たまのあめふる

 

 

 


 
 乾いた風が首筋に冷たい、そんな日だった。
 博麗霊夢は装束の襟元をすぼめるようにして、日課の掃除を行っていた。風に追われて参道の敷石を行ったり来たりする枯葉たちへ秩序というものを教えてやらんと、熱心に竹箒を振るっていた。
 頭上遥かな空では、風もより強いのだろうか。低い唸りと共に暗い色の雲がゆっくり蠢いている。地面に落ちる自分の影の薄さに、これは一雨くるか、それなら掃除に精を出すこともなかったかなと、霊夢は仏頂面を作る。
 そんなことを考えた、まさに直後だった。ぱた、ぱたた、と敷石を連続して叩く細かな音が響きだしたのは。
「あー」
 嘆息して空を仰いだ霊夢は、しかしすぐ、驚愕に目を見開いた。
 灰色の雲に覆われた天から降り落ちてくる無数の小さな粒――それは予期した雨粒などではなく、もっと剣呑なものだったのだ。
 弾だ。赤熱した弾が、頭上を覆いつくす程の数、降り落ちてくる。
「弾幕……?」
 愕然と呻き、だが立ち尽くしたままその身に弾を受けたりしないところは、さすが博麗の巫女であった。ほとんど本能のまま、霊夢は直撃コースの弾道を見切り、回避運動をとっていた。
 一瞬前まで霊夢の立っていた敷石に、黒く弾痕が刻まれる。なおも間断なく降ってくる弾を、霊夢は軽やかなバックステップで避けながら、社殿まで退いた。
 屋根が弾を防いでくれる音を聞きながら賽銭箱に寄りかかり、ほっとひとつ息を吐く。それから改めて眼前の光景を見据えた。
 ばらばらと、やはり雨にも似た音を立てて、弾幕は境内に降り続けている。敷石を黒い斑模様に染め、参道両脇の剥き出しの地肌を小刻みに耕し、木々を揺らしてわずかに残っていた葉を散らしていく。霊夢が苦労して集めた枯葉はとっくに砕けて塵芥と化していた。退避に邪魔だからと棄ててきた竹箒が、参道の中央に横たわったまま、弾に嬲られ放題となっている。
 半ば呆然とした表情をさらす霊夢の瞳は、不意に空が白く光るのを捉えた。
 雷か。霊夢は雷鳴の轟音を予想して反射的に軽く身構えたが、またも彼女の見当は裏切られた。虚空から落ちてきたのはジグザグ形状の稲妻などではなく、ひたすら真っすぐな白い閃光だったのだ。
 霊夢には馴染みのある光。レーザーだった。
 あんぐりと口を開く霊夢の前に落ちたレーザー光線は、境内をさっと横一文字に薙ぎ払っていった。
 枯れ草を焼き、竹箒を真っ二つに切り捨てて、レーザーはごく短い照射時間を終えた。光が消えてからほどなく、弾の雨もまばらになり始め、やがて降り止んだ。
 しん、と。元通り、秋風の通り過ぎる音だけがわずかに耳朶を震わせる、そんな静けさが場によみがえる。
「……だ、誰よ、こんな!」
 数秒も経ってからやっと我に返った霊夢は、屋根の下より飛び出して空を振り仰いだ。こんなふざけた真似をしでかしてくれた攻撃者の姿を求め目を凝らすが、しかし虚空には何者の影もなかった。逃げたか、雲の中に姿をくらませたか。どちらを為すにしろ、よほど足が速くなければ無理だ。あるいは時間を止めるか、瞬間移動でもするか。どれも常人には不可能な技だが、常人じゃない知り合いの方が多い霊夢には、心当たりがありすぎた。
 見つけたら即座に叩きつけてやるべく手に抜いていた御札と針とを、拳が白くなるくらいに強く握り締め、霊夢は地団太を踏む。誰だか知らないし目的も理解できないが、次に同じことをしてみろ、今度は退くことなくすぐさま肉薄してとっちめてやるんだから。





 ――これが、公式の記録に残る最初の降弾現象であった。
 降弾、文字通り雨の如く空から弾が降ってくる事象である。博麗神社で確認されて後、数日の間に、幻想郷の各所で同様の光景が目撃された。霧の湖や太陽の丘、妖怪の山や魔法の森、人間の里の内外など、ありとあらゆる場所で突然の弾降りが発生したのだ。
 場所だけではない、日時や天候も問うことなく、弾は気まぐれに降った。時には太陽まばゆい小春日和の白昼に、時には氷雨そぼ降る深夜に。いきなり空の片隅を弾の幕が翳らせるのだ。
 不可解なのは弾幕の発生源、すなわち射出者の姿が一向に確認されないことであった。降弾に出くわした者はほとんどが面食らい、まずは身の安全を図ったが、中には果敢に弾幕と向き合い、攻撃してきた相手の姿を求める者もあったのだ。
 しかし彼らは弾幕の向こうに誰も、何も見出すことができなかったのである。やがて弾雨が上がると、彼らは何もない虚空を見上げて、それこそ不意の夕立にでも降られた後のような顔をさらすのだった。
 こういった話には「狐狸にでも化かされたのではないか」と揶揄する声が返されることもあった。しかし里の名家の一・稗田家の長女にして時の御阿礼の子たる阿求嬢が証言したことにより、こうしたまぜっかえしは封じられた。
 阿求は外出の折、少しばかり離れた野に弾が降るのを目撃したのだという。その光景を目に焼き付けた際の驚きと恐れとを、彼女はこのように語った。
「いやあ、たまげました。弾だけに」
 ……ともかく求聞持の証言が事実の認定を促し、人々の論点を次の段階へと押し上げた。すなわち、いったい誰の仕業なのか?
 透明人間によるものじゃないのかと面白半分に推察する声がまず上がった。そう言えば妖精の中には自らの姿を隠せる者がいるそうじゃないか。それを言うなら迷いの竹林にはおかしな幻覚を操る妖怪兎がいる。いや、もっと単純に幽霊の仕業かもしれないぞ。いやいや誰かがインビジブル奴隷タイプの弾幕を研究していたのかもしれない――
 奇怪な事件は人々の好奇を一身に集め、様々な憶測を生み、いくらかの被疑者を浮かび上がらせた。
 被疑者たちは自らにかけられた容疑を積極的には否定しなかった。いずれも曲者揃いの被疑者らはそんなことで動揺するようなタマではなく、鼻で笑うか、むしろわざとらしい態度で自ら嫌疑を深めようとする者さえあった。どうせ疑っている側もさほど本気ではないだろうと、あるいは知っていたのかもしれない。
 人為的な現象ではないのかもしれないという説も唱えられた。この説は弾降りが無人地帯でも発生していることを根拠とし、もしこの事件が人妖に混乱を招くことを目的とした愉快犯によるものならば、必ず観測者のいるところで行われるはずだと訴えた。
 結論としては、この説が正鵠を射ていたことになる。様々な方面から事態の究明が計られた末、ひとつの事実が確認されたのだ。
 すなわち、降弾は自然現象に極めて近いものであるという事実である。
 時間的・霊的アプローチを含むあらゆる角度からの観測の結果、弾幕の展開者、少なくとも意思を持った知性体の存在はついに認められなかった。弾の雨は、虚空から忽然と湧き出して、地に降り注いでいたのだ。
 現象に与えられた「降弾」の名は、この事実が判明して後に、各方面の首脳が合議して定めたものである。



 降弾は幻想郷全土に混乱を招いたが、さほど深刻なものではなかった。
 ひとつには、見た目ほどの危険性を現象が有していなかったためである。降弾は一度始まると、まさしく弾幕と呼べるだけの規模の量を降らしたが、その密度は決して無慈悲なものではなかった。本物の雨に比べれば比較にならないほど、粒と粒との間隔が開いており、おまけに大抵は速度も遅く、それなりの反射神経があれば十分に回避が可能なほどであった。たまにレーザーを含む高速弾の類も混ざったが、これが降る際には必ず予兆――非殺傷性のガイドビームが事前に照射されて弾道を記したり――が示された。
 また、弾自体もそれほど高い殺傷力を持ってはいないようで、運無く被弾したとしても、致命傷に至る者はなかった。ただ、被弾時には派手な音と閃光とが発せられ、これが肉体のみならず精神にもかなりの衝撃を与えるらしい。食らった者は人間・妖怪を問わず、たいていが数日は寝込む羽目となった。このことから子供や老人が被弾すれば万一のこともありうるとして、里では外出に規制が設けられることとなった。
 幸運だったのは休耕期に入ったばかりであったことだ。水田や多くの畑では収穫が済んでおり、降弾による作業や作物への影響についての心配は、しばらくは棚上げすることができたのだ。
 しかし、もちろん全ての農家が安堵できていたわけではない。冬季でも管理の必要な畑や作物はあったし、そしてこれは農作物だけでなく、草花に関しても同じだった。
 一度、際どい事態となりかけたことがある。花屋の娘が花の苗を保護しようと里外れの畑に出たところで、折悪しく降弾と遭遇してしまったのだ。
 運動神経こそ悪くないものの、弾幕と対峙するなどそのときが初めてだった彼女は、足をすくませるばかりだった。だが、まさに被弾するかと思えたそのとき、「偶然に通りがかった」という妖怪が彼女の頭上に日傘をかざしてくれ、事なきを得たのだった。
 その妖怪の少女は、花屋の常連であり、娘とも顔なじみだった。礼を述べる娘に、だが妖怪は背を向けたまま耳を貸す気配もなく、弾幕に閉ざされた空を一心に睨んでいたという。弾幕の音に混じって忌々しげなつぶやきを、娘は聞いた。
「八雲のったら、何をのんびりしてるのかしら。こんなときに動いてこそでしょうに」





 無論、妖怪の賢者たる八雲紫とて、ただ手をこまねいていたわけではない。
 降弾が始まって四日後の午前には、現象の原因を突き止め、まず霊夢に伝えている。冬眠の準備にかかろうとしてたから初動が遅れちゃったわ、などと前置きにうそぶいてから、彼女は語った。
「端的に言っちゃえば、弾幕が幻想と化しつつあるのよ。外の世界のが、ね」
「弾幕がって……なに、外じゃ戦争とかが絶えようとしているの? 有史以来、人間が争わなかった時代はないって聞いたことあるけど、とうとうその歴史も塗り変わったってわけ? ネクストヒストリー?」
「慧音から聞いたのね、それ。えっとね、そういう意味じゃなくって、娯楽としての弾幕のこと。私たちがよくやる決闘みたいな、ごっこ遊びのものね。それが外では消えつつあるわけ」
「それはまたどうしてかしら」
 弾幕、楽しいのに。首を傾げる霊夢に、紫は寂しげな微笑を見せた。
「そうね、霊夢の言ったことは、半分当たってるのかもしれないわね。娯楽という狭い世界でのことではあるけど、歴史が変わろうとしているのよ。これもそれも時の流れってやつね」
「……で、対策は?」
「幻想郷はあらゆるものを受け入れるわ」
「放っておくの?」
「……考え中」





 他の者たちが紫に任せっきりで事態を傍観していたかといえば、そうでもない。特に弾幕に不慣れな者ら――多くは里の人間――にとって、現象への対処は急務であったのだ。
 里では早期に、里長や上白沢慧音、稗田阿求をはじめとして、各産業の組合や自警組織の重鎮が集い、妖怪の賢人も幾人か招いた上で、会議を行っている。まずはこの、おちおち外も出歩けない状況をなんとかせねばならない。
 時と場所を選ばず降り、雨とは違って風や雲行きから予測することもできない降弾は、里人の外出をためらわせた。このままでは物流も滞って、生活に破綻を生じさせかねない。
 まず、環境規模での対策が練られた。最終的に採用されたのは、主要な街路を中心に、弾を防げるだけの強度の屋根を張ろうという案だった。つまり、街路のアーケード化である。
 これはしかし、すぐさま実行できるものではなかった。設置区画の選定に各部門の顔役が揉めたこともあったし、避弾経始に優れたアーチの角度や形状・排水路の構造といった設計上の課題、そして耐弾性に優れ、積雪にも耐え、さらに陽光を遮り過ぎない資材の調達といった問題が山積したのである。
 そこで当面は、個人レベルで可能な対処法を確立することが優先されることとなった。弾から身を守ることができ、不意の降弾にも咄嗟に対応できる携行性と取り回しの良さを併せ持った装備の開発計画が立てられた。
 最初に発想・開発されたのは、やはり傘だった。降弾の性質は、結局のところ雨と共通する点が多かったのである。加えて、花屋の娘が妖怪の日傘に守られた一件が人々の脳裏に鮮明な印象を刻んでいたことも、背景にはあった。
 河童を中心とする妖怪からの技術供与を受けて、防弾傘(耐弾傘とも)の開発が始められた。開発の焦点となったのは当然ながら、弾を受け止める傘布の部分である。必要十分な耐弾性を得ようと、職人たちはそれぞれに頭を捻った。普通の傘布の表面に合成銀を網目状に貼ったものは、頑強ではあったが重く、コストも嵩んだ。強靭な繊維で織られた傘布は、しかし二、三度も弾幕を防げば穴だらけとなってしまった。他にも鏡面処理した対レーザー特化型傘や、妖獣の体液を塗布して強化したという怪しいものまで、二桁に達する防弾傘が試作されたが、ほとんどがなんらかの問題を抱えた代物だった。最終的に量産が決まったのは、神社で安価に量産されている御札を貼り付けただけの、だが巫女曰く「霊験あらたかな」傘であった。
 選ばれたこの傘にも、ひとつだけ短所があった。御札をべたべた貼りたくった見た目がいかにも不恰好で、若い女性や子供などから大不評を買ったのである。
 そこでいかにエレガントな外観にできるかが、次の課題となった。ここからはもはや技術うんぬんではなく、職人個々のセンスの問題である。ある職人は流行の絵師にデザインを依頼した。無愛想な見てくれの御札を先進的なセンスあふれる幾何学模様に配したデザインは、見事に好評を博し、彼は防弾傘のシェア第一位を占めるようになる。
 彼に追従して多くの職人はデザインに凝ったが、自らのセンスに信を置けない者や昔かたぎの職人などは、機能性を高めるなど別方面から傘の価値を上げようと励んだ。
 また、傘で手を塞がれることを嫌う人のために、頭に乗せるだけの防弾笠も作られ、一部で愛好された。
 防弾傘の開発の中で確立された新技術は、他の様々な防弾装備やグッズへと転用されていった。新たなパテントの取得が相次ぎ、人里特許許可局がてんてこ舞いとなる。防弾傘のシェア競争は、日を追うごとに盛んになっていくこととなる防弾ビジネスの嚆矢となったのだ。



 防弾装備が里の住人のほぼ全体に行き渡るようになると、人々の欲求は新たな方角を向いた。
 防弾傘は確かに便利だが降弾と遭遇しなければ無用の長物となる。そもそも降弾と出くわさなければ防弾具など必要ないのだ。ある程度の指針でもよいから、出かける先で弾に降られるかどうか、予測できないものか――それは、降弾予報を求める声だった。
 実はこの声は割と早い内から、主に家庭の主婦たちの口より発せられていた。洗濯物を干していたところへ弾が降り、大事な着衣を焦がされてしまったという者が後を絶たなかったのだ。
 この訴えを受けて、里で祀られている龍神の石像に改造が加えられることとなった。龍神の石像は河童の手によって作られたもので、もともと天気予測機能を備えている。目の色で、今日一日の天気を占ってくれるという、里の住人にとってはなんともありがたい機能だった。ちなみに目が赤いときは幻想郷に異変が生じていることを示し、博麗神社に弾が降った最初の日にも、やはり血のような朱色に染まっていたらしい。
 この石像の、片目には従来どおり天気予測を続けてもらい、もう一方の目で降弾確率を表示できるようにしようと、そういう改造である。
 肝心の降弾確率はどう求めるのかであったが、これに関しては八雲紫の式である藍が計算式を導き出し、河童に提供した。どうやら前もって紫にこの仕事を託されていたらしい。
 驚異的な精度を誇る藍の方程式に、受け取った河童は適当なランダム要素を加えた上で再構成、石像に組み込んだ。こうして石像は天気予測能力に加え、新たに的中率八割強の降弾確率表示機能を獲得したのである。
「……どうして的中率一〇〇パーセントのままにしなかったのかって? 絶対的中なんてありがたみがないでしょ。それに面白くもないじゃん。人生も妖生も、不確定要素が楽しくするのよ」
 それでも降弾の危険性を考慮して、天気予報よりも気持ち高めのこの数字に設定したのだと、「科学は八三パーセントが技術、一九パーセントが運」が信条というその河童は語った。
 ちなみに二パーセントの余剰が生じるが? と尋ねられると、河童はぎょっとした顔になり、あちこち目を泳がせた末に「科学への愛が、溢れたんだよ!」とのたまった。ものは言いようである。



 弾幕に対する防衛行動としては、回避という手段もある。
 敢えて防弾装備を持たず、己の動体視力や運動神経のみを武器として、この脅威に立ち向かおうとする者もあった。防弾具を持ち歩くのが面倒という実際的な理由もあっただろうが、それ以上に彼らは、この災害を前向きに楽しもうという気持ちを強く秘めていたのかもしれない。
 それでうっかり被弾しても彼ら自身の責任であるからよいとして、良識ある大人たちが頭を痛めたのは、少なからぬ子供たちがこういう「弾幕上等」の回避主義を信奉しはじめたことだった。悪童たちにはその姿勢が憧れるべきものと映ったらしい。寺子屋への行き帰りなどに降弾と遭遇すると、親が持たせてくれた傘をわざわざ放り出して、拙い回避ごっこへ身を投じるようになっていった。
 注意されて、あわやという目にも遭い、それでも子供たちはこっそりとこの遊戯に没頭した。手を焼いた親たちは、とうとう寺子屋を運営する慧音にすがりつく。「先生、ひとつがつんと、頭突きも交えて言い聞かせてやってください」というわけである。
 慧音も無論、子供たちの「遊び」のことは察しており、これに参加しない子が他の子から臆病者とそしられることすらあるのを知って、なんとかせねばと考えていたところであった。そこで特別講義を開くことを約束し、親たちを安堵させたのだった。
 しかしこのとき両者の意識には決定的な齟齬があったのである。
 慧音の、寺子屋教師としての面にばかり触れてきた親たちは、彼女が有事の際には自ら弾幕を以って決闘に臨む勇敢な少女でもあることを失念していたのだ。
 特別講義の日。教壇に立った慧音は、親たちが期待したような、危険な遊びをいさめる言葉など発しなかった。彼女が放った箴言は、対極を行くものだったのだ。
「パターン作成可能か、それとも気合避けか。まずはそこを見極めろ」
 弾幕へ挑む際の心構えを告げたのである。
 それを皮切りに、慧音は独自の弾幕理論をとうとうと語った。語りに語り尽くした。そしてしめくくりに生徒たちの顔をひとつひとつ覗き込むようにしながら、言ったのである。
「いいか、無理だと思ったらボムだ。抱え落ちはするな」



 その頃には多種の防弾装備が里に出回るようになっていた。これは、降弾現象が人々の日常に定着しつつあったことも意味する。
 勢いよく拡大する防弾ビジネスには人間のみならず妖怪も一枚噛みたがり、里の外からも参入者が後を絶たなかった。
 博麗霊夢もそのひとりである。既に防弾傘などに用いられる御札を卸していた彼女だったが、それとは別に霊撃札の一般販売も開始したのだ。霊撃札とは、使用者の周囲に瞬時にして小規模の結界を張ってくれるもので、誰でも扱うことができた。一度きりの使い捨てだが、やはり量産効果によって安価であり、気軽に使える緊急回避手段として人気を集めた。
 これに対抗するかのように、守屋神社の巫女も里に商品を持ち込んだ。病気平癒守なる、弾幕による怪我に特効の治癒効果を持ったお守りが目玉だった。こちらも人気の一品となり、里には連日、紅と緑の巫女の姿が見られるようになった。
 両者は共に、これは商売ではなくて仕える神の徳を示しているだけだと声高に主張した。そして明らかに互いのことを意識しあっていた。相手より多くの金銭もとい信仰を得ようとばかり、ふたりは商売に精を出し、やがて紅白饅頭だの、踊る蛙の置物だの、明らかに防弾とは無関係のものまで商品として持ち出し、その趣旨を歪めていった。
 ともあれ両神社が最初に掲げた商品だけは効果も確かで、公的に常備することを推奨されるくらいであった。特に霊撃札は簡易ボムの愛称も得て、老若男女に親しまれた。





 このように、里の人間たちは降弾という異様な現象に対して、意外なまでの順応を見せていた。
 普段、荒事と縁の薄い者でさえそうなのならば、普段から弾幕に親しんでいる連中は尚のこと、却って刺激的だと降弾を歓迎しているのではないか――そんな軽口が叩かれたりもした。
 だが、彼女らはそこまで単純でもなかった。
「一方的に撃たれて、反撃ができないんじゃねえ。フラストレーションも溜まるわよ」
 多くは、このような感想を抱いていたのだ。
 例外は魔法の森に住む人間の魔法使いや、烏天狗の新聞記者くらいで、前者は興味深そうに降ってくる弾幕のパターンを図に描きとめ、後者は降弾発生の報を耳にするやカメラを手に空を翔ける、そんな様子だった。



 状況は安定しつつあるように見えた。だが、本当は皆、知っていたのだ。このままでは済まないだろうと。いつかきっと、この安定は崩れて、全てが悲劇に向けて加速度的に傾いていくであろうと。

 
「最終的には対処不能な規模の弾幕が、休みなしに降り続けることとなるわね」
 降弾が始まってから一ヶ月余。久々に霊夢の前に姿を現して、紫は告げた。
「飽和弾幕。幻想郷は弾に埋め尽くされる。あらゆるものが等しく弾の海に飲み込まれ、水底で眠ることとなるわ。美しい最期だと思わない?」
「ぜんっぜん」
 淡い笑みを浮かべる紫に、霊夢は不機嫌そうなしわを眉間に刻んだ。
「どうにかならないの? 大結界を強化してこれ以上の流入を防ぐとか」
「結界の構造式の基礎部分に手を加えれば、なんとかならないでもないわ。でもそれには大きな代償を払わねばならない」
「それは?」
「私たちの弾幕にも制限がかけられることになるの。ありていに言ってしまうと、現在の決闘方式は、二度と行えなくなる」
「それは」
 霊夢は溜め息をついて、
「いやね」
「いやでしょう」
 ふたりはうなずきあった。
「このままでは幻想郷は滅びる。大結界を書き換えて弾幕を制限しても、ある意味で現在の幻想郷は死ぬわ。せっかく築いた妖怪と人間との交わり方が、私たちの好きなこの関係が、失われる」
「他に手は? 無いとは言わせないわよ」
 霊夢に睨まれるようにして、紫は軽く首を傾げた。
「あるにはあるわ。ちょっと博打だけどね」
 現象の原因を根底から叩く。そう、紫は言った。
「要は外の世界から失われようとしている弾幕、遊戯としてのそれを、よみがえらせてやればいいのよ。そうすれば流入は止まる」
「名案ね、実行可能かを考えなければ。……そんなことできるの? あなた言ったじゃない、これは時の流れなんだって。遡行なんてさせられるのかしら」
「引き返すことなんてないのよ、霊夢。弾幕の、新しい形を外の彼らに示してあげればいいの。ただ懸命に避けるだけを価値とするのではない、面白く、美しい弾幕というものも、この世にはあるのだと。そう、私たちが用いているようなのを、教えてあげるのよ」
 そのための窓口にも心当たりはあるのだと、紫の言葉は自信に満ちていた。
 霊夢はそれ以上、紫の計画に猜疑を挟むことはしなかった。ただ、尋ねた。
「それで。私に、私たちにもできることって、あるのかしら」
「もちろんよ。あなたたち、いえ、私も含めた皆は、これまでどおり、弾幕に興じればいいの。常に新しい、より美しい弾幕を求めて研鑽するのも忘れずにね」
 そうしていれば、きっと。
 紫は傍らにスキマを開くと、「行ってくるわね」と軽く手を振りながら、身を滑り込ませた。霊夢はほんのちょっとだけ手を持ち上げ、それに応えてやる。
「健闘を祈ってるわ」





 やがて空は雨や弾に加えて白い結晶も降らすようになり、幻想郷に冬の訪れを伝えた。
 深い雪が野山を覆い、その上に落ちた降弾は、音も無く白の中に飲み込まれていく。
 人も妖も暖かな巣にこもりがちとなり、ともすれば外で降る弾の雨のことなど忘れそうになるくらいだった。
 そうして幻想郷はしばしの眠りについたのだった。

 やがて曙を迎えたとき、多くの者が本当に降弾のことを忘れかけていた。
 思い出したのは、冬の間倉庫で眠らせておいたアーケード建設用の資材を目にしたり、そんな拍子のことであった。そして気付いたのである。ここしばらく、全く降弾がなかったことに。
 気のせいなどではなかった。それから数日が過ぎでも、空は一向に弾を降らすことがなかったのだ。龍神の石像の改造された側の目も、「晴天」を告げる白色を保ちつづけた。
 異変は、終わったのだ――誰かが気の抜けたつぶやきをもらした。
 そう、幻想郷が白いまどろみの中にある間に、この一件は片付けられていたのだった。その顛末を誰にも語られぬままに。
 後に残ったのは、大量のちょっと使いづらい傘と、白紙に戻ったアーケード建設計画と、頭を抱える弾幕ビジネス参画者たちであった。




「そりゃ、鬱陶しくはあったけどな。でも、終わってしまうと、なんかつまらない」
 神社にやってきた友人の魔法使いの愚痴を、霊夢は聞かされている。
「あれ、外の遊びの弾幕だったんだろ? 結構面白いのもあったから、模写とかしてたんだ。阿求のやつにも絵を描くのを手伝ってもらったりしてさ。そのうちまとめて、グリモワールの外伝でも著してやろうと目論んでたんだがなあ」
 縁側に腰掛けていた魔法使いは、脱力しきった様で背中からぱったりと倒れた。隣に座る霊夢は、なんともつかぬ顔でその様子を見ていたのだが、やおら立ち上がると、友人に声をかけた。
「それじゃ、気晴らしに弾幕やりましょうか。夕飯の当番か何か、適当に賭けて」
「お」
 すると魔法使いは気勢をよみがえらせて半身を起こす。
「珍しいな、お前の方からふっかけてくるなんて」
「ま、たまにはね」
 霊夢は頬をかきながら、空を見上げる。春の空は晴れ渡り、雨も、弾の一粒も降らす気配はない。
 友人には届かないような小声でつぶやく。
「それに、あいつがやり遂げてくれちゃったんだもの。だったらこっちも、約束を破るわけにはいかないじゃない。人の心を惹きつけるような弾幕を、これからもずっと、続けていかなくっちゃ」
 だったら、自分たちの手で。あの空に描いてやろうじゃないか。
 地面を蹴り、ふわりと浮かび上がる。まっすぐ空の高みを目指す。弾幕がより空に映えるような、そんな高さを求めて。
 後から魔法使いが星を撒き散らしながら追ってくるのを背中で感じ取り、霊夢は我知らず微笑をこぼした。そうよね、やっぱり相手があってこそよね。
 やがて遥か高く空の頂にふたりは上りつめ。弾の雨で無色の虚空を彩りはじめる。




    *




「あら、珍しい。メリーがそういうのをやるなんて」
 筐体にかじりつくような姿勢でゲームに興じていたメリーことマエリベリー・ハーンは、いきなり背後からかけられた声にびくりと肩を震わせた。その震えは筐体から生えているレバーを握った左手に伝わり、慎重に行っていたはずの操作を大きく狂わせた。
 筐体前面に据えられた大きなディスプレイの中央で、小さな花火が炸裂する。メリーの操作していた自機が被弾したのだった。そして浮かび上がるゲームオーバーの文字。
「蓮子……」
 メリーは恨めしげな表情を顔にぶら下げて振り向く。そこには「あちゃー」といった形で表情を凍りつかせている宇佐見蓮子がいた。
 蓮子は表情をゆっくり苦笑へと変えながら、両手を顔の前で合わせて拝む姿勢をとった。
「や、ごめんごめん。……でもさ、待ち合わせの相手を放っておいてゲームに熱中してる方も、どうかと思うのよ」
「それは……そうだけど」
 メリーは自分でもびっくりするくらいの汗に濡れていた手をハンカチで拭くと、腕時計を確かめた。一〇〇四。蓮子との待ち合わせは十時ちょうどのはずだった。
「ちょっと早く着きすぎちゃって。蓮子が遅れてくることも考慮すると、十五分ほどはありそうだったから、それまでどうしようかと思ってたら、このゲームセンターが目に入って……」
「適当にワンプレイやってれば丁度になるかも、か。なるほどね。ゲーム自体やることが珍しいメリーさんなのに、ましてこの手のをやってたからすごく驚いたんだけど、納得したわ」
 蓮子は隣の筐体の前から椅子を引きずってきて、メリーのすぐそばに腰掛けた。平日の午前、店内に客は乏しい。明度の低い照明が、遠くの席からかすかに立ち昇る紫煙を浮かび上がらせていた。
「シューティングなら、インスト読み込まなくてもなんとかなりそうだものね。……それにしてもまたオールドスクールなゲームだこと」
 蓮子が覗き込んだディスプレイでは、デモプレイが始まっていた。緻密に描かれた宇宙を背景に、自機と敵機が色とりどりの弾を吐き出している。インストラクションカードに目を移した蓮子は、タイトルと共に記された発売年度を見て、まばたきした。
「あら、意外と新しい……このご時勢に、よくもこの方向で企画が通ったものね」
「きっと好きな人がいるのよ」
 自分の声が不思議と確信の響きを帯びていることに、メリーは気付いた。画面に指を伸ばし、触れるか触れないかというところで止め、撫でるのにも似た仕草をした。画面の中の世界を慈しむかのように。
「私は好きだな、こういうの。とても難しかったけれど、でも変ね、嬉しかったわ」
「なに? マゾなの?」
「そうじゃなくて」
 ガラスに隔てられた世界を撫でていた手を丸め、蓮子のこめかみに軽くぶつける。
「ここに見たものが懐かしく感じられて、そしてそれが今も続いているんだと思うと、嬉しくなったのよ」
 そして口の中でつぶやく。もしかしたら私は、この向こうの世界を知っているのかもしれない。訪れたことがあるのかもしれない。もちろん、こんな宇宙空間ではないけれど、でもきっと似通った空気のある、そんな世界。
 ふうん、と蓮子が曖昧に相槌を打つ。
「それじゃ、まだ、やってく?」
「ううん、今日はもういいわ」
 メリーは椅子を引いて立ち上がった。コンパネに乗せておいたポーチを手にし、もう一方の手を蓮子に差し出す。
「ゲームの世界には、ひとりでしか入れないから。今日は蓮子と遊んであげるの」
「はいはい、メリーさんは寂しい女の子にお優しいことで」
 出された手を取り、蓮子も立つ。そのまま軽く指を絡めるような形で、ふたりは笑顔を並べて店の出口へと歩き去った。

 

 

 

 




SS
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2010年1月17日 日間

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