明日の咲夜さん

 

 

 

 うら若き乙女がいるものだと信じて駆けつけてみたら、そこには小汚いおっさんが一人いるだけだったとしよう。さて、なんとするか。

 咲夜さんは、とりあえず着地に失敗して引っくり返りかけてみた。
 思い切りのけぞったその視界に映るのは、真っ黒な新月の空。
 そう、新月というのがやはりまずかった。おかげで、ここまで近付かなければ相手の正体を視認できなかったのである。
 というか、時間を止めてから接近すべきだった。
 色々と後悔の念に駆られながらも、咲夜さんは素早く瀟洒に姿勢を立て直す。かかっ、と靴の踵を鋭く鳴らしてみたりもする。瀟洒である。
 おっさんはびっくりした顔で、この突然現れたメイドさんを凝視していた。そりゃびっくりするだろう。人気の無い夜道に、いきなり空からメイドさんである。ここが某電気街でもびっくりする。
「よ」
 ぽかんと開いた口から、しゃっくりみたいな音が出た。
「よったらんばいか」
 どこの方言だろうか。
 続けて、
「なんだあんた」
 それはこっちの台詞だ。
 咲夜さんは思ったが、口には出さない。いつもどおり、瀟洒な佇まいでおっさんを見下ろす。
 おっさんは元より小柄な上、なにやら大荷物を背負っていて、腰がほとんど直角に曲がっていた。おかげで丈は咲夜さんの半分くらいとなってしまっている。
 高い視点から咲夜さんは見下ろす。
 低い位置から、おっさんはちょうど目の前に来ている咲夜さんのスカートの裾のあたりをまじまじと見つめ、なぜだか頬を赤く染めていた。
「ええと」
 咲夜さんは空っぽだったはずの手に、魔法のようにナイフを閃かせて、おっさんの伸びきった鼻の下へ突きつけた。
「女の子がいると思ったんだけど」
 どうして、そう思ったんだっけ。乙女とおっさんとを勘違いしたショックで、直前の記憶が一部飛んでしまっている。
 何か、勘違いした要因があるはずなのだ。
 あまり不躾にならない程度にじろじろとおっさんを見る。歳はおそらく四十を超えた、頭髪の寂しさからしてもしかすると五十台に至ってるのかもしれない。痩せっぽちの体にほとんどぼろみたいな着衣、あと一歩でおこもさんである。
 そんななりだから当然、体臭も芳しいわけがなくて――と、そこではたと気付いた。なぜだか知らないが、わずかながら良い香りが漂ってくる。おっさんの見かけからは有り余るほどの違和感があるそれは、どこか懐かしさを覚える芳香、だがそんなはずはない……白粉なんて、咲夜さんには無縁なもののはずだった。
 いや、なんで白粉。おっさんに白粉。
 もちろん、おっさんが顔に塗りたくってるわけではない。別に発生源があるはずだ。そしてそれが、勘違いした原因なわけである。
 そこでやっと、咲夜さんの意識は、おっさんの背負っている大荷物へと向いた。
 それは大きな木箱だった。暗褐色をしており、洋館勤めの咲夜さんなどは紫檀製かしらんと踏んでみたが、暗いこともあっていまいち正体は掴めない。
 まあ材質はどうでもよろしい。
 そんなことよりも、でかい。長辺は下手をすれば、いや間違いなくおっさんの背丈を上回っている。幅もそれなりにあるから、つまりおっさんをこの中に詰め込もうと思えば詰め込めるのだ。やらないけど。
 それで見た目はシンプルさしたる意匠も施されてないけれど表面などは丁寧に磨かれており、まあそこそこお値打ち物かもしれない。少なくとも、小汚いおっさんとのコーディネートにはそぐわない。
 芳香は、その箱から発せられているらしかった。咲夜さんをここまで導いた、少女の匂いだ。
「ああ」
 そういうことか。
「その中に女の子が」
 つまりあなたは人攫い。
「ちゃうわい」
 おっさんは突きつけられたナイフの刃先越しにしつこく咲夜さんの絶対領域を睨みつけていた。
 じゃあなんだ。ただの変態か。
「そういうお姉ちゃんはなんだいね」
「メイドですわ」
 言わずもがなのことを言う。
 はあ。おっさんは首をかしげた。その拍子に刃先が鼻をかすめて、危うくふたつの穴をひとつに繋げてしまうところだった。
「やっぱり追っ手と違うんね」
「追われてるの?」
 やっぱり人攫いじゃないのか。


 繰り返すと、新月の夜である。
 場所は人里からちょっとばかし離れた、林を貫く街道。
 そんなところで鉢合わせたふたり、どっちも怪しいと言えば怪しい。
 実際、咲夜さんもその辺りの自覚はあった。というか今夜この界隈で一番怪しいのは、彼女だったのではなかろうか。

 咲夜さんが紅魔館からこんな所まで出張っているのは、敬愛して止まないお嬢様に捧げる新鮮な血を求めてのことだった。館のストックがそろそろ尽きようとしていたのだ。
 血は、やっぱり若い娘のものがいい。生娘ならなお良い。
 真っ昼間に人里へ繰り出せば確保するにも手っ取り早いのだが、そこはやはり目立ちたくないという心理の方が強い。下手にちょっかいを出しただけで里の守護者を自称する半妖怪がまろび出てくるし、まあそれはいいのだが、最悪の場合は博麗の巫女がうすらぼんやりと飛んできかねない。
 なので、はなはだ非効率を承知で、夜に外を出歩くような迂闊な乙女を求めて回っているわけだ。
 夜雀などとの遭遇戦を適当にこなし、上手いこと獲物を見つけたら、さあここからがめちゃくちゃ楽しい。きゃーとかあーれーとか叫びながら逃げ惑う乙女を、すぐさま追い詰めたりはせず、適度に驚かせたりしながら犬は喜び庭駆け回る。なにせ夜は長い。
 向こうもどうやら空飛ぶメイドすなわち悪魔の犬の評判は知っているらしく、とっ捕まっても血をちょっと抜かれるだけで格別の危害も無い、妖怪に襲われるよりもよほど安全だと心得ているらしい。必死こいて逃げる者は、最近はほとんどいなくなった。
 中にはノリのいいのもいて、実はこの機会を待ち望んでいたのか、とうとう捕まったとなると「いやーん」とか言いながら自分から咲夜さんに抱きついてきたりと、なかなかに倒錯した状況が生まれることもある。というかわけがわからない。何を期待しているのか君は。
 とまあ、そんな昨今の狩猟事情である。

 ところで咲夜さんは鼻が利く。仕えるお嬢様ほどではないが、嗅覚はそれなりに鋭い。悪魔の犬の所以はもしかしたらその辺にもあるのではないかと巷では思われているが真実は定かでない。
 とにかく、狩猟においてその嗅覚の助けは大きい。
 この夜も、風に乗って流れてきた乙女の匂いを嗅いで急行したらば、なぜだかおっさんに遭遇した咲夜さんなのだった。


 そんなわけで、こうなるともう翻弄してくれたおっさんというよりもむしろ箱の正体を明かさぬまま帰るわけにもいかない。腹の虫やらなんやらが収まりつかない。
 そう説明すると、おっさんは当の箱を道端に置いてその上に腰掛け、ふんふんなるほどとうなずいた。
「本当は女の子が入ってるんじゃないの? そうでしょ」
「いやちゃうねんなほんま」
 なぜか怪しく訛りながら、おっさんは首に回していた手拭いで汗の浮かぶ額をとんとんと叩いていた。どでかい箱を担いで歩いてきて、よほど疲れたらしい。
 さて、どこから歩いてきたのか。そしてどこへ向かうつもりだったのか。新たな疑問が咲夜さんの中に湧く。
 確か、あっちからこっちへと歩いていたような――目を左右に巡らせる。地平の彼方、里の明かりか、小さな光の点がぽつぽつと浮かんでいる。
「まあ見てごらんせ」
 おっさんはやれやれと腰を上げると、箱の蓋を取った。あっさり。
 ふわりと白粉混じりのいい匂いが中から舞い上がった。中は予想外にすかすかとしていて、ただ底の方に反物のようなものがひとつ敷いて有るきりだった。
「うん」
 考えてみれば、子供とはいえ人の入った箱をこんなおっさんが運べるとも思えない。
「知っていたわよもちろん」
「知っとぉか」
 おっさんは指先を反物に伸ばし、だが触れる直前でためらった。手を自分の服でごしごしとこするが、却って汚くなってしまったようにも見える。悲しそうに、触るのを諦めた。
「うちの死んだ母ちゃんのやね」
「お母様。いえ奥様?」
「うん、わしの娘の母ちゃんやね。うち貧乏で昔ぃに質に入れてもうたんやけど」
 母ちゃんちゃうで反物をやで。
 おっさんはふと遠い目をした。
「明日なあ、わしの娘が嫁に行くんねやあ」
「それは」
 咲夜さんは意外さを隠そうともせずに、
「おめでとうございます」
「ありがとお」
 こくこくとうなずいて、
「白無垢はまあ、なんとか用意でけたんやけども。持参金とかほら、さっぱりでなあ。向こうさんはなあんかめへん言うてくれはったけど、やっぱええべべのひとつも持っとらんじゃあ娘が可哀想やろ?」
「かもですわね」
「そんで思い出したんよ。これええわ、これ贈ったろ思たんね」
 なるほどなるほど。いい話じゃないか。
「ほんでさっき流れた先から取り返してきてん。金なかったからネコババしてきてっちう」
 いやだめだろそれは。

 そう言えば追われてるとか、さっき言っていた。
 そして街道の彼方へと目をやれば、さっきは砂粒ほどだった光の点が、いくらか大きくなっているようにも見えるのである。
 追っ手だ。
「やあ、急いで逃げんと」
 おっさんは元通り蓋をすると、また箱を担いだ。ひょこひょこよ歩き出した足は、意外に早い。
 まあ思ったよりも早いという程度で、咲夜さんが歩く調子の半分も速度は出ていない。
 断言できた。あと五分で捕まる。
 咲夜さんとしては、もはやどうでもいい話のはずだった。今からではさすがにもう別の獲物を見つけることも叶うまい、空振りだったことにがっくりして館へ帰ってそれでおしまいである。
 でもまあ、咲夜さんもそれなりに計算高いのだった。
「助けてあげてもいいわよ」
 おっさんの隣に並んで告げる。
「もちろんお礼はもらうけれど」
 冗談だと思ってるのか、おっさんは目を白黒させている。
 咲夜さんはうっすらと笑いかけた。
「まずはその箱、置いていきなさい。要るのは中身だけなんでしょ?」


 嫁入り直前の娘の血となると、これはなかなかレアなんじゃなかろうか。
 レアじゃないかなあ。
 肝心なのはそう思う心なのだ。同じ味覚への刺激でも、精神的な高揚が彩を添えてくれることは多々ある。そして紅魔館のお嬢様は、その辺りの機微を十分に心得ている方であった。
 ビバお嬢様。
 咲夜さんは街道の真ん中に佇立している。暗い空の下、その立ち姿は蒼い。常ならば白いコントラストを生み出すエプロンが、その腰から失せていた。
 傍らには例の箱が同じく直立している。
 立ててみるとこれが思ったよりも大きくて、咲夜さんでもすっぽり収まりそうなほどだった。よくもあのおっさんはこんな物を担いでのこのこ歩いてこられたものである。捨てればもっと楽だったろうに……まあその辺りは理由があったとしても。
 そのおっさんは、反物だけを持たせて先に行かせた。素手で反物に触れるのを嫌い、箱を捨てるのを渋ったので、咲夜さんは自分のエプロンで包ませてやった。
 なので咲夜さんは蒼い。

 さて、しばらくするとばたばた足音を響かせ、おっさんが去ったのとは反対の方角から、何人かの男たちが息せき切って駆けてきた。
 全員黒づくめの格好で、いかにも剣呑な顔つきをしていた。さて、あのおっさんはどこから盗んできたのやら。
 忍者か葬儀屋あたりかしら、と咲夜さんは微笑んだ。
 彼らは街道の真ん中を塞ぐ物体に気付くと足を止め、
「あ、兄貴。あれあれ」
 男のひとりが、手に提げたランプで咲夜さんと箱のことを照らし出した。
 彼らのリーダーだろうか、兄貴と呼ばれた長身の男が、ゆっくりと咲夜さんに詰め寄っていった。
「なんだ……盗ってったのは中年の男だって話だったんだが。お嬢さんは何者だい」
「さっきの男は悪魔の猟犬めが処理いたしました」
 唇の端に蒼褪めた微笑が流れた。
「次はあなたがたの番」
 言葉が切れるのと同時、ぼっ、と大気を穿つ音がその手から連続し、銀色の閃光が幾筋も走っていた。苦鳴が連続して上がり、男たちの手からランタンが落ちる。
 たちまち辺りは朔の闇に覆われ、その中でなぜだか咲夜さんの浮かべる細い細い三日月のような微笑の形だけが、蒼く白く男たちの目には克明に焼きついていたのである。



 男がうめく。
「つきに恵まれなかった」
 ツキに、か。あるいは月に、か。
 この暗さの中、男たちはただうろたえるだけで、逆に咲夜さんの投じたナイフは次々と命中を果たし、彼らをあっさりと無力化させてしまっていた。あるいは満月の下でなら、彼らももう少しは抵抗できたかもしれない。
 ツキじゃなくて実力よ、と唇が動く。
 倒れていた男たちの中でリーダーが身を起こし、ゆっくりと手下たちを見回した。最後に咲夜さんを見据える。
「お嬢さんは、何者だい」
 繰り返される問いの声は、先ほどより穏やかで、だがまだ完全に気力を挫かれたわけではないらしかった。
「ええと」
 咲夜さんは手の中に残ったナイフで肩をとんとんと叩いて、
「そういえば、あなたたちはむしろ被害者なんだっけ」
「その棺に何の用がある」
 男の指差した先、箱はなおも馬鹿みたいに突っ立っていた。
「棺?」
 言われてみれば。
「うちのお嬢さんのだ」
 男は話し出す。

 過日、近所の増水した川にそのお嬢さんが呑まれた。
 その体はどこにも上がらず、ついに発見されぬまま捜索は打ち切られ、遺体なくして葬儀という運びになろうとしていた。
 そこへどこからかふらりと現れたおっさんが、棺をかっぱらっていったのである。
 いくら遺体が無いとはいえ、棺がなければ葬儀どころではない。何より体面に関わる。
「どうか、返してはもらえないか」
 男は姿勢を正すと、そういって頭を下げた。
 話を聴きながら男たちに刺したナイフを回収していた咲夜さんは、苦笑して箱を振り返った。
 西では婚姻、東では葬式か。
「いいわよ、別に。私には過ぎたものだわ」
 でも棺桶って、考えてみたらお嬢様へのお土産におあつらえ向きかも。
 男は棺桶をゆっくりと倒し、ふと思いさしたように蓋を開けた。
「おい、形見の反物がないじゃないか」
 そうだった。


 それで気力も尽きたというように、男はへたりこんでしまった。
 気付かないまま持ち帰って燃やしてしまえば幸せだったのになあと咲夜さんは思う。それだけに哀れでもあった。
 まあちょっと待ってなさいと言い置いて、とりあえずおっさんの住む里へと足を向ける。その道中で何かいい手も浮かぶかと思ったが、逆にめんどくさくなってきただけだった。
 もう報酬もらってそれで帰ってしまおうかなあ。
 さて里に着くと、おっさんとその娘さんとに出迎えられた。娘さんはどうやら母親似らしい。幸か不幸かで言えば、間違いなく前者だ。
 娘さんの浮かべる明るい笑顔は、まあそれだけでも普通の男ならば報酬とするに十分なものだったろう。
「ありがとうございます」
 いえたまにはね。
「こんな素敵な贈り物を」
 はい?
 娘さんは胸に白い衣を掻き抱いていた。
 咲夜さんのエプロンだった。
「こっちのが素敵です」
 反物はどうした。
 おっさんに目をやると、やっぱり笑っている。どうでもいいらしい。
 咲夜さんも笑った。笑いながら反物をよこせと言った。


 式に呼ばれたのだが、そんな暇はないのでやんわり断っておいた。
 街道を引き返して男たちに反物を届けてあげると、感謝されて、なぜかこっちでも式に呼ばれた。もちろん断った。
 気が付けば東の空がうっすらと白みはじめていて、それを臨む咲夜さんはただ蒼かったのである。
 溜め息が出た。反物をもらって肝心の血液を採取してくるのを忘れてしまったのだが、そんなことは脳裏にはなかった。
 ただ自分が常々、結婚にも葬式にも縁の薄そうな場所にいるのだなあと、それだけを思っていたのである。
 やがて射しはじめた朝日の中を、咲夜さんは眠たげに終の住処へと帰る。

 

 

 

 



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2006年11月22日 日間

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