お腹のあんこが重いけど……と先人は言った

 

 

 

ある朝、メガネは店のおじさんと、喧嘩して、香霖堂を飛び出したのさ。

―――――

 がさがさ、ざざざっ……。
 朝露の森の中を眼鏡が走っていた。
 霖之助の眼鏡が店を飛び出したのは衝動的ではあったがその背景には霖之助への常日頃からの鬱積した感情が――四行目だけど勘弁して。
 どう考えても眼鏡君が走り出した動機より、走っているメカニズムの解明が期待されてるよ。
 走っていたって……そんなあっさり……なぁ?
 でも、どういう原理でとか、どんなエネルギーでとか、そういうことは考えないで欲しいし、ほらマジックアイテムだったのかもしれない。
 あれだけたくさんの珍品骨董品に囲まれていれば、間違いが起きても不思議じゃない。
 大切なのは、個性を認めてあげること。
 眼鏡に生えてきた筋肉質の足だってうんさうんさと認知してやって。 
 
(きっと、幻想郷には俺を素敵に着こなせる眼鏡っ娘がいるはずだ……!)

 この眼鏡君にも暗い森の中へ逃げ込んだ先には誰にも縛られたくないという自由と情熱が――お前そんな目的で走り出してたのかよ!?
 早いうちに割れろ! フォローに走って早速裏切られたわ!
 あと、その走り方は怖いからやめてよ、どれだけ脚回してるのよ。
 今、屋台片付けてたミスチーさんがこっち見て物凄い顎開いてたけど社会復帰できるかなぁ……。
 そんなに急いであなたは何処に向かってんの?
 ……。
 何処に向かってるんですか?

(眼鏡の似合う少女の下へさ)

 鼻持ちならねえ眼鏡め、敬語じゃないと反応しねえ。
 しかしその走りだけは認めてやる、ざっと二分で森を抜けやがった。
 前には湖が開けて……と、紅魔湖ですか。すると目標は紅魔館?
 まあ、確かに眼鏡が似合いそうな人物が何人かいますけどね、水は渡れないでしょう筋肉鍛えても空は飛べないし。
 おっと、足踏みしてる間に氷精がこっちに来ましたよ。
 ほらほら、どうするんですか、って、おいおい、そのレンズの輝きはまさか……! 眼鏡さん、今回はチルノがターゲットなんじゃ!?
 
(……チルノ? ……プッ)

 今メガネ君はチルノに酷いことしたよね!? ごめんなさいしなきゃだよね!?    

(ルナサねえさーん!!)
 
 くあっ、右を向いてこの方角はプリズムリバー邸!
 湖に阻まれてあっさりとターゲットを変更し、プリズムリバー邸に流れ込む気だな!

(ちがわい! ルナサねえさんは眼鏡界の三番打者だ!)
 
 四番じゃねえ!? 何が違うのか解らないが眼鏡に三番呼ばわりされたルナサ姉さんの心情を慮るばかり!

―――――

 プリズムリバー邸はこの時期はとても慌しくなります。
 まずお歳暮がそうだし、続いてクリスマス、年末年始とイベントの山盛りで彼女達は大忙しなのです。
 大晦日には除夜の鐘ならぬ、除夜のトランペットで人間達を幸せにします。
 人妖の境を越えて、彼女達は大人気でした。
 
 しかし、珍しいことにというか不幸にもこの日、プリズムリバーは三人とも家にいました。 
 クリスマスを終えて大晦日までの小休止というところです。
 三人はそれぞれ、しぶしぶ部屋を掃除したり、ぐるぐる楽器を磨いたり、せかせかとお歳暮に漏れが無いかチェックをしたりしていました。
 ルナサさんは上記の三番目であり、この眼鏡野郎の目的も、当然その人です。

 ……で、ルナサさんの自室は二階にあります。
 眼鏡君、ここでも自らに飛行能力がないことを悔やんで芝生を転げまわりました。
 ねぇ、頑張りは認めるけど、フレームが曲がる前に諦めようよ。
 君はただの眼鏡なんだってば。
 蟻も興味を示さないほどの無機物なんだってば。 

(待ってくれ、俺の脚ならいけるかも……!?)

 馬鹿、物理法則を考えろよ、相手は垂直だぞそもそも壁ってのは走るもんじゃね……走るなよ。
 摩擦で壁が黒くなってるじゃないの、迷惑千万だ貴様。
 国宝級だからねこのお屋敷、傷つけたら慧音さんに捕まえられて、里のムショから出てきた日に民事賠償で尻毛まで毟り取られるぞ。
 ……そして期待通り垂直落下する君の姿に惚れそう。
 
(でも良かった、レンズに皹は入ってないぞ)

 喜んでるんじゃないよ、前向きにも限度があるわ。
 ……大丈夫?
 ん、良かったですね、眼鏡壊れなくて。

(はぁ、仕方ない、諦めるか)

 そうですよ、それでいいんです。
 さぁ、帰りましょう、今頃は店主も心配してあなたの帰りをメガネメガネ言いながら待ってますよ。

 ――ピンポーン

 それがどうして玄関から堂々と入ろうという思考になっちゃうのよ!?
 もしかして諦めたのは二階からの覗き行為だけかよ、無機物として眼鏡として最悪だな!!

「はぁーい」
 
 聞こえてきた声はリリカさんですね。
 お前、ちっ、とか舌打ちしてるんじゃねえ、私を含めた全国のリリカファンにマジ謝れ。
 狡猾属性にライバルが現れても勝気に頑張り続ける彼女の素晴らしさと、そんな彼女がふと姉に甘える瞬間を想像して悶えてみろ。
 
「どちら様ですかー?」
 
 ――カチャ

 あ、これチェーンロックですよ。
 あなたの身体ならば、チェーンがかかってても隙間から屋敷に滑り込めそうですね。
 なに、私は紳士だからそんなことはしない?
 珍しく良い心がけだと思いますけど、まともに入れて貰えるなんて考えない方がいいですよ。
 リリカさんの顔色見れば解るでしょうが、人類が始めて提灯アンコウと遭遇した時のような「普通に無しだろ」って顔してるでしょう? 
 ショックなのかよ!? もう少し早く気付けよ、まず脚からキモイんだって、だから正座してみてもさっぱり隠れてないの!
 
 ――バタン!  

 無言でドア閉められたー! しかもドアに挟まれたフレームが曲がったー!
 
「ルナ姉ー! なんか変なのがいる〜!!」

 おい、全力で姉呼ばれたぞ、嬉しがるなよ、変質者としてだよ。
 それよりフレームどうするんだ、直りそうもない曲がりっぷりでかなり痛そうに見えるんだけどさ。
 ……実際痛い?
 大人しく帰りませんか、香霖堂に?
 そうしたらきっと直してくれますって、あの人なら見捨てられたりしませんから。

(うぉぉぉ! ルナサねえさんを見ずに眼鏡が名乗れるかぁ!)

 泣かせる……全く、ルナサ姉さんは眼鏡界ではエルサレム級の扱いだな。
 あれ、変だ? ドアが少しずつ開きかけてる……。
 勢いをつけ過ぎた反動で完全には閉まってなかったってことかな?
 チェーンの隙間があれば、君ならいけるんじゃないの?
 紳士だから侵入はしないとか言ってる場合じゃないよ、今チャンスを逃したら一生会えないかもよ!?
 よし! 走れ! いったれ!
 泥まみれの素足だけど、気にするな。会ってお前の恋心をぶつけたれ!
 
 ドアをすり抜ける。
 ホールで笑い転げてるメルランさんを過ぎて、眼鏡は二階の階段に取り付いた!
 家の飾りつけがまだ残ってるのは、クリスマスが過ぎて日が浅いためか、そんな雰囲気と全く合わない筋肉メガネ!
 階段を上り、上りきる前に、外から見た部屋の位置を内部に置き換える。
 どうした、まっすぐ走れてないぞ!? 焦るな、レンズクリーンだ、よし、篭った熱気が晴れて何というクリアーな視界!
 
「今、外にメガネが!」
「外にメガネが!?」

 廊下で二人が話している。
 チャンスではあるが危険度も高い、リリカさんを潜ろうとすれば踏まれそうな剣幕だ!
 
「うおぁ!? ルナ姉、あれだよ、なんかこっち向かってるけどどうして!?」
「まんまメガネだー!?」 

 姉属性、金髪、黒服、糸目、くそう、確かにこの人は私から見ても眼鏡が似合いそうな人物。 

「ひょっとして姉さんが狙われてるんじゃないの!?」
「嘘!? 私!? 眼鏡に命を狙われる覚えは生きてきて全く無いけど!?」
「ど、どうしよう!?」
「リリカ、思い切って踏み潰して頂戴!」
「やだよ、チョー気持ち悪い! 姉さんやってよ!」
「私が狙われてるんだったら、あなたしかいないでしょうが!」

 酷いこと言われてるが、いい感じに揉めてる!
 その隙に足元を抜け出そうとした眼鏡は、甲高い悲鳴なのか気合なのか判らぬ声をあげたリリカさんにフレームを踏んづけられた!
 だが負けていない、トカゲの尻尾よろしく片方のフレームを切り離すと、眼鏡は渾身の力でルナサさんをめがけて飛んだ!

「きゃああああぁっ!?」

 真面目なルナサさんの悲鳴を聞くと大変心が痛みますが、ともかく眼鏡君はルナサさんの顔に取り付くことに成功しました!
 後は残った片方の蔓を右耳にかけてやれば、眼鏡っ娘ルナサの出来上がりです。
 何だか大変な悪の道に走ってる気がします。だけど頑張れ、君に会話は許されないが、眼鏡をかけさせる権利くらいはあるかもしれない!(無い)
 頭をブンブン振って悪い虫でも落とそうとしてるルナサさんの抵抗を防ぎ切り、終に眼鏡君はルナサさんの一部となりました!

(ベストフィーーーット!)   

「ね、ねえさーん!!」

 リリカさんは叫ぶけど手を出しません、たぶん気持ち悪いから。
 どういう原理か、脚は引っ込んだんですけどね。
 あ、傷ついたフレームが再生していきます……! これが、ルナサさんの持つメガネ力なのかー!
 きりっ! という効果音が似合いそうな、実に素晴らしい眼鏡っ娘の誕生です!
 ……はいはい、満足したらお家に帰りましょうね。
 
「ふふふ……」       

 ど、どうしたんです、その不気味な笑顔は? 
  
「知的に優雅、姉にして長女、そして無欠のヴァイオリニスト……素晴らしい、まさかこれほどの者だとは思わなかったわ……」

 え、あれ、何か会話おかしくないですか? これルナサさんの台詞ですよね? 括弧付いてないし。
 ルナサさん衝撃で脳に悪影響が出ちゃった?
 あと、眼鏡君の意識はどこいったの? おーい?

「見なさい、この優等生に嵌ったレンズのエレガントな輝きを! 今の私の眼鏡力は実に530000を超えている!」

 ま、まさか、本体を乗っ取っちゃ「イエース」乗っ取っちゃったーー!!?
 でも、口調が今までどおりなのはおかしくないかな?

「愚問ね、眼鏡っ娘の評価は性格から始まり容姿に特技まで採点角度は多岐にわたるのよ、勝手なキャラの変更は許されないわ」

 こやつ生粋の眼鏡っ娘好きだー!!

「姉さん!?」
「ハロー、リリカ。そしてどうかしらこの知的な眼鏡?」
「え、なんか地味……」
「この美しさが解らないとは……っと貴女の姉さんの身体は私が乗っ取ってますから、それ以上近づかないでいただけるかしら?」
「あ、あんたが誰だか知らないけど、それは人質ってこと!?」
「そうよ」
「なんてこと! おいメルラン、フライパン持って来い!」
「……ふぁ?」
「ちょっと、リリカぁ、私にもちゃんと姉をつけなさいって言ってるでしょう? フライングパンは探してくるけど」
「え、フライパ……何?」
「あー、痛くないから。たまにあるんだ、ルナ姉が鬱の反動でハイにチェンジしちゃうときが」

 ……全然信用されてませんよ、眼鏡君。

「はい、リリカ。フライパン何処にあるかわかんなかったから、しゃもじ持ってきたわ」
「おいおい、フライパンぐらい探せよなー」
「ちょっと待って!? いいかな!? ルナサねえさんは正常な人質であり、しゃもじでなんとかなる問題じゃないと思うよ!?」
「だから、痛くしないってば」
「会話に隙が無い!? あ、メルランこの眼鏡どう? 良いでしょう!?」
「メル姉、腰の当たり抑えてて、私がお尻叩くから」
「りょうかーい」
「叩くの!?」
「いくよ、へいへいへーい!」
「ノリノリじゃないの、あ、痛いっ、やっぱり痛い!」
「あら〜、今日の姉さんは可愛いわねぇ」
「っかしいな、いつもだと派手な抵抗を見せるんだけどな、重症かしらん、そらそらそらー!」
「ぐっは、なぜなの、何故あなた達は姉の尻をそうも簡単に叩けてしまうの! 少しは心配しなさいよ妹でしょ、ところでこの眼鏡をど――や、やめて、変なとこ触らないでー!」
 
 …………。

―――――

 しゃもじは雨でした。
 また、嵐だったのだと思います。
 眼鏡君は、絶望的な戦力差を知りながらも抵抗を続けました。尻の筋肉でしゃもじを弾き返そうと……そこまで考えていたのです。
 しかしルナサさんのお尻は柔らかい。
 戦争とは耐えることなのだ、と見ている私を泣かせました
 メルランさんは腹を抱えて笑っていました。
 ついに眼鏡君は、リリカさんの執拗なセクハラ攻撃を前に、身体を返さざるを得ない所まで追い込まれたのです。

 今はそう、湖のほとりまで走ってきて、泣いています。
 湖畔に映るレンズも、涙で歪んでいました。

(ぐすん……ぐすっ……ぐすん)

 もう泣き止もうよ、眼鏡君……。
 あれは仕方ないよ、あれを耐えるには特殊な訓練をつんでないと無理だよ。

(ル、ルナサ姉さぁん……やっと会えたのに……うわぁーん……)
 
 本気だったのね、眼鏡君……。
 レンズの淵からじわじわと涙が滲み出てくるのは気持ち悪いですが、眼鏡もまた生きているという証拠なのでしょう。
 ……ねえ、眼鏡君。
 会えて、眼鏡までかけてもらったんです。
 眼鏡の面子は果たしましたよ、もう諦めて、霖之助さんの下へ戻ったらどうでしょうか?

(こーちゃんは、俺のことなんて忘れて、気取ったブラウンフレームの眼鏡でもかけてるさ……)

 こ、こーちゃん……。
 い、いやいいんだけど、そんなことはありませんって。
 絶対あなたを探してあちこち回ってますよ、あの人が眼鏡変えたら誰だか解らなくて魔理沙さんに吹き飛ばされちゃうでしょう?
 
 ――ガサ、ガサッ

 この音は? 後ろの森からです。

「めがね……!」
 
(こ、こーちゃん!?)

 なんと霖之助さんだ!
 ほら、やっぱり探しに出てたんですよ!
 それにしても、なんてタイミングなのでしょうか、やっぱり二人は離れられない何かで繋がっているのですね!

「……めがね……めがね……」

 見えてないのかよ!?
 手探りじゃねえか、うわ、目が数字の3になっちゃってる、眼鏡を取られた人の漫画的表現の王道だ!
 本当にめがねめがね言いながら歩いている人なんて、始めてみましたよ。
 いるんだなぁ……。

(こーちゃん! 俺はこっちだ!)
 
 あー、眼鏡君、あなたの声は人間には聞こえな――。

「そ、その声は!?」

 おお、聞こえるんだ。 

「ティファニー!?」

 ちげえよ、誰と勘違いしてるんだよ、そんな女性的なボイスじゃないだろ眼鏡は、敢えて言うなら子安似だよ。
 それでまた、ずいぶんとグラマラスな名前を出したな、これは魔理沙さんに怒られても仕方がない。

(こーちゃん! 俺だよメガネ、メガネ!)
「眼鏡? 本当に眼鏡なのかい!?」
(何してるんだよ、こんな所までメガネ無しで歩いちゃ危ないって!)
「良かった、やっと会えた、お前を探してたんだ」
(う、嘘だ……! こーちゃんにはブラウンのあいつがいるじゃないか!)
「それは誤解だ、あいつとはもう……!」
(そんなこと言って、いっつもカラーの色気にころころ騙されちゃうんだ! そういう人なんだこーちゃんは!)

 なんか、目の前で痴話喧嘩始まっちゃってますが……。
 どうなんだろう、仲が良いほど喧嘩する、そういう状況に受け取っちゃっていいのかな。
 あー、喧嘩しながらもお互いの距離が縮まっていますし、この調子ならドッキング成功後にEDテーマでも流せそうですよ。
 良い天気だし、爽やかに終われそうだなぁと思った時に、私たちの上に謎の黒い影が過ぎりました。
 なんだか明るい声で歌ってます。 

「がんばるよ〜、ちょっとだけー、ドジなあったっし、でーもん♪」

 どこかで聞いたような、だけどどこで聞いたか解らない微妙な線をついてました。
 霖之助さんも、眼鏡も互いの歩みを止めて声の主を探しました。
 地に落ちた黒い影を真っ直ぐに見上げると、真っ赤な髪をした悪魔が籠をぶら下げて上機嫌に空を飛んでいました。

(司書さんだ!!)

 おい、眼鏡、職業名で呼ぶな、小悪魔って呼んでや――いえ、種族名で呼ぶのも失礼な話ですよね……。
 でも実際、彼女がなんていう名前なのかはパチュリーさんくらいしか知ってそうにないですし、案外難しい問題かも知れません。
 
(やっほーい! しっしょさーん!)

 うわぁ、この目はルナサさんを探しに出た時と同じ輝きですよ。
 眼鏡君、節操ないわ、どの口で霖之助さんの浮気癖を責めてたんだ。
 霖之助さんを足蹴にして、眼鏡君は走りました。
 もちろん空は飛べませんから、出来る限り近づこうと、高い木を目指して走り、自慢の脚で天辺に駆け上りました。
 小悪魔さんの歌が近くなります。

「すーきーとーかー、きらいとーかー、さいしょにいいだしたのは〜、こ・あ・く・ま♪」
 
 お前だったのかよ!?
 永遠の謎が氷解したのはいいんですが、ここまで身内の仕業だとこれからどんな顔で接すればいいのだろう……。
 霖之助さんは苦悶の表情でうな垂れていました。
 眼鏡君は「むしろソソル」と言った表情で、太陽光をレンズでちかちか反射させて自己アピールを繰り返してました。
 コンパクトとかでお馴染みの嫌がらせです、飛んでいる相手には絶対向けないでください、危ないですから。 

「ぐわっ!? ま、眩しすぎるぅ!」

 光を受けた小悪魔さんは大げさに目を覆って苦しんだ後、まっさかさまに落ちてきました。なんで落ちるんや。
 意識まで奪うほど眩しい光線だったのか、それとも意識まで奪うほど気持ち悪い光景だったか。

(俺の魅力にめろめろか!)

 それだけは無い。
  
 眼鏡君は狩人のような素早さで、落下した小悪魔さんに近寄りました。
 我を取り戻した霖之助が危険を察して走りましたが、途中こむら返りを引き起こし、歯を食い縛って草むらで悶絶してました。
 可愛そうに。
 それを見て眼鏡君が思います。
 自分には歯が無い、自分は不完全な生き物なのだと。
 だからこそ、眼鏡っ子という完全体に憧れ、それを目指すのだと。 
 それ眼鏡っ子じゃなくてもいいじゃん、と思いますが、結局眼鏡君は期待を裏切らず小悪魔さんの顔にかかりました。
 
「ジャストフィーーーット!!」 
 
 あーあ、ノリノリだこいつ……。

「ん〜……こあこあこあこあ〜♪」
 
 発声練習らしいです、気にしないでください。 
 ドレミファソラシドの音階で読むと、いいかもしれません。
 
「あぁ、小悪魔という響きのなんと美しいことか! 司書という職業が眼鏡界の不動のファーストの誕生を予感させるが、実際その出塁率は極めて高く、後ろに控える館長パチュリー・ノーレッジに繋ぐ確率はゆうに7割を超える。更に個人技にも優れ、悪戯属性、名無し、大きくても小悪魔、パチュリーの玩具と、様々な属性を網羅した上で迫り来るそのロングヘアーの抜けていくような手触りは決してただの雑魚キャラではないと断言しておくこぁ〜!!」

 なんという熱血ぶり……。
 ただ、とってつけたように語尾にこぁ付いてますが、別にそういうことはないです。
 ポケ○ンじゃあるまいし、キャラ違ってます。

「そうなのこぁ?」

 そうなのよ。

「やれやれ……がっかりだぜ……」

 そういうキャラでもないです。

「霖之助さんが苦しそうにのた打ち回るってるけど、小悪魔とは関係ないので放置しておきますね〜」

 ずいぶんひどいな〜。
 小悪魔さんは見捨てたりしないと思いますよ?

「わわ、それじゃあ助けないと〜、なーんて、その手には乗りませんってのよ! 小悪魔は誘惑振り切って、こうだ!」    

 眼鏡君は落ちている籠を拾いました。
 小悪魔さんはお使いの帰りだったのでしょうか? 中に入っていたとおぼしき本が草むらに飛ばされています。
 眼鏡君、はそれを拾い上げ、丁寧に籠に戻しました。
 ちらりと見えた「馬鹿を躾ける108の方法」というタイトルに恐怖を覚えながらも、眼鏡君は紅魔館に向けて飛び上がったのです。

 眼鏡界のランディ・バース、パチュリー・ノーレッジを目指して。

―――――

 ここで、紅魔館の恐ろしさを語らなければいけないでしょうね……。
 紅魔館とは気の弱い人なら卒倒しそうなほどの、真っ赤な一色で塗られた洋館です。
 窓の少ない、だけど尖ったフォルムは、見る者に息苦しさと狂気を与えるため、妖怪でも滅多なことでは近づかないと言われています。
 玉座に鎮座するのはレミリア・スカーレット嬢は、由緒あるヴァンパイアの血を引く者。
 子供のような愛らしい姿とは裏腹に極めて好戦的な性格で、ゼロ距離かと思えるほどの瞬発力で相手に近づき圧倒的な力で叩き伏せるそうです。
 数多くのヴァンパイアハンターが銀の武器を用いて挑みましたが、その白い肌には傷一つ付かなかった。
 人々は畏敬の念を込めて彼女をこう呼びます、幼きデーモンロードと――。

「あ、見えてきた、シルヴァニアファミリー」

 やめてっ! カリスマへこんじゃう!!
 
「うわー! ずいぶん大きいなー」

 こら、小悪魔さんがそんなこと言うわけないでしょ。
 都会に出た田舎者並に視線が泳いでますよ、それじゃすぐに別人だとばれちゃいますって。
 まあ、この際ばれて逃げ出した方がいいと思いますけどね。

「そして、あれが有名なザル門番さんね」

 締められっぞ眼鏡君。

「小悪魔、ただいま戻りました〜」
「あぁ、ご苦労様」
「ドラゴン達矢さんは辛い仕事にもいつも笑顔で、小悪魔感心してしまいます」
「ドラゴン達矢!?」
「それでは、私はパチュリー様に急かされてますので、この辺で」
「あ、ああ、気をつけて……?」
 
 おい……おいおい。
 何親指立ててんだよ、違うよ、してやったりって表情は間違ってるし何より名前を間違ってたよ。
 どこが? ううん何一つ当ってる箇所がなかった――あ、もういい、もう眼鏡振り向くな、このまま堂々と前を見て歩いて。
 美鈴さんが、こっち見てるから……振り向くなよ。
 絶対に振り向くなよ。
 振り向く――あー! どうしてびびり顔で振り向いちゃうんだよ!?
 え、なに? 私のせいか? 私のせいじゃないわ! お前がそういうリアクションが大好きだから反応しちゃうんだろうが!
 ネタを振られたら藁でも掴め、熱々おでんにゃ齧りつけ、そういう雑草魂はいい加減捨ててよ!
 ああっ、美鈴さんが駆け足で追ってくる、相当速いぞこれ……。
 俺の脚なら振り切れる?
 うん、そうか、そう思ってるのか。じゃあ頑張れ。
 …………。
 ……。
 
(はぁはぁ、な、なぜか身体が重い)

 そりゃ、君小悪魔さんの身体使ってんだから、能力もそっちに依存するわなぁ。

(早く言ってよ!)

 メイド達の視線に、いちいち手を振って応えてる君が言うなよ。

(うわーん、どうして誰も眼鏡っ娘小悪魔を褒めてくれないのー!)

 まあ、何だかんだいって眼鏡君、結構頑張ってます。
 メイド達は追いかけっこをする二人を見て、美鈴×小悪魔という新しいフラグを疑っているようですが、気にせず走り続けます。
 綺麗な芝生を突っ切って、紅魔館内に飛び込んでも、未だリードは10mのセーフティライン。
 きらめく汗も美しく、女子マラソンを見ている気持ちですが、中身が眼鏡だと気づいた瞬間に不快でしょう。
 おーっと、美鈴さんが加速し始めた!
 ここでトップギアに持って行く作戦のようです。
 逆に先行する眼鏡君の息は上がってきている、これはスタミナ配分を間違えたか!?
 何とかリード健在のまま地下図書館へと続く廊下に雪崩れ込みます、しかしここからが長い地獄坂。
 窓の無い廊下は緩やかな下り坂になっており、気がつかないうちにスピードを出し過ぎてバテてしまうこともあります。
 さぁ、第三カンテラを通過して、残り五百を切った!
 さすが紅美鈴、まだまだ脚は衰えない、紅魔館が誇る肉体派は伊達じゃない。
 前を行く眼鏡君はどうか……背中に手を当てて走っている、これは相当きつそうだ!
 プライドを捨てて空中飛行に切り替えましたが、飛行のイロハも知らぬ眼鏡君では小悪魔さんのスピードを引き出せない!
 残り二百!
 紅美鈴、完全に射程圏内、すぐ後ろに迫っています。
 眼鏡君はここでダウンし廊下を転がりました。
 し、しかし、変です……? 転んだ顔は不適に笑っています! 完全に終わった状況で何故笑みを張り付かせたままでいられるのか!?

(俺はまだ負けてねえ!!)

 あーっ、これは分離!
 本体と眼鏡の切り離しです、この手があったか、しかしこれは奥の手!
 筋肉眼鏡を周囲に晒してしまう事になり、ここから先は全ての住人が敵に回ってしまいます!
 それでも捕まるよりはマシだと判断したのでしょう、小悪魔さんを使い捨てにこちらのスタミナ温存はばっちりという妙計。
 駆け寄ってきた美鈴さんは、飛び出した眼鏡が筋肉モードにチェンジしてる間に小悪魔さんに追いついて、その魂の抜けたような身体を抱き起こしました。   

「あ、小悪魔さん、本落としてましたよ?」

 この人、本を届けに来ただけだったー!!!

 これはひどい! 眼鏡君完全に自爆! さすがの眼鏡君もこれにはショックがでかいのか膝が地に付いて離れない!
 大丈夫か、産まれたての子馬が始めて立ち上がる時並に苦しそうだが……!
 おぉ、だいぶ気を持ち直したようです、ゆっくりと歩き出し始め……おや、方向が図書館とは正反対?
 せ、せこい! 眼鏡君、性懲りも無くまた小悪魔さんを乗っ取る気だ!
 抜き足、差し足、忍び足、静かに対象に近づいていく! だが、はっきり言ってやる、お前は外見が全然忍べてねー! 

「…………」

 眼鏡を見つめる紅美鈴さんの瞳孔が完全に開いております。
 そりゃあそうだと、思います。
 顔から突然眼鏡が飛び出すだけでもパーティの主役になれるのに、飛び出した眼鏡は筋肉剥き出しでそこら辺を歩いているのです。
 それでも門番の意地があるのか、美鈴さんは夜の猫のように肥大化した青目でしっかりと眼鏡の動きを追っております。
 これはこれで怖いです、変なことしたら確実に潰すという気迫は見て取れます。
 それでも向かう我らが筋肉眼鏡。眼鏡ダイブの射程に入るまでのおよそ10cmをミリ単位で詰めて行きます。
 手に汗握る攻防戦、あと少しあと少しだ……!
 
 ――ビシッ

 ああ! チョップ!
 先にチョップが入ったぁ! これは眼鏡君たまらない、曲がった眼鏡の蔓を庇いながら逃げ出していく!
 だが美鈴さん戸惑っている、被害者の介抱か犯人を追うかで迷っている!
  
「いつつっ……め、めーりんさん、あいつです! 私の脳をジャックしたうえに、私のこと重いとか言ったふざけたゴミは!」

 ゴミ呼ばわり……!?
 さすがに乙女に重いという発言は禁句だった、捕まったら眼鏡君分別もそこそこにプレス業者に回されてしまう!
 小悪魔さんの安否を確認した美鈴さんは、眼鏡を追い上げながら口笛をピーと鳴らしました。
 何処にいたのか、出会え、出会えとばかりに集まってくる紅魔館のメイド達。
 退路は完全に塞がれてしまった、後は大図書館へ逃げ込むしか道は無いが、図書館は目と鼻の先で走って走れぬ距離じゃない。
 だが追っ手側も続々と数を増やし、復帰した小悪魔も加わって津波のようにして押し寄せてきている。
 図書館への扉が見えた! もう迷うことは無い!
 眼鏡君は観音開きの扉を蹴破って、黴臭い図書館へと転がり込んだ!
 果ての見えない空間に目を泳がす、どこだパチュリー・ノーレッジは……しかし眼鏡君の背後のドアからは大量の黄色いが迫っている。
 やむを得ず捜索作業を中断した眼鏡君は、侵入者を撒くために奥の本棚へと身を隠した……!

「どこにいったぁーー!?」

 何故か一番先に来たのが、小悪魔さんです。
 よほど怒ってるのか顔が赤い。
 続いて美鈴さんが入ってきて、注意深く図書館を見渡しています。
 更に重なるようにして、紅魔館のメイド達が図書館に押し寄せてきた。

「この広さと暗さと遮蔽物の多さ……寄生眼鏡にゲリラ活動されたら大変なことになるわ……」
 
 美鈴さんが背後のメイド達に何か指示を飛ばしました。
 一番背の高いメイドが壁に走り、金管楽器のようなパイプに口を近づけました、紅魔館の内線みたいです。
 
「本隊よりメイド長へ、館内に寄生生物の進入を確認。扉を破壊し大図書館へと逃げ込んだ模様です。どうぞ」
「……十六夜咲夜より本隊へ、被害及び敵の情報を求む」
「被害者は小悪魔一人、彼女の証言により侵入者は脳を乗っ取る極めて危険な生物であると判明。不確定名MEG。高度の危険(Severe)赤」
「危険度了解、二番隊〜四番隊までの出動を許可します」
「了解しました、直ちに召集します」
「味方の状況は?」
「本隊に加え、無事生還した小悪魔さん、門番長の両名が現場におられます」
「では現場の指揮を美鈴に一任。また小悪魔、美鈴の判断により退却指示が出た場合これを優先。私の合流まで兵を疲労させるな」
「了解!」

 通信を終えて、メイドが走って戻ってきます。
 場の全員が揃った所で、小悪魔さんは熱心に敵である眼鏡君の説明を始めました。
 強力な怪光線、圧倒的なスピード、ブレインジャック、そして奴が次に狙っているのはおそらくパチュリー様。
 メイド達がざわめきます……。
 一つ一つに尾ひれが付いていたため、出来上がった怪物像はとんでもないものになっていました。
 背後から新たに二番隊が合流し、メイド達の数は二倍弱に膨れ上がります。

「門番長、メギドファイアの館内での使用許可を申請しておきました!」
「よくやったわ。一番隊、二番隊にあるだけ分けておいて。このまま三番隊四番隊の合流を待ちます」
「そ、それより、パチュリー様の救援を急がないと――!」
「小悪魔さん、今は動かない方がいいと思う。敵は小さくて素早く、その上乗っ取り能力を持ってる。最悪闇に出れば同士討ちで全滅するわ。それに敵はパチュリー様の位置を知りません。ならば私達が先に動いて位置を知らせるのはまずいでしょう」
「で、でも……!」
「ここに来てからずっと音に集中してるけど、奴が走っていく気配は感じられません。おそらく奴もこっちが動くのを待っているのよ。私達は大人しく咲夜さんの合流を待ちましょう」

 むぅ、大変なことになってきました。
 会話中に物騒な武器の名前も聞こえたし、もはや眼鏡君の命が危ないのでは……あ、また援軍が来ました、三番隊四番隊は荒事専門の部隊なのか投げナイフをベルトにストックしてます。
 小部隊ごとにカンテラが配られ、メイド達は扇状になって出入り口を完全に固めてます。
 どうやらこのまま我慢比べに入りそうですが、眼鏡君の場合は咲夜さんが到着してしまってもゲームオーバー。
 なんとか敵の動揺を誘いたい場面ですが、指揮官の美鈴さんは冷静沈着で隙が無く、既に小悪魔のパニックも抑えてしまっている。
 これを崩すのは相当難しいと思います……恐るべし紅魔館と言えるでしょう。

(やるじゃないか、シルヴァニアファミリー……!) 

 君はいつも台無しにするっ!

 ……でも、真面目な話、どうすんのさ、このまま待ってたら待ってるだけ不利だよ?
 例え運任せの捜索になったとしても、動くなら早い方がいいんじゃないかな?

(そう考えるだろうと向こうも思ってるのさ)

 というと?

(だから動いてやらない。俺が動かなければ動かないほど敵は勝手に不安を募らせていくはず)

 あ、確かにメイド達は不安そうにしてます。
 美鈴さんはそれほどでもありませんが、小悪魔さんはまだ焦れてますし、ナイフ部隊もナイフの柄を握って神経尖らせてます。
 怪物が思うように動いてくれない不安が、色んな嫌な想像をさせてるのでしょうか。
 指揮官が有能でも、妖精がメインのメイド達では精神面で脆さがあるのかもしれません。

「……門番長、何の動きもありません。本当に奴はまだ傍にいるのでしょうか?」
「待ちましょう」

 五分、七分と時間が経つにつれて、明らかに隊に変化が出てきました。
 息を入れる間が無く、どんどん張り詰めていった空気は、眼鏡君の言うとおり勝手に最悪を想像して苛立っている感じです。
 その思いを抱かせる一つに、メイド長の合流が遅れているのは明らかでした。
 眼鏡君は大したもので、メイド長の到着を恐れながらも鋼の精神力で微動だにしません。
 ……十分は経ちました。 
 ひそひそ話が混じり始めます、美鈴さんが恫喝しますが効果があったのは最初だけで、回数を重ねるごとに効果は薄くなっていきました。
 小悪魔さんがたまらないと言った感じで、美鈴さんに相談に向かいます。
 背中を向けてひそひそと耳打ちしていますが……話が決まったのか図書館の闇に向き直りました。

「援軍に慧音先生が来たよーー!!!」

 小悪魔さんが突然叫びました。
 周りのメイド達がびっくりしてます。

「こ、この人はなんて眼鏡が似合いそうな人なんだー!!」

 今度は美鈴さんが闇に向かってなにやら叫んでます。台詞は棒読みです。

「ああ、先生に似合う眼鏡がどこかにないかなー!?」

 ……え、これ釣り餌??
 こ、こんなわざとらしい情けない現実味の欠片もない芝居は初めて見ました。
 幾ら眼鏡君が無類の眼鏡っ娘好きでも、これは甘く見積もりすぎでしょう。
  
(慧音先生が生まれ、そして眼鏡が生まれたんだ……)

 この通り眼鏡君の鋼の精神力の前には何人も――何その憧れの目は!?
 落ち着けよ! 落ち着いて素数でも考えろ(ウスター、オイスター、ミート、オタフク……)それはソースだ!
 ああっ、もうなんか足すっごい震えてるし、そんなに魅力的な人物なのかな……!
 なぁ、眼鏡君、ここまで頑張ったんだ。わざわざ敵の策に嵌ってやる必要は無いだろう?
 そうだよ我慢の一手だ、罠だってことは誰にだって解るん……え、眼鏡界の格言? ああ、さっきのが? いや詳しい説明は必要としてないから。
 いらないって、普通の人はそういうの興味ないんだって。
 もう、慧音、慧音と五月蝿いな! 君の狙いはパチュリー・ノーレッジだろう!?
 ……あ、解ってくれた?
 そうですよ、二兎を追うものは一兎をも得ずです。
 
(男なら……なにもかもだ!!)

 お前は初志貫徹って言葉を知れーーっ!
 あ、駄目、足見えてる! 足が本棚から出てるよ! どっち? って訊くようなことかなそれ!? 両足だ馬鹿者!

「も、門番長! 大変です!」

 あかん、終わった……。
 すぐに足は引っ込んだけど、これで何処に隠れたか丸解りですよ。
 ここまでやってこんな終わり方で(お、おい、慧音先生は何処に消えたんだ!?)いないんだよ初めから!!!
 お前は眼鏡っ娘に対して真っ直ぐに期待しすぎなんだよ! 仮に慧音先生がいたって君の敵だろうし、あぶれてる眼鏡を見て可愛そうにとほいほい身体を貸してくれたりしないの!
 涙出てきた……。
 眼鏡っ娘出されたからってほいほい出て行っていいわけないでしょう?
 わかる? なぁ? 
 とにかく終わったよ眼鏡君、大人しく辞世の句でも考えとき……。

「それじゃ……どうすれば……」

 …………? 変ですね。
 妙に盛り下がってるというか、攻撃してくる気配も包囲してくる動きもありませんね。
 眼鏡君、今のうちに隠れてる本棚変えとくといいですよ。
 
「こんなときにレミリア様のバスタイムが重なるなんて……」
「経験上、メイド長はあと三十分は風呂場から離れません……」
「今頃バスタオルを用意してほくほくの笑顔で待ってることでしょう……」 
「私達がこんな暗い場所で戦争してるってのに……!」
「よして、メイド長の悪口は言わないで!」

 こ、これはどうしたことだ?
 眼鏡君が欲望に振り回されているうちに、なにやら向こうに伝令が届いてたみたいです。
 
「美鈴さん、咲夜さんが何時になるか解らない以上、このまま待機し続けるわけにはいかないのでは?」
 
 小悪魔さんが進言しています。
 どうやらメイド長の到着が大幅に遅れるようです。
 隊を率いる美鈴さんも表情が険しくなってきました。
 眼鏡君見つからなくてラッキーなうえに、メイド長到着が遅れて大ラッキーというところでしょうか。
 奇跡ってあるんだなー。
 そのまま二人は布陣から少し離れて、二人だけの話をしておりました。
 美鈴さんは気が乗らない表情でしたが、小悪魔さんの申し出の方が押している感じがします。
 話し終わった二人はメイド達の所に戻り、今度はメイド達と円陣を組んで相談を始めました。
 内容は小声で眼鏡君までは届きませんが、この相談で次の動きが決まるんだろうと思われます。

 指図は手だけでした。
 音も立てず、だけど気配でメイド達が動き出したのが解ります。
 少人数の隠密部隊といった感じで、五人程度が暗がりに消えていきます。
 
(よし、待ってたかいがあった)

 眼鏡君は嬉しそうに尾行を始めました。
 メイド達はずっと背後を気にしていて、同じ所を回ってみたり、急に走ってみたり色々とやってました。
 追っ手を撒こうとしているのです。
 だけど、足の指だけで本棚にへばりつき天井も地面も無いかのように動き回る眼鏡君の前には、何をやっても無駄なことでした。
 おそらくパチュリーさんの救援に向かっているメイド達の背後を、忍者のように張り付いて回ってました。
 そうして少しずつ五人のメイドと一つの眼鏡は入り口を離れ、図書館の奥へ奥へと進んでいったのです。

―――――

 図書館は想像以上に広い場所でした。
 どう見ても屋敷の間取りを無視したこの広さは、メイド長が空間を操っているせいだと言われています。
 本棚は規則正しく配置を繰り返し、どこにいても同じ場所のように思えてきます。
 これでは一人で飛び出したところで、迷って時間一杯になっていたのがオチでしょう。
 眼鏡君の策は上手く嵌ったのですね。
 陰気な図書館には億を越えそうな勢いで本が並んでますが、中でもパチュリー・ノーレッジ著というのが目立ちます。
 館長さん、本を集めるだけでは飽き足らず、自分で書いて図書館に寄贈しちゃってるようです。 
(作家先生か!)この眼鏡はすぐ喜ぶので何とかして欲しいです。
  
 3Dダンジョンみたいな場所をずいぶん歩きました。
 メイド達は小細工を止めて、フェイント無しですーっと前に進んでいます。
 彼女らは何故か飛んでいません、飛べないメイドもいるのでしょうか? それとも足音より羽の音の方が気になるから?
「もう、そろそろだよ」そんな励ましの声がメイド達の先頭からしました。
 眼鏡君のことは完全に撒いたと思ってるみたいです、いよいよパチュリーさんの書斎に近づいてきて私も嬉しいです。
 この辺りは他の本棚と違って、埃防止のシーツがかけられていたりします。
 その違いが、ここに彼女がいるんだとわくわくさせました。

 ……ふと前を忘れていたら、メイド達が角に消えました。
 
 眼鏡君が慌てて追跡します。
 突然、床を走っていた眼鏡君の身体がふわりと浮きました。
 あ、と思ったらもう眼鏡君は床に倒れていたのです。
 振り返ってびっくり、バナナの皮。
 ギャグのお約束、バナナの皮。
 足にぬるりとした感触は、悔しいけどこれ現実なのよねと言ってました。
 前を行くメイド達はごく自然に歩いてましたから、まさかこんなものが落ちているとは思わない。
 いや、違う、これは前を行くメイドがわざと……。

「かかったな、メガネが!」

 本棚の上から声がしました。 
 周囲の本棚にかけられてたシーツがばっと捲られれ、そこに小悪魔さんと、メイド部隊が立っていました。
 いつの間にか地上にもメイド達が一杯です。
 念入りに追っ手を撒く行動は実はそうではなく、こうして先回りするための時間稼ぎだったのです。
 罠だったと気づいて眼鏡君も逃げ出そうとするのですが、物凄い粘り気の鳥もちが四方から振ってきて、それが絡まって足が動きません。

「ふふふ、足掻いても無駄ですよ、その鳥もちは対魔理沙用に並みの粘り気じゃないもの厳選して使ってる!」

 小悪魔さんが完全に悦に入った台詞をいいました。
 実際、眼鏡君の筋肉でもびくともしません、ネズミ捕りシートにかかったネズミのような状態です。
 糸が引くばかりで、ようやく外れたと思ったら次の鳥もちがこんにちはです。

「私のみならず、パチュリー様まで乗っ取ろうだなんて不届き千万、ここで成敗してやるこぁ!」

 勝ち誇る小悪魔さん。
 見上げた眼鏡君は苦渋に満ちた表情で(こぁって語尾OKじゃんか……!)と私に訴えました、あのなぁ。

「メギドファイア構えーっ!」

 本棚の上に配置されたたくさんのメイド達がY字型のパチンコをぎりぎりと引き絞られます。
 え、これがメギドファイア?
 名前負けしてると思われたのか「このパチンコで弾くのは玉じゃない、メイド達の弾を乗せることによって速度を強化する超兵器だ」と小悪魔さんがいちいち説明してくれました。

「撃てーーーっ!」

 小悪魔さんの指がびしっと眼鏡君に向きました。

 ………。

 どうしたことか、誰も撃ちません。
 小悪魔さんが呆けた顔で、辺りのメイド達を見回しました。
 背の高いメイドが言います。
 メギドファイアの申請は出したのですが、まだ上のほうで止まっちゃってて。
 そんなこといいから撃てと小悪魔さんが逸りますが、我々も組織の歯車の一つですから、規約に触れちゃって職無しってのはまずいんでとメイド達が言い返します。
 私の最高のトラップにかかってるっていうのに、見逃すっていうの!?
 そうではありません、どうせ碌に動けないんだからこのまま待ちましょう。
 今使わずしていつ使う! 鳥もちだって予備がないのに!
 小悪魔さんとメイドの喧嘩が始まります。
 レミリア・スカーレットを頂点と崇めるメイドと、パチュリー・ノーレッジを主とする小悪魔で立ち位置が微妙に違うらしいです。
 ここでまたメガネ君、九死に一生を得た形になりました。
 このチャンスを逃すかと、蝿のように高速で足を擦り合わせて、鳥もちを落としていきます。
 ちきしょお! と叫んだ小悪魔さんは一人でも戦う覚悟を決め、巨大で真っ青な大玉を頭上に作り上げると、眼鏡君目掛けて振り下りしました。
 炸裂した床は盛大に壊れ、もうもうと埃も立ちました……しかしメガネ君は間一髪でそれを避けてたのです。

「化け物めっ……! そこ油断するな来るぞ!」

 小悪魔さんに言われた地上のメイド達はちょっと呆れ気味にはいはいと返事しました、これだけ距離が開いていればと思っていたのです。
 しかしそれは間違いでした、白い糸を引きながら亜音速で走る眼鏡君はもう目の前に迫っていたのです。

「う、うわぁぁ!?」

 通路を塞いでいた三人のメイド達の内二人が逃げ、一人が果敢に踏み潰そうとして動きました。
 眼鏡君はそれを潜り抜け、踏み出したメイドの足のかかとを爪先の方向に思いっきり蹴飛ばしてやりました。
 メイドがすごい勢いでひっくり返ります。
 
「こ……小外刈……!」

 周りのメイド達の目の色が変わりました、メガネ如きが柔道技を仕掛けてくる知性があるとは思ってもみなかったのです。
 身内がやられたのを見て、これはやばいと部隊長と思われる人物も攻撃の号令をかけました。

「メギドファイア撃てーっ!」  
 
 これは楽に逃げられる距離かと思っていたが、鳥もちが絡んでこけそうになります。
 その隙に、眼鏡君の走りを超える速度で、メキドファイアに乗ったメイド達の弾幕が飛来しました。
 的が小さく、全てが当ったわけではありません。
 外せば床が割れるメギドファイアでも、鋼の筋肉は壊せませんでした。
 それでも一発だけレンズへと入ったのです。

(うおおぉ!?)

 衝撃で倒れました。
 片方のレンズが砕け散って、図書館の床に散らばります。
 眼鏡君は慌ててレンズの破片を足で集めました。
 必死の眼鏡君の傍にメキドファイアは振ってきて、床や本棚にどんどん穴を開けていきます。
 結局どうしようもありませんでした、自分の一部だってのに眼鏡君には手が無いので持っていくことも叶いません。
 眼鏡君は逃げました。
 ジグザグに走って、遮蔽物を利用して逃げました。
 本棚に当った無数のメキドファイアが本を傷つけ、ぐらつきが大きくなった本棚から順に倒れていきます。
 被害が大きくなったのを見て、小悪魔さんは攻撃停止命令を出しました。

「撃ち方止めーっ!」

 煙が晴れると目を覆う惨状でした、周囲の本棚も本も床も傷だらけでゴミ山のように重なってます。
 この修復に一体どのくらい時間をかけなきゃならないのと頭を押さえる小悪魔さんに、メイドが話しかけます。 

「片方のレンズを破壊しました。戦力にどう影響するかは解りませんが……」

 崩れた本と本の隙間から、ガラスの破片が二、三、落ちているのが見えました。
 本をどければ、もっと多くの破片が見えるはずです。

「はぁ〜……掃除と立て直しは私がやっておきますから、一番隊は一人を戦果の報告に回し、残りでパチュリー様の守備と、眼鏡追跡を急いでください」
 
 一番面倒な作業から外されて、メイドの何人かはほっと胸を撫で下ろしてました。
 隊長と思しき人は散り散りになった隊を素早く纏めると、指示通り眼鏡君の追跡とパチュリー様の守備を急ぎました。
 小悪魔さんは……おそらく、掃除道具を取りに向かったのでしょう。

 逃げ出した眼鏡君は、可愛そうなくらい足をぶつけてました。
 半分無くなったレンズに戸惑いながらも、背後に感じる追っ手を振りきろうと頑張ってました。
 ぴったり本棚三つ分くらいの距離にいるはずの追っ手は、幾ら人数が溜まっても襲ってくる気配がありません。
 今はマークするだけなのかと安心し、そこから速度を落とすことにしました。

 正直、眼鏡君のダメージは大きかったのです……。

―――――

 まだ眼鏡君は、希望を持ってパチュリーさんを探してました。
 左のレンズだけでなく、足にもダメージが出ています、でも諦めずに走ってます、罠ならきっと自分を遠ざけてるはず、じゃあ反対方向にパチュリーさんはいるんだ、そんな出鱈目のようなまあまあのような考え一つで走ってました。
 集中してないと右も左も分からないような場所ですから、眼鏡君も必死です。
 フレームにこびり付いてた三角形のガラス片が落ちました。
 これが最後の一つでした、左のレンズは綺麗に割れちゃってもう何も残ってません……。
 眼鏡君は名残惜しいといった感じでもなく、前だけ向いて走ってました。

(踏んづけたり、チョップしたり、狙撃してみたり、みんな眼鏡をなんだと思ってんだー)

 いつもの軽口が飛び出てほっとします。
 眼鏡君は空元気といった感じでもなく、本当にまだやる気に満ちてました。

(眼鏡を踏んだ罪とか作ってくれないかなー、閻魔様)

 何ですかそれ?
  
(ほら、パンを踏んだ娘、パンを踏んだ罪で、地獄に落ちたってあるじゃん?)

 あぁ……童話のですか。
 眼鏡君は笑うわけではないのですが、楽しそうに言ってました。
 きっと人間だったら鼻歌でも飛び出してるんじゃないかって、だったら無理やり眼鏡をかけさせる罪の方が重そうですよとふざけて返してみたら、急に眼鏡君は項垂れてしまいました。
 
(小指っ、角っ!)

 足打ってたのかよ!?

(……やっぱり俺がかかるとみんな迷惑なのかなぁ?)

 左足を抱えて跳ねる眼鏡君が訊いてきます。
 迷惑って、迷惑のめの字も知らないような眼鏡がどうしたんですか、いきなり。

(うーん、素敵な眼鏡っ娘になったらモテモテになるはずが……)
 
 そんな欲望丸出しで狙ってたんかい。何一つ同情できんわ、ところで眼鏡にとってモテるってのはどういうことなんですかね?

(素敵ね、とか、似合うわ、とか)

 ああ、そういうことなのね。
 褒め言葉の一つや二つあってもいいんじゃないかと言いたいのですか。
 そう言われて振り返ってみれば、眼鏡君土壇場でも眼鏡アピールを続けてましたね。
 ルナサさんの時も小悪魔さんの時も、相手にファッションとして見るだけの余裕がなかったって話でしょう。
 あんまり深刻に捉える必要はないと思いますよ。

(でもなんか赤くて小さいのには、凄い素で地味って返されたし)

 小さいのってなんですか?
 赤くて小さ……ま、まさかリリカのことか……リリカのことかーっ!
 あー、こほん……地味かどうかって言われると改めて言うこともないほどに君は地味だと思います。
 何の変哲のない眼鏡です。
 だけそれは大多数の眼鏡がそうで、君が特別悩むようなことでもないと思います。

(しかし、あのブラウンの眼鏡は明るいと褒められていた)

 あのブラウン?
 あのが指す言葉がどれか解りませんが、どのブラウン?

(俺とこーちゃんが湖の前で話してたじゃん。ブラウンフレームは魔理沙さんが持ってきた眼鏡さ、香霖地味なんだから眼鏡くらい明るくしろって昨日プレゼントされたんだ)

 なるほど、湖で話に出たブラウンには、魔理沙さんが関係してたのですか。
 そうすると読めてきましたよ、貴方が喧嘩して飛び出した理由って、そのブラウン眼鏡との確執が関係してくるわけですね?

(いや、ブラウンをかけたければこーちゃんの好きにすればいいんだけど)

 あれれ?

(眼鏡くらい明るくしろってことは、今の眼鏡が暗いって言ってるんじゃん?)

 はぁ……まぁ……。

(それなのに、こーちゃん一言も言い返してくれなかったんだよ、ただ苦笑しながらさ、ツケの埋め合わせに貰っとくかってそれだけ)

 じゃあ喧嘩になったのは、眼鏡君が地味かどうかで霖之助さんと言い争ったせいで、結局今朝になって貴方は我慢できず家を飛び出したと?

(うん、俺じゃなくて地味なのはこーちゃんの方だもん)

 なんという世間を知らない眼鏡……。 
 そんな理由でルナサさんは尻を叩かれ、小悪魔さんはフルマラソンに倒れ……!
 鬼、悪魔、の後ろに眼鏡、と続いてもおかしくないくらい自分勝手ですよ。
 
(器さえ良ければ、輝くはずなんだよ)

 うがー、まだ言ってんですか。
 今まで自分が辿って来た道のりを振り返って見なさいよ。
 幻想郷でも有数の二人を乗っ取ったってのに、ルナサさん小悪魔さんと大失敗だったでしょうが。
 この先、仮にパチュリーさんを乗っ取って素敵って褒められたとしても、それは九割九部九厘パチュリーさんの魅力で、君の貢献なんて1%もないっての。
 大体、そんなボロボロの眼鏡を誰が――!

(……はずなんだ)

 あれ? と思ったときには、眼鏡君は止まっていました。
 
(だって俺、地味、地味、言われ続けてたし……)

(ここらで、どんと、お釣りが来るはずなんだ)

 眼鏡君は片方だけのレンズで天井を見上げて言いました。
 ……言葉に詰まりました。
 この眼鏡、馬鹿で、理不尽で、自分勝手だけど、その分純粋なんじゃないかって思いました。
 自分が褒められないのはどうしてなんだろう?
 ブラウンの眼鏡が褒められているのを見て、彼はそんな疑問を覚えてしまって、そんな彼が頼ってみた結論は、似合う人にかかれば褒められるのだというものだった……そうじゃないでしょうか?
 その答えを信じていないと道が無かった。
 ここまで走ってきた彼と、今また走り出した迷いの無い後姿を見て、そんな風に思います。
 そして、今それが崩れ出しているのを彼は知っている……。

 自尊心さえ植えつけられなければ動き出すこともなかった……彼にとって何がハッピーエンドなのかを考えました。

(見てくれ、俺の勘がどんぴしゃだぜ)

 ゆらりと漂っていた背後の気配が変わっていました。
 メイド達はもう隠れようとはしないで、殺気むんむんで眼鏡君を見張ってました。
 おそらく眼鏡君が走ってる方向は当ってるのでしょう。
 辿り着きそうなら捕まえる、そのタイミングを探ってるみたいでした。
 逃げようが隠れようが、もう犀は投げられてしまっています。

(いやっほーい、パチュリーさーん!)

 節操の無い叫びも、不愉快に思うことはありません。
 もう、この元気だけが希望のような気がしました。
 無事に戻ることも、作戦の成功も、どちらも望めぬ展開です。
 会いたい人に一目会えるならと、祈っておきました。

「限界です! 書斎に辿り着く前に総攻撃をかけます!」

 メイド達がナイフとパチンコを手に猛ダッシュをかけてきました。
 眼鏡君はそのタイミングをほんの僅かに早く察知して、限界まで加速して先を急ぎました。
 掠ったナイフが床に刺さっていきます。
 この頃の眼鏡君の左足には青くて大きな痣が浮かんでいました。

 最悪なことに……眼鏡君から遠く離れた入り口は大きな歓声に包まれていました。
 待ち望んでた人が遂に来たのです。
 眼鏡君には残された時間を計るのも惜しいくらいな、本隊合流までの僅かな時しか与えられませんでした。
 
―――――

 敵は的のでかい足を狙う作戦でした。
 足さえ封じ込めてしまえば、眼鏡君は何も出来ません。

「援軍要請完了! 一番近い小悪魔さんなら三分、門番長やメイド長も五分もあれば――!」

 伝令役のメイドが前から合流しようとして、喋ってる間にあっという間に後ろに置いていかれます。

「よし!」

 部隊長は吐く息に言葉を乗せて労うと「後から合流しろ」と指で合図しました。
 図書館の淀んだ空気にメスを入れながら先頭を走る眼鏡君に、ナイフが集まってきます。
 後方につけたメイド達は眼鏡君を追い越せないというのもありましたが、敢えて追い越さないという考えもありました。
 ナイフを投げながら走るなら敵の位置は前の方が良い。
 しかも今風除けになって助かってる眼鏡君の位置が、前に出れば逆になってしまう。
 そして何より彼女達は――。
 
 ぼんやりとカーキ色の淡いカーテンが見えました。

「来たぞ! 出ろ!」

 カーテンの周りに立つ本棚から、メキドファイアを構えたメイド達が声を上げて出現しました。
 またしても罠に嵌められた格好です。
 前回と違うのは、時間を稼がれた以上、ここに警備が集中するのは解っていたことであり、解っていて飛び込んだということです。
 全く怯む様子もなく、眼鏡君は弾幕を割って入っていきました。

「地上を塞げ! 肉の壁だ!」
 
 命令があってから進路が塞がるまでの一瞬、カーテンの向こうに誰かが本を読んでるシルエットが浮かびました。
 眼鏡君は目(レンズ)の色を変えて、カーテン目指して突撃しました。
 三段跳びの要領で、勢いをつけて、壁になっているメイドに飛び掛ります。
 そのまま飛び蹴りだ! と思ったのですが、目の前に飛び出されてよろめいたメイドを足を引っ掛けて転ばすだけでした。

(俺は紳士だからな!)

 今更何言ってんだろうか、自分怪我人スルーしたじゃないの(あ、男は例外)こいつ、さも男が大した数いないような言い方を……。
 一人片付いた、さあ次の獲物へと動こうとする眼鏡君に、こかした相手から意外な反撃が待ってました。
 白いブラウスが床を這い、伸ばした両手で足首を掴んだのです。
 これは眼鏡君足が止まりました。全力を出して振り切るのは簡単ですが、メイドの位置が位置ですから顔に蹴りでも入ったら大変です。
 やんわりと引き剥がそうとしてるうちに、射撃部隊から何発も脚に痛いのをもらいました。
 そのダメージは脚が腫れ上がるほどでしたが、メイドはようやく離れてくれて、他のメイドも集中砲火に巻き込まれないよう遠巻きにしていたので、カーテンへの道が一瞬フリーになりました。
カーテンは上からレールに吊り下げられていて、四角く六畳くらいの空間を囲んでいます。
 眼鏡君はカーテンの向こう目掛けて一気にダイブしました。

(ぱっちゅりーーーさーーーーん!!) 

 眼鏡君油断しないで、敵が先に辿り着いている以上、この向こうも警戒する必要があります。
 
(もう我慢できないー!)

 聞く耳もたない眼鏡君は、本を読んでるシルエット目掛けて突撃しました。
 カーテンは丁度眼鏡君が飛び込んだところが分け目で、上手いこと部屋の中に吸い込まれていきました。
 
「んあー?」

 中の人物が本から顔を上げます。
 綺麗な青い髪と艶やかな肌を持つ彼女は、透明な羽を背負ってました。
 なんというか余り知的な面に見えないその人は、そういえば湖から消えていたがまさかこんなところにという伏兵でした。

「おぁ! あたいの顔に眼鏡が飛び込んできたー!」

(バッドフィーーーーーット!!)

 眼鏡君は既に脚を仕舞い込んで、がっちりとチルノさんの顔にかかってました。
 片方のレンズが割れているし、フレームも曲がっていて似合ってるわけがありませんでしたが、今度は眼鏡からプスプスと煙が出始めました。
 眼鏡君が苦しんでいます。

(こんなことあっちゃならねー!! り、離脱! 離脱……不可能ーーー!!!)

 可愛そうに、既にチルノさんは眼鏡の蔓を押さえ、自分の物にしていました。
 眼鏡が自分から来るなんて、あたいってどこまで天才なのかしらと、自慢げに鼻を鳴らしています。
 大妖精に見せてやるんだーと一人で騒いでましたが、ふと見た部屋の鏡で眉をひそめました。
「ぼろっちいやコレ……いらない」そう言ってから眼鏡君をポイ捨てし、チルノさんはまた絵本に戻りました。
 眼鏡君が床に転がります。
 ころんからんと響いた無機質な音は、余りにも無常で寂しい響きでした。
 なんとか脚を生やして立ち上がった眼鏡君は、ルナサさんの時に見せた超回復どころか、エネルギーを消耗してずたぼろになっていました。
 眼鏡の駆除ならばチルノにお任せ、とかキャッチコピーに使われそうな威力でした。

(チルノに……ぼろっちいって……)

 序盤でプッとか笑っていたツケが回ってきました……。
 ここまで敵の用意が良いとなると、パチュリーさんは別の所に匿われているに違いないです……。
 可愛そうに眼鏡君、絶望しながらよろよろとカーテンを分けて外に出ましたが、そこでまた集中砲火に遭いました。
 もはや顔に向けて飛び上がる気力もなさそうな眼鏡君に、弾の雨が降り続けます。
 脚がぐらついてきました。
 敵の中に小悪魔さんが見えました。
 合流したんだ……飛んでる黒い悪魔に向けて眼鏡君はお願いをしました。 

(さ、最後に……パチュリーさんに会わせて……)

 小悪魔さんはメギドファイアを持って、眼鏡君の脚を撃ちました。
 通じるわけないのですが、眼鏡君はショックでした。
 この旅で、誰も眼鏡君の味方についてくれた人はいませんでした。    
 最後の最後まで、みんな嫌悪の目で眼鏡君を見ていました。
 自業自得ですが、もし眼鏡君にあと一つ、脚以外に例えば声が与えられてたとしたら化け物じゃなかったのかもしれません。

(せめて……一目……!)

 弾の中を歩きました。
 パチュリーさんを探して歩きました。
 片方でもレンズが残されているのが奇跡と呼べる有様でした。
 傷だらけの脚で踏ん張っていると、人垣の向こうにピンク色の帽子が見えました。
 それは眼鏡君が会いたいと願った奇跡なのか、一目会わせてあげてという私の願いが届いたのか分かりません。  

(おぉ……おおー!)

 眼鏡君は喜びました。
 パチュリーさんだ……来てくれたんだ。
 きっと、とびきり眼鏡が似合う人なんだと眼鏡君は思いました。
 もう少し近くで見ようと、眼鏡君は歩き出しました、その時レンズの中に強い火花のようなものを見ました。
 どうしてか人垣が開いていきます。
 なんだったんだろうと思ったけど、進むのを優先させました。
 あれは自分の為にパチュリーさんが開いてくれた道だと思いました。

(パチュリーさん! やぁ、ようやく会えた!)

 パチュリーさんは笑顔で眼鏡君を迎えてくれました。
 眼鏡君は驚きました、今までの誰とも違う反応だったからです。

『似合うかどうか、私が確かめてあげましょう』

 なんて嬉しい言葉なのか、屈み込むパチュリーさんの顔目掛けて眼鏡君は喜んで飛びました。
 曲がったフレームどころか、割れたレンズすら再生していきます、パチュリー・ノーレッジこそが真の眼鏡っ娘だと感動しました。
 小悪魔さんが恐る恐る近寄ってきて「スゴイ、スゴイ」と言って眼鏡を褒めてくれました。
 他のメイド達も武器を納めて笑い合い――。   

 ――――。


「はぁ、しぶといネズミだったわね」

 ……眼鏡君はとうに倒れてました。
 最初にパチュリーさんに足を踏み出した時、危険を察したメイドに至近距離から脚を撃ち抜かれてそこで終わっていました。
 冷たい床の上で、脚が消えなくなるまでの間、ささやかな夢を見ていたに過ぎません……。

「いたたっ、あー、あちこち痣になってるわ……」
「メイド長〜! こっちですー!」

 今やそんなことすら考えることの出来ない、ただの眼鏡に戻りました……。 
 
―――――


「何だ、止めたのか、あのメガネ」
「ああ」

 ガラクタをどっさり机に置いた魔理沙さんが、霖之助さんに鑑定してもらってる間に話しかけてきます。
 霖之助さんは鑑定に気が散るからつれない態度を取ったわけじゃなくて、魔理沙さんが話に大して拘ってないと解ってたので相槌だけにしたのです。
 実際、魔理沙さんはもう興味をなくしてしまって、店内をうろうろしていました。

「最近ずっとかけてたから、気に入ったんだと思ったんだけどな」

 魔理沙さんは椅子に落ち着いて、そこで本を読んで時間を潰しているようでした。
 
「あー、そいつは由緒ある一品だぜ、高く買ってくれよな」 

 全体を指している魔理沙さんにどれがだよと聞き返すこともなく、霖之助さんは品定めに集中していました。
 やはり使い慣れたものだと、作業も早いな……。
 満足そうに頷く霖之助さんを見て、魔理沙さんは金銭的な期待に胸躍らせました。

「終わったよ」
「おお、ずいぶん早いじゃないか、で、どうだった!?」
「こんなところだ」
「ケチ! どケチ! 人の足元見やがってー」
「どうせ家に収まりきらなくて困ってたのを持ってきただけなんだろう?」
「その通りだから足元見てると言っているんだぜ」

 机の上に積まれた硬貨を魔理沙さんが引っ手繰ります。
 霖之助さんは頬杖をついて魔理沙さんを眺めていました、魔理沙さんはそのままショッピングに店内を歩き出して、別に怒った様子も見られません。

「今日はやけに機嫌いいな、香霖」
「そうかい?」
「というよりは、今までが不機嫌だったな」
「実は、紅魔館で暴れていた眼鏡がうちに帰ってきてね」
「はあ?」
「あんまりボロボロだったのでちょっと時間がかかった。割れたレンズを交換しフレームは一から復元して貰ったよ。あちらのお偉いさんが顔馴染みだったおかげだ」
「顔馴染み? 咲夜か?」
「ああ」
「それで私がやった眼鏡をかけてたのか」
「まあね」
「ちぇっ、乙女のプレゼントを代用品に使うとは酷いぜ」
「一般的に乙女のプレゼントとは、ツケの対価として徴収したものには適用されない」

 嫉妬も怒りも無く、魔理沙さんは豪快に笑いました。
 暴れてた眼鏡のことは、例え話なんだろうと気にしてない様子でした。
 それからまた店内をぶらついていましたが、大して広い店でもないので霖之助さんに視線が戻ってしまいました。

「こうして比べてみると……香霖には、落ち着いた眼鏡の方が似合ってるな」
「そう思うだろう?」
「少しは照れたりしろよ、朴念仁」

 今度は霖之助さんが笑う番でしたが、おかしな変化に気がついて、そっと眼鏡を下ろしました。
 
「どうした?」
「いや、ちょっと眼鏡を……磨いてやろうかと」
 
 褒められてすぐそれかこのスケベと魔理沙さんがからかいますが、霖之助さんは苦笑してそれを流しました。
 眼鏡拭きの黄色い布を持ってきて、レンズに当てます。
 魔理沙さんは用事も終わったし、目ぼしいものも無いなと、箒を手にして霖之助さんに別れを告げようとしましたが、未だに片方のレンズばかり磨く霖之助さんが不思議で尋ねました。  

「どうして右のレンズばかり拭いてるんだ?」

 霖之助さんは顔を上げて微笑んでから、水を拭き取った右のレンズにふーっと息を吹きかけてあげました。

 

 

 

 

■ 

「この見積もりだと……小売価格は幾らくらいを?」
「人間のお金で一万は超えるだろうと思います」

 この程度の女だったかと、十六夜咲夜はこの台詞に失望していた。
 気になって出向いてみれば、さっきから業界を解っていない台詞ばかりが飛び出している。
 五千円。
 このラインだ。
 ここを切れるかどうかで各メーカーが鎬を削って争っている……。
 動かしたい関節を削ってでも、売れる値段へと修正していく、子供の玩具に出せる金額は五千を超えた時点で金を出す大人が冷めてしまうからだ。
 なのにこの金額、材料費だけで五千円を超えているじゃないか、これに人件費、発送費、卸売り業に回り、小売へと動いて最後に店頭に並んだ時に一万じゃ済まない金額だろう。
 咲夜は鼻で笑った、これが技術者が付けたがる良心的な金額という奴か。
「ドールハウス。シルヴァニアファミリー」と書かれた企画書の上に、馬鹿げた金額の見積書を伏せた。

「解りました、折り返し連絡致しますので」
 
 そう言いながら、もう連絡なんてしないだろうと思ってる冷めた自分がいた。
 紅魔館の主力はあくまでレーミィ人形、最盛期の勢いは無いが順調にシリーズを重ねて十代目を突破したレーミィ人形が紅魔館を支えている。
 勘違いしてはいけない、ドールハウス化とはレーミィ十周年に便乗して小銭稼ぎとして出た企画なんだから。

「メイド長、一つサンプルを見ていただけませんか?」

 ドアに向かう咲夜の背中に静かな声がかかった。
 サンプル? 振り返った咲夜の前にまだ色も塗っていない白いレーミィ人形がいた。
 中途半端な物を見せられても……このまま泣き落としでもするんだろうかと眉を顰めた咲夜は、次の瞬間信じられない物を見た。

(れみ)

(りあ)

(うー☆)

 動いている……!
 人形が――いやそれは動かされていたのだけど、まるで指の先まで神経が通っているかのような繊細な動きだった!
 咲夜は土下座した……!
 目の前の人物へではなく、部屋に漂うレミリア・スカーレットの幼女臭に頭が上がらなかった!
 五分後に声をかけられるまで放心状態で頭を下げていた……!

「ねえ、たかだか五千円やそこらのお金で、レミリア嬢の幼女臭が出せると思っているの?」

 その時、歴史が動いた。 

 SA会談と呼ばれるこの日を境に、ドールハウス、シルヴァニアファミリーの進撃が始まる。
 空前のレミリアブーム、電撃の三年間、振り返ればドール市場の九割を占拠した空前絶後の入れ替わり劇だった。
 企画を持ち込んだ少女は業界ではミクロの関節師と崇められ、今でも紅魔館の門を潜ればすぐにその輝かしい実績とシルヴァニアファミリー第一号を見ることが出来る。
 ミクロの関節師……。

 後のアリス・マーガトロイドである。



SS
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2007年2月28日 はむすた

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