Forgotten Reimu

 

 

 

 うら寂しい街道沿いに、その屋台は夜な夜な出没する。
 小さな小さな、可愛らしいと表現しても良さそうな、どこかミニチュアさえ髣髴とさせる屋台だった。妖怪とは言え、小さな少女がひとりで引き、管理するとなると、やはりこれくらいのサイズが手一杯なのかもしれない。
 それにしても商売をするには辺鄙すぎる場所だ。人里からさして離れているわけではないが、それでもこんな所までわざわざ足を延ばす者がどれほどいるのやら――

 などと思っていると、これが案外いるものであった。誘蛾灯に導かれる蛾よろしく、ふらふら赤提灯に近付いてくる人影があるのだ。
 ふわふわと空を泳ぐかのような、どこか掴みどころのない動きは、紅白の巫女のもの。
 霊夢は宙に浮いたまま暖簾をくぐり、すとんと長椅子の上へ腰を落とした。
 天井にぶら下がるランプのオレンジ色の光の中、店主である夜雀の少女が笑顔で迎えた。
「いらっしゃい。今夜は冷えるね」
「今夜も、ね。いつものお願い」
 人差し指を立てて、霊夢は告げる。
 ミスティアはきょとんとした顔を返した。
「いつもの?」
「……ああ、なんでもないわ。それじゃあ、八目鰻の串焼きとお酒、熱燗ね」
 霊夢は苦笑気味に注文をやり直した。
 今日もだめだったか、と胸中でつぶやきながら。


 霊夢はこのところ、よくこの店を訪れている。
 三日と空けずに顔を見せ、皮切りのオーダーはいつも同じもの。それをもう十数回も繰り返したか。
 なればそろそろ常連と呼ばれても良さそうなものなのに、いまだ店主にそう認識されていない。
 そもそも憶えてもらえてさえいないのだ。店主の異常なまでの物覚えの悪さが原因だった。三歩の間に……とまではいかずとも、三日もすればひと通りの記憶が刷新されてしまうらしい。
 それでも今回こそは――そう期待して、ここ数回、「いつもの」なんて常連風吹かした注文を試している霊夢だった。結果はご覧の通り。ままならないものである。
 ――まあ、いいんだけどね。ツケのことまで忘れてくれてるし。
 腹黒い笑いを胸の奥に秘めたまま、霊夢は出された料理を口に運ぶ。いかにも大衆的といった感じの、しかし深みのある香味が口内に広がった。
「ん、おいし」
 素直な感想を口にすると、ミスティアはとても嬉しそうに、にっこりと微笑んだ。そしてやおら唄いだす。脈絡のないエレジー。
 ちょっとばかり調子っぱずれな歌声に霊夢は、今度は苦笑を隠そうとしなかった。初めてこれをやられた時こそ驚いて噎せ返ったりもしたが、今では慣れたものだ。逆にこれがないと寂しく思えるくらいだ。
 否応なく鳥目にされてしまうのも難点だったが、そこは八目鰻の神通力で相殺できる。霊夢はいつしかハミングを重ねてさえいた。


 コップを二度ほど空にし、熱の上った頭でぼんやりした心地よさに浸っていると、遠く足音が聞こえてきた。
 迷うことなくこちらへと向かっている。それも複数。珍しくこの長椅子が客で埋まりそうだなと霊夢は思い、さりげなく尻を端の方へとずらした。
 程なく、暖簾が荒っぽく持ち上げられて、
「おう、懲りねえガキだな、おい」
 いかつい体格の男たちが三人ばかし、怒鳴りながら顔を覗かせた。
 どいつもこいつも、人のひとりやふたりは殺したことのありそうな面構えをしていた。顔の造形そのものは、まあ人並みではあるのだが、目つきや口元の歪ませ様が異相に見せてしまっている。やくざな仕事が全身に染み付いてしまっている者特有の人相だった。
 そんな連中にいきなり怒声を浴びせられて、ミスティアはびくりと身を竦ませていた。
 しかしそこは妖怪、人間ごときに嘗められてたまるもんですかってなもので、
「な、なによあんたたち。やろうっての?」
 長い爪をランプの明かりに光らせて、身構える。
「何の用だか知らないけど、私の店で勝手はさせないからね」
「あン? 何の用か、だと? 忘れたとは言わさねえぞ!」
 男たちはさらに気色ばむ。どうやらこれが初めての訪問ではなく、以前にも来たことがあるらしい。
 相手が悪かったわね。霊夢は思いつつ、ぼそりと告げてやる。
「でも忘れてるのよね、多分。鳥頭だから」
 こんな特徴的な連中のことまで忘れてしまえるとは、いよいよ堂に入った忘却女王ね、などと感心すらしながら。
「あぁ?」
 男たちは、まるで今初めて巫女の存在に気付いたかのような顔を見せ、それからまたミスティアの方を向いた。
「ふざけやがって……なら何度でも言ってやらあな。おいてめえ、誰に断って店出してやがんだ? ここで商売してぇなら、先に俺たちに断りを入れるのが筋なんだよ」
 彼らのあんまりな主張に、霊夢は酒を噴きそうになる。なんだこいつら、こんな里の外の、滅多に人も通らないような場所まで自分たちのシマだと言い張るつもりなのか。しかも妖怪相手とは見境なさ過ぎる。そんなにシノギを上げるのが苦しいのか。
 しかし苦笑してもいられなかった。男たちがついに実力行使に出始めたのだ。
 ひとりがいきなり屋台を蹴りつけた。容赦ない長渕キックは屋台骨を軋ませ、提灯を激しく揺らし、霊夢のコップを引っくり返してしまう。
 別のひとりは暖簾に手を掛けて、力ずくで屋台から引き剥がしてしまった。地面に叩きつけると、楽しそうに踏みにじる。藍地に白く染められた「焼き八目鰻」の字が、見る見る泥に汚れていく。
 そしてもうひとりは、屋台を回りこんでミスティアに掴みかかろうとしていた。ミスティアの爪に対抗するためだろう、手に匕首を抜いている。
 ミスティアは後退りしながら、相手をねめつけた。
「このっ、鳥目にしてあげるわ!」
 開いたその口から、歌声が流れ出す。夜雀の呪歌。追い詰められた彼女の心境を反映してか、その音は高く、リズムは恐ろしく早い。
 歌に秘められた鳥目の呪力に囚われて、男たちは怯んだ様子を見せた。だがそれもほんの数秒のこと、
「同じ手が何度も通用するかよっ」
 彼らは屋台の網の上で焼かれていた八目鰻の串に手を伸ばし、それを食べ始めた。目を丸くするミスティアの前で一心不乱に咀嚼し、
「……おう、効いてきた、効いてきたぜ。八目鰻様様だな、こりゃ」
「んなっ!?」
 あろうことか彼らは、八目鰻で鳥目を回復させてしまったのである。ミスティアにとってはなんとも皮肉な結果であった、というか間の抜けた話ではある。
 頼みの綱としていた鳥目の呪歌が破られて、ミスティアはすっかり萎縮してしまった。男たちは嵩にかかり、さらに狼藉の度合いを過熱させる。

「ぎゃっ」
 不意に男のひとりが悲鳴を上げた。
 見れば、その手の甲には、半分かじられた鰻が付いたままの串が刺さっている。
 そして男の向こうには、紅白の巫女が長椅子の上で仁王立ちとなっていた。
「やかましいわね、このドグサレども。いい歳こいて屋台の作法も知らないのか」
 静かな非難の声は、男たちがドスを利かせたものよりもよほど凄みに満ちていた。
 少女が発するものとは思えない威圧感に、男たちは一瞬冷や汗を浮かべ、しかしすぐそれを恥じるかのように睨み返す。
「な、なんだてめえ! 人間、それも巫女のくせしやがって、妖怪の肩を持とうってのか?」
「確かに妖怪は人間を食らう、いわば敵ね。……じゃあ、その妖怪をも食い物にしようっていうあんたらは、一体なんなわけ?」
 霊夢の問いに男たちは言葉を返さず、代わりに長椅子を蹴りつけた。引っ繰り返る長椅子の上から、霊夢は既に中空へと退避している。
「妖怪を餌食にしていいのは、この博麗の巫女だけよ」
 両手の指の間に、鋭い銀色が光る。今度は串などではない、実戦用の針だ。
「この店、気に入ってるのよね。美味しいしツケは利くし。だから、これを潰そうなんて輩はすべからく敵よ。調伏してくれるわ」
 銀色の閃光が幾筋も迸り、夜気を貫いた。



 ハリネズミさながら、ほうほうの体となって逃げていく男たちにはもはや一瞥もくれず、霊夢は屋台に視線を戻した。
 ひどいものだった。屋台骨は見るからに傾ぎ、あちこちに汚い靴跡が刻まれている。打ち捨てられた暖簾の上には食器の破片が散らばり、食材の入った籠や酒瓶などは余さず中身をぶちまけられていた。網がねの上ではいくつもの串が無残に炭化していた。
 これは再び商売ができるようになるまで、ちょっと掛かるだろう。時間とか、資金とか。
 辺りに漂う焦げ臭さに眉をひそめつつ、霊夢は地面にへたり込んでいるミスティアへ近付いた。
「大丈夫? 今夜もツケでいい?」
 優しさと厳しさの入り混じった声を掛けられて、夜雀は健気な笑顔を返した。
「大丈夫、平気だから。私、鳥頭だから。嫌なことがあっても、すぐに忘れてしまえるの」
 だから平気だよ。そう繰り返す彼女の笑顔はいつしか引きつり、頬に涙のしずくが伝っていた。
「そう、みんな忘れてしまうの……こうしてあなたに助けてもらったことも。こんなに嬉しいのに、こんなに胸が感謝の気持ちでいっぱいなのに……きっと、次にあなたと会ったとき、私はすっかり忘れているわ」
 さめざめと泣く夜雀のそばにしゃがみこんで、霊夢はそれ以上の言葉も思い浮かばず、ただ少女の頭をそっと撫でた。





 五日ほど経ってその場所に行ってみると、何事もなかったかのように赤提灯が暖かな光をこぼしていた。
 霊夢が暖簾をくぐると、やはりいつもどおりの明るい声が迎えてくれる。
「いらっしゃい。今夜は冷えるね」
「この前よりも、ね。どう? あれからまた、あいつらが来たりした?」
 問いかけに、ミスティアは小首を傾げた。夜雀だけあって、小鳥のようなその仕草はよく似合う。
 霊夢は苦笑を袖の下に隠す。どうやら今日もまた、「いつもの」なんて注文は通用しそうにない。仕方なく、いつも通りの注文をする。
 鳥頭。嫌なことも、そうでないことも、彼女は一緒くたに忘れてしまう。
 でも――唄うことと、八目鰻の調理法だけは忘れていない。それで彼女には十分なのかもしれない。こちらにとっても。
 やがて出された串焼きをひと口かじり、霊夢は言ってあげる。
「ん、美味しい」
 それを聞いてミスティアは、にっこりと、とてもとても嬉しそうに笑った。

 

 

 

 



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2006年2月17日 日間

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