でも起きなきゃ……』
 ハッチの向こうから、愕然とするにとりの表情が見て取れた。
 早苗は引き攣った笑みを浮かべる。不安と緊張と、喪失感と、みずからの殻を突き破る絶頂感。
 それらがない交ぜになった感情を丸ごと抱えて、早苗は両の手のひらをコックピットの壁に叩き付ける。
「行きます!」
 ――奇跡を起こす程度の能力。
 信じる者が奇跡を起こす。
 非想天則は必ず動くと。
 水蒸気によるものではなく、他ならぬ人間の手で、操縦桿がなければこの手のひらで人の魂を介して。
 動け。
 動け――――!

 

 

 

「おー」
「飛んだねー」
 とんだ、とんだ、非想天則くもまでとんだ。
 おあつらえ向きに、足の裏から水蒸気を撒き散らし、腕を天に突き上げて非想天則は見事に飛んで行った。
 初めはそれこそ雲を突き抜けるくらいに上昇していたのだが、そのうち高度を下げてバザー会場の周囲をぐるぐると旋回するようになった。早苗も徐々にコツを掴んだらしく、空中で静止したり様々なポーズを取ってみたりとやりたい放題である。河童たちも開いた口が塞がらないだろう。こんなものは、とうに常識の範疇を越えている。
 諏訪子だって、早苗が動かせるかどうかはよくわからなかったのだ。
「ここまでくると、早苗も立派な神様なんだって思えてくるよ」
「まあ、思いの力が奇跡を起こすって好例だもんね。方向性はともかく」
「それは言うなよ。熱中できるものがあるってのはいいことさ」
「それはそうと、河童がすごい勢いでこっちに向かってきておる。なんとかするがよい」
「いやだ。諏訪子が設計に一枚噛んでるんだからそっちでなんとかしろ」
「えーめんどくさい」
 気だるげに諏訪子が答えて、とりあえず迎撃の準備だけはしておこうと身構えたとき、上空からタイヤがパンクするような破裂音が轟いた。
 それぞれが見上げた空に、水蒸気が途絶え、ゆっくりと、だが確実に自由落下する非想天則の姿があった。
 心なしか、その目から涙を流しているように見える。
「あ、落ちる」
「これは落ちるね」
「しかし無様に落ちるね」
「ここまで無様だといっそ清々しいね」
「ぎゃああー! 非想天則がー!」
 神々の寸評と、現場監督河城にとりの悲鳴が交錯し、間もなく、有人起動型アドバルーンと化した非想天則が、その身を大地に叩き付ける轟音が響いた。
 あたかも、世界の終わりを告げる大地の絶叫に似て。

 

 

 非想天則は、バザー会場から少し離れた森の中から発見された。
 操縦者の東風谷早苗は奇跡的に一命を取り留めたが、河城にとりに泣きながら説教された。小一時間説教された。
 非想天則が落下した地面は、ちょうど非想天則が大の字になった形のままくぼんでおり、後世に至ってはこれを「天則落ち」と呼び、様々な媒体に活用されていったとかいかなかったとか。

 

 

 

 



太歳星君 ゴリアテ
SS
Index

2010年7月29日  藤村流
東方project二次創作小説





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