☆

 

 問答無用で、攻撃を仕掛けた気がする。
 霊夢は何の苦もなく避けたけれど、常人ならば決して回避できない攻撃だった。真正面から、当時の最大射程、最大出力で放たれた一撃を、霊夢は難なく避けてみせた。
 私は驚き、阿呆みたいに間の抜けた声をあげた。そんな馬鹿な、あれを避けられるはずがない。なんてことを、少女の前で言い放った。肩を掴んで、何か細工があるんじゃないかと疑った。
 けれども彼女は、やはり当たり前のように、初対面の私に言うのだ。
「あんたみたいなのを、頭隠して尻隠さず、ていうのよ」
 覚えておきなさい、と、私の額を人差し指で突いた。
「ていうか、そもそも、あんた誰?」
 きょとんとした顔で、霊夢は告げた。
 タイミングが良いのか悪いのか、何はなくとも、私たちは自己紹介する機会を得た。私は初めから強いと言われている霊夢の存在を知っていたけれど、霊夢はおそらく私のことは知らなかったはずだ。
 そしてその日から、私は霊夢に固執するようになった。
 今ならわかるけれど、霊夢は、私など相手にしていなかったのだろう。ただ、厄介な奴が現れたものだと、ため息をつく程度の事件だったに違いない。当時の私はそれを理解できず、霊夢が上からものを見ているのだとしか思わなかった。圧倒的に実力が勝っているから、意に介する必要がない、と。
 ある意味で、それは間違っていない。
 でも、やっぱり、それは致命的に間違っていたのだ。

 

 ★

 

 いくぶんかはっきりとした夢の残り香を抱いて、魔理沙は香霖堂に飛んだ。
 霊夢から昔年の思い出話を聞き出そうとした魔理沙もまた、出会いの記憶がない。正確には、原型が定かでないくらいに薄れている。掬い出そうにも、これが霊夢と出会った時の記憶なのか、他の誰かと出会った時の記憶なのか、どうにも判別がつかないのだ。
 もしかしたら、自分もまたボケているのかもしれない。
「ま、いいか」
 わからないことは人に聞く。妖怪も言っていた、ならば人間にも言えるはずだ。
 目指すは香霖堂、既知の間柄である森近霖之助のもとへ。
 彼なら――自分が実家から出ることになり、独り暮らしを始めた頃からの生活を知る霖之助なら、霧雨魔理沙と博麗霊夢との邂逅を、記憶に留めているかもしれない。
「――――ふッ」
 ホウキの柄を握り締め、加速する。真昼の空に星が散らばる。
 速く飛べば、その分だけ抗する風は強くなる。時代に抗い、時代を遡っている錯覚がある。右から左に、前方から後方に行き過ぎる真一文字の風景には、タイムマシンに乗っているような躍動感を抱く。背徳の精神を。禁忌の詮索を。そして欲望の探求を。
 飛べ。もっと速く。
 知らず知らず、手のひらは汗で滲んでいた。
 香霖堂は、魔法の森と人間の里の境にある。人にも妖にも入り易いという触れ込みの立地条件なのだが、店主の無愛想ゆえか、品揃えの不気味さゆえか、とにかく客足は芳しくない。顧客と呼べる類の存在はいるけれど、それよりも数が多いのは、用もないのに入り浸り、好奇心の赴くままに商品を簒奪する少女たちである。
「よっ、と――ぉ?」
 その気高き人種のひとりに数えられる霧雨魔理沙は、減速もそこそこに香霖堂の扉の前に着地したところ、勢いを殺し切れずに足をもつれさせ、香霖堂の扉にどかんと激突した。よくある交通事故である。
「あだッ!?」
 悲鳴をあげ、大の字に崩れ落ちる。
 その拍子かどうかはわからないが、扉がゆっくりと開いていく。額をさする余裕もなく持ち上げた視界の端に、ぼんやりとした人影が見えた。
「こ……こーりんはいるかぁ……?」
 すっかり覇気を失った声色にも、影の主は茶化すことなく答えた。
「残念ながら、いらっしゃらないようですわ」
 やたら慇懃な口調の主は、銀色の空気を漂わせながら、魔理沙に手を差し伸べた。その手のひらに銀のナイフがないことを確認してから、魔理沙はありがたく十六夜咲夜の手を掴んだ。水仕事も多いはずなのに、皺も荒れもないきめ細かさを誇っている。
「よっと……」
 引き上げられ、起き上がる。意外に腕力があることに驚き、メイドも力仕事だからしょうがないかと思い直す。と同時に、額がじんじんと痛み始める。
「あたた……、こりゃあ、しばらく痛むな……」
「急場しのぎの軟膏なら、特別料金で手配するわよ」
「金取るのかよ……いいよ、こんなもん、気合がどうにかしてくれる」
「精神論ね」
「絶望を凌駕するのは思いこみだぜ?」
 あらそうなの、と涼しい顔で咲夜は言う。ホワイトプリムが風に遊ばされる。丁寧に編まれた銀色のお下げ髪が、魔理沙と同じようにゆらゆらと揺れている。
「あら、隕石でも落ちてきたのかと思ったら、人間じゃない」
「残念。落ちてきたのは流星だぜ」
「一瞬の瞬きという意味なら同じことよ」
 腕組みをし、特に理由もなくふんぞり返っているのは、咲夜の主であるところの吸血鬼、レミリア・スカーレットである。若干、空に雲は掛かっているものの、真昼間から吸血鬼がそこいらを動き回っているというのも珍しい。余程退屈なのか、それなら博麗神社に寄っているか、あるいは神社に霊夢がいなかったから、こんなところまで足を運んだのか。理由はいくらでも考えつくけれど、結局は大したことじゃないのだろう。
 そんな気がする。
「いないのか、香霖」
「そのようね。……全く、暇潰しにもならないわ。折角早起きして歩き回っているのに、どこもかしこも空振りよ」
 言って、レミリアは気だるげに肩を竦める。扉から肩がはみ出そうになるのを、咲夜が日傘を差して補う。ちょうど、太陽の光は真上から降り注いでいた。
「どこにいるのか……は、わからないよなぁ」
「なんで私が知ってなきゃいけないのよ」
「物品納入のため無縁塚、買出しと調べ物がてら人里に……と、そのあたりかしら」
 レミリアは不遜に答え、咲夜は適当な予想を口にする。魔理沙もそのあたりは推測済みだったから、この先は待つか探すか諦めるか、という行動に移らねばならない。
 やれやれと嘆息しかけて、「紅茶でも淹れてくれない?」「それは泥棒ですわ」と呑気に会話している紅魔の従者を見やる。人と妖、垣根の違いはあるけれど、彼女たちにも相応の出会いがあったはずだ。
 なんとなく気になって、声を掛ける。
「なあ」
「何よ、紅茶でも提供してくれるの?」
「私の血は青いからだめだな」
「貝なら捌いても美味しそうね。咲夜」
「嘘が得意な二枚貝といったところでしょうか」
「うまいこと言ったつもりだろうが、今は比較的どうでもいい」
 残念そうにしゅんとする咲夜と、かっさばく気満々のレミリアに、魔理沙はある問いを投げかける。じっとしていても動いていても、じんわりと暑さが染みる。焼けるような日差しにはまだ遠く、蝉の鳴き声もまた、土の中で見る夢から覚めていない。
「お前らにも、初対面の瞬間があったわけだよな」
「前世って概念が無ければね」
「運命的ですわ」
「まあそこんところもどうでもいい。現世に限った話をしたいんだ」
「ふうん……、咲夜との出会い、ね」
 どこか値踏みするような瞳は爛々と、寝不足でもないのに紅く輝いている。見る者を魅了するルビーの眼は、より多くの血を吸えばより煌びやかな輝きを放つかに見えた。
「あなたが何故、そういう話に興味を持ったのか……興味を引かれないでもないけれど。いいわ、大盤振る舞いよ。話してあげましょう」
 暇だし、と付け加える。格好よく振る舞っているはずなのに、最後の一言があるからいまいち締まらない。咲夜は基本的に日傘を傾けて、たまに相槌を打つくらいで、積極的に話に入ろうとしない。
 ふと、遠い昔を見つめるように、レミリアは目を細めた。

 

 

 



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