霧雨抄

 

 

 

「魔理沙ってさ、霧雨って感じじゃないわよね」



 珍しく霊夢のほうから訪ねてきた日のこと。常に春めいた思考回路を持つ巫女は、なんの脈絡もなしに、そんなことを言ってきた。
 春全開だな、もう梅雨だってのに。そう思ったが口には出さず、私は霊夢がいる窓辺に、彼女と並んで立った。
 窓の外は、雨。糸のように細かな雨粒。
 霊夢の言う、霧雨だった。


 霧雨――霧雨魔理沙。


 私の姓と同じ音を持つ、霧雨はそんな自然現象だ。ここ、魔法の森ではさして珍しくもない。ずっと上空では、あるいはごく普通の雨粒なのかもしれないが、濃く生い茂った森の緑を通る間に、ほとんどが細かな糠雨に変わってしまうのだ。

 それで……霊夢は今、なんと言った?
 なんか、私の名前を否定されたような気がしたが。

「だって、霧雨って、なんだかはっきりとしないじゃない。霧とも雨ともつかないというか」
「まあ……だから霧雨と呼ぶんだろうがな」
「魔理沙って、そんなはっきりしない性格じゃないし。あんたなら、どっちかって言えば……そう、夕立ね。ぱっと降って、ぱっと上がる。雷を伴う派手なところなんて、まさにぴったりじゃない?」
「じゃない? と言われてもなぁ」
「それに、こんな霧雨って、上がってからも、じとじとと後を引くでしょ。未練がましいったらないわ」
 どうやら彼女のさっきの言葉は、私を貶める意味で口にしたものではないらしかった。内容だけなら、むしろ褒めているようにさえ受け止められる。この巫女には珍しい行いだ。貶すか、さらに悪ければ無関心というのが、大抵の行動パターンなのだが。
 それはさておき、私は霊夢の言葉を反芻してみた。
 霧雨というよりも夕立――なるほど、と納得できないこともない。
 いわゆる「霧雨魔理沙」の一般的なイメージと、この「霧雨」という気象と。それらがそぐわないと見えても、仕方ないことなのかもしれなかった。

「私と霧雨は馴染まない、か……」
 雨音より小さな声でつぶやきながら、私はおもむろに窓を押し開いた。途端に、むっと重い空気が流れ込んでくる。
「ちょっと、なにしてるのよ」
 霊夢が批難の声を上げて、窓辺から後ずさりする。どうやら森に篭った湿気がお気に召さない様子。
 私は取り合わず、雨中に掌を突き出した。
 私の手に落着した雨滴は、ほとんど弾けもせずに、ただじわりとそこを濡らした。じっとりとしていて、冷たさを感じさせない。むしろ生温かかった。
 木々の天蓋を透かしてわずかに見える空には、朝からずっと、灰色の雲が低く立ち込めている。
 降り始めたのは正午過ぎ、霊夢が来てからだった。それからずっと、雨脚はこんな調子だ。雲はひたすら、細かな水滴の群れを大地に落とし続けている。この分では、まだまだ止みはしないだろう。
 目に見える世界の一切を、霧雨が覆っている。


 霧雨――霧雨魔理沙。
 それは、私が生まれた家の名。私が捨てた家の名。


 私は外に顔を向けたまま、言っていた。
「私には似合わないかな、霧雨姓って」
「ん……ああ、いや、さっきのは忘れて」
 霊夢は急に言葉を濁す。どうやら触れてはいけないところに触れてしまったかと、そう考えたらしい。
 私は別に気にしてなどいなかった。ただ、自分でもこの話題に、ちょっと興味が出てきていたのだ。
 確かに、私はいまだに、縁を切ったはずの実家の姓を名乗っている。新しい名を考えるのが億劫だとか、そういった理由もあるにはあったのだが、とどのつまりはやはり――

 私はすっかり濡れそぼった手首を振って水滴を払うと、手を引っ込めた。くるりと一八〇度向きを変え、窓べりに背を預ける。そして正面にいる霊夢に、にやりと笑いかけてやった。
「そうだな、それじゃあひとつ、ここらで改名してみるか」
「はい?」
「うーん……やはりここは、『村雨魔理沙』なんてのはどうだ? 語呂もいいし、意味合いからしてもぴったりだと思わないか?」
「そうね、むらっ気のあるあんたには、合ってるかも」
 はじめこそ驚いていた霊夢も、すぐに笑みを見せた。それは、すぐに皮肉なものへと転じる。
「でもそれなら、こっちのが合ってるかも。『暴雨魔理沙』」
「なっ……なんだ、そのいかにもじゃじゃ馬です、みたいな名前は。語呂も悪いぞ」
「じゃあ、『通り雨魔理沙』」
「せめて『驟雨魔理沙』くらいにしてくれ」
「『涙雨魔理沙』」
「演歌かよ!」
 こいつ、調子に乗りやがって。私は霊夢を睨みつけたが、すぐに馬鹿らしさを覚え、気が付けば笑い声を立てていた。
 霊夢も一緒になって笑い出す。
 ひとしきり笑うと、私は窓を閉めた。さすがにこれ以上、湿気の侵入を許せば、室内に山と積まれた本を傷めてしまいかねない。
 それからまた霊夢に向き直ると、私は告白した。
「私は、霧雨って好きなんだ」

 予想通り、霊夢は意外な顔をする。そして説明を求めてきた。
 どうしてか。
 私はすぐには答えず、彼女に背を向け、窓外に眼をやった。自分の感覚を上手く伝えられる言葉を探して。
 なんとなく、じゃ納得してくれないだろうな、やっぱり。余計なことを口走ったかな、とちょっと後悔。でも、なんとなく霊夢くらいには知っておいてほしい気がしたのだ。
 私は降り続く空を見上げ、それから薄い水溜りの出来つつある庭に視線を落とし、やっと口を開いた。
「……なんて言うか。ゆっくりと地面に染み込んでいくじゃないか、この雨は。気忙しくなくてさ。そこが、いいのかな」

 一気に叩きつけるような雨も、それはそれで嫌いではない。私は大きな力を派手にぶっぱなすのが好きだから。
 でもそのためには……いざという時に大きな力を発揮するためには、日頃の地味な研鑽が欠かせない。だから私は、日々、力と知識を貯める。
 これは急いだり、まとめて詰め込もうとしたりしてはいけない。無理をしても大半が溢れ、無駄に零れ落ちるだけ。じっくりと時間を掛けて、自らの中に染み入らせなければならない。大地に霧雨が染むように。そちらこそが、私の本質だと、自分では信じていた。
 染み込んだ水は、いつか地に芽を出すための養分となるだろう。霧雨は、そんな未来を私に見せてくれる。努力が明日に繋がることを静かに伝えてくれる。

 ――とまあ、詳しいところまで明かせばそういうわけなのだが、さすがにここまでは話せない。照れくさい、柄じゃない。
 でも口に出した分だけだと、説明としては中途半端か。案の定、霊夢は小首をかしげている。
「うーん……まあ、落ち着くと言えば、落ち着くかもしれないけどね、霧雨も」
 それでも、どうにか自分の中で勝手に補完して、納得に至ってくれたらしい。
 私はここぞとばかり、まとめにかかった。
「だからさ、私は無理に名前を変えようとも思わないんだ。霧雨魔理沙、うん、いい名前じゃないか。語呂もいい」
 私はこの名に誇りすら持てる。
 もちろん、霧雨家の一子であったことが誇らしいという意味じゃない。この、そぼ降る雨を名乗れることが、嬉しいのだ。私の本質を映し出すかのような、この雨の名を。


 霧雨――私は、霧雨魔理沙。




「ま、私もいまさらあんたに名前を変えられても困るしね。あ、でも改名には神前儀式が不可欠……あんた、やっぱり改名しなさい。儀式費用は安くしとくわ」
「おいこら、人の名前で食い扶持を稼ごうとするな」
「冗談よ。でも、この霧雨で帰れないことの責任くらいは取ってくれるのよね、霧雨さん?」
「やれやれ……ま、いいさ。今日は泊まっていけよ」


 窓の外には、ゆっくりと夜の気配が忍び寄りつつあった。雨はまだ止みそうにもない。
 二人、雨に閉ざされ家の中。
 私は霊夢と夕食をとりながら、明日、晴れたら何をしようか話し合う。




 そして明くる朝の雨が上がった光景を夢に見ようと。
 私たちは眠りに就く。
 霧雨の、聞こえるか聞こえないかの小さな雨音を子守唄にして。

 

 

 

 



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2005年6月28日 日間

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