酒と涙と輝夜とSS

 

 

 

『これで終わりだ輝夜! パゼストバイフェニックス!』
『させないわ! 神宝、サラマンダーシールド!』
『ふんっ! 火蜥蜴が鳳凰に吼えるかっ!』
『くっ、なんて火力なの……』

――カキカキカキ

『私の勝ちだ輝夜ぁ!!』
『甘いわ妹紅! 脇腹が隙だらけよ! 神宝、蓬莱のボディブロォー!!』
『何っ!? ぐはぁー!!』
『ふふふ、まだまだね』
『お、おのれ、いつのまにこんな技を……がくっ!』

「あらあら、姫様が机に向かっておられるとは、珍しい日もあるものですね」

 襖を開く音と、低く鷹揚な声で、私の思考は遮られた。
 紙の上をさながら銀盤の妖精のように滑っていた手も止められてしまった。
 中断を不満に思いながらも、私は従者の方へ向き直る。
 空気の読めない人は、嫌いよ。

「何かしら? 私は今忙しいのだけど?」
「昼食後のお茶をと思いまして」
「あら、そう。その辺りに置いておいてくれる?」
「解りました。少々お待ち下さい」

 返事をした永琳は静々とこちらに向って歩いて来るのだが、その手にお盆は見られなかった。
 何処にお茶を隠し持っているのかしら? それと、何で胸のボタンを外し――

「……って何で胸の谷間から急須が出てくるの!?」
「はい。この寒さでお茶が冷めてはいけないと思い、私の巨乳で暖めておきました」
「秀吉かあんたは!? おい、さり気なく後半で自慢するな!」

 ついには湯飲みまで胸の谷間から出てきて、黒光りする机に置かれる。
 中の構造はどうなってるのよ、その四次元巨乳。

「冷めないうちに、どうぞ」
「まぁ、飲むけれどね……うわ、生ぬるっ……ちょっと、いきなり冷めてるじゃないの」
「胸に優しい温度にしました。熱くして私がやけどでもしたらどうするんですか。ところで姫様?」
「何で逆切れされなきゃいけ――何よ?」
「そちらの用紙は、何なのでしょうか?」
「あら、永琳。見て解らないの?」
「はい、とんと」
「ふふん、これはね、コンペ用のSSなのよ!」

 私は自慢気に胸を反らし、形の良い鼻を人差し指で擦った。

「どういう事でしょうか?」
「外の世界のお祭りでね、東方SSコンペってのがあって……」
「いえ、その体勢で胸が揺れていないのは、どういう事でしょうか?」
「そっちなの!?」
「えぇ、誰もが疑問に思う事に、今日は素直になってみました」
「いい加減しつこいわよ、胸ネタ、胸ネタって、この巨乳薬師!」
「……ひどい、セクハラです」
「どっちがよ!」

 私が言い返したその時には、永琳は既に私の脇を潜り抜け、原稿をひょいと摘み上げて、目を忙しく上下に動かし始めていた。

「はぁ、なるほど長文だ。姫様も伊達に引篭もっておられるわけではありませんね」
「言葉には気をつけなさいよ永琳……」
「しかし、外の世界のお祭りに、どうやって姫様の作品を届けるのです?」
「それは、スキマポストを利用すれば何とでもなるわ」
「ほう、便利な妖怪ですね」
「そうそう、今回のコンペのテーマは、お酒よ」
「……うーん」
「どう? 永琳の目から見て、私のSSの出来は?」
「気になります?」
「ま、従者の素人意見でも参考程度にはしてあげるわ。言ってみなさい」

 ところが、ゴーサインを出してあげたというのに、永琳は下を向いたまま話そうとしない。
 その煮え切らない態度に苛つき「いいから、何か喋りなさいよ」と言いかけたところで、ようやく永琳は口を開いた。

「『これはひどい・・・』の一言で片付くSSです」
「なにいいいいぃ!?」
「特にこの『神宝、蓬莱のボディブロー』ってあんた嘗めてますか。神宝全然関係ないし」
「あんたって言ったか!? 主に向ってあんたって言ったな今!」
「ここは素直に姫様の耐久弾幕『神宝 蓬莱の玉の枝 ―無職の業―』を使った方がいいですね」
「えー、私としてはそこは少し捻らないと駄目かなって……待て、無職の業も違う! 夢色の郷よ! ゆめいろのさと!」
「あと、テーマが酒の割には、酒が全く出て来ていませんが?」
「そこの戦いの後に、勝利の美酒の予定なのよ。一人竹林で典雅に月見酒を楽しむの」
「……ふーむ、やはり駄目ですね。構成から間違ってますよ」
「な、何ですって!?」
「一人きりの静かな雰囲気は存外難しいものです。今の姫様の表現力では十行も進めば詰まってしまうでしょう」
「むむむ……! そこまで言うからには、永琳には他の案があるんでしょうね?」
「ええ。キャラを増やしましょう。会話文が挟めるだけで、書き易さは随分違うものです」

 悔しいが、さすが月の頭脳。言葉の端々に説得力オーラが溢れてやがるわ。
 言ってる事に間違いは無さそうだし、ここは、素直に従っておこうかしら。

「じゃあ、キャラを増やすとして、誰がいいかしら?」
「もちろん、酒飲みですね。酒というテーマなのですから」
「異論ないわ」
「普段、宴会に出てる人達なんて望ましいでしょう。ざっと例を挙げてみますと……」

 ポケットから紙(書き損なった何かの裏らしい)を取り出した永琳は、そこに宴会場でよく耳にする名前を書き始めた。
『霊夢、魔理沙、アリス、咲夜、レミリア、萃香、紫、藍、幽々子、妖夢、輝夜、永琳、ウドンゲ』
 へぇ、あれだけ賑やかな宴会でも、主要メンバーの数はそれ程でもないのね。

「この中から、姫様のシナリオに合わせて、不適切な者を取り除きます」
「例えば?」
「そう、例えば魔理沙は竹林という静かな場所は似合いませんよね。これを除外します」
「なるほど、典雅って感じはしないものね」
「レミリア、咲夜、幽々子、妖夢、それぞれ単独で誰かと付き合うタイプじゃないです。これも除外」
「ふーん、主と従者、付かず離れずか」
「萃香は確かに大酒飲みですが、賑やか過ぎるし、何より他の参加者とのネタ被りが怖い」
「そうねぇ、ネタ被りには気をつけないと」
「ウドンゲは、昨日、私の座薬挿入を断ったから除外します」
「そんな個人的な理由で!?」
「アリスはノイズだから除外してもいいでしょう」
「アリスは理由すら無しに!?」
「こうして、少しずつ除外して枠を狭めていくと……」

『永琳』

「最後にこの人が残ると。あら、偶然にも私が残りましたね」
「物凄く白々しいわよっ!!」
「これはもう私を書くしかないでしょう」
「貴様の本音はそこかぁ!」
「いえいえ、姫様の事を第一に思ってこそのこの考え。忠臣の言を疑い始めてはお仕舞いですよ?」
「忠臣は、主をあんた呼ばわりしないと思うわ」
「まぁ、そんなに信用出来ないなら、私を書かなくてもいいのですが……」
「え? いいの?」
「その代わり、このお話を通すわけにはいきません。明日までに新しいプロットを用意しておいて下さい」
「何で永琳がそんな事を言うわけ? そもそも具体的にこの作品の何処が駄目なの?」
「一番駄目なのは、酒というテーマが弱すぎる事です」
「だ、だから、最後に竹林でお酒を……」
「最後に酒飲ませとけばそれで良いだろ、という作者の投げ遣りさが見えていると、読者が萎えますよ」
「う……確かに……」

 言われてみれば、テーマを深く考えた事なんてなかった。
 酒、と聞けば、酒を飲む事しか頭に浮かばなかったし、テーマなんてそんなものだと思っていたのだ。

「ご理解いただけましたか?」
「まぁ、多少はね……」
「それは良かったです。これを機に、少しずつSSを良くしていきましょう」
「ねぇ、どうして永琳が私のSSにそんなに熱心なの?」
「今までただのニー……姫だった輝夜様が自分から前に進もうとしておられる。こんな素晴らしい事に協力しないわけにはいきません」
「後半はともかく、最初は何を言いかけた!?」
「協力させてください。私は姫様の従者であり、頭脳であり、なによりお互いが大事な家族ではありませんか」
「永琳……あなた……」
「姫様の喜びは、私の喜びです。頑張りましょう二人で!」
「そうね、解ったわ永琳! 私、やれるところまでやってみる!」
「姫様!」
「永琳〜!」

 私は永琳に駆け寄って、背中を叩き合いながら、熱い抱擁を交わした。
 途中「これが、ウドンゲだったらなぁ……」という永琳のぼやきが聞こえたが、慧音になかった事にしてもらった。


【二日目】

 御飯を食べていても、散歩に出ていても、寝ても覚めても命のあらん限りは、私はネタと構成を考え続けた。
 ネタ、ネタ、ネタ……。
 夜が来て皆が寝静まっても私は月明かりの下で唸り続け、ようやく朝方になって「これだ!」という閃きがあり、永琳が訪れるまでの短い時間に、全力でプロットを書き上げた。

「やった……出来たわ……!」

 畳に倒れこむ。
 まだ、感動は無い。
 私の中では、徹夜で悩み抜いた精神的な疲れと、何とか間に合わせた達成感が漂っていた。
 仕上げたプロットは我ながら良い出来だと思う。要するにアレがこうしてこんな展開でスゲェ。

「おはようございます、姫様。朝早く失礼致します……」

 三つ指揃えた永琳が、何時の間にか襖の向こうに座っていた。

「良く来てくれたわ永琳。例のモノ、出来てるわよ?」
「さすがは、姫様。頑張りましたね。早速拝見させてもらっても宜しいでしょうか?」
「ええ、いいわ」

 自信があると言えど、さあ見ろ、すぐに見ろと、がっつくのは、私の品格に相応しくないので、永琳が手に取るのを辛抱強く待った。
 プロットを読み終わった永琳は、神妙な表情の顔を上げて私を見据えた。

「どうかしら? 鬼と天狗の酒飲み合戦に、野次馬根性で参加した魔理沙が、退くに退けず飲み続け、やがて急性アルコール中毒になってしまったところを、霊夢達に看病されて何とか一命を取り留めたり取り留めなかったりする、愛と友情溢れる感動のヒューマンドラマよ!」 
「……ふーむ、内容はともかく、一日でこれだけ考えたのは凄い」
「永琳! これならいけるでしょ!?」
「しかし、この結果を永琳は大変残念に思っています。姫様は私の最も大事な教えを理解しておられなかった……」
「え? え? 最も大事な教え?」
「さぁ、歯を食いしばってください!」

 永琳の右の平手が、弓でも引き絞るように勢い良く後方に引かれる。
 一瞬このまま本気で叩くのかと、身を竦ませたが、叩くフリなのだという事はすぐに解った。
 だって、左手が思わせぶりに宙に浮いてたから。
 冷静に考えて従者が主を叩くわけが無い無い。
 ほら、漫才とかで良くあるやつよ、殴るフリをして手と手で音だけを鳴らすやつね。

――ばちこーん!

「って両手で殴ったぁぁあ!?」
「失望しましたよ、姫様には!」
「何よ! 何が駄目だったって言うのよ!? 急性アルコール中毒は行き過ぎたって事!?」
「いいえ、そこはもっとやれと応援してあげたい!」
「じゃあ、どこ!?」
「アルコール中毒なんて美味しい展開で、医者の私を全く話しに絡ませないとは、それは何の嫌がらせですか!?」
「あんたそんな事で私を殴ったの!?」
「私は……! 私は姫様が憎くて叩いたのではありません! 自分が可愛くて叩いたのです!」
「それはもっと駄目だろ!」

 荒い息を吐きながらも、永琳は胸から急須を取り出して「姫様。一つ、お茶でも飲んで落ち着きましょう」と提案してきた。
 落ち着く必要があるのはあんただろと言うか、昨日今日と、そのお茶の運び方、気に入っちゃったのかよ。

「私、もう少し熱いお茶の方が好きなのだけれど」
「いえいえ、今日はちゃんとした熱いお茶ですよ」
「え? あなたの胸は大丈夫なの?」
「火傷はしません。お茶に込められたのは、愛情と言う名の熱さですからね」
「まーた、そういう臭い台詞を良く言えるわね」
「お気に召しませんか?」
「いいえ、悪い気はしないわ」
「さあ、どうぞ。このお茶には、私からウドンゲへの愛が一杯詰まってますよ」
「って向ってる先がウドンゲかよ! 愛のベクトルが曲がりすぎでしょう!? 他人同士のを私に飲ませるな!」
「何処か変でしょうか?」
「込める方向、込める方向! お茶には飲んでもらう私への愛を込めろ!」
「言われてみればそうかも。善処します。それで、先程のSSですが」
「……物凄い切り返し方をしたわね」
「酒というテーマは、上手く消化されてましたね。前よりかなり良くなってきていますよ」
「え、えぇ、それは当然でしょう?」

 誉められると嬉しい。
 幾ら長生きをしようとも、それは普遍的なものだ。
 シンプルな感情は捨てられない。逆らえない。

「では、何処が駄目かと申しますと……」
「永琳が出てないって理由は却下よ」
「ちっ……」
「舌打ち聞こえてる、聞こえてるから」
「ええと、今度は、キャラが甘いのですよ」
「キャラ?」
「例えば主人公の魔理沙さんです。早々に意識を失ってからは終盤まで寝ているだけで、彼女のアクティブさが前に出てませんよね?」
「そのギャップを楽しむってのは駄目なの?」
「表と裏が見えているならば、それもいいでしょう。しかし、裏ばかり見せられては、別人に見えませんか?」
「……だって、私、魔理沙の事は余り良く知らないし……」
「でしたら何も無理をせず、姫様の身近なものを題材にすれば良いのですよ」
「例えば?」
「ほら、永遠亭でも先日、竹林にまで広がる大宴会、通称『冬も最後の月見酒』を行いましたし」

 酒の舞台を永遠亭に、か。
 なるほど、それならば、キャラも掴み易いし、好きな数が出せるわけか。

「……ピンと来ませんか?」
「は?」

 何の事だ、と口を半開きにしていると、永琳は寂しそうに眉を下げた。
 突然の愛くるしい行動に、私は途惑う。
 襲ってOKの合図かしら?

「どうしたの? ピンとって何?」 
「ですから、姫様の最も身近なこの不世出の天才、八意永琳が大活躍するシナリ――」
「却下」
「冷たい! 最近の姫様は本当に冷たい!」
「でも、永琳。普通にお酒を飲んでいただけじゃあ、話として地味なものになってしまわないかしら?」
「そこは、姫様の思うままに。地味だと感じるならば、宴会に一つ二つ事件を起こしてやればいいのです」
「え? でも、それだと嘘になってしまうわよ?」
「構いません。真実と虚構が混じり合って、妄想の部分にリアリティが与えられるのです」
「うーん、実際にあった話を、私の好きなように変えてしまうのは、ちょっと間違ってるような……」
「姫様。SSは夢、他に何があります? 夢には正解も間違いも存在しないのですよ」

 夢……。
 そうか、良い言葉を聞いたわ。
 自分の夢を形にするのが、いや、それが出来るのがSSなのかな。

「これといった事件が思いつかないなら、敵の襲撃とかでも面白いでしょうね、もちろん私を大活躍させ――」
「うん、何だかやる気が出てきたわ! 私の好きなようにやればいいのね!」
「えーと……はい、その意気です。それでこそ私の好きな姫様」
「待ってなさいよ。明日までに永琳が咽び泣くほど立派なプロットを仕上げてみせるから!」
「楽しみに明日を待ちますわ」

 永琳が出て行く。
 静かに閉まる襖は、また少し寂しそうに見えた。

 広い部屋に一人残された私は、興奮した頭を鎮める為に、永琳が残していったお茶を手に取った。
 お茶はやはり生温かったが、この温さが永琳の愛情なのかもしれないと思った。
 机に向い、筆を執り、紙を押さえる。
 書こう、私の好きな永遠亭を!

「あ、その前に寝ましょうか。おやすみなさーい」


【三日目】

 窓から見上げる細く鋭い三日月が、私の心を引き締めてくれる。
 冬の夜の寒さに対抗するように、私は身体を毛布で包み込んで、ぐい呑みで冷えた酒をあおった。
 酒のほろ酔い気分もプラスして、徹夜でもテンションは下がらず、頭も透き通ったまま進めていけた。
 少しずつ、ツリー形式のプロットで紙が埋まっていく。
 そして、朝までに十分時間を残して、私のプロットは完成した。

「永琳、今度こそやったわよ……」

 書き終えたプロットを一通り見直すと、満足して布団に身を投げた。
 テンションは未だ下がりきらず、なかなか寝かせてくれそうもない。
 薄っすらと白み始めた部屋の中で、私が何度目かの寝返りを打った時に、遠慮がちなノックの音が襖を揺らした。

「……永琳?」
「姫様? 起きておられましたか?」

 いつもの挨拶を交わし、永琳は部屋に入ってくる。
 永琳はプロットを受け取ると、すぐにチェックを始めた。

「ふむ……」
「どう? 今度は永琳の出番もいっぱいあるわよ?」
「出来は悪くないと思います……ですが、一つだけ妙な箇所が」
「え?」

 妙と言った、永琳の顔は険しい。私はまた何か失敗をしていたのだろうか。
 真剣な顔のままで永琳は呟いた。

「あの、私とウドンゲのラブシーンは何処へ消えたのでしょうか?」
「無いわよっ!? 元々そんな事実が無いでしょう!? 前から思ってたけど私のSSに貴女の変な期待を入れないでよ!」
「姫様。SSは夢、他に何があります?」
「昨日と全く同じ台詞なのに、今日は欲望丸出しに聞こえる!」
「ニュアンスの問題ですよ」
「違うと思うな!」
「さて、SSも今日で三日目。そろそろ私も飽き……いえ、姫様が退屈してはいけないと思い、今日は豪華ゲストを呼んであります」
「失言多すぎない!? わざと!?」
「紹介しましょう! 月が誇る狂気の赤い瞳! 鈴仙・優曇華院・イナバさんです! どうぞ!」
「もろに身内じゃないのよ」

 襖が少し開いて、ぺこぺこと頭を下げながら、月の兎が部屋に登場した。
 鈴仙はスカートを気にしながら、私と永琳の手前に進み出て座り、張り切った顔で私に挨拶を始めた。

「ご紹介に預かりましたウドンゲです! 今日は誠心誠意の精一杯で輝夜様のお役に少しでも立てるように頑張ります!」
「良く出来たわ、いい子ね、ウドンゲ」

 見た目頼りないゲストだが、やる気と、私に協力する意思は十分のようだ。
 実力によっては、永琳より使えるかもしれない。
 よしよしと兎耳を手で撫で付けながら既に鼻血を出しかけている永琳を無視して、私は鈴仙に話しかけた。

「あなた師匠と仲良過ぎない? 本当に只の師弟関係?」
「いえいえ、姫様と私も負けないくらいの仲良しさんではありませんか」
「何が仲良しさんだ、貴女達と一緒にしないでよ」
「そうそう、こう見えてウドンゲは字が綺麗なんですよ。ねぇ?」
「場と関係ない弟子自慢をするな。永琳は黙ってて。ほら、鈴仙、何しに来たの?」
「は、はい! 今日ここに来たのは、輝夜様が頑張ってる噂を聞き、今こそ私の能力を役立てる時だと思いまして!」
「能力? 狂気の瞳?」
「いいえ、耳の方です!」
「もう、何でもいいから、早いとこ見せて御覧なさい」
「解りました! ウドンゲ、いきますっ!」

 えいやっ、との掛け声と同時に、鈴仙は髪が地面に付きそうなくらい上体を反らせた。

「イナバイアー!」

 何処かで聞いたような技名に頭痛がした。
 鈴仙は逆さになった丸見えのおでこに脂汗を浮かせながら、ぷるぷると震えて体勢を維持している。
 今すぐ蹴り倒したい衝動をぐっと抑えた。だが、次の返答次第で蹴る。

「……で?」
「は、はい、この、イナバイアーは地獄、耳、で、いたっ、いえ大丈夫です、通常の三倍で輝夜様のアシストを、いつつっ」
「通訳して」
「承知。イナバイアーは警戒用の月兎レーダーです。通常の三倍の聴力を持ってして、輝夜様が安心してSSを書ける環境を作ります」
「私が安心する前に、この子が倒れそうに見えるけど?」
「このおへそが見えそうで見えないギリギリズムがたまらなっ、あぁ〜」
「あんたが倒れてどうする……」
「すみません。問題ありません。ウドンゲも覚悟しております。こちらは私に任せて、姫様はどうかSSを」
「というか、こんなのいらないって、持って帰って頂戴」
「いらないと仰られる!? ウドンゲがどれだけ苦労してE難度のこの技を完成させたと思ってるんですか!?」
「そ、そんなに凄い技なの?」
「えーと、どうなの? ウドンゲ」
「知らないのかよ」
「いえいえ、本当に凄い技なのです。何しろここでウドンゲが頑張っている間は、晴れときどき妹紅とかを未然に察知して防ぐのです」
「……そりゃ、静かなのは助かるけれどね。プロットはこのままでいっていいの?」
「はい。私のラブストーリーは現実で頑張ることにしました」
「突っ込みに限りが無いから、放って置いて私はSSを書くわよ」
「姫様のご随意に」

 ったく逆に騒がしいわよ。
 スカートを折り曲げ、机の前に座ったが、背後の存在感がやたら気になる。
 誰かがいるという事だけで書きにくいのに、その誰かが半ブリッジ状態で粘ってるのだから尚更だ。

(まあ、いいか……)

 本気で邪魔になったら、出てけと叫べば出て行くだろう。
 それまで、付き合ってやろうと思った。

「……ふぅ……ふぅ……」
「一分経過」

 三十秒毎に永琳のカウントが聞こえる。
 目下これが一番煩い。

「一分三十秒経過」
「……あ、あの、一度休憩を……」
「まだ早い。曙がマットに沈むより早い!」
「……だ、誰……?」
「二分経過」
「うぅ……」

 苦しそうに喘ぐウドンゲが艶かしい。
 まさか、と思って振り返ったが、永琳は既に鼻に紙を詰めていた。

「三分経過よ、このまま頑張ってウドンゲ」
「……師匠、私、駄目かも……」
「いいえ、まだ自己ベストも越えてないわ。この部屋に来ると言った貴女の決心はその程度だったの?」
「ですが、腰が……軋んでる感じが、ぎしぎしと……」
「ウドンゲ! あなたは自分の腰と輝夜様、どちらが大切なの!?」
「はっ、そうです、輝夜様ですっ!」
「だったら、頑張りなさい、ギシギシ、アンアンと!」
「はい! 師匠!」

 既に凄く邪魔になっているのだが、このまま突っ込み無しだと、何処まで行くのか見てみたいので放置している。

「ひぃ……ふぅ……」
「三分三十秒経過」
「う……? あ、あぁっ……!」
「もう、今度はどうしたの?」
「師匠、緊急事態発生です!」
「あら、敵かしら。来るのは誰? 妹紅?」
「違います! てゐが……てゐが……ああ、なんて事……!」

 ちらりと後ろを覗くと、鈴仙の顔は青くなっていた。
 なんだ? 大怪我でもしたか?
 さすがに、放って置いてはまずいかと私も手を休めて、腰を上げる。

「てゐが、私のおやつを食べてる!」

 死ぬ程どうでも良かったので、下ろす。

「落ち着いてっ……! 形が崩れているわよウドンゲ! 今、大切な事はそんな事じゃないでしょう!?」

 正論だ。

「大切なのは食べられたおやつの種類よ!」

 違うと思う。

「人参クッキーです」
「解った、人参クッキーね。それと輝夜様、どちらが貴女にとって大切なの?」
「……ク……輝夜様です……」

 五分五分だっただろ今。

「だったら、頑張りなさい」
「はい、師匠……」

 答えたウドンゲに既に元気はなく、へにょ耳も以前の1.5倍な勢いで萎れていた。

「四分経過。ここで自己ベスト更新よ。ウドンゲ、今ので世界が見えてきたんじゃない? 頑張って!」
「うぅ、師匠……もう限界突破です。誰になんと言われようと、私はここまでの兎のようです……」
「どうしたの! 後一分、後一分で幻想郷レコードなのよ!?」
「でも、こ、腰の骨が、外れちゃいそう」
「弱音を吐かないの! 外すならスカートのホックを外しなさい!」
「いえ、ホックは外したくありませんし、腰の骨もそうです。どの道、この体勢ではにっちもさっちも、あいたたっ」
「そこまで言うなら腰の痛みを取りましょうか。座薬で。いや心配はいらないわ、即効性だから、すぐ気持ちよくナルシ、イヤイヤウドンゲ」

 春満開の笑顔が救急箱を漁っていたので、ネチョ防止の為に全力ダッシュからの延髄蹴りで永琳を止めた。
 永琳は自分が蹴られた勢いをそのままに「ウドンゲ、危ない!」と言ってウドンゲに抱きつくという、驚天動地のパフォーマンスを見せた。     
 そのまま角の柱にすっ飛んでぶつかって、頭から漫画みたいな火花を出して、二人とも動かなくなった。

 目を覚ましたウドンゲはぎょっとして、喘ぐ師匠を両腕に抱えたまま、やっとの思いで上体を起こしたが、弟子の胸に抱えられた師匠は、すでにボンバヘッ!!


【四日目】

「飽きた……」

 今朝は永琳は来なかった。

 縁側に寝転がる。
 ここは渡り廊下に向う通行の要所。
 私の白い色の肌が光を懸命に集めるが、朝日はまだ冷たい。

 通りかかる兎どもは、ぐでっとピンクのワンピースが道を塞いでる姿を見て「うわ、ちょっと……」と皆呆れた顔を浮かべたが、それでも、誰一人私に話しかけてくる事は無く、その場で踵を返し戻って行った。

 一人だけ例外な兎がいたが。

「おー?」

 奴は私を不思議そうに見て、首をかしげた。
 跨ぐか? 戻るか? 話しかけるか? どうするの? 
 考えた選択肢は丸っきり外れで、奴は何の躊躇も見せず地面に下り、私を迂回したら縁側に上がり、砂塗れの裸足でまた走り出した。

「待ちなさいよ、コラ……」
「あれ? 起きてました?」
「足を拭け。屋敷が汚れるでしょうが。他人の迷惑も考えなさい」
「えー、朝から交通封鎖してる百年寝太郎に言われたくはないなぁ……」

 救えない兎の頭を、仏の御石の鉢が襲った。

「うさーっ!?」
「今更キャラクター付けしようったって遅いわよ」
「人生は何時だってそこがスタートライン!」
「はいはい、そこ座って」
「狡猾属性にはライバルがいますからね。負けないように毎日頑張らないと駄目なのです。では、私はトレーニング中なのでこれで!」
「いいから、怒ってないから、座りなさい」
「そんな事言ったって騙されないよ! 昨日のれーせんがそうだったし!」
「鈴仙……ああ、人参クッキーの恨みか」
「おんや? 知ってるんですか?」

 というか話す時くらい起きません? と因幡に促されたが、私は姫なのでもちろん従わない。
 警戒心が無くなったのか、因幡は私の傍に戻ってきて座り、足を庭の方へ投げ出した。

「今回は、どんな御仕置きをされたの?」
「うん……本当にあった怖いれーせん、第十一羽、ウサ耳クレイドル」
「柔らかそうね」
「もふもふの耳が脅威の回転数でビンタして来る、非常に恐ろしい技なのだ」

 因幡は「見て見て」と立ち上がり、自分の耳で技を実践して見せた。
 雑巾みたいに捻られた兎耳が、解放された途端に物凄い勢いで回り始める。
 何か因幡がちょっと床から浮いた。

「危ない! 回転数が多すぎて、ウサコプターに派生するところだった!」
「……ねぇ、因幡」
「へ? 何ですか? いきなり婆臭い顔しちゃって、ちょ、待って、悪かった『仏の御石の鉢−ダイレクトアタック−』の構えは止めて」
「鈴仙と永琳ってさ、いつもあんなわけ?」
「あんなって、どんな?」
「ベタベタっていうか……」
「えー、見ての通りベタベタの師弟関係でしょ。姫様と永琳様みたいな感じですね」
「全然違うと思うわ。あんなに仲良くないわよ……あれ?」
「いやー、仲の良さってのは上辺だけでは判断出来ませんぜ、姫」

 さっきの台詞は永琳が昨日……。
 そうか、こいつ、永琳から何か言われて来てるのか。

「知っているなら話が早いわ」
「何がです?」
「私がSS書いてたの、あなた知っているでしょう?」
「知ってますけど、過去形はどうかなと思うなー」
「もう、止めたからいいのよ」
「ありゃ、もったいない」
「別に。暇潰しに思いつきで始めただけからいいの」
「思いつきの割には結構やる気あったじゃないですか。徹夜なんかしちゃったり」
「……」
「どうしてですか?」
「……永琳が妙に乗り気だったのよ。だからちょっと遊んでやろうって思ってた」
「本当に止めちゃったんですよね?」
「そうね」
「あーあ、完成を楽しみにしてたのになぁ」
「あなたが?」
「うんにゃ、永琳様が」
「まさか。あいつが楽しみにしてたのは、私が難題に四苦八苦してる姿でしょうに」
「そんな事を楽しみに、早朝から抜け出したりしませんて」
「何? 最近、忙しいの?」
「みたいですね。いよいよ朝も仕事で埋まったって嘆いてましたよ。声には出さないけどさ」
「無理してなきゃいいけど」
「近頃、れーせんがしっかりしてきたから、たぶん大丈夫ですよ」
「……そうか」

 鈴仙と聞いて、良く解らない不安が胸を過ぎった。
 頭をてゐに向けると、てゐは右手で足の甲を抱え、スカートの裏地に足の土を擦り付けていた。

「鈴仙が怒るわよ」
「へーき」

 右足は済んだのか、てゐの行為は左足に移っている。

「こんなに急に冷めるとは思わなかったな。何だろうこの気持ち」
「理由があるんですよね?」
「解らない。昨日あいつらが帰ってから全然やる気が起こらない」
「む? そっか、昨日はれーせんと永琳様の二人で行ったんだっけ。で、どうでした?」
「最悪ね。何だか気に入らない気分だけ残ったわ」
「はて、何が気に入らないと?」
「あいつら、イチャイチャするだけで、邪魔にしかならなかったもの」
「あー、逆効果に終わったんだ」
「何?」
「不器用だからなー、あの人も」
「逆効果? 不器用?」
「姫様、永琳様はおそらく非常に単純な理由で動いてますよ。姫様がSSを書けなくなったのも似たような理由からです」
「あなた、永琳から何を聞いてきているの?」
「私は何も聞いてません。こういう性格なもので、ちょいと勘が働くだけです」
「勘ですって?」
「姫様のモチベーションが下がった理由、第三者が見れば非常に明確な答えがあるのです。知りたいですか?」
「それは、まあ、知りたいけど……本当に?」

「ずばり、嫉妬です!」

 立ち上がり、びしっと指を突きつけて得意げな因幡に、私は無言で手を伸ばしてミルク色のふくらはぎを思いっきり抓った。

「おおぅ!? いたい、いたい、そこ抓るのは反則ーっ! 足は女の命ーっ!」
「あら、この間ほっぺた抓った時も、似たような台詞言ってたけど」
「んー、私ってば、全身がチャームポイントだから仕方が無いんだよなぁ」
「皮剥かれたい?」
「ひっ、待ってくださいよ、正解なんですって、本当に嫉妬であってるんですって」
「解った、信用してあげる。えーと……椎茸と白菜と葱と卵と……」
「それ、兎鍋のメニューじゃないの!?」
「嘘吐き兎も鍋に入れば、皆の役に立つでしょう?」
「いえいえ、私は嘘なんて吐きませんよ?」
「あんたがそれを言うと、嘘吐きの逆理になるのよね」
「ねぇ、姫様。良く考えてみてくださいよ。昨日の事が何故そんなに気に入らないかを」
「集中してる傍で、無意味にイチャイチャされたら、誰だって気に入らないでしょうが」
「そうですね。でも、大抵その場限りの感情で、あんまり尾を引く事はないはずですよ?」
「それが私が嫉妬してるって説明? 冗談」
「言ったじゃないですか。永琳様が妙に乗り気だったから、私が付き合ってあげてたと」
「だから何よ?」
「永琳様といる事が、永琳様に必要とされる事が、姫様がSSを書く目的だったんじゃないですか? それが目的だったのに、れーせんという邪魔者が間に入っているのが解ってしまい、姫様は目的の遠さを覚えたから、れーせんに嫉妬を覚えたのです」
「……言うわね」
 
 すぐに言い返そうとして、言葉が出てこなくて困った。
 因幡の目は、私を誑かそうというわけではなく、朝日の下で艶やかに輝いている。
 尤も、こいつの場合、どんな顔を作ろうが全く信用ならないが。

「じゃあ、永琳はどうして鈴仙を連れてきたりしたのよ。おかしいじゃないの……私を馬鹿にしているの?」
「だから、それは逆だったって言ったじゃないですか。永琳様の方向は姫様が目指していたものと、一致しているのですよ」
「いい加減はっきりさせなさい。永琳が目指したものとは何?」
「輝夜様の隣の席です」
「はぁ?」
「お二人とも相手の隣を求めていたのですよ」
「永琳がそんなわけ――」

『……ピンと来ませんか?』

 にわかに一昨日の永琳の言葉が、頭に響いた。

(あいつ、まさか……)

 慌てて振り返ってみれば、思い当たる言葉は幾つもあった。
 それらの言葉は直接的過ぎて、一見ふざけてる様にしか聞こえないが、そういう狙いの下での行動だと考えたら、どうだろう。
 彼女は場を引っ掻き回していたわけでも、私の手助けをしたかったわけでもない。
 目的を暈かす為に、わざとふざけていたんだ。
 だとすれば、私のSSを誘導していたのも、納得がいく理由があるはず。

 いや、既に何度かはっきりと口にしているはずだ。
 だけど、想いは私に届くどころか、誤解されてしまっている。
 こんな、やり方しか無かったのかしら。

「はぁ……もう少し確実性のある方法を取りなさいよね」
「だから〜、不器用ってそういう事ですよ」
「逆に伝わったら、今より酷い事態になるじゃないのよ」
「何がどう転ぶか、そんなのは誰にもわかんないよ。上手く行きかけて失敗して、でも、もっと上手く行く事もある」
「塞翁が馬って奴かしら?」
「あー、あれは、サイの国の王様が実は馬でびっくり、人生何があるかわかんねーって話だよね」
「……」
「姫様? 姫さまー? 突っ込み忘れてますよー?」
「今回は、あなたのお陰で、もっと上手くいったって事なのかしら……」
「それは、これからのお楽しみ〜」

 感想は多くはないが、大きく胸にあった。
 だけど、これを語るのは隣の兎じゃないのだろう。
 口を閉ざしていると、清風が額にかかる前髪を散らしていった。
 てゐは両足を揃えて反動をつけ、たんっと音を立てて縁側に立ち上がった。
 白兎は逆光で黒く見える。

「もっと、おしとやかにしろって言われない?」
「毎日言われます。れーせんも永琳様も本当しつこいくらい。余計なお世話だってーの、私は賑やかな方が好き」
「お世話じゃなくて、命令だと思うわよ」
「それはもっと冗談じゃない。兎はね、寂しいと死んじゃうんですよ?」

 それじゃ、と手を振って歩き出した兎を、私は送る言葉も吐かず、目だけで追った。
 ふかふかの耳は、朝日に長い影となり、てゐが歩くたびに障子の上で踊っていた。
 長い廊下を二十歩ほど歩いた所でてゐは止まり、私に振り返って笑顔を見せた。

「姫様〜、永琳様の事、あんまり悪く思わないであげてね」
「んー?」
「大切な人の夢にさ、自分がいなかったらって思うと、とても寂しいじゃん?」
「……そうかなぁ」
「そしたら嫉妬して、クッキーでも齧ってやろうかってなるよ」
「齧ったのね」
「齧ったのだ」

 言い訳するように、てゐはえくぼを見せて笑い、もう一言だけ付け加えた。

「や、不器用にも、少し証拠を床に残しちゃったのが、悔やまれますね〜」

 てゐはもう振り返らなかった。
 乾いた廊下をリズム良く駆けて行く。
 小さな背中が角を曲がったところで、私は再び目を閉じた。

 ……思い出した。今夜はあの日だ。


【四日目 夜】

 月の無い夜に月を求め、私は格子窓を開けた。
 星ばかり綺麗な夜空から、湿った風が部屋に流れてくる。
 月明かりの無いこんな日は、永遠亭が夢を結ぶのもいつもより早い。
 兎達は大部屋で毛布に丸まって、冬の寒さから己の安息地へと逃げる準備を始めている。
 寝付きの良い幾らかの兎は、すっかり夢の中だろう。

 私は一人、部屋で彼女を待っていた。
 此処に絶対に来るという確信は無かったのだけれど、今日は永琳を待ってあげようという気持ちが、ぼんやりと心にあった。

 永琳は私が書いた世界に、異常な寂しさを見出した。
 そこに足りないものがあると気付いた。
 気付いて同時に、永琳は悔しさを覚えたはずだ。
 竹林で酒を飲む「私」は、本当は「私達」でないといけなかったから。
 だから、追ったんだ。寂しくない夢の形を。

 月の無い夜に繰り返していた、二人の儀式は、いつしか必要が無くなって止めてしまった。
 これから私がしようとしている事は、もはや意味を失してしまっているのだけど……。

『姫様。SSは夢……他に何があります?』

「……何も夢でなくても、出来るじゃないの」

 私には消えていた、遠い記憶。
 永琳は覚えていた、遠い記憶。
 私が取り戻した思い出。

 また強い風が吹き込んできて、中央の衝立が揺れた。
 私は踊る竹林を見ながら、用意した包みを手元に寄せた。
 そろそろだ。

「姫様……」

 風の音に、微かな声が混じって耳に届く。

「永琳、待ってたわよ。入って頂戴」

 襖の向こうで、永琳が息を呑んだ気配がした。
 襖が開き、暗がりに銀の髪が鈍い輝きを見せる。

「失礼します。まだ起きておられましたか」
「あら、呼びかけた人が、言う台詞じゃないわね」
「寝てたら夜這いでもかけようかなと」
「冗談は冗談に聞こえるような明るさの時に言いなさいよ」

 部屋へと永琳が進み出る。
 少し歩いて、彼女は慌てて止まった。

「衝立?」
「どうかしたかしら?」
「姫様、これは……何故このような場所に衝立を」
「あら、永琳。そんなに不思議がらなくてもいいじゃないの。昔だってそこにあったはずよ」
「それは何百年前の話ですか。どういう心境の変化です?」
「さあ? 解ってるのではなくて?」

 永琳は衝立を避けるため、大回りして私の下へ来て座った。
 座ってすぐの永琳に、口を開く間も与えず、白い包みを胸に押し付けて持たせる。

「さ、月見酒に行くわよ」
「え?」
「月見酒よ。竹林に出るわよ」
「姫様。そうは言っても、今夜は月が出ておりませぬ」
「だから外に出るのではなくて?」
「……何か、気が付かれましたか?」

 私は答えない。
 そんな事を私に訊くくらいなら、永琳の方から話すべきなのだ。
 まあ他にも解らない事はあるけど、それは歩きながらでも、おいおい話していくとして……。

「竹林に行きましょう」

 立ち上がり、明かりも持たず暗い部屋を突っ切る。
 永琳は慌てて、衝立にぶち当たりながらも、私に付き従う。
 こんな永琳を見るのは、久しぶりだ。
 何だか気分がいい。
 今頃その自慢の頭脳が、この事態に適応しようと頑張って回っているのだろう。

「あ、あの」
「何?」

 縁側に出て、白地の鼻緒に足を通す。
 小走りになりながらも、永琳は横並びになって話しかけてきた。

「姫様。私は、SSの様子を見に来ただけなのですが」
「私と一緒に呑むのは嫌?」
「いいえ、違います。ただ、あまりにも急な展開が、私には理解できません」
「夢は夢にしか出来ない形があるの。現実で出来る事を夢に回さない」
「え?」
「言ってたじゃない。私は現実で頑張る事にしましたって。ねぇ?」

 永琳が口をつぐむ。
 それを無視して先に進んだ。
 門に着く、外に出る。
 冬の黄色に春の緑が混ざる竹林は、夜になると季節の区別がつかない。
 あぁ、こんな暗闇にもすっかり慣れてしまった。

「着くまで、何か話でもしない?」
「解りました……SSの方は順調でしょうか?」
「ええ、順調に書き直してるわ」
「その台詞は順調には聞こえませんが」
「今度のSSは不可能を詰め込んでみたの。あなたに解るかしらね?」
「新難題ですか?」
「楽しい難題になるわよ。あと、コンペの参加は止めたから」
「はぁ……」

 夜露に濡れた草を踏みしめながら、奥へ奥へと歩いて進んだ。
 飛べばいいのに、とは永琳は言わない。
 例え月の無い夜でも、月に近付く事は禁忌だった。
 こうして歩いている限り、しだれる竹林が私達を月の眼から守ってくれる。
 ……そういう時代があった。

「着いたわ」
「はい……」
「見て、苔がぎっしり」

 複雑に絡み合う竹林に、夜空への小さな隙間がある。
 他にも、探せばこんな場所は幾らでもあるのだろうが、私達は昔から月見酒は此処と決めていた。
 丁度座る為に手頃な岩があったから、そんな他愛もない理由だっただろうか。
 私達が来なくなっていかばかり経つのか、そいつは髭でも生やしたような、苔生した貫禄ある岩になっていた。

「座るわよ」
「はい……」
「何、暗い顔してるの」

 永琳は黙って白い包みを解き、一升瓶と盃を取り出し、盃の方を私に手渡した。
 乾いた器が酒で満たされていく。

「どうせなら、楽しく飲みましょうよ。此処に来た意味解るでしょう?」
「もちろん。竹林での新月の祝い酒を忘れた日などございません……例え祝う意味が無くなっても、私は」
「だったら嬉しそうにしたら? まさか照れているの?」
「いいえ」
「変な顔するわね。あなたは私にこれを思い出してもらう為に、動いていたのではなくて?」
「私は、そのように見えましたか?」
「だってSSに、あなたの出番を執拗に求めるし、宴会の話に妙に拘るし、ああ、三日目はウドンゲなんか連れてきちゃったりして――」

『いえいえ、姫様と私も負けないくらいの仲良しさんではありませんか』

「こんな台詞を言ってたわよね?」
「はい」
「弟子と師匠、従者と主、ウドンゲを連れて来て仲良くしたのは、私とあなたの関係を思い出して欲しいものがあったからよね?」
「……いえ」
「何? 違うの?」

 私は盃を傾けて、呑み掛けの酒を一気に喉に流し込んだ。
 最初の一杯の喉を通る時の熱さが無い。
 苦さだけが残る水のような感じだった。
 此処で、一人で飲んだって仕様が無いのだ。

「ひょっとして、私の空回りで、こんな所まであなたを引っ張り出しちゃったのかしら?」
「そういうわけでは……ないのですが」
「まあ、いい機会じゃない? たまには昔を懐かしみ、二人きりで酒を楽しみましょうよ」
「敵は……」
「ん?」
「敵はもういません、月が見えない夜を祝う必要は無くなりました」
「今更、何を言っているの、それで止めたんじゃないの」
「そうです」
「だから、こうして場を設けてあげたんじゃない。此処で昔みたいに飲みたかったのでしょう?」
「心遣い痛み入ります」
「……いい加減、その酒が不味くなる様な顔は止めなさいよ」

 二人で飲みたかったのは、私もそうだ。
 だけど、こんな陰気な顔を見たかったわけではない。
 視線に困り、空を見上げる。

 星は綺麗だ。
 昔はこれが楽しかった。
 堂々と星を見上げられる日を、二人は心待ちにしていて、この日ばかりは曇りになると嘆いたものだ。
 痛々しい表情の永琳は……少なくとも私の記憶の中には無い。

『……ピンと来ませんか?』

 何だ、何が言いたい。

「ねぇ、永琳――」
「……私はこの儀式が大好きでした。衝立に映る長い髪の影ではなく、姫様の御顔を見て話せる稀有な機会でしたから」
「え? ああ、昔は誰と言わず、顔を合わすことは少なかったわね」
「酒に頬を染めて微笑む姫様がどれだけ美しかった事か。この微笑が私に与えられるなら、永遠の苦しみなど容易いものだと思ってました」
「誉めすぎじゃない? ……あら、ちゃんと昔話が出来てるじゃないの」

 永琳もようやくその気になったのかしら。
 飲み干した盃を渡そうと、視線を空から永琳の顔に戻した。
 何を思ったか、永琳は正座して頭を下げていた。
 引いた。
 何だ、それは。

「顔を上げなさいよ、何の真似よ……」
「隔てない場所、見えない月、祝いの言葉、どれもが私を酔わせてくれました。姫様を孤独から守り、姫様を月から守るのが、同じ永遠を与えられた、私の使命だと思い込んでおりました」
「思い込んでって……そういうのが立派な従者の役目でしょうが」
「では、今の私は従者ではないのでしょうか?」
「はぁ?」
「竹林の屋敷は、何時しか大きな物になっていった。妹紅という敵も、その敵との殺し合いも、やがて楽しむ事が闘争の目的となり、私の手出しは邪魔なものでしかならなくなりました。寂しさは屋敷の皆が解いてくれる、永遠の刺激は妹紅が与えてくれる、月が無くては弓を引く相手がいない」
「………」

 酒を呷る。
 何が言いたいのかおぼろげに解ったが、実に馬鹿馬鹿しい。
 そんな泣きそうな声で喋るなよ。

「月の脅威は去り、自由が訪れた中で誰もが幸せになっていきました。薬師としての私も幸せになっていきました。されど、姫様の従者としての私はどんどん惨めになっていきました。逃げる場所を、戦う敵を、分かち合う寂しさを、私は姫様との長い長い暮らしの中で、無意識に望んでいたらしいのです。そして永遠亭という大きな幸せに嫉妬して気が付きました。自分が姫様に必要とされる世界を求めるとは、すなわち姫様の不幸を求める事だと」
「やたら長いわね」
「……」
「今更、顔色窺わないでよ」
「……今回、姫様に必要とされる事が嬉しくてなりませんでした」
「SSの事ね?」
「嬉しいだけではなく、姫様の夢の世界に邪な考えを抱きました。夢ならずっと姫様の傍にいる事が出来る、どんな敵だって作り出せる。現実の誰も不幸にならない。そして、これを書いてる間は……私が姫様に必要とされ続ける」
「私のSSを架け橋に利用しながら、あなたが昔みたいに従者として活躍できる、理想の世界を作り続けようとしてたわけ?」
「はい」

 まるで陳情だな、と思う。
 問題の解決をつけようと、問題についての決定権をもっている、この私に説明をしているのだ。 

「どこまでが本当なわけ?」
「……え?」
「そこまで思ってあなたが動いていたなんて、到底思えない。それだけの本気にウドンゲという不確定分子の介入を許すかしら?」
「姫様の考え過ぎにございます。私は引っ掻き回せて時間が作れるなら、それも良いと考えただけのこと」
「興奮させようってのは無駄よ。私に何も解らないと思ってるのだろうけど」
「そのようなつもりは」
「本当はあなた、私がピンと来なかったところで、こんな事はもう止めようと思ってたんでしょ?」
「……どうでしょうか」
「永琳」
「はい」
「あなたが私の傍にいた時間は、私があなたの傍を望んだ時間よ。まずそれを理解しなさい。自分だけが独りだなんて思わないで」

 永琳は答えない。
 黙って下を向いたまま、辛そうに息を吸い込んだ。
 
「あなたの話の本音が何処にあったかぐらい私には簡単に解る。あなたは思い出のこの場所で、私の審判の声を聞きたかった。何も使命を果たせてない今の従者を、私が必要としてるかどうか」
「……」
「あってるわよね?」
「……はい」
「答えを知って、何になるというのかしら?」
「姫様、お願いします、私はどうしても貴女の口から聞きたいのです」
「私が、いらないと言ったら?」
「……」
「その時は、あなたは屋敷を出て行くのね?」
「姫様や他の者に、迷惑をかけるような選択肢は取りません」

 そう言いながら、準備が終わったらこっそり出て行く気なんでしょうよ。
 否定するならストレートな方がずっといいってのに。

「まあ、いいわ。で、その答えだけど」

 永琳が強く目を瞑ったのが解る。
 決然とした思いは十分に伝わった。
 だから、私は――。

「言わないことにする」

 溜め息を吐くように出した言葉に、初めて永琳が顔を上げた。

「……言わない……と言うのは?」
「言わないと言うのは、喋らないという事よ?」
「そうではなくて……」
「他人の言葉で自分の存在意義を確かめようなんて図々しい。さ、お酒、お酒」
「待ってください! 姫様は軽く流そうとしておられますが、私は本気です!」
「本気がどうしたっての?」
「もう百年以上も悩み続けております、今日を逃したら二度は無いとこうして思い切りました……どうかお言葉を!」
「全然足りないわね。後千年悩みなさい」
「姫様!」

 苔石に座る私のスカートの裾に、永琳の手が伸びる。
 その手をぞんざいに払う。
 盃の酒が揺れて零れ、そこだけ闇が濃くなったように、私のスカートが滲んだ。

「あら、もったいない。永琳、染みにならないように、早めに鈴仙に出しといてね」
「お願いします……私はずっと悩んで……!」
「図々しいと言ってるでしょう? 簡単に答えを出そうとするんじゃないわよ」
「簡単ってそんな……」
「私だってあなたに訊きたいわ。私が必要とされてるかどうかを」
「姫様が従者に対し必要性を問うなど、考えが矛盾しております」
「でも、私は訊かないわよ。あなたと過ごした千という数字は言葉一つで割り切れるものじゃないから」

 空になった盃を永琳に回す。
 永琳は首を振って後ろに下がったが、手をとって無理やり持たせ、一升瓶を傾ける。

「少しは酔って頭を温めなさい」
「妙な言葉ですね……普通は冷やしなさいだと思いますが」
「冷めた考えは身体に良くないわ」

 弱々しい愛想笑いだったが、此処に来て永琳が初めて笑った気がする。
 永琳は両手で盃をしっかり持ち、喉に一気に流し込んだ。

「どう?」
「私には良く解りません。答えは千年かかっても自分で出せということでしょうか?」
「そうじゃなくて、酒の味」
「……すみません。覚えてません」
「じゃあ、もう一杯」
「っと」
「どうぞ」
「これでは姫を差し置いて、私ばかり飲むような形になるのですが……」
「無礼講よ。衝立は此処には無いの」
「衝立……ああ、心の衝立ですね」

 では、頂きます、と言った永琳が肩幅くらいの大きさの盃をぐっと傾けた。
 僅か二杯でも、結構な量になる。

「そうだ、一つ撤回する言葉があったわね」
「何でしょう?」
「あの場では、私、否定しちゃったのだけれど、肯定でもいいわよ」
「は?」
「あなたと私が仲良しさんって言葉をよ」
「それを、肯定ですか?」
「鈍いわねー。仲が良いってのは、つまり互いが互いを必要としてるからではなくて?」
「はぁ、なるほど……」
「つまらない反応ね、もう少し感動したら?」
 
 しばらく永琳は、空の盃を持ったまま、ぼーっと漆塗りの底を見下ろしていた。 
 そのうち、ぷっと噴出すと、盃を直角に傾けて、残った数滴の酒を舌で掬う様に舐めとった。

「一つしか盃持ってきてないんだから、あまりはっちゃけないでよ」
「ごめんなさい。あー、気持ち良くなってきました」
「そんなに早く酔うわけがないわ」
「だったら、姫様の優しさが、私を酔わせたのですよ」
「お世辞は言えるのに、どうして根っこはそんなに不器用なんだか」

 遠くから見れば、私達は影にしか見えない。
 そんな暗がりの中で、二人で顔を向き合わせて笑った。
 これで、ようやく昔と同じ、酒の席になった。

「早く姫様入魂のSSを読みたいものです。きっといい気分になれるのでしょう」
「今度は、言葉で酔う?」
「色んな酔いが衝立を取り払い、心を一つにしてくれるのですね。素敵ですわ。さ、姫様も一杯」
「あら、ありがと」
「ふふふ」
「……何よ?」
「そこ、私が舌を付けた場所だから、間接キスになりますよ」
「ぶーっ!?」

 噴出した酒が、霧のように飛散る。
 永琳は避けもせず、その下で笑っていた。

「あんたねぇ!」
「あぁ、来て良かった、此処に」
「子供みたいな事しな――え? あ、そう?」
「ええ、こんなに素直に酔えたのは、生まれて初めてかもしれません」
「……あなた、鈴仙には凄い素直じゃないの」
「ウドンゲですか。あの子は可愛過ぎるから、つい虐めたくなりますね」
「それ、私が可愛くないみたいに聞こえる」
「いたっ、何、ちょっと、突然ふくらはぎ抓るの止めてください」
「新しい技なのよ、これから毎日使うから」
「えー!?」

 それから、二人して浴びるように酒を飲んだ。
 一本目の瓶を空けきり、二本目の半分まできた。
 とても楽しい気分に浸りながら、どうでも良い話に声を上げて笑った。
 誰が見ても酔っ払いだが、本当は私達は酔ってはいなかった。
 
 酒は薬であり毒で、アルコールはあっという間に、体内で無害な酢酸に分解されてしまう。
 蓬莱の薬のせいで、私達は物理的に酔うことは出来なくなってしまったのだ。

 だけど、それでも、この酒が美味いと感じているのだから。
 それが何より、隣の相手を大切に思ってる証拠だと思う。
 酒は心で酔うのだ。
 嫌いな人と飲んでも、酒は不味い。好きな人と飲めば、酒は美味い。 
 酔いの心理とは物凄くシンプルな真理。
 願うなら、頬だって染めてみせる。

「ふふふっ、そうですか。てゐがそんな事を言ってましたか。有難いですね」
「はん、どうせ鈴仙目当てだろうから、礼を言う必要はないって」
「いえいえ、私は感謝しないといけませんよ。てゐだけじゃなく、みんなに……」
「感謝するのはいい事だわ。主に私にしなさいよね」
「……」
「永琳?」
「ごめんなさい、星が綺麗で少し泣けてきました」
「そう、綺麗なのは否定しないわ」
「……もしかして姫様もですか?」
「私のは笑いすぎて泣いているだけよ」
「あー、そういう言い訳の方が自然ですよね」
「言い訳じゃないって」
 
 ゴミが入った、で良かったんじゃないかなと、今更に思いながら、瞼で涙を押し流す。
 溜まった涙は、一滴の雫となって落ちていった。
 暖かかった。
 永琳はしばらく泣いていたが、私の涙はそれだけだった。

「綺麗ね、星」
「晴れて良かったですね」
「私達にはすぐ近くに見えても、あの星と星との間は驚くほど遠いのよね」
「隣り合う星の距離ですか?」
「見た目に賑やかに見えても、本人達はそれぞれ孤独を抱えてるのかも知れない」
「はぁ……」
「星の話よ?」
「なるほど、星……」
「そういえば、星の光ってのは、消滅の光だったかな」
「ええ、私たちよりずっと長生きした星が終わる光です」
「いつか永遠にも、終わりが来るのかしら?」
「さぁ……」
「来て欲しい?」
「いいえ、貴女がいるなら」
「そう……」
「あ、姫様、流れ星」

 永琳が空を指差す。
 指の先に視線を合わせたが、流れてくるようなものは見えなかった。
 ただ、やたら濃い色の赤い星が――。

「……何だか近付いてるのだけど」
「珍しい流れ星です」
「本当に赤いわ。鬼灯みたいに真っ赤な色ね」

 何で私達が此処にいるって解ったのかしら、あいつ。

「奇襲攻撃、トラトラトラ」
「お酒、片付けておきますね」
「永琳、違うわよ。何をぼーっとしているの?」
「はい?」
「こういう時こそ、従者の出番でしょう?」

 にやついて、弓を構える真似をする。
 永琳は笑いながら盃を置いて、夜空に上がり、迫り来る流星に躊躇い無く弓を引いた。

「酒のつまみは……」
「火食い鳥といきましょう」
 


【五日目】

「イナバイアー!」

 だからといって、永遠亭に何か変化があったわけでもない。
 永琳は今日も鈴仙にべったりだし、てゐは相変わらず悪ふざけばかりだし、私は一人で過ごしている時間の方が多い。
 多少、屋敷内外問わず、出歩く時間が増えたが。

「ウドンゲ! 角度がついていない! もっと腰を曲げなさい!」
「ですが、これ以上やると、その、見えちゃうような……」
「逆に考えるのよ! 見えてもいいじゃないかと考えるのよ!」
「わ、解りました!」

 力説のところにお邪魔する。
 ちなみに、この技の発案者は因幡らしいのだ。
 奴はそれはもう、物凄く曲がるそうな。
 何の役にも立たないが。

「何やってんだか」
「あぁ、姫様。見ての通り不意の災害対策、妹紅襲撃に備えてのイナバイアー訓練です」
「ぐ……ぐぐっ……」
「ウドンゲ! ファイト、オー!」
「そろそろ、あなたの趣味にしか見えないのだけど」
「し、師匠、きついです……くぅ……」
「そうねぇ、さっきから間断なくやってるし、一回おやつタイムを取りましょうか?」

「駄目駄目ーっ!」

 ばーんっという効果音でもバックに付きそうな、悪戯兎が腕を組んでの登場だ。
 身長が身長なので、あんまり迫力は無い。

「永琳様、ここで甘やかしてはれーせんの為になりません!」
「あら、てゐ。雑巾がけは終わったの?」
「雑巾がけは終わってませんが、甘い物はお腹に贅肉をもたらせます。食べ過ぎると華麗なるイナバフォームが崩れてしまいますよ!」
「なるほど、一理あるわね」
「そうでしょう! 既にれーせんのは私が食べておきましたからご安心を!」
「何が、ご安心じゃぁあああああ!!」

 鈴仙が飛んだ。
 超高速回転物体となった鈴仙は、因幡の腰を砕きながら庭に飛び込んで何故か爆発した。
 これが噂の、うさ耳クレイドルね。

「こんのっ、性悪うさぎぃー! 食べたか!? また食べたか!? 美味しかったか!? この口かぁー!?」
「ああん、今日のれーせんは一段と激しい〜」
「おのれ、今日という今日は、二度とその口がおやつを食べられぬようにしてやる!」
「やめて、やめて、ほっぺは、やめ……むにゅーっ!? ひたいひたい!」

 そんなクレージーだけど珍しくもない二人のプロレスを観戦しながら、私は永琳の横に座って大福餅を齧った。

「どっちが勝つと思います?」
「鈴仙でしょ?」
「おやつの大儀がありますからね」 
「お餅、どう?」
「あ、頂きます」
 
 何処から溢れたのか、兎がいっぱい集まってきて、テンカウントを取り出した。

「……ファイブ、シックス、セブン、エイト、ナイン、テン! 一分三十二秒、一ラウンドフォール勝ち! 勝者! 鈴仙様ー!」
 
 わー、とかいう声が上がる。
 鈴仙も喜んでいる。
 駆け寄ってきた鈴仙ファンの胴上げまで始まった。
 この様子だと、近い内にまた鈴仙はおやつを取られるなと私は確信した。

「それで、姫様。今日はどのような用向きで?」
「SSが出来たのよ」
「もう、出来上がってしまったのですか?」
「簡単なものだからね、はい、これ」
「まぁ、本当に……あの……」
「ええ、読んでいいわよ?」

 永琳にSSを渡し、また餅をぽっちり齧る。
 庭のイナバ連中は、胴上げに飽きたのか、十回ぐらいやると方々に散っていった。

「どう?」
「愉快で個気味良い。微笑ましいです」
「何に見える?」
「……水泳ですよね?」
「ええ、そう。だけど、ちょっと特殊な水泳よ」

 永琳は少しだけ首を傾げたが、すぐに気が付いたのか、目を細めて笑った。
 
「……これは夢でしか出来ませんね」

 服の埃を払って、鈴仙が部屋に戻ってくる。
 因幡の姿を探すと、ちょっと満足そうな顔をして庭に倒れていた。

「うわぁー、何時見ても輝夜様の字は凄いなぁ、憧れますー」
「ウドンゲ、失礼ですよ。これでも輝夜様は一応姫なのですから」
「あんたが一番失礼だ、あんたが」
「ところでこれって……あっ、例のが遂に完成したのですね!?」
「例の、じゃないんだけどね。ま、完成はしたわ」
「私が読んでも、宜しいのでしょうか?」
「好きになさいな」

 目を輝かして、鈴仙は紙を受け取る。
 わき目も振らず、紙を一枚一枚捲って読み進めていく。
 宝の地図でも見つけたかのような、集中力だ。

「はぁ、すごいです……!」

 鈴仙は心を打たれたといった感じで、胸にSSをあて深い溜め息を吐いた。
 あなた、なかなか見る目があるじゃないの。
 今日の鈴仙株はストップ高よ。

「輝夜様。これなら書道教室でも開いて、立派に先生としてやっていけるかと思います」
「まだ字の話をしてたのかよ!」
「私も協力しますから。是非、開きましょうよ〜輝夜様〜」
「うるさい! 離せ、縋りつくな!」
「ウドンゲ、その物語に書いてある不可能、何だか解る?」
「は、不可能? 何の話です?」
「幻想郷では出来ない事よ」
「あの、四人で仲良く泳いでいるだけに見えるのですが」
「頭を使いなさい。違いを考えるの」
「はぁ……」

 律儀にも最初の頁へ戻って、瞳を凝らす鈴仙。
 じっと見ても、絵じゃないんだから解らない、というのが解っていない。

「あ、解った! 輝夜様の胸が、現実よりも割り増しされ――」
「ここに兎の墓を一つ増やしたいのかな?」
「海水浴よウドンゲ。それは湖じゃなくて海なのね」
「海水浴? 何ですかそれ?」
「外の世界には、海という大きな水の世界があるの」
「それは、紅魔館の湖よりも大きいのですか?」
「比較にならないわ。それにしょっぱくて、普通の水よりぷかぷか浮かぶ不思議な水よ」
「へぇ……へぇ! 凄い!」

 その言葉で中身まで価値が上がったみたいに、永琳は和紙の束を高く持上げた。
 何をやっても無邪気な奴。
 
「さ、ウドンゲも休憩。今日は良く頑張ったから、特別にお餅をあげましょう」
「ええ!? 本当ですか!? 師匠ありがとーっ!」
「あー! れーせん、ずるいー!」
「ちっ、目覚めたな性悪兎。しっ、しっ、あんたは私のおやつ食べた罰よ」
「うぅ、いいなー、私もお餅欲しいなー」
「だーめ」

 さりとて、鈴仙は、あの指を咥えて見つめる視線に負けて、そのうち手の餅を半分差し出すことになるだろう。 
 そして、因幡の満ち足りた笑顔を見て、騙されたと解っていても一緒になって笑うのだ。
 全く、本当に、いつも通り。

「いいコンビね……」
「私達がですか?」
「どうも、そうらしいわ」
「しかし、海とはまた……懐かしい言葉を選んだものです」
「別に深い意味は無いわ、何となくよ」

 永琳が正座を崩して斜めに座った。
 その視線は竹林に向いていたが、焦点はもっと遠くにある気がした。
 竹林の隙間の暗い小道のずっとずっと向こうに。
 
「何が見える?」
「海――とか格好付けてみたいですが、別段変化も無い竹林です」
「ねぇ……これだけ長く生きたってのに、広い海で自由に泳ぐ事は叶わなかったわね」
「あの頃は、ままならぬ日々でした」
「で、自由になったら、今度は海がないと」
「海。ならば作ってみます?」

 冗談だろうと永琳に向いたが、こいつが結構真剣な顔をしていた。
 何も言わぬまま、二人の睨めっこが続き、最後には二人同時に笑いがこぼれた。

「ったく、馬鹿なのか、天才なのか、解ったもんじゃないわ」
「そうですか? 時間は幾らでもありますから、環境ごと丸々変化させてもいいんですけどね」
「そんなくだらない動機で海作っちゃったら、物凄く恨まれるわよ私達」
「ま、恨みっこは慣れてます」
「何処まで続いていたのかなぁ……海……」

 月の使者から逃げた夜、笹の葉を舟にして、海に流した思い出がある。
 一緒に二つ乗せた小さな砂の粒は、二人の自由への、そして果てへの想いだった。
 私達はすぐにその場を離れ、屋敷を背にする事だけを考えて、ひたすらに歩いた。
 果ても知れぬ海へ飛び出した、小さな舟の行く末を見届ける事も無く……。

「うみは、おおなみ、あおいなみ……」
「……? ゆれて、どこまで、つづくやら?」
「何処までかしら?」
「何処まででも、お供しますよ」
 
 縁側の方に、ついと視線を飛ばすと、やはり鈴仙は因幡に大福餅を分け与えていた。
 因幡は縁側に出した足を振りながら餅を頬張り、相当なご機嫌ぶりを見せていた。
 それが演技なのかどうか解らないが、鈴仙もまた上機嫌だったので、これで正解なのだろう。
 二人が分け合ったのは、お餅だけじゃないらしい。


『最後にこの人が残ると。あら、偶然にも私が残りましたね』

 そうね……。
 永遠も、半分こに、しちゃおうかな。

 

 

 

 

■作者からのメッセージ

貴女がいるから、私が幸せ。



SS
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2006年3月23日 はむすた

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